① 誰がリーダーか?

戸田新介さんから久しぶりにmailをいただきましたので、戸田様のご希望に沿って、ここに掲載させていただきます。

「 誰がリーダーか? 」 2月16日付け mail

おはようございます。掲載をお願いします。

誰がツアーのリーダーかについて、私は多田ガイドしかないと思ってきました。その後遺族の人から聞いた話によると、誰がリーダーかは警察機関に届けることになっていて、吉川ガイドがリーダーとして届けてあると言います。警察に聞いたのだそうです。ガイド協会の調査特別委員会の中間報告書もこれを根拠にして、吉川ガイドを「リーダーA」と決めて記載しているのでしょう。

しかし多田ガイドがリーダーとしての重要部分のほとんどを行ってきたことは事実ですので、その点についての責任はあるというのが私の意見です。彼がどういうことをしてきたかについては私の先のメール「吉川ガイドがリーダーとされたことについて」で述べました。多田ガイドはサブリーダーと言った方がよいかもしれません。サブリーダーもリーダーとしての責任はあると思います。

多田ガイドは重要なことをすべてやってきた、吉川ガイドの方では多田ガイドにほとんどの決定を任せていた。しかし多田ガイドには自分がリーダーだという自覚がなかったかもしれない。吉川ガイドの方では自分が先頭に立って決めようとは思っていなかった。つまり二人の意識に食い違いがあったのだと思います。

エスケープルートの選択、ヒサゴ沼避難小屋への撤退、早い時間に救援を要請すること、出発するのか、ビバークするのか、このような重要事項について多田ガイドは自分はリーダーではないから、自分が切り出すのが義務であるとまでは考えなっかたのではないでしょうか。、他方で吉川ガイドは多田ガイドが言い出さないので大丈夫と思っていたのでしょう。私はこれが決定が回避された原因だと思います。

全国から集まったガイド達の間に綿密な打ち合わせはなかったのではないでしょうか。形式的に基準を満たした形にそろえた3人のガイド、しかもガイド間の連絡手段が歩くことしかないのだという。

トランシーバーについてガイド達は遺族に対する説明で、「トランシーバーは持って行ったが、雨だからザックの中にしまっていた。」と言っていたそうです。

休憩があればガイド間の連絡が取れるが、ヒサゴ沼分岐から北沼分岐までの間で取った休憩はわずかしかない。そのうち天沼までの2回の5分の休憩だけがガイド間で連絡が取れただろう休憩だと思われる。しかも吉川ガイドは遅れてくる人についているので、5分の休憩では話し合う暇はなかったのだと思う。3回目は大粒の雨が降ってきたので2分で切りあげた。ロックガーデンの前で多田ガイドは10分の休憩を指示したという。多田ガイドはこの時に吉川ガイドと撤退を含め相談するつもりだったかもしれない。しかしOさんが寒いから出発しようと言ったので切りあげたという。吉川ガイド達は大分遅れていたはずで10分待っただけでは休憩地にやっては来られなかったのではないでしょうか。結局ガイド間で相談することもないまま、北沼分岐まで来てしまったようです。

こういう場合は先頭の多田ガイドが自分の一存で決定するほかないのだと思う。しかし多田ガイドは自分がリーダーでないからとして、一存で決定することをしなかったのだと思う。

先頭には決定の権限と義務を持つリーダーが配置されるべきでしょう。そうでないなら少なくともガイド間の連絡を絶えずとれるようにしておくべきだと思う。あるいは連絡が取れないときはサブリダーが一存で決定するように徹底すべきです。そうしなかったことが今回のトムラウシ遭難事故の原因だと思います。これはもちろん私の個人的な意見です。

多田ガイドは自分をリーダーとしては、あるいはガイドとしては見習いと思っていたのかもしれない。彼は一人奮闘したのは事実です。登山中彼だけが動いているように見えた。多田ガイドが会社からは見習いとして扱われ、自分自身も見習いのつもりであったのであれば気の毒な面があると思う。彼はとにかくビバーク組として残り、逃げを打つことはしてはいなかった。

吉川ガイドについては後続者をとにかく北沼分岐まで連れてくることに全力を挙げたのだと思う。大変な様子が証言として出てきている。吉川ガイドは全員を下山させるのが仕事と言っていたそうだが、北沼分岐までしか履行できなかったということでしょう。彼は力尽きたのだろう。スタミナを使い果たしたのに長時間の待機をしたため、低体温症になったということではないでしょうか。休めば回復すると思って休んだ結果ではないでしょうか。彼は安請け合いをしたのだと思う。何も予備知識のないトムラウシのしかもリーダーという大役を引き受けてしまったのだと思う。サポートに徹したけれど判断をする人がいなくては追いつかなかったのでしょう。

中間報告書では彼について「リーダーが後方に残るということは、登山の常識ではちょっと考えられないことである。リーダーはあくまでも本隊と行動を共にすべきではなかったか。」(P40)といっている。しかし彼のやってきたことは初めから遅延者のサポートに徹してきて、リーダーらしいことはしてこなかったので、後方に残ったのも不思議ではないと思う。会社からは後方のサポートをやってくれればいいと言われてきたのではないか。会社はリーダーというものを形式的なものと考えていたのでしょう。そしていままでそれで通ってきたのでしょう。

Mガイドについてはこれまで言ってきましたので、今まで述べなかったことを書きます。中間報告書に「女性客Jの付き添いにリーダーAとガイドC(Mガイド)を残して、本体は・・・移動を開始する。ところが、雪渓の上まで出た段階でガイドB(多田ガイド)が振り返ると、ガイドCが追いついて通常の列の中ほどに戻っていた。しかも・・・2人足りない。」「北沼分岐に・・・まだ残っていた。」とある。(P11)Mガイドは2人も吉川ガイドにまかせたつもりかもしれない。「吉川ガイドはどこかうつろだった」という。(Mガイドの証言P11)

山渓2月号ではトムラウシ分岐の下で「オーイ」と答えたのは亀田さんだという。Mガイドは亀田さんたちが「ついてきていることを認めたら、待たずに先に行ってしまった。」のだそうです。亀田さんはそこで10分か15分待って後続を確認して「オーイ」と叫んで知らせて降りて行ったのだそうです。(P175)

今までトムラウシ分岐での彼の行動について書かれた二つの文書は何だったんでしょう。8月7日時点における弊社の認識内容と中間報告書です。弊社の認識内容についてはすでに書きました。中間報告書ではトムラウシ分岐で、「彼が立ち止まって振り返ったところ、列がバラけて、彼が見る限りでは8人しか来ていなかった。」とある。(P14)見えない物をどうして見えたのでしょう。私は8人に入りますが亀田さんの「オーイ」という声しか聞いていません。まして10分か15分も前に下って行った人の姿は見ていません。

彼についてはアルバイトのつもり、ポーターの意識だったんでしょう。心構えがなかったのです。個人的には同情します。

このパーティはパーティの体をなしていないと言われているそうです。私もそう思います。会社がどのようにガイドを配置したのか、幹部社員がどのように監督してきたのかが問われると思います。

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このmail のPNGデータ とPDFファイル

誰がリーダーか?2月16日mail PDF

 ※ PNGデータはクリックで拡大します。

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※ 補足資料①  吉川ガイドがリーダーとされたことについて。 2009.12.11 mail

トムラウシ山遭難事故調査中間報告を読んで・・、戸田新介さんのご意見
所収 以下引用します。

吉川ガイドは中間報告書ではリーダーであるとされています。

いままでアミューズはだれがリーダーであるかについてなにも説明をしていませんでした。先のアミューズの「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と言う文書は「本年8月7日時点における弊社の認識内容」とされていますが、これには誰がリーダーかの記載はありません。

先ごろアミューズはガイド二人とともに遺族に謝罪に訪れたと聞きました。その時二人のガイドは吉川ガイドがリーダーだと一致して主張し、リーダーが決めたことに従うしかなかったと言っていたそうです。

これらは、8月7日時点から遺族を訪問するまでの間にガイドたちと会社で打ち合わせた結果なのではないでしょうか。

8月7日の文書では「多田が行程を説明し、」「同じくガイドの吉川より東大雪荘に郵送する荷物のご案内をする。」とあります。ここからは多田ガイドがメインガイドの仕事をし、吉川ガイドは添乗員的仕事をしているのではないでしょうか。

同文書で7月14日の夕食後「多田は携帯の天気サイトで上川地方の天気図を確認。」とあります。また7月15日の夕食後「翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想」とあります。これらの行為はサブガイドの行為を超えているのではないでしょうか。そして吉川ガイドの関与の記載がありませんが、重要ではなかったからではないでしょうか。

名義上のリーダーが誰なのかは知りませんが、登山で重要なのは実質的決定が誰によってなされたかだと思います。それによってリーダー性を判断するべきです。その意味で多田ガイドがリーダーだったのだと思います。吉川ガイドは迷った時の相談役だと思います。多田ガイドの経験不足を補う役を期待されてきたのではないでしょうか。

調査委員会はアミューズの自発的協力によって成り立っているわけで、アミューズがここまではと思って出した以上のことはなかなか難しいのだと思います。吉川ガイドがリーダーだと一致して主張しているものを調査委員会が疑わしいとして調査することは期待できないのではないのでしょうか。質問に工夫がいるのだと思います。報告書はそういうものとして読むべきだと思います。アミューズが譲歩して出した事実にもとづいた判断でしかないと。

※ 補足資料② 中間報告書関連

中間報告書40ページ

中間報告書11ページ

中間報告書14ページ

※ 補足資料③ アミューズ・トラベルの見解 ~ 8月7日時点における弊社の認識内容 

以下に掲げています各データにつきましては、「北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答」 にて掲載してあります。

tomuraushi0716

上の文書のPDFファイルは以下となります。

文書1
文書2
文書3

上記アミューズ社の見解に対する戸田様のご意見は以下となります。

「トムラウシ山の遭難事故の経過について」に対するコメント」(PDF版)

上記 PDFファイルの内容を以下に掲載します。

「トムラウシ山の遭難事故の経過について」にたいするコメント

この文書では2人のガイドの言っていることだけが実質上問題であるが、斐品氏の言が客観性を装うために利用されている。斐品氏の言がなければ2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう。だから修飾物ははずしてかんがえればよいと思います。幸い斐品氏の言はガイドたちの言とは関係のないところを述べているだけで、斐品氏の言を外しても差しさわりがないようです。

本当は少なくとも生還者全員の証言を集めて、あるいは突き合わせてこうした文書を作るべきだと思います。最初が肝心なのです。しかし会社はそんなことには関心を持っていないようです。残念なことです。

16日の出発にあたっての経緯について全く触れられていないのは妙であります。だれが最終的に決行を決めたのか。その理由は。お客が辞めたいと申し出たといわれていることについて何も触れられていないのはどうしてか。だれが申し出たのか。死人に口無しとして黙らせるのか。ガイドに聞きたいのであるが、全然触れられていないのはどういうことか。自分は川角さんではないかと思っています。ガイドは彼女の希望を一蹴してむりに歩かせたのでないか。もちろん無事下山できると思っていたでしょうが。彼女は14日の旭岳から白雲岳へ行く途中からおかしかった。道端で「ゲー、ゲー」とやっていた。翌日もやっていた。食事も十分とれなかったと言います。山に来て体調が悪くなったらどうするんですか、縦走登山の場合はどうするんですか。強引に連れていったのではないですか。それでも自己責任というのですか。

次にこの文書で一番の焦点、争点となるものは「30分」という時間だと思います。「渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分行動を停滞させた。」とあります。膝下の深さに増水して立ち往生している客たち(3人)をガイドたちがなだめすかして渡すのだ。しかも松本ガイドが転んで水につかったというのだ。それだけで優に30分は費やされるだろう。30cm余の深さを渡すには場所も探さなくてはならないし、客は躊躇して容易に渡ろうとしないだろうし、ガイドが転んだのであれば1時間以上掛ったのではと思われる。水掛け論に持ち込みたいのでしょう。

川角さんが連れてこられたのは、最初は吉川ガイドのところである。吉川さんがテルモス(魔法瓶)の湯をあたえていた。そこに20分ほどいて、松本ガイドのところに移された。松本ガイドがマッサージとテルモスの湯(紅茶だという)を与え、肩を抱いて大きな声を出してゆすっていたのを自分は見ている。自分は彼らの2mほど前にいて、一部始終を見ていたのであります。自分はこの間の時間について川角さんが北沼分岐に来た時から40分と書いています。⑭のところです。

自分は停滞の時間を2時間と見ています。会社は30分としたいのだと思います。この時間が自分は低体温症に次々とかかった原因だと思っています。会社はそれを避けたいのでしょう。今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない。そして少しでも調子が悪かった人から低体温症にかかったと思います。7人は死ななくてよかったのにと思います。ガイドはケアなるものに熱中していたのです。ガイドは全体の安全を考えるという1番重要な任務を忘れていたのだと思います。自分は初めからこのことは言っています。待機すれば彼女が回復するとおもったのでしょうか。出発から何度も繰り返して、ついに彼女が眠り込みそうになりあわてたのでしょう。自分は何が起こっているのかはよく分からなかったが、自分が叫ばなければ彼女が冷たくなるまで停滞したかもしれません。見殺しにすることは忍びないとガイドは言っていたと社長は言う。この場合についてなのかはわからないが、ことは同じだと思います。これが言い訳になると思っているのでしよう。ガイドの任務はそんなところにはないと思います。冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべきです。しかしかれらはこの点で何もしなかったと言えると思います。故障者のケアなるものに取り紛れて全体の安全をまったく考えなかったと思います。頭を使えと言っているのです。

時間について自分の考えを述べておきます。批判をお願いします。また違ったことを言っていたら訂正します。稜線に出たのが6時10分。小川を渡って北沼分岐で停滞が始まるのが10時。12時に多田ガイドが歩ける人は歩くという。しかし新しい故障者が出て12時30分の出発となり松本ガイドが率いる。4時前、彼はコマドリ沢出会いの上200mぐらいのところ(雪渓の下100m)につく。前田さんが110番する。

低体温症の認識がガイドにあったか、皆がガイドに聞きたいのに会社は明らかにしようとしていません。これがもう一つの争点です。組織としてのアミューズに低体温症の認識はあったのか社長に聞いても何も言いませんでした。会社の出したパンフレットからは低体温症のことはうかがえません。都合が悪いというのでしょうか。

多田ガイドは救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。さらりと書いてあるが、これはなんなんだ。かれは携帯電波が南沼キャンプ地方面で通るということを知っていたということなのか。すくなくとも探しに行くということは通じるかもしれないと思っていたということは言えるだろう。そうするとなぜ彼はもっと早く救援要請をしなかったのかが問題となる。このようにこの文書では皆が聞きたがっていることが全く触れられていないのであります。多田ガイドは何を考えていたのだろうと皆が聞きたがっているのに。次々と動けなくなる人が出てきたのに、救援依頼をまっ先にしなければと思うのに。12時~1時に連絡を入れていればと思うのに。何を考えていたのかと。

松本ガイドの言い分なるものについて。彼は「ゆっくりしたペースでトムラウシ分岐に」という。しかしかれは女客が通常の歩行能力を失っていることを知らないのだ。ペースに付いていけないのは当然であろう。トムラウシ分岐で点呼したというが、これはウソである。彼は分岐にいなかった、分岐から20m以上下に降りた、姿の見えないところから「オーイ、オーイ」と叫んでいた。自分が「オーイ」と答えてやると気配が消えた。下って行ったのである。点呼したというのはあり得ません。「8人しかいなかった」というのもウソです。かれは客の2人がいなくなったことをどうして知ったのか。先頭にいて分かるはずがありません。自分は彼と2人の客の先頭グループにいましたが後続が遅れるので後詰めに回ろうと後ろに下がったのです。それで2人がいないことに気が付き彼に知らせようとしたらかれは声だけ残して下って行ったのです。8人の客に「道標にむかって下山してください」と伝えたというのも妙な言い方です。全員に伝えたというのか、自分は聞いていない。きちんと点呼を取っていてそこにそろっている人には、次にどちらへ行くかはいちいち声を出さなくてもわかるでしょう。ついていけばよいのだから。だから作文だというのです。

彼は常に先頭にいて後ろの客のことは念頭になかったのであります。後続の女客5人の歩きはぎこちなく足に力が入らなくてよちよちと歩く状態です。彼はそんなことは知ろうとしないのです。一方で極限状態であったと予防線を張っている。言い訳にしている。彼はまだこのあたりでは余力を残していたと思われ、だから先頭に立って下山したのでしょう。だからこれはマズイ予防線であるとおもいます。自分がサバイバルのみで動いたことの告白にもなっています。だれが作文を書いたか、ほかにいるのでしょう。

会社は当分2人を手元に置いておかなければならないと考えているでしょう。皮肉なものです。

4時前に前田さんが110番したこと、ガイドが110番してくれと頼んだことは前田さんの証言ではっきりしている。そのあとはよく覚えていないというのはこれも嘘であります。ただここではこれまでとしておきます。

多田ガイドが松本ガイドに救援要請の指示を出したのかどうか。多田ガイドはこれについて何も言ってないから指示はないとみるべきでしょうか、。社長はこの辺のことを言うが思惑によるとして聞いておくのがよいでしょう。松本ガイドに頼んだ救援依頼のかくにんのためにも電波を探したと多田はいってると社長は言いました。多田ガイドは探せば携帯が通じると知っていたようだから松本に頼む必要はないとかんがえるべきだとおもいます。松本ガイドは自分の考えで110番したいと思ったのでしょう。

吉川ガイドについて。警察は彼も水につかったという。アミューズ社長は松本ガイドだけという。いずれ明らかになるでしょう。彼はなぜ死んだのか不思議である。このこともこの文書は何も触れられていない。聞くところによると、彼は自分の服を客に与えたといいます。自分の意見はこういうことはしてはならない、ガイドは客の安全のために自分の命はおろそかにしてはならないとおもいます。生き残ってこそのガイドだと思います。彼が死んだことは大量死の大きな要因になったでしょう。今回は両極端の形にガイドの生と死があらわれたことになります。  以上

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