匿名社会とトムラウシ山岳遭難について、

・・・このように事故が起こった後も基本的にバラバラだとしたら、多分、事故当日も参加者各自は今現在以上にバラバラだったのではないでしょうか??そう推察するのも無理がないかなと考えています。 つまり、ツアー参加者に欠けていたのは、体力はもとより、「一致協力する精神」や「相互の助け合いの精神」さえも欠けていたのではなかったか?と思えるようになってきました。


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さて、明日から5月となり、あと二ヶ月で、事故から一年と成ります。 そろそろ議論も尽きてきましたので、このあたりでトムラウシ関連の記事は一区切りとしたいと思います。今後は、刑事裁判の開始を待つことにいたしましょう。

トムラウシの遭難状況を推し量るひとつの手がかりとなるかならないかはわかりませんが、事故の前後を通じて、ツアー参加者とそのご家族(お亡くなりになった場合はそのご遺族)の本質は変っていないのでは、と最近思うようになりました。

基本的に、ツアー参加者というのは、ツアーに申し込んだ点にのみ共通点があるだけの言ってみれば「寄せ集め」の参加者なのですから、思想や、バックグラウンドなどもバラバラな方々です。事故が起こった後も、その態度は、各人各様、意見の統一、意思の統一がなされているか?と問われれば、否、と答えざるを得ないでしょう。

事故の後に、生存者や、遺族の方を結びつける横断的な、組織や仕組みが形成されて、当時の情報の共有がなされているのか?と考えると、警察などでの事情聴取を通じて間接的に他の参加者の見聞が分かるといった程度であるようです。刑事裁判は、検察が主体となって連携的に行うので問題はないでしょうが、民事関係はこれでは問題がいろいろと起こりましょう。(ここでは、問題点の指摘にのみとどめておきます。)

こちらに意見をお寄せいただく戸田新介様は、最近は、2chあたりで議論されていることをベースに、あれこれとお考えになっていらっしゃるようです。2chの議論に反応するべきではないと、以前からアドバイスしているのですが・・。ですので、最近はいささか戸田様ご本人の個人的利害関係(個人的な名誉回復を意図するもの)を扱ったmail記事が目立ちます(それが悪いことだとは思いませんが、上に書いたようなそれよりももっと大きな問題がまだあるものと考えています)。

話を戻して、以上の次第で、事故が起こった後も、参加者や、遺族の方はみなバラバラ、見解や、意見もバラバラで意思統一はおろか当日の現場の状況の認識においても各人各様で統一的に認識がまとめられてはいないないようです。(山岳雑誌に掲載されているような事件の大筋においては共通しているのでしょうが、微細な部分では各人各様であるようです。)家族を北朝鮮に拉致されたご家族の皆さんが、ご存知のように「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」のような組織を作って活動しているのとかなり違っています。

今更ながらですが、ツアー登山というのは、山岳会といった組織に加入してあれこれと人間関係にさいなまれる事なく、プライバシーや、匿名性を維持したままに、好きな山に行けるシステムですので、山岳会と違って、参加者相互の横のつながりが遥かに薄いのでしょう。事故が起こって、10ヶ月が経過した現在でも、情報の共有や、意見のやり取りや、当日の現場の情報の共有やそれにまつわる議論などは、当事者間で積極的になされず、参加者や、その御遺族は、それぞれのスタンスで、中にはプライバシーを厳しく守りつつ、この事故と向き合われていらっしゃるようです。

このように事故が起こった後も基本的にバラバラだとしたら、多分、事故当日も参加者各自は今現在以上にバラバラだったのではないでしょうか??そう推察するのも無理がないかなと考えています。 つまり、ツアー参加者に欠けていたのは、体力はもとより、「一致協力する精神」や「相互の助け合いの精神」さえも欠けていたのではなかったか?と思えるようになってきました。

トムラウシの遭難事故は、現代の、匿名でいられる社会、各人のプライバシー領域への侵入が拒否され、匿名が尊重される社会の縮図のような事故であると評することも出来ると思います。 参加者の皆さんは、直接、間接にそういった社会を作り上げて来た皆さんでもあるわけで、ツアー登山の恩恵にあずかるのも、あるいは、今回の事故のようなツアー登山の災禍に巻き込まれるのも、言ってみるならば自業自得といったところでしょうか・・。

私より上の世代が作り上げた最近流行のこの匿名社会(プライバシーの偏重と相互不信、相互不協力の社会)の価値観に対して、私は、断固拒否して、昔からある別な価値観を主張してゆこうと考えています。 具体的には、私が、山に入るとき一緒に行くのは、実力が十分で、助け合い、協調出来る精神の持ち主の方のみです。 それが私が学んだ登山の正統の価値観であり、そして、こういった価値観は、明治、大正の昔からある極めて伝統的なものだと考えます。

戸田新介様には、いままで送られるmailを記事に仕立て、最近はPDFまで作り上げて、いろいろとご協力いたしましたので、もう山仲間(広い意味での)としての無償の協力、仁義は尽くしたものと考えています。(申すまでもなく、こういった私の思考や営為は、「匿名社会の発想」ではなく、昔からある登山の価値観に従ってなされています。) ツアー登山のような、言ってみれば「匿名社会の申し子」が引き起こした今回の遭難事故に対して、旧来の登山の考えを持っている者として、「出来るだけのことはした」と考えております。

いずれにしても私は登山者相互の惜しみない協力と謙譲を重視する「一昔前の登山」を好む者ですので、商業主義がはびこる現代登山、匿名社会における登山(ガイド登山、ツアー登山)をあまりこころよく思っていません。今回の遭難を引きおこした「つけ」はそうしたツアー登山に身を置く皆様自身で「かた」をつけていただくべく、今後は、さまざまな商業主義的な、営利目的の機関が、いろいろな意図のもとにこの事故を取り扱えばよいと考えております。

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