トムラウシ山遭難事故調査中間報告を読んで・・、戸田新介さんのご意見

中間報告を受けて、戸田新介さんから送られてくるmailを順次掲載して行きます。記事の右はmail受信日時です。
前後の流れがわかりにくい場合にのみ、「」を入れてゆきます。

まず、以下は、戸田新介様が、この中間報告書に関して、日本山岳ガイド協会に宛てて送ったメールとそれに対して日本山岳ガイド協会から戸田様宛てに送られてきた返信です。 戸田様のご希望に沿って、原文のままここに公開させていただきます。

silvaplauna


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社団法人日本山岳ガイド協会 トムラウシ山遭難事故調査特別委員会御中

私に就いての記述に誤りがあるので訂正していただきたい。

調査委員は私には行動に就いて何も質問されなかったので、そういうことは調査しないと思っていたら、みなさんの回答が載っているので意外に思いました。私に就いては質問する必要がないと思われたのでしょうが、私に就いて書かれるなら確認を取ってもらわねば困ります。これは常識に属することと思います。

ネットでは私に対する中傷的記述があるので困っています。私が言ってはいないことを放置すると、いつまでもそれをもとにした書き込みに悩まされます。特に調査委員会と言う半ば公的な機関が公表するとなると事実とされてしまいます。それで訂正を申し立てるのです。

①P11 22行目「どうなっているのですか」と聞いたとありますが誤りです。私は「どうするんですか」ときいたのです。これからの方針を聞いたのです。吉川ガイドの「様子を見る」と言う回答も「どうなっているんですか」に対する回答ではおかしいでしょう。

②P11 25行目「早く救助要請しろ!」とありますが、これは間違いです。「救援要請しよう」または「救援要請すべきである」と言ったのであって,「救助要請をしろ!」といったおぼえはありません。これに就いては、多くのマスコミに対する説明で省略的に言ったこともありますが、それをもって私の発言として公的に記録に残されては困ります。だから私に確認してほしいと言っているのです。

③P16 27行目「彼を怒鳴りながら降りて行った」とあるが、これは誰が言ったのでしょう。長田さんしかないと思いますがそうですか。そうなら彼女に問い合わせてみます。私はそんなことを言ってはいません。「あんたはガイドだから、客とは違うから仕事をしっかりやってくれないと困る」と言ったのです。自分が怒鳴ったと言うのは間違いです。彼女がどういったか知れませんが、私に何も確認することもなくこういう記述を書かれては大変困ります。

私の発言に就いて書かれた記述は以上の点だけですが、そのほか私の行動に触れた記述も含めて考えますと、「私は他の人の救助は何もしないで、ガイドを怒鳴り散らす手前勝手な人間である。」という印象を与えるものとなっているが、どうしてこんなことを書くのですか。とにかく中間報告の公表の前に訂正していただきたい。

「遭難事故パーティ行動概要」を記述した人がいると思いますが担当者の記載がありません。そしてP21には「特段の意図はありません」とわざわざ記載してありますが、これはどういうことでしょう。特段の意図があるからこういうことを書くのではないですか。普通はこういうことは書かないものです。

P40「一部参加者の不満が爆発している。」とあります。こういう評価をされたのだと思いますが、私は同意できません。私は遭難の危険を感じたので皆の同意を求めるつもりで叫んだのです。あの段階ではガイドを含めて誰も全員の遭難の危険を考えていなかったのだと思います。それとガイドに対して方針を決めてくれと言ったのです。こう着状態を打破したかったわけです。こういう評価は偏った評価だと思います。

中間報告と言いますけれど、公式なものとして残るものでしょう。委員の方全員の同意を得て公表されるものですから、私のこのメールも全員に見ていただきたいと思います。もみ消しにしないでいただきたい。

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これに対する日本山岳ガイド協会からの返信

戸田様

大変世話になっております。

不快な思いをさせてしまいまして大変申し訳ございません。
ご指摘いただいた箇所につきまして訂正させていただきました。

ご連絡ありがとうございました。

社団法人日本山岳ガイド協会
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調査特別委員会に送った訂正申し入れのメールの内容について一部訂正します(2009年12月9日付 mail)。

訂正前の中間報告書にある、私が「怒鳴りつけて降りて行った」という記載について、「誰が言ったでしょう。Oさん(女性客A)しかいないが」と書きましたが、その後ガイドCがいることに気付きました。どちらかの証言がもとになっているのは確かです。後で述べるようにガイドCの証言だと思いますので、Oさんには謝りたいと思います。
訂正前の中間報告書の該当部分(P16)には、Oさんの証言に続いて、私が「怒鳴りつけた」とあるので、私はてっきりOさんしかいないと思ってしまったのです。報告書の筆者は証言者を隠してマジックをかけたのでしょう。ガイドCの証言と書くわけにいかなかったのでしょうか。それだったらこうした事を書くべきでないと思います。
彼は低体温症だということですから、私の発言内容は分からず漠然と怒鳴りつけられたと思ったのでしょう。

なお、あるブログでは、私が「怒鳴りつけた」、「小突きまわした」、そしてガイドは「逃げ回った」という記載がありますが、わたしがガイドに話したことは、ガイドAに「どうしまっすか」ときいたときと、この場合だけですので、何だろうと思っていました。このことを言っているのだとおもいます。会社関係から流されたのでしょうか。
重ねて言います。私は「あんたは客ではないから、ガイドとしての仕事をしてくれんと困る」と言っただけです。

なお、私はガイドCが携帯をかけているのは見ていません。私が降りて来た時は彼は何もしていませんでした。Oさんからは彼が寝ていたと聞きました。彼女が電話をかけさせたということは、後で彼女と再び合流した時に聞きました。このあたりのことはこのサイトの中に記述してあります。だから中間報告書ともあろうものが、私が「それを見た」などと間違ったことをよく書くのだと思います。Oさんに聞いてもらってもいいです。ガイドCなら低体温症で記憶がないのでしょう。だから報告書の筆者が作文したのでしょうか。適当につなぎ合わせたのでしょうか。

私はガイドCに対しては何を言っても仕方がないと思っていました。高妻山で彼と一緒に登った時の経験がありますから。それにサブガイドの報酬が幾らか知りませんが安い額で、しかも夏休みの代わりだと思っていたら、厳しい責任に直面して悪夢だったと同情します。

ここで私がOさんに言われて竹内さんのサポートに加わり、のちに味田さんが転んでOさんがそちらに回り、私がひとりで竹内さんのサポートをすることになり、そこから離脱した過程までを書いておきます。これは初めて書きます。マスコミに聞かれたこともありますが十分整理していないので答えられませんでした。

私は5人の女性客の後につきました。私と5人の客はついにガイドから見放されたと思いました。BガイドはCガイドにまかせて視野からはずし、C ガイドは先を急いだので、結局生き残るには自分 で歩き続けるしかないことになりました 。皆生き残るためにひっしで歩きました。本当です。

竹内さんをサポートして歩くのはとにかく時間がかかります。しかもほかの女性客もほとんど同じペースですから、一人で歩いている人も倒れる寸前でした。生き残りたいという気持ちだけです。

ビバークのことは考えました。しかしツェルトはないし(シュラフカバーを代用に持って行きました)、コンロはあるがボンベはヒサゴ沼に置いてきました。装備はないからできないと思いました。

知識もないし心構えもないし、どうしたらいいだろうと天を仰ぎました。ただ絶対死なないぞとなんども心の中で叫びました。生きて帰るんだと。
雪渓を竹内さんを座らせてつえで引っ張っておろしたところ、その間休んだ形になるのでふたたび動けないのです。そして次は岩場でした(P30の1850m地点でしょうか)。私は彼女を生きて連れて行くことは到底できないと思いました。これが「範囲を超えている」と言ったことです。それでOさんに抜けると言ったのです。私も残って生き残れるかどうかまでは考えませんでした。彼女の息がなくなるまで見守ると言うことはしませんでしたので、見殺しにしたという意見がありますが言い訳はしません。世間知らずだったのでしょう。

こういうことがあってからガイドCに会ったので、つい「仕事をしてくれないと困る」と言ったのです。ガイドCは後ろめたい気持ちがあったので怒鳴られたと思ったのでしょうが私としてはそんなことを言われても心外です。

トムラウシ山遭難事故調査中間報告をよんで 2009.12.10

報告書の中心はマスコミにあるようにP39からの「遭難事故要因の抽出と考察」にあると思います。
指摘されていることは今まで私を含めた参加者が証言し、裏づけられてきたことばかりだと思います。報告書はそれをきめ細かい聞き取りによって確認したものと言えます。
アミューズの方は黙して語らずを続けてきたが、この調査で一部証言し、指摘されてきたことをガイドの側から裏づけた形になったのだと思います。
調査委員会は1月末に報告書を完成させると言うけれど、ガイドと会社に対してもっと強い聞き取りを求めたいものです。また皆が聞きたいことで明らかにされていないことが、まだ多くあると思いますのでそれらも明らかにされるべきです。

調査特別委員会の中間報告書を見て 2009.12.11

注 記者各位) ご活躍のことと思います。
中間報告を読み進めますと、次々と疑問や考えが出てきます。メモが整理されないままたくさんたまりました。これをまとめてSub Eightに少しづつ載せますので是非見てくださるようにお願 いします。
まだまだ未解明なことがあると思います。その中には私一人のまったくの少数意見と言うものもありますが、私は自分の目で見て、納得できるまで追求したいと思います。
よろしくお願いします。

ガイドの指示がなかった 2009.12.11

天沼の手前あたり(P29)から北沼分岐先の待機場所(P25)を出発するまで全く指示はなかった。とうぜん方針も示されなかった。いつ出発するかわからない状態で待つしかなかった。
私はガイドは思考停止していたと言っている。隊としての機能はなかった。
困難な条件でも指示は出せたのではないでしょうか。
先手先手に手を打つ必要が言われている。そのためには先を読まねばならない。彼らはそれをしなかったのだと思います。その能力がなかったのだと思います。

吉川ガイドがリーダーとされたことについて。 2009.12.11

吉川ガイドは中間報告書ではリーダーであるとされています。
いままでアミューズはだれがリーダーであるかについてなにも説明をしていませんでした。先のアミューズの「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と言う文書は「本年8月7日時点における弊社の認識内容」とされていますが、これには誰がリーダーかの記載はありません。
先ごろアミューズはガイド二人とともに遺族に謝罪に訪れたと聞きました。その時二人のガイドは吉川ガイドがリーダーだと一致して主張し、リーダーが決めたことに従うしかなかったと言っていたそうです。
これらは、8月7日時点から遺族を訪問するまでの間にガイドたちと会社で打ち合わせた結果なのではないでしょうか。
8月7日の文書では「多田が行程を説明し、」「同じくガイドの吉川より東大雪荘に郵送する荷物のご案内をする。」とあります。ここからは多田ガイドがメインガイドの仕事をし、吉川ガイドは添乗員的仕事をしているのではないでしょうか。
同文書で7月14日の夕食後「多田は携帯の天気サイトで上川地方の天気図を確認。」とあります。また7月15日の夕食後「翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想」とあります。これらの行為はサブガイドの行為を超えているのではないでしょうか。そして吉川ガイドの関与の記載がありませんが、重要ではなかったからではないでしょうか。
名義上のリーダーが誰なのかは知りませんが、登山で重要なのは実質的決定が誰によってなされたかだと思います。それによってリーダー性を判断するべきです。その意味で多田ガイドがリーダーだったのだと思います。吉川ガイドは迷った時の相談役だと思います。多田ガイドの経験不足を補う役を期待されてきたのではないでしょうか。
調査委員会はアミューズの自発的協力によって成り立っているわけで、アミューズがここまではと思って出した以上のことはなかなか難しいのだと思います。吉川ガイドがリーダーだと一致して主張しているものを調査委員会が疑わしいとして調査することは期待できないのではないのでしょうか。質問に工夫がいるのだと思います。報告書はそういうものとして読むべきだと思います。アミューズが譲歩して出した事実にもとづいた判断でしかないと。

「一部参加者の不満の爆発」と言う評価について 2009.12.11

中間報告書は私が「遭難だから救援を要請しなければならない」と叫んだことに対し、「一部参加者の不満の爆発」と言う評価を加えている(P40)。これは皆が不満をいだいていても我慢しているのに、私だけが「わめいて、」ガイドの行為を邪魔したと言う意見と同じものである。身勝手な客の行為と言うのでしょう。
私は警告のつもりで叫んだのです。ガイドたちのケアなるものは効果がなく、しかも紅茶を飲ませ、背中をさすり、顔を近づけて声をかけるという一連の動作をしたらもうすることはないとばかり、Cガイドはケアをやめていたのです。時間が過ぎるのを待っているだけでした。私はガイドの手に負えないのだと思いました。
そして彼女に起こったことは他の客にも起こるに違いないと思いました。これは一人では済まず、3~4人に及ぶんだと思いました。たいへんなことになるとおもい、ガイドたちは大したことはないと装っているのだと思いました。そこで叫んだのです。「火事だ」と叫んだのと同じことです。私の前の女性参加者はこちらを見て、救援を呼ぼうと言ったところでうなずいていたように思います。
中間報告書はこのばあいでも、何も叫ばず平静を装えと言うのでしょう。

トムラウシ山遭難事故調査特別委員会の中間報告書について、 2009.12.13

中間報告書の中心はマスコミにあるようにP39からの「遭難事故の要因の抽出と考察」にあると思います。
指摘されていることは私を含めた参加者が証言し裏づけられてきたことばかりだと思います。報告書はきめ細かい聞き取りと、専門家による多面的な検証をへてそれを確認したのだと思います。これによって不確実な事実が確実的な事実として認められたことの意義は大きいと思います。
この事故はもともとが明々白々な、わかりやすい、争う余地のあまりない事故だったのです。私を含む参加者は明々白々なことを証言したに過ぎません。
特別委員会は専門家による一致した結論に達したのではないでしょうか。まだ中間報告の段階でそれも結論じみた表現は避けられていますが基本は変わらないと思います。専門家の間で議論がまとまらず両論併記と言う例がありますが、今回はそのようなことはないと思います。
会社とガイドは今まで黙して語らずを続けてきたが、この調査で一部証言をし、それによって指摘されてきたことがガイドの側から裏づけた形になったのだと思います。
調査委員会は1月末に報告書を完成させると言うことですが、会社とガイドに対しもっと強い聞き取りを求めたいものです。
会社とガイドにはこのさい自分たちが保有している不利な情報をすべて表に出し、まだ解明されていない事柄の解明に協力することを求めたい。

待機時間と待機中のガイドの行動について、 2009.12.23


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戸田新介さんから久しぶりにmailをいただきましたので、戸田様のご希望に沿って、以下順に①~⑥まで、ここに掲載させていただきます。

① 「 誰がリーダーか? 」 2月16日付け mail

誰がツアーのリーダーかについて、私は多田ガイドしかないと思ってきました。その後遺族の人から聞いた話によると、誰がリーダーかは警察機関に届けることになっていて、吉川ガイドがリーダーとして届けてあると言います。警察に聞いたのだそうです。ガイド協会の調査特別委員会の中間報告書もこれを根拠にして、吉川ガイドを「リーダーA」と決めて記載しているのでしょう。

しかし多田ガイドがリーダーとしての重要部分のほとんどを行ってきたことは事実ですので、その点についての責任はあるというのが私の意見です。彼がどういうことをしてきたかについては私の先のメール「吉川ガイドがリーダーとされたことについて」で述べました。多田ガイドはサブリーダーと言った方がよいかもしれません。サブリーダーもリーダーとしての責任はあると思います。

多田ガイドは重要なことをすべてやってきた、吉川ガイドの方では多田ガイドにほとんどの決定を任せていた。しかし多田ガイドには自分がリーダーだという自覚がなかったかもしれない。吉川ガイドの方では自分が先頭に立って決めようとは思っていなかった。つまり二人の意識に食い違いがあったのだと思います。

エスケープルートの選択、ヒサゴ沼避難小屋への撤退、早い時間に救援を要請すること、出発するのか、ビバークするのか、このような重要事項について多田ガイドは自分はリーダーではないから、自分が切り出すのが義務であるとまでは考えなっかたのではないでしょうか。、他方で吉川ガイドは多田ガイドが言い出さないので大丈夫と思っていたのでしょう。私はこれが決定が回避された原因だと思います。

全国から集まったガイド達の間に綿密な打ち合わせはなかったのではないでしょうか。形式的に基準を満たした形にそろえた3人のガイド、しかもガイド間の連絡手段が歩くことしかないのだという。

トランシーバーについてガイド達は遺族に対する説明で、「トランシーバーは持って行ったが、雨だからザックの中にしまっていた。」と言っていたそうです。

休憩があればガイド間の連絡が取れるが、ヒサゴ沼分岐から北沼分岐までの間で取った休憩はわずかしかない。そのうち天沼までの2回の5分の休憩だけがガイド間で連絡が取れただろう休憩だと思われる。しかも吉川ガイドは遅れてくる人についているので、5分の休憩では話し合う暇はなかったのだと思う。3回目は大粒の雨が降ってきたので2分で切りあげた。ロックガーデンの前で多田ガイドは10分の休憩を指示したという。多田ガイドはこの時に吉川ガイドと撤退を含め相談するつもりだったかもしれない。しかしOさんが寒いから出発しようと言ったので切りあげたという。吉川ガイド達は大分遅れていたはずで10分待っただけでは休憩地にやっては来られなかったのではないでしょうか。結局ガイド間で相談することもないまま、北沼分岐まで来てしまったようです。

こういう場合は先頭の多田ガイドが自分の一存で決定するほかないのだと思う。しかし多田ガイドは自分がリーダーでないからとして、一存で決定することをしなかったのだと思う。

先頭には決定の権限と義務を持つリーダーが配置されるべきでしょう。そうでないなら少なくともガイド間の連絡を絶えずとれるようにしておくべきだと思う。あるいは連絡が取れないときはサブリダーが一存で決定するように徹底すべきです。そうしなかったことが今回のトムラウシ遭難事故の原因だと思います。これはもちろん私の個人的な意見です。

多田ガイドは自分をリーダーとしては、あるいはガイドとしては見習いと思っていたのかもしれない。彼は一人奮闘したのは事実です。登山中彼だけが動いているように見えた。多田ガイドが会社からは見習いとして扱われ、自分自身も見習いのつもりであったのであれば気の毒な面があると思う。彼はとにかくビバーク組として残り、逃げを打つことはしてはいなかった。

吉川ガイドについては後続者をとにかく北沼分岐まで連れてくることに全力を挙げたのだと思う。大変な様子が証言として出てきている。吉川ガイドは全員を下山させるのが仕事と言っていたそうだが、北沼分岐までしか履行できなかったということでしょう。彼は力尽きたのだろう。スタミナを使い果たしたのに長時間の待機をしたため、低体温症になったということではないでしょうか。休めば回復すると思って休んだ結果ではないでしょうか。彼は安請け合いをしたのだと思う。何も予備知識のないトムラウシのしかもリーダーという大役を引き受けてしまったのだと思う。サポートに徹したけれど判断をする人がいなくては追いつかなかったのでしょう。

中間報告書では彼について「リーダーが後方に残るということは、登山の常識ではちょっと考えられないことである。リーダーはあくまでも本隊と行動を共にすべきではなかったか。」(P40)といっている。しかし彼のやってきたことは初めから遅延者のサポートに徹してきて、リーダーらしいことはしてこなかったので、後方に残ったのも不思議ではないと思う。会社からは後方のサポートをやってくれればいいと言われてきたのではないか。会社はリーダーというものを形式的なものと考えていたのでしょう。そしていままでそれで通ってきたのでしょう。

Mガイドについてはこれまで言ってきましたので、今まで述べなかったことを書きます。中間報告書に「女性客Jの付き添いにリーダーAとガイドC(Mガイド)を残して、本体は・・・移動を開始する。ところが、雪渓の上まで出た段階でガイドB(多田ガイド)が振り返ると、ガイドCが追いついて通常の列の中ほどに戻っていた。しかも・・・2人足りない。」「北沼分岐に・・・まだ残っていた。」とある。(P11)Mガイドは2人も吉川ガイドにまかせたつもりかもしれない。「吉川ガイドはどこかうつろだった」という。(Mガイドの証言P11)

山渓2月号ではトムラウシ分岐の下で「オーイ」と答えたのは亀田さんだという。Mガイドは亀田さんたちが「ついてきていることを認めたら、待たずに先に行ってしまった。」のだそうです。亀田さんはそこで10分か15分待って後続を確認して「オーイ」と叫んで知らせて降りて行ったのだそうです。(P175)

今までトムラウシ分岐での彼の行動について書かれた二つの文書は何だったんでしょう。8月7日時点における弊社の認識内容と中間報告書です。弊社の認識内容についてはすでに書きました。中間報告書ではトムラウシ分岐で、「彼が立ち止まって振り返ったところ、列がバラけて、彼が見る限りでは8人しか来ていなかった。」とある。(P14)見えない物をどうして見えたのでしょう。私は8人に入りますが亀田さんの「オーイ」という声しか聞いていません。まして10分か15分も前に下って行った人の姿は見ていません。

彼についてはアルバイトのつもり、ポーターの意識だったんでしょう。心構えがなかったのです。個人的には同情します。

このパーティはパーティの体をなしていないと言われているそうです。私もそう思います。会社がどのようにガイドを配置したのか、幹部社員がどのように監督してきたのかが問われると思います。

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このmail のPNGデータ とPDFファイル

誰がリーダーか?2月16日mail PDF

 ※ PNGデータはクリックで拡大します。

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※ 補足資料①  吉川ガイドがリーダーとされたことについて。 2009.12.11 mail

トムラウシ山遭難事故調査中間報告を読んで・・、戸田新介さんのご意見
所収 以下引用します。

吉川ガイドは中間報告書ではリーダーであるとされています。

いままでアミューズはだれがリーダーであるかについてなにも説明をしていませんでした。先のアミューズの「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と言う文書は「本年8月7日時点における弊社の認識内容」とされていますが、これには誰がリーダーかの記載はありません。

先ごろアミューズはガイド二人とともに遺族に謝罪に訪れたと聞きました。その時二人のガイドは吉川ガイドがリーダーだと一致して主張し、リーダーが決めたことに従うしかなかったと言っていたそうです。

これらは、8月7日時点から遺族を訪問するまでの間にガイドたちと会社で打ち合わせた結果なのではないでしょうか。

8月7日の文書では「多田が行程を説明し、」「同じくガイドの吉川より東大雪荘に郵送する荷物のご案内をする。」とあります。ここからは多田ガイドがメインガイドの仕事をし、吉川ガイドは添乗員的仕事をしているのではないでしょうか。

同文書で7月14日の夕食後「多田は携帯の天気サイトで上川地方の天気図を確認。」とあります。また7月15日の夕食後「翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想」とあります。これらの行為はサブガイドの行為を超えているのではないでしょうか。そして吉川ガイドの関与の記載がありませんが、重要ではなかったからではないでしょうか。

名義上のリーダーが誰なのかは知りませんが、登山で重要なのは実質的決定が誰によってなされたかだと思います。それによってリーダー性を判断するべきです。その意味で多田ガイドがリーダーだったのだと思います。吉川ガイドは迷った時の相談役だと思います。多田ガイドの経験不足を補う役を期待されてきたのではないでしょうか。

調査委員会はアミューズの自発的協力によって成り立っているわけで、アミューズがここまではと思って出した以上のことはなかなか難しいのだと思います。吉川ガイドがリーダーだと一致して主張しているものを調査委員会が疑わしいとして調査することは期待できないのではないのでしょうか。質問に工夫がいるのだと思います。報告書はそういうものとして読むべきだと思います。アミューズが譲歩して出した事実にもとづいた判断でしかないと。

※ 補足資料② 中間報告書関連

中間報告書40ページ

中間報告書11ページ

中間報告書14ページ

※ 補足資料③ アミューズ・トラベルの見解 ~ 8月7日時点における弊社の認識内容 

以下に掲げています各データにつきましては、「北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答」 にて掲載してあります。

tomuraushi0716

上の文書のPDFファイルは以下となります。

文書1
文書2
文書3

上記アミューズ社の見解に対する戸田様のご意見は以下となります。

「トムラウシ山の遭難事故の経過について」に対するコメント」(PDF版)

上記 PDFファイルの内容を以下に掲載します。

「トムラウシ山の遭難事故の経過について」にたいするコメント

この文書では2人のガイドの言っていることだけが実質上問題であるが、斐品氏の言が客観性を装うために利用されている。斐品氏の言がなければ2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう。だから修飾物ははずしてかんがえればよいと思います。幸い斐品氏の言はガイドたちの言とは関係のないところを述べているだけで、斐品氏の言を外しても差しさわりがないようです。

本当は少なくとも生還者全員の証言を集めて、あるいは突き合わせてこうした文書を作るべきだと思います。最初が肝心なのです。しかし会社はそんなことには関心を持っていないようです。残念なことです。

16日の出発にあたっての経緯について全く触れられていないのは妙であります。だれが最終的に決行を決めたのか。その理由は。お客が辞めたいと申し出たといわれていることについて何も触れられていないのはどうしてか。だれが申し出たのか。死人に口無しとして黙らせるのか。ガイドに聞きたいのであるが、全然触れられていないのはどういうことか。自分は川角さんではないかと思っています。ガイドは彼女の希望を一蹴してむりに歩かせたのでないか。もちろん無事下山できると思っていたでしょうが。彼女は14日の旭岳から白雲岳へ行く途中からおかしかった。道端で「ゲー、ゲー」とやっていた。翌日もやっていた。食事も十分とれなかったと言います。山に来て体調が悪くなったらどうするんですか、縦走登山の場合はどうするんですか。強引に連れていったのではないですか。それでも自己責任というのですか。

次にこの文書で一番の焦点、争点となるものは「30分」という時間だと思います。「渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分行動を停滞させた。」とあります。膝下の深さに増水して立ち往生している客たち(3人)をガイドたちがなだめすかして渡すのだ。しかも松本ガイドが転んで水につかったというのだ。それだけで優に30分は費やされるだろう。30cm余の深さを渡すには場所も探さなくてはならないし、客は躊躇して容易に渡ろうとしないだろうし、ガイドが転んだのであれば1時間以上掛ったのではと思われる。水掛け論に持ち込みたいのでしょう。

川角さんが連れてこられたのは、最初は吉川ガイドのところである。吉川さんがテルモス(魔法瓶)の湯をあたえていた。そこに20分ほどいて、松本ガイドのところに移された。松本ガイドがマッサージとテルモスの湯(紅茶だという)を与え、肩を抱いて大きな声を出してゆすっていたのを自分は見ている。自分は彼らの2mほど前にいて、一部始終を見ていたのであります。自分はこの間の時間について川角さんが北沼分岐に来た時から40分と書いています。⑭のところです。

自分は停滞の時間を2時間と見ています。会社は30分としたいのだと思います。この時間が自分は低体温症に次々とかかった原因だと思っています。会社はそれを避けたいのでしょう。今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない。そして少しでも調子が悪かった人から低体温症にかかったと思います。7人は死ななくてよかったのにと思います。ガイドはケアなるものに熱中していたのです。ガイドは全体の安全を考えるという1番重要な任務を忘れていたのだと思います。自分は初めからこのことは言っています。待機すれば彼女が回復するとおもったのでしょうか。出発から何度も繰り返して、ついに彼女が眠り込みそうになりあわてたのでしょう。自分は何が起こっているのかはよく分からなかったが、自分が叫ばなければ彼女が冷たくなるまで停滞したかもしれません。見殺しにすることは忍びないとガイドは言っていたと社長は言う。この場合についてなのかはわからないが、ことは同じだと思います。これが言い訳になると思っているのでしよう。ガイドの任務はそんなところにはないと思います。冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべきです。しかしかれらはこの点で何もしなかったと言えると思います。故障者のケアなるものに取り紛れて全体の安全をまったく考えなかったと思います。頭を使えと言っているのです。

時間について自分の考えを述べておきます。批判をお願いします。また違ったことを言っていたら訂正します。稜線に出たのが6時10分。小川を渡って北沼分岐で停滞が始まるのが10時。12時に多田ガイドが歩ける人は歩くという。しかし新しい故障者が出て12時30分の出発となり松本ガイドが率いる。4時前、彼はコマドリ沢出会いの上200mぐらいのところ(雪渓の下100m)につく。前田さんが110番する。

低体温症の認識がガイドにあったか、皆がガイドに聞きたいのに会社は明らかにしようとしていません。これがもう一つの争点です。組織としてのアミューズに低体温症の認識はあったのか社長に聞いても何も言いませんでした。会社の出したパンフレットからは低体温症のことはうかがえません。都合が悪いというのでしょうか。

多田ガイドは救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。さらりと書いてあるが、これはなんなんだ。かれは携帯電波が南沼キャンプ地方面で通るということを知っていたということなのか。すくなくとも探しに行くということは通じるかもしれないと思っていたということは言えるだろう。そうするとなぜ彼はもっと早く救援要請をしなかったのかが問題となる。このようにこの文書では皆が聞きたがっていることが全く触れられていないのであります。多田ガイドは何を考えていたのだろうと皆が聞きたがっているのに。次々と動けなくなる人が出てきたのに、救援依頼をまっ先にしなければと思うのに。12時~1時に連絡を入れていればと思うのに。何を考えていたのかと。

松本ガイドの言い分なるものについて。彼は「ゆっくりしたペースでトムラウシ分岐に」という。しかしかれは女客が通常の歩行能力を失っていることを知らないのだ。ペースに付いていけないのは当然であろう。トムラウシ分岐で点呼したというが、これはウソである。彼は分岐にいなかった、分岐から20m以上下に降りた、姿の見えないところから「オーイ、オーイ」と叫んでいた。自分が「オーイ」と答えてやると気配が消えた。下って行ったのである。点呼したというのはあり得ません。「8人しかいなかった」というのもウソです。かれは客の2人がいなくなったことをどうして知ったのか。先頭にいて分かるはずがありません。自分は彼と2人の客の先頭グループにいましたが後続が遅れるので後詰めに回ろうと後ろに下がったのです。それで2人がいないことに気が付き彼に知らせようとしたらかれは声だけ残して下って行ったのです。8人の客に「道標にむかって下山してください」と伝えたというのも妙な言い方です。全員に伝えたというのか、自分は聞いていない。きちんと点呼を取っていてそこにそろっている人には、次にどちらへ行くかはいちいち声を出さなくてもわかるでしょう。ついていけばよいのだから。だから作文だというのです。

彼は常に先頭にいて後ろの客のことは念頭になかったのであります。後続の女客5人の歩きはぎこちなく足に力が入らなくてよちよちと歩く状態です。彼はそんなことは知ろうとしないのです。一方で極限状態であったと予防線を張っている。言い訳にしている。彼はまだこのあたりでは余力を残していたと思われ、だから先頭に立って下山したのでしょう。だからこれはマズイ予防線であるとおもいます。自分がサバイバルのみで動いたことの告白にもなっています。だれが作文を書いたか、ほかにいるのでしょう。

会社は当分2人を手元に置いておかなければならないと考えているでしょう。皮肉なものです。

4時前に前田さんが110番したこと、ガイドが110番してくれと頼んだことは前田さんの証言ではっきりしている。そのあとはよく覚えていないというのはこれも嘘であります。ただここではこれまでとしておきます。

多田ガイドが松本ガイドに救援要請の指示を出したのかどうか。多田ガイドはこれについて何も言ってないから指示はないとみるべきでしょうか、。社長はこの辺のことを言うが思惑によるとして聞いておくのがよいでしょう。松本ガイドに頼んだ救援依頼のかくにんのためにも電波を探したと多田はいってると社長は言いました。多田ガイドは探せば携帯が通じると知っていたようだから松本に頼む必要はないとかんがえるべきだとおもいます。松本ガイドは自分の考えで110番したいと思ったのでしょう。

吉川ガイドについて。警察は彼も水につかったという。アミューズ社長は松本ガイドだけという。いずれ明らかになるでしょう。彼はなぜ死んだのか不思議である。このこともこの文書は何も触れられていない。聞くところによると、彼は自分の服を客に与えたといいます。自分の意見はこういうことはしてはならない、ガイドは客の安全のために自分の命はおろそかにしてはならないとおもいます。生き残ってこそのガイドだと思います。彼が死んだことは大量死の大きな要因になったでしょう。今回は両極端の形にガイドの生と死があらわれたことになります。  以上

② ガイド達のしていたケア(介抱)の実態について (2月17日付け mail)

Mガイドは私の前に座り込んでいた。川角さんが連れてこられて、Mガイドが彼女のケアをまかされた。まず湯(紅茶)を飲ませ、次に背中を力を込めて4~5回さすった。そしたら川角さんが眠り込んだのか、Mガイドは彼女の前に回り込んで、顔を近づけ叱っているようだった。そして彼女をゆすり、起こそうとしたりして、2~3回大声で呼びかけた。

私の意見ではこれはさすったからではないかと思う。出発するときに動けない人が出たり、意識がもうろうとしたと言う人がいたのと同じではないか。

Mガイドが吉川ガイドの勧めで、吉川ガイドに川角さんをまかせてTガイドの後を追うとき、吉川ガイドは川角さんをツェルトに包んでさすっていたという。(中間報告書P11)

Tガイドはツェルトの中に動けない3人を入れて体をさすり保温に努めたという。(8/7時点における弊社の認識内容)

このようにテントとコンロの準備ができるまでのケアの中心は体をさすることだったようである。

低体温症について、中等度(33℃~30℃)以上は体をさすってはいけないとされている。表面の冷たい血液が流れ込んで中心温度が下がるからというのである。軽度(35℃~33℃)ではどんな加温をしてもよいとされている。(低体温症についてyoshi515)

さする行為は加温になるのだろうか。これについては触れられていない。私は素朴な考えで疑問を持っている。どうして加温になるのだろう。中心部の体温で手足の温度を上げるには有効だと思うが、これでは中心温度は下がるから、低体温症を進行させてしまうだけである。軽度でも同じだと思う。筋肉を強制的に動かして発熱させることはあるがそうではないだろう。

それに軽度か中等度かの判断は難しい.。

だからさすることはやめた方がよいと思う。真逆なことを必死にやっているのではないか。時間を浪費して。

ケアとして何にも手がない時に何かをしなければならないと思って、さすってしまうのではないか。

ガイド達の必死の行為、命がけの行為にケチをつけるようだが、ここはこれからの教訓のためであるからはっきりさせるべきだと思う。

私の言っていることは間違っているのかなあとも思う。ネットを見ても誰も問題にしていない。中間報告書もガイド達のケアの実態について検討や評価をしないで、ガイド達の行為をそのまま書いている。

どう思いますか?素人の意見として検討してくだされば幸いです。

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PDF  ケアの実態について(2月17日付け mail)


PNGデータ(クリックで拡大します)

低体温症について http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html


8月7日 弊社の認識内容(クリックで拡大)

③ 中間報告書ついて (2月18日付けmail)

中間報告書に対する一つの疑問点

素人の私が専門家に対して何も言いたくはないのですが、どうしても納得できない点があるので述べておきます。

中間報告書はパーティを分断したことを問題にしている。要点は①分散させる危険を認識していたか ②全員でビバークする可能性はあったのではないか ③下山に堪えない人は下山させるべきでなかった というものです。(P40~41)

一般論としてはその通りだと思います。しかしそれはビバーク装備をきちんと備えた通常のパーティに言えることだと思います。ツァーであること、特にビバーク装備を備えていないことを考えれば一般論は成り立たないと思います。

ビバーク装備がないのだから、全員がビバークするという選択は取れなかったのだと思います。Tガイドは頭からそんなことは考えなかったのだと思います。ビバーク装備がないけれど全員でビバークすべきだったというのでしょうか。この場合は救援要請を真っ先に考えなければならない。ビバークする前に救援されるのが一番良いが、最悪の場合はビバークを覚悟するというものだと思います。しかしTガイドはビバーク前に救援されるとは考えなかったようです。そうするとビバーク装備なしで全員がビバークして翌日まで何人生き残れるかということになる。ツァーではそんなことは考えられないと思う。これはパーティの論理だと思う。パーティでは登山に当たって参加者を選ぶのでしょう。ツァーではほかの客に誰を仲間にするかの選択権はないのみならず情報がない。

全員で下山をするというものが考えられる。静岡隊がしたようにするというものでしょう。これは北沼分岐で全員が着いてすぐに実行していればあるいは可能だったかもしれない。そしてTガイドも休めば回復すると思って、そのうえで全員で下山することを考えたのだと思います。ついに川角さんを連れてはいけないとして、川角さんを吉川ガイドが引き受けて残りを下山させようとした。しかしさらに3人の動けない人が出て、TガイドがNさんの協力を得てビバークすることにした。このあたりは流れで決定したのだと思います。つまり全員を連れてはいけないと判断したのでしょう。残った選択肢として分散が起きたわけで、分散の危険は考慮する余地はなかったのだと思います。

下山に堪えない人は下山してはならないという。少しぐらい動けるだけではビバーク装備がないビバークをするべきだったということでしょうか。この場合は下山に耐えるかどうかではなく動ける人は出発し、動けないひとは出発したくても出発できないということになったのです。だからむやみに動いてはいけなかったという議論にはならないと思う。そういう人にとってはどちらも厳しい事態が予定されていたのだと思う。

結局中間報告書は全員は装備がなくてもビバークするべきだったと言いたいのではないでしょうか。
出発してから分かったことを根拠にした立論が通るなら何でも言えると思う。

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PDF 中間報告書について 2月18日 mail


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④ 自衛隊出動要請の時刻の謎 (2月18日付け mail)

道知事の自衛隊への出動要請が深夜になされたと聞いて、私は最初の自力下山者、Kさん(男)とMさん(女64歳)から事情を聴いて、知事の名で自衛隊に要請がなされたのだと思いました。

しかしその後時刻を調べてみると、時刻が逆になっていることに気付きました。それで私の推測は成り立たないのかなあと思いました。二人の下山時刻が23:50で、知事が要請した時刻が23:45となっています。

それにしても5分間という時刻の接近は不自然だと思います。私はこう考えます。

二人が下山したのは実際はトムラウシ温泉口で、途中林道と交差する所で警察の車に拾われたと言います。テレビ局のスタッフがその場に遭遇していて、私はその関係で知りました。二人は現地対策本部のある短縮登山口に連れられて行ったと言います。そして二人の下山時刻は短縮登山口に着いた時刻が記録されたのだと思います。下山場所は短縮登山口だと発表されています。

一方二人が警察車両に拾われれば、直ちに現地本部に電話連絡がされるはずです。道にもその情報は届き、道知事の名で自衛隊に出動要請をすることになったのだと思います。だから時刻が逆になったのだと思います。これが私の推測です。

それにしても、警察はややこしいことをするのだと思います。私が下山したところも短縮登山口だと公表されてしまいました。実際には自力下山者5人は全員が温泉口に降りてきました。短縮登山口に警察が来ていることは誰も知らなかったので、林道歩きを考えれば温泉コースの方が早くつくと思ったからです。公式の記録は治ったのでしょうか。追及されないとそのままにされてしまうのでしょうか。

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PDF 自衛隊出動要請の時刻 2月18日


PNGデータ クリックで拡大します。

⑤ 中間報告書に対する疑問点2 (2月21日付け mail)

中間報告書は参加者に対して自己責任の点で不十分な点が多々あるとして、厳しい指摘をしている。(P43~44)しかしツァー山行もガイド山行の一つであって、パーティーの論理は適用できないと思う。わざわざ高いお金を出して、コースと安全の情報をガイドによって賄おうというのだから、このような厳しい指摘を受けるならツァーはいかないのだと思う。自分で行けばいいし、それがだめなら辞めればいい。ツァー参加者の誰に聞いてみても同じことを言うと思う。ツァー登山というものを禁止しない限り実現が不可能なことを言っていると思う。

もちろん登山は危険なもので、究極的には自分の命は自分で守るしかないし、ガイドの責任を言っても、命が帰ってくるわけではない。そういう意味で会社の選択を含めて(どういう会社を選ぶかは自己責任だという意味で)自らに降りかかってきますよ、コースの情報を知っておくべきだとか、低体温症について知っておくべきだというのは分かるのだが、それは心構えの問題だと思う。命を守るのは最終的には自分ですよという形容詞をつけて語られるべきものだと思う。

ツアー山行を語るならツアー山行に参加してからにしてもらいたい。ガイド協会にはツアーをこなすたくさんの現役のガイドがいるのだから、その人たちの話を聞くべきだと思う。中間報告書のようなことを言って実現ができるのかと思う。尖鋭的なクライマーの考えや山岳会レベルの伝統的な登山者の考えでなく、大衆登山という考えに立って述べてほしい。この流れを受け入れるしかないのだと思う。ツァー山行の会社はこの流れから利益を受けているのだから、この流れに即して解決方法を検討していただきたい。この調査はその意味で大衆的登山の時代にふさわしい調査の体制を敷いているのか疑わしい。もっとほかの人がやるべきでないかと思う。専門の登山者ばかりではと思う。ツアーの実情を分かっていないのだと思う。

現在地の確認がされていないし、時間管理が不十分であるし、認識不足があるという。しかしツァー参加者は現在地の確認、時間管理等は普通はしていないと思う。ツァー慣れというのだろうが今回の事故のようにガイドの機能がなされなくなった場合でも、自分で帰ってこれればいいわけで、帰ってこれなければ覚悟の上である。確率の問題でやらなくてもいいと考え、万が一の事態になってもそれが致命傷になるのではなければいいと思う。外国へ行くのではないのだから。

「自立できていない」と言うならツアーの参加基準を厳しくするなり、ときには審査を厳しくすればいいのだと思う。

「最終的には自己責任が基本となる」という意味は、自分の命は究極的には自分でつけを払うものですよという心構えの問題で、参加者はそれは覚悟してきていると思う。

ツァーは通常のパーティーではないのだから、パーティの論理は成り立たない。参加者には他の参加者に対する救助の用意はない。それはガイドがなすものとして成り立っている。中間報告書のように「いったん行動を開始したらパーティである、との強い認識を持ちたいものである。」とある。持ちたいものであるかどうかではないでしょう。持つべきかどうかでしょう。しかし持つべきだとはいえないのだからこういういい方をしたのだと思う。ツァーでは参加者同士は一緒に行動するという程度の認識で成り立っているのだと思う。見もしない人が突然集合するのだから、いろいろな人がいるわけで会話をするかどうかはその人の自由だと思う。初めてあった人とつながりを持つかどうかは自由だと思う。つながりを持てと強制するわけにはいかないと思う。パーティーと異なり参加者相互に情報の共有はない。何をしていいかわからない。それがだめだと言ってもそれが現実である。積極的に情報の共有をせよと言っても参加者だけで15人というのは情報を共有範囲を超えている。危難に遭遇した時は、ガイドができないときは、他の参加者はボランテァとして救助に参加するだけ≪である。≫

「ピークコレクション」という。そういう人がいることを否定しない。(私は違います。)しかしそれも文化であり、とやかく言うことではないと思う。「スキルアップ」という。参加者はそういう認識はないと思う。アスリートの認識はない。日常の楽しみの一つとして行くだけである。思い出作りとしてと言っていいかもしれない。

参加者は危難が予測されるときは、自分の能力に照らし合わせて撤退を含めて判断をして、能力を超える疑いがあると思った時は撤退して危難を避けるのである。これが自己責任の取り方なのである。ところが今回は自己責任を超えるところに追いやられたのだと思う。だから自己責任のことを言われるいわれはないと思う。あとは登山では危険がつきものだから、最悪の時は覚悟すべきであるという自己責任が残るだけで、それは覚悟してきているのである。

P42~P43の記述は不可能なこと、実情に合わないこと、認識が大きくずれていることを言っていると思う。こんなことを言って今回の遭難事故の本質をあいまいにしないでいただきたい。参加者にも問題があると言いたいのだと思うが、私の考えではそこまで言うのかなあと思う。遭難事故の原因に因果関係がないことをいろいろ言って、あいまいにしないでほしい。人間だから完全ではないし、理想的な参加者のレベルからはもちろん外れているのは事実ですが、それが今回の事故の原因ではないだろう。「らくらくプラン」を選ぶべきだったのに選ばないことが、原因の一つと言っているようにも取れる。

⑥ 手ぐすね引いて (2010年2月22日付け mail)

私は義務はないけれど、私の行動記録をミスを含めて細大漏らさず表に出してきた。これからもこの姿勢を守るつもりでいる。本当は自分のミスは話さない方が利口だと思う。原因が参加者にあると言いたくて手ぐすね引いて待っている人々がいるし、そこまでいかなくても参加者の自己責任を強調したくて仕方がない人がいるからである。中間報告書の立場はどちらかというと後者の立場に近いと思う。たとえば参加者の証言を求めておきながら、「・・・(実際は前トム平には立派な道標あり)・・・」(P15)等と注釈を入れるのだ。北海道の道標は本州の道標と比べて目立たないのである。お世辞にも立派ななどとは言えないと思う。

語れば語るほどミスの部分も出てくるし、あげつらう材料が増えると思う。何も語らない人が一番怪我が少ないということになる。言葉は「風に乗って・・・」と忠告されたことがある。

参加者のミスなるものは、これまで明らかになってきたことからは遭難事故の原因ではないということである。これをあいまいにしてはならないのだと思う。事故の原因は会社とガイドがわが果たすべき安全配慮義務を尽くさなかったことにあるのだと思う。参加者のミスが事故の原因だと言うならそれをはっきり言うべきである。

自己の原因となっていない参加者のミスを論じるときには慎重に扱うべきだと思う。人間は完ぺきでないし、理想的な参加者はいないと思う。ミスがあっても事故の原因とならなければそれでいいわけであろうし、人間の行いとはそういうものだと思う。事故がなければ問題とされないことだったのだということを考えてほしい。

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