ランドネ=land + ねーちゃん?

女性のアウトドア雑誌で、ランドネなるものがあるそうだ。この手の雑誌は一切見ないので、どういうものなのか分からない。

山ガール?なる言葉もあるらしいが、わたしが山で出くわすのは、オバちゃん(要するに、「山おんな」の進化形のヤマンバ、山姥)ばっかりなので、うら若い女性の間でアウトドアがブームになっているとは、にわかには信じがたい(否むしろ到底、信じられない)。

それはさておき、秋のハセツネに出場する女性ランナーの数は、全エントリーの一割に過ぎずおよそ200人ほどである。ハセツネ30Kの出走者についても、女性ランナーはたしか110名ほど、青梅高水の30Kの部も女性ランナーはそのくらいである。これに引き換え、青梅高水の15Kの部の女性エントリーは、200名を超えている。

大雑把な推論であるが、ここからいえることは、つまり、平均的な女性トレイルランナーは、あんまり長い距離には出場しない傾向にあるといえるのではないか?30Kというのも、エントリー数の比較からいうと、女性にとっては「ちょっと考える距離」であるようだ。

確かに、中には、TJARやUTMBに出る男性顔負けの女性ランナーもいらっしゃいますが、そういった「超」長距離レースに出場しようという女性は、男性ランナーより遥かに遥かに出現率が低い。

こんな次第なので、もし女性にターゲットを絞ったトレイル大会を開催するならば、距離はせいぜい15キロとかに抑えておくほうが、無難だろう。(もちろん、私は大会は嫌いではあるが・・。)

と同時に、雑誌などで女性も走れるトレイルコースを紹介する場合は、せいぜい15キロ、長くて20キロで、ゆっくり休み休み走って4時間~5時間ぐらいで切り上げられるコースレイアウトを考えて紹介するのが「取り組みやすいルート」として歓迎されるのではないだろうか?

女性トレイルランナーでもしそうだとするならば、「ランドねーちゃん」にお勧めのハイキングコースも、せいぜい15キロぐらいが無難で、あとは、ルートの付加価値(つまり、食事処とか、甘味処とか、温泉とか、)がそのルートの人気を左右することになるはずだ。

ここの過去記事にも書いたが、わが国のトレイルの大会は長距離化が進み、世界レベルの100マイル(大雑把160キロ)に近づきつつある。でも、長くすれば長くするほどに一般の女性ランナーの参加は減ると考えられる。71.5キロのハセツネでも1割なのですから、それ以下となるだろう。そしてこれは、マーケット的には、失敗である。

鏑木さんがUTMBで上位になって、氏を応援する女性は世に沢山いても、あとに続こう(自分もゆくゆくは参加して160キロ走ってみよう!)という女性は少ない(ほとんどいない)はずだ。

ここら辺を、各種大会のスポンサーとなっているスポーツ関連会社に勤めている人はよくよく考えるべきである。

晴天を待つ、

2005年11月撮影 モリ尾根下部から、西に奥秩父主脈を望む

あと二週間もすると、あのトムラウシの事故から一年となる。ここの記事では、7月にはいってトムラウシ関係がアクセスの上位を占めているが、それらにアクセスしているのは、多分マスコミ関係の方々であろう。

さて、当方、最後に山らしい山に出かけたのは6月の13日の大常木である。以来、3週間、週末は野暮用で潰れている。(もちろん、日々のトレーニングは怠ってはいないが・・。)

そろそろ、大常木のクスリが切れてきたので、近々また出かけることにしよう。

天気予報欄を覗くのだが、まだしばらくは曇りと雨のマークばかりで、嫌になってしまう。

梅ノ木峠から夕景

2006年7月13日撮影

今の時期は素晴らしい夕焼けに恵まれる時期でもあるんだけれど、今年は今ひとつよい夕焼けの日がない。これは、2006年7月13日に撮影したものだが、その後4年経ったけれど、これに似た夕焼けに出会ったことはない。こういう風景との出会いは、一期一会なのかも知れない。

パスワード保護してある記事から画像をひとつ引っ張り出して、記事にしてみました。みなさま、よい週末をお過ごしください。

日曜日は、北丹沢がありますね。応援したい人も出るのですが、応援に行くには、ちょっと遠いので(片道50k)止めておきましょう。

画面右下の山は本仁田山です。本仁田山の奥の谷あいは、日原の渓谷となります。画面からは見えませんが、日原のさらに西には和名倉があって、雁坂峠があって、奥秩父主脈のかなたに陽が沈みます。

明日から7月


クドレ沢の右俣、五郎滝

さて、明日から7月に入りますが、いくつかお知らせです。

1 まず、ハセツネとトムラウシの記事はもう書きません。これからはここを純粋な山のWebSiteにしてゆきたいと思います。
ハセツネに関しては、果たして今年は上手く開催できるでしょうか?それとも開催が危ぶまれましょうか?なかなか見ものであります。
トムラウシに関しては、ここは私の個人的なWebSiteですので、あまり見ず知らずの方々に覗き見されるのはもう結構、といったところです。じきに刑事裁判が始まって、ツアー会社やガイドの方は罪を問われることになりましょうから、それを遠くから眺めることにします。

2 次に、夜間は閉鎖するかもしれません。記事をご覧になるのは、日中から、夜の11時ごろまででお願いします。夜間は皆さん睡眠をとらねばいけませんよ。

3 基本的に山に出かけられたら記事を作るペースにします。ただ、なかなか毎週毎週週末ごとに山に遊びに行ける身の上ではありませんし、いちいち週末は何処に行ったぁの、あそこに行ったぁの、と(見ず知らずの、ロムってばかりの!^^)皆様にご報告する義務はないのでして、面倒臭いからもう記事は作らないかもしれません。

いずれにしても、人気がありますハセツネとトムラウシ関連記事で、世間の皆様のお役には十分立てたと自負しておりますので、これからは自分の好きにさせていただきます。つまり、ここを開けるも、閉じるも、記事を削除してしまうのもすべて私の一存で、やらせていただきます。

4 私が削除してしまう前に、保存しておきたい記事がもしございましたら、保存されておくことをお勧めいたします。(今を思えば、exblogで掲載していた、700枚以上の写真データと、半年以上の週末を費やした現地のルート調査の成果であるあのルート紹介の記事さえも削除してしまったのですから、その気になったらトムラウシの記事だっていずれは「社会的な役割が終了した」といった理由で削除してしまうことでしょう。・・もっとも、それは刑事裁判が終わって、刑が確定してから、つまりかなり先の話です。^^;)

以上、こんなところです。


※ 7月より、過去の登山関連記事に関して、原則パスワードによる制限公開としましたが、山の記事は、あまり(にも!)人気がないので、一般公開にしてもほとんど影響がないと考え直しました。そこで、登山関連記事も公開することとし、ごく一部の記事のみ例外的に制限公開としました(7月7日 追記)。

※ 330を超える記事を33ページに掲載し、閲覧しやすいようにそれぞれのページを入念にチェックしました。これでようやく、exblog からの移行も正式に完了といったところです(7月8日 追記)。

トレイルの世界での主流と世の中の大勢と、

初めに、

ハセツネCUP関連記事を書き始めて、4年ほどになる。最初は、トップランナーの速さの解明にばかり現を抜かしていたが、最近は、このレースに関して悪いことばかり見聞きするので、今となっては、このレースを賛辞することなど出来なくなってしまった。

相撲協会の改革ではないけれど、むしろいまはこういったレースから離れて批判的に考えてみるほうが、今後のためにもなるはずだと考えている。
もちろん、トレイルランニングが好きな人にもよい人(人格的に優れた人、尊敬できる人)はいるわけであり、今ではそういった人にかすかに望みを繋いでいる、そんな状況である。

このようなことを書く私のことを「トレイルランニングの敵」であると思っていただいても一向に構わない。「仲間はずれ」にしていただいてもオッケーである。しかし、世の大勢というものは、依然、この競技に理解がなく、登山道を走るなどけしからん!と考えている岳人、一般人も多数いることをお忘れなく。

その意味で、わたしは、あなた方から仲間はずれにされても、依然として世の主流にあり、なにひとつ不自由はしないのである。

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トレイルの世界での主流と世の中の大勢と、

トレイル大会の主催者は、善意で大会を開催しているのかと思いきや、ある大会の主催者の方のお話では、一応、手間賃としてのそれなりの収入を得ているそうだ。
たしかに、家屋敷を担保にいれてまで、こういった大会を開催しようとするほどの善意のある人はまずいないだろう。

O大会での収入が、百数十万円とすると、わたしの住んでいるあきる野市で開催されているあの大会での収入は、・・大会参加費が高いこともあって、春秋の大会で数百万円になるはずだ。

よく、あの大会は赤字であると、情報を流す人がいるが、それは間違いで、O大会主催の方に言わせると赤字であるはずは絶対ないとのこと。

考えてみれば計算のやり方次第で、どんな大会も赤字にさせることが出来る。
すなわち、収益からまず自分達の手取り分を差し引いて、さらに飲食費も差し引いて、さらに大会開催のためのルート整備や、車両代金などの諸費用を差し引いてゆけばほとんどの大会を赤字にさせることが出来る。

例えば、東京に住んでいる人が、信州あたりで大会を開催する場合に、数度の下調べのための往復の交通費や、現地での飲食費なども経費として計上して、収益から差し引けば、どうだろう、大会は赤字とすることが出来るだろう・・。昨今のトレイルブームに於いては、交通費や、飲食費さえもまかなえなかったというほどの赤字というのは、なかなか起こり得ないと考える。

先日といっても、もう一月ほどになるだろうか、日の出山でK山荘のBさんにお会いしたが、そのときに、日原のあのレースが、赤字になってしまい、主催者にちかい方は、経済的にも苦しんでいるようなことをお話になっていた。

この話は、一見、もっともなようだけれど、今から考えるとちょっとおかしい。

主催者は、払い込まれたエントリー料の払い戻しは行わなかったのであるから、追加募集に応募した選手のエントリー料も含めて、500名のエントリー料は丸々手元に残った筈である。レースがスタートされなかったとしても、大会自体は開催されていると考えるべきだろう。レースに参加する選手が、大会当日に払うお金が主催者をそれほど潤すことになるとは考えられない。おまけに、協賛するスポンサーからのいくばくかの収入もあるはずである。

選手のバス利用が減ってバス会社が儲からなかったとか、宿泊がキャンセルされた宿の経営者には、影響が出ただろうが、大会自体には赤字は出なかったと考えるのが筋である。

さらには、事前に行ったルート整備代金、人件費や、ロープ、落下防止のためのネットなどの物資のお金も、当然、費用として計上するのならば、やはり、計算次第で、赤字にさせることが出来る。

エントリー料-(大会主催者の収入、上層スタッフの手当て+ルート整備代金+交通費、飲食費)=この大会も含めて、ほとんどの大会は赤字にさせることが出来る。

そういうことを考えると、Bさんの言っていることはいささか眉唾であるなと考える。

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最近は、こういった大会関係者の言葉を初めから信じないようにしている。

彼らは、その場しのぎの嘘を平気でつくからである。

山登りなどという、遁世的な趣味に現を抜かしていると、人様の言葉を容易に信じてしまいやすくなるが、私はその点、山をやって、かえって人の心の美醜やその口から出る虚実に敏感になって来たと思っている。

例えば、秋川の山々には分岐分岐に、赤+黄色+黒のプラスチック製の標識が打ち込まれているが、これは、ハセツネCUPの関係者が毎年毎年継続的に打ち込んでいるものである。去年の9月に大会事務局に電話を入れて問いただすと、「大会が終わったら引き抜きます」という・・実際は、ルートに行って見れば分かるが、一本も引き抜かれてはいない。(この標識のことをここで記事にしたら、敵もさるもの、最近は、頭まで地中に打ち込んで、赤い頭しか見えないようにしている。いずれにしても、御岳のビジターセンターの職員は、把握していなかった事態である。)

またさらには、例の4月4日の同日開催の件でもそうである、電話をしたら、地元自治会の自治会長が連名で4日にしてほしいと申し込んできたので4日となりましたという、早速、地元の自治会をあたってみるとそういった連名で申し込んだ事実などはないとのこと。これも、そう答えておけば、その場をやり過ごせるといった姿勢のなせる業である。

五日市会館のブース貸しの問題また然り、あきる野市の教育課の担当職員は、法外な対価を持って転貸しているという事実さえも把握してはいなかった、これは、大会主催者の「黙っていればわかりっこないさ」といったアイデアのなせる業である。

こういった大会を主催すると、いろいろな方面から槍玉に挙げられて攻められるので、その場しのぎの防戦をしなければならないのであろうけれど、そうしたその場しのぎを繰り返さざるを得ない、このような大会というのは、やはり根本的に問題なのではないだろうか。

また、若い人が、スタッフとして大会運営に参加して、上のスタッフから、こういったその場しのぎの嘘を平然とつくのを指導されるのかなとも考えると、このような大会主催者というのは、いわば嘘つき養成機関のようなもので、社会的には百害あって一利なしといったところであろう。

まぁ、多少のはったりとか、いつも繰り返される商売上の駆け引き程度の言葉なら受け流せるが、その場しのぎの嘘を繰り返しつくようになってしまっては、こうした人間の、品格自体に問題があるように感じる。

まぁ、だから、こうした大会主催者とそれにまつわる連中というのは、ちょっと「胡散臭い」連中だと考えて、付き合うべきだろう。そのほうが、騙されずに済むはずだ。

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・・とこう書くと、「われわれも霞をたべて生きてゆくわけにも行かないので・・」と開き直った弁解をする向きもいるが、それこそ、正体を明かしたというものだ。まさしく、山稼ぎ人の言辞であろう。

東京都や市町村、はては神社の氏子さんたちが管理している登山道、市道、町道、参道、さらには私道などを使って、大会を開催し、最低限の収益は確保しておいて、あとはせいぜいごみを拾って社会貢献をしたつもりになったり、トレイルランニングの普及を通じて我々は若者の健全な育成を図って社会に貢献しているなどといった大義名分を打ち立てるのは、まさしく自画自賛、傍から見て滑稽の極みである。

こう書いたからといって、自腹で、赤字で、大会を開催すればよいということではない。4人とか、5人とかのグループで山を走るというのならば、植生に与える影響はまだ深刻ではないかもしれない。しかし、これが、10人、15人となると、ちょっと看過出来ない。原生林の中に作られた踏み跡が登山道として利用されている多摩川水源において、先にレースが開催されたが、人数的にあれは問題である。

トレイルランニングが登山道の自然に与える強いインパクトについて、一番よく分かっているのは、ほかならぬトレイルランナーであるはずである。どこかよいフィールドを見つけても、そこでレースをやってみんなで楽しもうというのは、数名ならともかく、10人以上では、問題である。まして、国立公園の中のルートではなおさらである。

にも係わらず、開催してしまうというのは、そういうのを(開催を)思いとどまらせる「何か(いわば一種のブレーキ、抑止させる何か)」を心の中に持たないのであろうか・・。それとも、数年後には、気がついて自ら反省するに至るのであろうか?


※形式的に「国立公園の中だから」問題なのではなく、正確に表現するならば、国立公園として国が指定して保護を図っているほど自然が豊かな場所において、開催することが問題なのである。例えば、かっての多摩ニュータウンのような造成工事が進む工事現場のようなところでレースをやってもこれは一向に構わないだろう。

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いうまでもなく、武道というものには、教育的な側面もあり、それは人間を磨き、人格的な成長も期待しているものである。
剣道も、居合道も、弓道も、柔道も、空手道もどれもこれもそうである。

また、小西さんの所属していた山学同志会は、その名の通り、山を真剣に学ぶ岳人の集まりという意味である。

トレイルランニングの大会で上位に入って名が知れると、いろんなところから声がかかり、小規模ながらも大会が開催できるようになるそうである。今度の日原の大会がそのよい例であろう。

でも、その業界で学ぶのが、「うち等も霞を食べて生きてゆくわけには行かないんでねぇ・・」といった夜店の二の腕に刺青を入れたチンピラ兄ちゃんがモットーとするような台詞だったり、詐欺師のような、その場しのぎの嘘を平然とつきまくることだというのでは、まぁ、こういった連中のやっていることは、武道とか、礼節とか、自分を高めるとか、そういった意識からあまりにかけ離れた恐ろしく低次元にあるといえるだろう。

にもかかわらず、彼らは、ただ足が速いということだけで、自らのその所業を権威付けて、正当化させるつもりなのである。

足を速めることよりも、足元の自然を大切にすること、そして、登山道をいたわること、これらを学ぶべきである。

彼らのなかには、歩行者などは、鈍足で、何人抜いたかの餌ぐらいにしか考えていない向きもあるようだが、心根においてそんな態度をとっているのでは、鎌倉とか、高尾、陣馬とか有名なところからトレイルランナーは締め出されることになろう。

山にいざなうもの、

秋の牛王院平にて、

ここで人気があるのは、例のハセツネCUPの分析記事と、トムラウシ山岳遭難関連記事であるようだ。しかし、それらの記事は、私にとってすでに過去の記事であり、また「本質的な」記事ではない。

exblog上には、あのレースのルートを紹介した膨大な写真データと地理情報データをあわせたルート分析記事を掲載していた。けれども、exblogからの移行の際に、それらはすべて削除してしまった。・・私にとってはもはや何の価値もない記事だったからである。(それにいつまでも残しておくのは未練がましい・・。)

社会的な貢献、という意味では、ハセツネCUPの分析記事は、世のトレイルランニング愛好家の諸君に多少なりとも役に立ったものと自負している。もちろん、よい意味でも、悪い意味でもである。

カテゴリーをご覧いただけると一目瞭然であるが、このレースの分析記事、すなわち、如何にすれば、速く走り抜けられるのか、その方法論を説明するとともに、このレースが抱えているさまざまな問題点も見聞したものを洗いざらい書き上げている。・・あのレースに参加して、良いタイムを狙いたい方にも、トレイルランナーが大嫌いで、あのレースを叩き潰したい方、いずれの方にもお役に立てる情報である。

また、トムラウシ山岳遭難関連記事でもまた然り、・・この記事についても、実に膨大な時間を掛けて記事を作成したが、蓋を開けてみてガッカリしたところが多々あり、もう書くつもりはないし、刑事裁判の開始と動向を見守ってゆこう、といったところである。

ここのところいろいろと過去の記事を読み直してきたのだが、今までの記事にはあまりにも人と争い、自己主張し、また批判する記事、すなわち「抗争性の強い記事」が多いのを、少々反省している。(もっとも、生臭さ漂う「政治的なこと」、「宗教的なこと」は一切書いていないので、その点はすこしはマシかなとも思っている。)

今後は、これらハセツネとも、トムラウシともおさらばして、コースアウトしていた軌道を修正してゆこうと思っている。

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山にいざなうもの、

僕が山登りを始めたのは、高校生のときに、F.W.Nietzscheの思想に出会って、その影響を深く受けたからである。
風や、気温や、陽光、湿度の加減、森や湖、それらの展望、など等、これらはどれも人の物の見方、考え方の形成に深く係わっている。
さらに、高い山でのそれらは何よりもまして五感を刺激する。
ニーチェ自身、海抜高度6000フィートに位置する風光明媚なシルス・マリーアをこよなく愛し、そこであの永劫回帰の思想を得ているのである。
彼も自から語っているように、1881年の8月上旬、シルヴァプラーナの湖畔を散策する彼に、かの永劫回帰の思想が訪れたのである。

また著書 Also Sprach Zarathustra では、主人公は、30歳で、故郷を離れ、山奥に入るというくだりから始まる。

Als Zarathustra dreißig Jahre alt war , verließ er seine Heimat und den See seiner Heimat und ging in das Gebirge . Hier genoß er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahre nicht müde .

こんな風に、ニーチェの思想に惹かれ、しかも、ニーチェの書いたものを単に字面で考えて研究するのではなく、自分が直接「体感して」理解し、自分なりに解釈する。そして、ひいては、彼の独特な発想方法さえも自分のものにしてしまおうという強い願望が、私を自然の中へ、森に、そして山岳に導いたのである。

そして、森や山の中で、彼の着想方法を私なりに「体現」してみようといろいろ試みてきた。

さらに、高い山に行けば、そこでの風景や、冷たい気温、吹き付ける風や、なによりも高山の自然の雰囲気が、更なる思索のヒントを私に与えてくれて、私をさらに高めてくれるはずだと、期待してきたのであった。そしてこの期待は今でも変らず、現在でも強くそのように期待しているのである。

もしこれが、デカルトや、パスカル、あるいは、カントや、ヘーゲルあたりに耽溺していたのだったら、私は多分、現在、登山はしていなかっただろうと考えている。そういった哲学者に傾倒していた場合には、体を動かすにしても、テニスとか、ゴルフとか、きっとなにか他のスポーツをしていただろう。

ニーチェに出会ったばかりの高校生の頃などは、山岳部の友人が夏山合宿に行くといって、でっかいキスリングを教室に背負ってきて、駅のホームで、合宿に向かう連中が夏の暑いさなか大きなキスリングをめいめい背負って電車を待っている風景をちょっと異様な光景と見ていたものだ。

あの頃は、加藤保男が冬のエベレストで消息を絶ってもなんとも思わなかったし(1982年12月27日)、まさか、10年後に自分が同じキスリングを背負って歩荷トレーニングを始めるなどとは夢にも考えなかった。

こんな風に、私を山に導いたのは、F.W.ニーチェの思想である。

初めに、ニーチェの永劫回帰の思想あり、で私の山は始まり、奥秩父の先蹤者達も、小西政継さんのアルピニズムも、すべては山を始めたあとに出会った人や思想である。

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海抜6000フィート、またさらに高く一切の人間的事物を超えて!———

次に、ニーチェの草稿メモを引用しよう、訳は岩波文庫の「ツァラトゥストラはこう言った。」を訳した氷上英廣氏である。その前に、ニーチェ自身がその著書「この人を見よ」にて、このインスピレーションについて語っている部分についても引用する。

「この人を見よ」 より 引用

さて、いよいよ「ツァラトゥストラ」の歴史を物語ることになる。この作品の根本着想、すなわち永遠回帰の思想、このおよそ到達しうるかぎりの最高の方程式は、__1881年8月のものである。
この思想は一枚の紙片に走り書きされ、「人間と時間を超えること6000フィート」と付記されている。
その日、私はシルヴァプラーナの湖畔の森の中を歩いていった。 ズルライから程遠からぬところにあるピラミッド型にそそり立った巨岩のそばで、私は歩みをとめた。 そのときである。 この思想が私を訪れたのは。

等しきものの永遠回帰

草案(Entwurt)

1、 もろもろの根本的迷妄の体現(Einverleibung)

2、 もろもろの情熱の体現

3、 知識と断念的知識の体現(認識の情熱)

4、 無垢の者(Der Unschuldige 負い目なき者)。 実験者としての個体。 生の安易化、低化、弱化、—– 移りゆき。
5、 新しい重し—–等しきものの永遠回帰。 われわれの知識、迷妄、もろもろの習慣、生活の仕方が来るべきすべてのものたちにとって無限に重要であること。 われわれはこの人生の残りをもって何をするのか、—–人生の大部分を本質的な無知のなかで過ごしてきたわれわれは? われわれはこの教説を説く、—–それは、この教説をわれわれ自身に体現させるもっとも強力な手段である。最も偉大な教説の師となることでのわれわれの流儀の至福。

1881年8月初旬、シルス・マリーアにて、
海抜6000フィート、またさらに高く一切の人間的事物を超えて!———

参考

シルス・マリーア
スイス政府観光局のホームページより、Sils-maria
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あぶない山屋、古田学さんのこと。

今回、exblog から一番最後に移行させた記事はこの記事です。

もうかれこれ9年ほど昔のことになるが、大晦日の晩に、御座石鉱泉からアカヌケ沢の頭を目指して登っていったことがあった。西平という地名だったと思うが、あのあたりに遭難碑があった。

真夜中にこういうものの前を通過するときには、見て見ぬ振りをするときもあるし、あるときは遭難碑に(心の中で)話し掛けたりもする。 そのときも、そうだった・・。
「これからアカヌケに登って、朝日に染まるバットレスの写真を撮りにいって来るんだけれど、一緒に登るかい?」 そう心の中で思って、右手で辺りの空気をぐっと握り締めた。

数ヶ月前、単独登攀の記事を検索していると、「新☆あぶねえ山屋のページ」を見つけた、いわゆるZ式の単独登攀の方法などなかなか教科書的な本には書かれていない技術が書いてあり、私もワルテル・ボナッティの本を読んで以来同じようなことを考えていたので世の中には、似たようなことを考える人がいるものだなと感じた。

何度か記事に目を通すうちに、2003年11月8日で記事更新が終わっているのが気になった。

もうネット上に記事を公開することを止めてしまったのかな?とも思ったが、ほかの方の記事から、管理人の古田学さんは、妙義山の星穴岳というところで帰らぬ人となったとのこと・・。

僕は、そうか・・と思い、こうした先鋭的な登山を繰り返すクライマーのありうべき結末のひとつとして冷静に受け止めていた。

ホームページを見ると一目瞭然であるが、古田さんは凄い実践力をお持ちの方でその登山歴には、目を見張ってしまう。
僕と同世代で、同じ頃に登山をはじめたようだが、私がいまでも奥秩父のしょぼい、ちんけな山々を相手にふーふー言っているのに比べ、この方は80年代後半から、90年代にわが国の名だたるルートをほとんど単独で登ってしまったのであるから、たいしたものである。

お亡くなりになった2003年の11月16日に僕は何をしていたかな・・?なんて思うとともに、星穴岳に一度行ってみたいと思うようにもなった。

古田さん(面識はないが、国立あたりにお住まいだったようで、どことなく親しみを感じるのでこう呼ばせていただく)は、たぶん、さほど知られていない星穴岳でご自身が命を落とすことになるとは、予想だにしていなかった筈である。その11月の上旬に登られた前穂の北尾根のほうが遥かに知名度がある有名なルートであったし・・。

ありうべき結末であるのかもしれないが、彼のホームページを見て、お亡くなりになるわずか数ヶ月前に書かれた熱っぽい記事を読むとき、山での不慮の死というものの残酷さがひしひしと感じとれて、とても沈痛な心持になってしまう。

彼の自伝的なホームページがどこかに行ってしまわぬように、私のところにリンクをつけた、そして遭難碑に語りかけるように、僕は彼のホームページをときどき開き、彼の熱っぽい文章を胸に刻むのである。・・このリンクは私が一番大切にしているものだ。

僕も、体が動くうちに、彼のような登山がしたいものだと思う。

追記

このホームページの名前「甲武相山の旅」は昭和15年刊行の今井重雄さんの名著からいただいたものであり、右上の狼の図案は、あの宮内敏雄さんの名著「奥多摩」見開きのページからいただいたものである。
そして、私が一番大切にしていることは、昭和初期の原全教氏や、田島勝太郎氏がかって辿った奥秩父の険しい谷を遡行し、いまは崩れて道跡も不明瞭なかっての山道、猟師道を、足跡を求めてさまよい歩くことである。

いろんな先人の残された名著を読み、往時を偲び、それを今に蘇らせる。
私にとって奥秩父は、故郷の山々だから・・そんな営みは自分自身を知ることにつながってくるのだと思う。

その一方で、挑戦なき者は去れ、というのは、かの山学同志会の小西政継さんの気風から受け継いでいる。

これからは、あぶねぇ山屋さんもそんなように自分を引っ張っていってくれる先人の一人に加えることにしよう。

ところで、そんな山の先人たちの存在を私に教えてくれたのは、奥多摩山岳会の天野一郎さんである。天野さんの執筆された奥秩父1の地図(当時)のガイドブックには、この地の先人たちが残した山岳書籍の数々が掲載されており、お蔭で素晴らしい書物に出会うことが出来た。

自分ひとりで何もかも出来るなどと思い上がってはいけない、
偉大な先人の肩の上に立ってこそ、先人よりもすこしだけ彼方が見えるというものである。

古田さん追悼山行

さよならの旅路(表妙義) ぐりーんさんのホームページ

牛王院平にて、

牛王院平にて 2007年10月24日 撮影

七つ石尾根の紅葉 2005年10月14日 撮影

例年10月15日には牛王院平の紅葉は終わりになり、わたしの紅葉見物も終わって、冬山支度にはいる。今年も例外ではない。
牛王院平まで大型カメラを持ち上げて、紅葉を撮影するのが私の、この時期の約束になっているが、今年の紅葉は今ひとつよくない。3年前、4年前ぐらいの紅葉が一番素晴らしかったように記憶している。


七つ石尾根 中段にあった鈴なりになった赤い実、鳥に食べられてしまうのは時間の問題であろうか。


七ツ石尾根 上段 例年手前に山漆が赤く紅葉するのであるが今年は見えない。

このカットで、その年の紅葉が占えるように感じている。ここが美しいときは上に登っても期待できるが、ここが今ひとつの時は上に登っても今ひとつとなろう。


牛王院平ピークより竜喰山方面

七つ石尾根を登ってきたときは晴天のもと太陽も射してくれたが、さすがに午後4時をまわると霧がかかって肌寒くなってしまった。

例年のことながら、雨が降っても紅葉はすすみ、10月15日を過ぎると、ここの紅葉はピークを超えてしまう。・・さて、今年も見るべきものを見たので、冬支度に入ろう。

黄金

黄金は人に計り知れない力を与えてくれる。

ドイツの国旗には金色が使われている、オペラには有名な「ラインの黄金」というのもある。この国の人々は、黄金の色に、それだけの価値を認めてきた。

人里離れた寂しい山の中で、人が自然に何らかのエネルギーを受けるとしたら、それはこの色であろう。ちなみに銀色は、都会に似合って、自然のなかには似合わない。だから山に行くときになにか装身具を身につけるとしたら、金色のものがよいだろう。

武田信玄の軍資金を採掘した一之瀬には、放光寺と言う寺がある、金色の光を放っている物質であるがゆえに金というのは、尊重されたのではないだろうか、要するに金色の光を発する物質を、その光を発するがゆえに価値を認め、人は格別に貴重に扱ったのであろう。

いわば、金色に光り輝くが故に、金なのである。

(ただ、街で時々見かける車のエンブレムを金色のものと交換しているのは単なる下品であり、成金趣味である・・苦笑)

さて、今日は、星竹林道のランニング。高低差はないが、片道5キロ程度。適度な新陳代謝と、気分転換になる。自宅からでも往復できるが、それだけの時間がないため、車でのアプローチ。
傾斜が急な尾根は、大腿四頭筋の刺激になるが、ここのように緩やかな傾斜の所は、素早い動きをする運動となる。今日は早めに出かけて、いつものポイントで夕焼けを待った。

2005年10月1日 掲載記事 金毘羅尾根より、高明山、浅間嶺方面の夕景

盆堀川支流 千ヶ沢石津窪 遡行記録


F5 石津の大棚 25m

掲載内容

1 「フェイス・クライミング」 2008年4月5日 遡行
2 「スポーツと冒険の違いとは・・。」  2008年4月29日 遡行

3 「石津窪再遡行」 2009年2月21日 遡行
4 「沢の風景」 2009年2月28日 遡行 3月1日 掲載
5 「四度目の石津窪遡行」 2009年3月18日 遡行

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