⑯ 山渓5月号が出ました、⑰ トムラウシ救援要請のあり方、⑱ 盲従、

⑯ 山渓5月号が出ました ( 4月16日付け mail )

おはようございます。

山と渓谷5月号が送られてきました。私の記述に関しても触れられているので、その関係としてだろうと思います。
「トムラウシ山大量遭難 2つの報告書が語るもの」として羽根田治氏が調査報告書の方を、野村仁氏がシンポジウムのほうを担当して書かれています。おのおの2ページの記事です。

私の「私の記録」について野村氏は「青山氏の指導のもと、時系列に分けた表に、記憶・経験をすべて書き並べた。正確な事実の記録だけでなく、事実と食い違う部分、ほかの証言と異なる部分、記憶が不確かな部分も、すべてに本人だけが経験した重要な意味がこめられている。ツアー参加者全員が生死の限界点に立たされ、ギリギリの行動であったことがわかる。」(全文)と書かれている。

「青山千彰氏に聞く」として青山代表の話がある。「トムラウシ ワーキンググループはその後もメーリングリストで活動を続けているが、おもしろいことに、シンポジウム以後は、意見交流が非常に活発となっている。~内容的には法的解釈、組織論、リスク論、自己責任、環境庁の管理責任問題など多岐にわたっており、シンポジウム以上の成果となっている。できれば、活動成果を本にまとめていくことを考えている。」とあります。

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⑰ トムラウシ救援要請のあり方 ( 4月17日付けmail )

おはようございます いつもお世話になっています。掲載してください。
山の遭難のときの救援要請のあり方については、感情的な議論が多すぎると思います。

①一方では山は自己責任だから救援は必要ない。
②他方では救援を要請したのになぜ出動されなかったかというのがある。これは遺族から裁判で主張される。そしてこれに対して第三者が①の立場から山は自己責任だから、救援する義務はない、救援はいわば感謝すべきもので文句を言うのがおかしいと主張され、ネットで裁判を起こした遺族に対してパッシングが行われる。

救援隊の立場からは安易な救援要請が多すぎるとだけ主張され、救援が必要なら早く救援要請をしてほしいということは言われていない。そして遺族からの裁判を考えて防衛体制に入り、救援要請がなければ安堵するということだけを考えているように見える。救援要請がなければ救援隊が遺族から問題にされることはないからである。

私は救援が必要ならば、あまねく行政サービスとして救援の手が差し伸べられるようにするのが建前、理想で、行政はこれを希求するものだと思ってきました。予算が伴うものだから、ポリシーとか優先順位とか仕分けの問題があるから建前どうりに行かないということはあります。しかしそれはやむをえない事情でできないというものであって、しなくてもよいということではないと思う。また制度があるのに利用してはならないというものでもないと思う。

救急車の出動については、安易な119番通報がある。しかし真に必要ならば早く通報しなければならないということは常識になっている。一刻を争うとして。
そして救急車の出動が必要かどうかがわからないときがある。この旨を言うと、担当者はそのセクションに電話を回してくれて、事情を聞いて対策を教えてくれ、様子を見てそれでも直らないならまた電話してくださいといってくれる。山でも同じようなことがあると思う。電話をまわしてくれればいいのだ。いろいろな対策も教えてくれればよいのだと思う。(そういうことはツアー会社も自らするべきだったということはあると思います。衛星携帯を持たせて本部で24時間待機すればいいのだ。しかし行政としても考えるべきだと思う。)

救援隊関係者が「安易な救援が多すぎる」ということだけを言わないでほしい。「必要な場合は早く救援要請をしなければならない」ということとセットで言うべきである。救援隊関係者は遅れた救援要請や、されなかった救援要請ということにも関心を持ってほしい。救援の必要があるところに、行政サービスとして救援の手が差し伸べられるようにするというのが本来行政が目指すものだからである。

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⑱ 盲従 ( 4月17日付けmail )

おはようございます お世話になり、感謝しています。掲載してください。

神戸シンポジウム中の「私の記録」には、引用先の記載のない証言がありますが、これは警察が私に裏を取るために示した他の参加者の証言です。もちろん生還者で、そのうちの誰かが言っているのだと思います。参考にはなると思います。

その中にこのままでは「遭難するのではと思ったが、ガイドさんがいるから安心だと思った」「安心させた」というのがいくつかあります。この感覚が私にはわかりません。冗談ではないと思っています。しかし女性にはこうした感覚が普通なのではないでしょうか。子供のころからの、また家庭を持ってからも、だれかにすがるというのが女性のライフスタイルなのではないでしょうか。男性でも単独行などの経験が浅い人に認められると思います。

そして危機に直面すればするほど何かにすがるというのが不安を鎮めるひとつのやり方だと思います。戦争を引き起こして求心力を高めるというのが政治のやり方であるといいますから、そうした心理は人間に普遍的であろうと思います。盲従というのだそうです。危機になればなるほど盲従することになります。危機になればなるほどガイドにすがるのだと思います。(シンポジウム青山論文P34参照)

今回も参加者は女性が3分の2を占めています。(そして亡くなった人の多くが女性だった。)女性を除いてツアー登山は考えれないと思います。女性がツアー登山を利用する主なる目的はガイドによって安全を確保されることを期待しているのです。2009年の夏は北アルプスでは、トムラウシ遭難の影響からかえってツアー登山参加者が増えたといいます。

自立した登山者であることを求めるといわれているが難しいと思います。ガイドもそんなことはわかっていると思います。後になって自立していないのが悪いといって、ガイドの責任転嫁の理由にしないでほしい。多数の「自立していない」参加者を抱えてきているのは「想定の範囲」だから、ガイドはそれを考慮に入れてガイディングをしなければならない。これは当然のことです。それがガイドにとって難しいのならば企画を変えるべきです。

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⑯ 山渓5月号が出ました、⑰ トムラウシ救援要請のあり方、⑱ 盲従、

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