山にいざなうもの、

秋の牛王院平にて、

ここで人気があるのは、例のハセツネCUPの分析記事と、トムラウシ山岳遭難関連記事であるようだ。しかし、それらの記事は、私にとってすでに過去の記事であり、また「本質的な」記事ではない。

exblog上には、あのレースのルートを紹介した膨大な写真データと地理情報データをあわせたルート分析記事を掲載していた。けれども、exblogからの移行の際に、それらはすべて削除してしまった。・・私にとってはもはや何の価値もない記事だったからである。(それにいつまでも残しておくのは未練がましい・・。)

社会的な貢献、という意味では、ハセツネCUPの分析記事は、世のトレイルランニング愛好家の諸君に多少なりとも役に立ったものと自負している。もちろん、よい意味でも、悪い意味でもである。

カテゴリーをご覧いただけると一目瞭然であるが、このレースの分析記事、すなわち、如何にすれば、速く走り抜けられるのか、その方法論を説明するとともに、このレースが抱えているさまざまな問題点も見聞したものを洗いざらい書き上げている。・・あのレースに参加して、良いタイムを狙いたい方にも、トレイルランナーが大嫌いで、あのレースを叩き潰したい方、いずれの方にもお役に立てる情報である。

また、トムラウシ山岳遭難関連記事でもまた然り、・・この記事についても、実に膨大な時間を掛けて記事を作成したが、蓋を開けてみてガッカリしたところが多々あり、もう書くつもりはないし、刑事裁判の開始と動向を見守ってゆこう、といったところである。

ここのところいろいろと過去の記事を読み直してきたのだが、今までの記事にはあまりにも人と争い、自己主張し、また批判する記事、すなわち「抗争性の強い記事」が多いのを、少々反省している。(もっとも、生臭さ漂う「政治的なこと」、「宗教的なこと」は一切書いていないので、その点はすこしはマシかなとも思っている。)

今後は、これらハセツネとも、トムラウシともおさらばして、コースアウトしていた軌道を修正してゆこうと思っている。

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山にいざなうもの、

僕が山登りを始めたのは、高校生のときに、F.W.Nietzscheの思想に出会って、その影響を深く受けたからである。
風や、気温や、陽光、湿度の加減、森や湖、それらの展望、など等、これらはどれも人の物の見方、考え方の形成に深く係わっている。
さらに、高い山でのそれらは何よりもまして五感を刺激する。
ニーチェ自身、海抜高度6000フィートに位置する風光明媚なシルス・マリーアをこよなく愛し、そこであの永劫回帰の思想を得ているのである。
彼も自から語っているように、1881年の8月上旬、シルヴァプラーナの湖畔を散策する彼に、かの永劫回帰の思想が訪れたのである。

また著書 Also Sprach Zarathustra では、主人公は、30歳で、故郷を離れ、山奥に入るというくだりから始まる。

Als Zarathustra dreißig Jahre alt war , verließ er seine Heimat und den See seiner Heimat und ging in das Gebirge . Hier genoß er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahre nicht müde .

こんな風に、ニーチェの思想に惹かれ、しかも、ニーチェの書いたものを単に字面で考えて研究するのではなく、自分が直接「体感して」理解し、自分なりに解釈する。そして、ひいては、彼の独特な発想方法さえも自分のものにしてしまおうという強い願望が、私を自然の中へ、森に、そして山岳に導いたのである。

そして、森や山の中で、彼の着想方法を私なりに「体現」してみようといろいろ試みてきた。

さらに、高い山に行けば、そこでの風景や、冷たい気温、吹き付ける風や、なによりも高山の自然の雰囲気が、更なる思索のヒントを私に与えてくれて、私をさらに高めてくれるはずだと、期待してきたのであった。そしてこの期待は今でも変らず、現在でも強くそのように期待しているのである。

もしこれが、デカルトや、パスカル、あるいは、カントや、ヘーゲルあたりに耽溺していたのだったら、私は多分、現在、登山はしていなかっただろうと考えている。そういった哲学者に傾倒していた場合には、体を動かすにしても、テニスとか、ゴルフとか、きっとなにか他のスポーツをしていただろう。

ニーチェに出会ったばかりの高校生の頃などは、山岳部の友人が夏山合宿に行くといって、でっかいキスリングを教室に背負ってきて、駅のホームで、合宿に向かう連中が夏の暑いさなか大きなキスリングをめいめい背負って電車を待っている風景をちょっと異様な光景と見ていたものだ。

あの頃は、加藤保男が冬のエベレストで消息を絶ってもなんとも思わなかったし(1982年12月27日)、まさか、10年後に自分が同じキスリングを背負って歩荷トレーニングを始めるなどとは夢にも考えなかった。

こんな風に、私を山に導いたのは、F.W.ニーチェの思想である。

初めに、ニーチェの永劫回帰の思想あり、で私の山は始まり、奥秩父の先蹤者達も、小西政継さんのアルピニズムも、すべては山を始めたあとに出会った人や思想である。

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海抜6000フィート、またさらに高く一切の人間的事物を超えて!———

次に、ニーチェの草稿メモを引用しよう、訳は岩波文庫の「ツァラトゥストラはこう言った。」を訳した氷上英廣氏である。その前に、ニーチェ自身がその著書「この人を見よ」にて、このインスピレーションについて語っている部分についても引用する。

「この人を見よ」 より 引用

さて、いよいよ「ツァラトゥストラ」の歴史を物語ることになる。この作品の根本着想、すなわち永遠回帰の思想、このおよそ到達しうるかぎりの最高の方程式は、__1881年8月のものである。
この思想は一枚の紙片に走り書きされ、「人間と時間を超えること6000フィート」と付記されている。
その日、私はシルヴァプラーナの湖畔の森の中を歩いていった。 ズルライから程遠からぬところにあるピラミッド型にそそり立った巨岩のそばで、私は歩みをとめた。 そのときである。 この思想が私を訪れたのは。

等しきものの永遠回帰

草案(Entwurt)

1、 もろもろの根本的迷妄の体現(Einverleibung)

2、 もろもろの情熱の体現

3、 知識と断念的知識の体現(認識の情熱)

4、 無垢の者(Der Unschuldige 負い目なき者)。 実験者としての個体。 生の安易化、低化、弱化、—– 移りゆき。
5、 新しい重し—–等しきものの永遠回帰。 われわれの知識、迷妄、もろもろの習慣、生活の仕方が来るべきすべてのものたちにとって無限に重要であること。 われわれはこの人生の残りをもって何をするのか、—–人生の大部分を本質的な無知のなかで過ごしてきたわれわれは? われわれはこの教説を説く、—–それは、この教説をわれわれ自身に体現させるもっとも強力な手段である。最も偉大な教説の師となることでのわれわれの流儀の至福。

1881年8月初旬、シルス・マリーアにて、
海抜6000フィート、またさらに高く一切の人間的事物を超えて!———

参考

シルス・マリーア
スイス政府観光局のホームページより、Sils-maria
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