善悪の彼岸

知識(即物的な意味を込めて)、知恵(精神性も含めて)、また、科学技術、身体の運動能力というものは、
使いかた次第で、われわれを天使にも、悪魔にもしてしまうのである。

まさに、善にも悪にも使えると言う点に於いて、それらは価値中立的なものであるのだ。
逆説的に、善にも悪にも使えるという点に於いて「万能である」と言えよう。

「万能の神」と言う表現があるが、その神は、まさに万能であるがゆえに、
善き行いも為し得、悪しき行いも為し得るのである。

神が善を行うと言う保障はない。

(もちろん、そもそも私は「神は死んだ・・」からはじめた人間なのであり、ここでの「神」は例えである。)

さらに・・

善を選ぶか、悪を選ぶか、

或いはもっと正確には、

「何をもって価値があるものであり、善となすか?」

「何を善と価値付けるか?」

その判断は、我々個々人に委ねられている。

ある者によっては「善」とされるものが、別な者に於いては「悪」と評価されると言うのは、
価値の相対性を認めようという哲学的思考のイロハのイである。

話が逸れてしまった・・

思想や、宗教はインフルエンザのようなものだ。
それらに免疫を持たない者は、思想的なもの、宗教的なものに対して、無防備なところがある。

私のように、思想的なものや宗教的なものにすれている人間からするならば、
手の内見えみえにもかかわらず、単純なマジックにひっかっかってしまう・・。

思想的な無防備、宗教的な無防備、
・・まるで赤子の手を捻るように、彼らはひっかっかってしまったのであろう。
もちろん、だからと言って私は彼らを弁護しようとは思ってない。

思想や宗教を持ち出して、詐欺行為を行う輩は跡をたたない。

更に最近は、思想性や宗教性を表に出さないが、
内部的に宗教団体のような思想的統制を行っている団体も存在する。

科学技術は進んだが、思想分野における人智の進展は、遥かに遅れをとっている。

科学技術は21世紀であるが、思想分野はそれぞれの社会、個々人により、進展の差が顕著であり
いまだ中世の魔女裁判のレベルにとどまっている個人、団体、社会も存在している。

ここでも取り扱ったトムラウシの大量遭難事故の後では、同じことを二度と繰り返さないような様々な努力が
熱意ある山岳ガイド諸氏によりなされていると聞く。

精神の分野、思想や、宗教の分野ではどうだろうか?

オウム事件の以後では、より警戒心を持って宗教問題を取り扱うようなことがなされて来たであろうか?

あるいは、かの団体が行ったようなマインドコントロールまがいの精神的な支配、思想的なコントロールに対して
警戒心を喚起するような社会的な努力がなされてきたであろうか?

思想、良心の自由や、信教の自由というものが、
人をして、中世の魔女裁判のレベルにとどまることを許すものであるならば、あるいは、
マインドコントロールのもとに安穏と暮らす自由を包含するものであるのならば、
そのようなものこそ、精神思想分野の「進展」を阻むものであり、
善悪の彼岸に立って思考する者にとって、有害無益なものである。

注 価値相対主義について触れたが、価値相対主義とは、「幼い状態」(別な表現を借りれば、
未開な状態、野蛮な状態)にとどまることを許してもらう自由ではないと考えたい。

電話の例に例えるならば、使いたい人は、ダイヤル式の電話でも、糸電話でも構わない、しかし、
精神思想の分野では、中世の魔女裁判のレベルにとどまることはもはや許されないし、
マインドコントロールに服して暮らすというのも・・オウム事件以後は、もっと周囲のものに警戒心を持って遇せられるべきである。

戦後のわが国の「宗教的な寛容さ」あるいは、宗教をブラックボックスのように中身に触れずに
取り扱うようにしてきたことが、オウムの「暴走」を招いたともいえると考える。

silvaplauna

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2009年11月06日

元オウム幹部2人の死刑確定へ  地下鉄サリン事件実行役

 1995年の地下鉄サリン事件の実行役として、殺人罪などに問われた元オウム真理教幹部豊田亨被告(41)、広瀬健一被告(45)の上告審判決で、最高裁第2小法廷は6日、両被告の上告を棄却した。一、二審の死刑判決が確定する。

 一連のオウム事件では、松本智津夫死刑囚(54)=教祖名麻原彰晃=ら6人の死刑が既に確定しており、これで計8人となる。審理が続いているのは、上告中の元幹部新実智光被告(45)ら5人。

 地下鉄事件のサリン散布役5人は、無期懲役となった林郁夫受刑者(62)を除き、全員の死刑が確定することになった。

 竹内行夫裁判長は「地下鉄サリン事件は極めて反社会性の強い、法治国家に対する挑戦ともいうべき無差別大量殺人。犯行態様は残虐、非人道的で、社会に与えた衝撃や不安は大きく、遺族や負傷者の処罰感情は極めて厳しい」と指摘。

 その上で「両被告の刑事責任は重く、上位の教団幹部の指示を受けて犯行を行ったことや、反省を考慮しても、死刑を是認せざるを得ない」と判断した。

 両被告側とも、松本死刑囚のマインドコントロール下にあったなどとして、死刑回避を求めていた。

 判決によると、両被告は松本死刑囚らと共謀し95年3月20日、営団地下鉄(現東京メトロ)でサリンを散布し、乗客や職員12人を殺害するなどした。このうち、豊田被告は日比谷線、広瀬被告が丸ノ内線でサリンをまき、それぞれ1人が死亡した。

 また豊田被告は元教団幹部と共謀し同5月、都知事あてに小包爆弾を郵送、都職員に重傷を負わせるなどした。

 豊田亨被告(左)、広瀬健一被告(右)
PN2009110601000527

http://www.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-bin/newspack_s.cgi?s_national_l+CN2009110601000499_2

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