Scott McKenzie – San Francisco

トムラウシの報告書の完成版もまだ出来ていないようだし、あのレースについての批判もとりあえずはやり尽くしましたので、これらの話題についてはしばらくお休みです。しばらくは、アクセスは度外視して、好きな記事を書いてゆきます。
トムラウシ関連の記事、あのレース関連の記事は、右の欄に記事目次があります。レースに出てよいタイムを狙おうという人にも、反対派に回ってあのレースを潰してやろうという人にもあれこれと「使えるネタ」を書いてあります。

Simon
Of course not. I’m a soldier, not a monster.Even though if
I sometimes work for monsters.
No, the real bomb is on this
ship.

トムラウシにしろ、ハセツネにしろ「怨恨」というものが寄り集まって、私をしてそれらの記事を書かせたようなものですが、そういうものが私に寄り集まり過ぎても・・どうも重苦しいところがあります。

私にとって、山とは、浄化の場ですので、重苦しくなりすぎた私の心を浄化する必要があるようです。

・・というわけで、しばらく、トレイルランナーの諸君にも、山やの皆さんにも、関心がない記事、疎い記事、関係がない記事を積極的に書いて、皆さんが来ないところ、手を出せないところに雲隠れし、気分転換を図ってやろうと計画しております(笑)。

久しぶりにコメント受付を再開しますので、お気軽にコメントをお寄せください。
ただし、あんまり返信に手間がかかるような重苦しいコメントは駄目です。
楽しいコメントのみ受け付けます(微笑み)。

映画フォレストガンプのワンシーンにも使われている。有名な曲である。
私にとって60年代のヒッピー文化というのは世代も違うし、場所も遠い異国の世界の話だが、テレビを通じて伝わってくるベトナム戦争とこのヒッピー文化は、それこそ原宿・渋谷あたりのファッションモードよりも深く私の心を規定していると思う。
もちろん、ヒッピー文化はトラディショナルな文化に対する対抗として生まれてきた文化であり、保守的な階層の厳然とした存在を忘れてはなるまい。あの映画の場合、ある意味、その保守的な階級の代表がフォレストなんだと思っている。

規範的、規律的なもの、軍隊的なものの対極にヒッピー文化はある。
ピッピー文化は「乱れ」の文化なのかもしれないが、「乱れ」も、規律ある保守的な階級的な文化がきちんとあってこそ生まれたのだといえるだろう。

わが国のモードは、そういった階級的な文化を背景にしていない点で、ちょっと違うような気がしている。
規律ある保守的な階層・・それがもしわが国にあるとしてもそれは、文化を語れるほど成熟してはいない。

否、むしろ、そういった階層は瀕死の状態にあるのではないか?
で、結局、成金が一世を風靡し、階級なきモードが流行り、出自の文化なき成り上がりも、ブランド品を購入することにより「文化という着ぐるみ」を身に纏うことが出来る。

それはちょうど、ヴィトンのバックを、水商売の女性が身につけるのに似ている。
ヴィトンのバックを身につけると、誰でも貴族になったような気分を味わえる・・しかし、出自というものは、お金では買えないものなのだ。

同様に、わが国の若者が、ヒッピー風の身なりをしても、それはまさしく「ヒッピーの着ぐるみ」を着ただけに終わるのである。

Forrest Gump – San Francisco Music Video

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