⑤ 中間報告書に対する疑問点2~自己責任について、

戸田新介様からのmail記事です。

中間報告書に対する疑問点2 (2月21日付け mail)

中間報告書は参加者に対して自己責任の点で不十分な点が多々あるとして、厳しい指摘をしている。(P43~44)しかしツァー山行もガイド山行の一つであって、パーティーの論理は適用できないと思う。わざわざ高いお金を出して、コースと安全の情報をガイドによって賄おうというのだから、このような厳しい指摘を受けるならツァーはいかないのだと思う。自分で行けばいいし、それがだめなら辞めればいい。ツァー参加者の誰に聞いてみても同じことを言うと思う。ツァー登山というものを禁止しない限り実現が不可能なことを言っていると思う。

もちろん登山は危険なもので、究極的には自分の命は自分で守るしかないし、ガイドの責任を言っても、命が帰ってくるわけではない。そういう意味で会社の選択を含めて(どういう会社を選ぶかは自己責任だという意味で)自らに降りかかってきますよ、コースの情報を知っておくべきだとか、低体温症について知っておくべきだというのは分かるのだが、それは心構えの問題だと思う。命を守るのは最終的には自分ですよという形容詞をつけて語られるべきものだと思う。

ツアー山行を語るならツアー山行に参加してからにしてもらいたい。ガイド協会にはツアーをこなすたくさんの現役のガイドがいるのだから、その人たちの話を聞くべきだと思う。中間報告書のようなことを言って実現ができるのかと思う。尖鋭的なクライマーの考えや山岳会レベルの伝統的な登山者の考えでなく、大衆登山という考えに立って述べてほしい。この流れを受け入れるしかないのだと思う。ツァー山行の会社はこの流れから利益を受けているのだから、この流れに即して解決方法を検討していただきたい。この調査はその意味で大衆的登山の時代にふさわしい調査の体制を敷いているのか疑わしい。もっとほかの人がやるべきでないかと思う。専門の登山者ばかりではと思う。ツアーの実情を分かっていないのだと思う。

現在地の確認がされていないし、時間管理が不十分であるし、認識不足があるという。しかしツァー参加者は現在地の確認、時間管理等は普通はしていないと思う。ツァー慣れというのだろうが今回の事故のようにガイドの機能がなされなくなった場合でも、自分で帰ってこれればいいわけで、帰ってこれなければ覚悟の上である。確率の問題でやらなくてもいいと考え、万が一の事態になってもそれが致命傷になるのではなければいいと思う。外国へ行くのではないのだから。

「自立できていない」と言うならツアーの参加基準を厳しくするなり、ときには審査を厳しくすればいいのだと思う。

「最終的には自己責任が基本となる」という意味は、自分の命は究極的には自分でつけを払うものですよという心構えの問題で、参加者はそれは覚悟してきていると思う。

ツァーは通常のパーティーではないのだから、パーティの論理は成り立たない。参加者には他の参加者に対する救助の用意はない。それはガイドがなすものとして成り立っている。中間報告書のように「いったん行動を開始したらパーティである、との強い認識を持ちたいものである。」とある。持ちたいものであるかどうかではないでしょう。持つべきかどうかでしょう。しかし持つべきだとはいえないのだからこういういい方をしたのだと思う。ツァーでは参加者同士は一緒に行動するという程度の認識で成り立っているのだと思う。見もしない人が突然集合するのだから、いろいろな人がいるわけで会話をするかどうかはその人の自由だと思う。初めてあった人とつながりを持つかどうかは自由だと思う。つながりを持てと強制するわけにはいかないと思う。パーティーと異なり参加者相互に情報の共有はない。何をしていいかわからない。それがだめだと言ってもそれが現実である。積極的に情報の共有をせよと言っても参加者だけで15人というのは情報を共有範囲を超えている。危難に遭遇した時は、ガイドができないときは、他の参加者はボランテァとして救助に参加するだけ≪である。≫

「ピークコレクション」という。そういう人がいることを否定しない。(私は違います。)しかしそれも文化であり、とやかく言うことではないと思う。「スキルアップ」という。参加者はそういう認識はないと思う。アスリートの認識はない。日常の楽しみの一つとして行くだけである。思い出作りとしてと言っていいかもしれない。

参加者は危難が予測されるときは、自分の能力に照らし合わせて撤退を含めて判断をして、能力を超える疑いがあると思った時は撤退して危難を避けるのである。これが自己責任の取り方なのである。ところが今回は自己責任を超えるところに追いやられたのだと思う。だから自己責任のことを言われるいわれはないと思う。あとは登山では危険がつきものだから、最悪の時は覚悟すべきであるという自己責任が残るだけで、それは覚悟してきているのである。

P42~P43の記述は不可能なこと、実情に合わないこと、認識が大きくずれていることを言っていると思う。こんなことを言って今回の遭難事故の本質をあいまいにしないでいただきたい。参加者にも問題があると言いたいのだと思うが、私の考えではそこまで言うのかなあと思う。遭難事故の原因に因果関係がないことをいろいろ言って、あいまいにしないでほしい。人間だから完全ではないし、理想的な参加者のレベルからはもちろん外れているのは事実ですが、それが今回の事故の原因ではないだろう。「らくらくプラン」を選ぶべきだったのに選ばないことが、原因の一つと言っているようにも取れる。

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