☆トレイルラン、トレイルレース 雑感

山がそこにあるからだ。  (「甲武相山の旅」 2007年10月5日 収録記事)

最近はトレイルブームで、競技志向の高い方が山に走りに入るケースが多いようだ。

でも、レースがあるから、大会の試走のためという理由がなくても、山に向かう人は多い、・・というか、本来、そういった山々を日常生活の大切な一場面として生活している人がほとんどであろう。古典的なマロリーの名言「山がそこにあるからだ。」はまさに、古典であって、登山の基本であろう。

方や、いま流行りのトレイルランニング愛好者の方々の場合、「レースがそこにあるからだ!」といった理由で、試走のために、山に入ることが多いように思う、

青梅高水山でレースが行われれば青梅丘陵に入り、箱根でレースが行われれば、箱根の山に入り、北丹沢でレースが行われれば、道志の山に入る・・そして、ハセツネのために秋川の山に入る。

・・でも、登山というのはもっと、内面的な動機(レースがあるから山に登るのではなくって、レースなんかに無関係で、まさに生きてゆくために、その人がその人であらんがために山に入ることが必要不可欠であるために山に入る)によって行われるものだと思う。

確かに、レースというのは「切っ掛け」であって、レースを支えるのは内面的なものであるのかもしれないけれど・・。
レースがあるから山に入るというのは、どこか他律的で、私からすると何か制約を受けているようで、山に入っても開放感を味わえないように思える。

レースにもたまには出るけれど、レースがなくっても、山が好きだから、自分が生きてゆくために大切なものだから山に入る、そういう山が好きな人なら 私は大歓迎です。


takigoyama様 御撮影

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トレイルラン、トレイルレース雑感 (「甲武相山の旅」 2008年6月22日 収録記事)

「トレイルランニングは楽しい!」といった売り文句で、トレイルランニング関連雑誌が出版されている(今になって気がついたけれど奥宮自衛官のブログタイトルと同じ文句ですが、けして奥宮自衛官を批判しているわけはないので念のため・・苦笑)。

されども、一般的には(医学的には、といっても良いだろう)、健康に良いのは、ウォーキングであり、ジョギングは、あまり薦められてない。ましてや、マラソンなどは、健康に良いといって薦めるお医者さんはまずいないのではないか?

はっきり言ってトレイルランニングは、街中のジョグやランニングよりもきつい、また不整地を走るので、転んだり、捻挫をしたり怪我をしやすい。山を「歩く」ことよりも、よほど身体にかかる負荷は高い。

街中のウォーキング>街中のジョグ>山道歩き>トレイルランニング

の順で、要するに、身体に与える負荷は、一番高い運動である。
ごくごくありきたりの体力の持ち主にとってはけして「楽しい!」代物ではない。

ただ、雑誌を読むと、そういった「キツイコト」が緩和されて、かっこいいウェアと、機能的なザック、シューズの宣伝・・駄目押しで美しい自然の写真に「もしかしたら、山道を走れるのではないか?」と思うようになり・・、「山を走ってみよう!」と思い立つように仕組まれているから、こういった雑誌は怖い。

以前、新ハイキングの方に伺ったが、CW-Xと、ダブルストック、アミノバイタルがあれば、難コースであっても「自分にでも歩けるんだ!」との根拠がない自信が出て来るそうだ。同じことが、トレイルランニング雑誌の、宣伝ページによって行われていないか?疑問である。

要するに、山を走るということは、雑誌に書いてあるほどにカッコいいものではなくって、気安く取り組める物でもない、もっと汗臭くって、泥臭いものなんだということ、更に、捻挫とか、怪我や故障が起こりやすい、身体に与える負荷が相当なものであるということ、そういったものをもっと、こういう雑誌は正直に書くべきであろう。

これが、一種の、つくりあげられたトレイルランニングの「虚構性」といえよう。

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更に、トレイルランニングには大きな「共同幻想」がある。いろんなレースがこれである。

レースがあるから、レースの開催される山に行ってコースを走ってみる・・これは、まさにレースがあってこそのトレイルランニングであって、トレイルランニングとレースが不可分密接の関係にあることの例証であり、純粋に山を楽しむといった、従来の登山の発想とは、根本的に違った思考をそこに見ることができる。

従来の登山でこれに近い発想といえば、日本百名山があげられよう、百名山の山だから、わざわざ九州とか、四国とか、北海道にまでに出かけていって、登る・・そういう登山をなされてる方も多い。深田久弥が決めた価値基準に従っているだけで、独創性がない!とか、いろんな批判ができよう。

同じように、レースがあるから、そのコースを走るんだといった方にも、百名山派に対してと同じ批判をなすことができるだろう。

・・確かに、レースに参加して、自己ベストのタイムを狙うのは、励みになるのかもしれない。また、レースを通じて仲間と交流するのは楽しいかもしれない、またそういった経験をブログなどで公開すると、ネット上の仲間も増えて、アクセス数も増えるのかもしれない、・・けれども、最近増加中の各種トレイルレースに関して私はどことなく、「興行性の高さ(ひと言で言うならば『商売(金儲け)』)」、「作り物」を感じてしまうのである。

トレイルランナーは、興行性の高いレースに依存するのではなく、レースで順位を競うばかりではなく、その培った体力と、経験を踏まえて、自分自身の走りたいトレイルを走るというトレイルランニングを実践すべきではなかろうか?と思う。

レースに「共同幻想」を見ているトレイルランナーは、レースから離れられないだろうが、「レースを離れてトレイルランニングを語れるトレイルレーサーが、近い将来現れないかな?」と密かに期待している今日この頃である。

<追記・・あれこれ思うことの雑記メモ>

①山岳は、走ってしか楽しめないものなのか?また、そういう楽しみ方が果たして「可能」なのか?

②レースというのが山の楽しみ方の一つとして社会的に認知されるのか?
市民マラソン大会のように、各種のトレイルランニング大会が今後開催されるだろうが、知名度はいまだ低い。

③最近気がついたが、要するに、「レースが好きな人」がこういう大会には参加している。
健康のために街中でジョギングしている人は多いが、みんながハーフやフルの大会に出ることを考えているわけではあるまい。
同様に、山が好きな人が、皆、トレイルレースに出ることを考えているわけではない。

レースが好きでない人、レースに興味を持っていない人も、(社会には当然)いるわけであり、そう人の価値基準も頭に入れて行動するべきであろう。

④「レースが好きな人」が、かっこいいウェアを着て、ハセツネ前には、秋川の山間を走り回るわけだ・・、

⑤レースでそこそこ速く、そこそこ名の通った方のブログを読むと、その方の価値基準が読めて面白い。もちろん、文章に書いてあることのみを読むのではなくって、書いてないこと、何を書いていて、何を書いていないか? 時に何をし・て・い・な・い・か?要するに 「不作為の部分」を読み解くと、彼らの本音(思考パターン)がつかめてくる。(もちろん、私のところでリンク表示を設けてあるWebSiteの管理人の方は、いい人ばかり、⑤に書いてあるのは、リンク表示を設けていない幾つかのブログを読んでの感想です。・・これも誤解を避けるため念のため。)

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