2周年を迎えて、

あの頃の古い車で、砂埃りけって、
走り出そう、太陽の町へ、

ラジオのボリュームあげて、人目気にして、
昔みたいに 話が途切れたら、キスして

ZARD  見つめていたいね、

ここを開設したのが、2008年の7月25日だから、明日で2周年になります。ひとつの区切りとして、これまで私が開設しては廃絶してしまった幾つかのWebSiteのことをなんかを振り返っておきます。

自宅にインターネットの環境が整ったのが、2000年の夏の話、その頃から主に地元奥多摩の登山関連のWebSiteをちょくちょく覗かせていただき、自分でも、簡単な(というか、「粗末な」)・・有料の画像掲示板を繋ぎ合わせたような簡易ホームページを作っていました。その頃作ったお粗末WebSiteの名前で思い出すのが、「奥秩父通信」であり、「牛王院平にて、」である。内容的には、当時は、藪尾根ルートの紹介がメインであったように覚えている。また、その頃の画像データはほとんど抹消してしまったのでいまは残っていません。

2004年頃から、わが国でもBlogが流行りだし、html言語に詳しくない私のようなものでも既成のテーマにあれこれ手を入れることで、そこそこ見栄えがするWebSiteを作り上げることが可能となった。

ふとしたことで出くわしたexblogで、ichinose.exblog.jpを作り始めたのが、2005年の10月で、そこのプラットフォームは使い勝手がよかったので、つい先日まで愛用させていただいた。exblog版の「甲武相山の旅」では、当初は、藪尾根歩きや、ヴァリエーションルート登山を主に記載したが、その後、ハセツネ関連記事や、トレイルランニング関連記事が中心となり。そこそこ好評?を博し、およそ5年で、18万5千ほどのアクセスをいただいたように思う。

ここsubeight.wordpress.comにて公開してある登山関連の記事は、exblogにて公開していた記事をこちらに移したもので、ほとんどがここ4年~5年の登山記事がベースとなっています。

私は、基本的につまらない記事、内容が一定のレベルに達していない記事は削除してエッセンスのみ残してゆく方針なので、これまで、exblogにて書き上げた記事は、1000を悠に超えるであろうけれど、それらを厳選して450ほどに絞りました。更に、6月のexblogからの移行に伴って、一層取捨選別し、ここには、現在340記事を掲載してあります。

最近は、山登りをたしなむ方が増えてきているようですが、私は逆に、ここ数年、時間的な余裕や心理的な余裕がなく、のんびりと一泊、数泊しての登山からすっかり足が遠のいています。愛車であったパジェロがディーゼルの規制で乗れなくなり、林道を駆使しての積雪期の登山もここ数年お預けとなっています。

そんな感じで、近場の奥多摩や、日帰り圏内の奥秩父東部での登山しか行っていないので、アルプスなどの記事はここには掲載してありません。ですので、八ヶ岳や南北アルプスを目指し、それらのルート情報を知りたいという方には全然役に立たないでしょう。

おまけに、近場のルートは、沢登りや藪尾根が中心で、たまに出かける奥秩父のルートは、著名ルート以外は記事を作って公開しない方針なので、まったくたいした記事は掲載しておりません。

ここ2年間は、かなりの時間を、時には、トレーニングの時間、自分の山に行く時間さえも犠牲にして、「ハセツネの考究」と「トムラウシの例の山岳遭難事故」に割きましたが、その過程で自分が楽しめたかといえば、自分はちっとも楽しくはなく、ただ人様のお役に立てただけかなと考えています。

そもそも登山は私にとって気分転換の趣味であり、レクリエーションの機会なんですから、自分が楽しくてなんぼでありましょう、ですので、もうそういうことはしません。今後は、私のプライベートな登山の時間を大切にするとともに、ここは私個人のささやかな登山のWebSiteとして細々と運営してゆこうと考えております。

2010年7月24日 silvaplauna

夏季休養

こちらは現在、夏季休養中です。
涼しくなったら?再開?の予定です。

ここを閉ざしたらあまりにも気が楽で楽で、まるで自縛霊か何かに憑りつかれていたのが、
除霊されたみたいです・・^^v

せっかく「自由の身」になったのですから、
このままで、再開するのはもう止めにしようと思わないでもありません(苦笑)。

管理人へのお問い合わせは、メールまたはコメントにてお寄せください。
(まぁ、こんな風に書いても誰も、コメントひとつもよこさないと思いますがね・・。爆)

silvaplauna


7月24日 引き続き、夏季休養中ですが、過去ログは通常公開に戻しました。

現場主義

最近は、自分と同世代や一回りぐらい若い方と山に行く機会に恵まれて、実際の登山のほうが楽しくなり、相対的にここで記事を作成し公開しようという熱意が薄れて来ている。記事を作成し、公開してもロムりの方がほとんどであるし、それよりも実際の山の現場で、あれこれ沢や尾根を一緒に登ったほうが、遥かに生きた知識を伝えることが出来るし、また山の体験を共有することも出来るからである。

ここで、文章でいくら表現するよりも、沢とか藪尾根をひとつ一緒に登ったほうが、現場の感覚を養うことが出来るのである。そういう意味では、私は、現場主義の人間であるようだ。

さて、そういう登山に出かける前は、登山に神経を集中するためにここは一時的に閉鎖することにしようと思う。精神の集中というのは、大切なことで、いろんなミスを防ぐ上でも重要なことだからだ。

ワラズ尾根 4月18日
tomo2010さん、かげマルッツ塾長と一緒に登ったルート、私は重荷と膝痛で、遅れをとりました・・苦笑

大常木谷 6月13日
かげマルッツ塾長と二人で出かける、渓流に不慣れな塾長のおかげで、リードでき、名誉挽回出来ました・・笑

千足から大岳山往復


千足沢、天狗滝

昨日は一日早い連休として、山も走るフードライター大久保朱夏さんのトレラン取材に同行させていただきました。千足沢から上がり、つづら岩、富士見台、そして南尾根から大岳山頂まで同行し、その後、自分は来た道を戻りました。(千足に車を置いてきたため・・。)

大岳では、滑落事故が多発する西のガレの鎖場を再確認します。

写真を撮りながらの取材ですので、時間が掛かりますが、それでも、千足から、1時間ほど、11時には、つづら岩に着き、大岳山頂には、12時45分ごろ到着しました。トレイルランには関係ありませんが、つづら岩にも、ちょっとひねったルートで登っていただきました、かなり好評だったようです(^^)。(もちろん、本には、つづら岩に登る話は掲載されないでしょうが、私が一緒に登って、つづら岩を「素通り」できるわけがありません・・苦笑)。

さて、帰路は、白倉を下ろうかなとも思いましたが、来た道を戻るのが涼しくてベストと判断、山荘からつづら岩下までジョグペースで走り(30分ほど)、千足に下るあの急な尾根はタイムトライアルしたところ、林道終点まで17分かかりました。指導標によると距離は1.5キロだそうです。

連休前の平日でしたので、登山客に出会ったのは、大岳山頂周辺のみ、それはそれは静かな山を楽しめました。一人で出かける山のときは、いろいろ写真を撮るのですが、仲間と行くとなかなか写真を取れません、まして昨日は、取材のお手伝いでしたので、自分のカメラの出番がありませんでした。

私は膝に爆弾を抱えているので、よほど調子のよいときにしか尾根の駆け下りはしないようにしているのですが、昨日のタイムトライアルで膝に来たかな?と多少心配していたところ、今日になっても痛みは出ず、なんとか膝を壊さずに済んだようです。

今回の取材、当初は、馬頭刈尾根の末端、軍道か、瀬音の湯あたりからスタートしようかと考えていたのですが、長くなりますので夏場はちょっと無理と考えて滝を眺めながらのトレイルランが楽しめるルートとなりました。

ユマール

ユマールという道具は、小西政継さんのジャヌー北壁なんかを読んでもらうと分かりますが、要するに、極地法(ポーラーシステム)で大きな山を登るときに、頂上に至るルートを工作して、C1、C2、C3、C4といった具合にキャンプを設営しつつ上に上にと固定ザイルを張りめぐらせていく訳ですが、そのキャンプ間の往復や資材の運搬など、その張り巡らせた固定ザイルを登るときにこれが登場します。

ハーネス(ゼルプスト・ザイル)に結んだユマールに固定ザイルを噛ませて、自己確保を取りつつ登るわけです。(そのほか、二つの固定ザイルにそれぞれユマールを噛ませて、左右交互に滑らせながら、垂直の壁を登ることもあるようです。いずれにしても羨ましい海外登山の世界ですね・・^^;)。

もちろん、例えば沢登りでも、滝場などでトップが登って、セカンド以降の人はトップが確保しているザイルを頼りにスピーディに登ろうという場合にも使えます。日常的にはそういうケースでの使用のほうが遥かに多いでしょう。

さて、そのユマールですが、オークションで中古のユマールが出ていたので、買いました。僕は、基本的にあんまり道具に頼らないやり方で登るんですが、独りで登るときに、登り返しの時にこれがあれば便利かなぁと思ったことがあったので試しに使ってみようと思っています。

今日品物が届いたのですが、その大きさを見てびっくり、女性用の小ぶりな弁当箱ぐらいの大きさです(嵩張る!)・・もちろんちょっとした重量、これがなくっても、ブルージック結びとかで代用できるわけであり(※1)、これを本当にもっていくべきか?ちょっと考えてしまいます。(練習用によく出かける沢に持っていくぶんにはともかく・・苦笑)

品物自体は、中古(しかも、かなりの時代物)ですが、きちんとザイルも結ばれており、しっかりしたザイルの結び方ひとつみるにつけてもきちんとした良識あるクライマーさんが使っていた品物だと分かります。かなり使い込んでいる品物ですが、使い込まれている分、性能的に信頼できると思います。(もちろん、本当に効くかどうかよくよく試してから使ってみますが・・苦笑)

それにしても、大きくて、重い・・改めてこんなもの持って行くべきか?悩みますね。もちろん、落っこちて怪我をするよりはマシですが・・^^v

※1 でも本当にブルージック結びで大丈夫か?というと、どうにかすると滑ったりもするわけで、やはり不安が残る。わたしなどはやはり、ブルージックでは頼りなく感じてしまうわけです。

東谷から、御殿沢、その他、

東谷から、御殿沢、その他、

※この沢は、初心者向けの容易な沢です。ザイルは不要です。わたしは、ランニングシューズで沢登りをするので、沢登りの古典的なスタイルである草鞋とか、渓流シューズなど使いません。前回の大常木も、古びたランニングシューズで会所小屋跡まで遡行しました。沢登りは、これからの時期楽しいものです。秋川でも、矢沢界隈はよい沢が多いので、お勧めです。(ただ、今の時期の秋川は低山で草いきれが激しく、気持ちよくないので私は入りません。)

実に4週間ぶりの山なので、すっかり山の感覚は鈍っており、いきなり本命ルートには分け入れず、今日は原生林の山腹や沢を歩くリハビリ登山となってしまった。しかも、諸々の雑用のため家を出るのは11時過ぎ、最後まで、出かけるのをためらっていた。(出かけなければ、ほかにやることもあるし、お茶を濁すぐらいのトレーニングなら近場で十分出来るから・・。)

それでも、まぁ出かけてみると、やっぱり来てよかったと思うのである。
それにしても、すっかり広葉樹が葉を広げて気温も高くなり、笹も勢いを増してきた。今シーズンはもう、本命ルートは狙えないかもしれないなぁと、諦めかけてもいる今日この頃である。(その場合、次に狙うとしたら、秋以降となろう・・。)


1408 一之瀬に着いたのは、午後1時過ぎ、通いなれた一之瀬、登山道を歩いて尾根筋に出るのも面白みに欠けるので、ルートは一之瀬川の支流中川の東谷を遡行することにした、前回の大常木とはうって変わって、容易な沢だ。前回この沢に入ったのは、3年前の秋のことだったように覚えている。

この沢には渓流釣の方も多い。60代の男性の方と出くわしたので、「釣れましたか?」と聞いてみると、今日は沢が増水しているので、大物が狙えるかなと考えてやってきたんだけれど、小物ばかりが多いので、釣ったのはみんな放流してしまったとのこと。

※車は中休場尾根の仕事道の入り口に停める。尾根にある仕事道を下段の巡視道に登りつめ、右に進む。右に行けば中川に出くわす筈という頭があるからであるが、なかなか中川に着かない。結局、三つほどの枝沢を越えたあと、ようやく中川に出た。確認するのも面倒なので地図を見なかった・・というか、最近、山に地図を持って行かないようになってしまった(この間の大常木でもそうでしたね・・汗)。

※中川は予想通り、かなり増水していた。


1428 この熟練の釣り人と別れて、さらに進み、途中から、御殿沢に入る。緩い傾斜の滑滝が続く。

※御殿沢の分岐は、水量 2:3 ぐらいかな?御殿沢の手前に、細い沢が左から入ってくるがあれはただの枝沢。 

※3年前の秋に、東谷を遡行して、岩場も何もないのにガッカリしていたので、今日はかすかな期待?を胸に、御殿岩沢に入ってみた(が結局、なにもなかったが・・)。


1436 沢筋から見える周りのよさげな風景、原生林の一部・・奥多摩界隈ではなかなかお目にかかれない風景ですね。


1436 この沢を詰めると、西御殿岩に着く筈であるが、こっちの谷は、あまり人が入らないようで、かなり荒れていた。

※このあたり印象が薄いのでかなり説明をはしょっております(笑)。


1440 と思ったら、ガレ場に出て、右手上のほうには、黒々とした堰堤が視認出来、ここでゲームセットとなってしまった。ここまでは、ほとんど沢筋のハイキングでかなり物足りない内容・・。
見あげると巡視道の下に、鉄製の堰堤が3段ばかり造ってあった。資材は、ヘリコプターで運び上げたんだろうけれど、気休め程度の堰堤で・・きっと谷が崩れたら堰堤ごと流されてしまうのではないかなぁ・・。


1457 さて、上段巡視道に出たので、そこから西に進むことにした。西御殿岩(2075m)には、これまで数え切れないほど登っているし、今日は見晴らしも悪いので、御殿岩はパスして、もうひとつ沢を登ろうという心つもりである。(晴天ならば、西御殿岩は絶好の見晴らしの良いポイントである。)


1504 木漏れ日・・じつはここの上段巡視道も久しぶりで(2年ぶりぐらいか?)、たまには歩いてみたかったのである。(最近は、山に入っても、沢筋とか、獣道とか、藪尾根とか変なところばっかり歩いているので、最近は一般ルートから足が遠のいてしまっているのである。)


1505 夏焼尾根・・わたしの好きな尾根だが、これからの時期は、気温が高く、マダニも出てくるのでちょっと、笹薮に分け入る気にはならない・・。


1505 おなじく夏焼尾根の入り口、拡大写真。雰囲気が分かりましょうか?


1615 さて、もうひとつの沢に取り付いて、ちょっと登ってみる(いつも来ている沢なので、見飽きており写真は撮らず)。こっちの沢は、滑滝が多く、バランスも必要で、手も使うので面白い。これはその沢筋から・・、青空が綺麗だったので、写してみた。


1615 開けた沢筋から振り返って、いつもの大菩薩の風景。

1630頃から下山開始、下山ルートは、尾根を西に笠取に向かうルートも考えたが、登った沢を下るのが一番早いと考えて、沢を下ることにした。今日は、何も持ってこなかったので、滑滝の下降に手を焼くかなとも思ったが、支流に逃げたり、鹿道を利用したりで何とか無事に上段巡視道に出た。あとは、ゆっくり歩いて、中休場尾根を登山口に戻った。

今回は、沢筋のハイキングのような内容だが、まぁ、日の出山に登るよりは、気分転換になったかなぁと思い、喜んでいる。

※ 所持品は、デジカメと、炭酸飲料(500ml) 二本。(一本だけ飲んだ。)
※ 家を出るときに早めの昼飯を摂っていたので、今日は弁当は持たず。 

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おまけ

土曜日は、体力的にも余力を残した内容だったので、日曜日は、ちょっとだけ走りに出かけて見た。
午前中は天気がもつということなので、ここのところ週末のお約束になっている白倉ルートに駆け登りに出かける。今回は、半そで、半ズボンなので、かなり走りやすく、馬頭刈尾根まで、3分ほど短縮できた。(それでも、ベストよりまだ、3分ほど遅いが・・。)

ここのところ、節食を心がけ、体重も3キロほど減った。また、トレーニング内容も、自転車からランニングへとシフトさせ以前通りすこしは山を走るようになってきたので、登りはともかく、特に下りの脚捌きがようやく回復してきた。(また、4月18日に痛めた左ひざの痛みもかなり改善されてきた。)

ベストタイムが出るのは、いつも暮れの時期なので、夏場はあまり追い込まなくともよいかなと考えている。

何はともあれ、山の感覚も取り戻せたし、ちょっとは走れるように回復してきたのはよい兆候と前向きに考えたい。

大菩薩北尾根 遠望


2010年7月10日 撮影

Einst war der Geist Gott, dann wurde er zum Menschen, und jetz wird er gar noch Pöbel.
Wer in Blut und Sprüchen schreibt, der will nicht gelesen, sondern auswendig gelernt werden.

かっては精神は神であった。やがてそれは人間となった。今では賤民にまでなりさがった。
血をもって箴言を書く者は、読まれることを求めない。暗誦されることを望む。

Im Gebirge ist der nächste Weg von Gipfel zu Gipfel : aber dazu mußt du lange Beine haben.
Sprüche sollen Gipfel sein : und die, zu denen gesprochen wird, Große und Hochwüchsige.

山の中で最も近いみちは、山頂から山頂に飛ぶみちである。しかしそのためには、あなたは長い脚を持たなければならない。´
箴言は山頂だ。箴言から語りかけられる者は大きな、背の高い者であらねばならない。

Vom Lesen und Schreiben ´´ DIE REDEN ZARATHUSTRAS´´

奥秩父主脈から見ると、大菩薩嶺はまるで独立峰のようである。この西に富士が見えるのであるが昨日は、霞で隠れていたので、この写真の主人公は、大菩薩である。東に小菅、丹波山に至る尾根筋の下に、かすかに、北尾根が判別できる。

手前の山は、藤尾山、その右手にあるたわみは犬切峠、藤尾山の奥に、黒川金山で有名な、鶏冠山、そして黒川山。

Platoon  競技アスリートの「闘争心」について、


Adagio for Strings

この映画は、劇場で二回、数年後に五日市映画祭でもやるというので、普段は映画祭になんか行かないけれどその年はわざわざ出かけて観た。この映像を見ると、この映画の細部までいろいろと思い出します。

この映画を、いわゆる「反戦映画」として解釈する向きが多数だけれど、わたしはこの映画を反戦映画としては観なかった。中学校三年生のときに観たフランシス・コッポラの「地獄の黙示録」よりも、遥かにわたしに影響を与えた映画である。

85年の封切りだから、いま、30歳の人は、当時5歳とかなわけで、・・まさか観てはいないよね。
わたしの住む五日市の近くの福生には横田基地があって、子供心にもベトナム戦争というものを間近に感じていたのかもしれない。

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闘争心について、

レースに出ている人は、人一倍の闘争心を持っているように思う。
わたしも、闘争心は持っているけれど、山の中でひとと争うつもりはない。

街中と違って、山の中では、融和的にありたいといつも思っている。
だから、私は山の中で、闘争心をあらわにすることはしない。

兵士の闘争心と、アスリートの闘争心とは根本的に違うものだと思う。
前者は、生きるか死ぬかの状況で働く闘争心であるけれど、アスリートのそれはそうではない。

自分はというと、私はアスリートの経歴を持たず、アスリートではないので、レースという管理された場面でアスリートが見せる闘争心というものをあまり理解できない。

アスリート・・とりわけ市民アスリートがやっている「競争」というのは、「みんなで仲良く競い合いましょう」といったもの、つまりは、リクリエーションとしての「お遊び」だと感じているので、へそ曲がりの私などは、はなから真剣に取り組めない。・・眠くなってしまう・・苦笑。

その点、岩登りや、沢登りとなると、場面によっては、生きるか死ぬか、となるわけであり、いい加減な心持で取り組めない。こんな風に沢や、岩では、心が覚醒し非常にマジになって取り組むんだけれど、レースとなると、身の危険を感じないので、眠くなる・・。先に行きたい人はお先にどうぞ、わたしは後からゆっくり行きますので、といったところである。

そんな次第なので、僕の心は、レースというものを受け付けないのだと思う。
逆説的にいうならば、人為的なレースで、シリアスになれるのは、ある意味羨ましいといえるかも知れない。

◇ ◇ ◇ ◇

山で、あるいはいろいろな場面で、温厚に振舞う私に、彼ら、市民アスリートは、その「市民的な闘争心」をぶつけて来るわけだけれど、僕はいつも「負けるが勝ちよ」と、いうことで一歩身を引いている。

それに、いちいち張り合って居たんでは、頭が禿げるよ(ゲラゲラ)、まぁ一応、「能ある鷹は爪を隠す」、、ということにしておいて下さい(笑)。・・・お蔭様で、私は、今でも床屋に行ける身の上です(大笑い)。

(>男性諸君、週末にレースにばかり出ていると、男性ホルモンが出っぱなしになって、40代になって頭が禿げるよ!!^^;)

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追補1

レースに出ている人間は、わたしのようなレースに出ない人間のことを「不甲斐ない」やつだと感じているようだけれど、それは、根本的に間違っていて、わたしが「レースに出ない」のは、そういう大人のアソビが出来ないからである。・・そういう心理的な余裕がない。大人のアソビであるトレイルレースに出るぐらいでは、心の充足を得ない、要するに「楽しめない」のである。(一言で言うならば、「トレイルレースでは死に直面しないからである。」)

だから、トレイルレースなんていうものは、奥さんがいて、子供がいて、健康で、アソブための多少の小銭があって、なにか、楽しむことはないかな?・・なんていう連中にうってつけだということだ。暇がある中産階級の大人たちの趣味といえるだろう。そのよい例が、あの代々木RC・・である。

生きるか死ぬかを日々考えて、生死の現実に直面している生活を送っているような人間は、昨今流行のトレイルレースなんかには出ないということだ。

そういった心情を理解できずに、「トレイルレースに出ない人間は不甲斐ないやつだ」なんて考えるのは、それこそそういったトレイルランナーの「人間的な未熟さ、底の浅さ」を例証するものである。

自由な気分!(副題 「さらば、トレイルランニング^^v)

Jetzt bin ich leicht, jetzt fliege ich, jetzt sehe ich mich unter mir, jetzt
tanzt ein Gott durch mich .

Also sprach Zarathusutra.

いまはこの身は軽い。いまはわたしは飛ぶ。いまはわたしはわたしをわたしの下に見る。
いまはひとりの神が、わたしとなって踊る思いだ。

(邦語訳は岩波文庫 氷上英廣訳より引用)

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最近は、路面が濡れている事もあり自転車はすっかりサボっていて、日の出山への駆け登りや、筋力トレーニングが主体となっている。例年、夏場はパフォーマンスが落ちるのであるが、昨日は、蒸し暑く格段にパフォーマンスが落ちてしまった。

さすがに、綿100%のTシャツでは汗だくになってしまうと着心地が悪いので、今日は、青梅の佐藤スポーツにトレーニング用のTシャツを求めに出かける。サイズXL、1800円のTシャツ(佐藤スポーツオリジナル)を三枚購入。

普段山を走っているシューズがだいぶ痛み、ついでにトレイルシューズも合わせてみたのだが、店員さんの見立てでは29cmではきついので、やはり、自分の足に合うのは30cmとなってしまい、そうするといろいろ選べない・・今回は断念する。

パアゴニアのトレイルランニング用のウェアも見てみたが、なるほど、お洒落な色合いで、デザインもよいが値段も高い。一着6000円以上である。今日のトレーニング用のTシャツを三枚買ってもお釣りがくる値段・・。

「レースに出る人は、こういうのを買って、お洒落も楽しみながら走るのかな?」なんて想像してみた。・・だとしたら、それは一種の、大人のアソビであるかも知れないなぁ・・とも感じた。

「命にかかわるような品物、・・登攀具とか、冬季用のウェア、厳冬期用の登山靴などにお金を惜しんではならない。」というのが、小西政継さんの本に書いてあったアドバイスであり、自分もそれに従い、冬山用のウェアや、登山靴にはお金は惜しまない。けれど、夏場のTシャツは、吸汗性と速乾性がそこそこあれば、あとはどれも似たようなものであろう。どうせ、汗みどろになるのであるから、高い品物を買う必要はさらさらない。むしろ、洗い替えのほうが必要だ。

そんなことを思ったら、自分はやっぱり、トレイルレースに手を染めなくって良かった、と安堵の気持ちになった。僕はトレーニングで山を走るけれど、レースには出ない。

カラフルなウェアに身を飾り、エントリー料金を払ってまで、レースに出たいとは思わないし、自分のやりたい登山は、ニーチェに出会った段階からすでに、そういう形態ではないことが運命付けられていたからである。

ハセツネから離れて、ようやく5年ぶりに大常木にも行けた。今後は、トレイルレースからはますます距離を置いて、自分のやるべき登山をしっかりやって行きたいと思っている。

トレイルレースから距離を置くと、トレイルランニングの世界の狭い人間関係(&それが引き起こすゴタゴタ)からも解放されて、本当に自由な気分だ。トレイルランニングの世界というのは、トレイルレースに出ている人たちの世界であり、その世界は狭く、また濃い、パタゴニアのトレイルランニング用ウェアを見て、そんな風に感じてしまった。

僕はレースに出ないので、トレイルランニングの世界に無関係な人間であり、だから、その世界の有名な人(足が速くってレースで優勝するような人)に「頭を下げる」必要はないということ。頭を下げる必要もないし、「彼らを上位(上座)に感じる」必要もないということ。自分を「(足が遅いということで)賤しめ」、「(人間的に尊敬できない人に対して、ただ足が速いというだけのことで)へりくだる」必要もないということだ。

(※ 逆説的にいうならば、トレイルランニングの世界には、足が速い事に価値があるという考えを持っている人がいて、足が速いと、「偉い」とされる。足が遅い人間は、いわば、「下等の人間」であり、足が速い人間に対してへりくだらなければならない。。。とこんな価値観に支配された世界であるといえるだろう。)

振り返って、トレイルランニングの世界には、「親分になりたい人」が沢山いるみたいで、私には、息苦しい世界であった。
そして頭を下げて、同じことをすれば(レースに出れば)、仲間に入れてあげるよ、みたいな感じの人が多かったなぁ・・。

若い人は、レースで優勝して、有名になりたい、経歴を作りたいと欲望をあらわにしている。彼らの多くは、高校や、大学の時に陸上部だったような人が多い、陸上から山に入ったような人は、レース志向から心が離れないのではないか?彼らは、陸上の世界で頭角をあらわせられなかったから、山のレースの世界に来て、有名になろうとしているのだろう。

私より、一回りぐらい上の、50代、60代のランナーは、昔から山を走っているということで、人脈をつくり、若い人から一目置かれ、大会主催者にも顔が効くことを上手に使ってこの世界においてそれなりの地位を欲しているのだろう。

大会主催者は、レース優勝者を子飼いにして、将棋の駒よろしく動かそうと欲している。そして、レースを通じて、市場を牛耳ろうとしている。

企業も、実力があって若いトレイルランナーに近づいて、いろいろ説き伏せて子飼いにして、その後ろで、いろいろ策略をめぐらしている。・・・トレイルランのブームが終わったら、子飼いのランナーは、切り捨てられてしまうのだろうなぁ・・。

要するに、ブームとなり、金が動くところ、百鬼夜行の状況といったところだ。

私は、そんな連中とは一線を画しているので、一銭も・・いつかも書いたようにマクドナルドのハンバーガーを買う金も入ってこないけどね(笑)。

でも、山でお金を稼ぐというのは、昔から「山稼ぎ人」という言葉もあるように、どことなく卑しい、罪深いイメージがあるのではないだろうか?
植村直巳が、自然学校のようなことをはじめたときに植村直巳の夫人は小西政継さんに「本当は、(植村に)趣味の切り売りをしてほしくはない・・」と語ったそうである(小西政継著「僕のザイル仲間たち」の植村直巳さんの章にそう書かれている)。

・・私は、そういうスタンスなので、そうでない連中、趣味を切り売りし、山でお金を稼いでいる連中をいまは、極めて不快に、忌々しく感じているところである。

まぁ、こんな世界で身を立てている連中の書いたもの(ブログ等)など、大会主催者や、スポンサー、目上の選手、及び、顧客にとって耳障りなことなど到底書けるわけがなく(そんなことを書くと、「干される」わけだ・・笑)・・当たり障りがない、調子のよいことしか書いていないので、色眼鏡でしかみられない。(私も、もし、この世界で金を稼ぎたいと思うのならば、本音などは一切書かず、おべっかを使って、バランス感覚?に優れた、当たり障りのない内容の記事を書くことだろう・・。そうすると、富士山でビールを飲むぐらいの金は入るのかな?)

そういう点で、彼らは嘘つきであり、しかも、平然と嘘を書くので極めて性質(たち)が悪い。
(そのくせ、トレイル雑誌には、そんな彼らがカッコよく掲載されているんだけれどね。)

もちろん、ここに書いたようなことをレースに出るトレイルランナー諸君は、ゆめゆめ書いてはならない、こんなことを書くと危険人物としてマークされ、あの「鏑木毅さんを囲む会」とかにも招待されなくなってしまうだろう・・苦笑

されど、「危険人物」というのは果たしてどっちだろう、・・2000人もの参加者を集って登山道を使ったレースを開催しようとしている連中のほうが、「社会的に見てよほど危険人物」なのではないだろうか?

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話がかなり脱線したが、僕は小西政継さんがいう「チョロチョロハイク」・・わずか数キロの荷物を背負って走り回ることが(トレーニングとしてはともかく)、本命の登山スタイルとして素晴らしいことだとは思っていないので、彼らのやっていることとは一線を画しているし、これからもそうだろう。

流行に左右されずに、普遍的な価値、・・いつまでも変らない、クラッシックで、先鋭的な登山の価値を追及してゆくことにしよう。

Summer of ’69

梅雨の鬱憤晴らしに、次の曲をどーぞ!

Standin‘ on your mama’s porch
You told me that you’d wait forever
Oh and when you held my hand
I knew that it was now or never
Those were the best days of my life

Back in the summer of ’69