アカヌケ沢の頭より「白峰三山」 1999年1月1日

私が尊敬する山岳写真家は、白旗史朗さんであり、白旗さんは、岡田紅葉という有名な方の内弟子の頃、ここアカヌケ沢の頭から野呂川越しに北岳をみて、北岳との運命的な出会いをなさり、日本の山岳、特に南アルプスに魅了されたと、お書きになっておられます。

この写真は、mamiya RZ で撮影したものですが、このときの写真はどれもなぜかピンボケで一枚もまともな写真がありませんでした。

撮影年月は、1999年の1月1日。

当時は、Diesel のパジェロに乗っており、雪の林道も軽々と走破できたので、大晦日の夜、20時頃に自宅を出て、青梅街道を西に柳沢峠を越え、塩山、甲府へ降り、20号を西へ・・穴山駅あたりからダンボール工場(たしか、内野とかいう工場だったかな?)の間を通過して林道へ、長い長い林道を1時間近く走ってようやく御座石鉱泉に到着。

鉱泉脇の駐車場に車を停めて、夜の11時過ぎ紅白歌合戦も終わりに近い頃に身支度を整えて出発、ヘッドライトの明かりを頼りにピッケルを手に鳳凰小屋に午前4時30分頃に到着。

大晦日だから誰か泊まっていて小屋には誰かいるのだろうと考えていたけれど、宿泊客は居らず、管理人もいない無人の鳳凰小屋の前で、簡単に補給し標高2750mの吹きさらしの稜線へ出る身支度を整え、5時頃に出発。

日の出の時刻は確か、6時40分ぐらいだったように記憶している。小屋からの道には結構時間が掛かり、ぎりぎり間に合った状況だった。
それでも、三脚を立ててカメラをセットし、日の出を待つあいだは賽の河原やアカヌケ沢の頭辺りをうろうろきょきょろするのですが、何しろ吹きさらしの稜線の風が冷たく、カメラ操作のためにダブルの手袋を脱ぐと、しばらくして猛烈な痛みがやってきた(氷点下の寒さのため)。

日の出の光が北岳の山腹の雪を紅に染める瞬間を撮る、シャッターチャンスは一日のうちでわずか1~2分のみ、その瞬間の情景をこの眼で見てみたい!というそれだけのためにはるばる五日市から片道10時間かけて(車の時間を含む)ここに登ったのでした。

ところが現像であがってきたネガを見るとピントが合っていない。フィルムの装填が悪かったのか?ネガかどこかに不具合があったようだ・・。
結局、この写真はボツになってしまった。

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2000年1月1日

満足の行く写真が取れなかったので、翌年の大晦日にも再度同じルートを登ったけれど、翌年はもっと酷くカメラのシャッターが切れなかった。
翌年は、かなりスピードアップして登ったのだが、そのため稜線で一時間ほどビバーグして日の出を待つことになってしまった。
その間、mamiya RZ は電子制御であるので、稜線の吹きさらしに一時間近くもザックからカメラバックごと出して、カメラを組み立てて待機していたのが裏目に出て、機材が冷え切り電池の電圧が下がってシャッターが降りなくなってしまったのでした。

朱に染まるバットレスを目前に見ながら、それを写真に収められなかったのはたいそう残念だった。このときは予備のカメラも持参しなかったのが悔やまれた。

今思えば、馬鹿みたいな失敗だったけれど、登山に完璧なんていうのはないのであり、どの山行でも何がしかの「手落ち」はあるものだと考える。

その後、それに懲りて、わざわざ時間をかけてここには登っていない。Diesel の規制によって、パジェロには乗れなくなり、現在乗っている車は四駆ではないし、車高が低く荒れた林道を走れなくなったのも原因している。いずれ、また四駆に乗りはじめたら此処に行くことにしようか・・。

でも、薄々気づいていたことであるが、この構図は白旗史朗さんの構図であり、私の写真はあくまでも「習作」に過ぎない。

自分だけの構図は、今、奥秩父の山と谷でいくらでも創り出すことが出来る。
・・そう思うと、いまさら此処に行く必要もないか、とも思えるのである。

( 「甲武相山の旅」 2008年5月23日に掲載した記事を元に、記憶を頼りに幾つか書き足しました。  )

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