☆企業モデルとしてのトレイル大会

最近のハセツネCUPは商業的色彩が極めて強い、わたしはそれを登山道の商業的利用を禁止するべきと言う観点から批判しているのであるが、冷静に考えて、それならば、営利企業の経営者の頭でトレイル大会主催者の発想を読み解けないか、と考えた。

例えば、①市場で対立する企業に対しては潰しにかかって市場の単独占有(モノポリー)を目指す。また、②子会社を使って他地域での市場の拡大を目指す。さらに、③自らの価値基準を市場のスタンダードたらしめる。・・こういった行動は普段よく目にし、また耳にする営利企業の経営戦略である。

トレイルランニングの世界におけるハセツネのネームバリューを考えると、③はすでに成功している。ハセツネで上位の結果を出さねば、その選手は、一流トレイルランナーと認められないといった(暗黙の)価値基準が出来上がってしまっている。

さらに、今回の、青梅高水との同日開催は、①に該当するだろう。

では、②はどうか??
東京都には、秋川水系の山々と多摩川水系の青梅市、奥多摩町の山々があり、秋川水系の山はハセツネが使っている。多摩川水系のうち青梅市の山は、KFCが使用し、現在、奥多摩町の山はトレイルレースには手付かずである。 
残されたこの山域は、誰が使うのか?
18日に行われる日原のレースが、②とならないかが懸念される。

いずれにしても、奥多摩の山を舞台に営利企業顔負けの経営戦略活動をやってもらうのは困るのである。

付言

③について、さらに論ずると、業界スタンダードを維持せんが為に、具体的には、ハセツネがわが国のトレイルレースの最高峰であるというテーゼを共有し、維持できるように、各種メディアによる宣伝広告を意図的に行うとともに、有名選手のハセツネへの招聘、さらには大会スタッフの繋ぎ止め(大会離れを防ぐ)などなどに、レース運営により得た収益をあてがっていることが考えられ、また推測される。

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memo 1

※ 国立公園の商業利用は原則禁止されるべきだ。
※ 国立公園の中の登山道の商業利用は原則禁止されるべきだ。

memo 2

なにしろむこうは稼いだ金を、雑誌やWebといった 「仕事」の形で関係者に再配分して、「体制」の維持強化を狙っている。
「金」がないこちらは、言論でしか抗せないので不利だ。

「仕事」を分け与えられている「有名トレイルランナー」は、金を与える人に頭が上がらず、口を塞ぐ。
「商業化の進展」により、言論の自由が奪われている。
スポーツの商業化、登山の商業化の縮図がここにある。

正論を説くものは、すべてを敵に回す覚悟で、行わなければならない。
わたしは、記事よっては言い過ぎの記事もあるけれど、すくなくともトレイルランニングを愛する者を食い物にしようという魂胆はなく仕事や名誉心のために、語るべきことを語らず、口をつむぐことを恥とする者である。

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2 Responses to ☆企業モデルとしてのトレイル大会

  1. last_marathon says:

    こんばんは!9月からアドレスが変わりますので
    早めに新しいアドレスを入れておきます。

    登山道は行政が管理しているので、行政に働きかけるしかないですね。
    ハセツネでトップ・レベルの人達は公務員以外は、いわゆる
    「まっとうな仕事」なんて就けませんから(笑)これで食べていく方が楽な訳ですから、この先、登山道が荒れようが環境が破壊されようが知った事ではありません。なんだか情けないですね。

    底辺で走る人達は、単に食い物にされているだけ…っていう事が
    分からないようでは、ダメです。

  2. silvaplauna says:

    たしかに、今の厳しい雇用情勢の中、毎週毎週トレイルレースに出たり、週末の大半を山に走りに出かけたりすることが出来るのは、公務員とか身分保障のある職場に勤めているケースが多いですね。

    また、景気のよいIT系の技術者も結構懐具合に余裕があるようです。

    山を走るトレイルランが好きだというのはわかりますが、たとえば、どこかの山で心地よい登山道に出会ったりしたときに、「ここでレースをしたら面白いだろうな・・。」と発想する思考回路が理解できません。(最近そういう思考回路を持つ人が増えた。)

    キャンプやBBQのノリで山でレースを開催し、仲間と一緒にわいわい騒いで楽しもうというのは、何かおかしいと感じています。(数人の仲間と一緒に騒ぐというのはわかりますが、トレイルレースは、数百人単位ですからね・・。)

    山や自然を静かに楽しみたいという人が、これまでの主流であったし、今後、トレイルランナーの中から、大会は避けて静かな山を走りたいという人がこれからもっと増えて行けばよいと考えています。

    今のトレイル業界は、底辺で走る人たちを食い物にして成り立っているというのは同感です。

    彼らこそ、大会中心の考えを捨てて、関門の制限のない自由なトレイルランを楽しめばよいと考えます。そうすれば、大会という色眼鏡を通してではなく、素の自然と向きあえて、いろんなことに気づいてゆくはずと考えます。

    大会で、そこそこよい成績をとっている人は、自分のレーゾン・デタが大会にあるわけですから、大会中心思考を捨てがたいのだと考えます。

    大会で、関門制限にひっかかって失格となるような人のほうが、自然と向き合って、その大切さに気づくチャンスがあるのかもしれません。

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