夕照

※ 以下の記事は、「甲武相山の旅」にて、2005年9月7日に作成した記事に手を加え、文章を書き直したものです。こちらにて公開し、元記事のほうは削除いたしました。

夕照・・ドイツ語で言えばアーベントローゼ

美しい夕焼けに特別に名前を付けて、それを概念化すると言うことは、それになにがしかを感じていたからである。
たとえ皆が感じることができなくても、その「種族」のうち、何人かがそれの奥にあるなにがしかを看取出来得たのである。

この目に見えるもの以上を心に感じること、それができる能力を持つこと。
壁の奥にあるなにがしかを心に感じるといったように・・。

同じように、ドイツ語には、曙光という言葉があり、これはモルゲンレーテと呼ばれる。

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今日(2005年9月7日)は台風一過で空気が澄んでおり実に素晴らしい夕焼けを味わえました。komadoさんはウチョウランを見ると、「幸せな気分になれる」ということですが、わたしの場合、今日のような夕焼けを体験すると、感性が冴えて、なにがしかのインスピレーションを得ることが出来ます。

この「インスピレーション」という言葉は、これを体験した人にしか分からないものかと思います。それ故この言葉は人を「差別化する言葉」であり、ある意味「万人に開かれている」internetには不向きな言葉とも言えましょう。

インスピレーションは古くは「神の啓示」とか表現され、現代的に卑しめると「直感」とか表現できるでしょう。わたしがこの文章を書くにあたり、「インスピレーション」(と表現するもの)を体験したことがない方にはどうするべきか?迷いましたが、そもそも私の書くことがらは万人向けではなくって、わたしと似たような感性や、感受性、趣向を持ち合わせた極少数の限られた人にしか解らないと言う「非民主主義的」なスタンスに立たせていただきます。

あらかじめ申し上げておきますが、ここでの文章は別に学歴に関係なく、単に感性が研ぎ澄まされているか否か、そういう経験・体験を積んできているか否か?によって理解が違ってきます。大学を出ているから解るというものでもなく、高卒では解らないとかそういうことはなくって、その方面に感性が開かれているか否かと言うことでしょう。

感性に訴え、それをオバーランさせるような情景に出合ったときに人は何を考え何を思うか?

粋とか芸術的な繊細さを「理解する」にはそれなりの「背景」が必要になります。その背景は一般的な表現を使えば「知識」でしょうが、「知識」を持てば、「感性」を持ち合わせずとも、それに付いて一通りの「説明」が可能となります。こういう点で「知識」とは「万人向け」であり言ってみれば「民主主義的な」ものです。

しかし、いろいろな芸術作品を「生み出した感性」は万人に開かれているわけではありません。「芸術的な作品の創造能力」は万人に開かれているのではなく、ごく少数の「選ばれた者」にのみ開かれています。そういう「選ばれた者(こういう表現を差別的として嫌悪を感じる向きには、わたしの文章は向いておりません)」が創造のヒントを得るのが「インスピレーション(天恵、神の恵)」なのです。

ただ、インスピレーションを受ける者は、独善、独りよがりに走りやすく、絶えず自分を平均的な見地から批判的に眺める努力を怠ってはいけないでしょう。さもないと、「よく切れるナイフを振り回す」危険な狂人に堕してしまうでしょう。・・若い才能ある方によくあるパターンです。

インスピレーションを受ける「感受性」はもとより大切(必要不可欠)なのですが、受けたものを心にとどめて、コントロールして、論理化、体系化して「体現(具象化)」する過程がもっと大切です。この点で、論理化、体系化、具象化への努力をしない「詩人」というものは、ある意味、極めて放蕩的な、別な意味では無責任な存在であるといえましょう。

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今日は散文的に、あれこれ思うことを書き綴っておきました。

「鈍感な人間(こういう表現に腹を立てる方には、『特定の分野において感性が研ぎ澄まされていない平均人レベルの人』と言う言葉を用意しましょう)」、「インスピレーションという言葉さえも理解できない、それにふさわしい体験がその者の人生経験において存在しない人間」には、その言葉を理解できる下地となる「体験」がない。・・この事実がわたしがどこから、どの立場に立って、これからのことを書けばよいのか、迷わせるのです。

上の文章では、カッコ書きで、言い換えその他の説明を入れましたが、これらは本来的には不要なものです。今後のわたしの文章には、このようなカッコ書きは文章の流れ・緊張感のテンポを崩すので用いません。もっとも、誤解を受けうるおそれがあると考える場合には、用いることにします。

写真は、2005年9月7日、五日市の金比羅尾根にて撮影

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