登山の自由、自由な登山について、

登山の自由について、

僕は日常の束縛から解放される空間として山岳を捉えているので、そこで行う登山の本質について自由を求める。
登山の本質は自由にある。

僕にとって、山を走ることは、自由な山登りを実践するためのトレーニングの一環に過ぎない、
自由な山登りをしたいから、重荷を担いでトレーニングし、フリーウェイトを使って筋力トレーニングを行い、何も持たないで山を走っている。

登山の本質に自由を求めるから、僕は、その自由さを束縛するあらゆる発想、制約的意見を拒絶する。

私にとって、山岳、特に故郷の奥多摩、奥秩父の山や渓谷は、大航海時代の新大陸のようなもの、未開拓の西部地域のようなものである。

そして、その先に、南アルプスがあり、北アルプスがあり、さらには、アジアの山々であるヒマラヤや、ヨーロッパアルプスがある。

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軽装・速攻登山

山に人一倍自由を求める私であるが、普段のトレーニングは、記事にも書いているように、重荷で鍛えている。

重荷の苦しさを知っていると、軽装でのトレイルランというのは、それ自体が自由であることに気がつく。

もっとも、今流行っているトレイルランニングに嵌っている人のほとんどは、重荷で鍛えていないし、

大会志向、大会依存型なので、・・軽装の機動力を生かして、速攻登山を自分の行きたい山、

登ってみたい山で展開してみよう!なんて思っている人は少ない(残念なことだ)。

でも、いずれそういう若者が現われるはずだ。

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