趣味の切り売りをして小遣いを稼ぐのは賤しき行いである。

日経で、「トレイルランニング」を検索したらこんな記事を見つけた。

フィールドを守りたい――環境派アスリートたちの情熱(07/08/06)

愛好者が増えるにつれて大規模化しつつあるトレイルランニング(山や林間の不整路を走るアウトドアスポーツ)のイベントで、余りにも多くの人々が同時に繊細な山のトレイルに入ることによる自然環境へのインパクトを懸念するトレイルランナー。彼はコースとなる地元関係者と想いを共有して小規模なイベントを企画し、参加者にはトレイルにインパクトの少ない走り方などのスキルを教えるとともにマナー普及に努めています。
http://eco.nikkei.co.jp/column/patagonia_shino/article.aspx?id=MMECc5018006082007&page=1

あのレース(ハセツネCUP)は、2000名もの参加者を募って行われるが、出走希望者は、自分が出場できるか否か?
タイムは? ということにばかり気にかけていて、大会の規模が、自然に与えるインパクトの大きさ、深さをあんまり
考えてはいないようだ。

レースと言うのは当事者意識を持たなくてすむ仕組み(※1)なのだから、自然を舞台に行われるトレイルレースに
於いてそのシステムは極めてたちが悪い。

主催者および、都岳連の連盟会長は秋川の自然に対して行った自分達の罪を
生涯をかけて償わなければならないであろう。

環境が強く意識される昨今に於いて、
こんな風に「乗組員 ※2 」への環境教育を怠った「はせつね丸」は早晩沈没するであろう・・。

※1 自然破壊の直接の当事者は、その地で大会を企画、実施した主催者にあり、参加者はその大会に応募したものに過ぎない。いわば、個々のレース参加者は間接的な当事者であるに過ぎない、という方便ないし責任転嫁の議論。それは、地下鉄サリン事件を実行したオウム真理教徒が、自分達はマインドコントロールを受けていたのであり責任はないと言い逃れをするのに似ている。

※2 狭い競技人口の中で、主催者による「囲い込み」がなされているので、構成員とも、乗組員とも表現できるだろう。

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ところで、最近は登山の世界に於いても「ガイド」なる方々が幅を利かしてきて、
その世界でも「囲い込み」がなされつつあるように思える。

ようするに、一般登山者(含む山岳会のメンバー)<山岳ガイド(山岳ガイドは、山では偉いのだという図式)
と言う価値観を一部のガイドと一部の登山愛好家は抱いているようだ。
で、それがあたかも当たり前の前提であるかのようにものごとを語ろうとしている。

しかし、
そもそも、山を案内して生活している者が、登山の世界で大きな顔をするのはすこし違うだろう・・。
登山の世界で大きな顔をしてよいのは、時代をリードするような先鋭的な登山を志して、実践している人たちであろう。
(大きな顔をすることの是非はともかく・・)

でも、そもそも、
何のために山に登るのか?

それは、究極的には自己満足のためである。

自己満足の世界であるから、命を懸けて山に登ったとしても、
それが社会的に偉い行いであるとは言い切れない。

今の世の中、無酸素でエベレストに登るよりもずっと困難で、
人類のためになる行いはほかに山ほどある。

だから、命を懸けて無酸素でエベレストに登っても、
今の世の中社会的には無価値である、と考えるべきだ。

このように登山は究極的には、自己満足の世界であると考えるのである。

職業ガイド・・
たしかに、歴史に名を残す登山家には生活のために、尖鋭的な登山を行う資金を稼ぐために
ガイドをやった者も多いが、それはあくまでも生活のための手段である。

先鋭的な登山を行わずに、ただ収入を得て生活するためだけのガイドといった場合は・・
「自己満足の世界」さえもないわけであり、それはようするに山稼ぎ人に過ぎない。

そういう者は、もっと別な生活のための手段を探すべきであろう。 
そして、登山はあくまでも「趣味」すなわち「自己満足の世界」にとどめるべきである。

小西政継さんの「僕のザイル仲間たち」という本に書いてあったが、
「(植村に)趣味の切り売りはして欲しくない。」
と、植村直巳夫人は小西さんに語ったそうである。

趣味の切り売りをして、小遣いを稼ぐのは賤しき行いである。
趣味を分かち与えるのなら無償で与えるべきだ。

何時かも書いたように私は、趣味ではハンバーガーも買えないが、
それはそれで高貴なやり方であり、
ハンバーガーを買いたければ、趣味以外に職を求めるだろう。

趣味の切り売りをして、小遣いを稼ぐのは賤しき行いである。
これは私の信念である。

プロ、プロフェッショナルと聞けば今の世の中なにかと通りがよいが、

趣味で生活をするのは賤しいといった貴族的な価値観もこの世の中にはきちんと存在すると言うこと
そういった価値観に立てば、いわゆるプロのアスリートなどは「賤民的なアスリート」であると酷評できるものであること。

オリンピックの商業化によって、一般の運動家の世界でも

アマチュア<プロフェッショナルの図式(アマチュアよりもプロのほうが偉い・・人格的にも、社会的にも)

を持つものが増えたが、ここではそれに敢えて異を唱えておこう。

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