一之瀬高橋、白沢峠、斉木林道(笠取林道)、倉掛(鞍掛山)、石保戸山、犬切峠から藤尾山往復、

一之瀬高橋

一之瀬高橋は隠された山里といった感じが強いところである。大学4年生の冬、初めて一之瀬に落合から入ったときに、分岐で右に犬切峠に行くべきを間違えて、左に一之瀬高橋に入ってしまった。一之瀬高橋は厳しい冬に閉ざされたところで、バラックのような粗末な家屋が並び、未舗装の道は凸凹していて、氷が張った深い水溜りもあったりして、あたかも東北か北海道の寒村にでも来たような印象を受けた。

その後、笠取小屋へのトラック道の入り口を探すついでにしばしばここに来るようになった。例のトラック道を尋ねて、高橋集落末端の家屋に住まう老夫婦に道を尋ねたことがある。お爺さんは丁寧に笠取小屋への道を教えてくれた。手元に何もなかったのでお礼に家から持っていった蜜柑を渡した。今は無人となってしまった家屋の脇を通り過ぎるとき、老夫婦の安否が気遣われ、また何かしら寂寥を感じてしまう。

一之瀬高橋の魅力はなにか?それは、私がかって一之瀬に感じたもの、彼岸、向こう岸にある世界である。今の作場平は、休日ともなれば、車が立ち並び、観光バスさえもやってくる。笠取山への道は整備されて、まるで都民の森のようになってしまった。その失われた昔の作場平の雰囲気が、一之瀬高橋にはかすかに残っている。それが良さである。もっとも、一之瀬高橋の山々は早くから伐採が進み、今は植林による林ばかりで、奥秩父の原生林のイメージは少ない。しかし、遠く人の匂いがする、彼岸に立つ世界、それが一之瀬高橋である。

満開の櫻 放光寺にて

一之瀬高橋に向かうと、すぐ左手に金色山放光寺があり、三界万霊塔が建っている。私はそこに霊的な力を感じる。ここから先は霊的に包囲陣が敷かれた世界なのである。甲斐武田が滅び、黒川の金山が閉ざされたときに、人はここに落ち延びて暮らし始めた。昔は「神金村」という字があった。それはもちろん、この地の金山に由来する名前である。

一之瀬高橋・・いまは、鄙びた、穏やかな風景が広がっている山間の村であるが、その歴史は深いのである。

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斉木林道(笠取林道)、白沢峠

笠取小屋のトラック道(笠取林道、正式には「斉木林道」)

一之瀬高橋を奥まで入り高橋川をコンクリートの橋で渡り、高橋川沿いにずっと行くと、やがてゲートがあり笠取小屋のトラック道が始まる。
ゲートからは歩きとなり、しばらく行くと左にかかる橋がある。これは白沢峠を越えて天科へと繋ぐ道である。

写真(現在は削除)は数年前に撮影したもの、この笠取小屋へのトラック道での紅葉である。紅葉の旬の時は地味ではあるが静かな紅葉が楽しめる

トラック道をしばらく行くと、やがて犬切峠や、石保戸山から来た道を合わせ、さらに鳥小屋山の標柱のあるところで、左から斉木林道と合流する。これからトラック道は、斉木林道として笠取小屋へと続いている。

このトラック道や、斉木林道を、笠取への登りにとったときは、似たような風景に飽きてしまうほど長く感じる。笠取に登ろうという人は、みな作場平からアプローチするだろうから、現在この林道を辿る人は少ないのである。

尚、このあたりは鹿をはじめとした野生動物がたくさん住んでいて熊もいるので要注意である。

白沢峠

斉木林道の鳥小屋山分岐から緩い下りの道を小一時間も歩けば白沢峠に着く。鳥小屋分岐から白沢峠までのあいだに一つ二つ東に下る踏み跡があるが、どれも下り下って笠取小屋のトラック道にあわさる。

ここには米国製のトラックが放置されている、戦後、進駐軍の軍用車が民生に転用されて、挙げ句の果てにここに残ることとなった。

斉木林道はその昔、雁峠一帯の伐採木を切り出すためのとしてつくられた林道である。だいぶいい加減な連中が伐採したらしく、私の知る限り二台のアメリカ製トラックが放置されている。

このトラックも、この林道の由来を物語る生き証人としての価値があろうか・・?

さて、白沢峠から尾根筋に倉掛山(正確には鞍掛山)へのルートがある(一部不明瞭)。斉木林道は明瞭であるがこれは倉掛山の東を巻いているので、倉掛山に登ろうという場合、途中で倉掛山へ藪を漕がねばならなくなる。

私が知る限りでは、斉木林道の途中から倉掛山へ至るきちんと刈り払われた道はないように思う。今回とったのは尾根筋の道で白沢峠から少し藪がかかっているところがある。

白沢峠からしばらく南に登ったところにあるザレ場・・この前後は藪道である。背景の山は乾徳山方面。藪が終わると突然防火帯が現れる。この防火帯は倉掛山頂まで続いている。

小野 幸氏 奥秩父 付録地図より抜粋

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倉掛山(鞍掛山)

一之瀬高橋から、トラック道を笠取小屋まで歩くというルートは飽きるほどこなした。それに完全に飽きると、今度は周回コースで白沢峠から帰ってくることになり、白沢峠の次は、倉掛山と足がのびる。

倉掛山、標高が1700m台のこの山に白沢峠から最初に向かったときには、いつ果てるともない斉木林道の登り(注1参照)に飽きて途中で引き返してしまったことがある。(たいがい私が一之瀬高橋に行くときは体調が今ひとつであるときが多いので、今ひとつの体調の時にこの山はきついのだ。)

二回目の挑戦の末にはじめてこの山頂に立ったとき、山頂から奥秩父連山が一望できることを発見し、大層喜んだ。そして奥秩父の重鎮、甲武信岳が立派な山容をもって望まれることも、この山ならではの魅力であろう。

その際、帰路は墨川山から少し下ったところにあった赤テープの目印から、植林帯を下の巻き道に下り、巻き道を北にしばらく行ったところから東に付けられた仕事道を、大ダル方面に下った。途中、尾根筋に踏み跡があったので適当に踏み跡を拾いながら大ダルのすぐ上に出た。
ヤマサクラの大きいのが綺麗に咲いていて、しばらくその眺めを愉しんだことを憶えている。
ヤマサクラから少しで、林道に出たが、昔の道が林道越しに途切れ途切れに続いていたので、それを使って高橋に帰った。

大ダル北側斜面にあるヤマサクラ

その後、数回、この櫻を観に、ちょうど櫻が咲く頃に、一之瀬高橋のこのルートを下から辿ったことがある。しかし、それもこの櫻までで、そこから先に歩を進め、倉掛山に登ることはなかった。


注1 斉木林道は、倉掛山山頂を通過せずに、その東山腹を巻いている。白沢峠から稜線沿いに倉掛山に至るルートもあるが、これは登りが急である。登りが急であるが一番路に迷わずに倉掛山山頂に至ることが出来る。

注 以下の文章における「紀行①~④」とは、以下の4回の紀行の記録です(ただし、紀行②は未収録)。

紀行① 一回目 犬切峠から、石保戸山、白沢峠、倉掛山周回ルート・・石保戸を越えて、鳥小屋分岐で撤退 2005年7月
紀行② 二回目 犬切峠から、石保戸山の登山 2005年8月
紀行③ 三回目 一之瀬高橋から、伝通院尾根経由、倉掛山、白沢峠、鳥小屋分岐、石保戸山、一之瀬高橋帰着 2006年5月21日
紀行④ 四回目 石保戸山、藤尾山、黒川鶏冠山(めいめい車でのお気軽アプローチ) 2006年7月

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一之瀬高橋から伝通院尾根経由倉掛山(鞍掛山) 2006年5月21日の記録 紀行③

倉掛山頂付近から、北に笠取、雁峠、古礼山、水晶山方面を望む。

hillwalkerさんの情報によれば、倉掛山へほとんどの方は南の林道に車を停めてからアプローチするという。倉掛山山頂から南を見やると、ほとんど植林の山で見るべきものはないように感じる。だから、わたしはそういうアプローチは採らない。せいぜい落合から、或いは一之瀬高橋からのアプローチのみ私が登るべきルートとなろう。

さて、予め幾つかの注をつけます・・。
①「伝通」はデンズイと呼ぶようである(田島勝太郎氏 奥多摩にはそう書いてある)。
②一之瀬高橋では倉掛山のことを墨川山というとのこと。墨川山も倉掛山も総称して墨川山というとのこと。地図には墨川山をエズゴヤ(絵図小屋)と表記してある。
③昔の斉木林道を「旧斉木林道」、車も走れる最近出来た林道を「新斉木林道」と呼びます。
④伝通院尾根を東に辿って最初の鞍部を大ダル(旧大ダル)、次の鞍部を「新大ダル」と呼びます。
⑤要するに、大ダル(旧大ダル)というのは、旧斉木林道のすこし東にあり一之瀬高橋からの登山道が通っている鞍部を指し、最近出来た立派な林道が通っている鞍部が「新大ダル」です。

※ 以下の叙述には一部分かりにくいところもあろうかと思いますが、推敲を重ねてこのような形になりましたので、このままここに掲載します。

一之瀬高橋から大ダル(旧大ダル)まで

①昔のルート
一之瀬高橋を奥まで進むと、無人となった家屋の先にコンクリートの橋がかかる。
橋から先には数件の掘っ建て小屋のような簡単な別荘がある。
道は分岐して右は高橋川沿いに笠取小屋へのトラック道と通じる。
今回は左に入る、左に流れるのは墨川である。この墨川、このあたりからあれこれ支流に分かれる。この川を遡行したこともないのでどれが本流なのかは、よく解らない。
左の道をしばらく行くと車止めがある。以前は無くって奥まで入れた。(もっとも奥まで入っても、行き止まりになってしまう。)

この道なりに行っても、(釣り人が利用するのか?)明瞭な道があって、行き行きて、新斉木林道にぶつかる。私の記憶だと、今まで登ってきたこの道は道の向こう側にも明瞭に続いていて、旧斉木林道に出られたと思う。

さて、この車止めの少し先に左に分かれる道がある。墨川の支流を木橋で渡っている。この道を行こう。 道は、少し登って、やがて植林帯の中を先ほどの墨川の支流の右岸少し高いところに沿ってゆるやかに登って行く。
しばらく登ると、砂防ダムがあり、その脇を通る。そして源流部に至るころ新斉木林道で阻まれて今まで来た踏み跡が無くなってしまう。

ここは適当なところから、もしくは林道開削の残土が捨てられている脇を登って、新斉木林道に登り着く。そして、南にすこし進むと小沢に添って道がある。この道は、大きなヤマサクラ(上の写真のヤマサクラ)の手前を通過して大ダル(旧大ダル)に至る。

②今回のルート
木橋をわたってしばらく行くと、なんと!道が出来ている、ブルトーザでつくった簡易路である。今までの道が不鮮明で、自然とこの道に引き込まれてしまい道なりに行く。(方角として南より)
しばらく行くと、砂防ダムが出来ていた。砂防ダム工事用の道であったようである。
砂防ダムの右を高巻きダム右上の尾根に出てちょっと登ると尾根を北から南に横切る道に出会った。(この道はこれまで今ひとつ辿った記憶がない。)
これに添って行くがルートは南に下ってゆく、小広い沢の源流部に着き、登って行くと新斉木林道に出て、木の伐採搬出作業の現場に出た(新大ダル)。


伐採搬出現場について、実は、ここはどこ???状態でしたが、どこかの鞍部だろうと見当が付いた。
鞍部と言えば、「新大ダル」、と「倉掛山南方にありそうな弛み」に二つが思い浮かんだが、左手に見える盛り上がり(ピーク)がなんなのかも解らなかったし、笠取山方面がどこかに見えないか、と見回したが、あたりには目印になる山は見つからなかった・・。(もちろん、倉掛山山頂も見えない)

あれこれ手がかりを探したが、①倉掛山山頂を通り過ぎてしまったことはまずないだろう。②正面が方角的に南らしい・・。
とすると、左のピークは倉掛山東の伝通院尾根にあるピーク、倉掛山は、右手の尾根の先と推理が出来た。
(ちなみに、ワイヤー操作のために腰掛けている年輩の作業員に声をかけて訊いてみたが、この地に不案内なようで満足な答えが得られなかった。)

さて、そう考えた末に新大ダルから尾根筋に登ると立派な道があって、これを行くと果たしてうまい具合に大ダル(旧大ダル)に出て、大ダルからは尾根の南山腹に道が付けられていて、しばらく登ると、旧斉木林道にひょっこり出た。

大ダル(旧大ダル)から倉掛山(鞍掛山)

大ダルから尾根の南に付けられた道を行く行くと、旧斉木林道に出る。
ところが問題は、旧斉木林道から、倉掛山に登る明瞭な踏み跡がない!と言うことである。

①昔の記憶
倉掛山から南に墨川山を越えて、しばらく下ってゆくと、とある鞍部に植林帯に入って行く踏み跡がある(数本のテープが目印)。植林帯はほんの僅かで、旧斉木林道にでる。
旧斉木林道を北にしばらく行くと、東に下る道があるのでこれを下る。
道は,伝通院尾根に添って下って行くが、途中尾根に添って行く踏み跡があって、これに引き込まれて、尾根に添って下ると大ダル(旧大ダル)に出る。
上に書いたのが、この時私が持っていたルートの記憶・・。

②今回のルート
旧斉木林道に出てからは、勢いがついていてルートに沿って南に歩いて行く、が尾根筋に登る踏み跡がない。Shimadaさんがお持ちになっている地図によるとかなり南に行けば防火帯のきちんとした道があるそうである。(・・が、それほど南に下る気持ちは更々ない。第一行き過ぎてしまうと困る。左手に見える藤尾山を横目ににらみながら、進んだ。)

私が適当なところから尾根に登ろうとすると、hillwalkerさんが難色を示す。私が登るルートはいい加減(緩急問わず構わず登る)すぎて、一般向けではないと言うことらしい。結局すこしはマシな踏み跡から尾根筋に登ったところ、防火帯かと思いきや藪の中!!それは、倉掛山、墨川山の防火帯の尾根筋ではなかった!!

登り着いたところから辺りを見回すと、南西の方に高みが見える(不思議なことにいかにもそれと分かる倉掛山の山頂は見えず。)北東方向に高みはなさそうなので、shimadaさんと相談して、南西の高みを目指す。 腰ぐらいまである笹藪をこいで、登り着いたところが墨川山となった。

・・あとから解ったことだが、旧斉木林道から藪尾根を登り着いた尾根は墨川山から東に派生する伝通院尾根で南西の高みは墨川山であった。大ダルから斉木林道に出るときに尾根筋を登ればよかったのだが、山腹につけられた道を辿って南に行き過ぎたようだ。・・要するに、この伝通院尾根は簡単なようでいて、なめてかかると酷い目に遭うということである。

さて、この日(2006年5月21日 紀行③)は、その後、倉掛山から北に尾根筋を、白沢峠に下り、斉木林道を北上し、鳥小屋分岐で、南下、石保戸、犬切峠へ向かった。

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石保戸山(いしやすどやま)

不思議なもので、去年の夏まで石保戸山と言うピークも私自身の心の中ではどうでもよいピークであった。それがふとしたことで、今回で3回目になる。私は、別に石保戸山に魅力を感じていたわけではなかったが、これもなにかの縁なのであろうか?
これは私の持論であるが、人が山を選ぶのではなくって、山が人を招くのである。我々は、その時が来るのをただ待つのみ。

さて、この石保戸山は標高1600m台であり、それ自体としては植林帯の中の山頂といった感じでたいした魅力はない。標高が高く展望も優れる笠取山の方がよっぽど魅力的だろう。青梅街道を車で1,2時間かけてここまでやって来て石保戸山では少し物足りないと感じられる山である。

この山のみに登るのは物足りないので、他の山と繋げよう、そういう着想が最初からあった。そこで、去年の夏(2005年7月 紀行①)に、山仲間のかずさんを誘って、犬切峠から石保戸山、斉木林道、白沢峠、倉掛山、犬切峠帰着という周回ルートを計画した。これは、今回(2006年5月21日 紀行③)のルートの逆コースである。 この犬切峠発というのがこの周回ルートの正統であろう(ただし、距離は長くなるが・・。)。

しかし、このときは白沢峠でかずさんが不調となり、登ろうというモーメントがなくなってしまったので、ここから高橋に途中下山してしまった(計画中途失敗)。石保戸山山頂から斉木林道方面に直接下るルートがあり今は背丈以上もある藪に覆われている。その時はここを強行突破したので、かずさんも藪漕ぎで疲れたのであろうか・・?

倉掛山の項で説明してある2006年5月21日の紀行③は、2005年の失敗を踏まえ、なんとしても倉掛山山頂には登れるように逆コースでしかも石保戸山から犬切峠間を省略した簡易versionである。

ここでは石保戸山のみを取り上げる。まず、二つのルートの紹介をしておこう。

犬切峠から石保戸山

犬切峠(1378m)から、稜線によじ登ると最初から急登である。石保戸山へは最初のピーク(二本楢1582m)を一回登って峠(指入峠)に降り、また登り返す行程を辿らねばならない。犬切峠からこの峠まで最近林道がつくられているので、天候不良や体調が悪いとき等この上り下りを省略したい場合は、この林道を辿るのがよい。(指入峠は、一之瀬高橋から作場平方面に向かうルートと、犬切峠から西に向かうルートが交差するポイントである。)

さて、指入峠から少し登って少し下ると道は二分する。尾根筋の道は夏期はほとんど人が上り下りしないようである。容易な道は南の巻き道で、これは石保戸山南山腹を通過して、笠取小屋のトラック道に接合し鳥小屋山南にて斉木林道にあわさる。

さて尾根筋の道を採ると防火帯の気持ちよい道の中アップダウンの末に、石保戸山東のピークに付く。山頂標識はないが見晴らしがよいので、うっかりするとここが石保戸山か(?)とまちがえてしまう。本当の石保戸山はこのピークに僅か西、一旦下って登り返したところにある(犬切峠から石保戸山まで所用1時間半から2時間程度)。

一之瀬高橋から石保戸山

一之瀬高橋から、石保戸山へ直接登るには、高橋川と墨川の分岐を経て高橋川沿いの林道をしばらく行くと、北に行く小径があって、高橋川を小橋でわたっている。これが石保戸への近道である。登って行くと、標高1500mを越えたところで石保戸山南を巻く道に出る。これを少し東に辿って、防火帯のあるところから上に直登(標高差100m少し)すると、石保戸山東のピークに至る(一之瀬高橋から石保戸山まで所用1時間程度)。

2005年7月下旬の紀行(写真は二本楢付近)からの抜粋 紀行①

※ このときは、石保戸山から鳥小屋分岐までの尾根筋を笹薮をかき分けて通過しました。私が持っている昭文社の地図には尾根筋に道がつけられていたのでそうしたのですが、現在は、南の山腹を巻くように道がつけられています。私がこのときに辿った尾根筋の道は、とうに廃道となってしまったようです。

読図の重要性を語る人が多い。はじめての場所に連れていって、読図能力を鍛える講習もあると聴く。私は、そういうことはやらない、最初から地図を信頼していないし、ここぞの登山の時は、さんざ下調べをして、まず間違えがないほど、ルートをイメージ化しておくからである。

・・なるほど、地図というものはあてになるときもあるけれど、期待を裏切るときもある・・。どっちがひどいしっぺ返しを喰らうかといえば、それはあとのほう・・。

いずれにしてもわたしはあまり地形図をあてにしていない・・。実際山に入ってみるとわかるが、いい加減な地図はバーチャルリアリテイよりもたちが悪く気休めにもならない代物である。山に入って、この目で見取る地形こそ、信じられる。

何をあてにして山に入るかと言えば、肌で感じるその山の地形と、自分の体力と、これまでの経験、技術である・・。

背丈ほどもある笹藪の藪こぎは基本的に耐久力の勝負、要は雪山のラッセルと同じこと・・。あとはルートを見定める・・尾根筋は安全で山腹は危険という基本認識。
いよいよ行き詰まったらどうするか・・時間にもよるが・・夕方だったら適当に見定めて尾根を下ることがまず間違いがない・・。

犬切峠から石保戸山、斉木林道に至る稜線はアップダウンがきつく、お気楽登山を決め込んでやって来た人はきっとヒーヒー云う登りである。晴天ならば、直射日光がきつく体力の消耗が激しい、おまけに水場がない・・。というわけで、夏の時期のこの尾根は、曇りの日がちょうどいいのかも知れない・・。

小野 幸氏 奥秩父 付録地図より抜粋

一年で四度目の石保戸山(山梨県甲州市一之瀬高橋) 紀行④

この山へは、最近穂高書房に通って奥多摩関連の山の古書を買いあさっているかず君と去年の今頃(2005年7月)はじめて登りました。その後、縁あって、今回で四度目になります。

この山へは犬切峠から歩くのが正統派なのでしょうが、林道大ダル線がかなり作られていますので、これを使って、一つ先の鞍部まで車ではいるのが容易なアクセスになります。このズルイ手を使うと、標高差200mのアップダウン、時間にして片道1時間すこしを省略することが出来ます。

今回は美味しい所だけかいつまみ登山ですので、林道をフルに使います。何しろ黒川鶏冠山も後に控えているので、最短登頂実現という目的のためには手段を選びません(邪道とおっしゃられる?新ハイキングのかたはきっと落合から歩くのでしょうか?)。

ところでこの気になる「林道大ダル線」ですが、名前からして将来的には、倉掛山の東山腹に出来ているあの立派な林道と繋がるのでしょう。

水楢の大木が枝を広げる防火帯は、夏でも涼しい風が吹きます。石尾根のミズネあたりの雰囲気に似ていますが、ここのほうが遥かに静かで、奥深い雰囲気です。

私は笠取とか将監とかには行き飽きてしまっており(それでも飽きずに年に数回は行っていますが・・笑)、最近はこうした重箱の隅をつつく山で気晴らしをしています。こういうところは人がいるほうが不思議なところです。・・ただし、熊がでたぁなどといって騒がないようにしてください。ここら辺は彼らの居住区の中なのです。

この日は午前中に藤尾山に登ったのですが、その藤尾山が見えます。

水楢の大木

かず君と来た時はガスっていたので、澄んだ空気のなか、趣のある木木に自然とファインダーが向きます。

石保戸山は所謂、双子峰で、東峰と西峰に分かれます。三角点があるのは西峰のほう。今回は頂上の写真は省略します。

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藤尾山(天狗棚山)  紀行④

一之瀬(山梨県甲州市一之瀬高橋)には大学四年の頃から通い続けていますが、この山に登るのは実は今回が初めてです。犬切峠から一投足で登れるので、いつでも登れるというイメージから、つい伸ばし伸ばしになり今に至りました。
山慣れた人なら、犬切峠から小一時間で山頂につけるでしょう。山頂からの道は不明瞭ですので来た道を引き返すのがベターでしょう。

山頂付近は背丈以上もある笹薮、モリ尾根並みの藪の濃さ。

沢沿いは一之瀬高橋、南は伝通院尾根、山は2ヶ月前に登った、倉掛山

行程

犬切峠からしばらく林道を東に行き、防火帯が見えるところから尾根上を進む。
しばらく登って防火帯は終わり、背丈以上もある笹薮のなかの切り開きを進む。
すこしのアップダウンの後、三角点がある山頂に着く。

このルートは私が持っている昭和62年ごろの昭文社の地図には破線ながらも明瞭にルートとして記載されているが、最近の地図には記載されていないようです。
昭文社の編集方針で、より初心の方向けの地図となったのでしょう。(実力のある人は国土地理院の25000図を利用するだろうから。)

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