日常性への回帰~青い鳥はどこにいるか?

ありふれた日常性の中に、倦怠感を感じて、僕は、高い山や、危険なルートに向かおうとする。自分自身の生命や身体を危険に晒すことを通じて、生きていること、を実感し、そして、何気ない日常性に千金の価値があることを再認識したいのである。日常性から脱却しようとする、僕の試みは、おかしなことに、巡り巡ってやがては日常性へ回帰するべく、あらかじめ仕組まれているようだ。

F・W・ニーチェの思想に「永劫回帰」というものがある。その思想は、ニーチェいわく、およそ考えられうる人生最高の肯定の方程式であるそうだ。著書『ツアラトゥストラはこう言った。』では、永劫回帰の思想のさきがけとして、超人の思想が高らかに語られる。この本に出会ったのは私が高校2年生の頃、駿台か何かの模擬試験の帰りに神田の本屋で出会った。

超人の思想というものは理解しやすい、「日常性」からこの思想へと跳ぶのは、容易い。されど、超人の思想から、永劫回帰の思想へ至るのは、容易なことではない。字面で理解できたとしても、それは、ニーチェの思想を理解したことにはならない。

彼の思想は、理屈と、感性が車輪の両輪のように、相互補完して思想を深めている特性がある。よって、理屈だけで理解することは表面的な理解にとどまるのである。またそもそもニーチェの思想というものは、「理解」するものではなく、「体現」するものだと考える。体現とはドイツ語の Einverleibung の邦語訳である。

危険な山登りという営みを通じて、私は私なりに、ニーチェの思想を幾分なりとも体現し、永劫回帰の思想をほんの少し理解することが出来た(その本質を垣間見ることが出来た)のかもしれないと考えている。

青い鳥は、日常性の中、われわれの身近に存在する。それに気がつくに私の場合、自分の生命を危険に晒すという荒っぽい方法をとるより他によいやり方を思いつかなかった・・。生命の危険を伴う登山をするしか他になかった。

自分の身体と生命を危険に晒すという営為をいわば回帰点として、私は日常性に、青い鳥を感じられるようになりつつある。

2008年8月28日 掲載記事

登山の自由、自由な登山について、

登山の自由について、

僕は日常の束縛から解放される空間として山岳を捉えているので、そこで行う登山の本質について自由を求める。
登山の本質は自由にある。

僕にとって、山を走ることは、自由な山登りを実践するためのトレーニングの一環に過ぎない、
自由な山登りをしたいから、重荷を担いでトレーニングし、フリーウェイトを使って筋力トレーニングを行い、何も持たないで山を走っている。

登山の本質に自由を求めるから、僕は、その自由さを束縛するあらゆる発想、制約的意見を拒絶する。

私にとって、山岳、特に故郷の奥多摩、奥秩父の山や渓谷は、大航海時代の新大陸のようなもの、未開拓の西部地域のようなものである。

そして、その先に、南アルプスがあり、北アルプスがあり、さらには、アジアの山々であるヒマラヤや、ヨーロッパアルプスがある。

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軽装・速攻登山

山に人一倍自由を求める私であるが、普段のトレーニングは、記事にも書いているように、重荷で鍛えている。

重荷の苦しさを知っていると、軽装でのトレイルランというのは、それ自体が自由であることに気がつく。

もっとも、今流行っているトレイルランニングに嵌っている人のほとんどは、重荷で鍛えていないし、

大会志向、大会依存型なので、・・軽装の機動力を生かして、速攻登山を自分の行きたい山、

登ってみたい山で展開してみよう!なんて思っている人は少ない(残念なことだ)。

でも、いずれそういう若者が現われるはずだ。

アカヌケ沢の頭より「白峰三山」 1999年1月1日

私が尊敬する山岳写真家は、白旗史朗さんであり、白旗さんは、岡田紅葉という有名な方の内弟子の頃、ここアカヌケ沢の頭から野呂川越しに北岳をみて、北岳との運命的な出会いをなさり、日本の山岳、特に南アルプスに魅了されたと、お書きになっておられます。

この写真は、mamiya RZ で撮影したものですが、このときの写真はどれもなぜかピンボケで一枚もまともな写真がありませんでした。

撮影年月は、1999年の1月1日。

当時は、Diesel のパジェロに乗っており、雪の林道も軽々と走破できたので、大晦日の夜、20時頃に自宅を出て、青梅街道を西に柳沢峠を越え、塩山、甲府へ降り、20号を西へ・・穴山駅あたりからダンボール工場(たしか、内野とかいう工場だったかな?)の間を通過して林道へ、長い長い林道を1時間近く走ってようやく御座石鉱泉に到着。

鉱泉脇の駐車場に車を停めて、夜の11時過ぎ紅白歌合戦も終わりに近い頃に身支度を整えて出発、ヘッドライトの明かりを頼りにピッケルを手に鳳凰小屋に午前4時30分頃に到着。

大晦日だから誰か泊まっていて小屋には誰かいるのだろうと考えていたけれど、宿泊客は居らず、管理人もいない無人の鳳凰小屋の前で、簡単に補給し標高2750mの吹きさらしの稜線へ出る身支度を整え、5時頃に出発。

日の出の時刻は確か、6時40分ぐらいだったように記憶している。小屋からの道には結構時間が掛かり、ぎりぎり間に合った状況だった。
それでも、三脚を立ててカメラをセットし、日の出を待つあいだは賽の河原やアカヌケ沢の頭辺りをうろうろきょきょろするのですが、何しろ吹きさらしの稜線の風が冷たく、カメラ操作のためにダブルの手袋を脱ぐと、しばらくして猛烈な痛みがやってきた(氷点下の寒さのため)。

日の出の光が北岳の山腹の雪を紅に染める瞬間を撮る、シャッターチャンスは一日のうちでわずか1~2分のみ、その瞬間の情景をこの眼で見てみたい!というそれだけのためにはるばる五日市から片道10時間かけて(車の時間を含む)ここに登ったのでした。

ところが現像であがってきたネガを見るとピントが合っていない。フィルムの装填が悪かったのか?ネガかどこかに不具合があったようだ・・。
結局、この写真はボツになってしまった。

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2000年1月1日

満足の行く写真が取れなかったので、翌年の大晦日にも再度同じルートを登ったけれど、翌年はもっと酷くカメラのシャッターが切れなかった。
翌年は、かなりスピードアップして登ったのだが、そのため稜線で一時間ほどビバーグして日の出を待つことになってしまった。
その間、mamiya RZ は電子制御であるので、稜線の吹きさらしに一時間近くもザックからカメラバックごと出して、カメラを組み立てて待機していたのが裏目に出て、機材が冷え切り電池の電圧が下がってシャッターが降りなくなってしまったのでした。

朱に染まるバットレスを目前に見ながら、それを写真に収められなかったのはたいそう残念だった。このときは予備のカメラも持参しなかったのが悔やまれた。

今思えば、馬鹿みたいな失敗だったけれど、登山に完璧なんていうのはないのであり、どの山行でも何がしかの「手落ち」はあるものだと考える。

その後、それに懲りて、わざわざ時間をかけてここには登っていない。Diesel の規制によって、パジェロには乗れなくなり、現在乗っている車は四駆ではないし、車高が低く荒れた林道を走れなくなったのも原因している。いずれ、また四駆に乗りはじめたら此処に行くことにしようか・・。

でも、薄々気づいていたことであるが、この構図は白旗史朗さんの構図であり、私の写真はあくまでも「習作」に過ぎない。

自分だけの構図は、今、奥秩父の山と谷でいくらでも創り出すことが出来る。
・・そう思うと、いまさら此処に行く必要もないか、とも思えるのである。

( 「甲武相山の旅」 2008年5月23日に掲載した記事を元に、記憶を頼りに幾つか書き足しました。  )

影響を受けず、与えず・・。

回帰

私の登山の原点は三つある、ひとつは、F.W.Nietzsche の思想。 もうひとつは、故郷、奥多摩、奥秩父の偉大なる先蹤者達すなわち、原全教、田島勝太郎、そして、宮内敏男、彼らの残したこの壮大な山岳にまつわる幾つかの書籍。 そして、三つ目は、現代アルピニズムであり、山学同志会の小西政継さんの著書である。この三つのうちの何れが欠けても、私の登山は成立しないのである。

「また岩登りを真剣に覚え、将来アルプスや、ヒマラヤの岩壁を目標にするなら、山以外の趣味や、山以外の友人とのつきあいはすっぱりやめちゃおう。このくらいの意気込みがないと、技術と直結している精神的な上達が望めないからだ。」

小西政継 「ロッククライミングの本」より抜粋 (「甲武相山の旅」 2009年6月13日 掲載記事)

影響を受けず、与えず・・。

いまは自己主張の時代であるようで、有名選手や、有名ではなくっても長く登山や競技をやっている人のWebSiteには、自己紹介欄に過去の栄光の記録があがっている。そういう記録を挙げると「信用」されるのかもしれないし、一目置かれるのかもしれない。

自分はというと、僕は自分の登山記録をつらつらと書き上げるようなことはしない。それほど大した登山をしてはいないし、そういうのが「肩書き」になるとも思わないからである。(だから、自分はよく単なる一般ハイカーに誤解されるんだけれどね・・まぁ、人が自分のことをどう受け取ろうが構いませんがね。・・苦笑)

私は、「能ある鷹は爪を隠す」という美徳を重んじたい。

山の世界で、有名になろうとして、生命の危険がある登山を行おうとすることは愚かしいことである。また、だれかに焚き付けられてそのような登山をして見返してやろうという心情も、愚かしいものと考える。(特に、こういったWebSiteの上で、どこそこの理解なきブロガーか誰かにせせら笑われて、見返すために、危険な登山をしようというのは、心情は分かるが、もう少し落ち着けといいたくなる。)

生命の危険があるような登山は、自分の心に従ってのみ行うべきである。自分の心がそれを求めるときにのみ行うべきで、功名心とか、名誉欲とかで動いてはいけないと考える。

もっとも、焚き付ける方も焚き付ける方である。・・ハイカーに毛がはえたくらいの登山を長くやっている臆病なものが、一端の登山家気取りであれこれと意見を言っているのは、気に留めずに放っておけばよい。そのような者に焚き付けられて、命を落とすようなことはあってはならないと考える。人の口に戸板は立てられないものだ。

「人の冒険的行為を批判することは容易いが、冒険行為を行うことは、批判することより遥かに困難である。」

ちなみに、私は自分のことを登山愛好家だとは思っていない。奥秩父や奥多摩は私の裏山の尾根続きの山であり、そこで行っている私の活動(生命に危険があるものも含めて)は、「登山」ではなく心身を鍛える訓練である。登山は武道とは違うものであると考えるが、登山に求道的精神を持って取り組む立場というものはありうる立場であろう。

最高の登山を成し遂げたものは、武道的価値観からすると、一種の奥伝の域に達したものとして、その精神性が尊敬される筈であるが、実際どうであろう・・。
現代において、最高に困難な登山を成し遂げたものは、あのダライ・ラマのような高貴な精神性を備えているだろうか?
安物の、ペーパーバックの精神性しか備えないのならば、彼のその登山も、単なる自己満足に過ぎないと言えるだろう。

僕が山に求めるものは、精神性を高めてくれるひとつの契機である。(「甲武相山の旅」 掲載記事)

冒険の飽和点


唐松尾山北側山頂から瀧川谷を俯瞰する。太陽の真下にあるのが、水晶山で、その右が、雁坂峠付近。

人が山に向かうには、人それぞれの理由があるわけであり、(もっとも、これといった理由もなく山に入る人もいるけれど・・。)

・・私の場合、なぜ一人で山に登るのか、先日のような登山をするのか?といえば・・。

生命を危険に晒す見返りに得られる経験が、私らしく生きてゆくために必要不可欠だからであり、それは、日々のストレスを昇華して、正気に回帰する必要欠くべからざる自己回帰の過程だからである。

この様な、(求道的な)精神に裏付けられた自我インフレーションは、とどまるところを知らないのか?

命尽き果てるまで、危険な登高を繰り返すのか?

それとも・・平穏な「知足安分の心」

冒険を求める心もいつか「飽和点」を知り、登高を止めて、生命を危険に晒すことを欲しない心持になるのか?

そんなことを、ずっと心は問い続けている。

・・少なくとも、今はまだ心は「飽和点」に達してはいない、

だから、まだしばらくは、日々受けるストレスから 心を落ち着かせるために、精神の健常性を保つために 危険な登山に取り組むことになろう・・。

死に近接すると、生をいとおしく感じ、危険が肌で感じられるぐらい迫ると、普段眠りかけている「生存本能」が発揮されるようだ。

逆説的ではあるが、街中でよりよく生きんがために、山に危険(自然との対峙)を求めるのだ。

(「甲武相山の旅」 2008年5月26日 掲載記事)
 

山行者草牟須屍 (山行かば、草生す屍)

今日は久しぶりに、五日市駅前の山猫亭に立ち寄って、紅茶の時間を過ごす。(ダージリンの秋摘みのものが入ったそうなのでそれをいただいたが、あんまり印象には残っていない。)

脇の本棚には、奥多摩の山関係の図書がずらっと並んでいるので、久しぶりに「奥多摩登山考」を手にしてみた、値段を見ると頒布価格1200円とある。
ぱらぱら本を読んでいると店長さんが、こっちの本が新しいやつだそうですと、同じ筆者による「金副隊長の山岳救助日誌」という割と最近のものを出してくれた。

なにしろ、警視庁青梅警察署の山岳救助隊の副隊長さんが実際の遭難事故をベースにあれこれと分析して書かれた本なのであるから、これを読めば、奥多摩の山岳遭難事故はあらかしわかるよね(笑)。 常人が、仕事の片手間に山岳遭難事故を扱っても、金副隊長さんの経験と情報量にはかなうまい、(なにしろ、この方は「仕事」として誇りを持って山岳救助をやっているんだから・・。)。

さて、わたしも「金さん」のお世話にならないように、厳しいトレーニングを積んで山に行きたいと思っている。

登山のブログを拝見していると、山を初めて、二冬か三冬目だというのに、もういっぱしの口の利き方で(ブログに)記事を書いている人がいる。いかにも!・・らしい専門用語を使い、でも、実際は連れて行ってもらっているんだけれどね(爆)。フリークライミングをやっている女性の記事にも似たような傾向が時々見られる。舌足らずな文章と、仲間うちの専門用語で、結局ははぐらかされてしまう・・。

僕は八ヶ岳とか谷川とかには(今は時間がなくって)行かないのでそういったところで「たいした登山」はしていないが、地元奥多摩、奥秩父では、けして褒められないようなあぶない登山ばかりしている。 あぶなさにかけては引けをとらない(笑)。

あぶない山やこと古田学さんがお亡くなりになったのは、標高1000m以下の妙義山である、低山でも山は常に死と隣りあわせなのである。
今日読んだ奥多摩登山考では、川苔山あたりの遊歩道から落ちて死んでしまった例とか、大雲取谷の一般道から転落した例や、雲取の南の唐松谷林道から沢に転落して死んでしまった若者の記事なんかが書いてあった。 

およそ危険なところは、常に自分に牙を向いてくる潜在的な可能性を秘めているのである。

山行かば、草生す屍。

これが僕の、座右の銘である。
気分のいいとき、酒を飲んだときは、いつもこのフレーズが、口をついて出てきてしまうのである。

海行かば

海行者美都久屍 山行者草牟須屍 大皇乃
   敞尓許曽死米 可敞里見波勢自

A country who can remember the sacrifice of their sons fallen for their country will always be stay a great country.
Long life to Japan.

Greattings from France
JM Pizzini

「海行かば」 作詞 大伴氏言立、大伴家持 作曲 信時 潔 1937年
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※ 万葉仮名は、下記のリンク先の記事より引用させていただきました。

海行かば考

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呪縛を解く

ドイツには、いわゆるネオナチに傾倒する若者が少なからず存在し、彼らは現状への捌け口として、ナチズムに拠り所を求めているようだ。

ネットで、いわゆる右翼系の記事を読むと、どこか回顧主義的で、つまり現代的にアレンジされていない。当時の思想のままに、戦前、戦中の思想が再び持ち出されているように感じている。それは、往時を知るものにとっては懐かしいであろうが、今の世に広く受け入れられるとは限らない。一言で言うならば、ストレートな復古主義というものは下手をすると時代にあっけなく拒否されるだろう。

この歌は、戦前において準国歌とも言われた「海行かば」であるが、卒業式や入学氏で歌われている「君が代」に比べてこの歌はいまだに日陰の存在である。この歌を歌うと、右翼だの、帝国主義者だの、いまだいろんなレッテルを貼られ、また誤解を招くことになるだろう。

慎重な再解釈を施した上でのみ、この歌を現代に再び蘇らせることが可能である。
この歌の背後にある思想については以下に詳論するとして、まず文語上、この歌を現代に蘇らせるにあたり障害となるものは、ひとつは、この歌は「死」をイメージさせるということ、それと、「大君(おおきみ)」という言葉であろう。

この歌の詞はそもそも万葉歌人の大伴家持(おおとものやかもち)の詞(大友氏言立)からとったものであり、「大和朝廷の有力豪族であるわれら大伴氏は、天皇家に代々使えてきた誉ある家系である。」、ということを謳った歌なのであるから、この歌が、「死」をイメージさせるというのは、正しくはない。Ich hatt einen Kameraden がそうであるように、太平洋戦争後期に、出征兵士を見送る際や、玉砕を伝える大本営発表などの際に使われた経緯があって、それがこの歌に「死」のイメージをダブらせることになったのである。

では、「大君(おおきみ)」はどうか?象徴天皇制の元では、天皇というのも日本国民統合の象徴であり、ここでの「大君(おおきみ)」というのも、そのような、日本国民の統合の象徴としての「大君(おおきみ)」と、このように再解釈することが出来るだろう。字面道りに、天皇制の復活を期待し、天皇主権を読み込むのは、(そういう立場もあるのだろうが)現実問題として現代においては、甚だしく時代錯誤である。

そのように慎重に二つの問題をクリアすれば、この「海行かば」は、戦没者の慰霊と鎮魂を祈る歌として、現代に蘇らせることが出来るだろう。(もちろん、そういったことを聞き手に理解されずにただこの歌を歌うだけでは、おかしなレッテルを貼られるだけである。)

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アナクロニズム(時代錯誤)

よく語られるように戦前の日本では、天皇の神格化が図られ、神道が宗教以前の存在とされて重要視されていた。
そのため、現在でも靖国神社への閣僚の公式参拝や、神道への国家の介入(保護)が中韓はじめ周辺各国の関心事項になっている。

しかし、天皇が神であるとか、靖国思想とかが、明治政府をしてわが国の対外進出(相手の国にとっては「対外侵略」)を招いたわけではない。

それは、明治政府が採用した国民統治の手段に過ぎないと考えるべきである。

国家が国民を動かし、操るやり方としては、戦前の政府が行った宗教に訴えるやり方以外の方法もあるわけであり、今後、政府が似たような行動を採る場合においては、さんざんに「種明かし」がなされてしまった「同じ手」を使うようなバレバレの手段は採らないはずである。 もっと、現代的に変容されて、それとはわからない「別な手段」に訴えるだろう。

そうしてみると政治家の靖国神社への公式参拝というものは、現代に於いては、純粋な慰霊としての意味があるぐらいで、公式参拝によって、戦前の日本を復活させようとしてもそれは、いささか現代という時代とギャップがありすぎて、一種の「アナクロニズム(時代錯誤)」に陥っていると評価できる。同様に、公式参拝を受けて批判を加える中韓はじめ周辺各国の拒否反応も、いわば「お約束」の反応の繰り返しと評することが出来るだろう。

つまり、この歌を歌うことで、当時の思想を蘇らせようとしても(個人的に当時の思想に賛意を示すのは各人の自由であるが)、それは現代という時代にはそぐわないということが出来るだろう。

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現代版、中世封建社会

さて、日本という国は、とにかく資源がない国であるから、「人間」が大切であるはずである。当たり前の話であるが、立派な才能ある人間を輩出することにこそ、この国の可能性がある。(このことは目新しいことでもなんでもなく、それこそ、幕末、明治維新の頃の歴史に名を残すような偉人なら誰でも頭の中にあった事柄である。)

立派な才能ある人間を作り出すためには、ある程度の競争社会も必要だろうけれど、現実は、派遣社員とか、格差社会とか、若者の就職難とか、現在の日本は、競争社会ではなく、「共食い」をしている・・日本人が日本人を食い潰しあって生きているようで、その様は、歴史で習った西欧の中世封建時代に似ている。

認識と思考枠組み(パラダイム)の意図的な操作

主観が客観を変える、とまでいうつもりはないけれど、我々に見えている「客観的な事実」というのも案外、主観の置き所により見え方が変わってくるものだ。同一事実といえども、それを見る角度によってさまざまに違って見えてくるものだ。
昔、国際政治学者の鴨武彦教授が、冷戦構造自体、米ソにとって、世界を二分し東西それぞれの世界を米国とソ連とで支配するに都合のよい構造であったと語っていた。

それと同じで、新聞や、報道で伝えられる世の中の政治状況や、経済状況というものは、案外、創り上げられた構造~支配者にとって都合のよい認識と思考枠組み(パラダイム)~にすぎないものであるかもしれない。

「諦めた人間は支配しやすい」といわれる。また、いわゆる知識人~知的水準の高い人間~は、頭の中でだけ物事を考えるので、極めて騙しやすいところがある(さらについでに言うと、彼らの自尊心が彼らの柔軟な思考を奪っている・・つまり、一度思い込んだらなかなか、立場、説を変えない愚かしさを彼らは持っている)。現在、テレビや、新聞で伝えられる政治、経済状況は、人をして「諦めさせる」に十分なものがあるが、もしかしたら、その状況は、「入念に仕組まれ」、「誰かには非常に都合がよい」状況であるかも知れない(一例として、たとえば「地球温暖化」というのは、事実なのであろうか?それを虚構であるとする立場も存在する。)。

不安を抱える人間はコントロールされやすい、テレビでなにかの凶悪事件が発生すると、住民のインタビューで口々に「不安」を語る。そのVTRが放送されて、全国のお茶の間に流れる。その番組を見た人はどう思うだろうか?・・その不安に乗じて、警察はじめ政府の側は、いろんな規制を敷き、個々人を把握しやすくする。そのわかりやすい極端な例が、街頭の防犯カメラである。携帯電話番号の固定もそうだし、ETCも同じようなものだ。

同じように、先行き不透明感というのも、人心を支配するのによい口実となる。少なくとも、人々に「希望」を与えるよりは、むしろ「不安」に落とし入れておいたほうが、コントロールしやすいのである。「不安」を上手く利用すれば、戦前のように天皇陛下は神であるとか、日本は神の国であるとかそういったことは一切持ち出さずに、現代において同じような支配の構造を作り出せるのである。

抽象的にいうならば、情報を操作し、社会の現状への認識と思考枠組み(パラダイム)を意図的に操作することによって、宗教的に国民を支配するのと等しい「効果」をもたらす構造を作り上げることが出来るのである。

現代において、かっての「神」、「宗教」に匹敵するものとは、

西欧の中世封建社会に於いては、ローマ・カトリック教会(宗教)が絶対的権力を握っていたそうである。ここ数年の社会情勢は、その中世封建社会に似ているように感じるのだが、それならば、ローマ・カトリック教会に相当するものはなんだろうか?・・(これまで論じてきたことから明らかなように、)情報を操作し、社会の現状への認識と思考枠組み(パラダイム)とを操作している連中である。

再論するが、中世に於いては、人民を支配するに「神」という概念を持ってきたが、現代に於いては、もはや「神」に頼らずに、情報の操作と、社会の現状への認識と思考枠組み(パラダイム)の操作という方法で、「神」、および、「宗教(中世の西欧におけるローマ・カトリック教会)」と同じ効果をもたらすことが出来るのである。

(脱線するが逆説的に言うならば、西欧の中世に於いては、情報の操作と、社会の現状への認識と思考枠組み(パラダイム)を提示していたのが、ローマ・カトリック教会であったと言うことも出来るだろう。具体的なその内容というのは、要するにプラトン的なキリスト教の閉鎖的世界観である。)

・・と、以上のように考えると、この「海行かば」という曲が、「かって担っていた役割の文脈(つまり、宗教的な国民支配の手段として)」において今後歌われるということはもうないと見てよいだろう(個人的な回顧は別にして)。けだし、その宗教的なアプローチは上述したように、もやは「使えない」からだ。むしろ、いつの日か、この歌がかっての文脈でまた歌われ始めたときは、「(われわれは)歴史から何も学んでいない愚かしい国民である。」ということになるだろう。

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慰霊、そして鎮魂の歌として現代に歌われる価値がある

この歌は、「戦意高揚」のために、昭和18年に文部省により制定され準国歌として扱われ、出征兵士を見送るときや、玉砕を伝える大本営発表の際に流されたそうである。この歌の「戦意高揚」としての歴史的な役割は終わっているのだろう。形式的には、終戦とともにその役割は終了し、実質的には、天皇が神であるとか、靖国思想といった宗教的な国民支配のアプローチが終焉を迎えるとともにこの歌の「戦意高揚の役割」も終わったものと言えるだろう。

残されたこの歌の役割、現代におけるこの歌の価値は、「慰霊と、鎮魂」にこそ見出せるだろう。(上述したように)現代においてこの歌を歌うことには、もはや、さほどの「危険」はない。太平洋戦争のことを記憶にとどめ、慰霊と鎮魂のために、この歌はもうすこし日のあたるところで歌われてもよいはずだと考える。

「海行かば、」~この歌に託された後世に生きる者へのメッセージ

さて、いろいろ論じてきたが、この歌は、21世紀に生きる我々にとって、もはや何の関係のない、無視されてよい、どうでもよい歌ではない。あの「戦艦大和ノ最後」と同じく、日本再建のための捨石になろうとした先人たちの思いが込められている歌である。聴く耳を持つものにはそれが判る筈である。

VTRに写る彼らが歌ったと同じ歌を歌い、わが身をその立場に置き換え、彼らの胸中を察し、彼らが身を捨ててまで守ろうとした行為に敬意を払い、彼らの魂の安らかなること祈る。心情を理解し、それに近づこうとするその過程で、私たちはVTRの中の彼らを、「体現」することが出来る。 彼らが私たちの心の中に生きてこそ、慰霊となり、鎮魂となるのである。

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参考

ドイツの現状1(ネオナチ)

吉田満著「戦艦大和ノ最期」その真実と虚構

信時 潔 研究ガイド

山の行より、里の行

私には何人かの叔母がいたが、そのひとりは、札幌で肺がんとなり、今の私ぐらいの年齢のときに、この世を去ってしまった。
叔母の連れあいは、癌であることを叔母に告知できずに、ひとり悩み苦しみ、アルコールの飲みすぎで、肝臓を悪くしてしまい、胃のほとんどを切除してしまった。

この叔父は、当時バリバリの登山家で、職場の山岳会に所属し、正月休みには、叔母をひとり実家に帰省させ、10日も二週間も冬の山に入り浸っていたそうである。
ちょうど、昭和30年代後半から40年代前半にかけての話で、わが国で一大登山ブームが湧き起こっていた時期だ。

そんな叔父も、叔母が癌を患って以来、山を止めてしまった。
(正確には、精神的に山に行くどころではなくなってしまったのだろう・・。)

修験の言葉に、「山の行より、里の行」というのがあるそうである。
山で厳しい修行を繰り返し、身につけた功徳を、里(街中、日常生活)にて実践する、そういった意味合いだそうだ。

そして、里での行は、個々人により、いろんな形態(時には、苦難として、)を持って現れる。
叔父にとっては、愛するものの死というのも、ひとつの乗り越え難き「里の行」だったのだろう。

トリノ

1844年10月15日生まれの、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、1889年正月、イタリアのトリノで精神錯乱に陥り、
以後1900年8月25日ワイマールで没するまでその精神は二度と正常なものとなることはなかった。

わたしも、精神が正常に働いているうちに少しはましな思索を残してゆきたいと思う。

さて、「甲武相山の旅」は、現在450ほどの記事を掲載している。
こちらは、これで300記事となり、そのうちで280ほどを公開してある。

トムラウシのことや、ハセツネについて書くと、いろいろとアクセスが増えるのであるが、
私が書きたい記事は、ハセツネの記事でも、トムラウシの記事でもなく、
どうやらご覧の皆様の関心外の事柄であるようなので、困ったものだと思っている。

まぁ、私が文章に残すべきことは、人知れずノートに手書きで残しておくことにしよう。

ブログの類は一切読まず、代わりに歴史的な名著を読みふけり、紙に考えたことを書き留めて、

普段は電話で用を済ませ、週末に一度だけメールチェックをする、

・・そんな生活に憧れてれている。

洞察力

他人を理解するということ・・。

ここ数ヶ月、いろんな人と会う機会があり、それはいまも続いているが、その経験を元に思うこと・・。

たいていの人は他人を理解出来る範囲内でしか受容しないものだということ。

だから、もし自分のことを万人に理解して欲しいのならば、万人が理解できる範囲内の「道化」に身をやつせばよい。

ありのままの自分を、他人に理解してもらおうとしても、それはちょっと難しい相談であり、

たいていの人は、他人のことを自分が理解できる範囲内でしか理解しようとしない。

だから、まぁ少なくとも自分のことを一般の人よりもちょっとは深く理解してくれている人は貴重であり、

また、理解しようと努力してくれる者は、大切な存在であるということが出来るだろう。

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はじめに・・

このホームページは、私の名刺代わりであり、私がどんな人間であるか、どんな価値観を持っていて、どんなことに優れているか、またどんなことには才能、興味があまりないか、さらには、どんな気性を持っているか、などが直接的に文章で、あるいは、暗示的、比喩的に書かれています。

今までに36万ほどのアクセスをいただきましたが、私という人間はなかなか伝わらないもののようです。

私は、いろんな人の文章を読み、記事を見ることを通じて、またその人の作為・不作為から、その人の人間性を洞察することが得意で、人間性を見透かすことに関して少々自信があります。

然るに、このホームページの読み手の方は、残念ながら私と似通った洞察力をお持ちの方は少ないようで、たいていの方は私の文章の字面しか、表面的にしか読んでいただけないようです。

どの人もかの人も、私という人間を理解してはくれないし、理解できないようなので、ここを閉鎖しようとも幾度か思いましたが、100人の中で、一人、二人でも、私の人となりを理解していただける人がいると信じて、私と同じくらいの人を見透かす力、洞察力を備えた人のために、閉鎖しないで、ここを開けておこうと思っています。

「誰にも読めるが、だれにも読めない書 Ein Buch für Alle und Keinen 」というのは、ニーチェが自身の本について語った言葉ですが、私のホームページも、誰にでも字面は読めるけれど、文章の背後にある私の人間性まで理解できる人間は少ない、と表現出来ましょう。

もちろん、別に私は人に自分のことを理解してもらって救われようなどとは考えていませんが、行動する上で、私には当たり前のことが、他の人には当たり前ではないというのが、私の心の目を少し曇らせます。
たとえば、私がここでシュールに触れておけば十分に他の読み手にも伝わるであろう、と考えて弱い表現に抑えたことも、案外と伝わらないものだということなどは時として残念なことであります。

いずれにしても、

私と同じ価値観に立ち、私と同じ感受性と、洞察力、物事を見透かせる力・・それらを備えた人に読んでいただければ、非常な幸いであります。

Scott McKenzie – San Francisco

トムラウシの報告書の完成版もまだ出来ていないようだし、あのレースについての批判もとりあえずはやり尽くしましたので、これらの話題についてはしばらくお休みです。しばらくは、アクセスは度外視して、好きな記事を書いてゆきます。
トムラウシ関連の記事、あのレース関連の記事は、右の欄に記事目次があります。レースに出てよいタイムを狙おうという人にも、反対派に回ってあのレースを潰してやろうという人にもあれこれと「使えるネタ」を書いてあります。

Simon
Of course not. I’m a soldier, not a monster.Even though if
I sometimes work for monsters.
No, the real bomb is on this
ship.

トムラウシにしろ、ハセツネにしろ「怨恨」というものが寄り集まって、私をしてそれらの記事を書かせたようなものですが、そういうものが私に寄り集まり過ぎても・・どうも重苦しいところがあります。

私にとって、山とは、浄化の場ですので、重苦しくなりすぎた私の心を浄化する必要があるようです。

・・というわけで、しばらく、トレイルランナーの諸君にも、山やの皆さんにも、関心がない記事、疎い記事、関係がない記事を積極的に書いて、皆さんが来ないところ、手を出せないところに雲隠れし、気分転換を図ってやろうと計画しております(笑)。

久しぶりにコメント受付を再開しますので、お気軽にコメントをお寄せください。
ただし、あんまり返信に手間がかかるような重苦しいコメントは駄目です。
楽しいコメントのみ受け付けます(微笑み)。

映画フォレストガンプのワンシーンにも使われている。有名な曲である。
私にとって60年代のヒッピー文化というのは世代も違うし、場所も遠い異国の世界の話だが、テレビを通じて伝わってくるベトナム戦争とこのヒッピー文化は、それこそ原宿・渋谷あたりのファッションモードよりも深く私の心を規定していると思う。
もちろん、ヒッピー文化はトラディショナルな文化に対する対抗として生まれてきた文化であり、保守的な階層の厳然とした存在を忘れてはなるまい。あの映画の場合、ある意味、その保守的な階級の代表がフォレストなんだと思っている。

規範的、規律的なもの、軍隊的なものの対極にヒッピー文化はある。
ピッピー文化は「乱れ」の文化なのかもしれないが、「乱れ」も、規律ある保守的な階級的な文化がきちんとあってこそ生まれたのだといえるだろう。

わが国のモードは、そういった階級的な文化を背景にしていない点で、ちょっと違うような気がしている。
規律ある保守的な階層・・それがもしわが国にあるとしてもそれは、文化を語れるほど成熟してはいない。

否、むしろ、そういった階層は瀕死の状態にあるのではないか?
で、結局、成金が一世を風靡し、階級なきモードが流行り、出自の文化なき成り上がりも、ブランド品を購入することにより「文化という着ぐるみ」を身に纏うことが出来る。

それはちょうど、ヴィトンのバックを、水商売の女性が身につけるのに似ている。
ヴィトンのバックを身につけると、誰でも貴族になったような気分を味わえる・・しかし、出自というものは、お金では買えないものなのだ。

同様に、わが国の若者が、ヒッピー風の身なりをしても、それはまさしく「ヒッピーの着ぐるみ」を着ただけに終わるのである。

Forrest Gump – San Francisco Music Video