北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。

※この記事は当WebSiteの2009年7月16日 北海道大雪山系、トムラウシ山で発生した大量遭難事故を扱ったメインの記事です。
※この記事を書き始めたのは、事故が発生して二日経った7月18日で、さまざまに伝えられる錯綜する情報を自分なりにまとめあげておこうといった動機ではじめました。その後、戸田新介様のご協力も得られ、アミューズ社の見解も発表されて、事故から一月後の8月25日頃には、こちらの記事作成もほぼひと段落しました。
※しかし、事故原因の解明はその時点でもいまだ明らかにならず、8月25日以降のこの事故をめぐる当WebSite掲載の各種記事についても、この記事の後半部分に順次追補してゆくこととなった次第です。
※トムラウシ関連のコメントはこちらの記事にお寄せください。

2010年4月30日 silvaplauna
最終更新 2010年4月30日 尚、次回更新は、本件に関する刑事裁判が開始された以降を予定します。

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以下は、8月25日以前に頂いたコメントへのお返事に代えて、

noho様

わが国に於いてもヨーロッパ並に社会的に信頼される山岳ガイドの制度、組織を作ってゆこうといった努力が実力ある岳人たちによってなされているのは寡聞ながら少々知っております。
そういった方々の誠実な努力がある一方で、今回の多田ガイドの判断や松本ガイドの行動は、残念ながら、こういった山岳ガイド一般への社会的信頼の確立を数10年遅らせるほどの大失態であったと後から評価されるかも知れません。

山岳ガイドの美談は伝わらず、失敗談ばかりがこうして遭難事故として世に広まるのは由々しきことだと思います。これからは、後世まで語り継がれる山岳ガイドの美談を求めたいものです。そのためには、noho様のような立場の方が頑張らないといけませんね。 期待しております。

また何か動きが出てきたら、よろしく御願い申し上げます。

JULIA様

いつもご意見をお寄せいただきありがとう御座います。

>一般人として、旅行中でも街中で遊んでいる時でも、「連れ」の具合が悪くなった時、「とにかく天候の悪い中を目的地に向かってスケジュール通りみんなで行くんだ」という判断が正しいのかどうか?ということと関わってくると思います。

多田ガイドが、女性客の体調が悪いのを知りつつも予定通りにスタートしたのは、何故か?
ツアーガイドは一般の登山団体の引率リーダーと違った「特殊な立場」に置かれているようです。ツアーガイドに同情する方は、そういった立場をふまえて同情を寄せているのでしょう。
会社のマニュアル通りの硬直な対応しか出来なかったのか、それとも、もともと、柔軟な対応を行うだけの技量・能力に欠けていたのか?
(そこら辺は、多田ガイドの証言が出てこないとなんともいえません。)

>もっと素朴な感覚、子供でもわかるような、客観的に明らかに高齢で「弱っておられる人を引っぱりまわす」ことは誰でも何とも理解できないし、言い訳も通じないと思うのです。

tukakke様もご指摘の通り、ガイドには「危機意識」の低下ないし鈍磨があったと考えるのが分かりやすいようです。
それは、noho様もお書きのような、自転車操業のようなツアースケジュールをこなすことから生ずる一種の「慣れ」から生じた無思考が生み出したものであるのかもしれません。

今は事態の展開を待つ時期と戸田様もお書きです。
また何か動きが御座いましたら、ご意見を是非お寄せください。

tukakke様

情報の追記をいただきありがとう御座います。
メインの記事に2002年7月の遭難でお亡くなりになった方(女性)のご遺族の方々の記事を掲載してありますが、それと同様に今回の事故原因については多田ガイド、松本ガイド自身が一生かかって答えを求めるべきものなのかもしれません。

「気象遭難」という本を山と渓谷社から出されている羽根田治さんから戸田様に取材の申し出があったそうです。いずれ何らかの形で、羽根田治氏も今回の事故について記事をお書きになられるのでしょう。

今は事態の推移を見守る時期のようです。また何か動きが御座いましたらよろしく御願い申し上げます。

8月25日   silvaplauna
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先に公開したアミューズ社の見解に対する戸田様のご意見としてコメントを掲載いたします。ご自由にダウンロードしてご覧ください。

「トムラウシ山の遭難事故の経過について」に対するコメント」(PDF版)

上記 PDFファイルの内容を以下に掲載します。

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「トムラウシ山の遭難事故の経過について」にたいするコメント

この文書では2人のガイドの言っていることだけが実質上問題であるが、斐品氏の言が客観性を装うために利用されている。斐品氏の言がなければ2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう。だから修飾物ははずしてかんがえればよいと思います。幸い斐品氏の言はガイドたちの言とは関係のないところを述べているだけで、斐品氏の言を外しても差しさわりがないようです。

本当は少なくとも生還者全員の証言を集めて、あるいは突き合わせてこうした文書を作るべきだと思います。最初が肝心なのです。しかし会社はそんなことには関心を持っていないようです。残念なことです。

16日の出発にあたっての経緯について全く触れられていないのは妙であります。だれが最終的に決行を決めたのか。その理由は。お客が辞めたいと申し出たといわれていることについて何も触れられていないのはどうしてか。だれが申し出たのか。死人に口無しとして黙らせるのか。ガイドに聞きたいのであるが、全然触れられていないのはどういうことか。自分は川角さんではないかと思っています。ガイドは彼女の希望を一蹴してむりに歩かせたのでないか。もちろん無事下山できると思っていたでしょうが。彼女は14日の旭岳から白雲岳へ行く途中からおかしかった。道端で「ゲー、ゲー」とやっていた。翌日もやっていた。食事も十分とれなかったと言います。山に来て体調が悪くなったらどうするんですか、縦走登山の場合はどうするんですか。強引に連れていったのではないですか。それでも自己責任というのですか。

次にこの文書で一番の焦点、争点となるものは「30分」という時間だと思います。「渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分行動を停滞させた。」とあります。膝下の深さに増水して立ち往生している客たち(3人)をガイドたちがなだめすかして渡すのだ。しかも松本ガイドが転んで水につかったというのだ。それだけで優に30分は費やされるだろう。30cm余の深さを渡すには場所も探さなくてはならないし、客は躊躇して容易に渡ろうとしないだろうし、ガイドが転んだのであれば1時間以上掛ったのではと思われる。水掛け論に持ち込みたいのでしょう。

川角さんが連れてこられたのは、最初は吉川ガイドのところである。吉川さんがテルモス(魔法瓶)の湯をあたえていた。そこに20分ほどいて、松本ガイドのところに移された。松本ガイドがマッサージとテルモスの湯(紅茶だという)を与え、肩を抱いて大きな声を出してゆすっていたのを自分は見ている。自分は彼らの2mほど前にいて、一部始終を見ていたのであります。自分はこの間の時間について川角さんが北沼分岐に来た時から40分と書いています。⑭のところです。

自分は停滞の時間を2時間と見ています。会社は30分としたいのだと思います。この時間が自分は低体温症に次々とかかった原因だと思っています。会社はそれを避けたいのでしょう。今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない。そして少しでも調子が悪かった人から低体温症にかかったと思います。7人は死ななくてよかったのにと思います。ガイドはケアなるものに熱中していたのです。ガイドは全体の安全を考えるという1番重要な任務を忘れていたのだと思います。自分は初めからこのことは言っています。待機すれば彼女が回復するとおもったのでしょうか。出発から何度も繰り返して、ついに彼女が眠り込みそうになりあわてたのでしょう。自分は何が起こっているのかはよく分からなかったが、自分が叫ばなければ彼女が冷たくなるまで停滞したかもしれません。見殺しにすることは忍びないとガイドは言っていたと社長は言う。この場合についてなのかはわからないが、ことは同じだと思います。これが言い訳になると思っているのでしよう。ガイドの任務はそんなところにはないと思います。冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべきです。しかしかれらはこの点で何もしなかったと言えると思います。故障者のケアなるものに取り紛れて全体の安全をまったく考えなかったと思います。頭を使えと言っているのです。

時間について自分の考えを述べておきます。批判をお願いします。また違ったことを言っていたら訂正します。稜線に出たのが6時10分。小川を渡って北沼分岐で停滞が始まるのが10時。12時に多田ガイドが歩ける人は歩くという。しかし新しい故障者が出て12時30分の出発となり松本ガイドが率いる。4時前、彼はコマドリ沢出会いの上200mぐらいのところ(雪渓の下100m)につく。前田さんが110番する。

低体温症の認識がガイドにあったか、皆がガイドに聞きたいのに会社は明らかにしようとしていません。これがもう一つの争点です。組織としてのアミューズに低体温症の認識はあったのか社長に聞いても何も言いませんでした。会社の出したパンフレットからは低体温症のことはうかがえません。都合が悪いというのでしょうか。

多田ガイドは救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。さらりと書いてあるが、これはなんなんだ。かれは携帯電波が南沼キャンプ地方面で通るということを知っていたということなのか。すくなくとも探しに行くということは通じるかもしれないと思っていたということは言えるだろう。そうするとなぜ彼はもっと早く救援要請をしなかったのかが問題となる。このようにこの文書では皆が聞きたがっていることが全く触れられていないのであります。多田ガイドは何を考えていたのだろうと皆が聞きたがっているのに。次々と動けなくなる人が出てきたのに、救援依頼をまっ先にしなければと思うのに。12時~1時に連絡を入れていればと思うのに。何を考えていたのかと。

松本ガイドの言い分なるものについて。彼は「ゆっくりしたペースでトムラウシ分岐に」という。しかしかれは女客が通常の歩行能力を失っていることを知らないのだ。ペースに付いていけないのは当然であろう。トムラウシ分岐で点呼したというが、これはウソである。彼は分岐にいなかった、分岐から20m以上下に降りた、姿の見えないところから「オーイ、オーイ」と叫んでいた。自分が「オーイ」と答えてやると気配が消えた。下って行ったのである。点呼したというのはあり得ません。「8人しかいなかった」というのもウソです。かれは客の2人がいなくなったことをどうして知ったのか。先頭にいて分かるはずがありません。自分は彼と2人の客の先頭グループにいましたが後続が遅れるので後詰めに回ろうと後ろに下がったのです。それで2人がいないことに気が付き彼に知らせようとしたらかれは声だけ残して下って行ったのです。8人の客に「道標にむかって下山してください」と伝えたというのも妙な言い方です。全員に伝えたというのか、自分は聞いていない。きちんと点呼を取っていてそこにそろっている人には、次にどちらへ行くかはいちいち声を出さなくてもわかるでしょう。ついていけばよいのだから。だから作文だというのです。

彼は常に先頭にいて後ろの客のことは念頭になかったのであります。後続の女客5人の歩きはぎこちなく足に力が入らなくてよちよちと歩く状態です。彼はそんなことは知ろうとしないのです。一方で極限状態であったと予防線を張っている。言い訳にしている。彼はまだこのあたりでは余力を残していたと思われ、だから先頭に立って下山したのでしょう。だからこれはマズイ予防線であるとおもいます。自分がサバイバルのみで動いたことの告白にもなっています。だれが作文を書いたか、ほかにいるのでしょう。

会社は当分2人を手元に置いておかなければならないと考えているでしょう。皮肉なものです。

4時前に前田さんが110番したこと、ガイドが110番してくれと頼んだことは前田さんの証言ではっきりしている。そのあとはよく覚えていないというのはこれも嘘であります。ただここではこれまでとしておきます。

多田ガイドが松本ガイドに救援要請の指示を出したのかどうか。多田ガイドはこれについて何も言ってないから指示はないとみるべきでしょうか、。社長はこの辺のことを言うが思惑によるとして聞いておくのがよいでしょう。松本ガイドに頼んだ救援依頼のかくにんのためにも電波を探したと多田はいってると社長は言いました。多田ガイドは探せば携帯が通じると知っていたようだから松本に頼む必要はないとかんがえるべきだとおもいます。松本ガイドは自分の考えで110番したいと思ったのでしょう。

吉川ガイドについて。警察は彼も水につかったという。アミューズ社長は松本ガイドだけという。いずれ明らかになるでしょう。彼はなぜ死んだのか不思議である。このこともこの文書は何も触れられていない。聞くところによると、彼は自分の服を客に与えたといいます。自分の意見はこういうことはしてはならない、ガイドは客の安全のために自分の命はおろそかにしてはならないとおもいます。生き残ってこそのガイドだと思います。彼が死んだことは大量死の大きな要因になったでしょう。今回は両極端の形にガイドの生と死があらわれたことになります。 以上

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8月14日 silvaplauna

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本文に写真で掲載しましたアミューズ社が戸田様に渡した文書のPDFファイルが戸田様のご好意により届けられましたので公開します。
ご自由にダウンロードしてご覧ください。また、32歳ガイドの身分に付いて戸田様からメールをいただきましたので幾つかのメールとともに公開します。

文書1
文書2
文書3

mail1
32歳ガイドの身分
sua eightを見ていてまだ伝えていなかたのではと思い、お伝えします。社長に聞いたところ、かれは夏だけの契約社員だそうです。またこのコースは10年ほど前からやっているコースで、32歳ガイドは3年前に契約社員になったとのこと。10年前からとすると2002年の事故は知っていたはずですよね。32歳ガイドは低体温症を知っていたのか、会社は知らなかったのかと聞いたけれど、社長と東京営業本部長はなにもいいませんでした。
自分の軽率な思い込みからいらない思いをさせてごめんなさい。お2人にあやまっておきます。

mail2
まとめてお伝えした方がよいのですが、細切れですが、気になったことを言っておきます。吉川ガイドについて警察は彼も水に入ったといい、社長は入っていないと言っています。この警察官が間違っているだけなのか、社長の知らないことを警察が知っているのかいずれ明らかになるでしょうが。
まだおつたえしていないことがあるかもしれません。

mail3
会社の説明では、電話では電波が話し中通じている必要があるが、メールでは一瞬の電波があればよいといっていました。

mail4
トムラウシ山頂からの下山に18時間かかることについて
深夜ではじめてのコースであることが最大の原因です。ランプの届く範囲は限られ、歩幅はせまくなり足で探しながらあるくのだから3~4倍の時間はかかるでしょう。自分はコマドリ沢を渡ってすぐランプを出して、しばらくして真っ暗になりました。ただ真ん中の黒い筋だけをそこが水たまりであろうとも構わず歩きました。木の根があっても分かりませんから転ぶのは覚悟で。

8月12日 silvaplauna

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注 こちらでは、職業的山案内人としてガイドという言葉を使用しております。一部の立場の方からは「ガイドの資格」を持っていなければ「ガイド」と呼ぶべきではないと、いったご意見もあるようですが、そういった考え方はわが国においていまだ社会全体に普及してはいないと考えますので、より通有性のある表現方法を採っています。医師の資格が無い人を医師と呼ぶのはおかしいですが、ガイドの名称は、わが国では医師の資格ほど、資格が無ければ使ってはいけない肩書きであると社会的に理解されてはいないと考えます。
もちろん、分析のパースペクティブとして、○△社団法人認定のガイド資格の有無により今回の事故の原因が浮かび上がるのなら格別、いまのところガイド資格の有無により分析しても事故原因について明確な答えが出てくるとは考えておりません。
むしろ、資格の有無に拘ると、「資格が無かったから事故を起したんだ」、「今度の事故はモグリのガイドがやったことだ」といった単純かつ益の無い結論に堕してしまう恐れさえあると考えております。

そのような結論を見越した立論の仕方は私の採るところではありませんのでご諒解よろしく御願い申し上げます。

8月11日 追記

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北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。

さて、この事故が起こってそろそろ3週間になります。この記事も長くなりましたので、読んでくださる方のために簡単におさらいとお読みになる上での注意事項を書いておきます。

この記事の記載内容

事故の顛末、時系列の流れ→考察①~⑫→戸田氏の体験記→情報収集元の記事の列挙、の流れとなっています。  

管理人の立場は考察⑫にコンパクトにまとめてあります。

事案を解明する上で鍵となる主な論点(10個)

Ⅰ なぜヒサゴ沼避難小屋に停滞しなかったのか?
A 午後には回復するという天気予報を信じたのだとする立場
B トコロテン方式に避難小屋を使いまわしていて後発隊のために小屋を空けざるを得ず出発せざるを得ないのだとする立場

Ⅱ なぜ後戻りしなかったのか?
A 気がついたときは後戻りできる地点を過ぎていたという立場 
B 日程重視で、トコロテン方式だから後戻りなど最初から頭にはなかったのだとする立場

Ⅲ 多田ガイドが、北沢付近で、強風の中1時間30分~2時間停滞した理由
A 倒れた人の救助活動をしていたとする立場
B 頭が回らず、無意味に立ち止まらせたとする立場

Ⅳ 多田ガイドはビバーク地点で携帯メールが使えることを知っていたのか?について
A 携帯(メール)が使えるとは知らなかった、だから松本ガイドに110番通報を頼んだとする立場
B 知っていた(けれど、何故か13時30分に110番通報はしなかった)とする立場

Ⅴ なぜビバーク地点で携帯メールを送るのがビバークを開始してから3時間も経ったあとの4時30分なのか?
A 自力下山を目指していたので連絡がやむを得ず遅れたとする立場
B 騒ぎになるのが嫌で連絡しなかったが、どうにもならなくなって仕方なくその時間に連絡したのだとする立場

Ⅵ 松本ガイドはツアー客を置き去りにしてなぜ先行したのか?
A 多田ガイドに110番通報を依頼されたためとする立場
B まず自分を守るために、真っ先に降りたとする立場

Ⅶ 松本ガイドは自分で率先して110番通報したのかに関して
A 多田ガイドの指示通りガイド自ら通報したとする立場
B 付近のツアー客にせかされて気がついたように連絡したとする立場
C そもそも、110番通報したのは、松本ガイドではなく、女性ツアー客であるとする立場

Ⅷ 松本ガイドのコマドリ分岐付近の行動について
A 疲労や、低体温症で倒れたとする立場
B 救助隊を避けて、逃げ隠れていたとする立場(あえて自力下山しなかったとする立場)

Ⅸ 多田ガイドと、ツアー計画との関係について
A 多田ガイドはただの雇われガイドで会社からツアー計画を押し付けられただけとする立場
B 多田ガイドがこのツアー計画の企画に一枚絡んでいるという立場

Ⅹ 美瑛岳と、トムラウシで同時に3件合計10名もの死者が出たのはなぜか?
A ものすごい低気圧が一帯を襲ったため逃れようがなかったとする立場
B 装備不十分、ツアー強行、天気予測不十分という原因が一致したのだとする立場
C 両者の折衷の立場

管理人のこれまでの思考の流れ

最初は事案の把握に努める

swanslab氏からいただくコメントの影響でいささか多田氏よりの見方をする

戸田氏の体験記の影響で、多田ガイドを支持する心が冷める

事案の詳細な背景事情にかかわるよりも、安全な登山のためにはこの事例から何を学ぶべきか?のスタンスに戻る。

現在、多田氏側でも、戸田氏側でもなくなる。

※管理人のコメントの一部には、それぞれの時期により多田氏よりの見解を述べたり、あるいは正反対に戸田氏よりの見解を述べたりしているものがあります。
これは自己矛盾というよりも思考の発展過程の流れですので、ご容赦ください。

資料批判

ご覧になる皆様のために資料の検証をしておきます。

戸田氏の体験談について・・生還された戸田様の体験記です。戸田様は出来るだけ客観的に叙述しようとなされています。ただ、被害者といえる立場の方ですので、一部厳しい論調になるのもやむを得ません。推測に基づく叙述は少ないと考えます。戸田氏の推論部分を裏付ける証拠があれば、非常に高い証明力をもちます。体験されている部分の記載はほぼ信用できます。推論部分は、他にも証拠を求めるなどして慎重に判断すべきです。されど、全く根拠がない推論でもないと考えます。

swanslab氏のコメントについて・・多田ガイドの大学の先輩筋にあたる方です。独自の登山の方法論をお持ちです。多田氏も同じ方法論を大学時代に学ばれたそうです。価値中立的なコメントも多く、私も参考にさせていただきましたが、スタンス的には、多田氏擁護論に傾いています。これはお立場を考えればやむない事でしょう。独自の登山の方法論は秀逸なものですが、客観性から説き始めるアプローチは冷静に批判的に考察しないと知らず知らずのうちに氏の議論ペースに乗ってしまう恐れがあります。

結局、両氏から提出される情報を冷静に理解することが、事案の真相を把握する上で何よりも大切であると考えます。

「客観を説く(がいささか多田氏よりの)swanslab氏の議論ペースに乗せられずに、戸田氏の体験記をベースにその体験と推論部分とを分けて、推論部分は鵜呑みにせず、他に証拠を求めるなどして冷静に読み解くこと。」といったバランスです。

8月4日 silvaplauna

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トムラウシ関連の記事にたくさんコメントをいただいており、また貴重な情報もお寄せいただき、大変感謝しております。コメントには、丁寧かつ慎重に時間をかけて対応させていただいておりますので、ご返信には時間がかかるかもしれませんが、なにとぞご了解ください。(事実関係の見極めに一番時間がかかります。)

そんな関係で、事実関係にあまり問題がなく、比較的お返事しやすいコメントからお返事させていただくことになろうかと思います。その点もお含みおきください。

さて、あれこれ批判を受けている3名のガイド諸氏についても、「ガイドが悪い!」と言ってしまうのは簡単ですが、そこに至った複合的な原因を解明してゆくと、ガイドに非を持ってゆくのも忍びない心情になります。ガイドといっても、もともとは、私や、皆様のような山が好きな人間、登山道で行き違えば挨拶を交わし、山小屋で一緒になったら四方山話でもしたであろう「山仲間」ですので・・。

いずれにしても、2002年の遭難の経験が今回全くといっていいほど生かされなかったことを踏まえ、山を愛するもの各自が、各自なりの立場でケーススタディとしてよく分析・検討し、一人一人の今後の登山活動に生かしてゆくことが、遭難予防、ひいては安全な登山に繋がるものと思っております。

コメントはご自由に、思うところをご自由にお書きください。
また、横レスをしていただくと大変助かります。

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追記情報 
※ 続報が入り、詳細な経過(特に最後までツアー客を引率したガイドの松本 仁さん(本文ではガイドCとして表示)がコマドリ沢分岐に倒れていたこと、等)がわかってきたので、記事の一部修正を行いました。 19日 AM1:30 追記
※ 十勝毎日新聞の記事を元に作成させていただいた遭難と救助の経過を時間を追ってまとめた記事、自衛隊の報告書、個人的な考察②を補いました。19日 AM11:30 追記
※ 2002年7月に今回の事故とほぼ同じ内容のガイド登山による遭難事故がヒサゴ沼~トムラウシ山~トムラウシ温泉を舞台に発生しております。詳細はこちらです。遭難事故 2002年7月トムラウシ山遭難事故 20日 AM01:00 追記
※ 考察③ トムラウシ山遭難の特徴、時間の計算、現場での判断の難しさ。を補いました。20日 PM01:00 追記
※ 考察②の文章をフェイル・セーフの概念を用い、読みやすいように一部書き直しました。20日 PM06:30 追記  
※ 考察④ ツアー主催会社社長、防寒対策の不備否定 を補いました。 20日 PM11:30 追記
※ 考察④の感想について、内容を補い、ルートイメージのリンクを付け加えました。 21日 AM07:30 追記
※ 考察⑤ 同時性多発性の問題~認識不足が偶然重なったのか?それとも、想定外の悪天候だったのか?21日 PM03:00 追記
※ 考察⑥ 山の計算(状況判断のダイナミズム)、ツアー登山の現実 22日 AM09:00 追記
※ 読売新聞18日夕刊の記事に、16日の経過が記載されているので、追加しておきます。ただ、この記事内容が、他社の記事と合致しない点を幾つか含んでいるので、全面的に信頼するのではなく両論併記のまま追加記載することにします。 22日 PM11:00 追記
※ すなわち読売新聞18日夕刊によると以下のようである。
「5合目まで下りた午後4時前にはガイドを含む3人が動けなくなった。ガイドは携帯電話で「動けなくなった」と道警に通報。残る8人がさらに登山口を目指したが、体力の消耗が激しい登山客の歩みは遅く、隊列も崩れ、最後は散り散りになって下山したという。」

注 この5合目とは前トム平を指す。この読売の記事を読む限りでは、前トム平までは11人が揃って下ってきたように読めるが、他社の記事を読む限りではそのようには把握できない。読売新聞の記事では、8人が前トム平から下山したように読めるが、実際に自力下山できたのは5名で、ガイドC(松本 仁さん)はコマドリ沢分岐で発見され、前トム平で4名発見うち3名死亡という他社の情報もあり、読売新聞の記事をそのまま信用できない。
また、「(松本 仁ガイドが自分自身が)動けなくなった。」と連絡したというのも初耳である。

追記 毎日新聞によると以下のようである。
■下山
 「(ツアー客)10人をまとめておりてくれ」「(トムラウシ)分岐で全員を確認してくれ」。32歳ガイドは別の38歳ガイドに伝えた。38歳ガイドを先頭に客10人は下山を目指した。しかし、隊列はやがて分裂していく。「ガイドのペースが速すぎた」との証言もある。
 38歳ガイドについていけた客は3人。その一人の戸田さんは心配になって戻ったが、後ろにいるはずの7人のうち、2人の姿は見当たらなかった。トムラウシ分岐付近では38歳ガイドの呼び掛けが聞こえたが、間もなく途絶えた。その後、一緒に下山していた味田久子さん(62)=名古屋市=が歩けなくなった。
 最終的には38歳ガイドと客2人だけが先に進み、5合目付近の前トム平に到着。携帯電話は通じるようになり、午後3時55分に38歳ガイドが道警に救助要請。最初の体調不良者が出てから約5時間半も経過していた。
 下山を目指した11人中、自力下山できたのは5人のみ。味田さんら女性3人と木村さんは途中で力尽きた。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html

更に18日読売新聞夕刊によると以下のようである。
「一方、午後4時30分頃には、山頂近くのビバーク先から、ガイドが携帯電話メールで「7人下山できません 救助要請します」などと連絡。更に30分後には、「すみません8人です。4人ぐらいダメかもしれないです」と伝えた。日没後の午後8時過ぎには、道警が登山客らの容体を確認するため、ガイドに定時連絡するように指示したが、午後11時18分、電話に応答しなくなったという。」

注 この記事で山頂のビバーク先から携帯メールで直接連絡があったというのは、初耳である。他の記事では、松本 仁さん(ガイドC)を通じてツアー会社や警察などと連絡がなされていたように受け取れるからである。また、なぜ7人ではなく8人なのか、誰が一人増えたのか?不明である。山頂付近では携帯電話は通じないようであるが、携帯メールなら交信が出来たのであろうか?ここのところも他の情報源とは違っている。
 とりあえずここでは両論併記するにとどめる。現場にいたガイドである多田学央さんの証言がいずれ真相を明かしてくれるだろう。 22日 PM11:00 追記

追記 毎日新聞によると・・
【午後4時45分】ビバーク中の32歳ガイドからアミューズトラベルにメールが届く。「すみません。7人下山できません。救助要請します。トムラの北沼と南沼の間と北沼の2カ所です」
【午後5時15分】32歳ガイドから再びメール。「すみません8人です。4人くらいダメかもしれないです。○○さん(61歳ガイド)も危険です」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html

※上記引用の読売新聞記事と比較照合するべく毎日新聞記事情報を追記しました。23日 AM10:00 追記
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 考察⑦ 松本 仁ガイドの行動を考える。 を追補しました。 24日 AM12:00 追記 

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 考察⑧ トムラウシ山と美瑛岳、遭難初期の捜索活動の比較 を追補しました。 26日 AM12:00 追記

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 考察⑩ 低体温症発生回避のためのヒサゴ沼避難小屋からのエスケープルートについて、 を追補しました。 26日 PM23:30 追記

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 考察⑪ 低体温症のタイムリミットは、5~6時間、トムラウシへのこだわりと行動ペースの誤算の可能性 を追補しました。 28日 PM17:30 追記

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 考察⑨ ヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ登山口に下山するまで18時間かかることについて、トムラウシ集団遭難事故に見る「行動不能に陥る確率」について、
を追補しました。 29日 AM07:30 追記

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 考察⑫ ガイディング能力への過信、気象予測の難しさ、プロガイドのプロたるゆえん・・。を追補しました。 30日 PM23:00 追記

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答を追補しました。 31日 PM14:00 追記  


第一回分、質問①~⑨に対するご回答 7月31日公開、
第二回分、質問⑩~⑱ A①~A⑦に対するご回答 8月1日公開、
第三回分、質問19~19-8、20 A⑧~A⑱に対するご回答 8月2日公開、
第四回分、質問A⑲~30に対するご回答 8月6日公開(一部非公開)、
※戸田様からいただいた追記情報(事実関係)を掲載しました。8月7日 AM08:00 追記、
※本事件に対するアミューズ・トラベル側の見解「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と若干の私的分析、それに対する戸田様のご意見を掲載しました。 8月9日 PM09:00 追記、
第五回分、質問A31~A50に対するご回答 8月10日公開、
※アミューズ・トラベル側の見解「トムラウシ山の遭難事故の経過について」に対する戸田様のコメントPDF版を掲載しました。 8月15日 AM06:00 追記、

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はじめに

この度、不幸にもトムラウシ山において遭難された10名の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、この記事を作成するにあたっては以下に引用するさまざまな報道記事を参考にさせていただきました、それらを後半に引用させていただき感謝の意を表します。

夏休みに入り、日本アルプスや八ヶ岳、谷川連峰、あるいは東北の山々等などに出かけるトレイルランナーの方々も多いと思います、皆さんにおかれましては今回の事件を他山の石として、ひとりの遭難者も出さないように心がけていただければ、幸いです。

さて、ツアー登山は安全でなければならないと考える。仲間とあるいは一人で出かけるよりも、山のプロであるガイドが同行して案内してもらえるのだから。
安全の見返りとして、当然、ツアー登山は、いくばくかのガイドへの案内料も払うわけだから通常の登山よりも高いものとなる。私の知り合いのお母さんもあの無名山塾のツアーに参加していて、一日あたりの引率料も払うのよとおっしゃっていた。さて、今回は、そんなガイド登山が引き起こした大量遭難事故についての考察である。

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場所 北海道大雪山系のトムラウシ山(標高2141メートル)と美瑛岳(標高2052メートル)

ルートイメージ
ルート全体 大雪山縦走3 ヒサゴ沼~トムラウシ
ルート前半 大雪山~トムラウシ山主稜縦走-4

トムラウシ山での過去の遭難事例 遭難事故 2002年7月トムラウシ山遭難事故

今回の遭難状況 2パーティー計24人、そのうちトムラウシ山で女性6人、男性2人(①)、美瑛岳で女性1人が死亡(②)。そのほか、単独でトムラウシ山に登ったとみられる男性1人も死亡(③)。

①については、以下に詳論する。

②概略
場所 美瑛岳(標高2052m)
ツアー内容、メンバー 美瑛岳のツアーはコンパス社が主催。女性客三人と男性ガイド三人が三泊四日で十勝岳などを縦走する予定
経過
※道警によると、美瑛岳のパーティーから16日午後、救助要請があった。客の女性1人が低体温症で動けなくなっため、ガイド2人が付き添っている。残り3人は避難小屋に入ったという。
16日 午後5時50分ごろに、「女性1人が寒さで動けなくなった」と、茨城県のツアー会社を通じて、119番通報。
16日 夜間 道警山岳救助隊ら12人が救助に向かう。
17日 未明 同岳近くの美瑛富士避難小屋と山頂付近に別れていた6人と相次いで合流。
※ このうち兵庫県姫路市の尾上敦子さん(64)の死亡が確認。低体温症の2人を含む5人は命に別条はなし。
※ 道警によると、16日夜の山頂付近は霧で氷点下5度だった。

③二つのパーティーとは別に山頂付近で遺体で見つかったのは茨城県笠間市の男性(64)とみられる。男性はトムラウシ山の登山口の「国民宿舎東大雪荘」に16日に宿泊する予約をしていたが、姿を見せなかったという。
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2009年7月16日、17日 アミューズトラベル トムラウシ山 大量遭難事件について、

①トムラウシ山のパーティーは東京の旅行代理店(アミューズトラベル)を通じて参加した男性5人、女性10人と、男性ガイド3人の計18人。年齢は32~70歳。客15人は愛知県5人、広島県4人、静岡県2人のほか、宮城、岐阜、岡山、山口の各県から1人ずつ参加した。

救難事故発生に至る行程

13日 北海道入り

14日 旭岳温泉を出発、雨の中を白雲岳避難小屋まで歩いた。

15日 曇りで、同小屋からヒサゴ沼避難小屋へ。

16日 午前5時 ヒサゴ沼避難小屋出発予定を悪天候のため30分繰り下げる。

16日 午前5時30分 次のツアーを待つ男性ガイド(60)をヒサゴ沼避難小屋に残し、ヒサゴ沼避難小屋出発。気温は10~15度で、山頂までの間に強風にさらされ、一部の客は体温低下。
※追加 ガイドの判断でヒサゴ沼避難小屋を出発したとのこと(18日読売新聞夕刊1面に記載)。
※ビュービューと吹く風の音を耳にしながら、一行は宿泊した避難小屋を出発した。愛知県清須市から参加した戸田新介さんは「大丈夫か」と疑った。20メートルの風。案の定、数時間で歩けなくなる人が出始めた。それなのに、元気な人は先を行く。昼を前に、集団は縦に長くなってしまった。その後、戸田さんらの一行は山頂手前の北沼へ。自力で下山した人によれば、ここで複数の人が体調不良を訴えた。
十勝山岳連盟の太田紘文会長によると、出発地のヒサゴ沼避難小屋から北沼まで晴天なら3時間。ところが、自力で下山した人の話などでは、一行はこの日、6時間前後もかかった。3日目の疲労に加え悪天候で、体力を消耗する人と、そうでない人に差が出た。

16日 正午前(ヒサゴ沼避難小屋出発後6時間経過)
トムラウシ山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、ガイドの吉川 寛さん(ガイドAとする)がテントを張って山頂付近にとどまった(まず、トムラウシ山頂付近に2人残る)。
※追加 読売新聞18日夕刊によるとこのときの時刻は午前11時前(10時30分前~11時)とのこと。

16日 正午過ぎ(ヒサゴ沼避難小屋出発後6時間以上経過)
さらに、女性客3人と男性客1人も低体温症になり、ガイド多田学央さん(32 ガイドBとします)がテントを張って付き添い、その後ビバークする(先ほどの2人の他にさらに5人残る)。
※追加 読売新聞18日夕刊によると時刻は一時間後の11時30分~12時30分にかけて。
※トムラウシ山頂手前でパーティー後方にいた2人が倒れ、一行はその場から動けなくなった。その場に約1時間とどまり、戸田さんは「救助を要請しよう」と提案したが、体力の残っているメンバー11人(松本 仁さん(ガイドCとします)を含む)で先に進むことになり、倒れた2人やガイド1人(ガイドB)を含む数人を残して十数人で改めて出発した。

16日 午後3時54分110通報(ヒサゴ沼避難小屋出発から10時間24分経過)
残る男女11人(ガイドC一人を含む)は下山を続け、ガイドCが午後3時54分に5合目の「前トム平」から110番通報。
内容は「ガイド1人、客2人の計3人がいます」というもの。
※ガイドCが午後3時54分前トム平で110番通報をした時点で、ガイドCの周りにいたツアー客は2名。この時点で、テントを使ってビバーグしていると把握しているのは、二箇所の2名+5名=7名、通報時においてガイドCは一緒に行動を再開した10名(ガイドCを除く)のうち8名のツアー客が自分から離れていること(置いてきぼりにしていること)を認識できたはずである。

※追加 読売新聞18日夕刊によると以下のようである。
「5合目まで下りた午後4時前にはガイドを含む3人が動けなくなった。ガイドは携帯電話で「動けなくなった」と道警に通報。残る8人がさらに登山口を目指したが、体力の消耗が激しい登山客の歩みは遅く、隊列も崩れ、最後は散り散りになって下山したという。」

注 この5合目とは前トム平を指す。この読売の記事を読む限りでは、前トム平までは11人が揃って下ってきたように読めるが、他社の記事を読む限りではそのようには把握できない。読売の記事では、8人が前トム平から下山したように読めるが、自力下山できたのは5名で、ガイドC(松本 仁さん)はコマドリ沢分岐で発見され、前トム平で4名発見うち3名死亡という情報もあり、読売の記事をそのまま信用できない。
また、「(ガイド自身も)動けなくなった。」と連絡したというのも初耳である。

追記 毎日新聞によると以下のようである。
■下山
 「(ツアー客)10人をまとめておりてくれ」「(トムラウシ)分岐で全員を確認してくれ」。32歳ガイドは別の38歳ガイドに伝えた。38歳ガイドを先頭に客10人は下山を目指した。しかし、隊列はやがて分裂していく。「ガイドのペースが速すぎた」との証言もある。
 38歳ガイドについていけた客は3人。その一人の戸田さんは心配になって戻ったが、後ろにいるはずの7人のうち、2人の姿は見当たらなかった。トムラウシ分岐付近では38歳ガイドの呼び掛けが聞こえたが、間もなく途絶えた。その後、一緒に下山していた味田久子さん(62)=名古屋市=が歩けなくなった。
 最終的には38歳ガイドと客2人だけが先に進み、5合目付近の前トム平に到着。携帯電話は通じるようになり、午後3時55分に38歳ガイドが道警に救助要請。最初の体調不良者が出てから約5時間半も経過していた。
 下山を目指した11人中、自力下山できたのは5人のみ。味田さんら女性3人と木村さんは途中で力尽きた。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html

更に18日読売新聞夕刊によると以下のようである。
「一方、午後4時30分頃には、山頂近くのビバーク先から、ガイドが携帯電話メールで「7人下山できません 救助要請します」などと連絡。更に30分後には、「すみません8人です。4人ぐらいダメかもしれないです」と伝えた。日没後の午後8時過ぎには、道警が登山客らの容体を確認するため、ガイドに定時連絡するように指示したが、午後11時18分、電話に応答しなくなったという。」

注 この記事で山頂のビバーク先から携帯メールで直接連絡があったというのは、初耳である。他の記事では、松本 仁さん(ガイドC)を通じて連絡がなされていたように受け取れるからである。また、なぜ7人ではなく8人なのか、誰が一人増えたのか?不明である。山頂付近では携帯電話は通じないようであるが、携帯メールなら交信が出来たのであろうか?ここのところも他の情報源とは違っている。ガイドである多田学央さんの証言がいずれ真相を明かしてくれるだろう。

追記 毎日新聞によると・・
【午後4時45分】ビバーク中の32歳ガイドからアミューズトラベルにメールが届く。「すみません。7人下山できません。救助要請します。トムラの北沼と南沼の間と北沼の2カ所です」
【午後5時15分】32歳ガイドから再びメール。「すみません8人です。4人くらいダメかもしれないです。○○さん(61歳ガイド)も危険です」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html


16日 深夜から17日未明 ツアー客ばかり合計5人が3グループに分かれて(要するにバラバラになって)めいめい自力で下山する。
※自力下山出来たのは全部で5名(全員ツアー客)で、ガイドCの通報時に、ガイドCの周りにいたツアー客2名は下山できたと考えると、他にツアー客3名が自力下山したことになる。110番通報をしたガイドCは自力下山が出来ず、コマドリ沢分岐に倒れているのを翌日17日午前10時ごろに発見された。
※戸田新介さん(65)さんは途中で脱落し、17日午前1時半頃に1人でビバーク。約2時間後に再び下山し、ふもとの国民宿舎「東大雪荘」近くの林道で救助された。戸田さんは「途中でついていけなくなった。風がすごく、とても寒かった」と話していた。
※17日午前6時頃に自力下山した女性は「風はかなり強かった。歩ける人だけ下りてきたが、途中で座り込む人がいた。私は途中から2人で行動したが、もう1人が歩けなくなり、午前4時頃から1人で山を下りた」と疲れ切った表情で語った。

17日 早朝、道警、陸自の捜索隊がトムラウシ山のパーティー18人のうち、男女13人を発見
ヘリコプターで収容したが、ツアー客7人とガイド一人(ガイドA 吉川 寛さん)の8人が死亡した。5人は生存が確認された。
トムラウシ山頂付近から登山道に沿う形で、「北沼」に7人(生存3名、死亡4名)、「山頂付近」に1人(一部報道によるとこの山頂付近での発見は南沼キャンプ指定地で発見された遭難者2名(うち一名は単独行者の竹内栄さん(事例③)、二名とも死亡)と報道されているようである)、「南沼キャンプ指定地」に1人(死亡)、「前トム平」に3人(前述の一部報道によると前トム平では4名発見されてうち3名死亡、一人生存である模様)、「コマドリ沢分岐」に1人(ガイドC 生存)と、登山客(ガイド、ツアー客)は5カ所に分かれて見つかった(合計13人、うち8名死亡、5人生存確認 下の地図参照)。

17日 午前 捜索隊は要救護者、自力下山者を登山口から車で20~30分の場所にある国民宿舎東大雪荘に収容。

※別のパーティーのメンバーで、同じ山小屋に宿泊した静岡県函南町の男性(66)は16日早朝、遭難したパーティーから5分ほど遅れて山小屋を出発した。「横殴りの雨が降り、突風にあおられて倒れた仲間もいた。遭難したパーティーはとてもペースが遅く、バラバラになった人たち全員を追い越してしまったが、『この人たちは大丈夫だろうか』と心配していた」と話す。
この男性と一緒に下山した静岡県沼津市の女性(69)は、「遭難したパーティーには、風で飛ばされて転倒した人もいて、『大丈夫か』と思った。自分たちも強風で岩にしがみつくほどだった」と劣悪な天候を振り返った。

※遭難男性の1人を登山口から国民宿舎東大雪荘に運んだ女性(69)によると、男性は「雨と風がすごかった。ゆうべはビバークし、明るくなったので下山してきた」と疲れた様子で話していたという。
※現地でツアー客を登山口まで案内している横山裕一さん(49)は午前5時ごろ、国民宿舎東大雪荘でこのうち2人を見掛けた。「泥だらけでぐったりして戻ってきた女性がいた。疲れた様子で男性が警察官に事情を聴かれていた」と、当時の様子を話した。(2009/07/17-13:34)

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この絵図は、http://www.asahi.com/national/update/0718/TKY200907170469.htmlの情報をもとに作成しました。「山頂付近」というのは、「トムラウシ分岐」を指すのかもしれません。だとしたら、絵図よりももう少し南沼キャンプ指定地寄りです。 

追記 毎日新聞によると、【午前6時半ごろ】南沼キャンプ指定地近くで女性1人を発見。その後死亡確認
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html
【午前5時35分】トムラウシ分岐付近で木村隆さん(名古屋市)を発見、収容。その後死亡確認
【午前6時半ごろ】南沼キャンプ指定地近くで女性1人を発見。その後死亡確認
毎日新聞は、トムラウシ分岐と、南沼キャンプ指定地の二箇所で2人が死んでいると発表している。


※報道機関により要救護者の発見場所が多少異なるが、要するに、標高1700m以上の北沼~前トム平の間で8名死亡している点では共通する。

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http://www.tokachi.co.jp/feature/200907/20090718-0002104.php

考察①

午後3時54分にガイドCがツアー客2名とともに前トム平で110通報して、そこから更に下山を開始したが、登山口まで無事に自力下山できたものは、ツアー客の5名にとどまる。(ガイドCはコマドリ沢分岐付近に倒れているのを翌日発見され救助される。生存)
結果として総勢18名のうち、13名(ガイドCを含む)がコマドリ沢分岐より上に取り残され、前トム平から一歩も下山できなかった者が12人にもなる。
ガイドCはコマドリ沢分岐に意図してとどまったのか、下山しようにも下山できずそこで倒れたのかは現在不明である。

この北沼~前トム平に取り残された12名のうち、ガイドA Bを含む7名はそれぞれのガイドが受け持つ(安全な下山のための責任を負う)として、それ以外の5名(全員ツアー客)に関してはガイドCの分担であるので、110番通報をしてからのガイドCの行動が問題となる。
コマドリ沢分岐に倒れていたガイドCが、最終的に担当することになった10名のツアー客(うち5名は自力下山、5名は北沼~前トム平に取り残され4名が死亡)の生命、身体の安全にどれほど尽力したかが、鍵となろう。

ガイドA(死亡)の行動
16日 正午前(ヒサゴ沼避難小屋出発後6時間経過)
トムラウシ山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、テントを張って山頂付近にとどまる。
17日 早朝捜索隊により発見されるも2人とも死亡する。

ガイドB(救出、生存)の行動
16日 正午過ぎ(ヒサゴ沼避難小屋出発後6時間以上経過)
女性客3人と男性客1人も低体温症になったのでテントを張って付き添い、その後ビバークする。

追記 毎日新聞によると・・
【午後4時45分】ビバーク中の32歳ガイドからアミューズトラベルにメールが届く。「すみません。7人下山できません。救助要請します。トムラの北沼と南沼の間と北沼の2カ所です」
【午後5時15分】32歳ガイドから再びメール。「すみません8人です。4人くらいダメかもしれないです。○○さん(61歳ガイド)も危険です」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html

17日 早朝捜索隊により発見されるも、2名死亡、3名(ガイド含む)は助かる。

ガイドC(コマドリ沢分岐で倒れているのを発見、救助され生存)の行動
16日 正午過ぎ、テントにビバーグしたツアー客の残り10名を受け持ち下山に向かう。3~4時間後110番通報をするもこの時に一緒に行動出来ているツアー客は2名のみ。途中で8名のツアー客を無視して行動したのか?それとも迅速に携帯電話が通じる範囲内に下山して警察への遭難連絡を優先したのかは不明。
17日 午前10時44分  登山客がコマドリ沢付近の雪渓で倒れている男性(ガイドC)を発見し110番通報。男性は「マツモトヒトシ」と名乗り、ツアースタッフの松本仁さん(38)=愛知県一宮市=とみて救助、帯広厚生病院に搬送

※追記 上述したように読売新聞18日夕刊によると、前トム平までは、11人で行動してきたように書いてあるのだが、他社の情報と食い違っており情報が混乱している。問題は、11人が、どこでバラバラになったかである。他社によると、既に前トム平の時点でバラバラとなっており、ガイドCの周りには、2人しかいなかったように読みとれる。かたや、読売の記事によると、前トム平までは11人揃ってやってきてそこから先でバラバラになったと読めるのである。
いずれにしても、真実は、刑事裁判や民事裁判の場で確定されることになろう。

※ガイドCはコマドリ沢分岐に倒れ、任された10名のツアー客のうち5人だけがバラバラに登山口まで自力下山した模様である。
※結果的には、受け持ち10名のツアー客のうち自力下山出来た者は5名にとどまり、捜索隊によって救助された者は5名にもなる(うちガイドC以外の4名が死亡)。


さて、60歳以上の登山者を悪天候の中10時間(ヒサゴ沼避難小屋スタート時から110番通報まで10時間以上経過している)以上も標高1700m以上の逃げ場のない吹きさらしの中(前トム平の標高は1700m以上で、森林帯ではないので逃げ場がない)で行動させる結果となったのは、ガイドとして失敗であり、ツアー客の体力と、悪天候への耐候性を見誤ったもの(計算を間違えた)と考えられる。

さらに、18名のうち自力下山できた5名、比較的標高が低いコマドリ沢分岐まで降りてこられた一人(ガイドC)を除く12名(ガイドA Bを含む)を標高1700m以上の逃げ場のない吹きさらしのなかに20時間以上(16日ヒサゴ沼避難小屋をスタートした午前5時30分~17日捜索隊が出発した午前4時30分頃)放置すれば、少なからざる者が死亡するであろうことはガイド各自においてたやすく予見できるだろう。

現実には、その12名のうち8名もの人間が死んでしまったわけだ。
引率する人数が多ければ多いほど、体力的に不安なものも存在するわけであり、慎重な判断が求められる。
今回は引率ツアーガイドの判断ミスが重なり、「そういう結果」に導いてしまったのだと考える。

先に指摘したようにガイドCの行動は問題であり謎が多いが、彼のみが悪いわけではないと考える、悪天候の下、10名ものツアー客をひとり任されたガイドC氏の心情も理解できる。コマドリ沢分岐に倒れるに至った状況は、下山しようにも下山できなかったのか、それとも後ろから下山してくるはずのツアー客の安全を考え現場にあえて待機していたのかは現在不明であるが、やがて明らかとなろう。
いずれにしても、彼をそういう状況に追いやった全体的なツアー計画とガイド各自の現場の判断が誤っていたということである。

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追補 トムラウシ山遭難ドキュメント
2009年07月17日 14時12分

※十勝毎日新聞の元記事をベースにあれこれと情報と個人的感想を付け加え作成いたしました。
なお、参考にさせていただいた元記事はこちら・・http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002084.php

16日午後03時54分  午後3時半に下山予定だった登山ツアー参加者(松本 仁さん(ガイドC) 他二名)から「トムラウシ山頂付近強風で下山不可能」と携帯電話で110番通報と救助要請

16日午後05時ごろ  新得署に旅行会社を通じて「4人くらいだめかもしれない」という登山者からのメールが届く

追記 毎日新聞によると・・
【午後4時45分】ビバーク中の32歳ガイドからアミューズトラベルにメールが届く。「すみません。7人下山できません。救助要請します。トムラの北沼と南沼の間と北沼の2カ所です」
【午後5時15分】32歳ガイドから再びメール。「すみません8人です。4人くらいダメかもしれないです。○○さん(61歳ガイド)も危険です」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html

16日午後06時ごろ  新得署員3人が同山短縮登山口に車両2台で到着(110番通報から2時間経過後)

16日午後08時半ごろ 男性2人、女性3人のグループから新得署に携帯電話で連絡。女性1人が意識不明で、近くに別に倒れている生死不明の男性を目撃したとの内容

16日午後10時ごろ  グループから予定されていた携帯電話の連絡時間。連絡はなし

16日午後10時15分  救急車が短縮登山口に到着

16日午後11時過ぎ  新得署に連絡があった携帯電話に電話するも不通

16日午後11時45分  新得町が北海道を通じ自衛隊に正式に救助要請する。・・警察への110番通報から8時間経過後である。

16日午後11時50分   5人のうち亀田通行さん、前田和子さん=いずれも(64)、広島市=が自力下山。2人は当初3人で下山したが、途中で1人と離れたと話す。

17日午前00時55分  温泉登山口に長田涼子さん(68)=仙台市=、斐品真次さん(61)=山口県岩国市=が自力下山

17日午前01時10分  自衛隊員が新得署に到着

17日午前03時30分  前田さんの話からツアー客らが離れ離れになった様子が判明し始める

17日午前03時53分  警察、消防署員各3人計6人が短縮登山口から捜索登山を開始・・短縮登山口に到着してからすでに9時間以上経過している。つまり、夜間捜索はなされず、空が白みはじめてから捜索に向かったと考えられる。また、自衛隊の地上部隊の30名に比べると捜索者の人数が6名(5分の一)とかなり少ない。

17日午前04時00分  道警航空隊、自衛隊ヘリコプターなど計3機が順次上空からの捜索を開始

17日午前04時38分  前トム平で女性を発見。ヘリで収容し、短縮登山道から救急車で清水の日赤へ搬送。意識不明(※①味田久子さんか? 死亡

※前トム平で発見されたのは女性が4人そのうち死亡が確認された女性は3(①②③)名で、発見の時刻、救護の順番は正確には不明です。

毎日新聞によると前トム平付近で発見されたのは、3名でうち2人が死亡と書かれている。
【午前4時35分】トムラウシ山の中腹で倒れている女性を発見。ヘリコプターで収容。その後死亡確認
【午前5時ごろ】中腹で女性を発見、ヘリコプターで収容。その後死亡確認
【午前5時10分】前トム平手前を下山中の真鍋記余子さん(浜松市)を発見。ヘリコプターで救出
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html

17日午前04時45分ごろ  戸田新介さん(65)=愛知県清須市=が短縮登山口に自力下山

17日午前05時01分  前トム平で女性を発見。呼び掛けに応答なし。ヘリで引き揚げて帯広厚生病院へ搬送。意識不明(②竹内多美子さんか? 死亡

17日午前05時16分  前トム平真鍋記余子さん(55)=静岡県浜松市=を発見、短縮登山口に降ろし、事情聴取(生存)。このときヘリから「1人硬直している」との無線が新得署に(③岡 恵子さんか? 死亡

※前トム平では女性4名が発見されて生存は真鍋記余子さんただひとりである。いずれ貴重な目撃証言が得られよう。

17日午前05時30分  自衛隊地上部隊が北沼付近で3人の生存者と4人が倒れているのを発見・・この7名は、ガイドAとガイドBに引率され16日昼前後に現場にとどまったツアー客であろう。4人が倒れているということは、どういうことか?テントに入っていたのではなかったのか??強風でテントは吹き飛ばされてしまったのか?

同所を撮影したと思われる写真には設営されているテントが確認できるが・・。
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17日午前05時35分  トムラウシ分岐付近で意識不明の男性1人を帯広厚生病院に搬送、死亡が確認(木村隆さん 死亡)・・トムラウシ分岐とは、南沼キャンプ場とほぼ同一地点であるようだ。

17日午前05時45分  道警ヘリが北沼西側付近で手を振っている2人、同東側に倒れている2人を発見した。・・これは17日午前05時30分に自衛隊地上部隊が発見した7名の要救護者たちであろう。

17日午前06時32分  南沼キャンプ場付近で寝袋にくるまっている男性1人を、先行していた地上部隊の1人が発見・・この登山者については情報がなく不明、死亡していたという情報もなくたまたま現場に居合わせた無関係の登山者か?

追記 毎日新聞によると、【午前6時半ごろ】南沼キャンプ指定地近くで女性1人を発見。その後死亡確認
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html
【午前5時35分】トムラウシ分岐付近で木村隆さん(名古屋市)を発見、収容。その後死亡確認
【午前6時半ごろ】南沼キャンプ指定地近くで女性1人を発見。その後死亡確認
毎日新聞は、トムラウシ分岐と、南沼キャンプ指定地の二箇所で2人が死んでいると発表している。

17日午前06時50分  自衛隊が北沼付近で発見した男性3人、女性4人の救助完了。
うち男性1(吉川寛さん(ガイドA) 死亡)人と女性3人が意識不明(植原鈴子さん 市川ひさ子さん 川角夏江さん いずれも死亡
生存者は、野首 功さん、石原大子さん、多田学央さん(ガイドB)の3名。

17日午前09時35分  ツアー関係者18人のうち17人の安否判明。生存者9人と死亡者8人と確認された。

17日午前09時36分  自衛隊ヘリコプターが南沼東側付近で、ツアー関係者以外の登山客とみられる男性1人の遺体を発見(単独登山の竹内栄さん 死亡)

17日午前10時44分  登山客がコマドリ沢付近の雪渓で倒れている男性を発見し110番通報。男性は「マツモトヒトシ」と名乗り、ツアースタッフの松本 仁さん(ガイドC 38)=愛知県一宮市=とみて救助、帯広厚生病院に搬送(生存

http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002084.php

※16日の110番通報がなされてから6時間経過の午後10時を過ぎるまで警察も事態の重大性に気付いていなかったのか、夜間の捜索は行わないセオリーを守ったのか、夜間捜索活動はなされていないようである。

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参考

北海道トムラウシ山における行方不明者捜索に係る災害派遣について(最終報)
平成21年7月17日
防衛省

※数値等は速報値であり、今後変わることがある。

1.災害派遣の概要
(1)要請日時
平成21年7月16日(木)23時45分

(2)要請元
北海道知事(十勝支庁長)

(3)要請先
陸上自衛隊 第5戦車隊長(鹿追)

(4)要請の概要
行方不明者の捜索

(5)発生場所
北海道トムラウシ山

(6)撤収要請日時
平成21年7月17日(金)13時05分

2.災害派遣までの経緯
 7月16日(木)から北海道トムラウシ山において、登山のため入山していたグループが下山できなくなったため、北海道知事から災害派遣要請がなされた。

3.防衛省・自衛隊の対応
(1)派遣部隊
陸 自 第5戦車隊(鹿追)、第5飛行隊(帯広)

(2)派遣規模 
人 員 約40名
車 両   5両
航空機   2機

(3)主な対応状況
【16日】

23時45分 北海道知事から第5戦車隊長に対して、行方不明者捜索に係る災害派遣要請。

【17日】

00時23分 第5飛行隊の人員2名、車両1両が連絡調整のため、現地対策本部へ向け出発。
00時50分 第5戦車隊の人員2名、車両1両が連絡調整のため、現地対策本部へ向け出発。
02時45分 第5戦車隊の人員約30名、車両3両が鹿追駐屯地を出発。
04時35分 第5飛行隊のUH-1×1機で捜索活動を開始。
05時25分 第5戦車隊の人員約20名で捜索活動を開始。
06時13分 第5飛行隊のUH-1×1機で捜索活動を開始。
06時51分 第5飛行隊のUH-1が遭難者2名を発見し救助した。
13時05分 撤収要請。
http://www.mod.go.jp/j/news/2009/07/17c.html

感想
※災害派遣が要請されて3時間後の午前2時45分には、30名もの隊員が車両3台で現場に向かっている。これはさすが緊急作戦展開能力がある組織ならではである。
※むしろ知事による自衛隊への災害派遣要請が、松本 仁さん(ガイドC)が携帯電話で110番通報をしてから、8時間近く経過したのちになされていることが問題である。
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考察② 現場の判断ミスをカバーしてくれるフェイル・セーフのための装備

松本仁さん(ガイドC)が16日午後4時近くに、前トム平で110番通報をしてから、8時間近く経過して自衛隊への災害派遣要請がなされている。ガイドA ガイドBを含む7名もの人数がビバークしている北沼付近は携帯が繋がらないため遭難現場と警察・消防との情報の伝達が遅れたものと考えられる。
遭難現場の事態の深刻さを警察・消防がもっと正確に把握できていれば、8時間ものブランクは生じなかった筈である。

もっとも、この場合、「そういったところ(逃げ場もなく、携帯も繋がらない場所)にツアー客を連れてゆく。」と言った心構えが旅行企画者、ガイド各自に求められよう。
「携帯が繋がらなかったんです!」というのは逃げ口上にもならないだろう・・。

現場の判断ミスをカバーしてくれる十分な装備があれば、・・具体的には①18名全員を収容できる5~6人用の大型テントを三つほど(行動状況によっては四つは必要となろう、今回のようにバラバラになってしまった場合はなおさらである)と、②緊急連絡のためのアマチュア無線機の用意、結果はかなり違ってきたはずである。

ツアー企画段階でフェイル・セーフのためのそういった装備の必要性について十分な考慮が払われたのか?後日詳細に解明されるべきである。
結果として、フェイル・セーフのための十分な装備を用意せずにツアー計画を実行に移したこと、それ自体にこのような結末を招来する抽象的な危険が内包されていたものと考える。


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考察③ トムラウシ山遭難の特徴、時間の計算、現場での判断の難しさ。

トムラウシ山遭難の特徴
2002年に遭難した2パーティと、今回のツアーの三者を比較してトムラウシ山遭難の特徴と思える点を挙げます。
以下分かりやすいように、
A 2002年愛知県パーティ 
B 2002年福岡県パーティ 
C 2007年今回のツアーの事案
と表現します。

以下順に、
①まず、ツアーガイド(B C)、またはグループリーダー(A)が当日に現場で行った天候予測が違って悪天候に見舞われたこと(A B C)。

行動を開始して4~5時間で、体調が悪化するパターンが見受けられる(特にヒサゴ沼避難小屋発のケース A C )。

死因は激しい風雨の中、体調を崩したり、体力を使い果たしてしまうことが原因(疲労凍死、低体温症)である(A B C)。

④遭難死亡が発生するいわゆる「危険地帯」は、北沼~トムラウシ山頂付近~南沼~前トム平の標高1700m~2100mの地帯である(A B C)。

⑤装備は、ツェルトのみ(A)であるとかそれすらも持たないケース(B)もある。満足にテントも持たず、要するに吹きさらしの中どんどん体力が奪われていくのを防ぎようがないまま死んでゆくパターン(A B C)が多い。

⑥皮肉にも遭難を起したツアー、グループに相前後して、同じルートを歩いていながら事故を起さないグループも存在しているのも特徴(A B C)。自分達のことで手一杯なのか、グループ相互の意思疎通や、情報交換はあまりなされなかった模様

⑦ガイドまたはグループリーダーはツアー客に残された体力の見当を間違えた(B C)。それどころか、自分自身の体力の見当も間違えガイド(グループリーダー)自身も力尽きてしまった(A B C)のも特徴。

⑧いずれもいわゆる本州の中高年の登山愛好家が、トムラウシ山が深田百名山ということではるばる出かけていって遭難するパターンである(A B C)。

⑨遭難を受けて、地元十勝の岳人による「大雪山系は本州の山とは違う(本州の3000mクラスの山に相当する)。」といったツアーガイド、ツアー客、登山者の「大雪の山々への認識不足の指摘」がなされる(A B C)。

ヒサゴ沼避難小屋を早朝5時30分にスタートしても、短縮登山口以降に自力下山できるのは、その日の深夜から翌日の未明となってしまっている。遭難を起したパーティの自力下山組は、18時間以上かけて自力下山している(A C)。ちなみに家族5人のファミリーハイクのペースで10時間程度(晴天時)である。

⑪ ⑩の補足、
具体的には、ヒサゴ沼避難小屋→前トム平は家族5人のファミリーハイクで6時間(晴天時)、前トム平→トムラウシ短縮登山口まで更に4時間(晴天時)かかる。
事例C(今回のケース)では、ヒサゴ沼避難小屋→前トム平に10時間半(630分)ほどかかっている。そのペースだと、順調に道迷いなく下って7時間(420分)でトムラウシ短縮登山口である(実際は夜間になるので、7時間以上かかってしまっている)。

時間の計算
今の時期、関東の山では、午後7時頃まで十分にライトなしで行動できるが、仮にトムラウシ短縮登山口に午後6時に下山する予定でシュミレーションをたててみよう。朝5時30分にヒサゴ沼避難小屋をスタートするので、与えられた行動時間は12時間30分である。

家族5人のファミリーハイクのペース  ヒサゴ沼避難小屋→(4時間)→トムラウシ山頂→(2時間)→前トム平→(4時間)→短縮登山口・・これがモデルペース配分比率となる。

事例C(今回のケースの予定) ヒサゴ沼避難小屋→(5時間)→トムラウシ山頂→(2時間30分)→前トム平→(5時間)→短縮登山口 ・・上のモデルペース配分比率に基づいてそれぞれ算出、これが当日の守られるべきペース配分の予定となる。

事例C(今回のケースの実際) ヒサゴ沼避難小屋→(6時間以上)→トムラウシ山頂付近→(4時間前後)→前トム平→(8時間以上)→短縮登山口・・当日の実際の所要時間。(注 今回はトムラウシ山頂は安全のために巻いたかも知れない(未確認)ので、トムラウシ山頂付近と記載します。北沼→南沼キャンプ指定地に巻き道あり。)

※ファミリーハイクのデータを踏まえても、トムラウシ短縮登山口に午後6時に帰着するためには、午後1時に前トム平を通過しなければならない。にもかかわらず前トム平に午後4時近くになって到着した時点で、既に計画通りの時刻には下山できないことが明白となってしまったと言うことができる。

現場での判断の難しさ

さて、次の表がヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ短縮登山口までの大まかな断面図である。
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注 この断面図は、http://www.enjoyhike.com/hiking_records/200808taisetsu.htm様の資料をもとに作成させていただきました。

これを元に、今回のようにトムラウシ山頂手前の北沼あたりでツアー客に体調不良者が出た場合の行動シュミレーションを考えてみよう。

立場は二つ考えられる。

判断例①(ヒサゴ沼避難小屋に撤退するべしという立場)
理由
※ヒサゴ沼避難小屋は標高も低く(1700m前後)、なによりも風雨をしのげるので安全である。
※ツアー客の体力が消耗されないうちに迅速に安全圏まで撤退するべきである。
※ヒサゴ沼避難小屋までは5k弱はあるが、今日進んできた道であり勝手は分かっている。
※天候が回復するなら一時的にビバーグして悪天をやり過ごすのがよいとして、回復しなかった場合は厳しいビバーグとなる。

判断例②(先に進むべしという立場)
理由
※トムラウシ山頂から先は若干にアップダウンはあるものの基本的に下りであるので、上手くゆけば2k歩いて2時間ほどで前トム平に着ける。トムラウシ山頂は諦めて南沼への巻き道を使えばもっと確実である。前トム平からは下るだけで、標高1400mまで下ることが出来て安全である。その先、コマドリ分岐から若干の登り返しがあるがそこまで行ければ何とかなる。
※戻るといってもヒサゴ沼避難小屋まで5k弱はあり、歩きづらいルートである。安全圏に戻るといっても体力を消耗し妥当ではない。
※北沼からはせいぜい3時間も歩けば、前トム平を過ぎて、コマドリ沢分岐付近にまで下れるはずである。
※風雨の中、せっかく北沼までたどり着いたのであるから、ここで停滞(ビバーグ)し天候の回復を待つべきである。

考察・・・北沼において、ヒサゴ沼避難小屋と、前トム平 どちらが安全圏か?
以上二つの立場(判断例①、②)は、まことに甲乙つけ難い。それゆえに現場のガイドも判断に相当迷ったものと推察される。

図表を見て机上で考察する限りでは、前トム平へ進み下山するとする判断例②に説得力があるように思える。
しかし、結果論として、北沼でビバーグして停滞、天候の回復を待った7名のうち4名が死亡。先に進んだ11名のうち4名が死亡となった。18名のうち自力下山できた者は、5名にとどまる。少なくとも、前トム平に進んだのは賭けの要素が高い失敗策であった。

では、判断例①に従い、ヒサゴ沼避難小屋へ撤退するべきであったか?ヒサゴ沼避難小屋までは、5k弱はあるので到着するのは日没との競争になりそうである。
到着できなかった場合は、1700mの吹きっさらしでのビバーグは避けられない。それに、ツアー客の中には、体調を崩して行動すること自体出来なくなっている者も存在している。・・これも安全策とはいえないだろう。

このようなことを考えると、そういった進退窮まる状況に自分達を追いやった第一の判断、すなわち当日にヒサゴ沼避難小屋をスタートして北沼まで歩を進めたこと自体に重大な判断ミスがあったと言えるだろう。


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考察④ ツアー主催会社社長、防寒対策の不備否定

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新得町民体育館で記者会見を行い、遭難事故についてあらためて謝罪するアミューズトラベルの松下政市社長=19日午前9時42分、北海道新得町

ツアー主催会社社長、防寒対策の不備否定
2009.7.19 15:43
このニュースのトピックス:航空・海難・山岳事故

新得町民体育館で記者会見を行い、遭難事故についてあらためて謝罪するアミューズトラベルの松下政市社長=19日午前9時42分、北海道新得町 中高年の登山客ら10人が死亡した北海道・大雪山系の遭難事故で、8人が亡くなったトムラウシ山のツアーを主催した「アミューズトラベル」の松下政市社長(50)は19日、北海道新得町で会見し、防寒対策の不備が凍死につながったとの見方について「(事前に配布する)装備リストに必要なものを記載している。本人の責任で持参してもらうのが通常だ」と述べ、社としての責任を否定した。

 ツアー参加者の服装については、救助に当たった自衛隊員が「特別な防寒具は持っていなかったようだ」などと証言。今回、問題点はなかったかとの問いには「はっきりした情報がないため分からない」と述べるにとどまった。
 また松下社長は「(悪天候など)異常な事態が起これば、途中ルートを省略したり、日程を延ばすこともある」と述べ、無理な計画ではなかったことを強調した。
 一方、ガイドの一人と面会し、ガイドが「最終日(16日)の朝、参加者の体調に問題はなかった」と説明したことを明らかにした。
 8人の遺体は、安置されていた新得町民体育館から遺族らとともにそれぞれの自宅へ。松下社長は「亡くなった方のご冥福を祈るとともに、大切な家族を亡くしたご家族に心からおわびします」とあらためて謝罪した。
http://www.sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090719/dst0907191544016-n1.htm

感想

記者会見というのは「真実」を語らなくってもよい場である。
警察の捜査も開始されどうやら刑事裁判が避けられないので、法廷で不利な証拠に利用されないように、マスコミなど公けの場では法廷で争点となりそうな事項について会社の責任を否定する方向の発言を行い始めたようだ。記者から受ける質問について、積極的に否定したり、あるいは、知らないと沈黙する・・。
その一方で、個々の家族とは、示談を進め「情状」を良くして行こうといった「戦略」であろう。
ガイドももちろん会社の法廷戦略に乗っていて、ガイドの発言もすでに「計算された発言(法廷論争を見越した会社側に有利な発言)」であると考えるのが筋である。

つまり、ひと言で言うと、彼ら(アミューズトラベル側)はもう「真実を語らなくなってしまった」というわけである。

これからはツアー客の生存者の証言真実を知るうえで重要となる。
(もちろん、中には、テレビドラマのように会社に金を積まれて真実を語らなくなる生存者もいずれ出てくるだろう。)

「死人に口なし」といった結果にならないように、警察にはきちんとした捜査を御願いしたいものである。

ところで、会社に法的責任があるかどうかを決めるのは、会社の社長ではなく、刑事裁判であり、民事裁判である。
遭難を引き起こした会社の社長が自ら、「会社に責任はありません」と言っても、それは社長はそういう考えを個人的に持っているという事に過ぎず、世間一般でそれが通用するものではない。
会社の法的責任の有無を決めるのは、裁判所である。

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考察⑤ 同時性多発性の問題~認識不足が偶然重なったのか?それとも、想定外の悪天候だったのか?

今回、北海道 大雪山系の山々で起こった山岳救急事故の特徴は、同時多発性にある。7月16日夕方~17日にかけて、美瑛岳で一グループ(一人死亡)、トムラウシ山で一グループ(8名死亡 死因は凍死)、および、単独行の男性が一人死亡(死因は凍死)しているのである。

大雪山系の山々の気候の特殊性と低体温症への認識不足が偶然に重なったのか、それとも当日は想定外の悪天候だったのか?

大雪山系は緯度が高いため2000m級の山でも気候条件は本州の3000mクラスに匹敵するという場所的な特殊性、および、夏山でも低体温症による凍死は起こりうるという生理学的な事実に関する認識不足が偶然に重なったのであろうか?それとも、 当日は、想定外の悪天候であったのであろうか?

いわゆる「気象遭難」は同時多発性の遭難を引き起こしやすい!?
気象の読み間違えというものは、誰でも起すものであり、山に人が多く入る夏山の時期では、それだけ気象を読み間違えて遭難を引き起こす登山者が発生する確率が高まる。
判断が難しい気象状況であればあるほどに、読み間違える登山者が増え、結果として、あちこちで遭難騒ぎが発生することになる。

16日夜間 気温マイナス5度
道警によると、16日夜の美瑛山頂(2052m)付近は霧で氷点下5度だった。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/177689.html

槍ヶ岳の天気 日本気象協会
穂高岳の天気 日本気象協会
北岳の天気 日本気象協会
富士山の天気 日本気象協会

※16日夜間の最低気温がマイナス5度であったというのは。日本アルプスの9月上旬頃の最低気温で、これは夏の富士山の山頂の最低気温よりも更に低いのである。

マイナス5度となると、いわゆる「秋の山に出かける格好」で行かねばならない。冬期登山までやっている登山者なら皮下脂肪の蓄えがあったり、身体のほうも寒さ慣れしているので十分耐えられるだろうが、お気楽ハイキングで、山は、早春~紅葉の山までという登山者には正直言って荷が重過ぎる気温である。
マイナス5度というのは、本州では、秋山である。本州の秋山であれば、低体温症による凍死は十分起こりうる。

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大雪山系トムラウシ山の遭難事故で、救助に向かう自衛隊員ら=17日午前、北海道新得町
http://sankei.jp.msn.com/photos/affairs/disaster/090717/dst0907171152011-p1.htm
この写真の自衛隊員の服装に注目、この格好は、どう見ても本州の夏山に行く格好ではない。秋山、それも晩秋の山にでも行くような、防寒対策がしっかりなされたいでたちである。

要するに、夏の大雪山系の山々は、本州の秋の日本アルプス並みの気候であるということ。・・この点についての認識不足が、ツアー企画者と、ツアー参加者にあったものと考えられる。認識不足が重なったのではない、認識不足が共有されていたのである。
さらにこの認識不足は、裏返せば現場の登山者にとっては予期せぬ「想定外の悪天候」となる。

そして、この認識不足が共有されている状況下で、夏のかきいれどき、いわゆる本州からの登山者が多数来訪する時期の、判断予測が難しい天候となった日には、天候予測に失敗するケースが頻発し、ひいては同時多発の山岳救急事故を引き起こすことになるのである。

結論  同時多発性の解明

1 夏の大雪山系の山々の山岳気象への認識不足が共有されていたこと。
2 当日の天気が天候予測の判断が難しい微妙な天気であったこと。
3 おりしも、夏山シーズンで本州からの登山客が多数入山していたこと。
4 ガイドによるツアー登山で、ツアー客全員を巻き込んでしまったこと。



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閑話休題

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トムラウシの遭難が起こって以来、いろんなホームページを拝見させていただいておりますが、この山を今の時期に登りに出かけられる人は、このような風景に出会いたくてはるばる北海道まで出かけられるのだなと、感じました。
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考察⑥ 山の計算(状況判断のダイナミズム)

さて、本題に入って、天候予測、メンバーの体力、想定されるルートの困難性と、体力の消耗の度合い。
安全圏にたどり着くまでどのくらい、体力や、時間が必要となるか、引き返す場合の、ルートの状況と必要とされる体力の度合い。
行動中の、天候変化の予測、などなど。

こういったさまざまな不安定要因を踏まえてなされる山の計算(状況判断のダイナミズム)というのは、いわゆる冒険的な登山にあっては「登山の楽しさ」そのものであり、登山に非日常性や、困難性、危険性を求める人は、そういったところに心を満たしてくれる何かを見出して山に向かっているのであろう。

しかし、ガイド登山・・それも、安全性が何よりも求められる尾根歩きのツアーのような場合は、ツアー客はスリリングな山の計算(状況判断のダイナミズム)を楽しみに来ているのではないのであり、山岳雑誌に載っているような広大な展望や、お花畑に咲いているめずらしい高山植物を眺めに来ているのである。

だから、そのようないわば花鳥風月を楽しむようなお気楽ツアー登山においては、冒険的な登山よりもずっと安全に振ったツアーガイドの山の計算(状況判断)が求められる。そのような尾根歩きツアーにおいて、ツアー客を危険な状況にさらすようなことは、ガイドとして恥ずべきことであり、断じて自慢にはならない筈である。
車にたとえるなら、安全志向が強いファミリーカーで、峠を攻め、レースに出るようなものであり。自転車にたとえるなら、ママチャリで、ロードレースに出るようなものである。

そういった見地から、今回のツアーガイドが行った状況判断をシュミレートしてみよう。
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16日早朝に、ヒサゴ沼避難小屋を出発するべきか否か?

とあるツアー会社の、ツアー広告をのぞくと以下のようになっている。

大雪山旭岳~トムラウシ山縦走 五日間
歩行距離&時間目安(①~⑤は日にち)
①羽田(9:00頃)・千歳又は旭川・・旭岳温泉【泊】〔--夕〕
②旭岳温泉・・・・姿見駅(1600m)・・・旭岳△一等三角点(22290m)・・・間宮岳(2185m)・・・北海岳(2149m)・・・白雲岳(2229m)往復・・・白雲岳避難小屋・テント【泊】〔朝-夕〕(約12km・約8時間)
③・・・高根ヶ原・・・忠別岳(1962m)・・・五色岳(1868m)・・・ヒサゴ沼・テント【泊】〔朝-夕〕(約16km・約9時間)
④・・・トムラウシ山△一等三角点(2141m)・・・短縮登山口(965m)・・トムラウシ温泉:東大雪荘【泊】〔朝-夕〕(約15km・約7時間
⑤・・帯広又は千歳・羽田(18:00頃)〔朝--〕
http://www.alps-enterprise.co.jp/tour_info572.html

この予定表によると、今回とほぼ同じ日程であり、遭難事故が起こった第4日目(④)は、歩行距離は約15キロで、歩行時間は約7時間とある。
実際は、家族5人のファミリーハイクが晴天時に10時間かかっている行程(休憩込み)である。であるから、この7時間というのも、休憩を含めると、10時間と読むべきなのであろう。
さらに、晴天で、10時間であるので、雨天の場合もっと時間がかかるであろうし(例 12時間ほど)、暴風雨といった荒天となると更に余計に時間がかかるであろうこと(例 15時間ほど)は明白である。

ところで雨天や、暴風雨になると、行動時間が余計にかかるだけでなく、疲労の度合いも高くなる。

いちばん疲労の度合いが低いのは、晴天時であり、次に、雨天、そして一番疲れるのが、暴風雨のときである。
晴天時に10時間歩くのと、暴風雨のときに15時間歩くのとでは、要求される体力レベルがもうケタ違いであることは、すこし山をやったものなら誰にだって分かることである。

そうすると、16日の早朝は、かなりの荒天であったので、予想される時間当たりの疲労度が一番高い天候であったわけだ。

ここで考えられる行動パターンは三つ・・。

選択肢① 停滞する。
※悪天候で危険であるから今日は停滞する。

選択肢② 出発する。
※今日下山する予定であり、宿や飛行の予約なんかも入っているので。計画通りに行動する。
 
選択肢③ 途中まで行ってみる。
※途中まで行って悪天候が続く場合は引き返す。

・・ところで、気付いてほしいのは、当日が、もしミエミエの悪天候であったら、誰だって①を選ぶであろう。16日は、実に微妙な天候(もしかしたら、天気が回復してくれるかもと、期待を抱かせるような、フェイントをかけるような天気)であったからこそ、何パーティかがフェイントにひっかかり行動に出て、3箇所で合計10人が命を落とすことになったわけである。

つまり、相当に16日早朝の天候判断は、難しかった!ということが言えるだろう。

では、③途中まで行ってみる!を選ぶべきか?
これは妙案であるが、問題は、途中まで行ってダメだったらどうするのか?ということである。

その場合、
③A 引き返す。
③B 適当なところでビバークする。
・・の二つが選択肢として考えられる。

もっとも、③A 引き返す。 といっても、15キロの行程中、10キロも行ってから引き返すというのはナンセンスであり、せいぜい3分の一の5キロがリミットであろう。
歩きやすさも含めると、荒天で15時間かかるとして、5時間歩いて、天気の回復が認められない場合には、引きかえすとする。これが、③A の射程範囲である。

しかし、さらに、翌日のことを考えると、5キロ、5時間歩くというのは、復路もいれると、合計10キロ、10時間歩くことになり、それだけ疲労を残すことになり、ひいては翌日の行動に支障をきたす。

それを踏まえれば、せいぜい2キロ~3キロ歩いて、時間にして2時間ほど進んでみてそこで天候回復が見込めなかったら引き返す、とするのがよい。それならば、歩行距離は、往復4キロ~6キロに抑えられるし、行動時間も4時間程度に抑えられる。

(ちなみに、それ以上進んでしまったら、もう後戻りはできない・・。ビバーグをして前に進むしかなくなる。・・この場合、天気が回復してくれれば、「ラッキー!」であるが、そうでないと非常に苛酷な登山となる(実際は、非常に過酷な運命が待ち受けていたのであるが・・。))

山の計算をしてみると以上のような思考経過をたどりそうである。

・・しかし、ここで、問題は、そういう賭けの要素がある登山を、尾根歩きの、広大な展望と、お花目当てのガイド登山で行うべきかということである。

花鳥風月登山においては、より、安全に振った登山が目指されるべきであり、そういった見地からは、選択肢①が優先的に選らばれるべきであり、もし万が一選択肢の③を選ぶにしても、③Aが絶対に選択されなければならないだろう。

それを思うと、今回のアミューズトラベルのツアーガイドは、いささか冒険的登山に振ったツアーガイドを行ってしまった(無理をしすぎた)と判断せざるを得ないであろう。

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ツアーガイド登山の現実

上に書いてきた山の計算(状況判断のダイナミズム)というのは、登山を成功させるための、ごくごく通常の思考経過である。
ところが、現実のツアーガイド登山となると、そういった現場の状況に応じた臨機応変な行動が取れないそうだ。ツアーガイド登山に多数参加している知り合いからいただいたmailを引用する。

(引用はじめ)
「(ツアー参加希望者を)どこで足切りをする基準は年齢だけですね、体力、技術は勘案されません、お得意様はお目こぼしあるかも(毎日旅行で10数回のツアー参加経験あり)。

今回の遭難は、(事故)と言うより大量殺人か、避難小屋での停滞は先ず考えられません、帰りの飛行機を抑えてあり予備日も無く延ばしはできません。

皆さんそれぞれ事情があり、旅行会社の雇われガイドに自己判断をして旅行会社の計画に背くのは自分の職を失うことになります。

山の機嫌のよい時に登らせれ頂く サガルマ-タ冬季南西壁を登ったスポニチ登山学校 尾形好雄校長の教えです。
天気が良ければ半袖でも歩けてヨカッタヨカッタと楽しい思い出ができたのに残念でなりません。

それと避難小屋に二泊ジジバハが寝袋、マット、スト-ブ、鍋はガイドが持っても食糧は各自(荷物はなんキロ?)これだけのロングを歩くとなるとそれなり体力、気力がジジババにも求められます。行きたい山と行ける山は違います。」
(引用終わり)

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考察⑦ 松本 仁ガイドの行動を考える。

※この記事において要となる情報は、貴重なコメントを寄せられた lb005 様 のご指摘によります、記して感謝させていただきます。

松本仁ガイドの行動に関しては最初から情報が錯綜していたのでここでまとめておきます。

キーポイントは、二点

☆警察への第一報をしたのは誰か?

☆松本ガイドはトムラウシ温泉へ自力下山できたのか?

これに焦点をあてて以下検討する。なお、検討に際しては、判断の客観性を保つために元の記事を掲げて、それを分析、検討する流れをとります。

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記事①
遭難時の様子については、「ガイド1人が付き添って下山を始めたが、ペースが速すぎてちりぢりになってしまった」という。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090718k0000m040095000c.html?link_id=RSH04

記事②
残る16人でしばらく進んだが、さらに男女4人が体調を崩すなどして進めなくなり、ここにもガイド1人が残ることになった。5人はテントを張って野営した。
 この段階で、本隊はツアー客10人に対し、ガイド1人の11人。一行は下山を試みたが、ガイドが午後3時54分に5合目の「前トム平」から110番通報した内容は「ガイド1人、客2人の計3人がいます」というもので、ツアー客8人の行方を把握できなくなっていたという。
 その後、16日深夜から17日未明にかけ、3グループに分かれた計5人が自力で下山。17日の捜索では、山頂付近から登山道に沿う形で、「北沼」に7人、「山頂付近」に1人、「南沼キャンプ指定地」に1人、「前トム平」に3人、「コマドリ沢分岐」に1人と、登山客は5カ所に分かれて見つかった。
自力で下山した男性は「ガイドのペースが速すぎて脱落して1人になった」「山中で野営し、17日午前3時半に再び歩き始めたところで車が来て拾われた」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/0718/TKY200907170469.html

分析 
☆ガイドが110番通報したとある。

☆ガイドが先行→散り散りに→自力下山した男性によるとガイドのペースが速すぎて脱落した。・・ということは、この男性よりも松本仁ガイドは先行したはずであり、(この記事でもそうであるが、他の記事でも、ガイドを含む3人が前トム平から警察に連絡してきたとあるので・・)ガイドは、自力下山した5名に含まれているのだろうとの推測が成り立つ。(極論するならば、ニュース初期は、松本ガイドは、ツアー客を見捨てて真っ先に下山してしまった・・といった情報が流れていた。)

記事③
16日午前に女性1人が低体温症になり、ガイド1人と山頂付近にとどまった。これとは別に、女性1人が意識不明となり、ガイド1人を含め男女5人がビバークしているもよう。残る男女11人は下山を続け、この中のガイドから携帯電話で110番があった。11人のうち、亀田通行さん(64)と前田和子さん(64)=いずれも広島市=ら4人は無事下山したという。
 このパーティーは、13日に北海道入り。17日までの日程で登山する計画を立てており、16日にトムラウシ山に登った後、温泉に宿泊する予定だった。(2009/07/17-02:21)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071601013&rel=j&g=soc

分析 
☆見ての通り、ガイド(松本 仁ガイド)から携帯電話で110番があったとある。

記事④
道警によると、遭難の一報が入ったのは、登山ツアーを企画した東京都千代田区の旅行会社。遭難した18人のパーティーのうち3人が、携帯電話の電波が通じる5合目まで下山して通報した。携帯電話のメールでは、「4人の具合が悪い。かなり危ない」とガイドが伝えてきたという。
(2009年7月17日14時56分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090717-OYT1T00611.htm?from=nwla

分析 
☆記事内容は3人が前トム平まで下山して警察に通報してきたといった内容。ちなみに携帯電話のメールというのは頂上付近のビバークメンバーからのもので、ここに出てくるガイドとは多田学央ガイドであろう。

記事⑤

kikaku
http://www.tokachi.co.jp/feature/200907/20090718-0002104.php

分析
☆図表を見る限り松本仁ガイドはコマドリ沢分岐で発見されたようだ(つまり彼は自力下山できていない)。

記事①~④を前提にすると、何故、11人の先を切って歩き、前トム平から110番通報したガイドが何故こんなところで発見されるのか?と疑問になる。 
ツアー客のためにあえてここにとどまったのか?あるいはルートを間違えたのか?と推測がなされる。

記事⑥
同10時44分  登山客がコマドリ沢付近の雪渓で倒れている男性を発見し110番通報。男性は「マツモトヒトシ」と名乗り、ツアースタッフの松本仁さん(38)=愛知県一宮市=とみて救助、帯広厚生病院に搬送
http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002084.php

分析
☆記事⑤と一致する内容、これにより松本仁ガイドが自力下山できず、コマドリ沢分岐で発見されたのは事実であるようだ。

記事⑦
読売新聞18日夕刊(東京都多摩版 一面)によると以下のようである。
「5合目まで下りた午後4時前にはガイドを含む3人が動けなくなった。ガイドは携帯電話で「動けなくなった」と道警に通報。残る8人がさらに登山口を目指したが、体力の消耗が激しい登山客の歩みは遅く、隊列も崩れ、最後は散り散りになって下山したという。」

分析
☆ガイドがこの記事でも110番通報していることになっていて、目新しいのは、「(ガイド自身も)動けなくなった」と言う報告内容。ガイドの疲労状況に触れている記事は他になくこの夕刊の記事だけでは信憑性に疑問があった。もしこの記事の通りであるとしたら、松本仁ガイドは疲労してコマドリ沢分岐で力尽きたと推察できることになる。

記事⑧

第1報
 正午ごろ、松本さんは戸田さんら10人を連れて下山を開始。しかし「早く救助を呼ばないと」と急ぐ松本さんの足が速く、11人はすぐばらばらに。足がもつれ始めていた松本さんも、約5キロ先のコマドリ沢分岐付近で動けなくなった。前田和子さん(64)=広島市=が「起きて。子供もいるんでしょ」と声をかけたが、座り込んだまま。
 その時、前田さんの携帯電話が鳴った。午後3時48分、心配した夫(67)からだった。電話が通じることが分かり前田さんらは午後3時54分、110番。遭難の第一報だった。
 ろれつが回らない松本さん。そこに亀田通行さん(64)=広島市=が追いついた。松本さんから次の指示はなく、亀田さんは「2人で帰ります」。前田さんと亀田さんは暗くなった登山道を歩き、16日午後11時45分、下山。
 松本さんは17日、風を避けるようにハイマツの下にいたのを発見、救助された。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm

分析
☆この記事は生存者2名(前田和子さん、亀田通行さん)の証言に基づいている、2人の証言内容は矛盾していないので極めて信用性が高い。
☆この記事では、第一報の場所が、前トム平(標高1700m)ではなく、もっと標高が低い(標高1400m程度)、コマドリ沢分岐となっている。ちなみに、ここは、松本仁ガイドが翌日10時過ぎに発見された場所。松本ガイドはここで座り込み、そのまま一歩も動けずに、ここで夜を明かし翌日発見された模様である。
☆第一報は、ツアー客の前田和子さんによるものであるようだ。
☆松本仁ガイドは、現場で、ろれつが廻らず、次の指示が出せなかったくらい悪い体調になっていた。よって、彼が自ら110番通報したというのは、考えにくい。

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記事⑧の全文

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悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント (1/3ページ)
2009.7.23 13:46

このニュースのトピックス:航空・海難・山岳事故
 中高年の登山客ら10人が死亡した北海道・大雪山系の遭難事故は、23日で1週間。「アミューズトラベル」(東京、松下政市社長)のツアー客とガイド18人のうち、8人が死亡したトムラウシ山(2141メートル)では、自力で下山したツアー客の証言から、悪天候の山中で極限状態になった様子が明らかになってきた。

トムラウシ遭難 生存者が証言

 一行は14日午前に東川町の旭岳から入山。約12キロを歩いて白雲岳避難小屋に宿泊したが、夜から雨が降りだした。翌15日は約9時間で約18キロの縦走を続け、午後2時ごろ、ヒサゴ沼避難小屋に到着した。

 ぬかるんだ道を歩き続けてきたが、別パーティーの静岡県の男性(66)は「そのときは特別に疲れた様子もなく、わいわいと楽しそうにしていた」と話す。しかし小屋では干したレインウエアから滴が落ち、寝袋がぬれて、寝られない人もいた。疲れが取れる場所ではなかった。

奇声

 翌朝は3時半起床。雨と風が強く、出発予定が30分遅くなった。ガイドは「午後から晴れるから大丈夫」と説明し、午前5時半に小屋を出発。しかし稜線(りようせん)に出ると吹きすさぶ風に体力を奪われ、遅れる人が出始めた。

 午前10時半ごろ、約4キロ進んだ北沼分岐付近で歩けなくなる人が出た。座り込んだ人を囲んで風よけをつくった。ガイドは待機を指示したが、約1時間半後には「寒い、寒い」と奇声を発する人も。戸田新介さん(65)=愛知県清須市=は「これは遭難だ。救援を要請しろ」と怒鳴った。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n1.htm

悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント (2/3ページ)
2009.7.23 13:46

このニュースのトピックス:航空・海難・山岳事故

 ガイド3人が協議し、死亡した吉川寛さん(61)=広島県廿日市市=と多田学央さん(32)が、客5人とテントを張って残ることを決断。多田さんは松本仁さん(38)に「10人を下まで連れて行ってくれ」と頼んだ。

第1報

 正午ごろ、松本さんは戸田さんら10人を連れて下山を開始。しかし「早く救助を呼ばないと」と急ぐ松本さんの足が速く、11人はすぐばらばらに。足がもつれ始めていた松本さんも、約5キロ先のコマドリ沢分岐付近で動けなくなった。前田和子さん(64)=広島市=が「起きて。子供もいるんでしょ」と声をかけたが、座り込んだまま。

 その時、前田さんの携帯電話が鳴った。午後3時48分、心配した夫(67)からだった。電話が通じることが分かり前田さんらは午後3時54分、110番。遭難の第一報だった。

 ろれつが回らない松本さん。そこに亀田通行さん(64)=広島市=が追いついた。松本さんから次の指示はなく、亀田さんは「2人で帰ります」。前田さんと亀田さんは暗くなった登山道を歩き、16日午後11時45分、下山。

 松本さんは17日、風を避けるようにハイマツの下にいたのを発見、救助された。

生還と死

 一方、戸田さんは11人がばらばらになった後、コマドリ沢分岐から山頂方向に約1キロの前トム平の手前で、歩けなくなった女性に手を貸していた長田良子さん(69)=仙台市=に「手伝って」と頼まれた。もう1人女性がいたが、突然倒れて起き上がらない。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm

悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント (3/3ページ)
2009.7.23 13:46

このニュースのトピックス:航空・海難・山岳事故

 戸田さんらは2人を引っ張って雪渓を滑り降りたが、戸田さんは「自分のやれる範囲を超えている」と思い、歩き始めた。近くでは真鍋記余子さん(55)=浜松市=が別の女性を介抱していた。

 歩き始めた戸田さんはビバーク(一時露営)のための場所を探した。しばらくして追いついてきた長田さんに「ビバークしたら死んじゃう。一緒に頑張りましょう」と励まされ、また歩き出した。

 その後、長田さんは斐品真次さん(61)=山口県岩国市=と17日午前0時55分、自力で下山。戸田さんは途中で仮眠を取り、午前4時45分に下山した。真鍋さんは手を貸していた女性とビバーク。午前5時17分に道警ヘリに救助されたが、女性は冷たくなっていた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n3.htm


※この記事情報は、貴重なコメントを寄せられた lb005 様 のご指摘によります、記して感謝させていただきます。

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まとめ

☆第一報は、16日午後3時54分の警察への110番通報はツアー参加者の前田和子さんによりなされた模様である。そして、通報の現場は、前トム平ではなく、コマドリ沢分岐であるようだ。

☆松本仁ガイドは、自力下山はおろか、コマドリ沢分岐で救助された。コマドリ沢分岐まで引率して力尽きたと考えられる。

考察

松本仁ガイドに関しては、当初、情報不足から、勝手に自力下山したのではないか?などといった流言蜚語がなされていたが、生存者二名の証言により彼の行動が、明らかとなった。

松本仁ガイド自身も、ツアー客同様に当日の悪天候のもと行動し続けて、体調が悪化しつつあったのである。それでも頑張って前田和子さんを引率してコマドリ沢分岐まで下降できたのは、不幸中の幸いだと考える。(そこで携帯電話が通じて110番通報がやっとできたのであるから・・。)
これがもし、前トム平あたりで、松本ガイド自身も倒れていたら・・どうなったか、他のツアー客への動揺が甚だしかったのではなかろうか?

それを思うと、松本仁ガイドは、体力の限界を感じつつも出来る限りのことをやったのではなかったか、とも思えるのである。

もちろん、当日の天候判断の予測に失敗し、ツアー客に残された体力の判断にも失敗し、引率のツアー客を18時間(人によってはそれ以上)行動させて生命の危険にさらす結果となったこと、ツアーガイドを含む18名のうち8名もの人間を低体温症で凍死させてしまったことへの社会的な非難は(たとえ、自らも倒れてしまったとしても)ツアー企画会社と、生き残ったもう一人のガイドともども受けなければならない。

ガイドというものは、たとえ自ら斃れても、客の安全を第一に考えなければならないものなのだと考える。
以前、テレビの映画で、ヨーロッパのガイドが、岩壁で墜落して、しばらくザイルにぶら下がっていたが、やがて自らザイルをナイフで切って墜死するシーンがあった。
そんな誇り高きガイド気質であるからこそ、ヨーロッパでは、ガイドへの信頼や山岳ガイドの社会的な地位が高いのであろう。

日本の山岳ガイドへの信頼は、ツアー価格の安さや、客が分担する荷物が軽いことによってではなく、そういったいざというときには自らの生命を賭してまで客の身を守ってくれた、といった客観的事実の積み重ねによって時間をかけてつくられてゆかねばならないものだと考える。


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考察⑧ トムラウシ山と美瑛岳の二つの山岳遭難事故に対する初期の捜索救助活動を比較してみます。

美瑛岳

※fusako@管理栄養士さまご提供の情報によりますと・・読売新聞北海道版 7月18日朝刊では

「緊迫の無線」
「すでに日没を迎え、通常なら捜索は困難だったが、救助隊は低体温症の遭難者がいることを重視。
「迅速な対応が必要」と入山を決め、午後9時20分頃、登山口を出発し、ヘッドライトを照らしながら、遭難現場に向かった。」

「避難小屋から南西に約1・5キロ離れた山道では男女3人がピバーグしており、救助隊は「早く救助しないと彼らも危ない」と現場に急行。うち男女2人は手足が震え、衰弱して歩けない状態だったが、隊員らは到着後「もう大丈夫だ」と励まし、テントを設営して夜明けまで保護したという。

とあるそうです。
これは、次の記事を裏打ちするものでしょう。

一方、美瑛岳で遭難したのは、兵庫県などの男女6人の登山パーティー。16日午後5時50分ごろに、「女性1人が寒さで動けなくなった」と、茨城県のツアー会社を通じて、119番通報があった。道警山岳救助隊ら12人が同日夜、救助に向かい、17日未明に同岳近くの美瑛富士避難小屋と山頂付近に別れていた6人と相次いで合流したが、このうち兵庫県姫路市の尾上敦子さん(64)の死亡が確認された。また、低体温症の2人を含む5人は命に別条はないという。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/177689.html

このように美瑛岳では、道警山岳救助隊による夜間捜索救助活動がなされたようです。
白金温泉の美瑛富士避難小屋登山口から2時間45分(標準コースタイム)で避難小屋に着くようですので、捜索救助隊は、おそらくこの登山口からアプローチをしたものと考えられます。
http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/02taisetudata/11tozanguchi/09shiroganeonsen.html

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一方、

トムラウシ山では・・

同6時ごろ  新得署員3人が同山短縮登山口に車両2台で到着
同8時半ごろ  男性2人、女性3人のグループから新得署に携帯電話で連絡。女性1人が意識不明で、近くに別に倒れている生死不明の男性を目撃したとの内容
同10時ごろ  グループから予定されていた携帯電話の連絡時間。連絡はなし
同10時15分  救急車が短縮登山口に到着
同11時すぎ  新得署に連絡があった携帯電話に電話するも不通
http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002084.php

17日未明から陸上自衛隊も加わり、道警も本格的に捜索開始

陸自
地上部隊40名
飛行部隊 2機

3.防衛省・自衛隊の対応
(1)派遣部隊
陸 自 第5戦車隊(鹿追)、第5飛行隊(帯広)

(2)派遣規模 
人 員 約40名
車 両   5両
航空機   2機
http://www.mod.go.jp/j/news/2009/07/17c.html

※16日午後6時に短縮登山口に3名の新得署員を向かわせ、さらに10時に救急車も向かわせたものの、こちらでは夜間捜索活動はなされなかったようです。

この点について

※fusako@管理栄養士 さまが読売新聞に問い合わせて確認された情報によりますと、トムラウシ山には捜索が入れなかった。
トムラウシ山は、天候が悪くて捜索隊は実は引き返したとのこと。 

だそうです。

標準コースタイムでは3時間15分で前トム平らに、4時間45分で南沼キャンプ地に到着できるようです。
http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/02taisetudata/11tozanguchi/01tomuraushi.html

もちろん、厳しく訓練されている山岳救助隊の隊員なら、時間的にはもっと早く現場に到着できたことでしょう。

山岳救助隊でさえも行動を差し控えた当日の悪天候が、夜間に多くの被救難者の命を奪う結果となり、今回の不幸な結末をもたらしたものと推察されます。

8人の死亡推定時刻は17日未明で、下山途中の雨と強風により、体の中枢温度が35度以下になる低体温症を発症、凍死したとみられる。
http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=1213

また、16日夕方には美瑛岳と、トムラウシ山の二箇所で山岳遭難が同時に発生したので、限られた人員と装備しか持たない北海道警察山岳救助隊の対応も極めて難しかったものと考えられます。山岳救助隊隊長も大変なご苦労をされたものと推察されます。

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考察⑨ ヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ登山口に下山するまで18時間かかることについて、トムラウシ集団遭難事故に見る「行動不能に陥る確率」について、

論点①

ヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ登山口に下山するまで18時間かかることについて、

opt 様にご質問を受けた件なのですが、前田和子さん、亀田通行さんが、15時54分に110番通報してから、8時間も経ってようやく自力下山したのはどういうわけか? 何故そんなにかかるのか? についてすこし考えてみました。

この点につきましては、南北アルプスなどで長期の縦走をなさったことがある岳人や、積雪期登山でばてた経験がある方なら、体験でおおよそ見当がつくと思いますが、これからそういった山にいって見よう!といった方や、今のところは日帰りハイキングやトレイルランニングが主体である方にはすこし分かりかねるところがあるかもしれません。

ですので、いまさらながらの再考です。その過程で、コースタイムの意味についても考えたいと思います。

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モデルケース(家族5人のファミリー登山 テント泊 天気は晴天)

この場合、ヒサゴ沼避難小屋→4時間→トムラウシ山頂→2時間→前トム平→1時間→コマドリ沢分岐→3時間→短縮登山口で下山となり、今回前田さんたちが携帯電話で連絡をしたのが、コマドリ沢分岐であるとしますと、そこから3時間、悪天でもっとかかったしてもせいぜい4時間~5時間で抜けられそうです。それなのに8時間もかかっているのはかかりすぎと感じてしまうのも道理です。

そこで、自力下山者5名のデータを見て分析しますと・・

①短縮コース登山口に自力下山
戸田新介さん  17日午前04時45分 ビバークあり

②ユウトムラウシ第二支線林道で発見されたという
前田和子さん  16日午後11時49分 ビバークなし
亀田通行さん      同上

③国民宿舎東大雪荘付近で発見された
斐品真次さん  17日午前00時55分 ビバークなし
長田良子さん      同上

④また、ヒサゴ沼避難小屋を、今回同様の悪天候の中、午前5時30分にスタートし遭難した2002年7月の愛知中高年パーティのデータでは、二名がビバークありで午前5時半にトムラウシ温泉に下山したとあります。(※トムラウシ温泉とは東大雪荘のこと。)
http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/02taisetudata/04sonanjiko/20020711-13tomuraushi.html

分析
※今回のアミューズトラベルの5人の自力下山者相互の下山時刻を見比べる(②と③)と、下山した登山口こそ違えども、せいぜい1時間~2時間の範囲内でありそれほど差がない(ずば抜けて速く下山出来た者がいるわけでもなく、また逆にめちゃくちゃに遅く下山した者がいるわけでもない)。ビバークした者(①)は、ビバークをしている時間の分だけ下山が遅れたと考えられる。
※2002年の愛知の2名(④)と、今回のビバークした男性1人(①)も、トムラウシ温泉に下山と、短縮口登山口下山と、下山口こそ違えども、45分の差に収まっている。

つまり、データとして、①~④には一つのまとまりを見ることが出来るように考える。

それをひと言で言うならば、
要するに、「今回のような中高年パーティが、Ⅰ縦走三日目にして、Ⅱ悪天候(寒冷、暴風雨)のもとで行動し、Ⅲメンバー内に動けなくなった者が出たような場合には、ヒサゴ沼避難小屋を午前5時30分頃に出るとして、途中ビバークなしの場合は、当日深夜零時前後に短縮登山口もしくはトムラウシ温泉に到着し、途中ビバークありだと、翌日午前5時前後に到着する。」ということである。

これは二つのグループの4つのミニ・パーティ、計7人の登山者の実際のデータを踏まえた悪天候下でメンバー内に動けなくなった者が出た場合に過去のデータ上導かれる本コースのタイムであるということが出来る。

さらに遅延する具体的原因としては、

①縦走三日目で疲労が蓄積されて体力の限界がそろそろきている。
②当日の悪天候が引き金となって体調の変化(悪化)が起きている。
③10時間以上の行動により、時間が経過するに従って、消耗し、歩行ペースがますます落ちる。
④疲労したメンバーの介抱に全員が立ち止まり時間が経ってしまう。
⑤ルートが風雨によって歩きにくくなってしまった。

・・等が考えられます。

ちなみに、⑤でどこに時間がかかるのか?というと、2002年の愛知のデータのところに、「他の2人は、トムラウシ温泉に下山を継続、途中のカムイサンケナイ川源頭部は増水していて渡渉に苦労したようである。ここは過去にも、増水の川に流された死亡事故がある。その後の登り返しは、雨が降るとぬかるみの悪路になり、疲れた体には辛い区間だったであろう。」との記述があるのがヒントになりましょう。

モデルケースで私がよく指摘する「家族5人、晴天下で10時間」という標準コースタイムも、縦走三日目というのは同じですが、晴天下の歩きやすい状態でメンバー内に動けなくなった者が出なかった場合を前提にするもので、悪天候で、動けなくなったメンバーが出た場合には、介抱その他に時間がとられる一方、ルートが歩きにくい難ルートに豹変するといえるのではないでしょうか?

要するに、ヒサゴ沼避難小屋を出るときには、縦走三日目であることを踏まえ、もし天候が回復せずに、このまま暴風雨が続き、行程なかばでひとりでも体調不調者が現れると、その介抱で時間がかかるほか、他のメンバーにも蓄積されていた疲労が現れる者が出てきて・・・下山できるのは18時間後となる。(10時間の予定が18時間に一気に化けるということ。)この経験上のデータをリーダーは念頭におくべきであるといえましょう。

要するにこのルートは、好天を捉えて10時間すこしぐらいで一気に通過できてしまえば疲労も少なく安全であるのだが、それが出来ずに悪天候につかまったり、行動不能者が出て、介抱その他で時間がかかればかかるほど、危険なものとなること。そして、最悪の場合の下山予定時間は18時間後であるということ。

このようなデータ上の事実を受け入れるべきだと考えます。

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参考

ヒサゴ沼~トムラウシ山(百名山)~トムラウシ温泉
3日目
ヒサゴ沼避難小屋1700m 出発6:45 → 日本庭園 8:40 → 北沼分岐 → トムラウシ山 2141m 11:20 → こまどり沢出会い?1700m 14:00 → カムイ天上1143m 16:40 → 温泉コース分岐 17:30 → トムラウシ短縮コース登山口 17:55 → ユウトムラウシ第二支線林道(7キロ) → トムラウシ温泉 国民宿舎東大雪荘 20:15
http://blogs.yahoo.co.jp/macrotanpopo/35845786.html
短縮登山口まで11時間10分かかっており、ヒサゴ沼避難小屋から4時間35分かかってトムラウシ山頂、トムラウシ山頂から6時間35分かかって短縮登山口についている(休憩込み)。晴天時、家族5人のファミリーハイクで10時間(休憩込み)というのは、比較的早いタイムであるようだ。

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論点②

北海道大雪山系 トムラウシ集団遭難事故に見る「行動不能に陥る確率」について、

多少荒っぽい議論ですが、簡略化して捉えるために、あえて大雑把にデータを処理してみます。
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前提条件

①縦走三日目(または同程度の疲労状態)、②主に60歳以上の中高齢登山者、③年に一度あるかないか程度の暴風雨の気象条件(体感気温はマイナス5度)、

データ

体感気温氷点下5度に5時間さらされて行動不能になった登山者 女性1名(死亡)・・場所 北沼分岐

体感気温氷点下5度に6時間さらされて行動不能になった登山者 4名(女性2人、男性2人) 吉川 寛ガイド1名(女性2人、吉川 寛ガイド死亡)・・場所 北沼分岐

※体感気温氷点下5度の状況下で6時間行動させると、18人中6名が行動不能に陥る(30パーセント)。

体感気温氷点下5度に7時間さらされて行動不能になった登山者 1人(男性1人、死亡)・・南沼付近

体感気温氷点下5度に10時間さらされて行動不能になった登山者 4人(女性ツアー客3人、いずれも前トム平付近で死亡、松本 仁ガイド、コマドリ沢分岐付近にて倒れる 生存)

※さらに、10時間行動させると、18人中11名(61.1パーセント)が行動不能に陥る。

18時間以上の連続行動に耐えられた登山者 5名(自力帰還 生存)

※18時間以上の連続行動に耐えて自力下山出来たものは、18人中5人(27.7パーセント)にすぎない。

ビバークを含む24時間近い連続行動に耐えられた登山者 1名(真鍋記余子さん 生存)

(この他、ツアー客とともにビバークし救助された多田学央ガイド1名

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まとめ

夏の北海道大雪山系の2000m級の山で、主として60歳以上の中高年登山者が、縦走三日目で、荒天に見舞われると、

6時間後には、30パーセントの者が行動不能に陥り、
10時間後に60パーセントは行動不能に陥る。 
18時間行動して自力下山できる者は、3割以下で、他のものは死ぬか瀕死の状態で救助されるかである。

多少荒っぽい議論であるが、このように言うことが出来るだろう。

留保として・・
Q当日、同じルートを歩いている他のグループもあるのにそれらには死者が出なかったのはなぜか?
A足止めを生じさせる「最初の犠牲者」が出なかったため。
 最初の犠牲者が出る→介抱で立ち止まり他のものも風雨の中、立ち往生しなればならない→低体温症になる危険が増す→最初の犠牲者が誘引となる。

今後は、メンバーに低体温症が発生した場合の行動マニュアルを作っておくべき。
全体を立ち止まらせずに、大丈夫なものは引き続き行動し続けるのがよい(?)

(すこし脱線となりますが、)当日、あるいはツアー企画段階において、
低体温症発症の可能性についてどのくらい認識があったのか?
また、症状が出たときのツアーの行動マニュアルはあったのか?
・・などがおいおい問題となる。

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さて、論点①と論点②をあわせると、以下のような恐るべき結論が得られます。

中高年登山者による大雪山縦走三日目で、まれに見る荒天のなかヒサゴ沼避難小屋をスタートし、途中で行動不能者が出た場合に、18時間後に自力で下山できる可能性は、30パーセント以下であること。

※通常の登山ツアーに参加する平均的な体力を備えた中高年登山客を念頭におきます。
※今回のアミューズツアーの事例が「特異な事例」であるならば、この結論を一般化することは出来ないのですが、特異性を際立たせるような目だった特徴は今のところ情報として出てきておらず、今回の事例は特異な事例ではない(どのツアーにも起こりうるケースである)と考えます。

このようなすさまじい結論が出てきてしまうのは、裏返せば、そもそもこのルートは、それだけ難ルートであり、要求される体力レベルも高いものであること。
それに引きかえ、このルートを歩いてみたいと希望する登山者の体力レベルがあまりに低いということなのだと考えます。


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考察⑩ 低体温症発生回避のためのヒサゴ沼避難小屋からのエスケープルートについて、

このルートには逃げ場がないというのが一般的な新聞報道になっているのは周知の事実。たしかに、地図を広げてヒサゴ沼あたりから逃げられるところを探してもかなり歩かないと逃げられない。ところが現地の登山ルートに通暁されておられるswanslab さまがおっしゃるには、きちんとしたエスケープルートがあるとのこと、しかもそれは悪天の場合でも安全に使えるルートであるそうです。今回はそんなエスケープルートの考察です。

swanslab さまにいただいたコメントによると、以前は、前トム平から下った先にある、コマドリ沢の増水で通行困難となる危険があったため、ヒサゴ沼避難小屋からのいくつかのエスケープルートが縦走の際には常に念頭におかれていたそうである。しかし、今ではコマドリ沢から尾根に上がる新道ができたためか、コマドリ沢の増水による危険を理由にヒサゴ沼でエスケープする判断をしにくくなっているのかもしれません、とのこと。

つまり、新道が出来る以前はコマドリ沢の増水を理由にトムラウシを諦めてヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ温泉以外の登山口に下山するエスケープルートがよく利用されていたのだそうだ。

新道が出来たためか、そういったヒサゴ沼避難小屋からエスケープルートをたどるという判断は以前ほどは行われなくなったらしい。
されど、今回の事故を契機として、今後、悪天の場合は、低体温症の発生回避を理由とする迅速なヒサゴ沼からのエスケープというのが、重要視され、低体温症発生回避のためのヒサゴ沼からの安全なエスケープルートの議論が脚光を浴びることになると考える。

見方を変えるならば、いままではコマドリ沢の増水を理由にエスケープしていたので、トムラウシ山頂付近は悪天候時に低体温症が発生する恐れがあるルートであることが陰に隠れていたのだが、新道が出来たことにより、悪天でもトムラウシを超えてトムラウシ温泉に下山しようという登山者が増えて、その結果トムラウシ山頂付近で低体温症による山岳遭難事故が続発、トムラウシを越えて行くルートは低体温症がきわめて発生しやすいルートであることが表面化してきたのだということが出来るのではなかろうか。

ともあれ今回の事件をきっかけに低体温症の認識も広がった筈ですので、悪天候の場合は、低体温症の発生を回避するために、ヒサゴ沼避難小屋からのいくつかのエスケープルートが登山計画に織り込まれねばならないでしょう。

では、実際、ヒサゴ沼避難小屋からどのようなエスケープルートがあったか、swanslab さまのご指摘にしたがって以下に二つのルートを検討します。

 これらのルートは、コマドリ沢沿いのルートが増水で危険なときでもこの道ならば大丈夫!として地元の岳人たちによって使われてきたものであり、当然、雨天でも安全に通過できるルートであるそうです。

zentaisetu
エスケープルートを検討する上で、この図表は周辺のルートが一発でわかり実に便利である。引用元は・・以下のアドレス。
http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/02taisetudata/11tozanguchi/00juusou.html

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エスケープルート①

tomuraushihisago
化雲岳、五色岳を経て沼の原(クチャンベツ)に下るルート(クリックで拡大します)

http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/02taisetudata/11tozanguchi/02kuchaunbetu.html

のんびりテント泊装備で9時間20分かかるとある。標準では、7時間といったところであろう。であるならば、トムラウシ温泉に下るのと時間的にはさして変らない。
ただし高度的には、ヒサゴ沼避難小屋から1時間20分かかって標高1954mの化雲岳、さらに、1時間20分で五色岳(1868m)となり、そこからは下るルートとなる。五色岳からは標高1600m付近まで木道があるそうである。標高1398mの五色の水場まで逃げることが出来れば、高度的には十分安全圏だろう。

ルート評価
のんびりテント泊装備で2時間40分ならば、18名のツアーで3時間30分ぐらいか?
そのくらいで五色岳を超えれば標高的には楽になる。
ヒサゴ沼避難小屋を5時30分に出て、4時間以内に五色岳を越えれば、朝10時ごろには、標高1800mぐらいまで下ることが出来て、安全圏に速やかにエスケープできたのではなかろうか?

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エスケープルート②

tenninkyo
化雲岳を経て天人峡温泉に下るルート(クリックで拡大します)

http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/02taisetudata/11tozanguchi/08tenninkyo.html

これは化雲岳から天人峡に下るルート、のんびりテント装備で8時間20分とある。
ヒサゴ沼避難小屋から1時間20分で化雲岳で、さらに1時間で標高1870mのポン沼まで行って、そこから3時間かけて標高1317mの第一公園に下る。
標高的には、第一公園まで下ると安全圏であろう。単純計算で5時間20分・・朝5時30分にスタートして、11時頃に第一公園となる。

ルート評価
これは一番安全なエスケープ・ルートではないのか?
ヒサゴ沼避難小屋に停滞できないのならば悪天を突いてこのルートを速やかに下山することになろう。
のんびりテント泊装備で8時間20分であるならば、18人のツアーでも、11時間ぐらいで余裕で下山できよう。
すなわち、午後4時30分頃には、天人峡温泉に下山できるはずである。

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さて、私はエスケープルート②がよいと判断したのですが、実際はどちらを選ぶべきでしょうか? 現地に通暁されておられるswanslabさまのご判断では以下のようになります・・。

ホテルバスの手配という面では天人峡ですが、若干森林限界での行動時間が長く距離もあります。風よけになる樹林帯にわりと短時間で入れる最短ルートという面では沼の原登山口がベストです。また、後続同社パーティは沼の原経由でヒサゴ沼に入ることになっているため、もし仮にエスケープの判断がなされるとすれば五色手前あたりで同社パーティ同士がすれ違う可能性のある、沼の原経由で下山することになったでしょう。

ここはひとつ、現地に詳しい方のご判断に従うことにいたします。


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考察⑪ 低体温症のタイムリミットは、5~6時間、トムラウシへのこだわりと行動ペースの誤算の可能性

低体温症

北海道の登山家で医師でもある方がまとめた低体温症の記事です。登山に関する部分を抜粋させていただきました。
http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html
※赤文字、太字は管理人が強調しました。

IV.登山における低体温症の予防
 一旦体温が下がると、安静にしていても大量のエネルギーを消費(体温が0.61度低下すると酸素消費量は3倍)するため、よほどの状況の変化がない限り低体温から脱出することはできない。
 そのため、低体温症では治療よりも予防こそが大事である。

0.登山の一般的な原則を守る:
  1) 悪天候時の登山をさける。気象の変化を予測する。
  2) 行動日程に余裕をもつ。
  3) 疲労、寝不足時の登山を慎む。前日の深酒は禁。
  4) 登山前にコースや避難小屋、テント場など十分な下調べをする。

1.防寒具の準備:
 山、とりわけ北海道の山では、ふもととまったく気象が異なる場合が多く、気象の変化も予測しがたい。そのため、日帰りのハイキングでも全身をおおうことのでき、かつ保温できる衣類を携行するか、着用する。最低限、長ズボン、長袖シャツまたはセーター、ウィンドブレーカー、帽子、手袋、雨具が必要である。衣服特に下着の素材は木綿をさけ、ウール、ポリプロピレンなどの通気性、保温性のすぐれたものを選ぶ(資料2参照)。軽量のテント、寝袋、寝袋カバーがあれば万全といえるが、そこまでできなくても防水シートやツェルトは携行したい。替えの衣類や寝袋は濡れないようにビニール袋にいれておく。

2.早めの退避行動:
 悪天候下では普通、出発後5~6時間で低体温症にかかる。条件が悪ければもっと早い(最悪1~2時間)。 症状があらわれてから虚脱状態になるまで1時間、虚脱状態から死亡までが2時間である。したがって、天候が悪化しているときは、低体温症の症状があらわれる前に退却するか、ビバークの準備に入るべきである。
 ビバークする場合は風、雨、地上を流れる水から身を守れる場所を選び、衣服は着られるだけ着てその上から雨具をつけ、テントの中、または防水性のシートの下に入って身を守る。隊員が何人かいる場合はバラバラにビバークするよりも身体を寄せ合ってていた方が保温効果がある。天候がよくならない限り、救助を求めるための伝令も派遣すべきではない(ビバークのしかた)。

3.水分、栄養をこまめにとる:
 脱水、低栄養は低体温になりやすくする。水分はできれば電解質の入ったもの(水1リットルに塩5g)を、栄養は糖質(果物、カステラ、クッキー、キャンデーなど)、炭水化物(おにぎり、もち、パン、バナナなど)が望ましい。アルコールは低体温と脱水を助長するのでダメ。

V.まとめ
 低体温症の怖さは、主に次の5つ
  1.安静にしていても大量のエネルギーを消費する
  2.早い時期から判断力がおちる
  3.ふるえがおこらなくなると加速度的にすすむ
  4.単なる疲労と区別が困難
  5.低体温症の知識が普及していない
    (よく知られている医学書にも間違った対処法が書かれていたりする)

 低体温症で命をおとさないためには何よりも予防が大事であり、次に早めの退避行動である。パーティの誰かが低体温に陥った場合には、本人の判断力は落ちているため、仲間が判断し、対応しなければいけない。

VI.資料
1.登山に役立つ機器類
 1)2社以上の携帯電話を持つと通話不能範囲が狭まり、救援要請しやすくなる
  Cf)http://member.nifty.ne.jp/yamaonna/yaku-keitai.html
 2)携帯GPSは自分の正確な位置を簡単に知ることができ、救援要請に役立つ。
 3)腕時計型の高度計でも気圧の変化で天候の悪化を予測することができる。

2.低体温症になりにくい服装
 ・通気性のある下着(ポリプロピレン、オーロン、ニット、ウール)
 ・次に湿気は吸収するが、熱を逃がさず保温効果のある生地(ウール、フリース)
 ・一番外に防水性、防風性の生地(ダウンやゴアテックス)
 ・雨具は防水性に加え、水蒸気を逃がす透湿性のある素材(ゴアテックスなど)
 ・手袋の素材にも注意

3.風速と体感気温(風速0.0は実際の気温と同じ)
風速(m/秒) 体感気温(℃)
0.0  10.0   4.4  -1.1  -6.7  -12.2
2.2   8.9   2.8  -2.8  -8.9  -14.4
4.5   4.4  -2.2  -8.9  -15.6  -22.8
6.7   2.2  -5.6  -12.8 -20.6  -27.8
8.9   0.0  -7.8  -15.6 -23.3  -31.7
11.2  -1.1 -8.9  -17.8 -26.1  -33.9
13.4  -2.2 -10.6 -18.9 -27.8  -36.1
15.6  -2.8 -11.7 -20.0 -29.4  -37.2
例)-1.1℃でも風速が11.2(m/秒)あれば体感気温は-17.8℃

4.高度と気温:100m高度が増すごとに気温は0.6度下がる
  Cf1)トムラウシの事故当時、東京30℃、札幌20℃、トムラウシ山頂8℃
     風速15(m/秒)として体感気温は-6℃くらい。(これは2002年7月の事故を指す。・・管理人 注)

  Cf2)5月下旬の羅臼岳の推定、東京25℃、札幌15℃、羅臼岳登山口8℃
     羅臼岳山頂0℃、風速10(m/秒)として体感気温は-15℃くらい

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以上を踏まえて、16日の行動を考えてみます。

ヒサゴ沼避難小屋を出発するに至った経緯

ガイドに十分な低体温症の知識があり、予防のための方策もわきまえているとします。

トムラウシを舞台にした2002年7月の事例については知っており、当日も漠然とした程度の低体温症発症可能性の認識はツアーガイド3人にあったものと推定できます。ただし、ガイド3名のうち2名が現実に発症していたことを踏まえると、ヒサゴ沼避難小屋出発時点で、切迫した具体的な認識があったとは考えられません。
ガイドが低体温症の切迫した具体的認識を得たのは、最初の発症者が現れる頃であったと考えられます。

さて、もし私がツアーガイドで、今回のツアーにガイドとして参加する場合、現場の判断は、swanslab 様のような現地に詳しいガイドに状況判断は任せると思います。それで、swanslab 様が、「エスケープしましょう!」とご提案なさったら、ツアーはエスケープすることに決定し、あとは(トムラウシに登れないので)不機嫌な顔をするツアー客を説得することに努力したことでしょう。

今回二名のガイドが現地に不慣れだったということは、その分、現地のガイドの意見が尊重される余地があったと考えます。
中途半端に北海道の山を知っているよりは全く知らないほうが、現地のガイドの意見も通りやすいといえましょう。

多田学央ガイドの現場での判断は今のところ不明ですが、ヒサゴ小屋では、今後のルートに関してガイド間で言い争いがなされた形跡もありませんし、ガイド間での意思決定はすんなりいっていたようです。

ルート変更をせずに予定通りにトムラウシ温泉に向けて出発した経緯に関して、あくまでも推測に過ぎませんが以下の諸事情が考えられます。

①状況判断(とりわけ天候予測と、低体温症発症可能性)を見誤り、ガイド全員ルート変更など思いもよらなかった。

②同宿した他のツアーグループ或いは個人で、エスケープするグループ、個人は皆無であったのでその流れに従った。

③多田ガイドはルート変更を考えたが、決定権があるほかのガイドに押し切られた(あるいは多数決で潰された)。

④いざという場合は、ガイドが3人もいるので今回のオペレーションシステム
△+ガイドA→→△△△△+ガイドB→→→○○○○○○○○○○+ガイドC→→→→トムラウシ温泉
故障者(△)が出たら都度、ガイドが付き添い、本隊は先に進むという方式でトムラウシ温泉まで引率できると踏んだ。

※結局、swanslab 様にご教示いただいた、かってのコマドリ沢が増水して、流される恐れがあるといったルートの危険性があるならまだしも、天候予測も、低体温症発症の予測もいずれも、エスケープルートを採らせるほどの説得力をもたなかったのだと考えます。

そして何よりも、トムラウシへのこだわりがあったように思います。

トムラウシ山は深田百名山のひとつであり名峰とされています。確かに3泊4日の大雪山系縦走の後半のフィナーレを飾る山でありますが、安全登山の見地からするならば何もヒサゴ沼避難小屋に停滞してまでして無理に登る山ではないとも言うことが出来るでしょう。(下記追補 参照)

暴風雨ではあるがまったく行動できないわけでもなく、雨具を着れば行動できる程度の雨天の中、ヒサゴ沼避難小屋に停滞するという判断は、どうしてもトムラウシに登ってみたいといったトムラウシに特別の価値を置いているならまだしも、上に書いたように大雪山の縦走を一通り無難にこなすことに重点を置く場合は、あまり出てこないのではないだろうか?

そんなふうに安全な縦走のほうにより価値を置く場合には「トムラウシは悪天のためエスケープしたんで登れなかったよ。」で済むはずであるが、トムラウシに是が非でも登りたいがためにこのツアーに参加したであろうほとんどのツアー客にとっては、まさにトムラウシに登ってこそ!の心境であったのだろう。本州から10数万円の旅費を払って参加するツアー客の心情はそんなところにあると考える。

その場合、エスケープルートを選ぶことは、言って見ればトムラウシから撤退を意味する。トムラウシ命!でやってきている本州のツアー客にとってエスケープは、登山ツアーそのものの失敗を意味する。

その心情をよく理解しているガイドは、たとえエスケープルートを知っていても心情的にエスケープルートは採れなかったのではないか?
いわば、トムラウシへのこだわりで、計画通りに進んでしまったということが出来ると考える。

では停滞はどうか?

しばしば指摘される停滞であるが、どうしてもトムラウシに登りたいのならば、あらかじめ停滞を予備日の形で計画に入れておくべきであった(そんなことはガイドだって百も承知である)。
されど、計画に予備日は入っておらず、停滞は予定外の行動である。よってエスケープルートを採る以上に停滞はしにくい・・。

(大体、登山の心得がある者(ガイド)にツアー計画を渡して、ひと目見て、予備日がないということは、つまりは、決められた日程のうちでツアーを終えることが、暗黙の大前提であったと言えるだろう。)

・・とすると、やはり当日は、
動かざるを得ない。

ちなみに地元の登山者やガイドにとっては、計画外のヒサゴ沼避難小屋での停滞とエスケープのどちらが望ましいかというと、安全な登山を心がけてトムラウシに格別な思い入れがないのならば、行動できる雨天であれば迷わずエスケープである(この点は、swanslab様のご教示に拠っています )。

でも、先述したようにエスケープは、ツアー客にとってツアー自体の失敗を意味する・・。

そんなツアー客の期待に、応えんがため、エスケープルートを選ぶこともなく、まして停滞することもなく、16日の早朝、3人のツアーガイドは、ツアー予定通りの、トムラウシ山を越えてトムラウシ温泉へ下山するルートを歩き始めたのではないだろうか。

その場合、勝算はあったのか?

逆説的に表現するなら、勝算があったからこそ、トムラウシを越えて温泉に下ろうと歩き始めたわけである。3人のガイド間でいかなるやりとりがなされたかは不明であるが、既定のルートを進む場合、

「特別なトレーニングを積んでいない一般ツアー参加者で、60歳前後の高齢者がほとんどで、縦走三日目で疲労も蓄積されているような場合に、暴風雨の中、北海道の標高1800m以上の吹きさっらしの尾根を、満足な防寒衣料も着ないまま歩かせた場合、ツアー客15名のうち1人、2人に、数時間後、遅かれ早かれ低体温症の症状があらわれる者が出てくるであろうことは、ヒサゴ小屋避難小屋出発の時点で、ガイド3名にとって十分予測可能であった。」ということが出来るだろう。

だから、低体温症が発症しないうち、せいぜいタイムリミット5時間~6時間のうちに安全圏に下山してしまうことが求められたわけで、ヒサゴ小屋出発の時点で3人のガイドもそれを念頭においていたはずである。

実際は、5時間~6時間のうちに安全地帯に下降することが出来ず、あのような結末になったわけだがそこにもうひとつの誤算があった。

行動ペースの誤算

すなわち低体温症が発症しないうち、せいぜいタイムリミット5時間~6時間のうちに安全圏に下山してしまうのが出来なかったという「行動ペースの誤算」があったと考えるのが筋である。

つまり、いざ小屋を出てみたら遅々としてまったく行程がはかどらなかったという事情である。
これはツアー客に残されていた体力の判断ミスといえるだろう。

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この流れを簡単にまとめると以下のようになる。

日程上、停滞は出来ない

トムラウシへのこだわりからエスケープも採れない

タイムリミットのうちに下山してしまえば何とかなる

行動ペースがガタ落ちで、遅々として進まず

5時間後、最初の、低体温症発症者を迎える

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追補

例えとして、北アルプスに置き換えてみると以下のようになる。
室堂から薬師岳を超えて、裏銀座を歩いて槍ヶ岳に登って、穂高に向かおうとした朝、天気は荒れていた。
天気の回復を待って、穂高まで縦走を続けるか、それとも、もう計画したルートの8割がたは歩いてしまったので、今回の縦走はほぼ成功したとして、穂高は止めて迅速に槍沢から上高地にエスケープしてしまうか?である。
穂高に格別の思い入れがある岳人なら、停滞してまで穂高まで歩くかもしれない(もちろんその場合は、あらかじめ予備日を組んであるだろう)が、山においてあまり欲張らず、8割がたの達成で成功とみなす岳人であるならば、さっさと下降してしまうだろう。

本ツアーの場合(本ツアーに限らず、トムラウシをめぐるツアーに参加する人は皆同じであろうが)、参加者はトムラウシに格別の思い入れがあったのであるが、ツアー会社が企画した日程では、停滞などできず、ガイドとしては強行するよりほかになかったのだと考える。
多少、2~3万円旅費が余計にかかってもツアー客のことを第一に考えて、ヒサゴ沼避難小屋で停滞できるような親切な計画設定を行うようなツアー会社を選べばよかったのであろうが、後の祭りである。

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考察⑫ ガイディング能力への過信、気象予測の難しさ、プロガイドのプロたるゆえん・・。

「私にでも登れるかなぁ_?」と半信半疑な方を、適切にフォローして、足りないところを補って、登りたい山に登らせてあげるのが登山ガイドであると思います。
例えば、トムラウシに登るには10の力が必要であるとして、7とか、8とかしか力がない人でも、足りない分を補うのが、登山で飯を食う、プロたるゆえんでしょう。
実力がすでに、10や12ある人のガイドになって登らせても、それは単に道案内をしたにとどまると考えます。

甘やかせ登山である、といった皮肉も寄せられるでしょうが、尾根歩きのガイドの本質は、甘やかせ登山にあるのだと思います。
以前は、市井の山岳会に入って、いろんな山を経験したあとで、会の夏山山行として、大雪山系の縦走を行ってトムラウシに登るといった手順が、正統的段階であったと思うのですが、会務の雑用にしばられたり、自分の行きたい山に必ずしも行けるわけではないことなどで山岳会を敬遠し、個人、或いは気のあった仲間と気軽に山を楽しむといった人たちが増えてきました。

特に、自由な時間が出来てから山を始めたような中高年層には、その傾向が強く、そしてその(表現が悪いですが)「受け皿」が、公募形式のツアーになってきたという背景があると思います。
一人で企画して行くよりも、仲間もいるし、ガイドもつくし、道にも迷わないし安全・・というのが主たる理由でしょう。

その場合、道案内と、ペース配分を上手い具合にして、ばてさせないでなんとか、山頂を踏ませて、ルートを歩かせてあげるというのが、ガイドの役目です。もちろん、天候判断も含まれます。
さらに悪天候の場合には、「今日行動すると、悪天につかまって、疲労凍死するかもしれませんよ。」と適切な警告を与えて、計画を適宜修正、変更するのもガイドの役目でしょう。

そんなツアーに参加される場合は、基本的に「お任せ登山」でよいのだと思います。

今回の事故をあれこれ見てきますと・・

①当日の天候予測に失敗し、終日悪天候。
②ツアー客の疲労状態に失敗し、行程がはかどらなかった。
③低体温症の発症可能性の予測を間違えて、8名ものツアーメンバーを死なせた。
④それどころか、ビバークして、ガイド自身も死んでしまったり、ガイド自身も自力下山できなかったり・・。

特に④は致命的で、自力下山できないガイドはガイドとして致命的ミスであると考えます。
これらを評して、ひとことで言うならば自分達のガイディング能力への過信があったのだと考えます。

自力下山の価値

自力下山できないガイドツアーは失敗であります。
ルートをたどることよりもまず無事に自力下山することをより重視するべきであったと考えます。

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所見

さて、今回の事例ですが、私の現在の所見では、結局、プロのガイドであるならば当然知っておくべき2007年7月11日の事例、および、それを受けて、地元北海道の医師が書いた低体温症の記事(これも、検索すればすぐ手に入る情報である)、この二つをおよそ北海道で山岳ガイドをやろうという人間は当然おさえておかねばならず、その上で、当日(16日)のヒサゴ沼避難小屋スタート時点の風雨は低体温症の発症を招くに十分なものであると判断した場合、「低体温症の発症までのタイムリミットは、5時間~6時間で、その時間内に、安全圏(☆)まで下山しなければならない。」・・とガイドなら当然ここまで考えを巡らせねばならなかったのではないでしょうか。
(☆・・コマドリ沢分岐あたりが、一応「安全圏」であるとすると、そこまで制限時間内に下らなければならない。)

さらに、ツアー参加者各自の体力の程度は、14日、15日の行動から大まかにはわかっていたはずであるので、3名のガイドには、ヒサゴ沼避難小屋スタート時点で、5時間~6時間経過後に安全圏まで下れるか否かに関して、十分判断が可能であった筈である。

以上の読みに失敗して、漫然とスタートして、今回のような結果を引き起こしてしまった。

ところでこの場合、天気予報が好天に向かっていると報じたのを信じたというのは、非難を減ずる理由になるだろうか?

※天気予報は、あくまでも予報であり、余りあてにならないものだと思って行動するべきである。
※予報よりも実際は回復が遅れる場合もあると見込むべきである。
※ガイドである以上そういった予報が外れることは、経験上当然わきまえておくべき事柄であろう。

つまり、天気予報で天気が回復するとされていても、一般のハイカーならともかくプロのガイドとしてはまず疑ってかかるべきであった。その意味で、慎重性に欠けたといえると考える。
安全登山の見地からは、ヒサゴ沼避難小屋出発の時点で、天候はおいそれとは回復しないと消極的(保守的)に判断するべきであって、好天を予報する天気予報を信じたということは、責任を減ずる理由にはならないと考える。

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swanslab 様から指摘されたデータ

2007年7月15日~17日の天気図 bushi 様のコメント参照
tomuraushi20090716
画像は「気象人」より引用 http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/200907/

swanslab様によりますと、次のWebSiteに当日の天気概況が掲載されているそうです。
http://snowmania7.blog38.fc2.com/blog-entry-56.html

旭川地方気象台(16日5時発表)による上川地方の天気概況は、
天気予報
 今日
  南西の風 後 北西の風。上川北部では 南西の風 やや強く
  曇 所により 朝まで雨

 明日(7月17日)
  北西の風
  晴 明け方まで 曇

降水確率
 今日(06-12) 20% (12-18) 0% (18-24) 0%
 明日(00-06) 0% (06-12) 0% (12-18) 0% (18-24) 0%
というものでした。

つまり終日南西の風で降水確率が午前20%午後は0%です。
前日15日の概況では16日午前の降水確率が50%だったことから、
16日はやや早めに快方に向かうという具合に、天気概況が予測を修正したとの判断に傾かせた可能性があります。

天気図をみると風の通り道であるトムラ周辺は爆風が吹きそうです。
雨量については、微妙ですが、風は終始吹き続ける可能性がありますが、少なくとも雨は次第におさまるのでは、
との期待がなされたとしてもおかしくありません。
もしかりにガイドたちがそう判断したとすると、現実には倒れるような強風で雨も降っていたにもかかわらず
なおも前進をつづけた理由に雨だけは必ずやおさまるであろうという天気読みがあったと推測することができそうです。

天気予報に依存することがプロとして許されるか?

swanslabさまがお書きのとおり、この天気予報を見る限り、「今日の天気予報は曇 所により 朝まで雨で降水確率は午前中20パーセント、午後からは0パーセントだよ!稜線の風は強そうだけれど出発できるね。」ということになります。非常に元気付けられる天気予報です。

にもかかわらず、「いや山の天気は分からないから、その天気予報も完全に当てにはならないよ!今日は停滞か、エスケープで帰ろう。」と言い切るには、現地の小屋番並の豊富な気象経験を持つガイドでなければなりません。

そういった高度な判断力を、大雪山系の山々を舞台に働いているガイドのうち、どれほどのガイドさんが備えていたのでしょう・・。
例えば、100名ガイドがいて、80人はそういった天気予報に反するけれど結果的には正しい気象判断をなしうる能力を持っているのなら、今回のガイドは、表現は悪いですが、いわば、標準以下のガイドであったわけで、非難されても致し方ないでしょう。

でも、そうでなく、100名ガイドがいても、天気予報が外れることを自信を持って見抜けるほど現地の気象の特殊性に通じたガイドは、わずか一握り(数名)に過ぎないとしたら、今回のガイド3名の行動も、北海道のガイドのほとんどがやっている標準的な行動パターンに沿って行動したまでで、結果的に天気予報が外れたけれど、それほど非難される行動ではなかった。といえましょう。

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今回の事例が私たちに教えてくれるのは、ツアーガイド登山においては「体感気温マイナス5度の暴風雨状況下で、メンバー各自にレインコートと防寒衣料の準備が整っていない場合は、たとえ天気予報で、数時間後の天気の回復を報じていてもそれに従ってはならない。」という保守的な判断を行うべきである、ということになりましょう。

そして、そういう一見ありえないような保守的な判断を現場の状況判断で下せるのが、プロガイドのプロたるゆえんなのではないかなと考えます。

とはいうものの、今回の事例は、判断がきわめて難しいケースであったのは確かであり、天候予測の失敗だけをとらえて、三人のガイドを非難することは少し無理があると考えます。

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今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答

※ 以下、戸田様から質問形式でお答えいただいた内容(黒文字)を原文のまま掲載させていただきます。
※ 原文に忠実に、一切の脚色を施さず、誤字脱字も修正しておりません。
※ 今回、ご質問(青色)を作成なさったのは、swanslab 様 なお、カッコ内は、私が噛み砕いて質問の趣旨を説明した文(青色)です。

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今回の事故で、全国の山を愛する皆さんに対するメッセージのようなものがございましたら、ぜひお書き添えください。 私のところに掲示させていただき、皆さんにお読みいただこうと思っております。

自分が見たことをあまさずみなさんに知っていただきたいです。自分には知らせる義務があると思っています。
自己責任論が亡くなられた人に対しとなえられ、「ちょっと違うぞ」と思っています。不可抗力の要素はあると思いますが、それに対する一定限度のサポートはあってしかるべきとおもいます。それがツァー山行だと思います。突然サバイバルの場につれてこられて命を失った人に代わって、「それは違うぞ」と訴えたい。
後は低体温症の知識です。自分はガイドたちに低体温症の知識があったとは絶対おもいません。そして自分に低体温症の知識があれば、もっと早く対策を要求したのにとおもいます。

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以下ご質問事項です・・。

まず、ガイドの様子についてお聞きします。

①登山全体を通して、計画、状況、判断の説明をする人は、三名のガイドのうち誰でしたか。
(ガイドの名前は吉川ガイド 多田ガイド 松本ガイドのうち誰がリーダー格でしたか?という意味です。独りの人が全部決めていたのか、それとも、役割分担があったのかを知りたいのです。

32歳ガイドがすべてを決めていたとおもいます。北海道がはじめてで、気候やコースについて何も知らない人になんの決定権がありましょう。38歳ガイドとは行きの飛行機で相席となり、彼が「夏休みの代わりとして会社があたえてくれた」といっているのをきいています。つまり責任の軽いもので、お手伝いをすればよいとかんがえていたようです。吉川ガイドのことは分からないが、「雨は気にしないで歩けばよい」といったことをいう人です。(じぶんへの発言)また携帯は持たないとウソをいう人です。最終日には「今日は皆さんを下に送り届けるのがしごとです。」といっていたといいます。

②前日(15日)の天候をご教示ください。
(どのくらいの雨だったかとか、結構衣類が濡れてしまったとか・・、寒かったとか・・、避難小屋についても乾かなかったとか、そういった情報です。)

前日は朝から終日雨でした。風速は5mぐらいです。山の雨ですからはじめはそれほどには気にならなかったのですが、そのうちからだの芯からぬれたようにかんじました。眼鏡が外側は雨粒がつき、内側は曇り苦労しました。ただ着衣は上は春夏ようのジャッケトとゴアのカッパで十分でした。下着まで全部ずぶぬれです。靴はズクズクで靴下は絞れるほどです。自分は全部着替えましたが着干しの人もいました。女客のことは分かりませんが雨具以外を干しているようではなかったとおもいます。シラフをはんぶんぬらしシラフカバーを中にして寝ました。シラフを濡らした人は他にいると思いますが、どうしたでしょう。着替える場所はありません。
2階は別のグループと個人がつかい一階は私たちが使いました。干す場所がなくてこまりました。なおこの日は一時間早く小屋につきました。けっこう急がされたという感じです。それが翌日の判断ミスにつながったと思います。雨の中休む気にはなれませんし、平たんのコースで翌日の参考にはならんと思いますがねえ。

③最終判断をなしうるガイドはヒサゴ沼を出発するとき、理由を説明しましたか。そして、次にどこで天候の判断をすると説明していましたか。
(リーダー格のガイドさんは16日朝に避難小屋を出るときに、なぜ予定通りにトムラウシ温泉に向かうのか、メンバーに説明しましたか?天気が悪くなったらどうするとか、しばらくトムラウシのほうに進んで天気の様子を見るとか言っていましたか?ということです。)

自分はトイレに行ってて、その間に全部終わっていたようです。30分の延期はとなりに寝ていた木村さん(死亡)が教えてくれました。様子を見る、30分延期するというのです。妙だとおもいましたが、30分遅らせれば天気のピークをやり過ごせるとでも考えたのだとおもいます。それと30分以上は長い距離(予定タイムは10時間30分となていました)を考えると無理と思ったようです。だれかが中止を言い出したと報道にありますがそれは女客だとおもいます。だれが言い出したか知りたいのにいまだに分かりません、たぶん亡くなられたのだと思います。女客で生還した人なら分かるかもしれません。32歳ガイドが昼には天気が回復すると言って決行を決めたとの報道があります。途中での天気の判断なるものは彼(32歳)の頭にはなかったと思います。そのような話は誰からも聞いていません。途中で様子をみるという話もありません.そんなそぶりはありませんでした。りょうせんにでてからは前を見て歩くことだけ考えていました。

④出発時にガイドはお客さんの装備(アイゼン・防寒具)のチェックをしましたか。ヒサゴ沼避難小屋を出る時点で重ね着の指示はありましたか。(寒さ対策に中間着を着てくださいとか、フリースを着てくださいとかのアドバイスがなされましたか?という質問です。)

チェックはありません。ストックのゴムを抜くようにとの指示が32歳ガイドからありました。アイゼンはすぐに出せるようにというのは別のガイドの指示です。これは誰かが聞いたからでそうでなければ指示はなかったでしょう。重ね着の指示はありません、誰も聞かなっかたからだとおもいます。

⑤事故当日(16日)、先頭を歩いたガイドさんは誰ですか。最後尾を歩いたガイドさんは誰ですか。

先頭は今回を通じて32歳ガイドがつとめました,正ガイドの務めだそうです。最後は添乗員たる吉川ガイドがつとめ、サブガイドの38歳ガイドは中間に位置すると決めていたようです。

⑥ヒサゴの雪渓の登りで要した時間とアイゼン着脱に要した時間をおおまかにご教示ください。
(アイゼンを使うほどに雪がありましたか?雪がなくアイゼンを使わなかったのでしたら、お答えいただかなくって結構です。)

アイゼンをこのツァーで初めて使いました。一番長く勾配もありアイゼンがあれば安心という雪渓で、北アルプスのそれの小型のものだとおもいます。
雨と風があり少しガスっていたとおもいます。30分ぐらいかっかたと思います。ネパールのシェルパの人がスコップをもってステップを切ってくれて安心感を与えていました。
稜線まで計40分ぐらいと思います。着脱に時間はあまり掛からなかったと思います。

⑦雪渓を上りきった地点(コル)で、風・気温・雨等、天候の変化を感じましたか。疲労や体の不調を訴えるお客さんはいましたか。

コルに着いたときは風はありましたが、撤退とかいうことを考えるようなものではなっかたと思います。故障をいう人はなっかたとおもいます。
なおここで言うのが適当とはおもいませんが体調のことはここで初めて聞かれたのでここで言っておきます。最初の日にすでに一人の女客が旭岳から白雲岳へ行く途中でうつむいてゲロをはくこと、ゲイゲイとやっていた。体調をくずしていたようです、ガイドに連絡しなにかやっていたようですが、自分の視界からきえました。その日にもう一度目撃し、次の日に一度目撃しました。
彼女が延期を言ったのかもしれませんが、彼女が最初の故障者(歩けない人)だとおもいます。ガイドはだから低体温症の判断を誤ったかもしれません。前日、前々日の延長と考え休ませてなんとかやってきたから今回ももう少しだから、推測です、わかりません。彼女のサポートに足を取られ、大幅な時間遅延がしょうじ、それが誤算だったようにおもいます。

⑧雪渓を終えてからロックガーデン・天沼にいたるまでの天候状況は小屋出発時点と比べて劣悪と感じましたか。(小屋を出る頃に比べて、天気が悪くなっておりましたか?という意味です。)

どこかで急に風雨がつよくなりました。自分はそのまえに隊列から抜け、そのためにあらかじめ前に出ておいてフリースを着ました。雨があり雨宿りもないところでカッパを脱ぐと、肌についているシャツが濡れるのでイヤだったが強引に着ました。それで肌寒さというか汗と風による寒さ冷たさから少しは逃れました。天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かったと思います。体とザックにたいする風の圧力で木道から飛び出すことになります。32歳ガイドが(自分も真ん中にいたから)風向きに向いて立ち横に歩けと言っていました。風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました。低気圧が通ったのかもしれません。7時30分~10時と思いますが時間については後で述べたい。

⑨北沼に至るまではふらつき、転倒する風と報道されていますが、具体的には、行動後何時間経過した時点でそのような気象条件になったのでしょうか。ときおりふらつく、烈風でバタバタ音を立てる雨具のフードを手で押さえる、風上に顔を向けられない、など、具体的な状況もご教示ください。
(報道記事によりますと、天気がとても悪くなったそうですが、ヒサゴ沼避難小屋を出てから、何時間ぐらいしてから、ものすごい風や雨となったのですか?風や雨は、レインコートのフードを手で抑えないと飛ばされてしまうほどでしたか?)

ザックカバーがめくれあがって困りました。ゴムをきつくしておいたのに、一度は直したが、次からは横に丸めて持つことにしました。大型ザックのカバーはどうもよくないようです、ふくれにふくれバタバタと音を立て取れそうになるといったところです。カッパのフードはゴムを強くして、あごのところに来るベルクロをつければ対応できます。時間ですがピークは8時~9時と思います。低気圧の通過時刻はわかりませんか?トムラウシ分岐が10時30分とされていますが自分は11時~11時30分と思います。小屋から5時間でなく6時間(コースタイムは2時間30分)です、2倍ではなく3倍に近い時間を食ったと思います。そして分岐の下で停滞したのが1時間半とされていますが、2時間と思います。2時間は現場で自分が最初に考えた時間です。出発が1時半でそうすると4時前に先行者がコマドリ沢分岐で110番をいれた事と時間的矛盾が取り除かれます。出発が12時というのではコマドリ沢分岐まで時間がかかりすぎです。(地図では2:05です)

分からない質問には、お答えいただかなくって構いません。
なにとぞ宜しくお願い申し上げます。

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戸田 様

毎度お手数をお掛けいたします。
以下、swaslabさまから戴いている質問の後半部分です。

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⑩北沼までの休憩回数と一回の休憩時間をお知らせください。

天沼かそのさきの日本庭園のあたりかよくわかりませんが、木道があってそこが一番風が強かったとおもいます。そこまでに3回ほど休憩をとりました。1回5分ほどのたち休憩です。休むひまはなっかった。32歳ガイドは日没を心配したのだろうとおもいます。それから一度休憩の指示が出て休もうとしたら大粒の雨ふってきてあわてて出発となりました。(2分)そのあとは一度も休憩の指示は出ていません。32歳ガイドにはケアのしごとがでてきたようです。もう32歳ガイドは隊を率いていくことはやめ、サポートに集中しだしたと思います。
以後休憩するとか、食事を取れとか、フリースを着なさいなどの指示はなくなりました。だれも何も言いません。自分はみんなは食事をきちんととったのだるうか、これが生死の分かれ目になったのではと思っています。今思えばですけれど。自分はカッパのポケットにたくさん非常食を詰め込んでいたのできちんと食べましたが食べないままの人もいたかも知れません。低体温症になれば判断力も低下するそうですから。

⑪北沼で最初に不調を訴えた登山客は列のどのあたりにいましたか。不調や疲労を表現できるタイプでしたか。遠慮するタイプでしたか。(苦痛を我慢してしまうタイプか、大騒ぎをするタイプかということです。)

一番最後です。彼女は最初の日から調子が悪かった人だと思います。だれも皆遠慮しました。ツァーはそういうものです。わがままは言えません。大騒ぎなど誰がするものですか。そんな質問を受けるとは思いませんでした。

⑫最初の行動不能者が発生したあと、パーティ待機の指示は誰が出しましたか。理由は説明されましたか。
(単に体調不良であるとか、頭がだるいとか、具体的に風邪ですとか、低体温症ですとか。)

だからそれは32歳ガイドがしました。添乗員の仕事とおもいますが、吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。32歳ガイドがふれ回ったと思います。理由の説明は一切ありません。みなを動揺させたくなかったとあとで語ったそうです。テレビだとおもいますが。

⑬低体温症との判断はどの時点で誰によりなされましたか。

誰も低体温症と知らなかったと思います。救急隊によって、マスコミの発表によって救助の時にというのが自分の回答です。

⑭低体温症であると判断されたあと具体的な処置はどのようなものだったと観察(推測)されましたか。

低体温症と判断したのではないと思いますが、最初の故障者が列の中ほどにいた38歳ガイドのところへ連れてこられ、彼が看護をすることになりました。これは出発40分前としておきます。サブガイドの仕事として看護があるといいますからそれに従ったのでしょう。彼は背中をさすり、大声で「元気を出せ」と叫んでいました。吉川さんがやってきてテルモスの湯を与えていました。ただそれだけです。もうしませんでした。

⑮報道によれば、戸田さんは遭難と認めて救援要請をしてほしい旨をガイドに伝えた とのことですが、どのガイドに伝えましたか。また、そのときの返答はどういったものでしたか。通信状況はどのようなものでしたか。

自分がどなったときの10分前に、吉川さんのところへ出向き「どうしますか」ときくと、「ようすをみる」とだけこたえました。妙な答えです。自分はもとの位置にもどり10分まちましたが何も動きはありません。その時自分はこのままではみんな死を待つことになると突然思いました。それで遭難と認めてどうしたらよいか指示を出せといったのです。それは隊のみんなに訴えたのです、ガイドのだれに言ったのではありません。だから返答もありません。
自分は携帯をもたなっかたので通信状況は分かりません。持っていたら一方的に110番したと思います。かれらに110ばんを迫らなっかたのはまだ信頼していたからです。ここではできないのだと。4時半に32歳ガイドは会社にメールをいれていたといいます。自分は前トム平へ降りてきてしたのかとおもっていたら、頂上でできると教えてもらいました。そうすると38歳ガイドに依頼する必要はない、つまり依頼の要請はなかったのではと思います。また風雨がつよく通信はできないというひともいますが、出発のころはあまり風雨は感じなかったと思います。ピークは過ぎていたと思われます。なお時間の問題があります、出発が12じでは、コマドリ沢分岐で110番したのが4時と確定しているから4時間もかかったことになり(地図では2時間5分)おかしい。出発は1時半ごろではないか、あの時自分は空腹を覚え時計を見て1時20何分だったと記憶しています。それと待機時間は少なめに見て2時間とおぼえておこおうとしましたが人に説明するたびに少なめになっていったようです。これらはみな仮説ですからきちんと検証をする必要があリます。だから1時過ぎの電波状況が問題となり風雨は問題ないとなるとおもう。32歳ガイドがメールを4時30分にいれているがいやいやながら入れたかんじで探そうとしていなかったと思います。認めたくなかったのではとおもいます。

⑯南沼→前トム平の天候について。どちら方面からの風が強かったですか。また天候に変化はありましたか。

下りでは風のことは忘れました。既におさまりつつあったと思います。

⑰コマドリ沢より急な新道を登り、カムイ天上より泥んこの道を下ったと思いますが、そのときの天候、時間、登山道の状況について概況をご教示ください。

この辺のことが自分にはよくわかりません。①新道へ上るところでビバークを考え場所を探していて長田さんをみつけビバークすると伝えてくれといったら一緒に帰ろうというので歩きだしたが自分はビバークの場所を探していてつながりをぎゃくにかんがえてしまいもとにもどりました。それで1時間のロスとなりました。②それから真っ暗な道を一人、どうも谷道を歩いたようでよくわからない。とにかく黒い筋を歩くようにしていました。障害物は分からないので転ぶだけです。カッパが穴があいたし泥だらけです。道の状況などまったくわかりません。それで向こうから2人がきてそれが斐品さんと長田さんで、自分はもと来た方に戻ろうとしていたところを助かったということです。よくわからない。10時ごろか?天候は風もなく暖かくなっていたと思います。

⑱報道では、松本ガイドは救助を呼ぶために、先を急いでいたとされています。携帯電話のつながるところに空身でとりあえずおりて登り返すといったことはされていましたか。(軽装でいったん下降し、110番連絡した後に、皆がいるところに戻ってきたとか、そういったことがありましたか?という意味です。)

まったくの誤報です。彼の行為が理解できないので作り上げた作り話です。かれのあたまは自分のサバイバルだけと考えれば説明がつきます。かれは北沼の小川で客のサポートに回っていて背を水につけたと聞きました。待機中は自分の前で顔をしかめジッとしていました。彼はサバイバルのため先を急いだのです。曲がり角で10人を確認するようにと言われ、20m下でおーいおーいと叫び、自分がおーいおーいと答えると一目算に下って行ったのです。救援依頼の使命が告げられたというのは自分はその横にいたが聞いていません 。コマドリ沢での110番も偶然によるものでかれが積極的にじぶんの携帯を出して連絡しようとした要素はどこにもない。だから上り返すというのは社長の願望がしゃべらせたフィクションです。かれはコマドリ沢分岐の上の草付きでねていて長田さんが見つけ目の前で電話しなさいといわれ5時に会社にメールを入れたのです。長田さんが自分にいったことです。そこへ自分が通りかかり義務があるという意味のことを言いました。彼は2人が去ってからハイマツ帯にもぐりこみ、翌朝の救援隊を避け最後の行方不明者となりそのご、道の近くに移動して登山客に見つけてもらったのです。救援隊にみつかるのはさけたっかたというわけです。じぶんのすいそくですよ。彼は命をつないだので非難は覚悟のうえとおもいます。

swanslabさんからのご質問は今のところ以上となります。
また追って、前回いただいたご回答に対するご質問も出てくると思います。

また、次の私の質問もよろしくお願いいたします。

A①ヒサゴ沼避難小屋を出るときに、屋外は、低体温症が起こるかもしれない気象状況であるといった認識が、ガイドにあったと思いますか?
また、ツアーの全体を振り返って、ガイドは、ツアー客に対して「低体温症」という言葉を使ったことがありますか?使ったことがある場合、初めて使ったのは何時でしょうか?(例 ツアースタート時、15日初めて倒れた女性が出たとき、16日に倒れた女性が出たとき、さらにそれ以降・・)

32歳ガイドにそんな認識はなかったのでしよう。全員を連れて帰れると思っていたでしょう。かれはその言葉は知らなかったと思います。さいごまで低体温症が原因と知らなかったと思います。

A②戸田様が16日にご着用になっていた雨具のメーカーと商品名を教えてください。また、ほかの御仲間が着ていた雨具はどのようなものでしたか?

モンベルのゴアテックスでひとつ前のタイプと思います。北海道警察が死んだ人の雨具は全部ウィンドブレーカー等防水の弱いもので、生還者は本格的な防水透湿のものだったと発表した。歪曲です。竹内さんはゴアテックスをきていました。

A③また16日の戸田様のウェアは、どのようなものでしたか?

例 
上半身 速乾性の半袖Tシャツ+化繊の長袖シャツ+セーター(ないしフリース)+レインコート
下半身 下着+ズボン+雨具のズボン
このほか、帽子と手袋は着用なさっていましたか?

上半身  モンべルジオライン3d長袖、モンベル薄フリース、雨具
下半身  ブリーフ(廉価品)、ワコールタイツスタビライクス、ズボン、雨具
帽子なしでカッパのフード、手袋なし 反省しています

A④16日の朝は、ガスバーナーなどを使って温かい飲み物(コーヒー、紅茶)などは飲みましたか?16日に戸田様の魔法瓶(テルモス)に入っていたのは、温かい飲み物でしょうか?それとも、冷たい飲み物だったでしょうか?

バーナーで紅茶を作りました。湯はガイドがわかしてくれることになっていた。ただ朝食は夜のうちに作っておくようにというのだ。汁や紅茶などは湯をくれるというのだ。自分は北海道でボンベを買いこんろをつかった。

A⑤(大変失礼ながら・・)もし仮に、戸田様が、もう一度同じ暴風雨を体験するとしたら、今度はどのような装備、ウェアを持参なさいますか?何があったら、もっと楽に切り抜けられたとお考えになりますか?

A⑥ツアーの中には倒れた方とそうでない方がいらっしゃいます。生死を分けたのは端的に言って何であったかと考えますか?(体力、装備、寒さ慣れ?)

今はきちんとカロリーを取っていたかが気になっています。低体温症になると3倍のかろりーがいるそうですから。
防寒はもちろんですが、案外そんなところかもしれません。

A⑦美瑛岳で一パーティの一人と、南沼のテント場付近で単独の男性が一人、時を同じくして、低体温症で倒れてしまいましたが、これは、偶然の一致でしょうか?装備または体力とか、なにか共通する弱点があったのでしょうか?

オフィスコンパスはアミューズのもと社員が自分たちで作った会社で同根の要素を持つといいます。単独行の人もふくめ大雪の夏は北アルプスの秋山だとシラナッカったんだとおもう。低体温症のことも知らなかったと思う。北海道のツァーをやるにははやい。

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もっとお聞きしたいことがあるのですが、このメールではここまでとさせていただきます。
また後日、よろしくお願い申し上げます。

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戸田様よりメッセージをいただきましたので原文のまま掲示させていただきます。

自分の言ってることはあくまで推理です。しかし当時のことを知ってる人は限られていて、責任の重さを感じています。ほかの人と話せるとはっきりするんですが。トムラウシ分岐で停滞したのが10:30~12:00とされているのも自分が言い出したことが独り歩きしたようです。1時間30分の長さは「少なくとも」という意味で言ったのですが、10時30分は出発時からのおおよそをのべたのです。それが確定した事実のように扱われてしまって誰が言い出したかわからなくなりそうで、マスコミの怖いところです。

遭難発生時の時間と場所についてお聞きいたします。

19. 最初の故障者が発生した北沼に到着したのは11:30~との認識でよろしいでしょうか。

トムラウシ分岐に着いたときです。ここで停滞しました。その始まりが11時30分と自分は今は考えています。北沼に到着したときは小川を渡ったときで、11時ごろかとおもいます。

19-2 そこで吉川さんが故障者に付き添いますが、その後一行が歩き出すのは何分後でしたでしょうか。

この故障者はすでにロックガーデンより前から吉川ガイドが付いていたようです。小川を渡るときも彼女だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。この時38歳ガイドが水に入ったのだと思います。そして彼女をトムラウシ分岐まで連れてくる経緯が野首さんが語っているところでしょう。彼女をやっとトムラウシ分岐までつれてきて、十分に休ませるというのが停滞の原因だとおもいます。自分たちは何も知らされず彼女が来るまでと、彼女を休ませる時間を合わせて2時間待たされたのだと思います。1じ半に出発となりました。彼女を吉川ガイドのところに運ぶ予定で。

19-3 一行が前進を開始後、次の故障者が現れるのは場所はどこで何分後になりますか。

1時半に出発しようとしたら立てない人が一人出ました。低体温症が停滞中に発症したと思います。市川さんです。真鍋さんは彼女と一緒にツァーに参加したのですが、彼女が出発の時来なかったので心配していたと言っていました。
だから出発の時。出発のところで。彼女は32歳ガイドが機会をみつけて回収していったのでしょう。

19-4 32歳ガイドがテントを張って故障者を運び入れた地点と時間を覚えていましたら教えてください。
それは北沼から南沼方面にトラバースする道との分岐付近でしょうか。

じぶんたちはしゅっぱつしていたからわかりません。すぐではなく時間をかけて一人づつ運んだのでしょう。

19-5 32歳ガイドがケアに集中し始めた時点の一行の編成(各故障者とテントとの距離、故障していないパーティの位置)をご教示ください。

亀田   前田   真鍋  市川  岡  味田 竹内 長田   戸田  植垣 松本 第一故障者 植垣  斐品   野首  木村 女救出者 吉川
男生還 女生還 女生還  女亡 女亡 女亡 女亡 女生還 男生還 女亡 男生還 女亡     女亡 男生還 男生還  男亡 女生還  男亡
テントは32歳ガイドがあとで建てたのです。待機中はありません。

19-6 32歳ガイドが38歳ガイドに指示を出した時間と場所は第二の故障者収納テントと理解してよろしいでしょうか。

指示をだした時は出発から10分として1時40分。場所はトムラウシ分岐から70m下。テントはまだどこにもありません。吉川ガイドのところに2人を集めてどこにたてるかかんがえるということです。

19-7 1.5時間~2時間の滞在中に風や雨に変化はみられましたか。

始めより弱くなったと思います。雨はばらばらと降る感じです。風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。

19-8 滞在時間が長引いた原因は、32歳ガイドが故障者の搬送に追われていたからと理解してよろしいでしょうか。

動転していてなにをすべきか考えていないのだ。方針なるものがなく、全員を連れていくとの考えにしがみついたのだと思います。危機対応能力の問題です。できたことは後で考えることにして、現実に対し最善を尽くすのが普通の考えだと思いますが、かれはその点でじゅうだいな欠点をかかえていたということでしょう。搬送に追われたのは現象であり原因ではありません。さらに言えば、かれは頂上付近で電波が通ることを知っていたのです。4時30分に会社にメールをいれているのが証拠です。風雨が強かったからという説もありますが風雨はおさまってきています。かれは携帯を出して連絡しようともしていない。なお38歳ガイドに救援を依頼したというのもよくわからない。頂上でできるのになぜ下に行くのか。だれもそんな話は聞いていません。あれは38歳ガイドの行為が理解できずマスコミが作った仮説でしかない。かれは偶然によって110番に関与したが、自分の携帯で詳しく連絡を取ろうともしていない。さらに前トム平あたりでためそうともしていない。これが自分の仮説です。

20. 32歳ガイドが『トムラウシ分岐』で10名を確認してほしいと38歳ガイドに伝えたとのことですが
それは南沼キャンプ場の分岐のことですか。

トムラウシ分岐のことならそうですが、そこから70m下というところです。

とりあえず以上です。
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毎度お手数をおかけいたします。

よろしく御願いいたします。

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戸田様

おはようございます。

戸田様の文がとても興味深いと、昨夜私の山仲間が電話をしてきました。
そのひといわく、ツアーにおいては延期が出来るわけがなく、ルートを変えることも先ず出来ないそうです。
理屈では、停滞するべきだとか、ルートを変えるべきだったといえるのですが、現実は、出来る相談ではなく、空論だそうです。

思うことをご自由にお書きいただいて構いません。
ご遠慮なさることはありません。

今回の事故はアミューズの体制に問題があると思います。最大の問題はあの2人がガイドになったことです。北海道が初めてで、下見もしないガイドなんて単なる荷物運びですよ。だれがこういう人選をしたのか、各営業所の責任者がいると思います。また全体を統括する本社の責任者がいるわけです。

札幌営業所はアミューズにとって先兵というか、現地事務所でしょう。ドル箱路線ですよ、アミューズの山旅の「花」ですよね。その責任者が32歳ガイドだと思います。札幌営業所、さらにはアミューズのエースだったと思います。大学をでて10年、6年ほどフリーのガイドをしていて(そのような話を聞きましたが違っているかもしれません。)今は札幌営業所の職員です。生活の安定は格段の差がありますよね。そして営業所職員としての考えがしみついて、今回はそれを優先させたのでしょう。宿や飛行機とか客の苦情とかの苦労がわかると、安全優先で通すことができないということでしょうか。

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今回は、私が考えるご質問の続きです。swanslab様とは質問の傾向が多少異なりますが、よろしく御願い申し上げます。

なお、文中
頭にAがつく番号は前回(二回目)の私の質問からの続き(通し番号)です。
頭にAがつかない番号は、swanslab様のご質問番号です。

A⑧ 質問⑧のご回答にある風雨ですが、稜線で体験した暴風雨に近い状況を、過去本州のどこかの山行で体験されたご経験がありますでしょうか?このご質問の意図は、「このくらいの雨風は過去に経験したことがあり、なんとかやり過ごせる。」と戸田様に心理的余裕があったのかどうかにあります。

ありません。町で台風にあった時がそれです、ザックを担いで台風に出会えば同じだと思います。台風の時は山に登りません。

A⑨ これは確認ですが、質問⑧のご回答にフリースを着るとありますが、小屋を出るときは、質問A③のご回答にあります、モンべルジオライン3d長袖、と雨具だけだったのですね。

そうです。前日はそれで一日過ごしましたから。

A⑩ 質問⑩のご回答にある、カッパのボケットに入れていた非常食ですが、具体的にはどのようなものをどのくらい携帯しておられ、また補給されていたのでしょうか?

アミノバイタル3袋、これは天沼から日本庭園の間に立て続けに食べました。カロリーメイト2箱、全部たべました。

 
A⑪ 質問⑰のご回答に関して、ライトはお使いでしたか?それはヘッドライトですか、ハンドライトでしょうか?他のツアーメンバー斐品さんと長田さんは、ライトはお持ちでしたか?

3人ともヘッドランプです。長田さんは電池が弱くなったとかで誰かのあとに着きたがった。じぶんは彼女を道迷いに引き込んだので信用を失っていました。それで斐品さんの後についたようです。かれは前にこのコースを歩いたことがあると言っていました。

A⑫ 質問⑱のご回答に関連して、松本仁ガイドにお会いし、報告義務がある旨おっしゃられたときに、松本ガイドの体調はどうでしたか?低体温症発症の気配はございましたでしょうか?

彼は黙って聞いていたので分かりません。ただ一時間そこで休んでいたので回復していたようです。ということは低体温症でなく疲れか、または低体温症の軽度のものかそんなところだと思います。かれは本能的にここならなにもなしでもビバークできるとおもったと思います。痛々しいとか異常な感じはありません。風もほとんどありませんし。

A⑬ ガイドたちは、自分達が遭難状況にあるということを認めたくはなかったのでしょうか?
遭難騒ぎになるのを恐れていたのでしょうか?そのため、ことさらに110番通報に積極的ではなかったといえるふしは認められますか?

そうだと思います。大騒ぎになるのを嫌ったのでしょう。客に動揺を与えたくないと言っていますが。全員を下に連れていけると考えていたとしかおもえもせん。故障者がでなくても全員が降りるには夜遅くなると、コースを熟知していた彼なら分かると思うのですが。かれはそれでよいと考えたのでしょう。ビバークはありません。4にんようテントが1つですから。とにかく歩き続けるしかない。あるいは32歳ガイドはコマドリ沢でのビバークを考えていたのかもしれません。つまり故障者をここまで持ってくるとか。謎です。彼に聞いてみたいが言わないでしょう。かれはまじめすぎるのだと思います。社交的でもないとおもいます。花の知識は完ぺきです、色んなことを勉強したのだとおもいます。ただ机の上のべんきょうですね。本当はベテランガイドのもとで一定期間インターンとか研修をうけるとよいと思います。我流ではねえ。抜け落ちるところがありますから。

A⑭ ガイド3人の様子についてお伺いしますが、3人で幾度かあれこれ話し合っていたようなことはありましたか?ヒサゴ沼避難小屋でそういう状況を目撃したことはありますか?

普通はガイドはあまり相談はしないと思います。打ち合わせで済ますのだと。緊急時には相談するかというとどちらともいえない、今回はどうかというと32歳ガイドが客の不安の声に、天気が昼から回復するからといって説得したというところからは、他のガイドは32歳ガイドの判断にまかせたのだとおもいます。目撃はしていません。

A⑮ 戸田様がガイド3名について、それぞれに対する信頼を決定的に失ったのは何時頃でしょうか? あるいは最後まで、信頼できたガイドはいましたか?

38歳ガイドについては初めから期待をしていません。実は彼とは因縁がありまして、3週間前(6・20)に高妻山(戸隠の奥、百名山)に行った時彼が先頭のガイドだったが、かえりには途中から左の尾根に移るということになっていたところ、かれは分岐点で待っていず20m先で待つので、先行者のすがたを見失った客が直進してしまい「どこだどこだ」とさわいでるのです。それで動かないでといい、後詰めのガイドを待ったところ、すこしもどったところから降りるみちがあって合流できたのですが、後詰めのガイドに「分岐点では全員の数を確認してからおりてください」といわれていた。しかも帰りのバスのなかで彼がなにを言ったかというと「このコースは問題のコースで、先日もかえりが遅くなり終電に間に合わないといった騒ぎになり名古屋営業所で問題になったが、今回は一時間も早く着いた」と自慢げに話すのでこちらは絶句するだけでした。これはここではまだはなしてないとおもいます。

吉川ガイドはよくわかりません。ただ彼は添乗員の立場で参加していて(旅行業法で規制された国交大臣認可の資格だとか?)、その任務をつとめようとしていたようです。つねに最後をつめ客が隊列から抜け落ちるのをふせいでいたようです。ただし添乗員は客の様子に注意をはらい、そのうえでガイドと話し合うというのがすがただと思いますがかれが客のようすをきこうとしたことはありません。はやくに力を失って亡くなるというのは、最大の任務放棄だと思います。これは客の立場から言っています。彼の遺族からは別の意見があると思います。それを否定はしません。

32歳ガイドについてはよくやっていると思っていました。いまでも生還者のなかにはそういう意見があるでしょう。じぶんもずうとそうおもっていました。警察の調書の作成でもよくやっていたと言ったと思います。

ここで調書のことを述べておきます。事情を聞かれてよくじつ署名するのですが、まとめは事情をきいた警察官がするのです。そこには「一概にガイドたちを非難できない」という文言が最後にはいっているのです。じぶんはさらにだからと言って資質とか能力の点で問題がないわけではないと言ったつもりですがそれはなかった。自分はよくやったことはみとめるとして迂闊にもだきょうしてしまい署名をしてしまいました。宿に帰ってこれはまちがいだと気付き電話して取り消すと言ったのだが警察はとりあわないのだ。あとで道警から出張するか、地元警察に依頼することになるという。またいったん署名した調書は撤回できないという。そのあといちど道警にメールをいれたがそのうち連絡するというだけでいまだに連絡はない、このまま黙るのを待っているようですね。これが警察だとおもいました。そこで自分はどうしたらよいと思いますか、意見を聞かせてください。

32歳ガイドへの不信は事情をしらべて彼がすべて取り仕切っていたと気付いたからです。また4時30分のメールが頂上付近からだと、おしえていただいたからです。つまりかれは110番をできたのにしなっかたわけで人の命を考えないのだと気付いたからです。

A⑯ ヒサゴ沼避難小屋を出てから、コマドリ分岐に至るまで、ツアーメンバー以外の一般登山者と行き違ったり、追い越されたりしましたか。その際にその登山者と会話をなさいましたか?
もし差しさわりがなければ、どのような会話をなされたのか教えてください(例 今日は酷い天気ですねとか、どちらまで行くのですか?とか・・)。

自分は気付きませんでした。

A⑰ こちらでは、停滞するべきであるとか、ルートを変更するべきであったとか、いろんな議論があがっているのですが、 現場の雰囲気として、16日早朝、ヒサゴ沼避難小屋で、そういう議論はなされたのでしょうか?又もしなされたとして、実際に停滞または、ルート変更できたとお考えになりますか?


トイレに行っていて、帰ったら何もなかったから議論などなかったのでしょう。数人が中止をもうしでたというがこれもきいていません。自分はこんかいの山行についてなんの予備知識も身につけずに、2日まえに荷物一覧を書き出しバタバタとそろえたというていたらくでして、ツァーのよいところはそこにあると思っていました。じぶんでいくと一人ですからいつでも行けれる=いつもいけれないとなってしまいます。だからルート変更はしませんでした。停滞について、さきにすすむコースがどういう風なのかしらないので前日のように行けれると思っていました。ロックガーデンでこんなコースと分かっていれば自分なら止めるのにとおもいました。たぶん避難ルートを聞いてそちらに逃げたと思います。

A⑱ いわゆるトコロテン方式で、翌日は、同じアミューズツアーのグループがヒサゴ沼避難小屋に宿泊予定であった、であるから16日ツアーは出発せざるを得なかった、という意見があるのですが、これに関しては、どうお考えになりますか?

当然32歳ガイドのあたまにはそのことがあったでしょう。かれはこのばあいガイドの資格でありながら営業職員の考えで決めたのでしょう。営業職員としては次の客の不便も考えるでしょう。客は営業職員のかんがえの犠牲になったともいえます。客にとってはガイドの考えで動いていると思っていたから、これは裏切りに等しいと思います。彼は同じ義務と思っていただろうけれど。

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とりあえずは、以上で御願いいたします。
たよろしく御願い申し上げます。

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※今回、質問の一部にインタビュアーの感想が混じっているところがあり、その質問は、誘導尋問として批判を受ける恐れがあるとの戸田様からのご指摘を受けたため削除しました。以後、質問は簡潔に、私見を交えることなく行わせていただきます。
※事実にどういう主観的な意味を与えるかは、ご覧の皆様の役目であり、戸田様の役割は、事実をありのままに陳述することにあります。もちろん、感想や、推測も許されるでしょう。ただ、ご覧の皆様は、感想や推測なさっている部分については鵜呑みにせずに慎重に受け止めてくださるよう御願い申し上げます。
※質問の公開に際して、戸田様がお書きになった本文には、一切修正を加えておりません。

戸田様

今回もよろしく御願い申し上げます。

自分はガイドが出発を決行した判断ミスを弁護はしませんが、それと同等のものとして危機に直面して彼らが何をしたかという点で重大な問題があったと思います。彼らは何もしなっかった。ただちに110番をすればたすっかたのに、いつまでも何かにしがみついて何もしなかった。この点で自分は怒っています。判断ミスは避けられない、もちろんその責任は負うべきですが、それでも危機に直面して適切な行動をとれば信頼は回復したでしょう、多くの登山者の深いところでの共感もえられたとおもう。

あと2つほど。ガイドの救援依頼がきちんとなされてないということについて。救援を出そうにも分からなくって出せないという。「救援隊に助けてもらいたいなら詳しく何度も電話しなければならない。」このことは登山者として知っておかねばならない知識として加えるべきである。16時の110番が23時45分の知事の自衛隊への出動ようせいまでがおくれたのはサブガイドがきちんと電話しないからである。亀田、前田の2人が降りて事情が分かるまで知事の要請が行われなかったのである。自衛隊の能力からはあるいはこの7時間余のロスがなかったならばと考えてしまう。彼が自分の電話を出して詳しく事情を説明したならば。かれは疲れていたとしても17時長田さんに見つけられ会社にメールを入れている。このときでもいいからなぜ詳しく110番しなかったのか。メールなるものがアリバイ作りにつかわれているのだ。

自分は視界が悪いからヘリコプターは出動できないと判断したがこれは間違いだと教えられた。出動できるかどうかは救援隊が判断するのであって、今日の救援能力は格段と進歩しているから素人判断はすべきでないとの書き込みを目にしている。ヘリの出動がありとなれば考えること、やることも違ったのに残念である。「ヘリの出動があるとしてそれを追求すべきである。」このことも登山者が知っておく知識としてくわえるべきである。

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A⑲ 正ガイドである多田ガイドが、10人を自ら率いて下山しなかったのは何故なのでしょうか?ルートを知らない松本ガイドに任せるよりも、松本ガイドに看護を任せ、ルートを知っている自分が10人を引率したほうが確実だと思うのですが・・。

38歳ガイドは「この中で一番元気なのはお前だ」と32歳ガイドにいました。彼がなぜそんなことを言ったかが問題です。自分の聞いていないやり取りがその前にあったようですが、それは何かがわからない。たぶん38歳ガイドにのこってほしいとたのんだのだとおもいます。38歳は断ったのだと思います。推測しかありません。

A⑳ 非常に基礎的なことなのですが、携帯メールが送信できるところは、通話も可能なのでしょうか?仮に通話は可能でないにしても、携帯メールによってトムラウシ山頂付近から110番通報できることを多田ガイドは知っていた。にもかかわらず、4時30分までしなかったということを戸田様は大いに非難したいわけなのですね。

携帯電話はおなじ電波で電話とメールをまかなうとおもいます。
32歳ガイドがなぜもっと早く110番をしなっかったか謎です。自分は独断で推測して叫んでいるのです。彼に聞きたいが無理でしょう。本当のことはしゃべらないでしょう。

A21 戸田様のお話しを総括しますと、多田ガイドはいわゆるただの雇われガイドではなく、アミューズトラベルのれっきとした社員だったのですね。であるならば、多田ガイドは札幌営業所の営業内容(ツアー企画、立案)にもある程度絡んでいたと理解してよろしいのでしょうか?

彼はフリーのガイドではありません。アミューズの正社員です。札幌営業所の営業内容に関与していたのは当然でしょう。ただしこのコースは過去に何度も行われていますし、32歳ガイドが率いたのでしょう。(はじめフリーとしてのち社員として。これはしらべれば分かることです。)かれは既定のコースとかんがえていたようですが、彼がしなければならないことをしなかった点で積極的関与と同じに評価できると思います。かれはだいせつざんについて、アミューズの中でいちばんわっかっていると目されていたと思います。

A24 推測で構いませんが、もし、16日が朝から大雨で、天気予報も終日雨だったら、多田ガイドはどうするつもりだったんでしょうね?それにもかかわらず下山を強行したのでしょうか?

ヒサゴ沼にとくに調子の悪い人を残すべきだったと思います。会社は出発にあたて調子の悪い人はなかったなどい言ってるが、うそです。
16日が大雨ならかれも、安全も、営業利益も両立させようとは思わなっかったと思います。停滞する踏ん切りができたでしょう。

A26-1 多田ガイドのケアを受けながら、6名がビバーク、結果としてうち4名が死亡しておりますが、原因は低体温症です。質問⑬にいただいた答えから、だれも低体温症だとは気がつかなかったそうですが、では、多田ガイドはじめ現場にいた人は、 症状を何が原因だと考えていたのでしょう?原因不明で困っていたのでしょうか?

分からなかったのではないでしょうか。茫然自失というか思考停止という言葉が適当でしょう。人間はこうしてバランスをとるのだとおもいます。自己防衛本能だとか。そうでないと発狂するとか。ひょとして彼は壊れているのかもしれません、このことも頭の隅に置いていく方がよいかもしれません。

A26-2 A①に関連して、多田ガイドは、2002年7月の事故と、その事故原因を知っていたと思われますか?

かれはなにも知らなかったとおもいます。かれが当時のことをしらべていたら、とうぜんパンフレットや装備品リストなどに反映されるでしょう。自分はこれらを読んでそんなことはまたく感じませんでした。北アルプスの秋山に相当するとは思ってもいませんでした。

A27 戸田様が、われわれはどうも遭難状況にあるのでは?と、認識し始めたのは何時ごろでしょうか?また、多田ガイドが、自らこれは遭難であると認めたのは午後4時30分前後と考えて宜しいでしょうか?

自分が叫ぼうとした時か、さけんでるとちゅか、突然このままでは危ない、かれらには故障者は手に負えないのだ、助けを呼ぶのが一番良いとおもいました。ただ空を見て視界が悪いのでヘリはだめだろうと考えました。徒歩になると時間がかかると思いました。しかし翌日になるとは思いませんでした。また携帯電波がとどかないと思っていたので歩くしかないと思いました。そのうち歩きだしてそのことは忘れました。
ガイドたちは遭難と言われてびっくりしたのかもしれません。このまま続けるのはできないとおもったようで、はじけるようにすぐ「あるけるひとはしゅぱつします」というので妙な気がしました。俺が言ったからなのか、俺が言ったからすぐ決めるなんて文句が出たのでと考えたのだろうか。こんなに簡単に決めるのなら長い間待たせる必要はあったのかとも思いました。

A28 多田ガイドが、その時間まで連絡をしなかったことに関しては、あくまでも自力下山が可能であると信じていたからであるとも考えられるのですが、はたからみて状況的に自力下山が可能と考えられましたか?状況的に自力下山がもはや無理であると戸田様が確定的に認識したのは、何時ごろでしょうか?

なぜその時110番をしなかったのか謎です。4時30分まで連絡をいれなかったのか。電波が届くとわかったいまはそれが最大の謎です。このとき110番していれば多くの人が救われたのに。
彼が考えたことは思考停止をしていたとしか考えれません。深く考えなかったのでしょう。だれかが叫べば反射的に反応するそういう状態だと思います。「あるけるひとはしゅぱつします」とすぐいいだしたのも条件反射の状態になっていたのかも。自分が110番せよともっと迫ったらそうしたでしょう。自分で判断できなかったのでは。進退きわまっていたのでは、今はそう思います。
あくまで自力下山を考えていたというのは根拠など考えない信仰のせかいですね、にんげんにはそういうところがあるとおもいます。
自分は動けない人のサポートに回ってこれでは到底下山できないだろうと思いました。下山がとにかく長く、全員に故障者がなくても無事下山できたとは思えなかった。ガイドは知っていたはずでなにをかんがえていたのだろうと。下山はできないということははじめからわかっていたのにと。距離の長さにあぜんとしました。

A29 非常にお手数ですが、入山時の背負うザックの重さと、入山されてから、自力下山なされるまでの食事内容を教えてください。14日から始まって、15日、16日の食事内容と食事量・・腹八分か、腹一杯か、それと行動中の空腹感の有無、特に15日の晩と、16日の朝は、十分に栄養摂取なされましたか?

12キロぐらいでしょう。14日の朝と昼は宿のおにぎりで2個づつありました。半個をのこし3時に食べた。5時にカレーのレトルトにサトーのご飯を食べたが半分残す。15日朝はラーメン、しかし前日にご飯を作っておけというので冷たいふやけたものを無理に食べた。昼はソセージパン、クルミパン、ちーずパン計3個をたべる。よるカレーにサトーのご飯、16日あさラーメンはあったかくして食べる。アミノバイタル3ふくろカロリーメイト2箱をカッパのポケットに入れておいたのがよかった。よるカレーパンをたべる。

A30-1 ビバークについて教えてください。ビバークされた場所は、標高はどのくらいでしたか?(高度測定機能がついた腕時計をお持ちですか?)

850m登山口近く。

A30-2 ビバークされた場所は、どのようなところを選んだのですか?

道端の草の上。

A30-3 ビバーク中に心がけたことは、どんなことですか?

クマが心配で荷物を10m先に置く。

A30-4 睡眠はとりましたか?

すぐ寝つき2時間ぐっすりとねる。

A30-5 何時間ぐらいビバークされていましたか。

2時間目が覚めて、星と思ったらうすあかりの空にたくさんの木の葉を刷りこんだ小紋のような空が、いまも目に浮かぶ。落葉樹の空は意外に高い。

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今回も長い質問になってしまいましたがよろしく御願い申し上げます。

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以下に掲示するのは、戸田様から8月7日早朝に送られてきたメールの一部です。追記情報が記載されています。
原文のまま転載いたします。

追記

テントについて。川角、市川、植草のほか野首、石原も不調を訴えて残ったといいます。吉川も入れて6人では4人用テントは狭いので、多田が南沼キャンプ場まで探しに行き、5人用の空きテントを見つけてきたといいます。これが写真に写ってるものです。4人用テントは使わなかったそうです。

そのとき多田は電波が届くか調べて、これが4時半のメールになったといいます。多田はこの時初めて電波を探す気になったようなことをいっています。

ヘリについて。このメールでヘリコプターが飛んだが頂上付近は雲が厚くて引き返したといいます。

吉川氏。彼も小川で客を渡すさい水没したといいます。それで自分が見たことと合致します。それで亡くなったんでしょう。

待機の場所について。自分以外は北沼分岐のあたりだといいます。そうすると「分岐で10人を確認するように」と、多田が松本に言ったのはトムラウ
シ分岐になります。右へ降りていくのも合致する。時間をかんがえなおさないと。



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アミューズ・トラベルの見解

tomuraushi0716

16日の部分の引用と若干の私的分析

翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想。

分析
※16日の天気予測部分が、15日の報告に書かれている。

雪渓上で風に曝されることを避けるため出発を30分遅らせ、午前5時30分に出発。
雪渓があるのでアイゼンを装着。
ペンパとは雪渓上部で別れ、岩場を通過し稜線に出る。
風は強かったが登山道は昨日程水浸しではない。
天沼手前と天沼付近で休憩。更に日本庭園付近で休憩していると同じ山小屋にいた6人パーティが追抜いて行く。

分析 
※状況説明に終始している。

ロックガーデンに出ると物凄い風となった(松本談)。
この頃からお客様の歩行状態にばらつきが出る。
北沼分岐手前において北沼からの流水が氾濫して幅2m程の川になる。
膝下ぐらいの流れの中で多田と松本がお客様をサポートして対岸に渡す。
松本はお客様がふらついた拍子に転倒し全身を濡らす。
渡渉後に川角様がぐったりした様子だったので松本が介抱する。
温かい紅茶を飲ませたが、目を閉じたので大きな声をかけて励ます。
ここでお客様の中から、「これは遭難だから早く救助を要請してくれ」などとガイドに対する申し出があった。
渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分は行動を停滞させた。

分析
※流水を渡渉、その後の介護で30分ほど時間がかかったとされる。
※ここで渡渉後に最初の行動不能者が出たとしてある。
※この時点で、ツアー客による「遭難」のガイドへの進言がなされたとされている。

多田は、川角様と吉川、松本を残して本隊と歩き始めたが、雪渓手前で人数を確認すると2名足りなくて最後尾は松本だった
松本に、すこし先に風をしのげる場所があるので本隊はそこで待つように指示して、多田は北沼分岐に戻ると植原様と石原様が残っていた。
一人ずつ交互に背負って何度かピストンして雪渓を登りきると、市川様と市川様を介護している野首様がいた。
多田は、雪渓上部の2,3分先で待っていた本隊に追いつき、行動不能の人はビバークし、松本は動けるお客様10人を連れて下山するよう指示する。
又、同所のすこし先にトムラウシ分岐があるので下山方向を間違わないように、同分岐で10人を点呼するようにとも指示した。

分析
※「残して」とは具体的にはビバークのことであるが、簡単に流している。
※二名を取り残してしまったと正面からは書かずに(認めずに)最後尾は松本であったと、間接事実を挙げている。
※第二の行動不能者(3名)と介護しているツアー客1名がビバークするに至った経緯の報告である。
※多田ガイドが、松本ガイドに二点の指示をしたことが書かれている。その中に、多田ガイドが松本ガイドに110番通報を依頼したとは書かれていない(単なる書き落としか?)。多田ガイドが、付近には携帯がつながるところが探せばあり、そこに行って自分で110番通報をしようと考えていたのであるならば、依頼しなかったことも理解できる。

松本は歩き出し、ゆっくりとしたペースでトムラウシ分岐に15分~20分程度で到着したが、点呼したら8名しかいなかった。
当時の松本は前述の転倒で極限状態にあり2名を探しに行く精神力も体力も残されていなかった。
松本は8名のお客様にこの道標に向かって下山してくださいと伝えて、救助の電話をする一心だけで歩き始めた。
前トム平をすこし下った所で前田様が電波が通じると言ったので110番してくださいと頼んだ。
警察には4名以上自力で下山できないので救助を要請します(15時54分)と話したが、後はよく覚えていない。
電話がすみ、先に下山するように伝える、意識が戻ったのは病院だった。

分析
※ここのところだけ、主観的事実(精神力や体力が残っていなかったということ)を客観的事実として記載するとともに、他の箇所ではかかれていない「心情」が書かれている。
※松本ガイドは意識を失ったことになっており、どこで、何時ごろどういう形で保護されたのか事実関係が書かれていない。つまり、救助にあたった警察、消防などの資料データも踏まえていない。
※多田ガイドから依頼されたと明示的にかかれていない110番通報をする一心で、松本ガイドはみすみす2名のツアー客を見捨てたと理解できる。110番通報にそれほどの要急性があったのか?110番通報は大義名分で、実のところは、精神力と体力を使い果たしていたというのが実のところではないか?

トムラウシ分岐のすこし手前で遅れた二人は木村様と、斐品様で、松本が先頭で歩き始めてトムラウシ分岐手前5分の所で木村様がふらつき、斐品様は木村様を介護したが木村様は意識をなくした。斐品様が下山を続けるとさらに動けない状態の味田様と竹内様を見つける。2人を必死で介護するがその甲斐なく意識をなくされたのでその場を離れる(13時40分)。斐品様がさらに下山すると真鍋様とシュラフに包まれた岡様と出会う。真鍋様は元気な様子だったが、この場を離れたくないと話され、無理強いはせずに下山を続ける。

分析
※この部分は斐品様の証言に基づいているものと考えられる。
※この時刻は、戸田氏の証言とは違っている。戸田証言によると、13時40分に、多田ガイドを含む7名を残して、松本ガイドがトムラウシ分岐に向けて出発したとされている。

一方、多田は歩けないお客様の所へ戻り、唯一行動に支障のない野首様に手伝ってもらいツエルトの中に動けない3人を入れて体をさすり保温に努めた
多田はさらに救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。
16時49分にメールを送信する。
その先少し歩くと木村様が一人うずくまっていた。
その先に青いビニールシートの塊りがあり、中にテント、毛布、ガスコンロを見つける。
木村様に毛布をかけ、ビバーク地点へ戻る。
野首様に手伝っていただきテントを立ててお湯を沸かす。
しかし、植原様の意識がなくなる。
市川様には体温が伝わるように抱きかかえた
飲料水が少なくなったので南沼方面に再度行き、携帯で電話して19時10分に本社松下と警察と話す。
テントに戻ると市川様の意識はなかった。

分析
※多田ガイドによる介護のレポートが中心である。
※保温に努めたとあるが、原因を何と考えて、保温に努めたのかは書いていない。
※斐品証言によるとトムラウシ分岐を過ぎた先で、13時40分とあるので、多田ガイドがツアー客とともにビバークをはじめた時点はさらに前の時間であると考えられる。
※メールを送信した16時49分までに、3時間以上も時間が過ぎており、この間の事情説明は僅か最初の2文のみである。ツエルトに3人入れて介護し、南沼キャンプ地方面に行ってメールするまでに3時間もかかるのはかかりすぎではないか?
※吉川ガイドとともに先に残した一行2人については触れられていない。


本見解に対する戸田様のご意見

きわめて不愉快な文書をもってきて、ここから始めようとするなんて信じられない。ガイドの言い分を先にのせたというならそれも一つの立場であるが、ここに斐品氏の言が客観性を装うようにのっている。なぜ他の客の言を求めないのか、他の客の証言を突き合わせてからにしないのか。自分のところになぜ証言を求めなかったのか。きわめて礼を失するやり方である。
①松本ガイドが「トムラウシ分岐で点呼したが8名しかいなかった」といっている。これはウソである。かれは分岐にはいなかったからである。かれは分岐のした20mぐらいのところにいて「オーイ、オーイ」と叫んでいただけである。自分がやむを得ず「おーい」とこたえると一目散にくだっていったので、点呼したというのはウソである。彼が「8人しかいなかった」というのはあとで誰かに聞いたことを利用してつくった作りばなしである。
②8名のお客様に「道標に向かって下山してください」とつたえたというのはウソである。自分をふくめ後続の女性たちは聞いていない。作文である。
松本ガイドは必死なんだと思う。会社は彼と心中するつもりなのかと聞きたい。


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戸田様

毎度お手数ですがよろしく御願い申し上げます。

警察調書について 実に3日間にわたって調書の作成に付き合わされた。警察はたくさんの質問をしこちらが答えると、これをもとに警察官が調書なるものを作成するのである。ここで重要なのは警察官が作成するということである。調書はあくまで警察官の作文であるのだ。だから警察官の主観により、考えひとつで内容が異なってくると考えるのがふつうなのに、それが私の供述だとされるのだ。しかもだ、インチキ商売のようにこちらには控えを渡さないでおいて、ここにお前の署名があるというのだ。こちらは何を署名したのか疑心暗鬼になるしかない。パソコンを使うのだが、中身は恐ろしく非近代的なことをやっているのだ。刑事司法の関係者に問いたい、なぜこんなことがまかりとおているのだ。私は被疑者ではないがことは同じだろう。えん罪が起こる原因の一つだろう。

こういうことがありました。出発するとき一人が立ち上がれなくなった場面について、「疲労により立ち上がれなっかた」とあるので私は低体温症で疲労ではないというと、警察は、当時低体温症と知らなかったからという。疲労とは言ってないというと、何だと思ったかといい、疲労と考えるしかないから疲労だというのだ。これでは私が今でも疲労と考えているということになるのに。この場合は私が気付いたから原因に関することは書かないことにしたが、気付いてないことも多いだろう。19時間も付き合わされて早く終わりたいし警察官にも悪い、と思って目をつぶってしまうことも多い。

少なくとも控えを供述者に交付しなければならないと制度上、明文を持って定めてもらいたい。

以下の4つはnohoさまのご質問です、nohoさまは登山ツアー関係のお仕事をなさっておられ、残念ながら今回の事故で顧客の方が数名犠牲者になってしまわれたそうです。質問文が長いですが、nohoさまの原文のまま掲載します。

A31 ①避難小屋泊を2泊もこなし、本来ビバーグに適したもの(余りの食料、寝袋、火力)を相当数持っているはずのパーティーがビバーグに失敗したのはなぜか?低体温で判断が鈍ってたとしても大いに疑問です。加温するために準備してほしいものはすべてあったはず。戸田様の話では北沼ではテントが飛ばされるほどの風ではなかったようです。

(趣旨)私が気になるのは最初の故障者のビバーグです。その為だけのテントならあったはずです。この方は私の考えでは天沼の鞍部を超えた段階で北沼に近づけば近づくほど加速度的に生存の確立が少なくなったと考えています。しかしそれでも北沼でキチンとした加温(テントと火力と寝袋があれば充分ではないか?)を前程としたビバーグが出来れば可能性はゼロでなかったのではないか?この方のみを他の顧客から離して加温(低体温との認識が無くても休息)のためのビバーグという判断が少しでも早ければ大量遭難にはならなかったのではないかと言うのが私の仮説です。 この辺りの趣旨で戸田様にお尋ねいただけるとありがたいです。

ボンベ、コンロなどは、アミューズの後続パーテイのために全部おいてきたようです。装備もトコロテン方式をやっていたことになる。アミューズの「8月7日時点における弊社の認識内容」という文書では何も触れられていないが、ガイドが南沼でガスコンロを見つけたとあるから、ガスコンロは持ってきてないのだろう。いずれわかるだろう。警察に聞いたら確認してみるという。問題にしてこなかったのであろう。

A32 ②①に関連しますがシェルパの役割はなんだったのか?シャルパはビバーグに有効な一部の装備を預かってしまっていなかったか?

(趣旨)ステップを切るためだけにヒサゴ沼まで行かないと思います。場所取りは・・・なんとも旅行会社的な発想で悲しくなります。その発想ではツアーは馬鹿にされて当然ですね。
せっかく雇ったシェルパの背中に荷物が無いというのは不自然な気がします。万が一ここでビバーグに必要な装備を預けていたとしたら、それはそもそもビバーグは想定していなかった証明になると考えます。逆に言えば晴天ならシェルパに預けただろう荷物を緊急時に備えて持っていったならビバーグを予想していたことになると思われます。


ペンバさんは荷物は何も持っていませんでした。ビバークは想定していなっかったと思います。そう判断するしかないとおもいます。あるいはガイドたちが携行するツェルトがあればよいと考えたのかもしれない。ガスボンベはないが。2人が3~4人用ツエルトをもっていたようです。

A33 ③シェルパを含む4名のスタッフは特定小電源の無線機で短距離通信が可能になっていたのか?全員持っていて使いこなせれば大量遭難を招いた2時間の「停止時間」は違ったものになったと思います。

(趣旨)これは同様の仕事をしている私にはにわかに信じがたい事実です。ガイド同士は声の届かない範囲で離れて行動するのが常です。無線が無ければ非常に効率の悪いガイディングになります。50m後方の出来事が把握できず動けなくなることもあり、16名を引率してては場合によっては命取りになる可能性があります。


アミューズのツアーで不思議なのは、ガイドが連絡するのに相手のところまで歩いていくことです。自分は携帯もトランシーバーも持っていないと思っていたが、いまでは携帯は持っているが電波が届かないのだとわかりました。トランシーバーをつかている姿は自分が経験したアミューズのツアー7回ほどで一度もありません。社長ガトランシーバは交付してあると言っていますがどこかにしまっていたのでしょうか。

A34 ④なぜ多田ガイドは北沼周辺で孤軍奮闘したのか?三名の「ガイド」が同行しているのにとても奇異に映ります。最初の故障者をサポートした吉川ガイドはおいておいても、松本ガイドに南沼分岐まで故障者以外を誘導させて安全圏まで下山させるよう要請をするのにためらう理由があったのか?

(趣旨)多田ガイドに松本ガイドへの信頼が感じられなかったのでたずねました。本来ルートが初めてでも南沼分岐経由でのコマドリ沢はプロガイドが引率できないルートとは思えません。信頼できていて無線機があれば(数百メートル交信できれば充分)北沼での空白の2時間は作らずにすんだというのも私の仮説です。

38歳ガイドは小川で転び全身を水につかったといいますから、32歳ガイドは38歳ガイドを頼れないと思ったのでしょう。会社もその線でおしきるつもりです。無線機はないのです。

A35 多田ガイドの人柄や風貌のイメージが湧かないので、読み手の人に、どんな印象の人か具体的に教えてください。(例、背は高く、がっしりとした体格で、力持ちであるとか、無骨者であるとか、背は170cmぐらいで、小太りで、陽気な人柄であるとか、口数が少ない昔風の登山家のイメージであるとか、冗舌で、陽気な性格であるとか、暗い雰囲気のもの静かな印象であるとか・・。話し掛けやすい雰囲気であるとか、他人と話しをするのは得意でない印象であったとか、メガネをかけているか、日に焼けているか、髪形は?ひげを生やしているか、髪の毛を染めていたか。)

彼は無口で、優等生で完ぺき主義者でしょう。

A36 同じように、松本ガイドについても御願いいたします。

彼は、自衛隊上がりのどこかに不十分な点があっても押し通すという考えのようです。

A37 松本ガイドは多田ガイドよりも6歳年上のようですが、立場上は、多田ガイドがチーフガイド、松本ガイドはサブガイドとなっていますので、多田ガイドのほうが上のはずです。多田ガイドは、松本ガイドをうまく指揮できていましたか?松本ガイドは、多田ガイドの指示に対して素直に従っていましたか?

始めての同行ですので年齢の点は大きいでしょう。38歳は32歳に「ためぐち」をきいています。よびすてです。

A38 松本ガイドはトムラウシ分岐で人数を確認したのちに、先に行ってしまったようですが、つまり、松本ガイドが先頭に立ったというわけですか?また、戸田様は松本ガイドの歩行ペースについてゆけたのでしょうか? どのくらいの方が、きちんと松本ガイドの歩行ペースについてゆけたのでしょうか?

38歳ガイドはトムラウシ分岐で人数を確認した事実はありません。彼はそのようなことを会社にいっているようですが、そうと言わなければ引っ込みがつかないからだとおもいます。かれは20mぐらい下の見えないところで「オーイ、オーイ」と叫んでいました。自分は分岐に近づいて「オーイ」と返事をしてやると、かれはそれで道を伝えたというのでしょう、すぐ気配はなくなりました。彼に従ったのはこの2人の客だけです。自分も初めは彼のそばにいて、後続が遅れるので自発的にうしろにまわったのです。ガイドたち計3人と後続の6人(自分もいれて)とは見えないくらい、20mぐらいはなれていました。だって後続の女の客はみんなヨタヨタとしか歩けないからです。長田さんは竹内さんをサポートして歩いていたのですし、ほかの人も一生懸命に歩いていましたが動きがぎこちないのです、足に力が入らないのでヨロヨロと歩く状態です。自分はガイドのペースについていくことは出来ましたが、自分は後続の後詰めにまわったのです。つまりそのころは後続の女客は通常の歩行能力を失っていたのです。ガイドはそんなことは考えてもいません、かれはみんなのことをまったく見ていないからです。かれはいつも先頭に立っていたのです。一度でも後ろに回ってきたことはありません。分岐で「点呼した」ともいっているがこれは全くのウソです。おそらく会社の事情聴取の時に、「点呼をしたか」ときかれたので「した」と答えたのでしょう。「8人の客にこの道標に向かって下山してください」と伝えたと言っているのも、会社がそう訊くのでそうだとこたえたのだとおもいます。かれはそのとき客が8人しかいないということは知りません。後ろに回らなくてどうしてわかるのでしょう。じぶんは後ろにまわって2人いないのに気がついたが、そのことを分岐で彼にいおうとしたのに彼は下の方にいたのです。会社の質問が不用意だからこういうことになるのです。

A39 松本ガイドの歩行ペースに遅れる人が出たということは、戸田様は歩いていて分かりましたか?だんだんと、離れ離れになって、中には立ち止まったりする人が出てきて、距離が開いてしまったのですか?

自分ははじめ先頭集団にいました。前田さん、亀田さん、自分の3人がガイドに付いていました。休憩が終わった時、5mほど離れたところで休んでいた後続の女客がなかなか動き出さないので、ガイドが大声で「あけるでない、早く立ち上がるんだ」などと叫んでいました。自分もそうだとおもったが心配になって後ろに回ってみようと引き返しました。それで2人が足りないことに気付いたのです。それであきらめて後続の最後に付いたのです。その時思ったのは女客のペースがものすごくおそいので、100mほどもどってかえってきてもまったくきにならないんだとおもいました。そしてトムラウシ分岐につくのです。ここのことはすでに述べました。トムラウシ分岐を過ぎてからは自分はガイドら先頭集団のことはしりません。

A40 松本ガイド自身は、引率するべきツアー客の何名かを置き去りにしているかもしれないことについて、認識、認容はあったのでしょうか?時々後ろを心配そうに振り返りながら先行していましたか?それとも、後ろのことなど構わずに、心配そうなそぶりを見せることもなくどんどん先に行ってしまったのでしょうか?

彼は分岐で全員を確認せよといわれたので、それは道迷いが出ないようにすればよいと考え、後ろのひとが前を見失わなければよいのだと考え、「オーイ、オーイ」と下の方から声をかければよいとしたのでしょう。それで具体的指示には従ったつもりなんでしょう。初めから客の様子を見るということは彼の頭にはありません。以後かれは一目散に下ったのです。置き去りのことを心配等するものですか、自分のサバイバルだけで動いたのです。極限状態にあったからといっているようですが、それは自分がサバイバルだけをかんがえていたという告白になっています。110番についても前田さんの夫からの電話が偶然かかってきて、それに反応して「110番してくれ」といっただけで積極的に連絡しようとはしていません。自分の携帯を出して詳しく連絡しようとはしていません。前トム平あたりで連絡はしていませんし、そうしようとはしていません。朦朧としていたと言っているのでこのことは逆に証明できると思います。

A41 13時40分にスタートして、前トム平を何時ごろに通過し、コマドリ沢分岐は何時ごろになりましたか?

ごめんなさい。北村分岐を出発したのは13時としてください。16時にコマドリ沢出会いの上で前田さんの夫からの電話があって、110番したということは記録にありますから、ここからさかのぼるべきかと思います。
ガイドブックでは2時間半とあり先頭は3時間もあればよいと思い1時出発とします、前トム平は3じ40分ごろかと思います。これらは先頭集団の時間です。後続はトムラウシ公園のあたりに3時半、自分はここで竹内さんを置いて歩いたのだと思います。そして30分歩いてまた戻ってを繰り返して1時間のロスを出し、コマドリ沢出会いに5時ごろ着いたんだと思います。5時に長田さんが先に着ていてガイドに電話をかけさせたといいます。そこへ自分が来たのです。

A42 松本ガイドが110番通報したのは、コマドリ沢分岐というところなのですか?そこは、沢筋なのでしょうか?どんなイメージのところか? 電波は届くところなのでしょうか?

コマドリ沢出会いをさかのぼること5~6分のところで草付きの広っぱになっていました。どこで電話をしたのかわかりませんが、ガイドは電話をした地点から動かなかったようです。

A43 松本ガイドが110番通報する際には、戸田様はその現場にいたのでしょうか?それとも、戸田様はまだその現場に到着していなかったのでしょうか?

110番通報は前田さんがしたのです。これはまえださんが証言しています。自分は長田さんと道迷いのあいだだったかも。

A44 結局、松本ガイドをどこかで追い抜いて戸田様は下山したはずですが、どこら辺で松本ガイドを追い抜きましたか?

ガイドは4時ごろそこについて寝入り、5時に長田さんにおこされて電話して(これは通じなかったそうです押し方が悪かったとか、社長が言っていました。)そのあと自分がそこについたのです。自分は2人を残しコマドリ沢を渡って進んだのです。

A45  追い抜いたときに、松本ガイドより、戸田様ご自身のほうが体力が残っているように感じましたか?また、松本ガイドは、どんな様子でしたか?上に残してきたツアー客が心配であるといったそぶりを見せていましたか?

ガイドは1時間休んですっきりしたと思います。ツアー客のことは考えていないと思います。後のことを考えていたと思います。

A46 一般に、サブガイドというのは、チーフガイドよりも、手当てが低く、責任も軽いのでしょうか?

そうだと思います。彼は手伝いで来たのに悪夢だったのでしょう。

A47 戸田様は、これまでさまざまなツアーに参加なさっていろんなガイドを見てきたと思うのですが、そういったご経験からすると、今回の3名のガイドは、ガイドとして、平均的でしたか?  平均よりも能力が劣るとお考えになりますか?まず、吉川ガイドはいかがでしょう?

分かりません。よく知らない。ただ添乗員としては客の様子をキチンと見ていたのだろうかと思います。

A48 次に、多田ガイドはいかがでしょう?


かれはむしろ添乗員的です。こまごまとしたことを自分が引き受けてやっていて全体の把握をしていませんでした。

A49 最後に、松本ガイドはいかがでしょうか?

彼に期待をするのはやめたほうがよい。

A50 松本ガイドによる、ツアー客の置き去りに関して、多田ガイドにも責任があるとお考えになりますか?それとも、多田ガイドは無関係であるとお考えになりますか?

そうおもいます。かれは38歳ガイドに押し付けて自分の視野から8人の客を消し去ったからです。

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とりあえずは以上で御願いいたします。

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参考にさせていただいた各種記事

【7月17日 AFP】北海道・大雪山系のトムラウシ山(Mount Tomuraushi、標高2141メートル)と美瑛岳(Mount Bieidake、標高2052メートル)で登山ツアー客らが悪天候により遭難し、これまでに10人の死亡が確認された。
 トムラウシ山では16日、18人の登山パーティーから頂上近くで悪天候で身動きがとれなくなったと警察に救助を求める連絡があった。北海道警察の救援隊が救助に向かったが、17日までに8人の死亡を確認した。このほか、個人で同山に登っていたとみられる男性1人が、遺体で見つかった。また、トムラウシ山に近い美瑛岳でも、登山客の女性1人が死亡した。
 気象庁職員によると、登山客らの遭難時、現地は低気圧の通過とともに風速20以上の暴風雨が吹き荒れており、気温も10度まで低下していたという。
 トムラウシ山から自力で下山した登山パーティーの1人は、テレビ取材に対し、雨と風がすごく、体力を消耗した、ツアーは中止すべきだったと話している。
(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/accidents/2622070/4369035

大雪山遭難 ガイドの行動は適切だったか(7月18日付・読売社説)
 雪渓や豊富な高山植物がみられ、中高年に人気の登山コースである北海道・大雪山系が、遭難事故の舞台に一変した。
10人の死者が出た大量遭難である。東京都内の旅行会社のツアーなどに参加した59歳から69歳の男女のほか、ガイド1人が犠牲になった。
 大雪山系では推定で風速20メートル以上の雨交じりの風が吹き、気温も10度前後まで下がっていた。死因は低体温症とみられている。
 8人が死亡したパーティーから生還した人が話した遭難状況によると、同行していた旅行会社のガイドの行動は納得しがたい。
 3人のガイドが引率して、一行は強風と雨の中、山小屋を出発した。途中で倒れ込む人がいたにもかかわらず、体力の残っているメンバーだけで進んだ。その後、散り散りになっていったという。
 全員の装備や疲労度などを見て最善の行動を選択するのが、ガイドの役目だろう。生還者の証言通りとすれば、ガイドが参加者を死に追いやったようなものだ。
北海道警には遭難に至った経緯を徹底的に調べてほしい。3人のガイドの経験や能力は、十分だったのか。なぜ、誰も途中で無謀な行動を制止しなかったのか。
 登山客を死亡させたとして、ガイドや添乗員が業務上過失致死罪に問われたこともある。山岳遭難でも刑事責任の有無を追及するのは当然だろう。
 旅行会社では「日程に無理はなく、不運が重なったとしか考えられない」と説明するが、「不運」では済まされない。
 利益優先で、ツアー客の安全は二の次になっていなかったか。現地のガイドに決行や撤収の判断を任せきっていたのか。道警にはこの点も調べてもらいたい。
 中高年の間では登山ブームである。それに伴い遭難事故も増えている。昨年の山岳遭難の死者と行方不明者は281人で、統計のある1961年以降で最悪を記録したが、その9割は40歳以上だ。
 山の天候は急変する。道に迷ったり落石や落雷、滑落の恐れもある。周到な準備もないまま入山するのは、あまりに危険だ。
 集団登山の場合でも、天候や体力に不安を感じたら山小屋にとどまったり、下山する別グループと行動を共にしたりするなど、それぞれの判断も必要だろう。
 山岳ガイドには日本山岳ガイド協会の認定制度があるが、統一的な資格制度はない。信頼できるガイドをいかに選ぶか。その重要さも今回の遭難は教えている。
(2009年7月18日01時39分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090717-OYT1T01118.htm

ガイドの判断に疑問の声/北海道・大雪山系の遭難
2009/07/18 06:24
 中高年の登山客ら10人が死亡した北海道・大雪山系の遭難事故で18日までに、北海道で活動するガイド仲間から「適切な判断ができていたのか」と、旅行会社の対応に疑問の声が上がっている。
 特に東京都の旅行会社「アミューズトラベル」主催のトムラウシ山のツアーでは8人が死亡しており、ガイドたちの間に波紋を呼んでいる。
 「遭難してからバラバラになるのは良くない」と話すのは、札幌市のガイド奈良亘さん(35)。アミューズ社のツアーでは、パーティーが散り散りになったことが明らかになっている。奈良さんは「バラバラになると個々で判断しなければいけなくなる。一緒だと、ガイドの適切な判断で行動できる」と指摘する。

 トムラウシ山に年数回は登るというガイドの男性(30)は「寄せ集めのグループは難しい」と明かす。「それぞれ都合があり、日程変更がしにくい。飛行機の日程が決まっていると下山しなければいけない時もあるのではないか」。アミューズ社のツアーのように、全国から複数のグループが参加するガイドの難しさを痛感したという。
 一方で「想定外」とする見方もある。北海道山岳ガイド協会の川越昭夫会長(72)は「こんな事故が起こるとは思っていなかった。今回の事故を機に、ツアーでの行動を見直すべきだ」と肩を落とした。
http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20090718000033

大雪山系相次ぎ遭難、10人死亡=トムラウシ山と美瑛岳で59~69歳-道警捜査
7月17日8時42分配信 時事通信
 北海道大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)と美瑛岳(2052メートル)に登った2パーティー計24人が遭難した事故で、道警は17日午前までに、トムラウシ山で女性6人、男性2人、美瑛岳で女性1人の死亡を確認した。またこれらパーティーとは別に、単独でトムラウシ山に登ったとみられる男性1人の死亡も確認された。
 多数の死者が出たことから、道警は業務上過失致死の疑いもあるとみて捜査を始めた。ガイドや救助者らから事情を聴く。
 道警によると、トムラウシ山のパーティーは32~69歳の男性5人、女性10人、男性ガイド3人で計18人。道警や自衛隊は17日早朝からヘリコプターで救助に向かい、13人を見つけ搬送したが、このうちガイド吉川寛さん(61)=広島県廿日市市=や登山客川角夏江さん(68)=名古屋市緑区=ら59~69歳の8人が死亡した。ほか5人は意識があるという。広島市東区の亀田通行さん(64)ら5人は自力で下山した。
 パーティーは宮城、静岡、愛知、広島など7県から13日に北海道入り。17日までの日程で登山する計画で、16日にトムラウシ山に登った後、温泉に宿泊する予定だった。
 ツアーを企画した旅行代理店によると、女性客1人が低体温症になり、吉川さんがテントを張って付き添った。その後、女性客3人と男性客1人も低体温症になり、ガイド多田学央さん(32)もテントを張って付き添い、残りのパーティーで下山したという。
 一方、美瑛岳では、茨城県の旅行代理店を通じて参加した女性3人と男性ガイド3人のパーティーのうち、兵庫県姫路市の尾上あつ子さん(64)が死亡した。16日午後に救助要請があり、尾上さん以外の5人は衰弱しているが、生命に別条はないという。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090717-00000030-jij-soci

名峰襲った荒天、「寒さで震えた」生還者絶句
 「震えるほど寒く、突風にあおられて倒れた人もいた。下山途中でメンバーが次々と脱落していった」。
 「日本百名山」にも選ばれた名峰、北海道・大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で登山客らが死亡した遭難事故。自力で下山した生還者らは、厳しい冷え込みや強風、横殴りの雨に襲われたパーティーが、散り散りに引き裂かれていった様子を語った。
 自力で下山した愛知県清須市、戸田新介さん(65)によると、一行は宿泊した山小屋を16日午前5時に出る予定だったが、「風は強くてビュービューの状態で、雨も降っていた」ため、いったん様子を見た。約30分後、ガイドの1人に「行きましょう」と促されて出発した。
 その後、トムラウシ山頂手前でパーティー後方にいた2人が倒れ、一行はその場から動けなくなった。その場に約1時間とどまり、戸田さんは「救助を要請しよう」と提案したが、体力の残っているメンバーで先に進むことになり、倒れた2人やガイド1人を含む数人を残して十数人で改めて出発した。
 だが、途中からついて行けなくなるメンバーが出始め、一行は次第に散り散りになったという。戸田さんも途中で脱落し、17日午前1時半頃に1人でビバーク。約2時間後に再び下山し、ふもとの国民宿舎「東大雪荘」近くの林道で救助された。戸田さんは「途中でついていけなくなった。風がすごく、とても寒かった」と話していた。
 同じパーティーに参加し、17日午前6時頃に自力下山した女性は「風はかなり強かった。歩ける人だけ下りてきたが、途中で座り込む人がいた。私は途中から2人で行動したが、もう1人が歩けなくなり、午前4時頃から1人で山を下りた」と疲れ切った表情で語った。
 別のパーティーのメンバーで、同じ山小屋に宿泊した静岡県函南(かんなみ)町の男性(66)は16日早朝、遭難したパーティーから5分ほど遅れて山小屋を出発した。「横殴りの雨が降り、突風にあおられて倒れた仲間もいた。遭難したパーティーはとてもペースが遅く、バラバラになった人たち全員を追い越してしまったが、『この人たちは大丈夫だろうか』と心配していた」と話す。この男性と一緒に下山した静岡県沼津市の女性(69)は、「遭難したパーティーには、風で飛ばされて転倒した人もいて、『大丈夫か』と思った。自分たちも強風で岩にしがみつくほどだった」と劣悪な天候を振り返った。
 道警によると、遭難の一報が入ったのは、登山ツアーを企画した東京都千代田区の旅行会社。遭難した18人のパーティーのうち3人が、携帯電話の電波が通じる5合目まで下山して通報した。携帯電話のメールでは、「4人の具合が悪い。かなり危ない」とガイドが伝えてきたという。
(2009年7月17日14時56分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090717-OYT1T00611.htm?from=nwla

大雪山系で遭難、1人死亡=悪天候で2組24人-4人は下山・北海道
 北海道大雪山系の美瑛岳(2052メートル)で16日午後、登山パーティー男女6人が悪天候で下山できなくなり、うち女性1人が死亡した。同山系のトムラウシ山(2141メートル)でも計18人が遭難、4人は無事下山したが、道警は17日早朝から、救助に向かう。
 道警によると、美瑛岳のパーティーから16日午後、救助要請があった。客の女性1人が低体温症で動けなくなっため、ガイド2人が付き添っている。残り3人は避難小屋に入ったという。このうち、兵庫県姫路市の尾上敦子さん(64)が死亡した。
 トムラウシ山のパーティーは東京の旅行代理店を通じて参加した男性5人、女性10人と、男性ガイド3人の計18人。年齢は32~70歳。客15人は愛知県5人、広島県4人、静岡県2人のほか、宮城、岐阜、岡山、山口の各県から1人ずつ参加した。
 16日午前に女性1人が低体温症になり、ガイド1人と山頂付近にとどまった。これとは別に、女性1人が意識不明となり、ガイド1人を含め男女5人がビバークしているもよう。残る男女11人は下山を続け、この中のガイドから携帯電話で110番があった。11人のうち、亀田通行さん(64)と前田和子さん(64)=いずれも広島市=ら4人は無事下山したという。
 このパーティーは、13日に北海道入り。17日までの日程で登山する計画を立てており、16日にトムラウシ山に登った後、温泉に宿泊する予定だった。(2009/07/17-02:21)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071601013&rel=j&g=soc

自力下山者ら無言でバスに=「雨と風すごい」「ぐったり」-トムラウシ山遭難
 大雪山系トムラウシ山で遭難したパーティー18人のうち、救助されたり自力下山した人たちは17日午前、登山口から車で20~30分の場所にある国民宿舎東大雪荘に収容された。リュック姿の自力下山者は昼ごろに同荘を次々と離れた。報道陣の問い掛けにも、一様に無言で暗い表情。女性の一人は小声で「すみません」とだけ答え、用意されたバスに乗り込んだ。
 遭難男性の1人を登山口から同荘に運んだ女性(69)によると、男性は「雨と風がすごかった。ゆうべはビバークし、明るくなったので下山してきた」と疲れた様子で話していたという。
 現地でツアー客を登山口まで案内している横山裕一さん(49)は午前5時ごろ、同荘でこのうち2人を見掛けた。「泥だらけでぐったりして戻ってきた女性がいた。疲れた様子で男性が警察官に事情を聴かれていた」と、当時の様子を話した。(2009/07/17-13:34)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071700419&rel=j&g=soc

大雪山系相次ぎ遭難、10人死亡=トムラウシ山と美瑛岳で59~69歳-道警捜査
 北海道大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)と美瑛岳(2052メートル)に登った2パーティー計24人が遭難した事故で、道警は17日午前までに、トムラウシ山で女性6人、男性2人、美瑛岳で女性1人の死亡を確認した。またこれらパーティーとは別に、単独でトムラウシ山に登ったとみられる男性1人の死亡も確認された。
 多数の死者が出たことから、道警は業務上過失致死の疑いもあるとみて捜査を始めた。ガイドや救助者らから事情を聴く。
 道警によると、トムラウシ山のパーティーは32~69歳の男性5人、女性10人、男性ガイド3人で計18人。道警や自衛隊は17日早朝からヘリコプターで救助に向かい、13人を見つけ搬送したが、このうちガイド吉川寛さん(61)=広島県廿日市市=や登山客川角夏江さん(68)=名古屋市緑区=ら59~69歳の8人が死亡した。ほか5人は意識があるという。広島市東区の亀田通行さん(64)ら5人は自力で下山した。
 パーティーは宮城、静岡、愛知、広島など7県から13日に北海道入り。17日までの日程で登山する計画で、16日にトムラウシ山に登った後、温泉に宿泊する予定だった。
 ツアーを企画した旅行代理店によると、女性客1人が低体温症になり、吉川さんがテントを張って付き添った。その後、女性客3人と男性客1人も低体温症になり、ガイド多田学央さん(32)もテントを張って付き添い、残りのパーティーで下山したという。
 一方、美瑛岳では、茨城県の旅行代理店を通じて参加した女性3人と男性ガイド3人のパーティーのうち、兵庫県姫路市の尾上あつ子さん(64)が死亡した。16日午後に救助要請があり、尾上さん以外の5人は衰弱しているが、生命に別条はないという。(2009/07/17-18:40)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071700126&rel=j&g=soc

気候は3000メートル級=「変化への対応難しい」-北海道
 北海道には雄大な風景や高山植物を目当てに、全国から多くの登山客が訪れる。冷涼なだけに、道内の2000メートル級の山は本州の3000メートル級と同じ気候条件と言われ、夏でも死亡事故が頻発。地元のガイドは「本州と違って気候変化への対応が難しい」と指摘する。
 後志管内の羊蹄山では1999年9月、ツアー登山客が悪天候で道に迷い、64歳と59歳の女性2人が死亡。引率した旅行会社社員は業務上過失致死罪で有罪となった。
 大雪山系では2002年6~9月に登山客が疲れで動けなくなるなどの事故が相次ぎ、5人が死亡。04年7月には72歳男性が低体温症で、同10月には81歳女性が凍死した。
 登山ガイドを務める南富良野町の男性は「7月は高山植物の花が咲き、登山客の数がピークになるが、山では朝方に氷点下まで気温が下がることもある」と注意を呼び掛ける。
 トムラウシ山や美瑛岳では、雨風を避けられる山小屋や避難に使える手ごろな登山道も少ないという。「山小屋を使うツアーでは、雨風が吹いても予定通り到着するために無理をしてしまう。テントなどを持っていないと天候急変には対応が難しい」と話している。(2009/07/17-12:27)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071700355&rel=j&g=soc

大雪山系遭難:「出発、無謀だった」…生存者証言
登山者が遭難したトムラウシ山(手前)と美瑛岳(後方ほぼ真後ろ。雲で覆われている)=北海道で2009年7月17日午後1時42分、本社機から三村政司撮影 北海道大雪山系トムラウシ山と美瑛岳の遭難は2パーティー、1個人の計10人の死亡が確認され夏山としては過去に例がない大規模遭難となった。夏でも水が凍るといわれる大雪山系で、助かった男性は「寒くて死にそうだった」と振り返る。悪天候の中で予定を強行した判断に疑問を呈する声も上がる中、大雪山をよく知る地元の山岳関係者ですら「これほどの事故は記憶にない」とうめいた。
 ◇下山中ちりぢりに
 「午前4時36分、道警ヘリが男女2人を発見」「ヘリに収容、女性は心肺停止、男性は意識不明」--。
 遭難の一報から12時間余りが経過した17日午前4時40分。前日の暴風雨が静まったトムラウシ山登山口(新得町)の現地対策本部では、無線から切迫した声が次々と流れた。「これはダメかもしれない」。救助隊を指揮する西十勝消防組合の幹部がつぶやいた。
 約10分後、無線で伝えられた男女2人のうち、女性を収容したヘリが登山口の空き地に着陸。ヤッケを着て、フードを頭からスッポリとかぶった女性が道警の機動隊員に抱きかかえられて降ろされ、待機していた救急車へ。両足はダラリと垂れ下がり、目は閉じたまま。顔は血の気がなく、真っ白だった。
 続いて別のヘリが、登山道で救助した女性を乗せて着陸。女性は報道陣のカメラの放列を避けるように小走りで道警が用意したワゴン車に乗り込んだ。
 大雪山系は標高2000メートル級が続く。1500メートルを超えると大きな木は生えないため、強風が吹くと遮るものがない。今回のツアー客も強い風雨にさらされ、体感温度が一気に低下したとみられる。救助に出動した新得山岳会の小西則幸事務局長は「大雪山系では夏でも水が凍るほど気温が下がり、しっかりとした装備が必要。テントを持たず、山小屋を利用する縦走では小屋の設置場所が限られているため、どうしても行程に無理が生じる。こうしたことに悪天候が重なり、事故を招いてしまったのではないか」と推測する。
 悪天候の中で登山に踏み切ったガイドの判断ミスを指摘する声も上がった。午前4時半ごろに下山したツアー客の戸田新介さん(65)=愛知県清須市=はヒサゴ沼避難小屋を出発する時、風が強いと感じたといい、「ガイドは出発すると判断したが、無謀だと思った」と話す。遭難時の様子については、「ガイド1人が付き添って下山を始めたが、ペースが速すぎてちりぢりになってしまった」という。
 一方、美瑛岳では午前6時半、1人の遺体がヘリで収容された。その後、下山した女性は「とにかく寒かった」とぽつり。「後はガイドに聞いてください」と言うと無言だった。
 ◇遺体安置所で悲しみの対面
 トムラウシ山で死亡した9人の遺体が安置された北海道新得町の町民体育館では17日、遺族が続々と訪れ、変わり果てた身内の姿に対面した。
 午後7時過ぎには、死亡した3人の遺族7人を乗せたバスが到着。登山ツアーを企画したアミューズトラベルの松下政市社長が「かかる事態を引き起こし誠に申し訳ありません」と陳謝したが、遺族はみんな無言のまま、悲しみをこらえていた様子だったという。【金子淳】
 ◇亡くなった方々
 《トムラウシ山》川角夏江さん(68)=名古屋市▽味田久子さん(62)=同▽木村隆さん(66)=同▽竹内多美子さん(69)=愛知県弥富市▽岡恵子さん(64)=岡山県倉敷市▽市川ひさ子さん(59)=浜松市▽植原鈴子さん(62)=広島市(以上ツアー客)▽吉川寛さん(61)=広島県廿日市市(ガイド)
 《美瑛岳》尾上あつ子さん(64)=兵庫県姫路市(ツアー客)
 ◇下山した方々
 《トムラウシ山》長田良子(おさだりょうこ)さん(68)=仙台市▽真鍋記余子(まなべきよこ)さん(55)=浜松市▽戸田新介さん(65)=愛知県清須市▽野首(のくび)功さん(69)=岐阜市▽亀田通行さん(64)=広島市▽前田和子さん(64)=同▽石原大子(もとこ)さん(61)=同▽斐品(ひしな)真次さん(61)=山口県岩国市(以上ツアー客)▽多田学央(たかお)さん(32)=札幌市北区▽松本仁さん(38)=愛知県一宮市(以上ガイド)
 《美瑛岳》浦野ひろ子さん(62)=埼玉県草加市▽大西倫子(のりこ)さん(55)=兵庫県姫路市(以上ツアー客)▽小市匠さん(34)=茨城県つくば市▽小坂吏(こさかし)亮さん(32)=北海道▽白石淳也さん(27)=札幌市(以上ガイド)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090718k0000m040095000c.html?link_id=RSH04

大雪山系遭難 荒天時の夏山の厳しさ
7月18日(土)
 楽しむ人の多い夏山も、ひとたび天候が崩れれば“冬山”に早変わりする。北海道の大雪山系で相次いで起きた遭難は、山の厳しい表情を見せつけた。
 悪天候のトムラウシ山と美瑛岳の山中で、二つのツアーの中高年登山客ら計26人が動けなくなり、10人が亡くなった。
 トムラウシ山と美瑛岳は、標高が2100メートル前後にとどまるものの、緯度が高いため、気象の厳しさは本州の3千メートル級、日本アルプス並みという。遭難が起きた日は雨で、気温は10度前後。強い風が吹いていて、体感温度はさらに低かったはずだ。
 尾根や岩場で風雨にさらされていると、急激に体力と体温が奪われ、最悪の場合、凍死する。今回亡くなった人も、多くは低体温症だった。
 山に入るときは、第一に天候と相談する。これが鉄則である。その上で、天候の急変に対応できる行動、装備が欠かせない。
 今回の遭難では、ツアーから多くの犠牲者が出た。とりわけトムラウシ山を登った19人のパーティーのうち8人が亡くなった。北海道警は、ツアーの主催会社の安全への目配りやガイドの判断に問題がなかったか、捜査を始めている。詳しく調べてほしい。
 ツアーは気軽に登山を楽しめる良さがある。半面、参加者の体力や技術力にはばらつきがある。人数が多くなると小回りがきかず、統率も取りにくい。こうした弱みが犠牲を広げた面がないか、検証が必要だ。
 ツアーはあらかじめ日程を組むため、現地で変更しにくい。計画に無理はなかったか。
 19人のパーティーは、2泊3日で大雪山系を縦走する予定だった。途中に山小屋は少なく、かなりの体力が要る。遭難した日は、山行の最終日に当たっていた。
 ガイドの判断が問われる。天気は朝から悪かったのに、なぜ動き続けたのか。宿泊地にとどまる、あるいは途中で引き返す手はなかったか。
 参加者の側はどうか。登山ルートのチェックや、体調などの自己管理はできていただろうか。
 中高年の登山ブームを背景に、昨年の山岳遭難者の半数を60歳以上が占めている。死者と行方不明者にも中高年が多い。体力や判断力の過信は禁物である。
 信州もこの週末から、夏山シーズンが本番を迎える。事前の準備を入念に、山中では無理をせず、雄大な自然を、事故なく安全に楽しんでもらいたい。
http://www.shinmai.co.jp/news/20090718/KT090717ETI090012000022.htm

旅行会社社長ら聴取 大雪山系遭難 同行ガイド 2人は初行程
2009年7月18日 朝刊
 中高年の登山客ら十人が死亡した北海道・大雪山系の遭難で、道警は十七日、ツアーを主催したアミューズトラベル(東京都千代田区)とオフィスコンパス(茨城県つくば市)の社長らから任意で事情聴取した。荒天でなぜ登山を続行したのかや、安全管理に問題がなかったかなどの経緯を中心に、業務上過失致死容疑で調べを進める。 
 日本山岳協会によると、夏山の悪天候による遭難としては、過去最悪の規模。
 道警によると、アミューズ社のツアー参加者は全国各地から十三日に飛行機で北海道入り。十四~十六日に山中の避難小屋に二泊し、登山客十五人がガイド四人と旭岳からトムラウシ山まで四十数キロを縦走する予定だった。
 遭難した十六日は風雨が強く、パーティーは散り散りになって登山客らの男女八人が死亡。道警は十七日午後、死亡した一人を広島市佐伯区の植原鈴子さん(62)と新たに確認した。身元の確認されていない死者二人のうち一人は浜松市浜北区の市川ひさ子さん(59)とみられる。
 計画表によると、行程は一日の歩行距離が長く標高差もあり、天候急変の対応も困難。だが緊急時の延泊などを見込んだ予備日がない一方で、十七日には帰りの飛行機の便が設定されており、道警は日程に無理がなかったかも調べる。
 同社によると、途中で別行動になった一人を除くガイド三人のうち、一人だけがこの行程を十数回経験していたが、ほか二人は同社のガイドとして初行程だったという。
 美瑛岳のツアーはコンパス社が主催。女性客三人と男性ガイド三人が三泊四日で十勝岳などを縦走する予定だったが、女性一人が低体温症で死亡した。
 事故を受け、アミューズ社の松下政市社長(50)は十七日午後から帯広市で記者会見し「本当に申し訳なく思っています」と謝罪。社長を辞任する意向を明らかにした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009071802000050.html

登山一行ちりぢり ガイド、8人を見失う 大雪山系遭難
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トムラウシ山で救助を待つ人たち=17日午前5時36分、HTBヘリから、葛谷晋吾撮影
 北海道大雪山系で起きた遭難事故をめぐり、トムラウシ山(2141メートル)で遭難したパーティーは、途中で歩行困難者が出る中で少なくとも八つに分裂していたことが北海道警への取材でわかった。道警は、同行ガイドや主催したアミューズトラベル社(東京)が安全確保を怠った結果、一行がバラバラとなり、8人の死者を出す事態に至った可能性があるとみて、業務上過失致死の疑いで社長らから事情を聴いている。近く同社を家宅捜索する方針だ。
 道警などによると、パーティーは50~60代の客15人(男性5、女性10)と男性ガイド4人の計19人だったが、ガイド1人が事故前夜に泊まったヒサゴ沼避難小屋に残ったため、遭難時は客15人に対し、ガイド3人となっていた。
 18人は16日午前5時半ごろ避難小屋を出発。昼前にはトムラウシ山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、ガイド1人が付き添うことになった。
 残る16人でしばらく進んだが、さらに男女4人が体調を崩すなどして進めなくなり、ここにもガイド1人が残ることになった。5人はテントを張って野営した。
 この段階で、本隊はツアー客10人に対し、ガイド1人の11人。一行は下山を試みたが、ガイドが午後3時54分に5合目の「前トム平」から110番通報した内容は「ガイド1人、客2人の計3人がいます」というもので、ツアー客8人の行方を把握できなくなっていたという。
 その後、16日深夜から17日未明にかけ、3グループに分かれた計5人が自力で下山。17日の捜索では、山頂付近から登山道に沿う形で、「北沼」に7人、「山頂付近」に1人、「南沼キャンプ指定地」に1人、「前トム平」に3人、「コマドリ沢分岐」に1人と、登山客は5カ所に分かれて見つかった。
自力で下山した男性は「ガイドのペースが速すぎて脱落して1人になった」「山中で野営し、17日午前3時半に再び歩き始めたところで車が来て拾われた」と話した。
 同社によると、ガイド3人のうち、今回のコースの経験者は1人だったという。17日、帯広市内で記者会見したアミューズトラベルの松下政市社長は「出発時点では、ガイド3人は『(参加者の)脚力やこの天気なら問題ない』と確認して出発したのではないかと推測される。ただ、途中で引き返すという判断も、選択肢の一つとしてあっても良かった」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/0718/TKY200907170469.html

心身の疲労、奪われたパーティーの一体感 大雪山系遭難
 10人が命を落とした北海道大雪山系の遭難事故で、トムラウシ山では多数の犠牲者を出したパーティー以外に別のパーティーがいたが、こちらは全員が無事に下山した。事故に遭ったパーティーでも10人は生還している。何が生死を分けたのか。
 16日早朝。ビュービューと吹く風の音を耳にしながら、一行は宿泊した避難小屋を出発した。愛知県清須市から参加した戸田新介さんは「大丈夫か」と疑った。20メートルの風。案の定、数時間で歩けなくなる人が出始めた。それなのに、元気な人は先を行く。昼を前に、集団は縦に長くなってしまった。その後、戸田さんらの一行は山頂手前の北沼へ。自力で下山した人によれば、ここで複数の人が体調不良を訴えた。
 道警によると、生存者の中には「休んでしまうと体温が奪われてしまうと思い、歩き続けた。歩いているうちにポカポカとしてきた」と話した人もいるという。救助隊がこうした生存者の胸付近を触って確かめると、思いのほか温かみを感じたという。
 一方、同じ小屋に泊まった静岡県の別のパーティー6人は、風雨の中を少し遅れただけで出発した。1人は「昼ごろ、空が明るくなった」と記憶している。ところが、直後に急変。山頂を越えたところにある前トム平では風雨がひどく、「真冬の吹雪のようで、体温を奪われた」。それでも一行は、元気な人が遅れそうな人のリュックを持ち、一緒に無事下山したという。
 十勝山岳連盟の太田紘文会長によると、出発地の避難小屋から北沼まで晴天なら3時間。ところが、自力で下山した人の話などでは、一行はこの日、6時間前後もかかった。3日目の疲労に加え悪天候で、体力を消耗する人と、そうでない人に差が出た。
 大雪山系では1日の歩行時間が8時間に及ぶ。「本州の山は小屋が点在し、歩行時間が北海道ほど長くない」と太田さん。また今回の一行が全国各地から集まっていたことも指摘。「心身の疲労で気持ちがバラバラになり、行動もバラバラになってしまったのでは」と話している。
http://www.asahi.com/national/update/0717/TKY200907170380.html

北海道・大雪山系遭難:強風の中ガイド「出発」/夏山、中高年に落とし穴(その1)
 ◇「無謀と思った」 ツアー客、判断ミス指摘も
 北海道大雪山系トムラウシ山と美瑛岳の遭難は2パーティー、1個人の計10人の死亡が確認され、夏山としては過去に例がない大規模遭難となった。夏でも水が凍るといわれる大雪山系で、助かった男性は「寒くて死にそうだった」と振り返る。悪天候の中で予定を強行した判断に疑問を呈する声も上がる中、大雪山をよく知る地元の山岳関係者ですら「これほどの事故は記憶にない」とうめいた。
 「午前4時36分、道警ヘリが男女2人を発見」「ヘリに収容、女性は心肺停止、男性は意識不明」--。
 遭難の一報から12時間余りが経過した17日午前4時40分。前日の暴風雨が静まったトムラウシ山登山口(新得町)の現地対策本部では、無線から切迫した声が流れた。「ダメかもしれない」。救助隊を指揮する西十勝消防組合の幹部がつぶやいた。
 約10分後、無線で伝えられた男女2人のうち、女性を収容したヘリが登山口の空き地に着陸。ヤッケを着て、フードを頭からかぶった女性が道警の機動隊員に抱きかかえられて降ろされ、待機していた救急車へ。両足は垂れ下がり、目は閉じたまま。顔は血の気がなく、真っ白だった。
 続いて別のヘリが登山道で救助した女性を乗せて着陸。女性は報道陣のカメラを避けるように顔を手で覆い、道警が用意したワゴン車に乗り込んだ。トムラウシでの死者は、パーティーの8人、個人1人の9人に達した。
 大雪山系は標高2000メートル級が続く。1500メートルを超えると大きな木は生えないため、強風が吹くと遮るものがない。今回のツアー客も強い風雨にさらされ、体感温度が一気に低下したとみられる。救助に出動した新得山岳会の小西則幸事務局長は「大雪山系では夏でも水が凍るほど気温が下がり、しっかりとした装備が必要。テントを持たず、山小屋を利用する縦走では小屋の設置場所が限られているため、どうしても行程に無理が生じる。こうしたことに悪天候が重なり、事故を招いてしまったのではないか」と推測する。
 悪天候の中で登山に踏み切ったガイドの判断ミスを指摘する声も上がった。午前4時半ごろに下山したツアー客の戸田新介さん(65)=愛知県清須市=は15日の晩に泊まったヒサゴ沼避難小屋を出発する時、風が強いと感じたといい、「ガイドは出発すると判断したが、無謀だと思った」と話す。遭難時の様子については、「寒くて死にそうだった。ガイド1人が付き添って下山を始めたが、ペースが速すぎてちりぢりになってしまった」という。こうした判断について北海道山岳ガイド協会の幹部は「ガイドはツアー客を目的地まで安全に連れていくことが務め」と前置きした上で、「本州からのツアー客を案内する場合、旅程が詰まっており、帰りの航空便の時間にプレッシャーを感じる。16日朝、避難小屋を出発する時に悪天候の空を見上げて、難しい判断を迫られたはず。現段階で判断の良い悪いを問えないが今後の検証は必要だ」と指摘した。
 ◇「ボランティア熱心な人だった」--亡くなった姫路・尾上さん
 亡くなった尾上敦子さんの夫彰さんは17日朝、姫路市古二階町で経営する家具店を出て現地に向かった。店は通常通り営業しているが、従業員らは敦子さんの悲報に言葉少なだった。テレビニュースを見て店にお悔やみに行った近所の男性(67)は「敦子さんは明るく、熱心にボランティア活動をする人だった。彰さんは気丈に涙をこらえていたが、落胆している様子だった」と話した。【山川淳平】
 ◇自力下山ホッと--広島・亀田さん妻
 16日夜に自力下山した亀田通行さん(64)の妻(59)=広島市東区=は「17日午前1時30分ごろ、下山したとツアー会社から連絡があった。その前、救出までテントで過ごすと伝えられていたので、安心はしていた」と話した。遭難したグループは二手に分かれ、通行さんはすでに自力下山したグループに入っていたと説明されたという。通行さんは登山歴約10年。【星大樹】
 ◇雨で体温低下
 トムラウシ山のツアーを企画した「アミューズトラベル」(東京都千代田区)によると、一行は14日に旭岳温泉を出発、雨の中を白雲岳避難小屋まで歩いた。15日は曇りで、同小屋からヒサゴ沼避難小屋へ。16日朝、次のツアーを待つ男性ガイド(60)を避難小屋に残し、18人がトムラウシ山頂を経由してふもとのトムラウシ温泉を目指すコースへ出発した。気温は10~15度で、山頂までの間に強風にさらされ、一部の客は体温低下。体調が良好だった客6人とガイド2人が下山したという。
 ◇なぜ突っ込んだ--アルピニストの野口健さんの話
 アミューズトラベルは山岳ツアーを本格的にやっている旅行会社。報道を見る限り、ツアー客が不安に思うほど風が強い中で、なぜ突っ込んでいったのか。特に中高年の場合は体が冷えるため、ツアーでは天気が良いことが絶対条件。私も8月下旬に大雪山を縦走したことがあるが、避難小屋の中でテントを張って火をたいて体を温めた。本州とはまったく違う。
http://mainichi.jp/kansai/news/20090717ddf041040011000c.html?link_id=RAH03

北海道・大雪山系遭難:「収容者、意識なし」/本州の客、目立つ軽装(その2止)
 ◇ガイド判断に疑問も
 トムラウシ山、美瑛岳の遭難者はいずれも本州からのツアー客だった。本州ではそれなりの経験があったとみられるが、北海道は夏でも気温が氷点下になることがある。専門家は本州と北海道の夏山に対する認識の違いが悲劇につながった可能性もあるとみている。
 札幌市内で登山用品小売業を営む栃内(とちない)譲さんは「道内の登山者ならば、『夏でも寒くなる』と知っているので、夏山にもフリースを持っていく。しかし、本州のツアー客の認識は異なる」と指摘。道内の夏山は本州からの登山ツアー客が目立つが、栃内さんは「軽装で出かける人が多いような気もする」という。
 一方、今回の遭難について、北海道山岳ガイド協会の川越昭夫会長は「中高年の趣味として手軽という登山の一面が裏目に出た」と話す。警察庁によると、08年の山岳遭難は1631件(前年比147件増)、遭難者は1933人(同125人増)。年代別にみると、60代が576人で最も多く、50代が370人、70代が340人--と続く。50歳以上の中高年は1567人に達し、全体の81・1%を占める。川越会長は「中高年は『自分はまだ若い』という気持ちを捨てきれない。晴れているときはよいが、天候が崩れると、やはり、体力がなく、低体温症に陥りやすい。中高年の登山は、体力的に無理のない計画と十分な事前準備に配慮する必要がある」と警鐘を鳴らす。【水戸健一】
 ◇8月でも氷点下に--トムラウシ山に10回以上の登山経験がある北海道山岳連盟の神山健・常任理事の話
 山頂付近は8月でも気温が氷点下になることがあり、樹木がないため強風が吹くと隠れる場所がない厳しい環境だ。寒さが体力を奪ったのではないか。最近、北海道では雨が続いており、悪天候は予想できたはず。ツアー客はいざとなった時の力量が分からないので、ガイドは慎重を期すべきだった。
 ◇天候予測どの程度--日本山岳協会遭難対策委副委員長の青山千彰・関西大教授(危機情報論)の話
 状況からは気象遭難が考えられる。この時期の低気圧は太平洋高気圧の影響で停滞しがちになり、動きが読みにくく、さらに山頂の気象は厳しい。ツアーガイドがどの程度悪天候を予測してパーティーを誘導したのかが、今後の再発防止に向けても大事な情報だ。
http://mainichi.jp/chubu/newsarchive/news/20090717ddh041040004000c.html

遭難:死者10人に、別の登山者の遺体も見つかる 北海道
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救助され、ヘリを降りて自力で歩く登山者=北海道新得町で2009年7月17日午前5時22分、西本勝撮影

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遭難者の捜索に向かう自衛隊員=北海道新得町で2009年7月17日午前4時46分、西本勝撮影

 北海道大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)と美瑛岳(2052メートル)で登山ツアー中の二つのパーティーが遭難した事故で、道警などの救助隊は17日朝、トムラウシ山のパーティー18人のうち、男女13人を発見、道警などのヘリコプターで収容したが、ツアー客7人とガイド1人の8人が死亡した。5人は生存が確認された。このほか5人が自力で下山した。一方、美瑛岳では、救助隊が同日未明、パーティー6人を発見した。ツアー客の女性が死亡、5人は命に別条はない。二つのパーティーとは別に、登山中だったとみられる男性がトムラウシ山頂付近で遺体で発見された。今回の遭難での死者は10人で、死因は強風と気温の低下による低体温症とみられる。生存者は15人だった。
 道警などによると、トムラウシ山のパーティーのうち死亡したのは男性2人と女性6人。山頂付近などで救助隊に発見されたが、いずれも意識がなく、搬送先の帯広市内などの病院で死亡が確認された。このほか、5人が救助され無事。5人は16日深夜から17日早朝にかけて自力で下山した。
 一方、美瑛岳のパーティーで、生存が確認されたのは5人。自力歩行が難しい2人は道警ヘリで旭川市内の病院に運ばれた。残る3人は救助隊とともに下山した。
 また、二つのパーティーとは別に遺体で見つかったのは茨城県笠間市の男性(64)とみられる。男性はトムラウシ山の登山口の「国民宿舎東大雪荘」に16日に宿泊する予約をしていたが、姿を見せなかったという。
 帯広測候所によると、トムラウシ山頂では15日大雨に見舞われたが、16日は雲がかかり雨が降っていた可能性が高い。日中の気温は8~10度とされ、風が強く風速20~25メートルだったとみられる。風速が1メートル上がると、体感温度は1度下がるとされ、日中でも体感温度は氷点下10度ぐらいだった可能性があるという。【吉井理記、和田浩幸、久野華代】

 亡くなった方々は次の通り。
 《トムラウシ山》川角夏江さん(68)=名古屋市▽味田久子さん(62)=同▽木村隆さん(66)=同▽竹内多美子さん(69)=愛知県弥富市▽岡恵子さん(64)=岡山県倉敷市▽市川ひさ子さん(59)=浜松市▽植原鈴子さん(62)=広島市(以上ツアー客)▽吉川寛さん(61)=広島県廿日市市(ガイド)
 《美瑛岳》尾上あつ子さん(64)=兵庫県姫路市(ツアー客)

 下山した方々は次の通り。
 【トムラウシ山】長田良子(おさだりょうこ)さん(68)=仙台市▽真鍋記余子(まなべきよこ)さん(55)=浜松市▽戸田新介さん(65)=愛知県清須市▽野首(のくび)功さん(69)=岐阜市▽亀田通行さん(64)=広島市▽前田和子さん(64)=同▽石原大子(もとこ)さん(61)=同▽斐品ひ(しな)真次さん(61)=山口県岩国市▽多田学央(たかお)さん(32)=札幌市北区▽松本仁さん=愛知県一宮市
 【美瑛岳】浦野ひろ子さん(62)=埼玉県草加市▽小市匠さん(34)=茨城県つくば市▽大西倫子(のりこ)さん(55)=姫路市▽小坂吏(こさかし)亮さん(32)=北海道▽白石淳也さん(27)=札幌市
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090717k0000e040005000c.html
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追加資料

①トムラウシ遭難関連

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雪の残るトムラウシ山山頂付近=17日午前5時47分、共同通信社ヘリから
http://sankei.jp.msn.com/photos/affairs/disaster/090717/dst0907171004006-p4.htm

トムラウシ遭難 全員凍死 防寒具不備か ツアー会社本社も道警捜索 (07/18 21:21、07/19 08:28 更新)

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遺族が確認するため、新得町の町民体育館に運び込まれる遭難者の遺品となった登山用ストック=18日午後2時45分

 大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で、中高年のツアー客ら8人が死亡した遭難事故で、道警は18日午後、業務上過失致死の疑いで行っていたツアー企画会社「アミューズトラベル」(東京)に対する家宅捜索を終え、関係書類などを押収した。事故当時、現場は雨と強風が吹いており、道警は参加者の装備など、防寒装備を含め、同社の安全対策に問題がなかったか捜査している。

 また、司法解剖の結果、8人の死因はいずれも低体温症による凍死と判明。

 トムラウシ山を単独登山中に死亡した茨城県の男性、美瑛岳(2052メートル)で死亡した女性を含め、今回、同山系で遭難、亡くなった10人全員が凍死だった。

 家宅捜索されたのは、東京都千代田区内の同社東京本社と、札幌市北区内の同社札幌営業所。

 道警などによると、死亡した59~69歳のツアー客7人と、同社ガイド(61)の計8人の死亡推定時刻は、遭難翌日の17日未明だった。

 救助活動を行った自衛隊員は、ツアー客の服装について「夏用の長袖シャツを着ている人もいた」と指摘。ある参加者は「防寒具などのチェックはなかった」と証言しており、防寒対策に不備があった可能性が浮上している。

 道警は、家宅捜索で、押収した悪天候など緊急時のマニュアルや、同社がガイドを対象に行っている研修内容なども調べ、客に対する装備の指示やツアー実施前のチェックなども調べる方針だ。

 同社札幌営業所の家宅捜索は18日午後4時ごろに終了。同社東京本社では、同日午後2時すぎから捜査員8人がオフィスビル4階の同社を捜索、関係書類など段ボール8箱分を押収した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/178011_all.html

大雪山系惨事 登山者「ばたばた倒れた」 (07/17 14:32、07/17 15:32 更新)

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トムラウシ山の山頂北側の北沼近くを進む、道警などの救助隊員と登山者たち=17日午前8時50分

 【新得、美瑛】強烈な風や雨が吹きすさぶ山中で、体力を奪われた人は次々と登山道に取り残された-。大雪山系で16日起きた遭難は、トムラウシ山(2141メートル)で本州の中高年を中心とするパーティー(19人)の8人と別の1人の9人、美瑛岳(2052メートル)で1人の計10人が死亡する大惨事となった。命からがら下山した登山者は「寒さで体力が消耗し(参加者が)ばたばたと倒れていった」と語った。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/177787.html

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②美瑛岳遭難をめぐって、

場所 美瑛岳(標高2052m)

ツアー内容、メンバー 美瑛岳のツアーはコンパス社が主催。女性客三人と男性ガイド三人が三泊四日で十勝岳などを縦走する予定

経過

※道警によると、美瑛岳のパーティーから16日午後、救助要請があった。客の女性1人が低体温症で動けなくなっため、ガイド2人が付き添っている。残り3人は避難小屋に入ったという。このうち、兵庫県姫路市の尾上敦子さん(64)が死亡した。

16日 午後5時50分ごろに、「女性1人が寒さで動けなくなった」と、茨城県のツアー会社を通じて、119番通報。
16日 夜間 道警山岳救助隊ら12人が救助に向かう。
17日 未明 同岳近くの美瑛富士避難小屋と山頂付近に別れていた6人と相次いで合流。
※ このうち兵庫県姫路市の尾上敦子さん(64)の死亡が確認。低体温症の2人を含む5人は命に別条はなし。
※ 道警によると、16日夜の山頂付近は霧で氷点下5度だった。

美瑛岳で1人死亡 トムラウシでも1人意識不明 大雪山系で相次ぎ遭難 (07/17 06:41)

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トムラウシ山から無事下山し、宿舎に向かう男女2人=17日午前1時

 【新得、美瑛】16日午後、十勝管内新得町の大雪山系トムラウシ山(2141メートル)を登山中の本州の中高年を中心とする山岳ツアーパーティーが悪天候のため遭難、7人が山頂付近に取り残された。このうち、女性1人が意識不明、男女5人が衰弱状態。さらに下山途中の男性1人が動けなくなっている。上川管内の美瑛岳(2052メートル)でも本州からの登山パーティーが遭難し、女性1人の死亡が確認された。

 道警などによると、トムラウシ山で遭難したパーティーは、東京の山岳ツアー会社「アミューズトラベル」が募集。参加者19人は、仙台、愛知、岐阜、岡山など道外7県の55歳から69歳までの男女15人と、案内役の同社ガイド多田宇央さん(32)=札幌市北区=と道外の山岳ガイド3人。

 一行は14日に上川管内東川町の旭岳温泉から入山。初日は道内最高峰の旭岳に登り、白雲岳の避難小屋に宿泊。2日目は忠別岳経由で稜線(りょうせん)近くのヒサゴ沼避難小屋に泊まり、16日はトムラウシ山頂を経て、十勝管内新得町のトムラウシ温泉に下山する予定だった。

 一方、美瑛岳で遭難したのは、兵庫県などの男女6人の登山パーティー。16日午後5時50分ごろに、「女性1人が寒さで動けなくなった」と、茨城県のツアー会社を通じて、119番通報があった。道警山岳救助隊ら12人が同日夜、救助に向かい、17日未明に同岳近くの美瑛富士避難小屋と山頂付近に別れていた6人と相次いで合流したが、このうち兵庫県姫路市の尾上敦子さん(64)の死亡が確認された。また、低体温症の2人を含む5人は命に別条はないという。
 道警によると、16日夜の山頂付近は霧で氷点下5度だった。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/177689.html

「強風で動き鈍くなった」=美瑛岳遭難
7月17日12時7分配信 時事通信

20090717-00000014-jijp-soci-view-000

北海道美瑛岳(2052メートル)から下山した山岳ガイドの白石淳也さん(中央)。「十勝岳を過ぎたあたりから風が強くなり、徐々にみんなの動きが鈍くなった」と語った(17日午前9時50分ごろ、美瑛岳登山口)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090717-00000014-jijp-soci.view-000

北海道・大雪山系遭難:美瑛岳で死亡の尾上さん、奉仕団体で活躍 /兵庫
 北海道大雪山系で発生した2パーティーの遭難事故で、美瑛岳で死亡した姫路市新在家本町の尾上あつ子さん(64)は、女性奉仕団体「国際ソロプチミスト姫路」のメンバーとして長年、ボランティア活動を続けてきた。突然の悲報に、関係者は大きなショックを受けた。

 ソロプチミスト関係者によると、尾上さんは20年以上前にメンバーとなり、今年は姫路の奉仕委員長として活躍していた。メンバーの女性は「明るく活発な人で、若いころから山登りが趣味だった。書写山で清掃活動を行ったときも、ロープウエーや車を使わずに歩いて登っていた」と思い出を語った。別のメンバーは「姫路にはなくてはならない人だった」と涙を流していた。

 尾上さん、一緒に登山ツアーに参加して救助された姫路市の大西倫子さん(55)の2人は、ともに姫路市の登山用具店の常連だった。店によると、尾上さんらは今回の登山に備えて5月ごろから準備を進めていたという。男性店員は「2人は北海道の山を楽しみにしていた。ともに経験豊富で十分な装備を準備しており、普通なら考えられない事故だ」と語った。【石川勝己、久野洋、山川淳平】
〔播磨・姫路版〕
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20090718ddlk28040460000c.html

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③竹内栄さん 単独登山中、南沼キャンプ場付近で死亡(凍死) 関連記事

トムラウシ遭難 遺体は旭医大に搬送 地元新得にも大きな衝撃 (07/18 11:46)
 【新得】大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で遭難、死亡した中高年の登山ツアー客8人の遺体は18日、旭川医大(旭川市)での司法解剖のため、安置されていた十勝管内新得町の町民体育館から同大へと向かった。

 また、ツアーとは別の個人登山者1人の遺体の身元は同日午前、茨城県笠間市住吉、パート従業員、竹内栄さん(64)と家族が確認、これでトムラウシ山で遭難死した9人全員の身元が判明した。竹内さんについて道警は凍死とみており、司法解剖しない方針。

 同体育館には午前3時ごろに遺体搬送のためのバス4台が到着、警察官が遺体を納めたひつぎを一つ一つ慎重に運び、悲しみの対面をした遺族の元を離れた。

 道外などから駆けつけた約35人の遺族は、体育館などで一夜を過ごした。同館内には線香の香りが立ち込め、白っぽいカーテンが閉じられたまま、ひっそりと静まり返っていた。

 関係者によると、今回のツアー客が下山する予定だった、トムラウシ山の登山口まで行きたいと希望している遺族もいるという。

 一方、地元の新得町も9人もの登山客が亡くなる大惨事に強いショックを受け、遺体が置かれていた町民体育館などの一般利用を中止。町民からも「家族の思いは察するに余りある。トムラウシ山は地元にとって自慢の山だけに、今回の遭難事故は大きなショック」といった声が出ている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/177931.html
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資料追加

トムラウシ遭難 「天候は回復」と判断 同行ガイド道警に説明 (07/22 06:44)
 【新得】大雪山系トムラウシ山(2141メートル)でツアー客ら8人が凍死した遭難事故で、同行したガイドの1人が道警の調べに対し、遭難した16日の早朝、雨模様の中で出発したことについて「前線が抜けたため、これから天候が回復すると判断した」と説明していることが21日、道警への取材で分かった。その後、天候はさらに悪化しており、道警は出発時のガイドの判断が適切だったか、慎重に調べている。

 道警などによると、説明したガイドは、同行した3人(うち1人死亡)のうち、無事だった札幌市内の男性ガイド(32)。ガイドらは天気概況から、天気が同日中に回復すると判断し、16日午前5時半、ツアー客と計18人で、ヒサゴ沼避難小屋を出発。当時、雨が降り、風も強かったという。
 札幌管区気象台によると、前日の15日午後9時の時点で、低気圧から延びる前線が道内を通過していた。しかし、同気象台は「(今回のような場合)前線が抜けても、雨量が減るだけで、むしろ風は強まり、気温は下がることの方が多い」とする。
 実際にパーティー出発後、風は横なぐりとなり、雨も勢いも増し、16日昼前にはツアー客が次々と寒さで動けなくなった。その後、計8人が凍死した。
 道警は出発の判断に加え、ガイドらの予測とは違って天候が一向に回復しないにもかかわらず、なぜ引き返さなかったのか調べる方針。愛知県内のガイド(38)についても体調が回復し次第、事情を聴く。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/178454.html

トムラウシ避難小屋新設を新得町が要請へ (07/23 07:06)
 【新得】十勝管内新得町のトムラウシ山で本州の登山ツアー客ら9人が死亡した事故を受け、同町の浜田正利町長は22日、同山への避難小屋新設やガイドの国家資格制度創設など再発防止策を、国や道の関係機関に要請することを検討する考えを明らかにした。

 トムラウシ山には、今回事故が起きたヒサゴ沼から短縮登山口まで、通常で8~9時間かかるとされるルート間に避難小屋がなく、以前から天候悪化や負傷などのため日暮れまでに下山できないケースがある。浜田町長は「避難小屋新設は環境への影響などを考える必要があるが地元として要請を検討する。ガイドについては登山者の命を守るために、より厳格な資格制度が必要だ」と話している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/178662.html

7年前 トムラウシ山で遭難 母の死 なぜ学ばぬ
2009年7月23日 13時51分

 「あの時と同じルートで、同じ悪天候。なぜこんなにも犠牲者が出てしまったのか」。北海道大雪山系のトムラウシ山(2、141メートル)で、アミューズトラベル(東京都千代田区)主催のツアーに参加した客とガイドの8人が命を落とした惨事から23日で1週間。その同じ山で7年前、葛西あき子さん=愛知県東海市荒尾町、当時(59)=が逝った。遭難の知らせは、長男の功一さん(42)=同=に「あの時」を思い起こさせた。 (太田鉄弥)

 「えっ」

 十六日夜、携帯電話のニュース速報で表示された文字にくぎ付けとなった。トムラウシ。忘れられない名前だった。あき子さんは登山仲間三人とともに二〇〇二年七月、大雪山系を縦走。最終日の十一日朝、台風が近づきつつあったが、小屋を出た。

 下山まで十時間かかる長いルート。山頂付近は遮る物がなく、強風で歩けない。雨が容赦なく体温を奪う。体感気温は氷点下。あき子さんは低体温症で動けなくなり、命を落とした。近くで、別の一行の女性=当時(58)=も亡くなった。

 今回もまた、強風と雨が命を奪った。「小屋を出なければ、何も起きなかった」。悪天候で抜けられるようなルートではないという七年前の教訓は、生かされなかった。

 「本格的な山は、これが最後ね」

 出発前、珍しく電話をくれた母と、北海道新得町の遺体安置所で再会した。化粧を施された顔は、眠っているかのようだった。

 夜、父の義美さん(73)と弟の男三人で、警察が手配してくれた宿の温泉につかり、座敷でビールを飲んだ。会話らしい会話はない。頭の中は真っ白だった。

 翌日、ひつぎに入った母を連れて帰る空港で告げられた。「遺体は貨物の手続きとなります」。母の“運賃”は、キロ単位で計算され、八万数千円。現実を突き付けられた。

 明るかった母。息子二人、娘一人を育て上げ、四十代半ばで登山を始めた。日記に、日本百名山のうち訪れた九十以上の名峰と、出合った高山植物が記されていた。

 「好きな山で死んだ母は、本望だったんじゃないだろうか」

 何とかそう思えるようになったのは、四年ほど過ぎてから。当時の新聞記事の切り抜きを毎日眺めては悲しみに暮れる父も、「本望だろう」とようやく賛同してくれた。

 それだけに、今回の遭難で残された遺族や友人が直面する喪失感は人ごとではない。

 より安全であるべきツアー登山で、悲劇が繰り返された。功一さんは問う。「七年前のことに学んでいれば、小屋にとどまるという判断があったかもしれない。ツアー会社は安全の確保を真剣に考えてきたのだろうか」
(東京新聞)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009072390135105.html

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その他、資料

http://yamachizu.mapple.net/mt01-0006/

データ(トムラウシ温泉)

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続報

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 続報
戸田様から寄せられるその後の各種情報(2009年8月25日以降のもの)と、最近の幾つかの情報をもとに続報記事とします。

掲載記事内容 (新しいもの順・・旧いものほどこの記事の下のほうに掲載してあります)

2人のガイドの写真をのせたことについて(10月3日付け mail)

ツアー登山における客相互の関係について(9月29日付け mail)

遺族の方と話したこと(9月24日付け mail)

cccp camera について(9月22日付け mail)

ガイドのプロフィール PDFファイル(9月19日付けmail)

岳人と山渓の10月号が出ました。(9月17日付け mail)

素朴な疑問?・・費用の問題、その他(9月16日付け mail)

携行品リスト(PDFファイル)(9月12日付け mail)

調査委員会設置決定のPDF資料(9月12日付け mail)

トムラウシ山遭難についての大新聞の7/18,7/19の社説に異議があります。(9月10日付けmail)

第三者委員会など(9月10日付け mail)

マスコミ記者と話したこと(9月9日付け mail)

取材のお礼について(9月6日付け mail )

9月6日 下記の「⑦日本旅行業協会はツアー登山運行ガイドラインの見直しを始めた・・」に関して、戸田様のご意見
「ツアー登山運行ガイドライン(指針)」の見直しについて(9月6日付け mail)

9月3日 下記の「⑦日本旅行業協会はツアー登山運行ガイドラインの見直しを始めた・・」に関連して、ニュース、管理人の感想
装備不十分なら「お断り」…ツアー登山指針見直し 9月3日8時32分配信 読売新聞

「疲労凍死」という言葉について(9月1日付け mail)

低体温症予防について(8月28日付け mail)

続報あれこれ(8月26日付け mail)

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2人のガイドの写真をのせたことについて(10月3日付け mail)

2人のガイドの写真入り紹介記事をこのサイトにのせたことについて、プライバシー保護はしないのかと言う人がいる。しかしこれはアミューズのパンフで公表されているものであること、多田ガイドについてはマスコミに写真が流されていること。以上から2人についても公表されるべきであると思います。だいたい逃げ隠れする関係ではないと思います。表に出てきて何があったか申し開きをするべきだと思います。いまだに何も言わなくていいなんておかしいですよ。

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ツアー登山における客相互の関係について(9月29日付け mail)

管理人 注  

戸田様に最初、原文のほうを送っていただいたのですが、二箇所ばかりすこし文意の流れの悪いところがありましたので、ご連絡したところ、修正版を送ってくださいました。修正版を拝見しますに、部分部分によっては、原文のほうが詳細で分かりやすいところもございますので、ここでは、差し替えるのではなく二通を併記することに致します。一方で戸田様の真意が読み取りがたい箇所は、もうひとつを参考になさって、戸田様の真意をお汲みいただきたいと考えます。

修正版

ツアー登山では客は旅行会社と契約し、ガイドは会社の履行補助者として客に対する安全注意義務を履行する関係である。客と客との関係は法律上は無関係である
クラブでパーティーを組んでいく登山では参加者相互には法律関係はないとされるが、参加者相互の間では自律的な信頼関係を結んでいるので、これに基づいて相互の助け合いが期待できる。緊急の場合はあらかじめ決めている役割分担に従い、必要があれば適宜相談して事に当たることができる。もっともこれは非法律関係とされるから、参加者の自発的な協力によることになる。

ツアー登山の客相互の関係にはクラブ登山のような信頼関係はありません。一般市民の常識的な関係でしかないと思います。実際自分は今回、遭難の前は誰が誰かが分からず、まともに話をした人もいませんでした。これは自分に限らず他の客も同じだと思います。だから客による助けあいはボランティア的なもの、自発的なものと思います。しかもクラブ登山と違い密接な信頼関係はないのでボランティア的要素は強いと思います。だから緊急の場合には役割も決まっていないし、助け合うノウハウもありません。これらはガイドがするという前提で組み立てられているからです。

ツアー登山ではガイドがすべてを決定している。今回もガイドは3人だけで対処しようとしたのだと思う。問題はガイドに故障者が出た場合です。この点で「吉川ガイドともう一人のガイドは体調が悪かったのでは?そのため主ガイドは自分だけでやろうとして、動ける客のことを考えなかったのはしょうがない」と言う人がいる。しかし主ガイドが動ける客のことを考えなかったのは彼の思考形式にあると思います。目の前に生じたことに集中し、それ以外は考えないという傾向にあると思います。ここは大丈夫だとわけてしまうわけです。

他のガイドが体調を崩していたということは当時分からなかったし、一人で何もかも背負い込むほどだとは分からなかったのです。そういうことならば主ガイドは客に説明して客の力を借りるべきであろう。肉体労働は客に頼んで「全体を判断する」と言う主ガイドの本来の仕事をするべきです。つまり主ガイドは常に本来の仕事をおろそかにしてはならず、肉体労働が大変だと言うのなら客に頼べばよく、そのことを口実にしたり、そういうことに取り紛れていたりしてはならないと言いたいのです。主ガイドは忙しくしているだけで考えようとはしていないとじぶんは言ってきました。

ガイドはメンツから素人が口をはさむのを嫌うのが一般である。こちらも場違いかもしれないと遠慮する。だからガイドから頼んでくれないと。きちんと事情を説明して、何をすべきか言ってくれないと。

主ガイドが3人の客を連れていったことについて、他の客はなぜ手伝わなかったのかと言う人がいる。自分についていいます。自分たちは出発しようとしているわけでスタンバイしていたのだから勝手に場所を離れられないでしょう。いつ出発するかわからないのです。主ガイドが一人を連れていくのは見ていたが、彼がすると言うのに何を手伝うと言うのですか。なお他の2人の客は自分の見えない後ろの方で動けなくなったようですが、それは下山してからマスコミ報道で知ったことです。

吉川ガイドが携帯は持たないと言ったのは、遭難現場ではありません。7月14日旭岳から白雲岳へ行く途中の彼が言ったのです。明日の天気はどうですかと自分が聞いて、もう一人の客が携帯でも天気が分かると言ったのに対し彼は「一日中雨だから、、、歩けばよい」「携帯は持たない」と言ったのです。自分はそれを信じていたので後でウソだと知って、失敬な事を言う人だと印象に残りました。警察調書には詳しく述べてあります。

原文

ツアー登山とクラブでパーティーを組んでいく登山とどのように違うか。

ツアー登山では客は旅行会社と契約し、ガイドが会社の履行補助者として客にたいする安全注意義務を履行する関係にある。客と客との関係は法律上は無関係である。

クラブ登山の場合は参加者相互の関係について法律関係は生じないとされている。ただしクラブ登山では参加者相互の間に自律的信頼関係を結んでいるので、これにもとずいて相互の助け合いが期待できる。緊急の場合にはあらかじめ決めてている役割分担に従い、必要があれば適宜相談して事にあたることができる。もっともこれは非法律関係とされるから、参加者の自発的な協力によることになる。つまりクラブの信頼関係が担保になる。

ツアー登山では客相互の関係はクラブ登山のような参加者相互の信頼関係はありません。交通機関を同時にした客同士と同じだと思います。(実際自分も今回、遭難の前はだれがだれかが分からず、まともに話した人もいませんでした。雨の中を歩くだけだから話すこともないし。宿では干すのに忙しくて。)だから客による助けあいはボランテァ的なもの、自発的なものとおもいます。しかもクラブ登山と違い密接な信頼関係にもとずくものではないからボランテァ的要素、自発的要素は強いと思います。だから第三者が事情も分からず、クラブ登山ではこうすると言って、今回の生還者に対して『何をやっていたのか』という非難を浴びせているのは何なんだということになる。じぶんたちは自分たちなりに助け合ってきたと思いますし、何ら恥じることはないと思っています。またなぜ自発的な問題を釈明しなければならないのかと思います。

ツアー登山ではガイドがすべてを決定している。今回もガイドは3人だけで対処しようとしたのだと思う。そして「吉川ガイドともう一人が体調が悪かったので主ガイドだけでやろうとして、動ける客のことは考えなかったのでは」という意見がある。しかし吉川ガイドともう一人が体調が悪いとは分からなかったし、一人で何もかも背負い込むほどだとは分からなかったのです。そういうことならば主ガイドは客に説明して客の力を借りるべきであろう。肉体労働は客に頼んで、「全体を見て判断する」という本来の仕事をするべきだっただろう。皆で電波を探したりもできたかもしれない。そのためにはきちんと事情を説明してくれないと、何がしてほしいか言ってくれないと。ガイドはメンツから素人が口をはさむことを嫌うのが一般である。こちらも場違いかもしれないと遠慮する。だからガイドから頼んでくれないと。

ただし主ガイドが出発にあたって3人の客を運んだことを指しているならばそれは違うでしょう。3人が動けなくなったのは出発にあたって起きたことで、出発の前に放置した理由にはなりません。そして一人を主ガイドが連れていくのは自分は知っている。しかし自分たちは出発しようとしているわけで、スタンバイしなければならない以上場所を離れられないでしょう。主ガイドが連れていくのを見ていたけれど自分は何を手伝うというのでしょう。いつ出発するかわからないのに、皆スタンバイしているのですよ。

自分たちの見えない後ろの方で他の2人が動けなくなったということは下山してから知ったことです。事情を知らない第三者が「客はなにをしていたか」といい、非難するが何を言うかと思う。

ネットの匿名性に隠れて、勝手な解釈を並べて生還者の行為を非難して、他方ではガイドの行為を徹底的に擁護している人がいる。事実を外れた勝手な解釈をして非難を繰り返し、名誉棄損に当たる行為にまで出てきているのである。

吉川ガイドが携帯は持たないと言ったのは、遭難現場ではありません。自分も吉川ガイドはどういう人かと聞かれたので、「携帯は持たないとウソを言う人です」と答えただけです、遭難現場で言ったとは言っていません。7月14日旭岳から白雲岳へ行く途中に彼が言ったのです。明日の天気はどうかと自分が聞いて、もう一人の客が携帯で分かるといったのにたいし彼は「雨だから、、歩けばよい、携帯は持たない」と言ったのです。自分はそれを信じていたが後でウソだと知ったのです。警察の調書には詳しく述べてあります。これが事実ですので勝手な解釈をして話を作らないでください。
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遺族の方と話したこと(9月25日付け mail)

今晩は、遺族の方が一人は電話で、二人がメールで連絡してこられました。
Iさんのご主人の話では、彼女はガイド登山をしていて装備は完ぺきであること、下着は速乾性の新素材で、フリースも着ており、雨具はゴアであったということです。冬山で-30°~-40°も経験しているとのことです。テント泊も経験しており、なにがあったか知りたいといってみえました。
当日、避難小屋で同室した静岡のパーティーは伊豆労山のパーティーで、当日の彼らの行動について全国大会の報告があると言いますのでそのうち分かると思います。自分が知りたいのは、当日誰が小屋での停滞を申し出たかということです。これについては二人の男性客だという未確認情報があります。
二人からそれぞれメールがありました、どちらも息子さんです。葬式とか、法事とか、役所の手続きとかたいへんだとおもいます。もう一軒を加えて,一緒にはなすことにしました。

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cccp camera について(9月22日付け mail)

経緯 
cccp camera様から、こちらで掲載した戸田様にお寄せいただいた文章について、二つほどご質問を受けまして、戸田様ご本人にご回答を御願いしたところ以下のような回答を得ました。 戸田様のご希望もあり、こちらでそのご回答を掲示させていただきます。

mail1
彼と間接的にしろやり取りするつもりはありません。彼がsub eight に投書すればいいでしょう。その場合でも自分が答えるかは別のことです。
彼のブログには腹が立っています。かれはそちらを直すべきです。彼が自力下山組を中傷するのは彼の勝手だろうけれど、見解の相違だということです。彼と話して解決するとは思えません。言いたいことを言ってる人間だと思っています。

mail2
自分が彼の質問に答えるとすると、それはずいぶんお人よしなこととなるでしょう。まずは彼が何を言ってきたかを知らないと分からないと思います。彼がcccp camera blogでトムラウシ遭難について言ってき たことのすべてを皆さんに見てもらいたいと思います。そして自分は彼に逐一反論したいが、彼のサイトでするつもりはありません。反論するなら公開で皆さんの見ているところでしたいとおもいます。言いたいことは大体考えてあります。だから彼の質問はそのままにしておいて、そのうちsubu eightにそれに関連することを書きたいと思います。たとえば彼 が「生還者は何をしていたか聞きたい」ということに対し、自分は道徳上の問題について釈明を要求されるいわれはないと答えるように。

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ガイドのプロフィール PDFファイル(9月19日付けmail)

この文書はアミューズのパンフレットのものです。戸田様は表紙がないと信用されないかも、と危惧されていらっしゃいますが、戸田様のご希望通り、一応貼り付けておきます。

多田ガイドのものは、札幌営業所職員として別のところに写真だけが載っているそうです。

profile

IMGガイドのプロフィール

プライバシー保護の関係上、吉川ガイド、松本ガイド以外のガイドの皆様の顔写真は、氏名と目線を隠す処理がなされています。

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岳人と山渓の10月号が出ました。(9月17日付け mail)

岳人の記事でアミューズが7/26,27,28,29とヒサゴ沼避難小屋利用の4つのパーティを入れていることが明かされました。そしてお金が一つのツアー当たり200万円として7/16,17を入れると1200万円が動くことになるという。ドル箱だと。

停滞すると1パーティーはテントを利用するとしても、ガス装備や鍋などを2パーティが共用しなければならないということで実質的に不可能ではという。結局装備のトコロテン方式が行われるから、停滞は困難という。天気予報、ラジオ、天気図、さらには、衛星携帯によるバックアップ体制も意味がないのではと。電車のダイヤと同じで停滞等したらそれこそ渋滞が発生して収拾できなくなるのでしょう。また道具は置いてくるのでビバークもありえないことになる。

ガイドが決行したことについて、初めのころは客が要求するからとか、客の不満が怖いとか、そういったたことが垂れ流されていたが、何のことはない、会社のシステムに原因があったことになる。客側においてだれもツアーの決行または続行を要求した人はいません。何年も前にほかのガイドがネットに流した感情的ともとれる書き込みがまだ残っていてその影響なのかと思うが、物事を一般化しないでいただきたい。

山渓では、編集部取材班が7/16に旭岳から白雲岳小屋を歩いたといい、全く自分たちと同じ経験をしたことが述べられています。そして低体温症になるのを防ぐため守った3つのことが書かれています。こうした実践的なことが重要だと思います。同じ日に同じ悪天候の中を、2日違いの行程を歩いた人たちがいて、低体温症の予防のため3カ条を実践したというのです。ガイドの誰かがそれを知っていたら、また自分が知っていたらと思います。

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素朴な疑問?・・費用の問題、その他(9月16日付け mail)

戸田さま
極めて素朴な疑問なのですが、調査委員会の調査費用は何処が払うのでしょうか?
磯野剛太氏のところが自腹でやるのでしょうか?

こんにちは。調査委員会の構成をめぐっては、はじめアミューズの組織として第3者委員会を作るとなっていたと思います。しかし委員の依頼を受けた人とアミューズの間では色々とあっただろうと思います。そしてアミューズから独立した組織と言うことで、日本山岳ガイド協会の組織として調査委員会を作るとなったのだと思います。日本山岳ガイド協会も調査の必要を認めたのだとおもいます。調査委員会の費用はだれが出すのかはわかりませんが、独立性の確保の観点からは協会が出すとよいと思いますが分かりません。あるいは一時金という形ではじめにアミューズが拠出したかも。これは全く自分の考えで、裏付けはありません。

岳人10月号に岩城記者の記事があります。アミューズが7月下旬に26、27、28、29と立て続けに4つのツアーをヒサゴ沼小屋を利用してトコロテンをやる設定だったといいます。16,17もいれて1回200万円として1千万円近くの額が動くというのです。そしてこうした過密ダイヤでは停滞はできないとおもいました。また装備のトコロテンではビバークはできないのだから、遭難はいずれ起きることが決まっていたんだと思いました。

山渓10月号も見てください。じぶんは山渓の編集部スタッフが16日に旭岳から白雲岳を歩いたこと、そして低体温症を避けるため心がけた3つのことが印象に残りました。こうした実践的事柄が役に立つと思います。3人のガイドの誰かがこうしたことを知っていたならば展開も違ったのにと思います。

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携行品リストのPDFファイル(9月12日付け mail)

「大雪山 旭岳からトムラウシ山縦走」の携行品リストのダウンロードができるようしてくださるようにお願いします。
まだ送っていなかったと思いまして送ります。リストは2部からなっています。

IMG_0003携行品リスト1
IMG_0004携行品リスト2

いずれもPDFファイルです。

携行品リスト

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調査委員会設置決定のPDF資料(9月12日付け mail)

戸田様からこの事件に関心をお持ちの皆様へのご提供、ご自由にダウンロードしてくださいとのことです。
(再送をしていただき、きちんと前後左右、順番順になりました。)

IMG調査委員会設置1
IMG_0001調査委員会設置2
IMG_0002調査委員会設置3

いずれも、PDFファイル・・戸田様から送られてきた原文のまま。

調査委員会設置決定

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トムラウシ山遭難についての大新聞の7/18,7/19の社説に異議があります。(9月10日付けmail)

読売新聞7/18社説には「途中で倒れ込む人がいたにもかかわらず、体力の残っているメンバーだけで進んだ。その後、散り散りになっていったという。」「なぜ、だれも途中で無謀な行動を制止しなかったのか。」と書かれている。

朝日新聞7/19社説には{参加者は「高い料金を払ったのだから無理をしてでも決行を」と言うかもしれない。}とある。また同日の朝日新聞一面の記事には「ガイド1人と客10人の計11人がツアーを続行。」と書いてある。

これらの社説を見ると、体力の残った客も同罪だと言う基調で書かれている。朝日の社説は「ガイドの行為は一部の客の要求によるかもしれない」などとよめる。社説は新聞にとって金看板に当たるものでしょう。なぜこういう無責任なことを言うのか、しかもこれらの社説は撤回されていないのですよ。自分を含めて自力下山した5人にとってこうした見方は心外窮まるものである。マスコミとはこういうものだということでしょうか。

自分はほかの新聞を見ていたので違和感を感じず、そのためこれらの記事や社説の存在を知らなかった。今度調べてみてびっくりした。ネットに変な批判がされているのはこれらの記事にもとづいていると納得がいった。

あのころは情報が混乱していたからという記者の感想がある。そうだとおもいますが大新聞のしかも社説まで「かもしれない」と言えば何でも言えるというのではないでしょう。

7/20以後は事情が分かってきたのかステロタイプな見方から踏み込んだ見方に徐々に変わっていき、体力の残った客も同罪だという風な記事は影をひそめた。

これに関連して2002年のトムラウシ遭難でガイドが刑責を問われたことに関しての、他のガイドの主張「トムラウシ遭難事故の背景にあるもの」がネットにある。これが今回の朝日などの記事の基調をなしていると思うので次に反論しておきたい。

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第三者委員会など(9月10日付け mail)

先日アミューズから連絡がありましたのでお伝えしておきます。①「ツアー代金を返却する」とのこと。自分は「旅行業界やアミューズの約款どうりにしていただければよく、特別のことはしていただかなくてもいいですよ。」と言いますと、会社の気持ちだということでした。②「第三者委員会の委員が決定し、後日お知らせします」ということです。「委員から聴取依頼があったら協力してください」と言うので、「わかりました」と答えておきました。

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マスコミ記者と話したこと(9月9日付け mail)

北海道から時々記者が取材に来ます。話していてわかったことを伝えておきます。

①私が下山したのは温泉登山口の方です。警察発表は短縮登山口になっていましたので警察には訂正を申し入れておきましたが、一度発表されるとそれをほかの人が引用するのでなかなか収まりません。
この点に関してこの記者の方が、前田さんと亀田さんも警察発表では短縮登山口になっていたけれど、実際は温泉登山口だったといっっていました。彼の会社のほかの記者が彼等が降りて来たのを見つけたからわかったといいます。
そうすると自力下山した5人全員は温泉登山口の方へ下山したのであって、短縮登山口へは誰も下山してないことになります。これは短縮登山口分岐にある道標には短縮登山口へ出ると林道歩きがあるので1時間余分にかかると書いてあるからだと思います。警察発表なるものは、これでは困ったものです。

②この記者の方はトムラウシ山に、沼の原から入ってヒサゴ沼避難小屋1泊と南沼テント場2泊、計3泊でいってきたそうです。それで彼との話で分かったことがもうひとつあります。
パーティーが停滞したところは北沼分岐ではなくて、そこから北沼に沿って歩き、北沼が見えなくなるあたりで道が少しのぼっていてそこを降りる下り坂だということで、自分の記憶にもぴったりな結論になりました。
自分は北沼のあたりを岸に沿って歩いた記憶があるので、停滞したところをトムラウシ分岐だと間違えてしまい、多数意見に従うことにしましたが、先の記憶は何だったかと思っていました。これでもやもやも解消しました。北沼分岐からトムラウシ分岐の方に3分の1行ったところです。(約10分)

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取材のお礼について(9月6日付け mail )

親類の法事に行ったら、ああいう取材におおじると報酬はもらえるかという声がありました。サイトを見て見えるみなさんも興味があると思いますのでかいておきます。
遭難直後は自分の家にたくさんのマスコミがやってきましたが、これは現地の延長ということで、事故直後の関係者への取材と同じということだと思いますが、一切のお礼はありません。

つぎに20日?ぐらいたつとマスコミの人はお土産を持ってくるようになりました。現地警察2人がひと月ぐらいあとにやってきて、3日間計19時間にわったて事情聴取をうけましたが、この時は「白い恋人」をもらいました。北海道のマスコミが多いので北海道の菓子が多かったということになります。

週刊誌の場合は少し違っていて、1誌は電話取材だからお礼はありません、もう1誌は後でカタログギフトを送ってきましたので自分はパソコンを運ぶリュック(中国製)をもらいました。もうひとつはまだ発行はされていないようですが、記者は時間に相当する額を払いますといいますので、自分はもらうつもりはないといいますと、あとでものをおくりますといっていきました。

なお稿料がもらえるのは投稿して採用されたときに出るのだと思いますが自分はしていません。

後はこちらから金を請求するというものですが額は駆け引きということになるのだと思います。自分はしていません。

今回自分はたくさんの取材を経験したので全体の相場が大体わかったと思いますのでまとめておきます。結局時間のある人がボランティア的に応じるというのが日本の取材協力の在り方だということになります。

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9月6日 下記の「⑦日本旅行業協会はツアー登山運行ガイドラインの見直しを始めた・・」に関して、戸田様のご意見です。

「ツアー登山運行ガイドライン(指針)」の見直しについて(9月6日付け mail)

(1)外部委託のガイドは地元在住者にするという要件について。北海道の山に詳しいということと北海道在住者ということはイコールではないから、こうした議論は本質から外れているように思います。これは結局、北海道在住者ということが客に対するアピールになるというツアー会社の営業戦略と、地元の地元利益が荒らされるという被害意識(自分はあえていいます)への迎合という要素によるものだと思います。協会としてはすこしは安全に寄与すると期待してこうした要件を付けたのだろうとは思いますが。仮に屋久島のガイドは屋久島在住者に限るとしたらどうでしょう。こういうことはやめた方がよいと思います。

(2)装備が不十分なら参加を断ることを考慮するという条項について。ガイドは全体の運行の確保につとめるべきで、そのためこうした条項は当然のことだと思います。じぶんとしては参加者の健康問題についてもチェックが必要だと思います。問診票を提出させたり、医者の診断書を出させたりが必要かと思います。もちろんコースのグレードによりますが。

なお、今回は客の装備不十分を指摘する声が警察、自衛隊、行政の救援隊関係者から聞こえてきているのでひとこと言っておきたい。「亡くなられた方は装備自体はきちんと持ってきていたのに」という参加者の声もあります。警察関係者の情報としてマスコミにながされたものに「凍死したツアー客7人全員が、防寒、防水機能が低いウインドブレーカーなどの軽装だったことが道警への取材で分かった。」という記事を目にしている。(7/23朝日新聞)しかし自分の目の前にいた人はじぶんとおなじゴアをきていたのだからこれは誤りであります。救援隊関係者にはさいきんは登山をしたことのない、登山のことを知らない人がふえてきてこうしたバイアスのかかった発表をする、そして記者も登山のイロハを知らないのかこうした情報を垂れ流すのだろうとおもいますが、いまどきゴア以外の雨具を着ている登山者は旭岳だけをスニカーで登る観光客のほかはいません。

亡くなられた人たちの装備についてはきちんとザックの中身についてまで調べてから判断するべきです。ザックにフリースが入ったままになっていたとすれば、装備不十分の問題ではなく、ガイドが適切な指示をしたかの問題だということになる。フリースをザックから出して着るということは、雨と風が強く命からがら逃げてくるようなあの状態ではなかなか難しいのであって、だからこそガイドは意識して客に適宜そうした指示をなすべきであったのに全くされなかった事が問題なのです。非常食や水分の摂取についても然り。客の中にはすでに低体温症にかかっていてまともな判断ができなかった可能性もあるのです。
亡くなられた人たちは何も言えないので、自分は彼らの名誉のために代わっていっておきたいと思います。

(3)場所取り禁止の問題について。一般登山者の安全にかかわることだから必要であるということになりますが、今回の事故とは関係ありません。今回のツアーは18人分のテントは持っていっています。今回のアミューズの場所取りはテント泊より小屋どまりの方が快適だというためにありました。だから場所取りを禁止したとしても影響はその差ということになります。

問題は14人分のテントと加温設備の全部を次にヒサゴ沼避難小屋に入る予定のアミューズのツアーのためにその避難小屋に残してきため、北沼付近でビバークができなかったことにあります。この指針ではそういうことも禁止するのかよくわからないのです。「参加者全員の野営装備を持参する」という取り決めでは、そういうことは禁止されないということになりそうですが、これでは全く何も決めなかったと同じではないですか。
下山にもビバーク装備の携帯が必要だというかんてんから考えてほしいと思います。コースのグレードとか下山時間の長さとかで区別した方がよいかもしれませんが。

(4、)予備日について。単独登山、グループ登山では予備日はなじみやすい考えでしょうが、ツア-登山では決定がガイドの権限にあるから、費用負担をだれがするかが問題となり、客の一部は文句をつけるだろうし、ガイドは客の文句を恐れて延期の決定を出しずらいということになります。会社が出せばいいがそういうことは期待しない方がよいです。客が出さなければならないということになります。単独登山では問題はないし、グループ登山では民主主義があるから納得してもらえるが。
自分の考えではこういう場合は保険制度で危険の分散を図るという方法をとるしかないと思います。協会はその検討をするべきだと思います。外国ではどうなっているでしょう。外国にはツアー登山と言うのはないのかしれませんが。

(5)バックアップ体制について。天気予報の情報取得がお粗末窮まると思います。自分の推測ではこの会社はそういうことはガイド個人に丸投げしているのだと思います。携帯電話とかトランシーバーとか衛星携帯とかの連絡手段や、参加者に配る地図も全部をガイドが準備することになっているようです。ほかの会社はどうか、これがツアー会社の標準なのかわかりませんが。ただアミューズは難しいコースを2~3割の割高で提供していることを考えると、もう少しバックアップがなさるべきだったと思います。衛星携帯を会社で準備して、ガイドとの間に天気予報とか客のこととか連絡をつねにとっていれば今回の事故はなっかったとおもいます。

(69ガイドの知識の問題。天気図はかけたのだろうか。ラジオを持ってきていないということは天気図はかけないということでしょう。低体温症の知識は会社もガイドもなっかたようです。この会社は10年間このコースをやってきたといいますが運がよかっただけでその間低体温症の知識を体制として蓄えるということをしなかった様です。会社のなかに登山の安全対策を考える部署があったか疑問に思っています。

ガイド個人の問題としては、協会は北海道登山のガイドに必要な要件として低体温症が夏山でも起きること、その対策とかをガイドに研修させるのがよいと思います。北海道在住を条件にするよりよっぽどいいと思います。

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9月3日 下記の「⑦日本旅行業協会はツアー登山運行ガイドラインの見直しを始めた・・」に関連して、ニュースが入ったので引用し、管理人の感想を書いておきます。

装備不十分なら「お断り」…ツアー登山指針見直し 9月3日8時32分配信 読売新聞

 北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で7月、東京都内の旅行会社が企画した縦走ツアー客ら計18人が遭難、8人が死亡した事故を受け、日本旅行業協会(東京都)が加盟社約1200社向けの「ツアー登山運行ガイドライン(指針)」を見直したことが2日、わかった。

 事故の再発を防ぐため、集合地で装備が不十分と分かったツアー客に対しては参加を断ることも検討するよう定めた。12月から運用する。

 ガイドラインは、業界の自主的な指針として2004年に策定された。見直しは初めてで、〈1〉外部委託のガイドは地元在住者にする〈2〉装備が不十分で「安全確保が困難」と判断したツアー客には参加を断ることも考慮する〈3〉避難小屋の場所取りはやめ、参加者全員の野営装備を持参する――などを新たに盛り込んだ。

 北海道は事故後、同協会に対し、ツアーに予備日を設け、日程に余裕を持たせるよう求めていたが、「旅行会社の判断に任せる」として見送られた。

最終更新:9月3日8時32分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090903-00000053-yom-soci

感想

1 (1)について・・今回のチーフガイドの多田ガイドは地元の登山家で大学時代から大雪の山々を登り経験十分であったはず、それでも判断ミス(その原因は複合的ではあるが)で、今回のような事故を引き起こしてしまった。よって、地元在住のガイドを使っても安心とは言い切れないと考える(確かによその山を本拠地とするガイドを利用するよりはましなのかもしれないが・・より重要なのはガイドの資質であろう)。

2 (2)について・・これまで戸田様にいただいたご回答を振り返ると、今回は、ツアー参加の皆さんの装備が不十分だったから遭難事故が起こったのではなく引率ガイドの判断力不足と対応不足が主な原因であると思うのであるがどうだろうか。
お客様にどんなに良い装備を揃えていただいても、肝心の引率ガイドが判断ミスをやって適切にガイドできないのでは、今回のような事故がまた起こるであろう。

3 (2)についてもうひとつ・・であるから、ツアー客の装備に拘るよりもツアー会社側の装備(アマチュア無線とか、衛星携帯電話とかを揃える事)、ガイドの資質の向上、ガイドの判断ミスを防ぐ手立てのほうが大切なのではないかなと考える。・・結局、今回の事故の教訓を生かしたツアー会社に厳しい内容にはなっていない。(もっとも、今回の事故の原因がツアー会社にあると刑事裁判、民事裁判でいわば公的に決まったわけではないので、現段階では、自身の首をしめるようなガイドラインは作成できないのかもしれない。)

4 (3)の場所取り云々は、避難小屋を管理する当局を含む世の登山者一般から社会的顰蹙を買わないためのアピールであろう。

5 肝心なのは予備日、余裕のある日程だったと思うのだが、これは外されてしまったようだ。予備日をあらかじめ組むとツアー料金が上がり競争力がなくなるからなのだろうか、ツアー料金が上がればそれはそれで、ツアー会社の利益となりよいと思うのだが・・(?)。あるいは、予備日を組んで、日程以内で下山出来たような場合にツアー料金の払い戻しなどの計算や、押さえてある飛行機のキャンセルや再手配などが煩瑣となるので採用されなかったのであろうか・・・。
ガイドをあらかじめ決まった融通性の利かない日程に縛り付けると、ガイドの判断を誤ったものにしかねない。自由な判断、臨機応変の判断が出来るような予備日、余裕のある日程を是非とも盛り込むべきであろう。・・これは主催旅行会社各社の良識に委ねられたようである。

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「疲労凍死」という言葉について(9月1日付け mail)

「低体温症の予防に付いて」という私のメール(8/25)で「低体温症に対しては、とにかく動ける人はゆっくりでいいから、歩き続けることが重要である」という記述を見つけたと書いたところ、どこにありますかという問い合わせがきましたので紹介しておきます。もう少し詳しいことが知りたいので探しておきます。

①「解説委員室ブログNHKブログトムラウシ山遭難~」を検索して「続きを読む」をクリック (ガイド判断のポイント)(3)動けなくなった人が出た時になぜほかの参加者を待たせたのかのところにあります。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/23738.html

②「トムラウシ山遭難。低体温症とツアー登山。2つの問題」-tanigawaを検索18行目にあります。

http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3691

歩き続けると言っても、安全なところへ向けてという意味です。いつまでも歩き続けることはできませんから場合によっては、ビバークをするか歩き続けるか選択しなければなりません。しかし参加者をスタンバイのままにしておいて、長時間待たせる選択はありません。

②のブログでは「疲労凍死」という言葉が登山者にとってきわめて有害で危険な言葉であるかが書いてあります(20行目~22行目)。自分もそう思っていたので意をつよくしました。

「疲労凍死」という言葉がいまだに使われています。低体温症と同じ意味でつかわれています。疲労が低体温症においてどんな意味があるか分からずに、十分整理されずに、混乱のままに使われています。低体温症になって疲労して死亡するのが疲労凍死だというのです。疲労して低体温症になって死亡するのが疲労凍死なのかもしれません。また「むやみに動き回ってはならない」とも書いてあります。むやみに動くのはマズイのはその通りですが、今回のように歩き続ける必要がある場合もあるのですからこういう表現はまずいと思います。

自分の考えを述べます。低体温症の本質は「奪われる熱量より発熱する熱量が不足する」ことにあること。これだけを考えればよいと思います。
疲労(本当に動き回って生じる疲労)は低体温症に対して無防備になりやすいこと。

低体温症になると生じる現象の一つとしてきわめて疲れやすくなること(動き回らないのに疲れるのです)、(低体温症の初期症状として疲労と同じような症状があらわれるといいますが、それはこれだと思います。)

つまり動き回って生じる疲労は低体温症の必要条件でないと言いたいのです。また低体温症になると動きまわった記憶がなくともきわめてつかれやすくなるということです。それが突然やってくるのです。

自分の意見では「疲労凍死」という言葉はつかわない方がよいと思います。


注 本文中の二つのリンク表示は、管理人silvaplaunaが設けました。また、戸田様の本文では、8月25日のmailとなっておりますが、私が同内容のmailをいただいたのは28日未明でしたので、ここでは28日付になっております(下のmailです)。

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低体温症予防について(8月28日付けmail)

低低温症に対しては、とにかく動ける人はゆっくりでいいから歩き続けることが重要であるという記述を見つけました。歩くことによる発熱が予防になるとのこと。つまり休憩はしてはいけない、あるいは歩きながら休憩をするようにというのです。
今回はまったく逆をやっていたことになります。そのために低体温症になったということになります。そして多田ガイドが低体温症にならなかったのは彼が動いていたからということも言えます。吉川ガイドが低体温症になったのは彼がほとんど動かなかったからであるということになります。
こんな簡単で重要なことが、言われてみれば納得出来ることがみすごされているなんて、こういうことがあるのですね。
ぜひたくさんの人に気付いてほしいです。そして人から人へ伝えてほしい
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続報あれこれ(8月26日付け mail)

以下に、戸田様から教えていただきました情報①~⑧を掲載し、美瑛岳、トムラウシ山、実況見分その他の情報⑨~⑯を追加します。

①アミューズ社は「トムラウシ山の遭難事故の経過について」という文書をを回収していったといいます。自分のところにはこれから言ってくるのかもしれません。これが事実なら、これはアミューズが見解を撤回したという意味なのか、しかしそれならあらためてその旨の文書をだすべきだとおもいます。この会社のやることはよくわかりません。

②9月4日~6日の3日間に追悼登山があるそうです。自分の推測ではアミューズ主催の遺族だけの山行だと思います。

③検証登山の方ですが、8月24日に美瑛岳がおこなわれ、トムラウシのほうはまだのようです。

④着干しのこと。松本ガイドは北沼の小川で転んだあと着替えなかったこと、着替えは持っていたこと、以上2点は社長から聞いたことです。雨と寒風のなか着干ししたので低体温症になったのでしょうが、知識または認識においてガイドの資格が疑われると思います。

⑤紀藤正樹弁護士のブログに、「マスコミがサブエイトを見て取材が殺到したのか観光庁がようやくツアー登山の実態調査にのりだす。」とあります。

⑥南沼キャンプ場のテントは登山道整備業者が作業員のための宿として準備したものだといいます。あと2つテントがあったそうです。(8/16朝日新聞)

偶然見つけたテント、命つないだ トムラウシ山遭難 2009年8月16日10時51分
  
 北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で登山ツアーの8人が凍死した遭難事故で、山頂付近で発見されたガイド1人を含む5人(うち2人が死亡)が野営に使ったテントは、登山道整備業者が従業員の宿泊に備えて山中に保管していたものだったことが、道警などへの取材でわかった。ガイドが救助要請などのために山頂付近を歩き回った際、偶然見つけたテントを運んだという。

TKY200908140151

 道警は、このテントがなければ死者はさらに増えていた可能性があるとみている。遭難した日は、下山してトムラウシ温泉に泊まる日程だったことから、ガイドは客を十分に収容できるテントを持っていなかったとみて、装備が十分だったかどうか調べている。16日で事故から1カ月。

 ツアーは、大雪山系の尾根づたいの四十数キロを2泊3日で縦走するコース。事故があった7月16日は、ヒサゴ沼の避難小屋から約15キロ歩いて下山する予定だったが、客15人(55~69歳)と男性ガイド3人(32~61歳)のうち客7人とガイド1人が凍死した。

 道警によると、遭難翌日の捜索の際、5人が野営に使ったテントを回収した。ガイドの携行品とみられていたが、ガイドは道警に「南沼付近でテントを見つけ、北沼に持ち帰った」と説明。携帯コンロで暖をとったという。その後の調べで、北沼から下山方向に約30分歩いた南沼キャンプ指定地に業者が保管していたものと判明した。業者によると、テントはブルーシートに包まれ、毛布、携帯ガスコンロなどと一緒にあった。全部で3張りあったという。

 テントの保管場所の前後では、男性客1人と女性客3人が死亡した。業者は「偶然にもテントが人の命を救うことに役立って良かった。全部使って、全員助かってほしかった

http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY200908140145.html

⑦日本旅行業協会はツアー登山運行ガイドラインの見直しを始めたといいます。ガイドの対応に疑問を残したからといいます。(8/22北海道新聞)

ガイド研修強化 旅行業協会 トムラウシ遭難で見直し (08/22 06:59)

 大雪山系トムラウシ山の遭難事故を受け、日本旅行業協会(東京、約1200社加盟)はツアー登山運行ガイドラインの見直しを始めた。今回、悪天候の際のガイドの対応に疑問を残したことから、研修を充実させ、ガイドの安全意識を高める。

 今回の事故について、登山関係者からは、下山の判断や装備、連絡など、ガイドが客の安全面を最優先して行動したかどうかを疑問視する声が出ている。

 同協会の現行のガイドラインはガイド教育について「定期的に行うべきである」とし、「安全登山にかかわること」など項目を挙げている程度。事実上、安全対策は、ガイド個々の経験や知識、旅行会社の方針などに任されているため、業界全体で研修を強化することになった。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/183998.html

⑧ガイド3人全員はラジオを持たず携帯電話だけで天気予報を確認したといい、7/16当日の天気は、7/15に出された天気予報が電波が悪く入らなかったため、7/14の天気予報にもとづいてはんだんしたといいます。(8/23北海道新聞)

トムラウシ遭難 ガイド、ラジオ持たず 2日前の予報で天候判断 (08/23 18:31、08/23 23:30 更新)

 大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、8人が死亡した遭難事故で、登山ツアーを主催した「アミューズトラベル」(東京)のガイド3人全員がラジオを持たず、遭難当日の天候を2日前に携帯電話サイトで確認した予報を基に判断していたことが23日、関係者の話などで分かった。

 同社の遭難経過説明文などによると、遭難前々日の7月14日に避難小屋でガイドの1人が携帯電話の天気サイトで天気図を確認。この情報を基にガイドは15日夜に「(遭難した16日の天気は)午前中までは崩れるが午後からは大丈夫」と予想した。

 同社関係者は、ガイドが遭難当日に天気予報を確認できなかったことについて「携帯電話の電波が通じなかった。テレビがあれば天気予報を確認するが、それがなかったので携帯電話しか頼れなかった」と説明。3人いたガイド全員がラジオを持っていなかったと明かしたうえ、「問題だったかどうかは分からない」と話している。

 北海道道央地区勤労者山岳連盟の松浦孝之理事長(札幌)は「登山家であれば、ラジオで天気概況を聞き、自分で天気図を描いて天候の変化をみる。携帯電話でどの程度の情報を得られたのか疑問」と指摘している。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/184273.html

⑤~⑧はそれぞれネットで調べてください。すでにご存じのこともあると思いますがサブエイトで見つからなかったのでかいておきます。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

遭難事故あったトムラウシ山 避難小屋で場所取り横行 支庁、禁止周知へ (08/20 09:58)

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ツアー会社による「場所取り」が問題になっているヒサゴ沼避難小屋

 【新得】大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、8人が死亡した登山ツアーの一行が、最後に宿泊したヒサゴ沼避難小屋(定員30人)を訪れた。同小屋では、道外ツアー会社による「場所取り」が横行、小屋を管理する十勝支庁に一般登山者から苦情が寄せられている。同支庁は「悪天候時の緊急避難という小屋の利用目的に反する」として、ホームページで禁止を周知する方針だ。<北海道新聞8月20日朝刊掲載>

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/183619.html

道警 山頂付近で実況見分 トムラウシ遭難 (08/26 09:56、08/26 15:29 更新)

【新得】大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、中高年のツアー客ら8人が凍死した遭難事故で、道警は26日午前、山頂付近の事故現場で実況見分を始めた。道警は、一行がたどった経路や、ツアー客が救出された地点などを確認。悪天候下でツアーを続行したガイドの判断が適切だったのか調べ、今後ガイドらの業務上過失致死容疑での立件を視野に捜査を進める。

 実況見分は、道警の捜査員8人と現場付近に詳しい山岳ガイド1人で行われ、7月16日の遭難当日に一行が出発したヒサゴ沼避難小屋付近、男女5人が死亡した北沼付近の2カ所を調べた。ツアーで無事だったガイド2人は、体調不良のため立ち会わなかった。

 道警のヘリでヒサゴ沼避難小屋に到着した捜査員らは、午前8時半ごろから実況見分を開始。小屋の前で花を手向け、周辺の写真を撮るなどした。

 この後、捜査員らは北沼付近まで進みながら、当日一行が移動した経路を検証。亡くなった人の発見地点なども確認した。

 実況見分は27日も行い、9月にはあらためて2人のガイドを伴って実施する方針。道警は7月18日にツアーを企画した旅行会社「アミューズトラベル」(東京)の本社などを業務上過失致死容疑で家宅捜索している。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/184748.html

ガイドが背負い小屋へ 女性、自力歩行できず 美瑛岳遭難死 (08/21 07:18)

 【美瑛】7月の上川管内美瑛町の大雪山系美瑛岳(2052メートル)登山ツアー遭難事故で、凍死した女性=当時(64)=は、避難小屋に向かう途中で歩けなくなり、ガイドが数十分間、背負って移動していたことが道警などへの取材で分かった。女性がどのような状態で避難小屋にたどり着いたかは明らかになっていなかった。

 自力歩行ができない登山者は、テントを張ってその場にとどまるビバークという方法もあることから、道警は背負って移動したガイドの判断が妥当だったか慎重に捜査している。

 ツアーは登山客3人とガイド3人の6人で、7月16日から3泊4日で大雪山系の縦走を計画。道警などによると、死亡した女性は、16日午後、美瑛岳に登頂後、約2キロ離れた避難小屋に向かう登山道の中間地点付近で、寒さを訴え自力歩行が難しくなった。ガイドは女性を背負って避難小屋まで運んだが、回復せず凍死した。

 亡くなった女性より前に別の女性も身動きがとれなくなったが、その場でビバークし助かった。このため道警は、ガイドの判断に問題がなかったかどうか、週明けに業務上過失致死容疑も視野に実況見分を行い、女性を背負って歩いた距離など詳しい状況を調べる。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/183790.html

美瑛岳遭難で道警が実況見分 当時の登山行程を再現 (08/24 09:31、08/24 15:48 更新)

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実況見分で十勝岳に入山した旭川東署員ら=24日午前5時15分ごろ

 【美瑛】上川管内美瑛町の大雪山系美瑛岳(2052メートル)で7月、女性登山客=当時(64)=1人が凍死した遭難事故で、旭川東署は24日、現場の実況見分を行った。

 同署は亡くなった女性がどの地点で体調を崩し、ガイドがどのような経緯でビバーク(非常野営)せずに避難小屋に向かうと決めたのかなど、事故当時のガイドの判断に問題がなかったのかを重点に調べた。

 この日午前5時に同署の捜査員5人と、ツアーを主催したオフィスコンパス(茨城県)のガイドら2人の計7人が、登山スタート地点の十勝岳中腹の望岳台に献花した後、実況見分を始めた。7人は当日のコースと同様に十勝岳を登頂した後、美瑛岳山頂を経て、女性が運ばれた美瑛富士避難小屋に向かった。

 道警は業務上過失致死の疑いでガイドや同社の捜査を進めており、ツアー客ら8人が凍死したトムラウシ山(2141メートル)の遭難事故でも、同容疑での立件を視野に近く実況見分を行う。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/184343.html

道内の夏山遭難 8割中高年 道外からが6割 (08/25 08:51)

 大雪山系トムラウシ山で本州からのツアー客ら8人が凍死するなど遭難事故が相次いでいることから、道警は24日、今夏までの過去10年間の夏山遭難の発生状況をまとめた。遭難者214人のうち、中高年が8割を占め、道外からの登山者がほぼ6割だった。

 道警によると、道内で7、8月に道警に救助要請があった「夏山の山岳遭難」は2000年以降の過去10年間で161件発生し、遭難者数は214人。このうち、死者31人、行方不明者1人、負傷者は100人。

 今年は23日現在で17件が発生し、遭難者数は46人(うち死者11人)に上り、過去10年間で遭難者、死者とも最多。昨夏までの遭難者数は年12~26人で推移している。

 過去10年間に遭難した214人の年齢別では、40歳以上の中高年が177人と全体の83%。道内外で分けると、道外者が124人で58%を占めた。

 道警は「自分の体力や技量に合った登山をしてほしい」と注意を呼びかけている。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/184524.html

8人凍死 道警が実況見分 2009年08月27日

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雪渓を背景に登山道を進む捜査員。ルートは足場の悪い岩場も多い=26日午後0時7分、大雪山系トムラウシ山、HTBヘリから、神村正史撮影

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遭難したパーティーと同じコースをたどりながら実況見分を行う道警の捜査員ら=26日午後0時5分、大雪山系トムラウシ山、HTBヘリから、神村正史撮影

■計画変更の2隊下山
■明暗分けた判断比較

 大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、登山ツアーの8人が凍死した遭難事故で、遭難したツアーのパーティーと同じ2泊3日の日程で同じコースをたどる計画だった別のパーティーが、出発後の天候悪化に対応し、3泊に増やして無事故で下山していたことが、道警への取材でわかった。道警は複数のパーティーの行動を比較し、悪天候でも計画を変更しなかったガイドの判断やツアー主催会社の安全管理が適切だったか捜査しており、26日には同山で実況見分を行った。

 道警によると、遭難したパーティーと同じ日程の計画を立てていたのは、埼玉県の60代の4人で、年齢構成もほぼ同じという。4人は当初、2泊3日で大雪山系の尾根づたいの四十数キロをトムラウシ山を経て縦走しようと、7月14日に旭岳から入山した。

 ところが、強い風雨に見舞われたため、体力の消耗を防ごうと、翌15日の移動距離を短縮。この日の目的地だった約16キロ先の最終宿泊地・ヒサゴ沼避難小屋まで行かず、途中にある約10キロ先の山小屋で1泊。16日は約6キロだけ歩いてヒサゴ沼避難小屋に泊まり、嵐が去った17日に下山したという。

 さらに、別の静岡県のパーティー(60代、6人)も、悪天候を受けて1日あたりの移動距離を短縮して体力の消耗を防ぐなどして、事故当日の16日、遭難したパーティーとほぼ同時刻に同小屋を出発しながら、無事故で下山したことが判明している。

 このため道警は、ツアーのガイドや主催会社の役割について、危険を予見して回避したり、危険を想定した計画を立てたりすることが必要だったとの見方を強め、無事故で下山した二つのパーティーの判断や行動を重視している。

 一方、26日の実況見分は午前8時すぎに始まり、ヒサゴ沼避難小屋から最初に客1人が動けなくなった北沼分岐の手前まで行った。捜査員8人と地元山岳会の会員が、遭難したパーティーがたどったルートを確認した。同小屋前では、捜査員らが花束を手向け、凍死した8人の冥福を祈る姿が見られた。

 道警によると、当初は、生還したガイド2人を立ち会わせ、当時の状況を聞き取る予定だったが、体調を崩しているため、今回は見送られた。ガイドを伴った実況見分は9月にも実施予定という。

 遭難したツアーは、客15人(55~69歳)とガイド3人(32~61歳)のパーティーで、客7人とガイド1人が凍死した。道警は、ツアーを主催した旅行会社アミューズトラベル(東京)を業務上過失致死容疑で家宅捜索。同社やガイド3人(1人死亡)が客15人の安全確保を怠っていなかったか調べている。

http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000908270005

遭難前日、無事パーティーの3倍歩く 大雪山系8人凍死2009年8月25日5時31分

 北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で8人が凍死した事故で、遭難した旅行会社主催の18人のツアー客らは、同じ避難小屋からほぼ同時刻に出発して無事故で下山したパーティーに比べ、前日に3倍近い距離を歩いていたことが、道警への取材でわかった。

 前日もひどい雨で登山道はぬかるみや水たまりが多く、ツアー客は体力を消耗したとみられる。道警は、蓄積した疲労が遭難を誘発した可能性があるとみて、生死を分けた二つのパーティーの行動を比較して捜査。当日のガイドの判断や旅行会社の安全管理が適切だったか、近く同山で実況見分を行って調べる。

 道警によると、無事故で下山したのは静岡県のパーティー。旅行会社のツアー登山ではなく、同県内の山岳会に所属する60代の6人(男性2、女性4)で、大雪山系への登山口の一つの層雲峡を7月13日に出発。2泊3日で下山する計画だった。

 しかし、初日から雨天となり、その後も悪天候が予想されたため、予備日を使って1日あたりの移動距離を短縮し、体力を温存すべきだと判断。宿泊する山小屋も3カ所で3泊に増やしたという。

 一方、遭難したツアーは1日遅れの14日に旭岳温泉から入山。2泊3日で下山する計画のまま行動した。このため、別々に入山した二つのパーティーが15日、最終宿泊地であるヒサゴ沼避難小屋で同宿し、翌16日に下山することになったという。

 道警によると、15日の移動距離は、静岡県のパーティーが約6キロ、遭難したツアーは約16キロ。道警は、疲労が翌日の事故に影響した可能性があるとみている。静岡県のパーティーは翌朝、遭難したパーティーから約10分遅れで出発したが、数時間後に追い越していたという。

 静岡県のパーティーが所属する山岳会の会長は「2カ月前から天気図をつけ、異変を感じて予備日を設けていた」と話している。

http://www.asahi.com/national/update/0825/TKY200908240432.html

トムラウシ遭難を検証 登ってみて募る「なぜ」(1/2ページ)2009年8月16日20時1分

TKY200908150183
5人がテントで野営し、女性客2人が死亡した北沼のテント場(中央の大岩手前)。北沼分岐(左上の沼近く)では、ガイドと女性客1人が死亡した=大雪山系トムラウシ山中

 ぴっぴっ、ぴぴっ。青空の下でナキウサギの声が響き、高山植物が咲き乱れる北海道大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)山頂付近。波紋一つない沼には頂がくっきりと映る。ここで、わずか1カ月前に登山ツアーの18人が遭難、8人が凍死という惨劇が起きたとはにわかには信じがたい。条件は違うが、あの日の経緯を検証しながら8日に同じコースをたどり、山の怖さを考えた。

 18人は、旅行会社アミューズトラベル(東京)主催のパーティー。7月16日午前5時30分、宿泊したヒサゴ沼の避難小屋を出た。強い風雨のため、予定より30分遅らせた出発。ガイドは「午後から天候は回復する」と判断した。

 だが、前日からトムラウシ登山のガイドを予定していた北海道山岳ガイド協会の辻野治子理事(52)は天候の回復は見込めないと判断。客に中止を伝えていた。私に同行してくれた辻野さんはラジオを聴いて自ら天気図を作ることにしているという。「あの日は作るまでもなく、悪天候と分かった」

 この日明け方のヒサゴ沼付近は、晴れでも気温は5度だ。雪渓と、バランスをとりながら岩を渡り歩かねばならない通称「ロックガーデン」を越えて3時間半歩く。ここが女性客とガイド(61)が亡くなった北沼分岐だ。当時、沼の水は強風であふれ出し、登山道には幅約2メートルの「川」ができていたという。

 前日も雨の悪路を16キロ歩いた18人。死亡した女性客は川を渡った所で意識を失った。「遭難だと認めて救助要請を!」。男性客がガイドに叫んだ場所だ。身を隠すような岩もない吹きさらし。携帯電話の電波を確認すると、アンテナは立ったり、立たなかったり。辻野さんが考えた。「低体温症の兆候はここに来るまでにあったはず。だが、ここまで来ては引き返すのは難しかったのでは」

http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY200908150182.html

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トムラウシ山遭難事故調査特別委員会 「中間報告書」について(12月09日 追補 12月11日 追記)

戸田新介様のご好意により、ここにトムラウシ山遭難事故調査特別委員会が作成した「中間報告書」全75ページをPDF形式(ただし、都合により44ページと47ページのみはjpg形式の画像データで記事の下部に追補  12月11日 追記 44ページ、47ページもPDFデータを揃えました。)、およびPNG形式の画像データにより掲載いたします。 両者は同一の内容です。お使いのインターネットの環境に合わせてご都合のよいほうのデータをご利用ください。

各ページのデータ記載には正確を期しましたが、当方の手違いにより、個々のページごとのデータを記載したPDF形式のほうには落丁その他のミスがあるかもしれません、万が一、ミスがございましたらコメントその他でお知らせください。

また、以下は、戸田新介様が、この中間報告書に関して、日本山岳ガイド協会に宛てて送ったメールとそれに対して日本山岳ガイド協会から戸田様宛てに送られてきた返信です。

戸田様のご希望に沿って、原文のままここに公開させていただきます。

silvaplauna
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社団法人日本山岳ガイド協会 トムラウシ山遭難事故調査特別委員会御中

私に就いての記述に誤りがあるので訂正していただきたい。

調査委員は私には行動に就いて何も質問されなかったので、そういうことは調査しないと思っていたら、みなさんの回答が載っているので意外に思いました。私に就いては質問する必要がないと思われたのでしょうが、私に就いて書かれるなら確認を取ってもらわねば困ります。これは常識に属することと思います。

ネットでは私に対する中傷的記述があるので困っています。私が言ってはいないことを放置すると、いつまでもそれをもとにした書き込みに悩まされます。特に調査委員会と言う半ば公的な機関が公表するとなると事実とされてしまいます。それで訂正を申し立てるのです。

①P11 22行目「どうなっているのですか」と聞いたとありますが誤りです。私は「どうするんですか」ときいたのです。これからの方針を聞いたのです。吉川ガイドの「様子を見る」と言う回答も「どうなっているんですか」に対する回答ではおかしいでしょう。

②P11 25行目「早く救助要請しろ!」とありますが、これは間違いです。「救援要請しよう」または「救援要請すべきである」と言ったのであって,「救助要請をしろ!」といったおぼえはありません。これに就いては、多くのマスコミに対する説明で省略的に言ったこともありますが、それをもって私の発言として公的に記録に残されては困ります。だから私に確認してほしいと言っているのです。

③P16 27行目「彼を怒鳴りながら降りて行った」とあるが、これは誰が言ったのでしょう。長田さんしかないと思いますがそうですか。そうなら彼女に問い合わせてみます。私はそんなことを言ってはいません。「あんたはガイドだから、客とは違うから仕事をしっかりやってくれないと困る」と言ったのです。自分が怒鳴ったと言うのは間違いです。彼女がどういったか知れませんが、私に何も確認することもなくこういう記述を書かれては大変困ります。

私の発言に就いて書かれた記述は以上の点だけですが、そのほか私の行動に触れた記述も含めて考えますと、「私は他の人の救助は何もしないで、ガイドを怒鳴り散らす手前勝手な人間である。」という印象を与えるものとなっているが、どうしてこんなことを書くのですか。とにかく中間報告の公表の前に訂正していただきたい。

「遭難事故パーティ行動概要」を記述した人がいると思いますが担当者の記載がありません。そしてP21には「特段の意図はありません」とわざわざ記載してありますが、これはどういうことでしょう。特段の意図があるからこういうことを書くのではないですか。普通はこういうことは書かないものです。

P40「一部参加者の不満が爆発している。」とあります。こういう評価をされたのだと思いますが、私は同意できません。私は遭難の危険を感じたので皆の同意を求めるつもりで叫んだのです。あの段階ではガイドを含めて誰も全員の遭難の危険を考えていなかったのだと思います。それとガイドに対して方針を決めてくれと言ったのです。こう着状態を打破したかったわけです。こういう評価は偏った評価だと思います。

中間報告と言いますけれど、公式なものとして残るものでしょう。委員の方全員の同意を得て公表されるものですから、私のこのメールも全員に見ていただきたいと思います。もみ消しにしないでいただきたい。

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これに対する日本山岳ガイド協会からの返信

戸田様

大変世話になっております。

不快な思いをさせてしまいまして大変申し訳ございません。
ご指摘いただいた箇所につきまして訂正させていただきました。

ご連絡ありがとうございました。

社団法人日本山岳ガイド協会

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調査特別委員会に送った訂正申し入れのメールの内容について一部訂正します。( 12月09日付け mail )

調査特別委員会に送った訂正申し入れのメールの内容について一部訂正します。

訂正前の中間報告書にある、私が「怒鳴りつけて降りて行った」という記載について、「誰が言ったでしょう。Oさん(女性客A)しかいないが」と書きましたが、その後ガイドCがいることに気付きました。どちらかの証言がもとになっているのは確かです。後で述べるようにガイドCの証言だと思いますので、Oさんには謝りたいと思います。

訂正前の中間報告書の該当部分(P16)には、Oさんの証言に続いて、私が「怒鳴りつけた」とあるので、私はてっきりOさんしかいないと思ってしまったのです。報告書の筆者は証言者を隠してマジックをかけたのでしょう。ガイドCの証言と書くわけにいかなかったのでしょうか。それだったらこうした事を書くべきでないと思います。
彼は低体温症だということですから、私の発言内容は分からず漠然と怒鳴りつけられたと思ったのでしょう。

なお、あるブログでは、私が「怒鳴りつけた」、「小突きまわした」、そしてガイドは「逃げ回った」という記載がありますが、わたしがガイドに話したことは、ガイドAに「どうしまっすか」ときいたときと、この場合だけですので、何だろうと思っていました。このことを言っているのだとおもいます。会社関係から流されたのでしょうか。
重ねて言います。私は「あんたは客ではないから、ガイドとしての仕事をしてくれんと困る」と言っただけです。

なお、私はガイドCが携帯をかけているのは見ていません。私が降りて来た時は彼は何もしていませんでした。Oさんからは彼が寝ていたと聞きました。彼女が電話をかけさせたということは、後で彼女と再び合流した時に聞きました。このあたりのことはこのサイトの中に記述してあります。だから中間報告書ともあろうものが、私が「それを見た」などと間違ったことをよく書くのだと思います。Oさんに聞いてもらってもいいです。ガイドCなら低体温症で記憶がないのでしょう。だから報告書の筆者が作文したのでしょうか。適当につなぎ合わせたのでしょうか。

私はガイドCに対しては何を言っても仕方がないと思っていました。高妻山で彼と一緒に登った時の経験がありますから。それにサブガイドの報酬が幾らか知りませんが安い額で、しかも夏休みの代わりだと思っていたら、厳しい責任に直面して悪夢だったと同情します。

ここで私がOさんに言われて竹内さんのサポートに加わり、のちに味田さんが転んでOさんがそちらに回り、私がひとりで竹内さんのサポートをすることになり、そこから離脱した過程までを書いておきます。これは初めて書きます。マスコミに聞かれたこともありますが十分整理していないので答えられませんでした。

私は5人の女性客の後につきました。私と5人の客はついにガイドから見放されたと思いました。BガイドはCガイドにまかせて視野からはずし、C ガイドは先を急いだので、結局生き残るには自分 で歩き続けるしかないことになりました 。皆生き残るためにひっしで歩きました。本当です。

竹内さんをサポートして歩くのはとにかく時間がかかります。しかもほかの女性客もほとんど同じペースですから、一人で歩いている人も倒れる寸前でした。生き残りた
いという気持ちだけです。

ビバークのことは考えました。しかしツェルトはないし(シュラフカバーを代用に持って行きました)、コンロはあるがボンベはヒサゴ沼に置いてきました。装備はないからできないと思いました。
知識もないし心構えもないし、どうしたらいいだろうと天を仰ぎました。ただ絶対死なないぞとなんども心の中で叫びました。生きて帰るんだと。

雪渓を竹内さんを座らせてつえで引っ張っておろしたところ、その間休んだ形になるのでふたたび動けないのです。そして次は岩場でした(P30の1850m地点でしょうか)。私は彼女を生きて連れて行くことは到底できないと思いました。これが「範囲を超えている」と言ったことです。それでOさんに抜けると言ったのです。私も残って生き残れるかどうかまでは考えませんでした。彼女の息がなくなるまで見守ると言うことはしませんでしたので、見殺しにしたという意見がありますが言い訳はしません。世間知らずだったのでしょう。

こういうことがあってからガイドCに会ったので、つい「仕事をしてくれないと困る」と言ったのです。ガイドCは後ろめたい気持ちがあったので怒鳴られたと思ったのでしょうが私としてはそんなことを言われても心外です。

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中間報告書(PNG形式のデータ 全75ページ)

中間報告書 ( 目次と1~75ページ  上と同じ内容ですがこちらでは各ページごとにPDF形式のデータを掲げます、44ページと47ページのみは、JPG形式のデータで掲載) 12月11日追記 44ページと47ページもPDFデータを揃えました。

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追補


44ページ 

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トムラウシ山遭難事故調査中間報告を読んで・・、戸田新介さんのご意見

戸田新介さんから送られてくるmailを順次掲載して行きます。記事の右はmail受信日時です。
前後の流れがわかりにくい場合にのみ、「」を入れてゆきます。

silvaplauna
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トムラウシ山遭難事故調査中間報告をよんで 2009.12.10

報告書の中心はマスコミにあるようにP39からの「遭難事故要因の抽出と考察」にあると思います。
指摘されていることは今まで私を含めた参加者が証言し、裏づけられてきたことばかりだと思います。報告書はそれをきめ細かい聞き取りによって確認したものと言えます。
アミューズの方は黙して語らずを続けてきたが、この調査で一部証言し、指摘されてきたことをガイドの側から裏づけた形になったのだと思います。
調査委員会は1月末に報告書を完成させると言うけれど、ガイドと会社に対してもっと強い聞き取りを求めたいものです。また皆が聞きたいことで明らかにされていないことが、まだ多くあると思いますのでそれらも明らかにされるべきです。

調査特別委員会の中間報告書を見て 2009.12.11

注 記者各位) ご活躍のことと思います。
中間報告を読み進めますと、次々と疑問や考えが出てきます。メモが整理されないままたくさんたまりました。これをまとめてSub Eightに少しづつ載せますので是非見てくださるようにお願 いします。
まだまだ未解明なことがあると思います。その中には私一人のまったくの少数意見と言うものもありますが、私は自分の目で見て、納得できるまで追求したいと思います。
よろしくお願いします。

ガイドの指示がなかった 2009.12.11

天沼の手前あたり(P29)から北沼分岐先の待機場所(P25)を出発するまで全く指示はなかった。とうぜん方針も示されなかった。いつ出発するかわからない状態で待つしかなかった。
私はガイドは思考停止していたと言っている。隊としての機能はなかった。
困難な条件でも指示は出せたのではないでしょうか。
先手先手に手を打つ必要が言われている。そのためには先を読まねばならない。彼らはそれをしなかったのだと思います。その能力がなかったのだと思います。

吉川ガイドがリーダーとされたことについて。 2009.12.11

吉川ガイドは中間報告書ではリーダーであるとされています。
いままでアミューズはだれがリーダーであるかについてなにも説明をしていませんでした。先のアミューズの「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と言う文書は「本年8月7日時点における弊社の認識内容」とされていますが、これには誰がリーダーかの記載はありません。
先ごろアミューズはガイド二人とともに遺族に謝罪に訪れたと聞きました。その時二人のガイドは吉川ガイドがリーダーだと一致して主張し、リーダーが決めたことに従うしかなかったと言っていたそうです。
これらは、8月7日時点から遺族を訪問するまでの間にガイドたちと会社で打ち合わせた結果なのではないでしょうか。
8月7日の文書では「多田が行程を説明し、」「同じくガイドの吉川より東大雪荘に郵送する荷物のご案内をする。」とあります。ここからは多田ガイドがメインガイドの仕事をし、吉川ガイドは添乗員的仕事をしているのではないでしょうか。
同文書で7月14日の夕食後「多田は携帯の天気サイトで上川地方の天気図を確認。」とあります。また7月15日の夕食後「翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想」とあります。これらの行為はサブガイドの行為を超えているのではないでしょうか。そして吉川ガイドの関与の記載がありませんが、重要ではなかったからではないでしょうか。
名義上のリーダーが誰なのかは知りませんが、登山で重要なのは実質的決定が誰によってなされたかだと思います。それによってリーダー性を判断するべきです。その意味で多田ガイドがリーダーだったのだと思います。吉川ガイドは迷った時の相談役だと思います。多田ガイドの経験不足を補う役を期待されてきたのではないでしょうか。
調査委員会はアミューズの自発的協力によって成り立っているわけで、アミューズがここまではと思って出した以上のことはなかなか難しいのだと思います。吉川ガイドがリーダーだと一致して主張しているものを調査委員会が疑わしいとして調査することは期待できないのではないのでしょうか。質問に工夫がいるのだと思います。報告書はそういうものとして読むべきだと思います。アミューズが譲歩して出した事実にもとづいた判断でしかないと。

「一部参加者の不満の爆発」と言う評価について 2009.12.11

中間報告書は私が「遭難だから救援を要請しなければならない」と叫んだことに対し、「一部参加者の不満の爆発」と言う評価を加えている(P40)。これは皆が不満をいだいていても我慢しているのに、私だけが「わめいて、」ガイドの行為を邪魔したと言う意見と同じものである。身勝手な客の行為と言うのでしょう。
私は警告のつもりで叫んだのです。ガイドたちのケアなるものは効果がなく、しかも紅茶を飲ませ、背中をさすり、顔を近づけて声をかけるという一連の動作をしたらもうすることはないとばかり、Cガイドはケアをやめていたのです。時間が過ぎるのを待っているだけでした。私はガイドの手に負えないのだと思いました。
そして彼女に起こったことは他の客にも起こるに違いないと思いました。これは一人では済まず、3~4人に及ぶんだと思いました。たいへんなことになるとおもい、ガイドたちは大したことはないと装っているのだと思いました。そこで叫んだのです。「火事だ」と叫んだのと同じことです。私の前の女性参加者はこちらを見て、救援を呼ぼうと言ったところでうなずいていたように思います。
中間報告書はこのばあいでも、何も叫ばず平静を装えと言うのでしょう。

トムラウシ山遭難事故調査特別委員会の中間報告書について 2009.12.13

中間報告書の中心はマスコミにあるようにP39からの「遭難事故の要因の抽出と考察」にあると思います。
指摘されていることは私を含めた参加者が証言し裏づけられてきたことばかりだと思います。報告書はきめ細かい聞き取りと、専門家による多面的な検証をへてそれを確認したのだと思います。これによって不確実な事実が確実的な事実として認められたことの意義は大きいと思います。
この事故はもともとが明々白々な、わかりやすい、争う余地のあまりない事故だったのです。私を含む参加者は明々白々なことを証言したに過ぎません。
特別委員会は専門家による一致した結論に達したのではないでしょうか。まだ中間報告の段階でそれも結論じみた表現は避けられていますが基本は変わらないと思います。専門家の間で議論がまとまらず両論併記と言う例がありますが、今回はそのようなことはないと思います。
会社とガイドは今まで黙して語らずを続けてきたが、この調査で一部証言をし、それによって指摘されてきたことがガイドの側から裏づけた形になったのだと思います。
調査委員会は1月末に報告書を完成させると言うことですが、会社とガイドに対しもっと強い聞き取りを求めたいものです。
会社とガイドにはこのさい自分たちが保有している不利な情報をすべて表に出し、まだ解明されていない事柄の解明に協力することを求めたい。

待機時間と待機中のガイドの行動について 2009.12.23


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戸田新介さんから久しぶりにmailをいただきましたので、戸田様のご希望に沿って、以下順に①~⑥まで、ここに掲載させていただきます。

① 「 誰がリーダーか? 」 2月16日付け mail

誰がツアーのリーダーかについて、私は多田ガイドしかないと思ってきました。その後遺族の人から聞いた話によると、誰がリーダーかは警察機関に届けることになっていて、吉川ガイドがリーダーとして届けてあると言います。警察に聞いたのだそうです。ガイド協会の調査特別委員会の中間報告書もこれを根拠にして、吉川ガイドを「リーダーA」と決めて記載しているのでしょう。

しかし多田ガイドがリーダーとしての重要部分のほとんどを行ってきたことは事実ですので、その点についての責任はあるというのが私の意見です。彼がどういうことをしてきたかについては私の先のメール「吉川ガイドがリーダーとされたことについて」で述べました。多田ガイドはサブリーダーと言った方がよいかもしれません。サブリーダーもリーダーとしての責任はあると思います。

多田ガイドは重要なことをすべてやってきた、吉川ガイドの方では多田ガイドにほとんどの決定を任せていた。しかし多田ガイドには自分がリーダーだという自覚がなかったかもしれない。吉川ガイドの方では自分が先頭に立って決めようとは思っていなかった。つまり二人の意識に食い違いがあったのだと思います。

エスケープルートの選択、ヒサゴ沼避難小屋への撤退、早い時間に救援を要請すること、出発するのか、ビバークするのか、このような重要事項について多田ガイドは自分はリーダーではないから、自分が切り出すのが義務であるとまでは考えなっかたのではないでしょうか。、他方で吉川ガイドは多田ガイドが言い出さないので大丈夫と思っていたのでしょう。私はこれが決定が回避された原因だと思います。

全国から集まったガイド達の間に綿密な打ち合わせはなかったのではないでしょうか。形式的に基準を満たした形にそろえた3人のガイド、しかもガイド間の連絡手段が歩くことしかないのだという。

トランシーバーについてガイド達は遺族に対する説明で、「トランシーバーは持って行ったが、雨だからザックの中にしまっていた。」と言っていたそうです。

休憩があればガイド間の連絡が取れるが、ヒサゴ沼分岐から北沼分岐までの間で取った休憩はわずかしかない。そのうち天沼までの2回の5分の休憩だけがガイド間で連絡が取れただろう休憩だと思われる。しかも吉川ガイドは遅れてくる人についているので、5分の休憩では話し合う暇はなかったのだと思う。3回目は大粒の雨が降ってきたので2分で切りあげた。ロックガーデンの前で多田ガイドは10分の休憩を指示したという。多田ガイドはこの時に吉川ガイドと撤退を含め相談するつもりだったかもしれない。しかしOさんが寒いから出発しようと言ったので切りあげたという。吉川ガイド達は大分遅れていたはずで10分待っただけでは休憩地にやっては来られなかったのではないでしょうか。結局ガイド間で相談することもないまま、北沼分岐まで来てしまったようです。

こういう場合は先頭の多田ガイドが自分の一存で決定するほかないのだと思う。しかし多田ガイドは自分がリーダーでないからとして、一存で決定することをしなかったのだと思う。

先頭には決定の権限と義務を持つリーダーが配置されるべきでしょう。そうでないなら少なくともガイド間の連絡を絶えずとれるようにしておくべきだと思う。あるいは連絡が取れないときはサブリダーが一存で決定するように徹底すべきです。そうしなかったことが今回のトムラウシ遭難事故の原因だと思います。これはもちろん私の個人的な意見です。

多田ガイドは自分をリーダーとしては、あるいはガイドとしては見習いと思っていたのかもしれない。彼は一人奮闘したのは事実です。登山中彼だけが動いているように見えた。多田ガイドが会社からは見習いとして扱われ、自分自身も見習いのつもりであったのであれば気の毒な面があると思う。彼はとにかくビバーク組として残り、逃げを打つことはしてはいなかった。

吉川ガイドについては後続者をとにかく北沼分岐まで連れてくることに全力を挙げたのだと思う。大変な様子が証言として出てきている。吉川ガイドは全員を下山させるのが仕事と言っていたそうだが、北沼分岐までしか履行できなかったということでしょう。彼は力尽きたのだろう。スタミナを使い果たしたのに長時間の待機をしたため、低体温症になったということではないでしょうか。休めば回復すると思って休んだ結果ではないでしょうか。彼は安請け合いをしたのだと思う。何も予備知識のないトムラウシのしかもリーダーという大役を引き受けてしまったのだと思う。サポートに徹したけれど判断をする人がいなくては追いつかなかったのでしょう。

中間報告書では彼について「リーダーが後方に残るということは、登山の常識ではちょっと考えられないことである。リーダーはあくまでも本隊と行動を共にすべきではなかったか。」(P40)といっている。しかし彼のやってきたことは初めから遅延者のサポートに徹してきて、リーダーらしいことはしてこなかったので、後方に残ったのも不思議ではないと思う。会社からは後方のサポートをやってくれればいいと言われてきたのではないか。会社はリーダーというものを形式的なものと考えていたのでしょう。そしていままでそれで通ってきたのでしょう。

Mガイドについてはこれまで言ってきましたので、今まで述べなかったことを書きます。中間報告書に「女性客Jの付き添いにリーダーAとガイドC(Mガイド)を残して、本体は・・・移動を開始する。ところが、雪渓の上まで出た段階でガイドB(多田ガイド)が振り返ると、ガイドCが追いついて通常の列の中ほどに戻っていた。しかも・・・2人足りない。」「北沼分岐に・・・まだ残っていた。」とある。(P11)Mガイドは2人も吉川ガイドにまかせたつもりかもしれない。「吉川ガイドはどこかうつろだった」という。(Mガイドの証言P11)

山渓2月号ではトムラウシ分岐の下で「オーイ」と答えたのは亀田さんだという。Mガイドは亀田さんたちが「ついてきていることを認めたら、待たずに先に行ってしまった。」のだそうです。亀田さんはそこで10分か15分待って後続を確認して「オーイ」と叫んで知らせて降りて行ったのだそうです。(P175)

今までトムラウシ分岐での彼の行動について書かれた二つの文書は何だったんでしょう。8月7日時点における弊社の認識内容と中間報告書です。弊社の認識内容についてはすでに書きました。中間報告書ではトムラウシ分岐で、「彼が立ち止まって振り返ったところ、列がバラけて、彼が見る限りでは8人しか来ていなかった。」とある。(P14)見えない物をどうして見えたのでしょう。私は8人に入りますが亀田さんの「オーイ」という声しか聞いていません。まして10分か15分も前に下って行った人の姿は見ていません。

彼についてはアルバイトのつもり、ポーターの意識だったんでしょう。心構えがなかったのです。個人的には同情します。

このパーティはパーティの体をなしていないと言われているそうです。私もそう思います。会社がどのようにガイドを配置したのか、幹部社員がどのように監督してきたのかが問われると思います。

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このmail のPNGデータ とPDFファイル

誰がリーダーか?2月16日mail PDF

 ※ PNGデータはクリックで拡大します。

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※ 補足資料①  吉川ガイドがリーダーとされたことについて。 2009.12.11 mail

トムラウシ山遭難事故調査中間報告を読んで・・、戸田新介さんのご意見
所収 以下引用します。

吉川ガイドは中間報告書ではリーダーであるとされています。

いままでアミューズはだれがリーダーであるかについてなにも説明をしていませんでした。先のアミューズの「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と言う文書は「本年8月7日時点における弊社の認識内容」とされていますが、これには誰がリーダーかの記載はありません。

先ごろアミューズはガイド二人とともに遺族に謝罪に訪れたと聞きました。その時二人のガイドは吉川ガイドがリーダーだと一致して主張し、リーダーが決めたことに従うしかなかったと言っていたそうです。

これらは、8月7日時点から遺族を訪問するまでの間にガイドたちと会社で打ち合わせた結果なのではないでしょうか。

8月7日の文書では「多田が行程を説明し、」「同じくガイドの吉川より東大雪荘に郵送する荷物のご案内をする。」とあります。ここからは多田ガイドがメインガイドの仕事をし、吉川ガイドは添乗員的仕事をしているのではないでしょうか。

同文書で7月14日の夕食後「多田は携帯の天気サイトで上川地方の天気図を確認。」とあります。また7月15日の夕食後「翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想」とあります。これらの行為はサブガイドの行為を超えているのではないでしょうか。そして吉川ガイドの関与の記載がありませんが、重要ではなかったからではないでしょうか。

名義上のリーダーが誰なのかは知りませんが、登山で重要なのは実質的決定が誰によってなされたかだと思います。それによってリーダー性を判断するべきです。その意味で多田ガイドがリーダーだったのだと思います。吉川ガイドは迷った時の相談役だと思います。多田ガイドの経験不足を補う役を期待されてきたのではないでしょうか。

調査委員会はアミューズの自発的協力によって成り立っているわけで、アミューズがここまではと思って出した以上のことはなかなか難しいのだと思います。吉川ガイドがリーダーだと一致して主張しているものを調査委員会が疑わしいとして調査することは期待できないのではないのでしょうか。質問に工夫がいるのだと思います。報告書はそういうものとして読むべきだと思います。アミューズが譲歩して出した事実にもとづいた判断でしかないと。

※ 補足資料② 中間報告書関連

中間報告書40ページ

中間報告書11ページ

中間報告書14ページ

※ 補足資料③ アミューズ・トラベルの見解 ~ 8月7日時点における弊社の認識内容 

以下に掲げています各データにつきましては、「北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答」 にて掲載してあります。

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上の文書のPDFファイルは以下となります。

文書1
文書2
文書3

上記アミューズ社の見解に対する戸田様のご意見は以下となります。

「トムラウシ山の遭難事故の経過について」に対するコメント」(PDF版)

上記 PDFファイルの内容を以下に掲載します。

「トムラウシ山の遭難事故の経過について」にたいするコメント

この文書では2人のガイドの言っていることだけが実質上問題であるが、斐品氏の言が客観性を装うために利用されている。斐品氏の言がなければ2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう。だから修飾物ははずしてかんがえればよいと思います。幸い斐品氏の言はガイドたちの言とは関係のないところを述べているだけで、斐品氏の言を外しても差しさわりがないようです。

本当は少なくとも生還者全員の証言を集めて、あるいは突き合わせてこうした文書を作るべきだと思います。最初が肝心なのです。しかし会社はそんなことには関心を持っていないようです。残念なことです。

16日の出発にあたっての経緯について全く触れられていないのは妙であります。だれが最終的に決行を決めたのか。その理由は。お客が辞めたいと申し出たといわれていることについて何も触れられていないのはどうしてか。だれが申し出たのか。死人に口無しとして黙らせるのか。ガイドに聞きたいのであるが、全然触れられていないのはどういうことか。自分は川角さんではないかと思っています。ガイドは彼女の希望を一蹴してむりに歩かせたのでないか。もちろん無事下山できると思っていたでしょうが。彼女は14日の旭岳から白雲岳へ行く途中からおかしかった。道端で「ゲー、ゲー」とやっていた。翌日もやっていた。食事も十分とれなかったと言います。山に来て体調が悪くなったらどうするんですか、縦走登山の場合はどうするんですか。強引に連れていったのではないですか。それでも自己責任というのですか。

次にこの文書で一番の焦点、争点となるものは「30分」という時間だと思います。「渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分行動を停滞させた。」とあります。膝下の深さに増水して立ち往生している客たち(3人)をガイドたちがなだめすかして渡すのだ。しかも松本ガイドが転んで水につかったというのだ。それだけで優に30分は費やされるだろう。30cm余の深さを渡すには場所も探さなくてはならないし、客は躊躇して容易に渡ろうとしないだろうし、ガイドが転んだのであれば1時間以上掛ったのではと思われる。水掛け論に持ち込みたいのでしょう。

川角さんが連れてこられたのは、最初は吉川ガイドのところである。吉川さんがテルモス(魔法瓶)の湯をあたえていた。そこに20分ほどいて、松本ガイドのところに移された。松本ガイドがマッサージとテルモスの湯(紅茶だという)を与え、肩を抱いて大きな声を出してゆすっていたのを自分は見ている。自分は彼らの2mほど前にいて、一部始終を見ていたのであります。自分はこの間の時間について川角さんが北沼分岐に来た時から40分と書いています。⑭のところです。

自分は停滞の時間を2時間と見ています。会社は30分としたいのだと思います。この時間が自分は低体温症に次々とかかった原因だと思っています。会社はそれを避けたいのでしょう。今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない。そして少しでも調子が悪かった人から低体温症にかかったと思います。7人は死ななくてよかったのにと思います。ガイドはケアなるものに熱中していたのです。ガイドは全体の安全を考えるという1番重要な任務を忘れていたのだと思います。自分は初めからこのことは言っています。待機すれば彼女が回復するとおもったのでしょうか。出発から何度も繰り返して、ついに彼女が眠り込みそうになりあわてたのでしょう。自分は何が起こっているのかはよく分からなかったが、自分が叫ばなければ彼女が冷たくなるまで停滞したかもしれません。見殺しにすることは忍びないとガイドは言っていたと社長は言う。この場合についてなのかはわからないが、ことは同じだと思います。これが言い訳になると思っているのでしよう。ガイドの任務はそんなところにはないと思います。冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべきです。しかしかれらはこの点で何もしなかったと言えると思います。故障者のケアなるものに取り紛れて全体の安全をまったく考えなかったと思います。頭を使えと言っているのです。

時間について自分の考えを述べておきます。批判をお願いします。また違ったことを言っていたら訂正します。稜線に出たのが6時10分。小川を渡って北沼分岐で停滞が始まるのが10時。12時に多田ガイドが歩ける人は歩くという。しかし新しい故障者が出て12時30分の出発となり松本ガイドが率いる。4時前、彼はコマドリ沢出会いの上200mぐらいのところ(雪渓の下100m)につく。前田さんが110番する。

低体温症の認識がガイドにあったか、皆がガイドに聞きたいのに会社は明らかにしようとしていません。これがもう一つの争点です。組織としてのアミューズに低体温症の認識はあったのか社長に聞いても何も言いませんでした。会社の出したパンフレットからは低体温症のことはうかがえません。都合が悪いというのでしょうか。

多田ガイドは救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。さらりと書いてあるが、これはなんなんだ。かれは携帯電波が南沼キャンプ地方面で通るということを知っていたということなのか。すくなくとも探しに行くということは通じるかもしれないと思っていたということは言えるだろう。そうするとなぜ彼はもっと早く救援要請をしなかったのかが問題となる。このようにこの文書では皆が聞きたがっていることが全く触れられていないのであります。多田ガイドは何を考えていたのだろうと皆が聞きたがっているのに。次々と動けなくなる人が出てきたのに、救援依頼をまっ先にしなければと思うのに。12時~1時に連絡を入れていればと思うのに。何を考えていたのかと。

松本ガイドの言い分なるものについて。彼は「ゆっくりしたペースでトムラウシ分岐に」という。しかしかれは女客が通常の歩行能力を失っていることを知らないのだ。ペースに付いていけないのは当然であろう。トムラウシ分岐で点呼したというが、これはウソである。彼は分岐にいなかった、分岐から20m以上下に降りた、姿の見えないところから「オーイ、オーイ」と叫んでいた。自分が「オーイ」と答えてやると気配が消えた。下って行ったのである。点呼したというのはあり得ません。「8人しかいなかった」というのもウソです。かれは客の2人がいなくなったことをどうして知ったのか。先頭にいて分かるはずがありません。自分は彼と2人の客の先頭グループにいましたが後続が遅れるので後詰めに回ろうと後ろに下がったのです。それで2人がいないことに気が付き彼に知らせようとしたらかれは声だけ残して下って行ったのです。8人の客に「道標にむかって下山してください」と伝えたというのも妙な言い方です。全員に伝えたというのか、自分は聞いていない。きちんと点呼を取っていてそこにそろっている人には、次にどちらへ行くかはいちいち声を出さなくてもわかるでしょう。ついていけばよいのだから。だから作文だというのです。

彼は常に先頭にいて後ろの客のことは念頭になかったのであります。後続の女客5人の歩きはぎこちなく足に力が入らなくてよちよちと歩く状態です。彼はそんなことは知ろうとしないのです。一方で極限状態であったと予防線を張っている。言い訳にしている。彼はまだこのあたりでは余力を残していたと思われ、だから先頭に立って下山したのでしょう。だからこれはマズイ予防線であるとおもいます。自分がサバイバルのみで動いたことの告白にもなっています。だれが作文を書いたか、ほかにいるのでしょう。

会社は当分2人を手元に置いておかなければならないと考えているでしょう。皮肉なものです。

4時前に前田さんが110番したこと、ガイドが110番してくれと頼んだことは前田さんの証言ではっきりしている。そのあとはよく覚えていないというのはこれも嘘であります。ただここではこれまでとしておきます。

多田ガイドが松本ガイドに救援要請の指示を出したのかどうか。多田ガイドはこれについて何も言ってないから指示はないとみるべきでしょうか、。社長はこの辺のことを言うが思惑によるとして聞いておくのがよいでしょう。松本ガイドに頼んだ救援依頼のかくにんのためにも電波を探したと多田はいってると社長は言いました。多田ガイドは探せば携帯が通じると知っていたようだから松本に頼む必要はないとかんがえるべきだとおもいます。松本ガイドは自分の考えで110番したいと思ったのでしょう。

吉川ガイドについて。警察は彼も水につかったという。アミューズ社長は松本ガイドだけという。いずれ明らかになるでしょう。彼はなぜ死んだのか不思議である。このこともこの文書は何も触れられていない。聞くところによると、彼は自分の服を客に与えたといいます。自分の意見はこういうことはしてはならない、ガイドは客の安全のために自分の命はおろそかにしてはならないとおもいます。生き残ってこそのガイドだと思います。彼が死んだことは大量死の大きな要因になったでしょう。今回は両極端の形にガイドの生と死があらわれたことになります。  以上

② ガイド達のしていたケア(介抱)の実態について (2月17日付け mail)

Mガイドは私の前に座り込んでいた。川角さんが連れてこられて、Mガイドが彼女のケアをまかされた。まず湯(紅茶)を飲ませ、次に背中を力を込めて4~5回さすった。そしたら川角さんが眠り込んだのか、Mガイドは彼女の前に回り込んで、顔を近づけ叱っているようだった。そして彼女をゆすり、起こそうとしたりして、2~3回大声で呼びかけた。

私の意見ではこれはさすったからではないかと思う。出発するときに動けない人が出たり、意識がもうろうとしたと言う人がいたのと同じではないか。

Mガイドが吉川ガイドの勧めで、吉川ガイドに川角さんをまかせてTガイドの後を追うとき、吉川ガイドは川角さんをツェルトに包んでさすっていたという。(中間報告書P11)

Tガイドはツェルトの中に動けない3人を入れて体をさすり保温に努めたという。(8/7時点における弊社の認識内容)

このようにテントとコンロの準備ができるまでのケアの中心は体をさすることだったようである。

低体温症について、中等度(33℃~30℃)以上は体をさすってはいけないとされている。表面の冷たい血液が流れ込んで中心温度が下がるからというのである。軽度(35℃~33℃)ではどんな加温をしてもよいとされている。(低体温症についてyoshi515)

さする行為は加温になるのだろうか。これについては触れられていない。私は素朴な考えで疑問を持っている。どうして加温になるのだろう。中心部の体温で手足の温度を上げるには有効だと思うが、これでは中心温度は下がるから、低体温症を進行させてしまうだけである。軽度でも同じだと思う。筋肉を強制的に動かして発熱させることはあるがそうではないだろう。

それに軽度か中等度かの判断は難しい.。

だからさすることはやめた方がよいと思う。真逆なことを必死にやっているのではないか。時間を浪費して。

ケアとして何にも手がない時に何かをしなければならないと思って、さすってしまうのではないか。

ガイド達の必死の行為、命がけの行為にケチをつけるようだが、ここはこれからの教訓のためであるからはっきりさせるべきだと思う。

私の言っていることは間違っているのかなあとも思う。ネットを見ても誰も問題にしていない。中間報告書もガイド達のケアの実態について検討や評価をしないで、ガイド達の行為をそのまま書いている。

どう思いますか?素人の意見として検討してくだされば幸いです。

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PDF  ケアの実態について(2月17日付け mail)


PNGデータ(クリックで拡大します)

低体温症について http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html


8月7日 弊社の認識内容(クリックで拡大)

③ 中間報告書ついて (2月18日付けmail)

中間報告書に対する一つの疑問点

素人の私が専門家に対して何も言いたくはないのですが、どうしても納得できない点があるので述べておきます。

中間報告書はパーティを分断したことを問題にしている。要点は①分散させる危険を認識していたか ②全員でビバークする可能性はあったのではないか ③下山に堪えない人は下山させるべきでなかった というものです。(P40~41)

一般論としてはその通りだと思います。しかしそれはビバーク装備をきちんと備えた通常のパーティに言えることだと思います。ツァーであること、特にビバーク装備を備えていないことを考えれば一般論は成り立たないと思います。

ビバーク装備がないのだから、全員がビバークするという選択は取れなかったのだと思います。Tガイドは頭からそんなことは考えなかったのだと思います。ビバーク装備がないけれど全員でビバークすべきだったというのでしょうか。この場合は救援要請を真っ先に考えなければならない。ビバークする前に救援されるのが一番良いが、最悪の場合はビバークを覚悟するというものだと思います。しかしTガイドはビバーク前に救援されるとは考えなかったようです。そうするとビバーク装備なしで全員がビバークして翌日まで何人生き残れるかということになる。ツァーではそんなことは考えられないと思う。これはパーティの論理だと思う。パーティでは登山に当たって参加者を選ぶのでしょう。ツァーではほかの客に誰を仲間にするかの選択権はないのみならず情報がない。

全員で下山をするというものが考えられる。静岡隊がしたようにするというものでしょう。これは北沼分岐で全員が着いてすぐに実行していればあるいは可能だったかもしれない。そしてTガイドも休めば回復すると思って、そのうえで全員で下山することを考えたのだと思います。ついに川角さんを連れてはいけないとして、川角さんを吉川ガイドが引き受けて残りを下山させようとした。しかしさらに3人の動けない人が出て、TガイドがNさんの協力を得てビバークすることにした。このあたりは流れで決定したのだと思います。つまり全員を連れてはいけないと判断したのでしょう。残った選択肢として分散が起きたわけで、分散の危険は考慮する余地はなかったのだと思います。

下山に堪えない人は下山してはならないという。少しぐらい動けるだけではビバーク装備がないビバークをするべきだったということでしょうか。この場合は下山に耐えるかどうかではなく動ける人は出発し、動けないひとは出発したくても出発できないということになったのです。だからむやみに動いてはいけなかったという議論にはならないと思う。そういう人にとってはどちらも厳しい事態が予定されていたのだと思う。

結局中間報告書は全員は装備がなくてもビバークするべきだったと言いたいのではないでしょうか。
出発してから分かったことを根拠にした立論が通るなら何でも言えると思う。

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PDF 中間報告書について 2月18日 mail


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④ 自衛隊出動要請の時刻の謎 (2月18日付け mail)

道知事の自衛隊への出動要請が深夜になされたと聞いて、私は最初の自力下山者、Kさん(男)とMさん(女64歳)から事情を聴いて、知事の名で自衛隊に要請がなされたのだと思いました。

しかしその後時刻を調べてみると、時刻が逆になっていることに気付きました。それで私の推測は成り立たないのかなあと思いました。二人の下山時刻が23:50で、知事が要請した時刻が23:45となっています。

それにしても5分間という時刻の接近は不自然だと思います。私はこう考えます。

二人が下山したのは実際はトムラウシ温泉口で、途中林道と交差する所で警察の車に拾われたと言います。テレビ局のスタッフがその場に遭遇していて、私はその関係で知りました。二人は現地対策本部のある短縮登山口に連れられて行ったと言います。そして二人の下山時刻は短縮登山口に着いた時刻が記録されたのだと思います。下山場所は短縮登山口だと発表されています。

一方二人が警察車両に拾われれば、直ちに現地本部に電話連絡がされるはずです。道にもその情報は届き、道知事の名で自衛隊に出動要請をすることになったのだと思います。だから時刻が逆になったのだと思います。これが私の推測です。

それにしても、警察はややこしいことをするのだと思います。私が下山したところも短縮登山口だと公表されてしまいました。実際には自力下山者5人は全員が温泉口に降りてきました。短縮登山口に警察が来ていることは誰も知らなかったので、林道歩きを考えれば温泉コースの方が早くつくと思ったからです。公式の記録は治ったのでしょうか。追及されないとそのままにされてしまうのでしょうか。

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PDF 自衛隊出動要請の時刻 2月18日


PNGデータ クリックで拡大します。

⑤ 中間報告書に対する疑問点2 (2月21日付け mail)

中間報告書は参加者に対して自己責任の点で不十分な点が多々あるとして、厳しい指摘をしている。(P43~44)しかしツァー山行もガイド山行の一つであって、パーティーの論理は適用できないと思う。わざわざ高いお金を出して、コースと安全の情報をガイドによって賄おうというのだから、このような厳しい指摘を受けるならツァーはいかないのだと思う。自分で行けばいいし、それがだめなら辞めればいい。ツァー参加者の誰に聞いてみても同じことを言うと思う。ツァー登山というものを禁止しない限り実現が不可能なことを言っていると思う。

もちろん登山は危険なもので、究極的には自分の命は自分で守るしかないし、ガイドの責任を言っても、命が帰ってくるわけではない。そういう意味で会社の選択を含めて(どういう会社を選ぶかは自己責任だという意味で)自らに降りかかってきますよ、コースの情報を知っておくべきだとか、低体温症について知っておくべきだというのは分かるのだが、それは心構えの問題だと思う。命を守るのは最終的には自分ですよという形容詞をつけて語られるべきものだと思う。

ツアー山行を語るならツアー山行に参加してからにしてもらいたい。ガイド協会にはツアーをこなすたくさんの現役のガイドがいるのだから、その人たちの話を聞くべきだと思う。中間報告書のようなことを言って実現ができるのかと思う。尖鋭的なクライマーの考えや山岳会レベルの伝統的な登山者の考えでなく、大衆登山という考えに立って述べてほしい。この流れを受け入れるしかないのだと思う。ツァー山行の会社はこの流れから利益を受けているのだから、この流れに即して解決方法を検討していただきたい。この調査はその意味で大衆的登山の時代にふさわしい調査の体制を敷いているのか疑わしい。もっとほかの人がやるべきでないかと思う。専門の登山者ばかりではと思う。ツアーの実情を分かっていないのだと思う。

現在地の確認がされていないし、時間管理が不十分であるし、認識不足があるという。しかしツァー参加者は現在地の確認、時間管理等は普通はしていないと思う。ツァー慣れというのだろうが今回の事故のようにガイドの機能がなされなくなった場合でも、自分で帰ってこれればいいわけで、帰ってこれなければ覚悟の上である。確率の問題でやらなくてもいいと考え、万が一の事態になってもそれが致命傷になるのではなければいいと思う。外国へ行くのではないのだから。

「自立できていない」と言うならツアーの参加基準を厳しくするなり、ときには審査を厳しくすればいいのだと思う。

「最終的には自己責任が基本となる」という意味は、自分の命は究極的には自分でつけを払うものですよという心構えの問題で、参加者はそれは覚悟してきていると思う。

ツァーは通常のパーティーではないのだから、パーティの論理は成り立たない。参加者には他の参加者に対する救助の用意はない。それはガイドがなすものとして成り立っている。中間報告書のように「いったん行動を開始したらパーティである、との強い認識を持ちたいものである。」とある。持ちたいものであるかどうかではないでしょう。持つべきかどうかでしょう。しかし持つべきだとはいえないのだからこういういい方をしたのだと思う。ツァーでは参加者同士は一緒に行動するという程度の認識で成り立っているのだと思う。見もしない人が突然集合するのだから、いろいろな人がいるわけで会話をするかどうかはその人の自由だと思う。初めてあった人とつながりを持つかどうかは自由だと思う。つながりを持てと強制するわけにはいかないと思う。パーティーと異なり参加者相互に情報の共有はない。何をしていいかわからない。それがだめだと言ってもそれが現実である。積極的に情報の共有をせよと言っても参加者だけで15人というのは情報を共有範囲を超えている。危難に遭遇した時は、ガイドができないときは、他の参加者はボランテァとして救助に参加するだけ≪である。≫

「ピークコレクション」という。そういう人がいることを否定しない。(私は違います。)しかしそれも文化であり、とやかく言うことではないと思う。「スキルアップ」という。参加者はそういう認識はないと思う。アスリートの認識はない。日常の楽しみの一つとして行くだけである。思い出作りとしてと言っていいかもしれない。

参加者は危難が予測されるときは、自分の能力に照らし合わせて撤退を含めて判断をして、能力を超える疑いがあると思った時は撤退して危難を避けるのである。これが自己責任の取り方なのである。ところが今回は自己責任を超えるところに追いやられたのだと思う。だから自己責任のことを言われるいわれはないと思う。あとは登山では危険がつきものだから、最悪の時は覚悟すべきであるという自己責任が残るだけで、それは覚悟してきているのである。

P42~P43の記述は不可能なこと、実情に合わないこと、認識が大きくずれていることを言っていると思う。こんなことを言って今回の遭難事故の本質をあいまいにしないでいただきたい。参加者にも問題があると言いたいのだと思うが、私の考えではそこまで言うのかなあと思う。遭難事故の原因に因果関係がないことをいろいろ言って、あいまいにしないでほしい。人間だから完全ではないし、理想的な参加者のレベルからはもちろん外れているのは事実ですが、それが今回の事故の原因ではないだろう。「らくらくプラン」を選ぶべきだったのに選ばないことが、原因の一つと言っているようにも取れる。

⑥ 手ぐすね引いて (2010年2月22日付け mail)

私は義務はないけれど、私の行動記録をミスを含めて細大漏らさず表に出してきた。これからもこの姿勢を守るつもりでいる。本当は自分のミスは話さない方が利口だと思う。原因が参加者にあると言いたくて手ぐすね引いて待っている人々がいるし、そこまでいかなくても参加者の自己責任を強調したくて仕方がない人がいるからである。中間報告書の立場はどちらかというと後者の立場に近いと思う。たとえば参加者の証言を求めておきながら、「・・・(実際は前トム平には立派な道標あり)・・・」(P15)等と注釈を入れるのだ。北海道の道標は本州の道標と比べて目立たないのである。お世辞にも立派ななどとは言えないと思う。

語れば語るほどミスの部分も出てくるし、あげつらう材料が増えると思う。何も語らない人が一番怪我が少ないということになる。言葉は「風に乗って・・・」と忠告されたことがある。

参加者のミスなるものは、これまで明らかになってきたことからは遭難事故の原因ではないということである。これをあいまいにしてはならないのだと思う。事故の原因は会社とガイドがわが果たすべき安全配慮義務を尽くさなかったことにあるのだと思う。参加者のミスが事故の原因だと言うならそれをはっきり言うべきである。

自己の原因となっていない参加者のミスを論じるときには慎重に扱うべきだと思う。人間は完ぺきでないし、理想的な参加者はいないと思う。ミスがあっても事故の原因とならなければそれでいいわけであろうし、人間の行いとはそういうものだと思う。事故がなければ問題とされないことだったのだということを考えてほしい。

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トムラウシ山遭難事故調査特別委員会 「中間報告書」の資料(ひとつのPDFファイルにまとめ上げたデータ、戸田新介さんのご意見、その他)

中間報告書の使命は終わりつつあるようですが、ここに三つの資料(PDF)を掲示しておきます。

トムラウシ山遭難事故調査特別委員会 中間報告書 その他資料 ver.2010.02.23
ファイルサイズ 50.9MB  全97ページ
下の二つのデータを併せた資料です。最終作成日は、2月23日正午現在となります。

トムラウシ山遭難事故調査特別委員会 中間報告書 
ファイルサイズ 47.3MB 全76ページ
トムラウシ山遭難事故調査特別委員会の中間報告書です(目次と報告書75ページ)。

資料 8月7日弊社の認識内容、中間報告書を読んで 戸田新介
ファイルサイズ 3.60MB 全21ページ
8月7日弊社の認識内容、及び、中間報告書が出てから、こちらにいただいた戸田様のご意見(①~⑥)をまとめたものです。

⑦⑧⑨⑩ PDFデータ
・・注 ①~⑥は、上のファイルに含まれています。
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トムラウシ山遭難事故調査報告書(最終報告書 PDF)

戸田新介様のご好意により、トムラウシ山遭難事故調査特別委員会が先日(2010年2月24日)発表したトムラウシ山遭難事故調査報告書(いわゆる最終報告書)をご送付いただきました。

以下に、いくつかのPDFデータで掲示します。 興味ある方は、ご自由にダウンロードなさってください。

刑事裁判の場では、ここでは触れられてはいない事実が明らかとなり、またさほど重く扱われていない事実が重要視されることになることも十分に考えられます。

そういう意味で、慎重に理解するには、資料批判も不可欠であり、厳密には、日本山岳ガイド協会がまとめた、ひとつの見解であり、ひとつの立場にすぎないものとして批判的にお読みになるのがよろしいでしょう。

とはいうものの、安全な登山のためのひとつの貴重な資料として十分に価値があるものと考えます。

この事故を解明するひとつの手がかりとして、いろいろお役立ていただければ、戸田新介様はじめこの事故にかかわりを持ったすべての方々のご意思にかなうものと考えます。

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ひとつのPDFファイルにまとめたデータ(以下の三つのファイルは同じものです)  データサイズ 70.0MB

トムラウシ山遭難事故調査報告書 1頁~92頁(全頁)

トムラウシ山遭難事故調査報告書 1頁~92頁(全頁)

トムラウシ山遭難事故調査報告書 1頁~92頁(全頁)

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個別ページごとのデータ

トムラウシ山遭難事故調査報告書 1頁~8頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 9頁~15頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 16頁~22頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 23頁~26頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 27頁~34頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 35頁~43頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 44頁~55頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 56頁~68頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 69頁~79頁

トムラウシ山遭難事故調査報告書 80頁~92頁(END)

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最終報告書(JPEG)

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日本山岳サーチアンドレスキュー研究機構 2月27日神戸でのシンポジウムの資料(PDF)

※ 戸田新介様より先日(2月27日)神戸で開催されたシンポジウムの資料をご送付いただきまして、それをPDFとしてここで公開してもよろしいでしょうかと日本山岳サーチアンドレスキュー機構の会長、青山千彰様にお伺いしたところ、青山様のご好意により、先ほど開催されました神戸でのシンポジウムの資料(PDF)を、ご送付いただけましたので参考資料としてここに追補し、公開させていただきます(3月4日追記)。

トムラウシシンポジウム資料PDF 5125KB


ご注意 このパンフレットは筆者により原稿の幅が異なり、一律に同じ用紙サイズで印刷にかけようとすると、記事によっては欠ける部分が出てきます。プリントアウトの為には、以下の印刷用のデータをご利用ください。

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日本山岳協会、日本勤労者山岳連盟、及び 日本山岳サーチアンドレスキュー研究機構 共催のシンポジウムで配られたパンフレットのPDFデータには、論者によってA4サイズで「縦」に書かれた記事と、「横」に書かれた記事が混在しております。ここでは、印刷の便を考えて、縦書き記事のための縦印刷用のPDFデータと横書き記事のための横印刷用のPDFデータに分けました。

縦印刷用のPDFデータは縦に印刷するように設定し、横印刷用のPDFデータでは横に印刷されてください。
しかるのち、目次にあわせて並べれば、会場で配られたパンフレットと同内容の冊子が出来上がるはずです。
カラー印刷も出来ます。(ちなみに会場で配られた冊子はモノクロ)

尚、23ページの岩城記者の記事は、パンフレットのPDFデータでは、23ページの一ページ記事ですが、とても膨大な内容ですので、ここでは、九つのページに分割して横印刷用のデータに含ませました。(一ページに無理やり収めると、読み取りに目が疲れます・・苦笑)

このため、パンフレットのPDFデータでは、全94ページですが、印刷にかけますと、全102ページとなります。

また、この23ページの岩城記者の記事は大変に使い勝手がよいので、その部分のみ取り出してひとつのPDFデータとしました(以下の「おまけ」部分参照)。

シンポジウム A4 縦 印刷用 PDFデータ 全53ページ 9.41MB

シンポジウム A4 横 印刷用 PDFデータ 全49ページ 30.1MB 旧データ

以上をあわせると、全102ページの冊子が出来上がります。

おまけ、

シンポジウム A4 横 印刷用 PDFデータ 報道側から見たトムラウシ山岳遭難事故の外観と推移(岩城史枝記者) 19.7MB 旧データ

追補

岩城記者のPDFデータをプリントアウトする際に、プリンターの設定次第では、画面右端が欠けることがわかったので、改良版を作ってみました。(プリンターの設定次第で解決できる問題ですので、わざわざ作る必要も無いのですが・・。)

シンポジウム A4 横 印刷用 PDFデータ 報道側から見たトムラウシ山岳遭難事故の外観と推移(岩城史枝記者) 19.7MB 改良版

同じく、横印刷用のPDFデータのほうも差し替えておきました。

シンポジウム A4 横 印刷用 PDFデータ 全49ページ 30.1MB 改良版

縦印刷用のPDFデータに変更はありません。


※ いずれのデータも落丁、乱丁がないように何度もチェックしましたが、もし落丁ないし乱丁がございましたら、お知らせくださるようお願い申し上げます。

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戸田新介様から寄せられたmail記事

⑦⑧⑨⑩ PDFデータ

⑦ トムラウシ遭難事故の謎2 (2月28日付け mail)

こんにちは お世話になります。

トムラウシの遭難事故で亡くなられた方の下着が皆ずぶ濡れであった点が謎であると言われています。担当した救急隊員、医師、看護師の方が一致して、亡くなられた参加者の下着は皆ずぶ濡れであったと証言しているが、どうしてかが分からないというのである。

ゴアの内側の水蒸気が冷たい風に冷やされて内側で露となったので、下着がずぶ濡れになったのではないかと言われている。原理はその通りだと思う。問題はいつからずぶ濡れであったかである。これについて出発の初めからずぶ濡れであったという考えがある。

私の考えでは出発の時からずぶ濡れというのは違うと思う。着干しの効果もそれなりに出ていたはずであるからである。

これは亡くなってから、あるいは体温が低くなってから生じる現象だと思う。体温が低くても外気温と温度差があれば水蒸気は出るはずである。しかし温度が低いと水蒸気の粒はひっつきやすく霧となり、ゴアの穴を通らずゴアの内側に露となって、下着をずぶ濡れにするというのではないでしょうか。海霧、川霧で有名なところがあるが、その原理は水温が低くくても上空により冷たい空気が入ると霧ができるというものです。水蒸気が出るが温度が低いため互いにひっついて霧になるのです。ゴアは互いにひっついて霧の大きさになったものは通さないのです。

こんなところではないでしょうか。自信があるかというと半分半分です。素人の意見ですから、間違っているかもしれませんよ。

⑧ シンポジウム「トムラウシ遭難事故を考える」 戸田新介様の報告の下書き (3月1日付け mail)

お世話にになります。掲載してくださるようお願いします。

私が報告してくれと頼まれて準備した下書きです。実際は大分省略しました。初めと終わりは話しました。

トムラウシからの帰還

1 あえて私が話すことは何もないのですが、参加者の一人として何か話してくれということでしたので引き受けてしまいました。私はマスコミの取材は全部受けてきたので、断る理由が思いつかなかったのです。

2 私がこのツアーに参加したのは、一度北海道の山に行きたかったからです。北海道の山だけでなく北海道自体が初めてだったのですが。申し込んだのは3月です。前年から計画を立てていました。ツアーを利用するのは交通の手段が図られるからです。単独行が可能ならそうしていたと思います。自分の能力の不足を補おうと思ってツアーを利用したことはありません。

3 ツアー客相互で話をするかというと、男性客同士では難しい。それぞれ年齢を重ねていると言うだけでなく、私を含めて登山をする人は社交的でない人が多いと思います。唯一話しやすそうな人はなくなられてしまいました。女性客とはなかなか中に入っていけません。話し合う必要を感じたのは遭難に直面してからです。それに私は自分のことだけを考えていました。ほかの人に話しかけてもばつの悪い思いをすると思ったからです。これから遅れてくるような女性客には親身に話しかけるべきだと思います。これは社交の問題ではないからです。

4 遭難事故のあった日の前日について言います。何でもこの日のことが注目されているようです。雨の日で、終日霧雨が降り続き、山の風に吹かれて顔に当たると言うところです。とにかく急がされたと思います。5分の立ち休憩だし(体が冷えるから出発するというのです。)昼の休憩は30分ぐらいだったと思います。そして水のたまった道の際を歩こうとして疲れ切って歩いたという感じです。ただしガイドさんたちの認識は少し違うようです。若い運動能力の極めて高いガイドさんが先頭に立つと、中高年の感じ方とずれる点があるかもしれません。遅れて歩く人には、追いついたらすぐ出発というやり方はつらいと思います。これはそういう立場にならないとわからないと思います。先行者に待たれるというのはつらいことだと思います。これが遭難当日の雪渓の出来事に影響したかもしれません。

5 遭難当日のことを言います。雪渓に登った時ガイドさんが下に降りて行きました。一人女性が遅れたのだと思いました。下で何かやっていました。次の岩場での男性客のことは知りません。私は前だけを見て歩いていました。それから2回の立ち休憩がありました。これもついたらすぐ出発という感じでした。水を出していたら終わりです。ガイドがあらかじめ次の休憩に何をやるか考えておくということを言っていました。私は前に出て、横にどいてフリースを着ました。大粒の雨が降ってきて休憩を切り上げてから少したって、後は猛烈な雨と風でほんろうされたのです。私はこれぐらいの風雨は台風の最も激しい時に外に出なければならなかったので経験がありました。しかし女性客にはつらかったようです。なにしろ山の稜線ですから。ジェット気流のように間断なく吹き続けるのです。

 私は自分の前だけを見、自分のことだけを考えて歩いていました。だから女性客たちがどのようにしていたかは見ていません。なおガイドさんが何とかしてくれると思って不安を打ち消したという証言があるようです。

6 木道を過ぎてからはばらばらに歩いたようです。木道は転落の危険がありますからどうしても遅く歩くことになります。木道を過ぎると早く歩けるようになりました。私も隊のことは考えず、前の人を追いかけていけばよいと思っていました。2回ザックカバーを飛ばされ一度は直している間に追い抜かれました。前の人、たぶん私達のパーティーの人が歩いていました。風に吹かれてたたずむのは嫌ですから。その後はどうなったか知らないがいつの間にか私が先頭に立ったようです。もちろん私は先頭は前にいると思っていました。ロックガーデンを難なく乗り越えました。岩場の小型のものでこういうのは経験があります。雨があり風が体のバランスを崩しそうになるが、足を送って切り抜けました。後ろから風は吹いていたようです。ロックガーデンの登山道が流水であふれていたと言いますが私は別のわき道を通ったのだと思います。またこのあたりで休憩がとられたというのですが私は知りません。休憩中に岩の向こうを通過したようです。それで小川に一番初めに着いたのだと思います。

7 北沼の小川の渡渉。私が渡った時は20cm強(靴のかかとが20cm)です。皆が膝近くだと言うのでびっくりです。私が渡って少したち、左手の方に若いガイドが石飛をして、合図していました。左後方でサブガイドが水の中にいた(1)だから差は10分弱だと思う。

8 北沼分岐ではだれかがいました静岡隊かもしれません。私はたっていましたがすぐ私達の人を見つけて「後は頂上で登頂写真を撮るだけだ]と言いました。私には方針の変更はどういうわけか知らされていませんでした。その人にまき道を通ると言われて変更を知った次第です。

9 北沼分岐は誰が指定したか誰も指定したわけでなく、自然にできたようです。私は巻き道の話をした人たちが座り込んだのでその後ろに座りました。そこではとにかく待たされる時間が長すぎると思いました。私が遭難だから救援要請をしないといけないと演説したことについてガイドにプレッシャーになったという意見があるがどうでしょう。ガイドさんたちの感じと違うのです。危機感が違うと思いました。また私は出発するとは思っていませんでした。出発すると決まってそれもあるかなと思っただけです。私は110番してほしい、これからどうするか決めてほしいと言っただけです。

10 トムラウシ分岐でのことは私が厳しく言うから反発する向きもあるが、私の言うことは事実です。

11 それからのことはつらいことばかりです。何を言っても言い訳になってしまいます。生きて帰ってくることが罪みたいなことになります。十字架という言葉は小説で読んだのですが、生還者は多かれ少なかれ十字架を背負っていかなければならないと思います。亡くなった人のことを考えればと納得させています。

12 私にとって今回のトムラウシはあまり変化のない、だだぴっろい平原です。あまり面白くはなかった。変化がないし時間が長い。雨であることもあるが。

13 北海道の縦走路は営業小屋がないことが一番の危険だと思います。北アルプスの岩場が滑落の危険があるのに対して、ここでは営業小屋がないことが危険だと思います。雨だと一層危険だというのも共通です。ガイドさんはガイドにすがって不安を振り払りはらおうとする参加者の信頼にこたえるべきだと思う。天候の判断は参加者の命がかかっているとして判断すべきだと思います。雨の日の北海道の縦走など全くサバイバルだけだと思います。なにもよいことはありません。

 ツアーはガイドがすべてであると同時にガイドの判断がすべてであると思います。慎重すぎるようにするのがいいと思います。運動能力の違いがあまりにもあったのだと思います。アスリートの能力からは到底判断ができなかったのでしょうか。中高年の参加者には少なくとも先頭でペースを作る人は中高年のガイドがよいのではと思います。

14 自己責任が言われていますが、この遭難事故の責任問題とは別にして、自己責任を持つべきなのは当然です。その場合自分が故障した時には遠慮しないで申し出るようにするべきだとおもいます。ガイドさんが聞いてくれないと困るが、その場合でも自分の命は自分で守るしかないという自己責任の考えで、簡単に引き下がらないようにしないといけないのだと思います。それがひいては皆のためになると考えることだと思います。このあたりのことは日本人の感覚と外れるので難しいけれど、どうしても遠慮してしまうから。しかし事故をなくすにはそうしないとなくならないでしょう。如何に参加基準を満たすようにしても故障するのが人間ですから。ツアーではどうしても遠慮することばかりを考えてしまいます。だれも文句を言わないのです。おとなしいものでした。文句を言うと面白くないからということもあります。今回も亡くなられた方は黙って、遠慮して、そのうちに動けなくなったのだと思います。

⑨ゴアの露つきについて (3月5日付け mai)

こんばんは お世話になります。掲載お願いします。

前に私が送りました、ゴアの露つきについてのメールを一部訂正したいと思います。

ゴアのテントでは外が寒いとき朝起きると、テントの内側に露がびっしりついていて、コンロを炊くとテントについている露が水蒸気になり、ゴアのテントから水蒸気が外に出るのが見えると言います。これと同じことがゴアの雨具でも起きているのだと思います。外気が寒いと体表面とゴアの雨具の間の空気に含まれている水分がゴアのテントの内側に露となってつくのだと思います。

問題は下着がビタビタになるほどの水分はどこから来るかということですが、私にはよくわかりません。ただ私は出発の時からずぶ濡れであったという見解には疑問を感じています。私が死んだとすれば同じようにずぶぬれになっていたと思います。つまり死んで体温が低くなれば下着はずぶぬれになるのだという感じがします。私が言いたいのはそれだけです。温度差がある以上体内から水分が出ると言うのは素人の仮説です。詳しいことは専門家が調べてくれるでしょう。なくなった人が全員初めからずぶ濡れの下着を着ていたなどとは信じられない。一部の人がそういうことがあったというならまだ分かるのですが。

⑩ 二つのバイアス (3月7日付け mail)

こんにちは

これだけは書いておきたいと思ったので、掲載お願いします。

防災の専門家の中では、正常性バイアスということが言われています。2003年の韓国大邱市での地下鉄放火事件が有名です。煙が充満しているのに乗客が座ったままでいる場面が映っていました。大阪の個室ビデオ店火災「天井の隙間からうっすらと煙が入ってきて約2分間ぼんやりしていて、」。秋葉原通り魔事件。例はいくつもあります。

今回のトムラウシ遭難でも同じようなことが起きたと思います。なかなか遭難とは思えなかったのではないかと思います。特に低体温症というものは静かに忍び寄ってくる点が特徴と言いますから、「大変だ」と思うには時間がかかるのだと思います。車両に煙が入ってくるというのとよく似ています。参加者の誰も自分から携帯電話をかけていないと言われていますが、参加者も正常性バイアスに支配されていたということではないでしょうか。土壇場にならないと掛けないのだと思います。

もう一つパニック過大評価バイアスというものがあるそうです。防災無線でパニックの危険があるからということで内容の無い放送になってしまう場合などを言います。

今回も先頭のガイドさんがヘリで救助された時に話していたのがTVに移っていましたが、「パニックに陥らないことが一番大事だということは分かっていた」と言った趣旨のことを話していました。(見た人もいると思います)これもパニック過大評価バイアスだと思います。パニックになるからといって何もしない、待ちの心理状態になっていたのではないでしょうか。もちろんパニックになってはならないのですが、しかし危機感を持ち、先を考えることはパニックに陥ることではないと思います。だから一面的にパニックに陥ってはならないと言うのはまずいと思います。「落ちつけ」というのは必要ですが、同時に危機感を持つことが必要だと思います。だから一面的に「落ちつけ」とだけ言うのはまずいと思います。

人間は危機に直面したときに、こういう心理状態なるものだということを知っておいた方がよいと思います。

http://www.bo-sai.co.jp/bias.htm 防災の専門家のhttpです。

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注 バイアス(bias)とは、先入観とか、偏見とかいう意味です。

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ハセツネ30kが終わって、一段落したと思ったら戸田様からmailをいただきましたので、喜んで掲載させていただきます。
ハセツネの批判は、知的生産性があまりにも少ないので辟易していたところです。
トムラウシのほうが、頭を使って知的刺激に溢れております。

⑪というのは、以前(中間報告書の公開後、2010年2月16日に頂いた戸田様のmailから番号を振り始めています)からの通し番号です。

silvaplauna こと、 小池 雅彦
最終更新 4月16日 記事⑮追加

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⑪ イデオロギーとしての自己責任論 (4月11日付け mail)

おはようございます いつもお世話になります。掲載してください。

自己責任論は多様に唱えられています。イラク人質自己責任論、ホームレス自己責任論、派遣切り自己責任論、ワーキングプアー自己責任論、過労死自己責任論、投資自己責任論、いまどき家の鍵は2つ以上つけるべきで、それを怠って強盗に入られても自業自得であるという自己責任論(警察の怠慢ではない)、老後は民間の保険に入っておくべきであるという自己責任論など。

JR福知山線事故の被害マンションの住民に対する自己責任論(マンションが線路のカーブという危険な場所にあったのが悪いから、住民が損害の全部または一部を負担するべきだ)。(wikipedia参照)

ネットのサイトには何百万とある。自己責任論、登山自己責任論その他が。

登山の自己責任論では①行政サービスをなすべきかということがある。雪山で遭難したのは自己責任で行ったのだから救援をしないでよい、または費用を負担するべきである。②私人間の関係でいわれることがある。登山は自己責任だからガイドは面倒を見なくてもよい、ガイド、会社に責任はない。
トムラウシ山遭難事故では②が問題になっているのだと思う。

●いわゆる自己責任論は事故が起こってもその責任を他人に転嫁してはならないという主義主張(イデオロギー)または心構えだと思います。法的な責任ではないと思います。債務者(ガイド、会社)が法的注意義務を負うとしても、最終的には自分の命は自分で守るしかない、ガイドや会社の責任を追及してみても、失った命は返らないというのなら私はそのとおりだと思います。(心構え)

問題はガイド、会社に自己責任を理由にして法的責任がないとされることにあると思います。自己責任にそこまでの意味を含めていいのだろうかと思います。ガイド、会社に注意義務が有るかないかを先に考えるべきで、参加者の自己責任だからガイドの注意義務はないということではなく、ガイドに注意義務がないから自己責任でやるしかないとなるのだと思う。。

要するにガイド、会社は自分の注意義務違反の責任を参加者の自己責任違反を理由に免れるわけではないと思います。注意義務がないとされれば免れるが、それは当然のことです。山ではガイドの注意義務はどこまで及ぶか、今回の事故ではガイドと会社の注意義務がどこまで及ぶかを考えるべきで、自己責任論を持ち出すべきではないと思います。

●債権者(参加者)の過失および不可抗力の場合は債務者(ガイド、会社)に法的責任はありません。債権者の過失と債務者の過失が競合するときは過失相殺となります。つまり債権者の過失は法的な意味を持っています。債権者の過失にはいわゆる自己責任という言葉は使いません。

●いわゆる自己責任と債権者の過失は混同をしてはならないと思います。そして自己責任を言うときは参加者の法的な義務を言うのではないことをはっきりさせておくべきです。なお参加者に自己責任にもとる行為があって、それが法的意味においても過失があるといえる場合ならば債権者の過失という言葉を使うべきです。

●「全員が参加基準をクリアしていたが、悪天候下の経験と体力が不足していた人がいた。」(調査報告書)これが自己責任の問題なのか、それとも債権者(参加者)の過失になるのかがはっきりさせないで述べられているので、問題があると思います。自己責任の問題なら登山に限らずあらゆる危難に対処しておくべきだということがいえます。それについては誰も問題にしないと思います。債権者の過失という意味でいっているのならば議論があると思います。(会社が参加基準を厳しくすればよいことだから参加者の過失とはいえないと思います。参加者に悪天候下の経験と体力がないからガイドに責任がないまたは責任が減ぜられるとはいえないと思います。ただし他の考えもあるかもしれません。)

●単独行登山の場合は自己責任であるといわれるが、これは法的責任ではありません。法的責任を負う人がいなければ自己責任が出てくるということです。それは登山に限らないと思います。自分のことは自分でするという自己責任に、他の人が負う法的責任をペタペタと貼り付けて社会が成り立っているのだと思います。

自己責任論は盛んに言われているのでこの際きちんとした整理をしたほうがよいと思います。自己責任論は政治的、社会的に、つまり非法律的に(イデオロギーとして)使われているので整理したほうがよいと思います。

私は今までこのように考えてきました。

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⑫ ツアー参加者について (4月12日付け mail)

こんばんは 掲載おねがいします。

ツアー登山参加者に対しては、パーティのメンバーとしてあるまじき実態が言われ、問題視されています。そして特別委員会の報告書では「ツアー登山といえども登山であり参加者にパーティのメンバーとしての自覚を促す必要がある。」と主張している。

『ほとんどのお客さんは、あくまで「客」として来ている意識の人が多く、知らない人の寄せ集めであり、会社に連れて行ってもらっている、という意識は明らかにあります。お互いの結びつきもない、単なる集合体であり、それはパーティとは呼べず、個々が個々のために歩いているだけのことであり、会社側もその結びつきに対してどうのこうのは言いません。』(シンポジウム 山形昌広氏 3枚目の最後)私が今回のツアー登山で北沼分岐につくまでの姿はまさに「個々が個々のために歩いているだけ」であると思います。(私の記録P9~12参照)

「最近増えている募集登山やツアー登山の危険性のひとつは、山岳会の山行であれば通常得られる他の会員からの経験、技術、情報の伝達や、山行中の援助、補助をうけることがなく山行が実施されるという点です。そこでは、参加者相互の援助協力関係を期待できず、引率者と参加者の間の直接的な援助関係しかないので、それが不十分な場合には直ちに事故に直結する危険があります。また、営業的ツアー登山では、遭難事故が起こっても救助活動を引率者にまかせ、他の参加者は先に帰宅することが多いと思われ十分な救助活動を期待できません。」(溝手靖史 登山の法律学P144)

「仲間同士の登山では、原則としてリーダーに参加者に対する安全配慮義務が生じないとしても、参加者相互の間に委任契約、準委任契約もしくはそれに類似した契約関係があると考えられ、それによって一定の義務が発生します。」(同P49)その一定の義務として「互いに援助協力するよう努める義務」があげられている。「パーティは参加者が互いに援助協力することを目的として結成されるので、この義務は当然のことです」(しかし「これは努力義務であり、これに違反したからといって法的責任は生じません。」ともいわれている。)(同P50)

ツアー登山では参加者相互の間に委任契約、準委任契約もしくはそれに類似した契約関係があるのだろうか。これについて溝手氏ははっきり述べられていません。私は次のように考えます。
仲間同士の登山ではパーティを組んで登山しようとすること自体に委任契約締結の意思を認めるのだと思う。仲間同士はそれこそ自己責任で山に行くのだから、リーダーをはじめとした役割分担を決め、準備し、どこへ行くか、天気は、地図は、交通手段は、何が必要か、時間管理、場所確認すべて自己責任でやるしかない。そこにおのずと互いの間の委任関係ができるのだと思う。

しかしツアー登山ではガイドという圧倒的に優越した権限と義務と能力を持った(あるいは持つと期待された)人があらかじめ決められているのである。参加者の出る幕はほとんどないと思います。むしろ参加者が口を挟まないほうがスムーズに行くのだと思います。(要らんことを言うな)コミュニケーションについてもガイドの優越的地位があるので、参加者は参加者相互の間にはあまり必要ではないと思っていると思います。たとえ一人がこれではいけないと思って努力してみても、参加者全体がそう思っている以上どうしようもないと思います。

参加者相互の間には委任関係を認めることはできないと思います。ガイドという優越的存在が独占するので、参加者のするべき任務がないから、パーティのメンバーであるという自覚はできないと思います。そういう実態を踏まえて意思解釈をするのだから委任関係を認定することはできないと思います。ツアー登山参加者に共通する行状からもそう思います。つまりこうするべきだというところから解釈をしてはならないのであって、当事者がどうすると思っているのかという意思の推測によって解釈をするのだと思います。だから委任関係はない。ゆえに互いに援助協力する義務は(それが努力義務にすぎないとしても)ないと思います。あるとすればそれこそ道徳的な困っている人を助けてあげたいという気持ちだけだと思います。この辺りのことは別の見解があるかと思いますが、委任関係はないと思います。

私について言えばおよそ他の参加者と協力して積極的に何かをなすということは考えてもいなかった。万が一に備えて常々協力しておくんだといわれても、違和感を覚える。ガイドのやっていることを一部引き受けるのだろうか。ガイドに何か協力することがありますかと申し出るのだろうか。110番をガイドの変わりに引き受けるということはあったと思います。しかしガイドが決めるのだから、ガイドから依頼されてからでしょう。私の考えていることはむしろガイドに対して、他の参加者の意見や状態を言って対策を求めることです。ガイドは仲間のリーダーという感じではない。仲間のリーダーだったら、リダーに協力すると思う。仕事で来ている人とお客は違うと思う。ガイドが「お客様だ」というなら、参加者は「仕事だろう、プロだろう」ということです。(なお他の生還者とはいままで連絡は取っていません。取りたい、聞きたいと思っていますが、相手にまかしています。連絡はありません。ツアーの場合はその場限りのものだから、そういうものです。)

そしてツアー登山の参加者の行状は、ツアー登山という制度自体からくるのであって、ツアー登山をやる以上は常に出てくると思います。メンバーとしての意識を持たせるといっても不可能だと思います。コミュニケーションを持てといってもできないと思います。制度自体からくる問題だから制度自体を変えないとできないと思います。個々の参加者の質の問題ではないと思います。個々の参加者を非難しても始まらないと思います。ツアー登山者に対してはいろいろな要望が言われている。(調査報告書P47)しかし私はツアー登山の制度を変えないとできないと思います。調査委員会の人たちもそう思っていると思いますがどうでしょう。会社のほうは形式的に色々いうだろうけれど、形骸化するだろうとおもいます。

ツアー登山も登山であるからといわれている。しかしツアーであるということもいえると思います。法的な意味において旅行と登山に質的な違いがあるわけではないと思います。違いはガイドがいるのか、仲間だけなのかの違いだと思います。ツアー旅行もツアー登山も同じだと思います。仲間だけの旅行と仲間だけの登山は同じです。存在が意識を規定するのだから、ツアー登山の参加者が客意識を持つのは仕方がないと思います。それは制度としてのツアーの問題だと思います。登山だからといって参加者としての意識の質的な変化ができるわけではないと思います。

私としてはなぜこれほどの非難がされるのかがよくわからない。わからないのはパーティの経験がないからだと思う。私は普通のツアー登山者として行動してきたつもりであるが、それが非難の的になっているように思います。少しおかしい、何かおかしいと思う。私はもうツアー登山は利用したくないと思います。こんなことを言われるのでごめんこうむりたいと思います。ツアー登山の参加者を批判する人はツアー登山を利用したいとは思わないようである。それはツアー登山自体がおかしいと思っているからだと思います。自分が参加したとしても他の参加者とコミュニケーションをとったり、見ず知らずの参加者と協力関係を作ったりできる自信がないのだろうと思います。「ばらばらの登山者」である自分を発見するだけだと思います。そういう自分を見たくないのだと思います。

新しいツアー参加者がどんどん出てくるのは避けられないと思います。需要が有る以上避けられないでしょう。そしてツアー登山は禁止せよと悲憤慷慨すればいいでしょう。なお昨年の北アルプスでは事故の影響でかえってツアー登山客が増えたといいます。不思議なものです。

私がツアー登山の客の立場から抜け出そうとしたのは北沼分岐で一人の参加者の危機を見たからである。しかしそれはすでに遅かったのだと思う。何もできなかった。一部の人からは要らんことをしたと恨まれている。私もよくわからない。また私がマスコミなどにしゃべったことに対しても、登山ではリーダーを非難しないのが鉄則である、登山は自己責任でやるべきで、他人を非難するべきではないという意見がある。

最後にツアー登山のあるべき姿は企画じたいにあるのだとおもいます。ガイドのミスを織り込んだ計画だけをやればいいのです。ガイドが天候判断をミスすると瓦解するような計画は立てないことだと思います。「天候やガイドの能力に関係なく、安全性を確保できるように設計、企画すべきである。」(シンポジウム 溝手P70) スワンさんも同じようなこと言っている。他の会社が安全性の問題から手を引いたところにまで、手を広げすぎたのだと思います。

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⑬ トムラウシ遭難と自己責任論 (4月13日付け mail )

おはようございます お世話になっています。 掲載お願いします。

自己責任は近代私法の原則の一つとされているので、市民革命のときのブルジャージーの主義主張だったのだと思う。レッセ・フェールとも関連するのだと思う。欧米ではいろいろなイデオロギーがスローガンとして時々持ち出してきたそうだ。これが日本で広く使われるようになったのは、ネットでみんなが使い出したからだとされる。10年ぐらい前からみんなが多用するようになったという。パソコンが普及し、ネットにつながれ、みながブログに使い出したのだという。まず2チャンネルで使われ、それが一般のブログに、さらにネット以外にまであっという間に広まっていったのだそうです。2004年のイラク人質事件では小泉首相が自己責任を唱え大衆の支持を得た。2004年流行語大賞になったそうである。小泉首相はこれで反対勢力を葬り去ったという。いまではネットで書き込みの際にはこの呪文を唱えることが約束となったという。(自己責任で見てください。)

自分のことは自分で始末をつけろ。自分でまいた種は自分で片をつけろ。このように他人に対して攻撃する言葉として多用される。交通事故もそこにいるほうが悪いんだ。外に出る以上事故の危険を覚悟するべきで自己責任だ。さらには子供が自己責任で宿題をやらないと決めたから文句を言わないでというそうだ。自己責任で高山植物保護のためのロープの中に入りますという人がいるそうだ。自己責任で強盗します!自己責任で覚せい剤をやっています?

これほどにも恣意的に使えるタームは、2チャンネルの愛用者には便利だったんだ、それで飛びついたのだろう。そしてそこからみんなが使い出した。ネットの書き込みには非常に便利だと思う。匿名の人間が無責任なことを理屈づけて言うにはぴったりだ。屁理屈をカムフラージュして、相手を困惑させて言いたいことを言うのだ。冗談として使うべき言葉になっていると思う。だからこの言葉はまじめな議論では警戒してかからねばならないと思う。背後には何があるのかを分析するべきである。この言葉が使われる前はどういう言葉で言われていたかを考えるべきだと思う。またまじめな議論ではあまり使うべきではないと思う。詭弁。

なぜ登山に自己責任論が使われるのだろう。

①他人が、雪山などの遭難には救援隊を出すべきでないという場合。自己責任で行ったのだから、行政サービスはいらないというのである。

②単独登山者や仲間だけで行く登山者が自分たちの自戒として自分のことは自分でするという場合。これはあたりまえのことで、10年ほど前は自己責任という言葉を使わないでやってきたことである。自分たちでやるしかないのだからいちいち自己責任を持ち出す必要はないと思う。ヒマラヤに登る人が自己責任を言っているが、誰もいないのだから死にたくなければ自分でやるのは当たり前でないか。自己責任という言葉がなかったときも同じである。いちいち登山は自己責任だと言って他人に心理的圧力をかけることはないと思う。自戒だとしても他人にはお前は自己責任がないから登るなと聞こえると思う。年寄りは来るなという意味が出てくる。自己責任をいちいち言わないでほしい。山は危険だということを言うのはいいと思うが、それだけでいいと思う。
遭難した場合は、単独行だと最後まで救援依頼をしない人が多いのだと思う。自分のためだと自己責任の考えから躊躇するけれど、他人のためなら救援を依頼するというのは自己責任に反しないと考えるのではないだろうか。組織登山者の場合は自ら救援隊を組織して行くことになっている。これも昔からやってきたことで自己責任を持ち出すまでもないと思う。

③救援隊関係者が安易な救援要請が多いとして自己責任を強調する場合。安易なのはまずいと思う。しかし、自己責任を強調すればがんばりすぎてかえって大きなことになってしまうことがあるがこれは問題にしなくていいようである。救援隊としてはとにかく救援の依頼がないほうがいいのであって、事故の犠牲の多寡は問題ではないのだろう。目の前に現れねばいいのだ。

④参加者は自分にミスがあるときには、自己責任を問われたくないのでミスを隠そうとする。自己責任をガタガタ言われるくらいなら、自分で我慢すれば無事に切り抜けられると思って、結局二進も三進も行かなくなって、それでも我慢してついに動けなくなってしまい皆に知られるところになる。だから自己責任は事前に啓蒙的にのみ言うべきではないか。事後(登山が始まったら)には自己責任を言うのはまずいと思う。事後にはむしろミスを言い出しやすいようにするべきだと思う。

⑤ツアー登山の場合 ガイド、会社から参加者に対して弁明としての自己責任論。参加者がまともな準備をしなかったことが悪い自己責任論。ガイドがミスをしてもそれに対処しておくべきだった自己責任論。こういう会社または企画を信じて申し込んだのが悪い自己責任論。4つ星の基準を満たしたとしても、悪天候のために6つ星になることもあることを覚悟するべきで、それに耐える体力がないのが悪い自己責任論。自分で防寒具を着たり食事を取るべきだった自己責任論。低体温症で判断が鈍っていたとしても、低体温症でそうなることを覚悟しておくべきだった自己責任論。ガイドがいるので自分を安心させたとしてもガイドは万能ではない自己責任論。黙って死んだとしてもそれは自己責任で死んでいったのだからガイドを批判するのは亡くなった人の意思ではない自己責任論。

ツアーの参加者の過失によって事故が起こってもガイドに責任はないが、それは債権者の過失は債務者に責めはないからであって、自己責任を持ち出す必要はない。安易な参加者がいるので自己責任を強調するのだという。登山で準備行為はそれこそ自己責任だからわざわざ言われなくてもいいのではないか。安易であろうとなかろうとそれも自己責任だと思うが。自立した登山者であるためにというがそれも自己責任ではないか。自立していないために事故が起こったとしたらそれも自己責任だといえばいいのでは。誰かに言われんでもいいはず。自己責任を教えること自体が自己責任に反すると思う。自分でやればいいはずだから。雪山入山に際して警察が届出制をしたりするのと同じ考え方である。

32歳ガイドが救援を遅らせた理由がいまだに明らかにされていない。私の仮説(思いつき)はこのガイドは自己責任にとらわれていたので、自分で何とかしようとして時間を使い、遅くなったという仮説です。

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⑭ 前トム平にヘリの着陸は可能では ( 4月14日付け mail )

こんにちは お世話になります。掲載してください。

遭難事故の10日前に救援のための夜間登山があったといわれていますが、今回はなぜ夜間登山がされなかったか、理由は明らかになっていません。マスコミが追及しないからですが、追及しても答えるかどうかは疑わしいと思います。やはり詳細な情報を入れなかったからだと思います。第一報は110番しただけのようです。第一報としてMガイドがどういうことを伝えたのか、これもわかっていません。ポーターと言うばかりだったということは伝えられていますが。救援要請の趣旨が入っていたのはわかりますが、どういう内容だったかはわかっていません。これがわからないと警察の対処の適否は判断できないと思います。

警察はいつものようにしただけと仮定すれば、やはりMガイドの伝えた内容が不十分だったのだろうと思います。Mガイドは110番をかけている間に電池切れのため、MEさんに「電話を出しなさい」といわれて自分の携帯を出して電話をかけたというけれど、「空うち」だったという。彼はしゃべることはできるが電話をかけることはできなかったようです。これが4時ごろです。5時ごろにはOさんが降りてきて、Mガイドを見つけて「私の前で電話をかけなさいよ」といって、かけさせたという。しかしこれも「空うち」だという。Oさんもすっかり「だまされた」ようです。(なお私は前トム平の上あたりで、Oさんに先に行ってもらっていたので、Mガイドが電話をかけているのは見ていません。調査報告書はこのところは間違っています。私が降りてきたときはMガイドは座っていて、Oさんのほうを見ていただけです。私は彼の携帯は見なかった。)

Mガイドがいたところはヘリコプターが着陸できそうなところだと思います。前トム平というように、開けた平らな勾配のゆるいところです。(また4人がいたトムラウシ公園の上もヘリコプターが着陸できると思います。)前トム平下は大雪渓の下ですから、そこが前トム平と知らないとしても、大雪渓の下と伝えればわかると思います。

それからトムラウシ公園に4人がいて、危難に直面していたことは当時私とOさんとHさんしか知らなかった。だから警察にはOさん、Hさんが下山してからしかわからなかったと思います。(午前1時前)だからOさんが5時ごろMガイドに電話をかけさせたというのが、「だまされて」いなかったら、そして4人のことを伝えていれば、夜間登山がおこなわれていたかもしれません。また私はヘリの着陸は可能だとおもうから、4人のことをわかっていればヘリをだしただろう。3人は助かったかもしれません。

OさんがMガイドから携帯を取り上げて自分でかければよかったのだと思います。(これもこういう場合の教訓になると思います。こういう場合会社の社長とか指導者など地位のある人は私がやるといって、電話を取り上げて自分で電話するのだと思います。重要なことだから紛れのないように自分でするのだと思います。経験と押し出しの差だと思います。)

翌日のMNさんの救出はあのあたりに着陸して行われたのではないか。3人の収容も着陸してやったのではないか。それともロープで巻き上げたのか。(これもMNさんに確認したほうがよいかもしれない。)私はヘリの着陸は可能なのだと思う。視界の問題だけだと思います。自衛隊なら夜間でもできると思います。これも情報がきちんと伝わっていたならばと思います。自衛隊のことは後日整理して書きます。

トムラウシのほうが110番は早かったが(トムラウシは詳細がわからなかったからか)美瑛岳のほうにだけ救援隊は出動したといわれています。常駐メンバーは美瑛のほうに出動してしまっていて、トムラウシのほうは、詳しいことがわかってから召集をかければいいと思っていたのではないでしょうか。遭難なれ、遭難疲れなどがあったかもしれない。情報がないといわれれば何もいえないと思いますが、遺族にとっては悔しいと思います。

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⑮ なぞの続き ( 4月15日付け mail )

こんばんは 掲載してください。お願いします。

最初の自力下山者である二人が下山したところは短縮登山口であり、下山の時刻は23:50であると発表された。また高橋道知事が自衛隊に出動要請をしたのは23:45であると発表された。

実際は二人が下山したのはトムラウシ温泉登山口(東大雪荘)で、林道に出たところであった。そこで警察車両に乗せられて短縮登山口に連れて行かれた。23:50は二人が車に乗せられて短縮登山口についた時刻だと思われる。短縮登山口まで車がかかる時間は約20分とされている。そうすると二人が下山したのはトムラウシ温泉口(林道との交差点)で、下山した時刻は23:30であったことになる。

警察の関係者が上記のような発表をしたのは、何か不純なものがあると思う。これによって道知事の自衛隊に対する出動要請は二人が下山する前になされたようになったからである。私は前に「警察はややこしいことをすると」書いた。

調査報告書は二人がトムラウシ温泉に下山したとしている。これは警察に問い合わせた結果だと思う。そうする下山の時刻はどうなったのだろう。警察に問い合わせたのだろうか。23:30となったのだろうか。そもそも警察は公式記録として下山場所、下山時刻を訂正したのだろうか。下山場所を訂正したのならば下山時刻も訂正されねばならないだろう。

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PDFデータ 

⑪ イデオロギーとしての自己責任論

⑫ ツアー参加者について

⑬ トムラウシ遭難と自己責任論

⑭ 前トム平にヘリの着陸は可能では

⑮ なぞの続き

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⑯ 山渓5月号が出ました ( 4月16日付け mail )

おはようございます。

山と渓谷5月号が送られてきました。私の記述に関しても触れられているので、その関係としてだろうと思います。
「トムラウシ山大量遭難 2つの報告書が語るもの」として羽根田治氏が調査報告書の方を、野村仁氏がシンポジウムのほうを担当して書かれています。おのおの2ページの記事です。

私の「私の記録」について野村氏は「青山氏の指導のもと、時系列に分けた表に、記憶・経験をすべて書き並べた。正確な事実の記録だけでなく、事実と食い違う部分、ほかの証言と異なる部分、記憶が不確かな部分も、すべてに本人だけが経験した重要な意味がこめられている。ツアー参加者全員が生死の限界点に立たされ、ギリギリの行動であったことがわかる。」(全文)と書かれている。

「青山千彰氏に聞く」として青山代表の話がある。「トムラウシ ワーキンググループはその後もメーリングリストで活動を続けているが、おもしろいことに、シンポジウム以後は、意見交流が非常に活発となっている。~内容的には法的解釈、組織論、リスク論、自己責任、環境庁の管理責任問題など多岐にわたっており、シンポジウム以上の成果となっている。できれば、活動成果を本にまとめていくことを考えている。」とあります。

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⑰ トムラウシ救援要請のあり方 ( 4月17日付けmail )

おはようございます いつもお世話になっています。掲載してください。
山の遭難のときの救援要請のあり方については、感情的な議論が多すぎると思います。

①一方では山は自己責任だから救援は必要ない。
②他方では救援を要請したのになぜ出動されなかったかというのがある。これは遺族から裁判で主張される。そしてこれに対して第三者が①の立場から山は自己責任だから、救援する義務はない、救援はいわば感謝すべきもので文句を言うのがおかしいと主張され、ネットで裁判を起こした遺族に対してパッシングが行われる。

救援隊の立場からは安易な救援要請が多すぎるとだけ主張され、救援が必要なら早く救援要請をしてほしいということは言われていない。そして遺族からの裁判を考えて防衛体制に入り、救援要請がなければ安堵するということだけを考えているように見える。救援要請がなければ救援隊が遺族から問題にされることはないからである。

私は救援が必要ならば、あまねく行政サービスとして救援の手が差し伸べられるようにするのが建前、理想で、行政はこれを希求するものだと思ってきました。予算が伴うものだから、ポリシーとか優先順位とか仕分けの問題があるから建前どうりに行かないということはあります。しかしそれはやむをえない事情でできないというものであって、しなくてもよいということではないと思う。また制度があるのに利用してはならないというものでもないと思う。

救急車の出動については、安易な119番通報がある。しかし真に必要ならば早く通報しなければならないということは常識になっている。一刻を争うとして。
そして救急車の出動が必要かどうかがわからないときがある。この旨を言うと、担当者はそのセクションに電話を回してくれて、事情を聞いて対策を教えてくれ、様子を見てそれでも直らないならまた電話してくださいといってくれる。山でも同じようなことがあると思う。電話をまわしてくれればいいのだ。いろいろな対策も教えてくれればよいのだと思う。(そういうことはツアー会社も自らするべきだったということはあると思います。衛星携帯を持たせて本部で24時間待機すればいいのだ。しかし行政としても考えるべきだと思う。)

救援隊関係者が「安易な救援が多すぎる」ということだけを言わないでほしい。「必要な場合は早く救援要請をしなければならない」ということとセットで言うべきである。救援隊関係者は遅れた救援要請や、されなかった救援要請ということにも関心を持ってほしい。救援の必要があるところに、行政サービスとして救援の手が差し伸べられるようにするというのが本来行政が目指すものだからである。

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⑱ 盲従 ( 4月17日付けmail )

おはようございます お世話になり、感謝しています。掲載してください。

神戸シンポジウム中の「私の記録」には、引用先の記載のない証言がありますが、これは警察が私に裏を取るために示した他の参加者の証言です。もちろん生還者で、そのうちの誰かが言っているのだと思います。参考にはなると思います。

その中にこのままでは「遭難するのではと思ったが、ガイドさんがいるから安心だと思った」「安心させた」というのがいくつかあります。この感覚が私にはわかりません。冗談ではないと思っています。しかし女性にはこうした感覚が普通なのではないでしょうか。子供のころからの、また家庭を持ってからも、だれかにすがるというのが女性のライフスタイルなのではないでしょうか。男性でも単独行などの経験が浅い人に認められると思います。

そして危機に直面すればするほど何かにすがるというのが不安を鎮めるひとつのやり方だと思います。戦争を引き起こして求心力を高めるというのが政治のやり方であるといいますから、そうした心理は人間に普遍的であろうと思います。盲従というのだそうです。危機になればなるほど盲従することになります。危機になればなるほどガイドにすがるのだと思います。(シンポジウム青山論文P34参照)

今回も参加者は女性が3分の2を占めています。(そして亡くなった人の多くが女性だった。)女性を除いてツアー登山は考えれないと思います。女性がツアー登山を利用する主なる目的はガイドによって安全を確保されることを期待しているのです。2009年の夏は北アルプスでは、トムラウシ遭難の影響からかえってツアー登山参加者が増えたといいます。

自立した登山者であることを求めるといわれているが難しいと思います。ガイドもそんなことはわかっていると思います。後になって自立していないのが悪いといって、ガイドの責任転嫁の理由にしないでほしい。多数の「自立していない」参加者を抱えてきているのは「想定の範囲」だから、ガイドはそれを考慮に入れてガイディングをしなければならない。これは当然のことです。それがガイドにとって難しいのならば企画を変えるべきです。

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PDFデータ

⑯ 山渓5月号が出ました、⑰ トムラウシ救援要請のあり方、⑱ 盲従、

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引き続き、戸田新介さまからこちらで公開するように送っていただきました五つのmailを、ここに公開いたします。
PDFデータは記事の一番下にありますので、ご自由にダウンロードして、プリントアウトなさってみてください。

4月23日(FRI)  silvaplauna

⑲ 風の息 風向きに向かってかがめは間違い ( 4月22日付けmail )

おはようございます 掲載してくださるようお願いします。

38歳ガイドは強風に対して、「風には息がある。弱まるのをまって進め」、「風向きに向かってしゃがめ。横歩きせよ」と指示を出していた。わたしは彼の後方近くにいた。

風の息について「風が瞬時、強弱を示す現象(数秒~数十秒)」とされている(マイペディア)。山の稜線、とくにコル(鞍部)などの風の通り道では風の強弱の間隔はあっても長いのだと思う。コルを吹く風は(風向きによって)ジェット気流のように間断なく吹き抜けるのである。ビル風もそうだ。強弱の間隔はあっても風の息の段階を超えた長い間隔(スパン)であろう。弱まるのを待つようなものではない。風の息はもっと広いところ(たとえば平地)でおきる空気の流れのムラと考えるべきだと思う。狭さく部などの風の通り道では、空気の流れのムラはスパンが長いのだと思う。

突風。クワンナイ川源頭のコルでは全体が一続きの突風のようなもの(突風ではない)だったと思う。コルを抜けてしばらくしてからは突風に遭遇した。突風ににあおられてザックカバーを飛ばされた。突風は数分という(マイペディア)。

松本清張の小説「風の息」を読んだことがある。それで「風の息」という言葉を知っていた。私は38歳ガイドの話しを聞いて、おかしなことを言うと思った。風の勢いは弱まることはなかった。

風の強いときに風に向かってかがめば動きが取れない。場合によればひっくり返るだけである。実際にも「横に歩け」というので横に歩こうとしてひっくり返りそうになったという証言がある。歩こうとすればどうしても重心は上がるからである。背中のザックに体が引っ張られ、ひっくり返るのである。空身で転ぶのではないから、事故になったらどうするのだろう。

かがむなら風を背にしてかがむべきである。足の先を使ってバランスが取れるからである。足の指で踏ん張れるからである。それでもだめなら足を前に送って体勢を維持することができる。
今回の場合はかがまないで姿勢を低くして、左足を開き気味に、左足の先をさらに開いて右からの風の圧力に備えながら、速やかに通り抜けるのが正解だと思う。私はそういうことを考えながら実験をしながら歩いていた。これは誰でもしていることだと思う。よく考えればわかることだと思う。やってみればわかることである。

私は38歳ガイドの言葉を聴いて根拠のないことを言う人だと思った。根拠のないこと、よく考えていないことを言ってもいい。信じる信じないは自己責任だからである。しかしガイドという立場では根拠のないことを言ってはならないと思う。いやしくもガイディングの一環として行っているということを忘れてもらっては困る。彼はそういうことに鈍感である。

報告書は38歳ガイドの発言に基づいた記述を載せている。「ガイドが耐風姿勢を教え、風の息する(弱まる)瞬間を狙って前進する」(P10,11行目)。報告書は彼の発言を積極的なものと考えているようだ。私は、38歳ガイドが風の息の話をしたが、待っていても風の勢いが収まることはないので、ガイド自身がその考えを捨て去ったのだと思っていた。

38歳ガイドが風の息の話をしたのは事実だが、誰も今までその評価を遠慮して言わなかっただけである。ガイドを批判したくないからである。言わないでもわかるだろうと。また批判的な証言は編集で除かれているからである(ガイドの責任を追及するところではないとして)。然るに報告書は積極的なものとして評価するのだ。私が言わねばならないと買って出た理由である。

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⑳ デットエアーの必要 トムラウシ遭難 ( 4月23日付けmail )

こんにちは お世話になります。掲載してくださるようお願いします。

昔はウール100%のセーターを直接肌に着ることが薦められていた。下着がぬれると断熱性が極端に落ちる。水の伝導率は高いので、肌着をとおして熱が奪われるのを防げない。しかし衣類には水にぬれても空気層(デットエア)を残すものがある。空気の熱伝導率は非常にひくいので、衣類に含まれている空気は保温の役割をする。そのようなものとしてウール100%が薦められていた。ウールは汗などにぬれても繊維のうろこ構造の中に空気層を残しているのである。それが保温の役割をするのである。その場合肌に直接着ることが肝要とされた。肌着が問題だからである。

最近はこういうことがあまり言われなくなった。それはゴアの雨具で肌着がぬれることが少なくなったからだという。しかしゴアも使い込むと防水性透湿性が落ちるので、長時間の山行では肌着が,ずぶぬれになることが避けられないという。肌着がウール100%なら、その場合でもピンチを切り抜けることができるわけである。(ゴアは5年で雨具の用を果たさないとか、スプレーでは回復しないとか言われている。撥水性が問題らしい。)

ただし着やすさということがある。ウールは暑いときにはあまり着たくはない。まして直接肌に着るというのだ(今はメリノウールのよいものがある)。私は化学繊維でウールのようにデットエアを繊維の中に残す構造のものがあると聞いていたので,それを探して使っている。私の愛用のものは一年中使えるというものである。Tシャツタイプではなくその上に着るもののようである。私はそれを直接肌に来ている。山シャツなどを直接肌に着るときの涼しさを感じられるのである。北アルプスの夏はこれ一枚ですごしている。熱いときでも苦にならない。寒いときには上にゴアを着ればよい。今回はさらにフリースを着た。デットエアのおかげで雨にも強いとなると、全天候仕様だという事になると思う。(デザイン性はいまいちか)

夏に普通に使われているものは透湿、速乾性重視のTシャツに、同じような素材の山シャツということになる。これではゴアが機能しなくなると肌着はずぶぬれになるのではと思う。このタイプ(透湿重視の二枚重ね)は雨の中の長時間の山行のタイプではなかったということになる。雨の中の長時間の山行は、ゴアが機能しないのだからゴアがなかった昔(本多勝一氏の時代)と同じように、ずぶぬれになってもよいようにデットエアーで保温を確保する必要があることになる。トムラウシ遭難事故ではデットエアーが必要だったと思うが、デットエアーのことがあまり言われていないのが気になる。

モンベル ジオライン 3D サーマル ロングスリーブ ジップという。他のメーカーも同じような機能のものを発売していると聞く。

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21 自己責任と他人のための救援要請 ( 4月23日付けmail )

どこまでが自己責任の問題だろう。同じパーティーの他の参加者は。リーダーの場合は変わるか、ガイドは。

ツアー登山でも仲間同士の登山でも、組織的山岳隊でも参加者が他の参加者のために救援要請するのは自己責任の問題になるか。リーダー、ガイドが参加者のために救援要請することは自己責任の問題になるか。こういう場合は自己責任は「自分で」ではなく、「自分たちで」始末せよとなるらしい。なぜなのか。

私は自分のために救援要請することには躊躇を感じるが、他の参加者のためには躊躇を感じなかった。それで遭難だと感じたとき、自然と救援隊を呼ぼうと叫んだのである。自分たちでできないのは明白であったから。これに対して「すぐ救援要請をしようとする感覚である」という感想がある。私は信じられない思いをした。こういう場合は自己責任として自分たちでがんばるべきなのだろうか。他人のことだから躊躇することなく救援を呼ぶということはおかしいのだろうか。

Tガイドの救援要請は遅かったが、Tガイドは自己責任の問題と考えたのではないかとも思う。自分で解決しようと最後までがんばったから、救援要請が遅れたというならばそれは正しいことか。

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22 トムラウシ分岐~ 母体はガイド協会(前) ( 4月23日付けmail )

こんにちは お世話になります。 掲載してくださるようお願いします。

私はトムラウシ分岐のことを何度か述べてきた。そしてそれを見ればわかるはずだと思ってきた。しかしきちんとまとまったものを残したほうがよいと思うようになった。事実でない記述が主張されているからである。トムラウシ分岐で何があったかは私が言わなければならないと思うようになった。忘却から逃れるには記録することである。今のうちにきちんとした記録を作っておくべきだと思った。そして調査特別委員会の母体がガイド協会というガイドの利益団体であることの不自然、矛盾点が報告書の「遭難事故パーティ行動概要」のトムラウシ分岐~の記述に表れていることも述べておきたい。

トムラウシ分岐はMガイドが参加者を置いて、下山したところである。アミューズの8/7「弊社の認識内容」に対して私が批判した文章(コメント)にこの過程は詳しく書いている。しかし調査委員会はこれを見ていない。見ないのは自由だと思う。しかし間違ったことを書いてはならないと思う。なお報告書ではMガイドはガイドCとなっている。

報告書ではトムラウシ分岐での出来事についてはMガイドの言い分だけ書いている。「彼が立ち止まって振り返ったところ、列がばらけて、彼が見る限りでは8人しか来ていなかった」(P14)
私が「コメント」で「弊社の認識内容」を批判して述べたことは以下の二つである。①Mガイドが「トムラウシ分岐に15分~20分程度で到着したが、点呼したら8名しかいなかった」というのはうそである。②「8名のお客様に道標に向かって進んでくださいと伝えて」というのはうそである。報告書は①②について何も判断していない。「弊社の認識内容」で述べられた事の真偽は何も判断されていない。「弊社の認識内容」はないものとして扱うというのが調査委員会の扱いである。この扱いについてはアミューズとの内部的打ち合わせがあったと思われる。

報告書は二つの月刊誌で参加者が証言していることに対して何も判断していない。「Mガイドについて歩いた客(MEさんが証言しているのである)を含め、客は点呼を聞いていない」(岳人2009年10月号P149)とされていた。

とくにKMさんは驚愕の証言をしている。「分岐の下でオーイと叫んで下へ降りていったのはKMさんで、Mガイドはそのとき10分~15分先にいた」(山渓2010年2月号P175)KMさんの証言により報告書のMガイドについての記載「彼が立ち止まって振り返ったところ、列がばらけて、彼が見る限りでは8人しか来ていなかった」(P14)はうそであることがあきらかになった。なお私はMガイドがトムラウシ分岐にいるところを見ていないから(8人の中には私が入るから)、それだけでもMガイドに関する記述はうそであるといえる。

報告書の記載はMガイドの証言という形式でなく、報告書作成者が理解したところとしての、報告書作成者の記述となっている。Mガイドが証言したとは限らないようだ。Mガイドの証言という形式を取らなかったのはそれができなかったからだと思う。Mガイドが記載どおりの証言をしているのなら証言の形式をとるべきであろう。私は報告書作成者がMガイドのために作ってやった記載だとおもう。もちろん関係者で打ち合わせが行われたのだと思う。イニシアチブはどちらにあるかを考えればよい。作成者、背後者とすればなんとかしてMガイドの失地を回復したいのだと思う。Mガイドにイニシアチブはないと思う。

「うそ」をMガイドがした場合は報告書記載者は無批判に他の証言とつき合わせることもしないで、Mガイドの証言をそのまま記載したということになる。「うそ」を記載者が書いたとすればそれはMガイドのプラスイメージ作出のための作業ということになる。私は後者だと思う。前者だとすれば証言の形式をとるべきである。人間特に庶民には「うそ」をつく習慣はない。顔に表れるというように苦手なのだと思う.本当のことを言うのがどれだけたやすいか。これに対して「行動概要」の作者は「任務」としてMガイドのプラスイメージ作出のためにやっているのだから、他人に関する「うそ」は簡単だと思う。

なお「弊社の認識内容」もMガイドの証言という形式をとっていない。作者の認識を書いているだけである。だからMガイドが言ったとされることが「弊社の認識内容」と「報告書」で変わるのだと思う。Mガイドの証言なら簡単に変えることはできないと思う。

「立ち止まって振り返ったところ8人しか来ていなかった」という記載は「弊社の認識内容」でした作り話が批判を浴びて手直ししたものだと思う。作り話は手直ししてもだめだと思う。それと同時に「弊社の認識内容」との連続性を感じる。話を作ったのは同じ人間ではないかとも思う。

調査委員会は責任を追及するところではないといってこのような扱いを理由付けている。そのためにガイドの言うことと反する証言は取り上げないということになるらしい。ガイドの証言があるところはガイドの証言だけを取り上げ、ガイドの証言がないところだけ参加者の証言を取り上げるというのだろう。おかしな話だ。問題があれば両論併記すればすむと思う。(なおMガイドが証言しているとは限らないこと、Mガイドのプラスイメージを作るための他人による作業と見るべきことは上述したとおりである)

調査報告書は以下の記述をしている。Mガイドは「前トム平に着き、携帯で電話する。ここが16時。」「前トム平の巨石のあるトラバースぎみの下山路〈当時はこの辺に雪渓があった)をくだり、ザックをおろして携帯を出そうとして、そのまま前のめりにハイマツの中に転倒、意識を失う。」(どちらもP53)また「前トム平下部のハイマツの中でたおれていたガイドC(38歳)が登山客に発見され、110番通報される。後ヘリで収容されたが、捜査開始から6時間以上もかかっている。無事下山した参加者から的確、迅速に情報を収集しておれば遭難地点が確定でき、もっと早く収容できたのではなかろうか」(P22)と記述されている。

Mガイドはハイマツに倒れこんだという。私は草むらだとおもっていた。ハイマツの上に座れるのか、私が来たときMガイドは彼がハイマツと言っているものの上に座っていた。。登山道にはOさんがいて、二人は向き合っていた。Oさんは私にMガイドについて「降りてきたら寝ていたのですよ」と言った。私は「ガイドだからガイドの仕事をしてもらわねば困る」とだけ言って一人ですぐ下山した。ハイマツかどうか調べたいと思う。Oさんは「ハイマツ」の上にいるMガイドを見つけたのだが、救援隊は見つけられなかったのだろう。登山客は見つけられたが。救援隊は別のところを探していたというのだろう。

「トムラウシ分岐~母体はガイド協会(後)」につづく《以上は推測が含まれる。これに対して(後)で述べることは私に関することだから、推測は少ない》

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23 トムラウシ分岐~母体はガイド協会(後) ( 4月23日付けmail )

続きです 掲載をお願いします。
これ以後の記述は私しか問題にしないことである。私が個人的利益を追求していると思われると思う。それで私はできるだけ無視しようとしてきた。しかし事実は事実だと思う。個人的利益だと評価されようとも、明らかにしておくべきだと思った。

①報告書のP17からP18までの私についての記述は間違っている。「トムラウシ分岐で男性客C(65歳)(私のことです)に追いついた女性客A(68歳)(Oさんのことです)が、二人で降りてくる。」とされているが、これはむちゃくちゃな記述である。

トムラウシ分岐での私とOさんの位置関係は、出発してからしばらくして私がアンカーになろうと思って後ろに回ったのでむしろ私がOさんたち(いわば本隊)に追いついたのである。その後のことは二人で歩行の困難となった人の介助、そしてトムラウシ公園の上で残してきたこと、先に下っていた私が前トム平の上の高みに上るところで、ビバーク地点を探していたらOさんが来て二人で歩き出したこと、しかしここで道を間違えて逆行して40分ぐらいロスしたこと、もどって前トム平にきてOさんに先に行ってもらったこと(彼女の足が速いから)以上があった。そしてOさんがMガイドといるところに私が来たのである。

これを「トムラウシ分岐で男性客C(65歳)に追いついた女性客A(68歳)が二人で(Mガイドのいるところに)降りてくる。」と書いてある。これは作り話もいいところだと思う。二人は行きつ戻りつしているのである。

MガイドのいたところにはまずOさんが降りてきたのである。OさんはMガイドに「警察に電話して!上のほうで弱っている4人の女性たちのために、あんたの持っているテントを張ってあげて」と叫んだという。私はその後に降りてきたのだから二人の会話も携帯も知らないのである。私はそれからその場所を出発して、再びOさんがHさんと一緒にくるのに出会ったとき(私がワンデリングしたとき)にOさんから電話のこと(電話させたという)は聞いた。しかしテントのことは私は聞いていない。Mガイドのザックにテントがあったと知ったのは下山後だいぶたって会社が発表したからである。Oさんはマスコミに出ないので報告書ではじめて聞くことばかりである。

②報告書には意図的な記述がある。MNさんの証言のところに「後方にいた男性客C(65歳)(私のことです)が追い越していく。」とある(P16)。 これは山渓2009年10月号の羽根田治氏の署名記事のなかのMNさんの証言に基づくと思われる。該当部分を書き出す。「その後、明るいうちに3人の方が降りていきました。最初に戸田さん、次に長田さん、最後に斐品(ひしな)さん。みなばらばらでした(P18)。報告書は3人について述べられた証言を切り刻んで私だけことさら「追い越していく」と書くのだ。私は批判したこと、しゃべったことに対する仕返しのつもりだと思った。私はそういうわけで報告書を見たくなかった。今読み返しているところである。しかし後に述べるように目的は感情的なものでなく、冷静な計算された作戦の一環だと気づいた。

③報告書のP15には二人の証言がある(3行目~10行目)。女性客A(68歳)(Oさんのこと)「岩場の頂上に女性客L(69歳)さんを支えながら引き上げて前方を見たら、ガイドC(38歳)さんがどんどん先に進み、消えた。女性客Lさんを助けていると、今度は女性客K(62歳)さんが転ぶ。2人ともまっすぐ歩けない。自分も荷物を背負いながらだから、きつかった。やがて足が攣ってきた」
女性客B(55歳)(MNさんのこと)「その時振り返ったら、女性客A(68歳)さんが女性客L(69歳)さんを抱えて下りていた。女性客K(62歳)さんと女性客O(64歳)さんは私の後ろにいたが、やっぱり自分を含めて皆、ちゃんと歩けていないな、と思った。そんななかで他人をかばって、すごいことをやっている人がいるんだ、と感心した」

ここには私の姿が意識的に省かれている。のみならず証言を切り刻んで、二人がそう証言したようになっている。私としてはそのからくりを明らかにするために複雑な説明をしなければならない。できるだけわかりやすく説明をしようと思うので、読んでいただきたい。

女性客A(68歳)「岩場の頂上に女性客L(69歳)さんを支えながら引き上げて前方を見たら、ガイドC(38歳)さんがどんどん進み,消えた」。この部分はトムラウシ分岐の手前のことだと思われる。ガイドCが消えたところだからである。私はガイドCが消えたところを見ていない。後ろに行って2人(男性客の2人)がいないことを確認して、戻りつつあったころである。

次に「女性客Lさんを助けていると、今度は女性客K(62歳)さんが転ぶ。2人ともまっすぐ歩けない。自分も荷物を背負いながら、きつかった。やがて足が攣ってきた」。ここのところは私のことがまったく触れられていない。女性客Aさん(Oさん)が私のことを無視する動機はないから、これは報告書の作者が女性客Aさんの証言を切り刻んでつなぎ合わせたか、または捏造したものと思う。女性客Kさんが転ぶところを私は見ている。私の目の前のことだからである。その時私はOさんと二人で交代で、Lさんのサポートに当たっていた。Kさんが転んだのでOさんはKさんの担当、わたしがLさんの担当になったのである。それからトムラウシ公園の上まで来たのである。このことがきれいに省かれている。「行動概要」の作者は私がいなかったことにできると思っているようだ。

私はトムラウシ分岐を降りてからしばらくして、女性客Aさん(Oさん)に言われて女性客L(69歳)さんのサポートに参加した。二人で交代してLさんをサポートしながら降りてきた。そのうちに女性客K(62歳)さんが転び、立てなくなったので、AさんがKさんを担当し、私はLさんを担当することになった。トムラウシ公園の上の雪渓まで来て、Lさんを座らせ杖につかまらせて雪渓の下まで下ろした。AさんもまねをしてKさんをおろした。そこでLさんが立てなくなったこと、次は岩場のくだりになったこと、自分のすべき範囲を超えていると思ったこと、下まで連れて行くことは自分ではできないと思ったこと、救援情報や、後どれだけかかるかわからなかったこと等で、私はAさんに抜けるといって一人下山した。Aさんはその後Hさんが来たので、Hさんに任して下山し、Hさんは手に負えないとして、救援を呼びに行くことを考えて下山したと聞く。LさんとKさんはトムラウシ公園の上あたりにそのまま残されたと思う。

Aさん(Oさん)が私のことを無視した証言をするはずがない。Aさんは事実を証言すればよいからである.事実のなかには私のことが入っているのだから(共同でやっていたのだから)それを除いた証言をわざわざするはずがない。Aさんの証言として記載されているものは恣意的な編集の結果に過ぎない。編集はこのようにやろうと思えば何でもできる。AをBということもできてしまう。行動概要の筆者はそれをやっているのだと思う。(編集権の乱用)共同正犯を単独犯と描けば虚偽となるのは常識である。同じようなことをやっているのだと思う。

女性客B(55歳)(MNさん)「その時振り返ったら、女性客A(68歳)さんが女性客L(69歳)さんを抱えて下りていた。~そんななかで他人をかばって、すごいことをやっている人がいるんだ、と感心した」「その時」は何時のことかが問題である。AさんがLさんをサポートしているときだからトムラウシ分岐の前だと思う。トムラウシ分岐を下ってから私がサポートに参加する間のことかもしれない。いずれにしても「行動概要」の作者はこの証言をAさんの証言として記載されているもの全体を裏付けるものとして利用しているのだと思う。女性客Bさんの証言は私が参加する前のことだから、彼女が私のことを何も言っていないのは当然である。「行動概要」の作者は私が参加する前の彼女の証言を利用して、私が参加した以後のことまで彼女が言ってるように見せかけ、私の参加がなかったと印象づけようとしている。

④報告書全体に対する私の評価は「基本的に妥当なもの、今までみなが指摘してきたことが詳細な証言で裏付けられている」というものである。しかし「遭難事故パーティの行動概要」は私以外の参加者についての記述は妥当だろうと思うが(ただし参加者とガイドの証言が交差するところではガイドの言い分だけをのせているという問題がある)、私についてはことさら無視と含みの有る記述となっていると思う。こういうのは相手にしたくないのだが、言論には言論で反論すると言うのが民主主義の原則だから、私はきちんと反論して記録にとどめて置く。

「行動概要」には署名がない。無署名記事となるのだろうか。おそらく担当者レベルの、理事者側(6人の委員)が真の意図を知らないのを奇貨とした行いだろうと思う。担当者の目的は何か。

私はガイド一般を問題にしてはいない。私は今まで他の会社のツアーで出会ったガイドを基準にして、今回のガイドを批判しているだけで、反発を買うことはないと思う。

ガイド協会が調査特別委員会の母体であるという不自然、矛盾点がここに表れているということがいえる。中立を旨にすべき組織にあっては疑わしいことは避けねばならないのに、センスがないとしか言いようがない。調査委員会の事務局スタッフはどこから派遣されたかということもあるが、母体がガイド協会であるということが一番の問題だと思う。反論があるなら言論ですべきなのに。言論でいえないからこういう無視、不規則的行為に出るのだろうが、それなら自制すべきであろう。目的は何か。

私と「行動概要」を書いた人間以外の第三者には、「行動概要」を書いた人間の真の意図はわからないと思うから、私が述べるしかないと思う。私は委員会全体の意思だと仮定して反論することにした。各個撃破は攻撃の要諦だという。まず私が、次によくしゃべる3人が的になるということだろうか。私は沈黙するわけにはいかない。

登山では参加者はリーダーに対する批判はしないというのが原則だという。私がそのタブーを破ったとして反発を買っているのだということもあるかもしれない。仲間だけの登山(組織登山を含めて)ならば私もリーダーを批判することはないだろう。私が批判しているのは法律的義務を負っているガイド、会社に対してであり、法律的義務がどこまで及ぶのか、法律的注意義務違反がなかったかを述べているのである。タブーはそこまでは及ばないと思う。私は法律的義務についてのみ関心がある。参加者の自己責任も法律的意味がないのなら問題にしようとは思わない。道義的義務については際限のない論争になるだけで決着がつくものではないと思う。私は道義的義務には関心はない。

⑤訂正前の中間報告書(中間報告書は参加者、遺族には訂正前のものがあらかじめ配られていた。公表されたものは訂正後のものである)には私が①「どうなったんですか」と言ったと書いていた(中間報告書p11最終報告書P12)。②「早く救助要請しろ!」と言ったとなっていた(P11、P12)。③「彼(Mガイドのこと)を怒鳴りつけながら、、」とあった(P16、,P18)。④「不満が爆発して」と言う書き方をしていた(中間報告書P40、最終報告書は全面的に書き換えられていて該当部分はない。)。これらは私が訂正を要求したので改められた。①は「早く救助要請すべきだ!」となり、②は「「どうするんですか?」と訂正された。③は「男性客Cも彼を叱咤しながら」とされ、④は「不満が高じて」と訂正した。もちろん訂正後の記載を私が容認できるということではない。

報告書が描こうとした私の姿は「大きな声を出してガイドを混乱させ、権利ばかりを主張して、参加者を助けることもしないで、ガイドを怒鳴りつける身勝手な冷淡な客。あくまで客だと主張してガイドに命令する客」こんな感じだと思う。レッテルを貼りたいのだと思う。マイナスイメージを貼り付けたいのだと思う。私の要求による訂正で緩和されているとはいえ基調は変わらない。訂正箇所を前に戻すと、私につけようとしたマイナスイメージがよくわかると思う。そのためにことさらな無視と不規則な諸々なこともしているのだと思う。目的は何か。

「行動概要」は私にマイナスイメージを貼り付けることのほかに、Mガイドの積極点を何とか探して失地回復をさせ、マイナスイメージを糊塗し、プラスイメージを作出したいたいということがある。Mガイドの「風の息」、「耐風姿勢」に関する発言を評価しているのはそのためだろう(プラスイメージの作出)(しかしこれらの発言は根拠のない間違った発言だと思う。)(「風の息、風に向かってかがむのは間違い」を参照)(私は「風の息」とか「耐風姿勢」を報告書がわざわざ取り上げるのが疑問だった。たいした問題ではないからである。Mガイドのプラスイメージに役立つものを探していたとすれば納得できる。やっと見つけたのだろう)。トムラウシ分岐のことはマイナスイメージの糊塗である。

そして私にたいするマイナスイメージの貼り付けは何のためにするのかというと、わたしがMガイドのプラスイメージの作出、マイナスイメージの除去に最大の障害になっているからだと思う。結局行動概要の作者は私自体に関心があるのではなく、私がネットやマスコミで明らかにしてきたMガイドのイメージを変えたいのだと思う。そのために私にマイナスイメージを貼り付けて、私の発言の信用を失わせようとしているのだと思う。なぜかそれはMガイドが最も弱い環だからだと思う。ガイドと会社の注意義務違反の判断に影響すると見ているのだと思う。さらに会社のイメージ回復のためにはMガイドのマイナスイメージが邪魔になっているのだと思う。反発といったような感情的なものではないと思うようになった。冷静な計算された動機に基づくものだと思う。

私に対する聞き取りはまったく意味のないものであった。聞き取りをしたという形をつくろうだけのものであった。ダシにされて今でも腹立たしい思いがする。わざわざ名古屋駅まで(担当者が宿泊したホテルの一室で行われた)出かけたのだ。私に対する聴取は着衣と食事、非常食を聞くこと(あらかじめ作っておいてほしいというので作った表を提出した)、低体温症の兆候を聞くことであった。後は雑談であった。つまりほとんど雑談であった。合計30分の聴取であった。担当した二人の長老は事情を知っていたのかどうかわからないが、感じていた可能性は有る。私はナイーブだったんだと思う。

私は自己責任でトムラウシのことを発言してきた。それに異論、反発があるなら自己責任で、かつ言論で批判するべきだと思う。このような「無視」「冷遇」といったようなことで私のイメージを悪くするといった戦術を取るのではなくではなく、真正面から、また言論で批判してほしいものである。不規則的行為はやめるべきだと思う。

報告書の「遭難事故パーティの行動概要」はMガイドのプラスイメージを作り出すことを隠れた目的にして作られている。そしてそのために最大の障害となっている私にマイナスイメージを貼り付けようとしている。それは会社のイメージ回復にMガイドのマイナスイメージが邪魔になっていると感じているからである。これが私の結論である。私は苦しい思いをした。自分の個人的利益を追求していると思われることを恐れた。孤立感を感じた。神経戦だと思う。しかしこの問題は私の個人的問題ではない。Mガイドのためのイメージ作戦の一環だからである。こちらが苦しいならば向こうも苦しいのだと思う。ここに記録として残しておくことにした。

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⑲ 風の息 風向きに向かってかがめは間違い、⑳ デットエアーの必要 トムラウシ遭難、21 自己責任と他人のための救援要請、22 トムラウシ分岐~母体はガイド協会(前)、23 トムラウシ分岐~母体はガイド協会(後)、

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24 トムラウシ分岐~母体はガイド協会(後の2)、
25 ガイド行方不明時の社長の発言(再考トムラウシ遭難)、

戸田さまよりいただきました二つのmail記事です。

24 トムラウシ分岐~母体はガイド協会(後の2) ( 4月24日付けmail )

こんにちは 掲載してくださるようにお願いします。

「トムラウシ分岐~母体はガイド協会(後)」で、私に対するマイナスイメージの貼り付けの目的は、私がMガイドのイメージ回復の最大の障害になっているからだとした。ここのところを少し訂正します。Mガイドのイメージアップに収斂したりしないほうが妥当だと思う。端的に会社のイメージ回復に必要だからと考えるべきで、そのように訂正することにします。

私の存在、私の証言が会社のイメージアップの障害になっているので、私にマイナスイメージを貼り付けて私の信頼性を傷つけ、大衆に私の証言は信用できないと思わせるということだと思う。「ジャマッケ、オシャベリ、チョウシヅキヤガル」。大衆は「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」のに、何度も何度も私がマスコミに登場するので、営業妨害だと思っていたのかもしれない。

会社は私が「弊社の認識内容」をマスコミに流し、「コメント」で批判したこと、それをもとに会社がマスコミに追及されたこと、弁明ができなかったことは、私は現場に居合わせていないのでわからないが会社にとっては相当なショックだったのだろうと思う。社長が文書の回収に回ったというのだから。(私に言わせれば「弊社の認識内容」は手続き的にも内容的にも穴だらけだったんだと思う)

私とマスコミを切り離すこと、そのために私に対してマイナスイメージを貼り付けること、こんなことが考えられたのだろう。会社は表立っては反論ができないので相当ストレスがたまっていたかもしれない。一方的なバッシングと思っていたのではないか。私にたたかれるだけだと思っていたのだろうか。(そんなことをいわれても)

「行動概要」の作者がどうして会社のイメージアップに関係してくるのかはわからない。「弊社の認識内容」を作った人が誰かはわかっていない。「弊社の認識内容」は会社にとっても重要な文書だから、会社が頼みにする人に依頼したということが考えられる。両者の関係もわからない。

「行動概要」の作者はなぜあのようのことをしたのか。山渓記載の参加者の証言(「戸田さん、長田さん、ヒ品さんが追い越していった」)から「私が追い越していった」ことだけをことさらに書くのだ。また私とOさん(女性客A)は二人で女性客Lさんのサポートをしていたのであり、そしてKさんが転んで立ち上がれなくなったので私がLさんを、OさんがKさんを担当することになったのである。共同の行為だからそのことに触れるには私のことを切り離すことができないはずである。Oさんが私のことを無視した証言をするはずがない。それなのに「行動概要」の作者はOさんの証言を切り刻んで組み立てたと思われるOさんの証言なるもので、私の存在を抹消した。またトムラウシ分岐からずっと私はOさんと一緒にいたと読める記載があるのだ(P17~18)そのほかに私に対する記載は私が訂正を求めなければならないほどのものであった。(Mガイドを「怒鳴りつけながら」とあった。その他)

一方でMガイドのプラスイメージを作り出そうとしている「風の息」「耐風姿勢」。マイナスイメージを糊塗しようとしている(トムラウシ分岐でのMガイドの行為の説明)

「行動概要」の描こうとした私のイメージは「大声を出してガイドを混乱させ、客としての権利ばかり主張してガイドに命令し、怒鳴りつけ、参加者を助けない身勝手で冷淡な客」である。

以上詳細は「トムラウシ分岐~母体はガイド協会(前)(後)」を見ていただきたい。私は「行動概要」の作者が私に対してマイナスイメージを貼り付け、Mガイドにはプラスイメージを作出していると思っている。それは会社のイメージ回復のために必要だからだと思う。では「行動概要」の作者はなぜ会社のイメージアップに尽力するのか、その動機は推測するしかない。

私は参加者のうちで早くから、多くを語ってきたがそれほどのことをしたという自覚はない。サブエイトでは質問者の問いに答えただけである。マスコミの取材には私は断らないことに決めていた。亡くなった人にたいするせめてもの義務だと思ったからである。

わたしは事実だけを語ってきただけである。もちろん誤解していたこと、思い込みだったこともある。(その場合はその旨をいい訂正したはずである)正直いって同じことばかりしゃべるつらさには閉口した。時間的にも長い期間どこにも行く気になれなかった。亡くなった人のことを考えるならばと思ってきた。しかし苦々しく思ってきた人がいたのだと思う。会社は文句を言いたかったのだろう。会社にはボディブローのように効いたのだろう。私はそんなことは考えていなかった。会社は営業を続けるために私につけられたと思っているイメージを取り除きたいのだろう。しかしそのイメージは私がつけたものではない。会社自体が作り出したものであろう。

中間報告書「行動概要」によって私のイメージは一定程度傷ついたのだと思う。「行動概要」が描いた私のイメージを見て、私はとにかく混乱した。孤立感を感じた。苦しかった。私がそれまで話したことが全部「ガセネタ」だといわれているように感じた。マスコミの取材も少なくなったのかも知れない。私はその点に関しては却って歓迎だけれど。それにマスコミに話すことはもうないのだから。その辺りはよくわからない。しかしやはり信頼性は失われたのだと思う。一番つらかったことは今まで私が話したこと全部が疑わしいと思われることだった。「行動概要」は目的を達したのだと思う。

会社の信頼回復の道はそういうことではあるまいと思う。

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ガイド行方不明時の社長の発言(再考トムラウシ遭難) ( 4月27日付け mail )

こんにちは お世話になります。掲載のことよろしくお願いします。

前トム平下で、O(女性客A)さんはMガイドに「あんたガイドなんだから倒れていないで、まずは警察に電話して!そして、上の方で弱っている4人の女性たちのために、あんたの持っているテントを張ってあげて」と言ったという(報告書P17)。(私はOさんの発言、その後のMガイドの携帯電話操作が終わってから現場に着いたので、テントのことはずっと後で知った)

Oさんが前トム平で待機していたのは、テントを上に上げることを考えて迷っていたからのようだ。H(男性客F)さんが下りてきたので、OさんはHさんに「上の女性たちのところへ戻ろうか、それとも下ろうか思案している」と告げたという(同P18)。これはテントがあることを知って、テントを持っていってあげたいと思ったということのだろう。

OさんがMガイドに「上で弱っている4人の女性のために、あんたの持っているテントを張ってあげて」と言ったことは、下山後警察に伝えられたと思われる。そして警察から社長に伝えられたであろう。Mガイドが最後の行方不明者になったときに、社長は「Mガイドは上へ救援に向かったのだろう」と発言している。社長のこの発言はOさんがMガイドにたいしてした発言を踏まえていたのだと思われる。行方不明と聞いて、Oさんの発言を思い浮かべて、Mガイドは救援に向かったのだと考えたということだろう。

あらためて報告書を読んで、そういう背景があったのだと気づいた。Oさんはマスコミにでないから、報告書が出るまでは警察関係を通じてしかわからない。

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151 Responses to 北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。

  1. lb005 says:

    トムラウシ山遭難の件を検索していた者です
    第一報についてですが、サンケイではガイドではなく登山客の一人が連絡したとの記事があったのでアドレスを貼っておきます
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm
    これが事実か否かは判断できませんが、参考になれば幸いです

  2. silvaplauna says:

    lb005様

    はじめまして、このたびは貴重な情報をありがとうございます。

    松本仁ガイドの行動については、キー・パーソンであるにもかかわらず憶測も飛び交い、まさに五里霧中といった感じでしたが、ご紹介の記事によりかなり事実が分かってまいりました。

    ご紹介の記事は、ツアー客二名の証言に基づくもののようですから、かなり信用性が高いと考えます。

    体調が回復したら松本氏本人からもやがて証言が得られることでしょうから、それも待ちたいと思います。

    このたびは貴重な情報をお寄せ頂き、本当にありがとうございました。
    心より感謝させていただきます。

  3. 某通りすがり says:

    週刊文春と週刊新潮に生存者の記事が載っておりました。
    それと、NHKのインタビューも驚くべき?初心者のコメントがあって唖然としました。自分もブログに記事を書こうと思っているのですが、想いがありすぎて、難しい・・・・。
    週刊誌は是非立ち読み?されてはいかがでしょうか?

  4. silvaplauna says:

    某通りすがり様

    おひさしぶりです(^^)
    貴重な情報をありがとうございます。
    雑誌・・どこかで立ち読みしてみますね。
    (気に入ったら買おうかな?)

    私も、貴方の記事を楽しみにしております。
    ひとりでも多くの岳人がいろんな視点で、いろんな価値観で、議論し、記憶にとどめておくのが大切かなと思います。

    昨日のNHKでも、生存者のインタビューを放送していましたが、もう二度とあのような愚を繰り返してはならないと思いました。

    頑張って、筆をとってください。

  5. swanslab says:

    はじめまして。
    精密な事実の整理と考察、大変参考になります。
    私もこの件に関して、関係者の話も聞く機会があったため、ある程度の分析や所見はもっています。ただ、それだけに、あまりに身近すぎて、書くにかけず、主観が邪魔して何一つかけません。とくに三人のリーダーシップはどういうものだったのか。生還した多田君や松本さんには真実を語ってほしいと願っています。

    かつては、このルートの縦走はパーティ評価の判断よりも山越えのルート判断もまた難しいと考えられていました。
    なぜなら、大雨が降ると、短時間のうちにコマドリ沢に集水され、それより先の渡渉が増水により困難になる可能性があるからです。実際、かつてリーダークラスの岳人の間で第二の難所とされていたのは、森林限界を下がったコマドリ沢の増水でした。実際、かつては増水した沢に飲まれて死亡する事故が相次いでおりました。
    ですから、ヒサゴ沼の小屋ないしカウン分岐でのっこすか、引き返すか、エスケープするかの最終判断をする際、雨の状況次第では沼の原登山口(あるいは天人峡温泉にエスケープする選択肢がかなり現実的なものとしてリーダーの頭の中にはあったものです。しかも最終判断地での待ち時間は長い行程を考えれば長くて30分程度。いけるところまでいってみようみたいな、場当たり的な判断は許されず、即断しないといけませんでした。
    いいかえれば、世間でツアー登山の落とし穴みたいにいわれているような、日程固定のプレッシャーによる判断のゆがみよりも、増水事故の可能性のほうがリーダーの判断を拘束しており、パーティ評価で頭を悩ます以前に、かえって増水を根拠にしてにエスケープの論理をたてやすかった記憶があります。

    しかし、今では新道ができたためか、ルートを理由にヒサゴ沼でエスケープする判断をしにくくなっているのかもしれませんね。

  6. 五郎右衛門 says:

    大部の論考拝見いたしました。トムラウシ遭難を考える手がかりにさせていただきます。

    さて、文中に、
    「16日 午前5時30分 次のツアーを待つ男性ガイド(60)をヒサゴ沼避難小屋に残し、ヒサゴ沼避難小屋出発」とありますが、わたしはこのガイドが何故残ったが気になっていました。調べるうち次のサイトに行き当たりました。
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228449517
    これによりますと、このガイドは場所取役のようです。アミューズのツアーは小屋泊りを前提にしているので、定員がたった30名のヒサゴ小屋では先に行って寝場所を確保するのが常套化していたようです。後続ツアーの日取りは不明ですが、もしこれがすぐに来ることになっていたとして、今回のパーティのガイドが荒天に留まる決断をしたとしたら、アミューズツアーで小屋があふれ返ることになります。そうであれば、ガイドは小屋には最初から留まり難かったことになります。が、その推論はあまりにアミューズが無法・無情すぎるので、まさかそこまで?という気はいたします。
    いずれにしてもアミューズが場所取をしてツアーを成立させていたようであるのは、ツアーの企画自体にに妥当性が欠いているのではないかと思わせます。

  7. swanslab says:

    何度もすみません。
    遠まわしにいろいろ書かせていただいておりますので、意図を汲んでいただけると幸いです。

    五郎右衛門様

    小屋に残留した第四のガイドの主目的は後続パーティの翌日の行程のサポートでしょう。また、後続パーティがくることになっていたから小屋での停滞判断がなされなかったとの推論は、上述した経験を踏まえて、違うのでは?と考えております。通常、予備日もないのに停滞の判断はありえません。
    すべての新聞報道による分析は「なぜ停滞しなかったのか」みたいなよくわからない説教になっており、違和感を感じています。予備日がないならば、通常はエスケープです。そうすると、その状況でより安全な退路を考えるのがガイドの役割です。ホテルバスの手配という面では天人峡ですが、若干森林限界での行動時間が長く距離もあります。風よけになる樹林帯にわりと短時間で入れる最短ルートという面では沼の原登山口がベストです。また、後続同社パーティは沼の原経由でヒサゴ沼に入ることになっているため、もし仮にエスケープの判断がなされるとすれば五色手前あたりで同社パーティ同士がすれ違う可能性のある、沼の原経由で下山することになったでしょう。

    小屋の場所取りの是非についてはさしあたり別問題として議論する必要がありそうです。

  8. fusako@管理栄養士 says:

    失礼。
    捜索に入ったのは美瑛岳の方でした。
    トムラウシ山には捜索が入れなかったそうです。
    今、読売に聞きました。
    トムラウシ山は、天候が悪くて捜索隊は
    実は引き返したそうです。

  9. 五郎右衛門 says:

    横槍を入れるつもりはありませんので、私はこのように考えているということでご理解ください。

    『上述した経験を踏まえて』ですが、この意味は理解できませんでした。すみません。

    とまれ、
    私が推論としたのは、そういうことも考えられるということです。現在のところそれ以上いうつもりはありません。いくらなんでもそうではないだろうナ、というキモチです。もしそうだったやりきれませんから。

    それから、『新聞報道による分析は「なぜ停滞しなかったのか」みたいなよくわからない説教になっており』ということについてですが、
    「なぜ停滞しなかったのか」は新聞に限らず誰もがいだく疑問だと思います。「通常、予備日もないのに停滞の判断はありえない」ということですが、ああそうでしたか、で、ココはやはり終れないでしょう。
    一般(私のような素人)の場合登山では「停滞するしない」は個々が任意にきめています。が、「ツアーのばあい停滞はありえない」ということですね。現状認識としてそうかもしれませんが、しかし、この現状が望ましいか、望ましくないか、という深刻な問題があるわけです。それでも「停滞はありえない」というなら、そんなツアーはやるべきではないと思いますヨ。自然相手にそんな杓子定規は通用しないでしょうから。そう考えていくと、さいごは企画側の理念を問わざる得ないとおもえます。

  10. silvaplauna says:

    fusako@栄養管理士さま

    了解です。

    トムラウシのほうは、救助隊は救助に向かったのだけれども、悪天候のため活動できず引き返したということは、初出です。

    情報をお寄せ頂き感謝いたしております。

  11. swanslab says:

    五郎右衛門様

    「ツアーの場合は停滞はありえない」のではなく、このツアーにおいて予備日を設けていないので、停滞するという選択肢はそもそも計画上存在しないということです。その日のうちに悪天でも行動可能な退路(この場合沼の原登山口経由)があるのだから停滞などしないでいいのです。新聞報道で欠落しているのは、エスケープルートの分析なのですよ。

    予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と
    予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です。
    予備日がない、あるいは予備日を使い果たした状況下で、検討すべきはエスケープなのです。

    事実、かつて新道がなかったころはコマドリ沢の増水が心配で、一日の停滞では足りないこともあったのです。停滞日を使い果たした場合は天人峡におりるか、クッチャンベツに下山していたはずです。

    杓子定規とかそういう話ではなくて、新聞報道には他の採りうる選択肢について言及が乏しいので、分析が不十分になっているということです。

  12. 五郎右衛門 says:

    「予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です」ということですが。

    山で進退窮ったときには、なにかしらの安全策をとって窮状をしのぎますが、そのことによる遅延はいたしかたありません。当然ツアーでもそうあるべきでしょう。予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。今回のトムラウシの遭難のばあい、ツアーのパーティが16日にヒサゴ小屋にとどまっていれば、死者8人も出さずに済んだのでは。

    ガイドはビジネス上の立場を悪くするかも知れませんけれどね。
    また、エスケープルート、が成立するかどうかは、私にはわかりません。が、小屋にとどまれば助かるこの場合にあえて無理する必要もないでしょう。

  13. swanslab says:

    五郎右衛門様

    >予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。

    登山というのは計画したとおりに行動するのが肝要です。想定しうるリスク・危険は机上で考えつくしたうえで、どういうときにどう行動すると計画のなかで決めておくべきです。「状況に応じて現場で判断する」というのは、無計画というのです。良識ある山岳会なら、そのような考え方のリーダーは育成しません。そういうことができる限りないように、登山計画というのを綿密に組み立てる必要があるのです。現場でいちいち考えなくてもいいように、里で考えうることは里でシミュレーションしておく、これが登山計画作成の鉄則です。

    予備食料もないのに停滞したとして、翌日も天気が好転しなかったらどうするのです?またもう一泊して、あくまで前進するのですか?本州の社会人が穂高などの冬山でたまにやらかすように停滞して携帯電話で小屋から救助を呼ぶのですか?違いますよね。

    当日の朝の判断としては、より安全なルートで速やかに下山する計画であるべきなのです。
    問題は退路を考慮した計画だったのかどうかなんですよね。
    もちろん、当日の天気が五色方面に進むのも厳しいような天候であれば停滞せざるを得ません。

    また、トムラウシ山を乗っこせると判断して小屋を出たあとに、当事者の主観としては予想外に悪天につかまりますが、そこで判断地を設けたかどうか。
    その時点での判断は場所・時間によっては小屋に引き返すという選択肢はありえますが、これは計画外の判断というべきです。ガイドの真の腕は、この計画で予期していない事態が発生したときに発揮されるものですが、これこそ「計画変更」の事態です。このときの巧拙をプロでもない人間がそれほど強く責めることができましょうか。
    計画が未熟であったことと、計画外の緊急事態での対処がどうであったかは一応わけて考察する必要があります。

    >エスケープルート、が成立するかどうかは、私にはわかりません。
    とのことですが、報道にありませんのでご存知なくて当然です。しかし20年近く北海道の山を登ってますので、私にはわかります。私の経験から言わせてもらいますと、針葉樹の限界は天人峡方面で1250~1300m、沼の原方面で1400mくらいです。また沼の原方面は全体として登山路もナナカマドやハイマツなどが背丈ほどに茂るトンネル状で風雨の中歩く場合でも消耗が少ないですね。また神遊びの庭付近も緩く尾根を回りこんでいるため、少なくとも当日の風向き(天人峡方面からの吹き上げ)を考慮すれば風当たりも少ないです。
    所詮、匿名でためらいがちに話していることですので、半信半疑にとらえてもらってもかまいませんが、一応、サイド情報として覚えておいていただければと思います。

  14. silvaplauna says:

    五郎右衛門 様 

    こんにちは、ご挨拶が遅れ申し訳ございません。五郎右衛門様には、たくさんコメントをいただきお蔭で議論が深められており大変感謝しております。

    五郎右衛門様が疑問に感じる点、とくに悪天候の場合の停滞の件(予備日云々の件)は、素朴な疑問として大変理解できます。

    swanslabさまの登山スタイルは、作戦(operation)を事前に非常に詳細かつlogicalに既定しておいて、登山の現場では判断することを必要最小限におさえておこうという極めてtacticalな登山スタイルだと思います。

    ですので、事前の計画書に、予備日の設定がないということは、当然、停滞も絶対にありえない、となります。
    もし、悪天候で停滞せざるを得ないとしたら、それは当初の計画自体に何らかの計画ミスか、見落としや、無理があった、ということになります。

    こういうlogicalな思考方法というのは、大きな隊で、ヒマラヤ登山というような大きな登山活動を行う場合には必要不可欠となってくるものです。
    こういう思考方法を身に付けるのは、安全な登山活動を行ううえで大変大切なことであると私も思います。

    もちろん、logicalさにも程度があり、1980年春、ローツェ南壁に消えたニコラ・ジャジェールは綿密な計算と準備を行うタイプで、その綿密さがしばしば物笑いの種となるほどだったそうです。

    彼は言います、「山を存分に楽しむためには、あらかじめ手落ちなく考え尽くして、ありとあらゆる物質的な問題から精神が解放されていなければならないのだ。靴紐が新しく、ピッケルがよく研いであり、計算どおりの夕食がきちんとザックの底に収まっているのでなければ、肉体も精神も無理がきかない。」(岩と雪86号)。

    その一方で、山学同志会の小西政継さんはこう言っています。
    「正直なところぼくは登山の全般にわたる知識の中で、ゼロに近い部分がいくつかある。たとえば食糧のカロリーについて(おいしく食べられて腹がいっぱいになればいい)、トレーニングを科学的データにもとづいて説明する(冬のアスファルトをショートパンツ一枚で裸足で走れればいい)、登攀用具類の強度(ザイルは切れるもの、切れないように技術でカバーすればいい)、天気図にいたってはまったくのチンプンカンプン。

    知識はないよりあったほうが良いのに決まっているが、知識がなければないなりに工夫すれば知識不足をカバーすることも可能である。天気図がまったく読めなければ、冬山でどんなに天候が荒れても、びくともしない精神力と体力をつけておけばよいし、訓練によって二、三日食べなくても活動できる体力にしておけばカロリー計算もたいして必要ではなくなってくるからである。」(小西政継著 ロッククライミングの本)。

    この二つは両極端な例でしたが、実際は、「慎重さ」と「大胆さ」の両者を兼ね備えてこそ大きな登山活動は可能となるのでしょう。

    話が変って、ツアーガイドというのは、一般の登山家とは違ってツアーにおいては特殊な立場であると考えます。

    おかしな例えで申し訳ないのですが、「ツアーガイドとはいわば料理人のようなもので、渡された食材(ツアー日程)で出来る範囲で腕を振るって料理(ツアー)をおいしく仕上げる(最後は出来ればトムラウシに登る、それが無理なら安全に下山する)のが腕の見せ所で、渡された食材ではおいしい料理は出来ない(トムラウシには登れない)といって食材の追加(停滞による予備日)を求めるというのは、料理人(ツアーガイド)として失格である。」・・とまぁこのように言えるのかもしれません。

    >swanslabさま
    五郎右衛門様とのやりとりを通じて、swanslabさまの登山哲学が大変よく理解できました。
    最近はそういう堅実な登山(確実な登山、ばくちでない登山)を行う人(行える人)が減っており、寂しい限りです。

    そして、そういう堅実な登山の血統を受け継いでいる筈の多田学央さんが何故・・というswanslabさまの現在の胸中もすこしだけですが理解できる気がいたします。

  15. swanslab says:

    五郎右衛門様には少し言い過ぎてしまい大変反省しております。

    silvaplauna様
    今回の事故は、まさに多田くんがガイドとして成長してゆく途上の悲しい出来事でした。彼には当然法的な非難は向けられるでしょうけれど、同時に一日も早くこの敗北を胸に立ち直ってほしいと思っています。

  16. 五郎右衛門 says:

    swanslabさん

    「予備食料もないのに停滞したとして、翌日も天気が好転しなかったらどうするのです?またもう一泊して、あくまで前進するのですか?本州の社会人が穂高などの冬山でたまにやらかすように停滞して携帯電話で小屋から救助を呼ぶのですか?」についてですが。

    小屋にとどまり、それでもラチがあかないようなら救助を頼めばよかったでしょう。初対面同士が寄り集まって、5時間歩くだけで動けなくなるヒトが出たパーティの力量から類推すれば最善策はそんなところにあったとおもいます。
    小屋で救いをもとめたパーティは散々責められることになりましょうが、8人もの犠牲者を出さずにはすみます。そのうえで後日計画のどこに不備があったか精査できれば、本当はよかったのです。
    もっとも私は単に計画というより、ツアー企画そのものの姿勢、理念に相当問題あったのではないか、つまり金儲けばかりが先行していたのではないか、と想像しています。おこるべくして起こったのかもしれません。このへんは身近にいたヒトがツアーの実態を明らかにしてくれることを望みます。

    silvaplaunaさん swanslabさん

    計画についてですが。

    登山が計画どおり行くことに越したことはないが、それはいってみれば人間の都合です。自然のほうは人間の事情などお構いなしですから、気象や地形や生物など自然条件は簡単に人間の予想をこえます。計画とは、ある意味型にはめることですが、人間が相手にする自然は人間が考えるような型にははまりません。何故なら自然は人間をつくりましたが、人間が自然を作ったわけではないから。つまり、自然の方が人間よりデカイという logic です。
    だから、人間が自然に対して立案する計画が100%完全なことはありえない、という logic になります。
    自然についてわかっていることもありますが、わかっていること以外は全て未知です。というのが正しい認識でしょう。
    その未知のことが計画に立ちふさがることはいくらでもあるはずです。だから、いい計画とはどんな計画かといえば、あらかじめ失敗を織り込んだ計画です。つまり、計画どおり行かないことを前提にした計画がイイ計画です。

    私は登山は素人ですが、上述の自然論のもとづく計画論はどんな分野にも通じましょう。

  17. swanslab says:

    五郎右衛門様

    会社の方針として、金儲けばかりが先行していたとの想像は的を射ていると思いますよ。

    実際、同社の他のツアー計画では、私が10年前に知っているアミューズトラベルの計画ではありえなかったような、日程を1日短縮した驚くべき強行軍のプランが平然とまかり通るようになっていますね。そんな強行軍のツアーが最近登場したらしいと言う話はこの事故後に関係者の話ではじめて聞いたのですが、愕然としました。利益優先が見えみえで、吐き気がします。

    いつだか、札幌事務所が立ち上がるころに、松下さん(当時専務だったと記憶していますが)安全には従前と同じように気を配るようにと忠告したことがありましたが、どうやら外道に落ちてしまったようです。

    ただ、このテーマはまた、これはこれ。別途別の場所でとりあげてもよいのかなと思うんですね。
    私としては、このサイトの趣旨に鑑みて、なるべく議論がぶれないように意見を述べさせていただいているところです。

  18. silvaplauna says:

    五郎右衛門 様

    もしswanslab様のような地元北海道の岳人が今回の縦走計画を完全に実施(つまり全山あまねく山頂にきちんと登る)しようとするのなら、当然、予備日はもうけたと思います。

    緻密に計画を練り上げて、それでももしという不測の事態も、もちろん計画に織り込むと思います。時期によっては、悪天候が数日に及ぶことも踏まえて、二日三日の予備日さえも計画に織り込まれるのではないでしょうか?

    自身の山のキャリアはもちろん過去のさまざまなデータ(成功事例はもちろん失敗事例まで)を豊富に持っている岳人ですので、それを踏まえた綿密な計画になるはずです。

    岳人が純粋に登頂を目指して組み上げるlogisticsの場合は、当然そうなります。分かり易い例が、良くあるヒマラヤ遠征隊ですが、必ず登頂予備日を設けています。

    ○月△日登頂予定とするほかに、遅延が出た場合の、数日の予備日です。これは言ってみればなんとしてでも登頂したいといった思いの表れですね。

    ところが、今回は、ツアー会社が企画して、お客さんを募集して、実行に移したツアー登山ですので、その計画に、とりわけ予備日程についてどれほどガイド側の意見が反映されたのか?日程を見るとギリギリですし、むしろまったく反映されていないのではないのか?

    ツアー料金を他社よりも安くするために(そうしないと他社にお客を取られてしまう)、ギリギリの日程を組み、実行させたのではないか?

    そんな背景が垣間見えてきます。

    そんな会社に雇われているツアーガイドとしては、出された計画書をひと目見れば予備日がないことが分かり、つまり「このツアーは、この日数の中で終わらせなければならない。ツアーなんだな・・。」と了解したはずです。

    その日程に従った場合、今回のルートで、後半にヒサゴ沼避難小屋あたりで天候が荒れた場合は、どうするべきか?

    そこで出てくるのが、swanslab 様がしばしば指摘されている天人峡もしくは、クチャンベツ・エスケープルートの利用であり、なぜ地元の出身者のガイドがいながらそれらを使って速やかに下山するという判断に至らなかったのか?という嘆きにもにた深い疑問なのです。

    五郎右衛門様はじめ一般の方は、山が荒れたら停滞するべきだ。と考え
    ると思います。多田ガイドさんも今回がもし個人的なガイドツアーでしたら、きっとお客さんを説得して、ヒサゴ沼避難小屋に停滞して、翌日に晴れ渡って山の雑誌に出てくるようなトムラウシをご案内したのではないでしょうか?

    ところが今回は、そういった個人ガイドツアーではないので、やたらに停滞は出来ない・・下手に停滞をすると、首を切られるかもしれない・・。

    では、どうするべきか?

    ・・ここで、天人峡、クチャンベツ・エスケープルートが出てくるのです。

    そういったルートは、昔から地元の岳人がエスケープルートとして利用してきたルートであり、多少の荒天でも十分使える。

    それらを使って日程のうちに下山してしまえば、日程超過にはならない。

    トムラウシには登れなかったけれど、悪天候ならばお客さんにも言い訳が立つし、とりあえず予定された日程の中で下山出来たので、納得はしてもらえるだろう。

    ツアー会社にとっても、日程超過にはならないので、文句はいわれまい・・。

    とこんな風に、①ツアー客の損得、②ツアー会社の損得、③ガイド自身の損得、この三つを三方一両損の形でうまくまとめ上げるのが「天人峡、クチャンベツエスケープルート」なのです。

    ちなみに、停滞したりすると、
    ①ツアー客には、ガイド料の追加請求が為されるかも知れず損となる。
    ②ツアー会社は、おさえてある飛行機をキャンセルしたりいろんな手配をやり直さねばならず損となる。
    ③ガイド自身は、お客にも嫌な顔をされ、会社からも苦言を言われるので損となる。
    三つの関係者それぞれにとって不満が残る結果となってしまいます。

    この事例を検討すればするほどに、決定権を持っている強いツアー企画会社と、それに雇われている弱い山岳ガイドの姿が見えてきます。

    ツアー会社と、ツアー客の狭間に立っている山岳ガイドというのは大変ですね。

  19. silvaplauna says:

    swanslab 様

    これは北海道に限った話しではないと思うのですが、ガイドの社会的立場を守るために、おかしな計画を出してくるツアー企画会社に物を言えるガイド協会が必要かなと考えます。

    さもないと、トカゲのシッポ切りのように、ツアー企画会社の金儲けに利用されて、使い捨てられてしまいます。

    いざ事故が起こると、世間の批判、非難の矢面に立たされるのがガイドですから、そんなガイドの立場を擁護する団体があってしかるべきではないでしょうか?

    swanslabさま、多田ガイドさんはじめ地元北海道の山を深く理解し、またこれを愛する北海道の岳人の皆様が、東京のツアー会社の食い物にならないように、今回のような悲しい経験をなさるのは多田ガイドさん独りで終わるように、尽力なさるのが肝要と思います。

    (文に書き、口で言うのはたやすいことで、恐縮至極なのですが・・。)

    ※ちなみに、山岳ガイドの国家資格化を要望する動きもあるようですが、国家資格にしても、ツアー企画が悪ければ事故は起こるわけですから、再発防止のためには、ツアー企画の事前チェックシステムや、おかしな企画をやっている会社に、是正勧告意見を出すことが出来るシステムを作るほうが肝要かなと思います。

  20. swanslab says:

    戸田新介様
    はじめまして。私は今回のガイドのひとりの多田くんの直接の先輩ではありませんが、彼のかつての所属クラブの登山を通じて、彼の人となり、登山に対する考え方など、ある程度しっている人間です。それだけに今回の事件は愕然とさせられました。戸田さんにおかれては、生還されてまだ日が浅く、胸中は察するにあまりあります。
    ほんとうは山ほどお聞きしたいことがございますけれども、決して思い出したくないこともおありでしょう。私の質問はまとめさせていただきまして、いったんこのサイトのウェブマスターにEメールにてお預けしたいと思います。
    どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

  21. jopi says:

    はじめまして。この遭難を知り、なぜ過去の事例が生かされなかったかと残念な気持ちとともにこのサイトを興味深く拝見しております。若輩な私自身ツアー登山に参加していて思うところが多々あります。確かにガイドの判断に疑問もありますが、参加したツアー客の意識はどうでしょうか。今回の事例での参加者はわかりませんが、私が参加したツアー(結構難易度が高い登山)は登山経験が豊富な方からそうではない方々と幅広い層でした。参加している方々の装備は全員とは言いませんが高機能なもので私ごときは手も出ないものを沢山揃えていらっしゃいます。しかし、登山工程表や注意事項が明記されていても、どこを通るのか、昼食ポイントどこなのかも把握していなかったり、衣服の調整も他人任せな方々も散見されました。悪天&難所で早く引き返したいときでも写真撮影をゆっくり行い前列と後列が大きく離れてしまいガイドさんが注意したときがありました。がそれに苦情を言い立てるお客の側にびっくりしたことがありました。山は厳しい、天国と地獄があるということを参加する側もしっかり認識することが大事と思います。少なくとも危険性の提示についてはアミューズが特に劣っているとは思いません。しかし参加年齢層や経験を考慮した天候急変時や事故時の対処については今後十分に対策を練ることが必要と思われます。

  22. silvaplauna says:

    戸田新介様

    はじめまして、私のつたないブログにコメントをいただきありがとうございます。

    まず、

    この度は、お疲れ様でした。
    九死に一生の御生還、心よりお歓び申し上げるとともに、
    沢山の山仲間のご無念、心よりお悔やみ申し上げます。

    先ほど、当方より戸田様あてにご挨拶のmailを送らせていただきました。よろしくお願い申し上げます。

    戸田様の情報をもとに、不適切な箇所を適宜修正して参りたいと思っております。

    まだまだお疲れが残っていると思うのです、お時間のあるときにゆっくりで構いませんので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

  23. silvaplauna says:

    swanslab 様

    こんばんは、いつもありがとうございます。
    先ほど、mail受け取りました。

    明日、戸田様に転送させていただきます。

    今後ともよろしくお願い申し上げます。

  24. silvaplauna says:

    jopi 様

    こんばんは、コメントをいただきありがとうございます。

    お書きのように、ツアー客にも、体力があまりない方から、相当に強い方まで、ピンからキリまでのようです。
    ツアー客がそこそこ登れる方だと、ガイドさんも楽で助かっているみたいな話しも聞きます。

    ですので、今回も、体力レベルが、もう少し高かったら、これほどまで酷い結果にはならなかったと言えると考えます。

    私もNHKのクローズアップ現代をツアーの皆さんはものすごく高そうなウェアを着ているなぁと思いながら見ておりました。と同時に、あんな高いウェアなのになんで、命が助からなかったのかな、と疑問に思いました。

    高機能、高品質のウェアなら、苛酷な状況でも身体を守ってくれそうですよね。
    だから、出来ることなら今回、命を守ってくれなかったウェアを製品名とメーカーを公開してもらいたいところです。

    こういう事故が起こると先ず使われる「自己責任」という言葉もございますが、私はあまり好きな言葉ではなく、何でもかんでもこれで済ますことは出来ないと考えております。

    今回でも、ツアー主催会社の説明責任がまず問題になると考えます。つまり、このルートはこれこれの難易度で、天気が悪いと、こういう状況になって、低体温症や、疲労凍死の恐れもあります。などをきちんと事前に説明しておくことです。

    その上でこそ参加する側の自己責任も問えるのだと思います。

    アミューズトラベルの場合、jopi様がお書きのように事前の説明責任が十分に果されているのなら、社会的な非難も多少は減ずると思います。・・それにしても、引き起こした結果があまりに大きく・・。お亡くなりになった方のご無念や遺族の方々の胸中は察するに余りあります。

    その一方で、ガイドはガイドで現在、あれこれ批判の矢面に立たされ、その胸中もまさ察するに余りがあります。

    私のスタンスは、ガイド、会社、参加者のどれが悪者かを決めることではなく、また、事故は構造的に発生したものだと逃げることでもなく、意思決定の過程で、どこに間違いが生じて、どこを糺せば、これほどまでに大きな事故にならなかったのかを少々突っ込んで解明しておこうという点にあります。
    それが、私を含めた今後の安全登山に役立つと思うからです。

    その過程で、jopi様ご指摘の参加者の意識の問題、ツアーへの取り組みの姿勢も問題になってくると思います。

    さて、お書きのように、確かに、ツアーにはマナーの悪い方もなかにはいらっしゃるようです。

    なかには、どこそこの山に登れなかったのは、ガイドのせいだ!
    と暴言を吐く方も居られると聞きます。

    ですので、今回も、トムラウシに引きずられたのかな?と思えなくもないのです。つまり、お客さんの満足を得るために、ちょっと無理をしてトムラウシ超えを目指した。そしてそれが裏目に出た・・。

    だから、考えようによっては、今回のようなケースは、すべてのガイド登山に起こりうることであり、よくよく見極めておくことが、今後のためにも大切だと思っております。

    これからもお気軽にコメントをお寄せください。 よろしくお願い申し上げます。

  25. はじめまして。
    だいぶん前にこのサイトを知り、継続して拝読しています。
    緻密で息の長い連載のご考察、頭がさがります。
    私の拙いブログでもトムラウシ遭難への自分なりの考察を何回か書いたところ、膨大な数のアクセスがあり、あらためて今回の事故への関心の深さを知りました。
    ただ、残念なことに各種WEBサイト、新聞の報道記事、週刊誌の記事など、どれも断片的な情報ばかりです。
    その点、このサイトの情報量と正確さ(正確さを追い求めていらっしゃるご努力)には感嘆しています。

    私ごとですが、北海道旭川の高校山岳部にかつて所属していて、十勝・大雪はホームグラウンドでした。
    それほどたくさん登っていませんし、トムラウシもとうとう登れませんでしたが、憧憬の山でした。
    そんな思いもあって、今回の事故の痛ましさを感じています。

    まとまりのないコメントで失礼しました。
    私のブログに、こちらへのリンクを記載させていただきました。

    今後も読ませていただきます。

  26. silvaplauna says:

    やまおじさん さま

    こんにちは、はじめまして、私の至らぬ記事をお読みいただき、まことにもって恐縮至極です。

    お書きのように、最初私たちに入ってくる情報は、断片的なものばかりで、おまけに前後入れ違って入ってきたりで、なかには憶測の情報もあるわで大変でした。

    そもそもこの記事は、そんな断片をつなぎ合わせるための個人的なメモの形で書き始めたものなのです。

    なかでも、一番大変だったのが、松本仁ガイドさんの情報で、当初この方は真っ先に下山したものと考えておりました(汗)。

    今でも謎がいくつかあるのですが(例、遺体発見現場と人数の食い違い)、キーポイントとなる客観的事実はほぼ抑えたかなと思っており、今は、主観的事実の考察を少々行っております。

    でも、そもそも主観的事実は、インタビューするしか他になく、それが出来ない身の上では、客観的事実からの推測になってしまいます。

    例えば、2002年の事例について、3人のガイドが知っていたのか?知らなかったのか?については、ガイドで飯を食っているくらいなら知っているのだろうし、知っていなければならないはずだと考え、更に・・であるならば、2002年のキーポイントである低体温症についても知っているはずだし、知らないでは済まされないだろうと推測、低体温症が発症するのは行動を初めて5時間~6時間で、それがタイムリミットであることも、関東に住んでいる私が知っているくらいだから、北海道のそれもガイドさんなら基礎知識だろうと推測して、記事を書いております。

    また、事実の「評価」にしても松本ガイドが先を急いで、置き去りにしたことを、swanslabさまご指摘のNHKの解説では、ベテランガイド(誰だか不明?)の権威を持ち出して、置き去りにするのは良くない!と一刀両断にしておりますが、先を急いだからこそ、午後3時54分に110番通報が出来たわけですし、もし先を急がずにゆっくり歩いて、前トム平あたりで松本ガイドが低体温症で倒れていたら、標高もあるので9人目の犠牲者になっていた可能性すらあります。当然、110番通報も更に遅れたことでしょう・・。

    事実の評価は、白黒いくらでも好きなようにつけられるけれど、事実自体は、なかなか見えてきません。

    幸い、多田ガイドの先輩筋にあたるswanslabさま、そして、九死に一生を得た戸田さま自らがご協力を申し出ていただけました。(夢のような話しです。)

    だれかれが悪いと決めるのではなく(それは裁判所でやればよい作業です)、どうすれば助かったのか、われわれはこれからはどうするべきか?をほんの少しでも解明できれば、すこしは世間様のお役に立てるかなと考えております。

    戸田様のご指摘を待って、事実関係の修正を行う予定です。(本文を変えるのは面倒ですので、追記の形にします。)

    つたないブログですが、これからもよろしくお願い申し上げます。

    追伸

    まだ、山は現役でいらっしゃのでしたら、トムラウシを諦めないで、ぜひ登ってください。

  27. やまおじさん says:

    さっそくのレスポンス、ありがとうございます。
    おっしゃる通り、誰が悪いというような「犯人探し」ではなく、事実関係の積み重ねのうえで、今回の遭難(そしてこれから先も起きる可能性のある遭難)を考えたいものですね。

    これまた私ごとで恐縮ですが、高校生のときに、白雲岳から忠別岳、化雲岳を経由して天人峽温泉に下ったことがあります(今から40年も前のことですが)。
    とても長いルートだった記憶があります(前夜は忠別岳避難小屋泊、ただし、当時は崩壊していてビニールハウスでした)。

    エスケープルートのことを取りあげていらっしゃいますが、今回のパーティーには、エスケープルートは鼻から念頭になかったのではないかという気がします。
    私は、避難小屋停滞、救援要請という選択ができなかったのかな、と考えています。

    このあたりは、生還された方々のお話を聞かないとわからないことかもしれませんね。

    追伸)北海道から東京に移り住み、本州で山登りを再開しましたが、現在は休眠しています。
    ツアー登山に参加したことはありませんが、信頼できる(親しくしていただいた)プロガイドさんに、雪山・岩登りの初歩・アイスクライミングなどを教わったことがあります。
    ガイドのあり方、さらには、ツアー登山のあり方が問われる事故だったように思います。

  28. silvaplauna says:

    やまおじさんさま

    地元の岳人のあいだでは、エスケープルートの情報が共有されていたけれど、さすがに、アミューズツアーの社長さんまでは知らなかったのでしょうね。

    swanslabさまもお書きのように、エスケープが出来ないルートで、というのが、いわばマスコミの作り上げた先入観だったようです。

    エスケープが出来ないのでは、突っ込むか、停滞するしかない、なんで停滞しないで突っ込んだんだと、話しを簡単にするには、エスケープルートがないルートですって、あらかじめ植えつけておけばよいわけですので・・。

    その効果(?)あって、「何で停滞しなかったんだ!」論者が圧倒的多数になりましたよね。

    この有様を評して、みなさんマスコミに「誘導」されてるなぁ~と感じるのは私だけでしょうか?

    かく言う私も、途中まではひっかかっていたのですが、swanslabさまのお蔭で、誘導されずに済みました。(危ないところでした。)

    ここだけの話しですが、刑事裁判で真実が明かされるのを期待しますと書いてはいますが、はたして、真実を明らかにしつつ現場に立った緻密な思考で裁判をやってくれるのか?
    マスコミに誘導されている世間一般の頭で大義名分のもとに一刀両断してしまうような大雑把かつ定型的な裁判になってしまうのではないか?大変気になります。

    なんかがっかりするような肩透かしの裁判だったね、なんてことにならないようにお願いしたいところです。

    (こちらのコメント・・一旦書いたものを、わかりやすく書き直しました。)

  29. ローズ says:

    わたしもどうしてこの大量遭難が起こったのか,知りたくてこちらに行き当たりました。

    そして,今回の事故は,いろいろな要因があると思いますが,防止には,「先導者である山のプロのガイドがそうでない人への理解を深めることが必要である」と思います。

    エスケープルートをたどれば,みんな助かったようにお考えのように思いますが,そのルートでも11時間は歩かないといけないコースです。
    実際は,出発から5時間で最初に動けなくなった方がでています。

    ですから,やはりそのルートでも「どこかで動けなくなった=遭難した」可能性があると思います。ビバークも木が生えているエスケープルートあれば,実際なくなった地点より環境は良く,助かる率も多かったのかもしれませんが,そんな一か八かの手段を取るというのが、そもそも理解できません。

    テレビで助かった女性のコメントを聞きましたが,「小屋は(プロの方には常識かもしれませんが)火の気がなく,着ているものも寝袋も濡れていてろくに眠れなかった」と言っていました。そんな状態でもエスケープルートをたどれば助かるのが,登山のプロなのかもしれませんが,参加者がそのレベルにあったか疑問です。

    例えば,事故の原因として「亡くなった方の装備の大部分は不備だった」と言われていますが,そのような登山のプロには当たり前で,注意することもないような常識でも、亡くなった方には(こういう言い方は失礼かもしれませんが),常識ではなかったということです。

    そういうことを無視して,登山のプロがプロの価値観を主張し続ける限り,事故はなくならないと思います。

    知識と経験が豊富なコメントを寄せられた方のような地元のガイドさんばかりだったら起きなかった事故かも知れません。

    しかし、計画が強行軍かどうかは,素人には判断できません。
    旅行会社が立てたものだし,プロのガイドがついてくるんだから,妥当で安全な計画だろうと思うのが普通です。

    「その判断ができないやつは山を登るな」とは,わたしも思いますが,「自分が判断できるかどうかも判断できない」のが,素人たるゆえんだと思います。

    こちらでも紹介されていますが,同じ日に同じルートをたどって誰も死ななかった・遭難も起こさなかったグループがおられます。報道によると,そのグループは、前夜同じ小屋に泊まって、死者が出たツアーグループの後ろを歩いていたけど,追い抜かしたそうです。

    このグループは,商業的なツアーではなく,登山のグループだそうで,すなわち,登山のプロやそれに準ずる人だけでメンバーが構成されていれば,助かった行程なんだと思います。

    つまり,「登山のプロであるガイドだけで出された結論=悪天候でも出発する」は,<登山家だけの間>では、ある意味「当然取るべき結論」であると言えると思います。

    ただし、あくまでも<登山家だけに通用する結論>であり,いろんな力量の混ざったその他大勢のグループには通用しなかったということだと思います。

    だからこそ,わたしは,「登山のプロが,登山ではこれが常識だ」と主張して,素人とのギャップを埋めない限り,事故はなくならないと思います。

    ですから,岳人が岳人の頭で判断している限り,素人も含めたグループの引率をしていれば,同じことを繰り返すと思います。
    「岳人が岳人の頭で判断して結論を出してよいのは,その構成メンバーがすべて岳人である場合」だけだと思います。

    岳人であろうガイド3人が相談して取った結論は,「エスケープルートをとる」でも、「停滞」でもなく,「ルートを変更せず,出発」です。

    もちろん「どうしてエスケープルートを取らなかったか」という理由の解明は必要だと思います。

    しかし、「エスケープルートがある」という事実が,裁判が左右されるとは思いません。また,されてはおかしいと思います。

    「交通事故の原因が,スピード超過である」として,「その車にブレーキがついていた」ということが,「スピード超過の事故を防ぐための,大きな要因」にはならないのと同じことです。

  30. silvaplauna says:

    ※戸田新介さまからいただいたコメントは、本人のご希望により削除させていただきました。ご本人の平穏な生活を守るための措置です。ご覧の皆様のご理解とご協力、宜しく御願い申し上げます。

  31. marchhare says:

    この事故で何が起こったのかと、ずっと読ませていただいる者です。
    戸田新介さんのコメントが出た時、より詳しい状況がわかるかと期待した反面、やや不安になりました。
    silvaplaunaさん、swanslabさんとも、冷静な方とお見受けしますので、いらぬ心配かと思いますが、これまでのような慎重な発言を期待しております。
    (応援のつもりですので、silvaplaunaさんに読んでいただけば、このコメントは削除してくださって結構です。)

  32. silvaplauna says:

    marchhareさま

    こんにちは、コメントをいただきありがとうございます。

    戸田さまによりますと、数日前にここに書き込んでいただいたコメントから、戸田さまのメールアドレスが、第三者に分かってしまって、迷惑メールとかでお困りになっておられるとのこと。
    それを受けて、さっそく、戸田様のコメントは削除したのですが、いま考えると、marchhareさまのコメントを見ても分かりますように、いただいたメールアドレスはここでは表示されませんよね??(ホームページアドレスは、やまおじさんのコメントのように表示されるのですが・・。)

    ですので、たぶん、ここ以外のところから漏れたのであろうと思い、戸田さまのほうにも心当たりをあたっていただけるようにご連絡差し上げました。

    swanslabさんからいただいた質問を戸田さまに転送し、ただいまお返事を待っているところです。20近くの質問がございましたので、何回かに分けて、ご回答いただこうと考えております。

    marchhareさまも、お尋ねになりたいことがございましたら、私にメールくだされば対応させていただきます。

    これからもよろしく御願い申し上げます。
    慎重さを欠いた発言がありましたら、ご忠告のほうよろしく御願いいたします。

  33. silvaplauna says:

    ローズさま

    こんにちは、コメントをいただきありがとうございます。

    お書きのご意見いちいちごもっともです。

    まず、エスケープルートでも、11時間の件ですが、やはり北海道の山ですので、本州の山とは違いそうなってしまいます。奥多摩や、八ヶ岳あたりとは山が違うということでしょう。
    奥多摩あたりで11時間のコースというと、三頭山から、五日市駅まで36キロのルートになります(例のハセツネコースの半分にあたります)。トレイルランナーならともかくそういうルートを一日かけて歩く中高年の方はまずいらっしゃいません。

    北海道のガイドの方は、本州の中高年登山者が週末に日帰りで歩いている距離や登山道の難易度をよく了解した上で、北海道の山をガイドしなくてはならないと思います。

    いわゆるお客さんの視点に立って、のガイドが大切なんだと思います。

    ツアー会社は、無理な日程での強行ツアーを経費を切り詰めて企画し、ツアー料金が安いのは、お客さんにとっては助かりますが、その見返りで、一日の歩行距離が長くなったり、悪天候でも強行するとなると、安いだけが売り物で、お客さんの視点には立っていないといえそうです。

    そういう悪いツアー企画は締め出せればよいと思うのですが、今の世の中は、あこぎな商売をしている会社がデカデカと目立つ広告を出している始末です。(某ウサギの英会話学校しかりです。)
    それこそ、消費者相談センターでも必要になりますね。

    お金の安さにつられないで、日程に余裕があるツアーを選んでくださいと、アドバイスするしかありません。

    そうですね、ツアー客の体力レベルをよく把握することが、大切であると思います。

    今回の場合、ヒサゴ沼避難小屋に停滞した場合、旅行会社からガイド達に何らかのペナルティが与えられたかもしれません。ガイドは使われるという弱い立場の人間です。

    本当のガイドなら、たとえ解雇されても、ヒサゴ沼避難小屋に停滞したかもしれませんが、生活がかかっていると考えると、旅行会社の日程に沿った行動をせざるを得ないと思います。
    ・・となると、少々無理な距離をエスケープしたり、悪天をついて行動したりとなってしまいます。
    ガイドも食べていかなくっちゃいけませんから・・・。

    ちなみに、今回の事例で、エスケープルートがあったというのは、ガイドの責任を軽減するものではなく、他のより安全な選びうる手段があったものとして、予定通りにルートを進んだことにより強い非難を与える効果を持っています。
    ですので、逃げ口上にはなりませんのでご安心ください。

    鎌倉や、京都のバスツアーのような感覚で、ツアー会社が登山のツアーを企画し、登山家は、ガイドとして安く使われているというのが現状でしょう。

    そういう実態は、ガイドの旅行会社への隷属を生み出すので好ましくはないと考えます。

    この場合、消費者はツアー参加者ですので、消費者保護の立場から、ツアー企画内容の適正な監視や、監督を行う必要がありますね。

  34. swanslab says:

    ローズさま

    ご趣旨ごもっともとです。実際ローズさんと全く同じお言葉をツアーの参加者の人たちから聞くことが多いです。私の山好きの叔母さんも同じことをいっておりました。
    五郎右衛門さんとのやり取りのなかで、私は、エスケープがあるのだから、停滞など考える必要ないかのような発言をしておりますが、明らかに言いすぎです。これはやはりリアルタイムのパーティ評価を踏まえた天気基準であるべきですね。

    もしリーダーがパーティの評価を怠って、パーティの行動能力が計画時と変わらないと信じて、計画通りに動いてしまったら、それはリーダーの過失といえるでしょう。ただ、私のルート・天気イメージでは、エスケープもできないほどパーティの能力が劣化している事態というのはただことではないです。本当にそんな事態であったかどうかは疑問が残る、というのが正直な感想ではあります。

    しかし、同時に事前の計画をよく練るというのも重要です。よくできた登山計画というのは、パーティの行動変容も織り込んで計画を作るものです。たとえば行動時間が長くなれば、弱者の疲労も織り込んで、天気基準をあらかじめ安全側に設定したりするものです。そういう意味で、計画時点で安全を担保しうる領域というのは、かなり広いのです。

    ところで、具体的に、遭難パーティの抱いていた計画とはなんだったか、というと、これは恐らく、3名のガイドの頭のなかにしかなかったというほかありません。なぜなら、私も経験上、いろんなツアーをみておりますが、企画会社は登山計画を検討する能力が極めて低いのです。ようするに、極端な話、行程表ぺら一枚を計画だと勘違いしているふしがあります。少なくともアウトソーシングされたガイドは、渡された行程表だけから、本来あるべき計画を推測し、再構築しないといけない不幸な状況にあるように私は思います。

    本来、プランニングなどというのは、計画実施前にとっくに共有されていなければならないものですが、とりわけ今回の遭難パーティの場合、ことによると、ガイド3名自体も初顔合わせであり、前日のホテルで計画の打合せをした程度かもしれません。これはアミューズだけを責めている問題ではなく、他のほとんどのツアー会社も同罪です。行程表だけを渡して、あとはガイドの好きにやっていいというのであれば、それは、ガイドが登山計画をするも同然です。

    企画会社が計画の目録だけをつくり、ブレイクダウンをガイド任せにするのは、それはそれでリスク要因です。
    なぜなら、第一に、プランニングまでするとなればそれだけで負担であること、第二に、ガイドがその場でプランニングし、即実行する、とすれば独裁者と同じ暴走の危険をはらむからです。

    これは完全に別項で論じるべきことになりますが、私は、吉川さんと多田くん、そして松本さんの三人がどういう権力関係にあったのかをもう少し具体的に知りたいです。

    生還された戸田さんの証言に「リーダーシップをとれる人間がいなかった」とあります。これは、多田くんを知る私にとって、めちゃくちゃに突き刺さる言葉だったのです。これについてはまた改めて。

  35. ローズ says:

    silvaplaunaさま

    お返事ありがとうございます。

    おっしゃるように,様々な要因が重なって起こった事故だと思います。旅行会社の体質やツアーの計画の問題点も,こちらで再三のご指摘の通りで、それこそが事故が深刻化した原因だと思います。

    おっしゃるように,第三者的な機関がそのツアーの安全性を検証することも必要なんだろうと思います。そして,商品として売る以上は,「不良品でないか」というチェックも当然必要だと思います。

    >本当のガイドなら、たとえ解雇されても、ヒサゴ沼避難小屋に停滞したかもしれません
    >が、生活がかかっていると考えると、旅行会社の日程に沿った行動をせざるを得ないと思います。
    >・・となると、少々無理な距離をエスケープしたり、悪天をついて行動したりとなってしまいます。
    >ガイドも食べていかなくっちゃいけませんから・・・。

    についてですが、今回の場合ですが,もし以下の朝日新聞2009年7月20日4時49分 の報道が本当なら,出発前、出発後も複数客がガイドに停滞を要求しています。

    複数客、出発前にガイドに「中止を」 大雪山系遭難
    http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907190369.html

    おっしゃるように「会社の方針から外れて職を失うかもしれないから」という理由だけで、それを押して出発・続行したのなら、先のコメントにも書きましたが,あまりにも相手(素人)を知らなすぎる判断だと思います。

    ですから、これからは、山のプロの立場だけでなく,「素人がどういう人たちである」かを良く知っていただきたいと,意見を申し上げたのです。

    例えば,今回の事故では,プロでない素人の人は,以下の5点はあり得るということを知って,それに対処するべきだと思います。

    1)装備の不備があり得る;考えられないくらい軽装で参加もありえる ・必要な装備さえ持っていないこともありうる。(でも,自分では十分な準備だと思っている)
    2)自分の力量を知らない:力量を超えた登山に参加することもある。 (でも,自分では十分いけると思っている。)
    3)自分の力量を量ることができない:自分が,その都度その都度の計画や行動を遂行できるかどうかもわからない (本当にできないと予測がついても,ガイドの指示に従ってしまう)
    4)計画自体も把握していない:例えば,「予備日がない=停滞はない・どんなことがあっても行動を遂行する」ということも知らない。 (当然,何か不測な自体が起こったとき,自分の力で帰って来れるかどうか,自分を顧みることもしない)
    5)危機になった時の対処法を知らない

    以上の5点を書いて,わたし自身,上記に当てはまるような人は,最初から登山ツアーに参加するべきではないと思いますが,それが当てはまっているかどうかも,そもそもの発想にないのが素人だと思います。

    「素人がどういう人たちである」か自体は,もちろん,ガイドだけでなく,旅行を主催する会社も知っておくべきだと思います。ただ,よくチラシにも載っている聞かれる誘い文句に「ガイドがついているから,大丈夫=(あなたの力量では行けない難易度の高い山でも登山が可能)」という、最初からツアー客自身の力量不足の山に連れて行くという前提があるなら,会社の問題点の改善は難しいでしょうね。

    そして,ツアー参加者も賢い消費者にならないといけないということなんでしょうが,判断の橋渡しとして,silvaplaunaさんや、swanslabさんのようなプロの方が,ここのページのような検証をされ,情報不足は補って,公開され続けることが必要なんだと思います。

    連日,検証し続けるのも大変だと思いますが,応援しています。
    わたしも,だれでもが持っていた方が良い知識だと思い,こちらのページはことあるごとに知人に紹介しています。がんばってください。

  36. ローズ says:

    swanslabさま
    お返事ありがとうございます。
    当事者にとても近い立場で精神的にも辛いところで,的確な情報を寄せてくださって,本当にありがたいと思います。

    わたしは,swanslabさんのご意見は基本的にもっともだと思います。登山家グループでは、当然出される結論と行動であることは、同じ行程をたどって遭難しなかった別のグループの存在で,証明されていると思います。

    ただし,今回は,先にあげた朝日新聞の報道が本当なら,「出発前から健康と体力の不安を訴えていた複数の客」がいたようですので,エスケープルートを辿っていたら全員が何事もなく下山できたかは疑問に思います。

    そして,「力量以上の山でもガイドがいるから大丈夫」というような前提なら,「エスケープもできないほどパーティの能力が劣化」もあり得ると思います。

    テントの中で救出されて助かった女性は,「前日も一日雨に降られ濡れながら歩いた」とテレビで証言されていました。またその方は,同じインタビューで「自分は以前北海道の登山ツアーに参加して,その時も相当寒かったので,寒さ対策は万全できた」とも証言されています。

    それが真実であるなら,装備の悪い方は、寒さ対策も不備で,前日も夜も濡れて過ごし,急激に,かつ相当に疲労されていたと思います。

    ただし,全員だとは思いません。

    比較的濡れなかった方もおられるでしょうし,避難小屋でも場所によって環境がずいぶん違うと思いますから,身体を休められた方もおられると思います。また,元々体力があって,そこまで疲労されなかった方もおられると思います。

    ただし,これも全員ではなかった。ということなんだろうと思いますが、今後,ぜひ明らかになってほしいと思います。

    せめて「出発前に,健康や体力が不安で,停滞を申し入れた人」だけでも,停滞できなかったかなと思います。

    >生還された戸田さんの証言に「リーダーシップをとれる人間がいなかった」とあります。

    わたしも,その点は疑問でした。そして、先の新聞報道でも,「山頂付近で停滞した時,ツアー客が救助要請をしたのに,ガイドが要請しなかった」とあります。

    どうしてなんだろうと思っていましたが,これは、こちらのページでご紹介していただいた「低体温症」のページ

    http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html

    を拝見すると,ガイドの方達は既に「軽度の低体温症」にかかっていた可能性があると思います。

    そちらのページによると,

    「軽症(35~33度)  無関心状態、すぐ眠る。歩行よろめく。口ごもる話しぶり。ふるえ最大。(協力的にみえて協力的でない。まともそうに見えてまともでない。)」

    つまり,まともそうに見えても,もうちゃんとした判断力がなかったのではと思うのです。

    ガイドの方は,当然参加者より荷物も多く,自分よりツアー客の方を何かと優先していたと思います。つまり,同じ行程を取っていても,負荷は大きかったのではないかと思います。

    ですから,一部のツアー客は自力下山できたのに対し,ガイドで自力下山できた方はおられなかったのではないかと思います。

    救助にあたった自衛隊の証言は,「亡くなった方は全員薄着であった」とありますが,ガイドである吉川さんも薄着であったなら,それもどうしてだろうと思うのです。わたしは、誰かに自分の装備を貸したのではないかと思ってしまいます。

    そして,(ガイドとしてはそういう発想はなかったと思いますが,)付き添いをやめてご自分だけでも避難小屋に戻れば,命は助かったのでは,とまで思ってしまいます。

    吉川さんを良く知る方のコメントとして,「あの人は,一番危険なところに,最後まで残る人だから,誰かの身代わりで死んだんだろう。」という報道がされていました。

    何度も遭難を防げたかもしれないタイミングで,遭難の方へ選択をした結果の事故であると思います。しかし,ひとたび遭難した後の判断として,「一緒に死ぬのがガイド(山のプロ)としての責任の取り方」ではなく「自分を含め一人でも死者を出さない。最悪自分だけでも生き残る」というのが,本当の責任の取り方だと思うのです。

    今後,一人でも亡くなる方が減ってほしいと思い書きました。

    こちらのページも,swanslabさんのご意見も,これから登山ツアーに参加しようとしている人にとっては,必要最低限の知識だと思います。

    大変だと思いますが,これからもご指導していただければと思います。
    ありがとうございました。

  37. swanslab says:

    ローズ様

    ご教示いただきました朝日の記事および戸田さんよりのご回答をあわせて考えますと、ローズさんが分析されているように、二つのことが改めて浮かび上がってきます。

    1.リーダースタッフは小屋出発時点で、体調の悪いお客さんの状況もふくめ、パーティの行動能力を過大評価していた疑いがある。
    2.少なくとも北沼の時点で、すでにリーダースタッフは軽度の低体温症に罹患しており、正常な判断能力を欠いていた疑いがある。

    「リーダーシップをとれる人間がいなかった」という戸田さんの証言はあまりにリアルな証言であり、忘れることができない言葉です。

    1979年3月に北海道大学山岳部が知床山地で吹き溜まりのテントを救出中にリーダースタッフが疲労凍死した事故を思い起こします。この事故では救助を呼びに下山した下級生のみが生還しています。このときの教訓は適切なテント設営場所の選定とともに、「余裕がなくなってからでは判断が遅い。余裕がなくなる前になんとかしろ」というものです。
    この教訓は、あらゆる危機管理でいえることで、例をかえると、アフリカやアジア地域ではマラリア罹患のリスクがありますが、以前、現地の保健担当に相談した際、「まず強力な解熱剤を飲んで判断能力を回復させることです。先にそれをしないと病院にいくという判断すらできなくなりますよ。」との答えががえってきたことがあります。

    それから
    >最悪自分だけでも生き残る」というのが,本当の責任の取り方

    これは、1962年暮れに発生した北海道学芸大函館分校山岳部の大雪山系遭難事例を想起させられます。悪天候でテントが崩壊し、その後いろいろ努力するものの、最終的にはチリジリバラバラになって下山、メンバー10名死亡、リーダー1人が旭岳付近の森林帯から生還した事例です。
    この事故については『北の山の栄光と悲劇』滝本幸夫著(絶版?)ならびに『凍れるいのち』川嶋康男 / 柏艪舎に詳しいです。後者はまだ読んでいません。

    私自身だったらリーダーになんと語りかけるでしょう。10日前、8名の尊い命を失うという壮絶な体験をした多田くんに、私はかける言葉を完全に失っておりました。留守電にメッセージを残したものの、言葉にならずほとんど沈黙のメッセージとなってしまいました。

  38. ローズ says:

    swanslabさんのお言葉はひとつひとつ重く,胸にきます。

    上記のコメントを書いた後,戸田さんの証言を拝見しました。こちらも,壮絶で,ひとつひとつが重く,衝撃を受けました。大変な思いをされて生還されたばかりなのに,こうやって状況を話してくださることについては,本当に頭が下がります。

    それでも,多田さんにまずかける言葉は,わたしだったら

    「生きててよかった」
    「よく無事に帰って来た」

    ではないかと思います…。

    亡くなった方のご遺族の気持ち,生還された方の思い,いろいろあると思いを考えると,軽々しくは言えないかもしれませんが,わたしはどうしても,

    「死んだらそれで済むのか?」

    と思ってしまいます。

    生きて帰らないとできないこともたくさんあると思います。

    例えば,亡くなった方が犬死ににならないよう,これ以上登山で亡くなる方が一人でも出ないよう,遭難の全容を明らかにし,それを広く公開することが,その次の責任の取り方だと思います。

    事故の全容が利害関係によって,闇へ葬り去られ,また同じことを繰り返すのが一番いけないと思います。

    おすすめの本は絶版の方は,図書館などで探してみます。後者の方も読んでみます。

    それから多田さんには,これからも「責任とって死ぬ」ということは,絶対していただきたくないです。

    (言葉足らずのところもあると思いますが,ご容赦ください。)

  39. swanslab says:

    ローズ様

    戸田さんは非常に勇気のあるお方だと思います。
    恐らくインターネットの片隅では、名前は出さずにぽつぽつと断片的にお書きになっている生存者の方もいらっしゃると思います。しかし公開され、セカンドレイプさながらに、根拠のない侮蔑や非難にさらされることを覚悟したうえで証言できるというのは、実際には大変なことだと思います。

    戸田さんがどうやってサバイバルしてきたか、の生々しい証言は必ずやこれから登山をしようというすべての人の心に残るものだと思います。

    多田くんにはこの事故を多くの命を失った悲しみから私たちへの教訓へとして昇華する責任があります。
    いまは敗北感で打ちひしがれ、たまらなくつらく、苦しいときでしょう。しかしそんな敗北者にしかできない仕事もあります。そのことにいつか思い至って、歩き始めることを願っています。

  40. silvaplauna says:

    ローズさま、swanslabさま

    いただいているコメントのお返事をすっぽらかしており大変失礼いたしております。

    右上のリンクにある「あぶないやまや」さんこと古田学さんは、2003年の秋に、群馬県の星穴岳で遭難され還らぬ人となりました、このWebsiteは彼の遺志も継いでおります。

    すべての物言えなくなった人の声を、代弁するのがここの役目であります。
    戸田さんがここにいらっしゃったのも、何かきっとご縁があったものと信じます。

    多田さんには、今回の事故で彼のライフワークたるべき仕事が出来ました、それを完遂されることを期待しております。swanslabさんにおかれましては、よき理解者となって、彼のライフワークを助けてあげてください。・・余計なお世話でしょうが、そんな気がします。

  41. ローズ says:

    swanslabさま

    >しかし公開され、セカンドレイプさながらに、根拠のない侮蔑や非難にさらされることを覚悟…

    そうですね。
    事件の被害にあわれた方の心のケアをするとき,ケアする側が「事件に関して中立であろうとするだけで,加害者側に立つことになる」ということがあります。

    それは,ご指摘のように,ケアする治療行為がそのまま加害行為になるということです。

    ですから、戸田さんが今回してくださっているように,実名でいろいろ話してくださることは,多大なリスクを背負っていただいているということで,私たちは,それに対して,できるだけ誠実に,慎重に振る舞わないといけないと思います。

    今後,世論はどういう風に流れるのかわかりませんが,「ツアー客の個人責任」ということになれば,少なくとも「会社とガイドの利害が一致」します。

    それは,莫大な利益が絡んでいるので,そちらに流れようとする力は相当なものだと思います。

    だからこそ、命がけで,戸田さんがこちらで発言をしてくださっているんだと思います。

    swanslabさんは、どうぞ今以上に力になってあげてください。
    (わたしがお願いするのも変ですが)よろしくお願いします。

  42. ローズ says:

    silvaplaunaさま

    連日,HPの更新、お疲れさまです。
    silvaplaunaさんが、このような検証をされるページを作られたことで,戸田さんが発言してくださる場があるんだと思います。

    わたしも知人を山で二人ほど亡くしており,自身は日帰りしかやったことが無い素人なのですが,それでも2回ほど場所と状況を変えて危ない目にあっています。

    今回ご紹介してくださった「低体温症」のページを読んで,わたしも一番危ないと思った時は,低体温症の前兆と軽度の間に居たんだと,初めて知りました。

    ですから「素人の人は…」と書きますが,それは,わたし自身のことなのです。その時々にそれなりに,自分ができる限りの準備をしたにも関わらず,その準備が足りないこともありました。

    また,大手のスポーツ店の登山用品コーナーに置いてある「発汗すると発熱する」という新素材の下着を揃えて,「これなら大丈夫だろう」と思ったら,寒くて寒くて大変な目に遭い、後でそのお店で聞いたら「いや実は,あれは登山くらいの汗をかくと却って冷たくなります。リピーターは,工事現場の誘導員や交通量調査など,じっとしている人だけです。」などと聞いてびっくりしたこともあります。

    それなら「登山用品コーナーに置くな」とわたしなら思いますが,それ以降も普通にどこのお店でも登山コーナーに置いてあります。

    こういう下着選びの失敗も,登山のプロの方なら犯さないんだと思います。わたしのこの失敗も,単に無知な素人が馬鹿な失敗をしているということなんでしょう。

    でも,「登山用品のコーナーにおいてあるなら,登山に使っても大丈夫だろう」と考えてしまうのが,素人です。

    今回のような事故を起こさないため,どの立場であっても相手を知るということが大切だと思っています。

    これからも,知識の共有にご尽力ください。
    あらゆる面で大変だと思いますが,どうぞよろしくお願いします。

    それから、swanslabさんはここでしか存じ上げないので,swanslabさんのライフワークも知りません。
    自分に何ができるかは全くわかりませんが,何か第六感(?)のようなものがひらめかれたんでしょう,仰せの言葉は重く受け止めたいと思います。

    ありがとうございました。

  43. silvaplauna says:

    ローズさま

    ご配慮いただきありがとうございます。

    ひと言で申しますと、以下のようになります。
    人間の行動を客観的に捉える立場から見ると、登山における状況判断行為の本質は、街中の日常生活での状況判断行為と、さして違いはありません。

    状況判断のダイナミズムは、われわれが日々実践している行為なのです。

    その判断の目安を定量化して、規範化し、広く共有できるものとすれば、状況判断ミスによる遭難発生は、かなり防げるはずです。

    分かりやすく例えると、山の中にも、信号機があって、ここから先には進むな!と赤が表示されるときがあるのです。そういう信号を見落として、突き進むと、交通事故(遭難)となります。

    今回、16日の朝、山の信号は、赤ないし、黄色でした。
    それを見落として、突き進んで、こういう結果になったわけです。

    素人の方にでも容易に山の信号を察知して、今何色か?見分けられるようにすること、そうすれば状況判断ミスによる遭難は格段に減ると考えます。そんな作業を、多田さんには是非やってもらいたいなと思っております。

  44. silvaplauna says:

    五郎右衛門 様

    どうも、一番最初にご指摘の情報、ヒサゴ沼避難小屋の「トコロテン方式」も、信憑性が出てまいりました。

    登山理論以前の問題であったようです。

    理屈に惑わされることなく、実際に、多田ガイドがなしたことに注目して参りたいと思います。

    理屈というのはあくまでも建前でありますので。建前に惑わされてはなりません。
    どんなに立派な理屈でも、7人も死なせてしまっては(ガイドは自己責任)、理論的に破綻していると酷評されましょう。

    swanslab様がお書きの完璧な登山理論も、生還された方の憤りや7名の方の御遺族の悲しみを癒すものでないことは事実です。

  45. silvaplauna says:

    lb005様

    別記事に、追加の情報提供ありがとうございました。またその御礼が遅くなり大変恐縮です。

    結局、寄せ集めのツアーガイドだったのですね。ツアーガイドというのは、仲間意識に乏しいのか、協力してツアーを成功させようといった熱意が少ないようです。

    チームワークの問題・・山岳会のパーティや、軍隊の小隊のような一致団結して相互連携しことにあたるといった姿勢が感じられません。

    それでは、作戦遂行は不可能ないし、失敗するのが目に見えていますね。

  46. バスケットシューズ says:

    silvaplauna様
    興味深く拝読し、綿密なる考察、感服しました。
    私は長年、趣味のひとつとして夏山をせいぜい年に2、3回(しかも大半は1泊2日)、全くの我流で山小屋理容の単独行をしていただけのものですが、そのようないわゆる半素人的な登山者として感じたことが少々ありますので述べさせていただきます。全く役には立たないかもしれませんが。
    トムラウシには12年前48才の時に、今回のパーティとは逆のコースを同日程で縦走したという思い入れもありますので。
    私が長年の我流登山で重要視していることは、
    ①基本的な体力と、それに見合った行程の選択
    ②悪天候の場合の停滞やエスケイプ
    ③雨具を始めとする装備と、やや余裕のある食料
    であり、特に①が重要だと思っています。若いころ、本格的に登山する前は、①のみの判断で登り、旅行の途中で健脚にまかせて登山装備も無しに快晴の1日に黒岳~旭岳を縦走し顰蹙を買ったこともあります。今、考えると赤面ものですが、基本的にはそれほど間違っているとも思いません。小西政継氏の言のように、私も1日くらいは何も食べず行動でき、何かの計算違いでバテたとしてもその後さらに命がかかれば2、3時間は歩き続けることができる、という自信が有りましたので。(もっとも現在は、バテたら本当にバテてしまうということが実感としても判りますので、高齢者の遭難原因の多くはそこにあり、自戒しなければ、と考えてはおります。)現在の高齢者の方々の状況を見ると①がおろそかにされ、③のみが重視されているように感じられます。特にツアー登山ではそうなっているのでしょう。また②に関連して、たまに日程に余裕のある時は下山してふもとの温泉に一泊というのが無上の喜びですが、旅館の予約は一切しないことに決めています。予約しているとどうしても多少無理をしても行かなければと思いがちですので。
    次にツアー登山について言えば、募集広告を見るにつけ、山でそういうパーティに会うにつけ、前々から不思議に思っているのは、同レベルの人をうまく集められるのだろうか、ということです。どうも見聞きするところから判断すると、レベルは自己申告のみのように思われますがどうなのでしょうか。少なくとも主催者側から、過去の山行歴と所要時間等について試験に近いような厳しい質疑応答を行い、最低レベルに達していない人は断る、ということが無い限り、遭難は今後も必然的なものだと確信します。仮に自分がガイドできる立場だったとしても、一人一人がどのような人かわからない寄せ集めでは、絶対にやりたくないですね。中の一人が危険箇所で立ちすくんでしまったり、行程の中央でダウンしてしまったり、という可能性は常にありうるわけですから。
    また今回の遭難でガイドの判断ミスは皆様の言われているとおりですが、自分でどうしても不思議なのは、途中で引き返すという選択がほとんど考慮されていないようだ、ということです。エスケイプルートについてはswanslab様が言われているとおりでしょうが、ヒサゴ沼~トムラウシ温泉間ではそれは無いわけで、それなら止むを得ない最悪の状況以外にはビバークという選択はないでしょうから、下山が無理だとわかれば引き返す、というのはごく当たり前の判断だと思いますが。私でも時間が予定以上にかかっている時には常にこのまま行けば小屋につけるかな、何時くらいになるかな、と考え続けてしまうのですが。ヒサゴ沼から尾根に出た後、1~2時間進めば、倍以上時間を要していることが明らかになるわけですから、ちょっと考えればそのままうまく行ったとしても下山は真夜中になるわけで、疲労が加算されればもっと大変なことになり得る、ということはガイドの人なら簡単に思い至るはずですが。最初の人がダウンした時点では引き返すのも困難があるかもしれませんが、出発から3時間以内なら、全員十分に引き返し得たはずだと思いますし、パーティの個々人の状況を観察すれば十分にそういう判断がなされたはずだと思います。。もっとも、後のパーティとのトコロテン問題はさておきですが。

  47. silvaplauna says:

    バスケットシューズ様

    私のつたない記事をお読みいただき感謝いたします。このやたらに長い記事は、前半が事実関係、後半が情報元の記事、なかばに私の考察①~⑫、そのあとに戸田氏の体験記と続きます。

    私の考察①~⑫は、戸田氏の体験記を伺う前に、十分固めておいたので、戸田氏の体験記の影響は受けていません。

    戸田氏の体験記は、今回の事故に遭われた立場で書かれています。被害者の立場ともいえましょう。

    コメント欄でしばしばご登場のswanslab氏は、中立な立場だと信じたいのですが、どちらかというと多田ガイド同情論ですのでその点お含みおきください。

    私の立場は、考察⑫にコンパクトに書いてあります。必要以上に多田ガイドを責める気持ちはさらさらないのですが、やはり、事故原因は、多田ガイドの事前調査ミス。状況判断ミスにあると考えます。

    ___________________

    本文にも書きましたとおり私は、小西政継さん方式の登山観をもっていますので、いざというときは、2、3日、食糧なしでも行動できるだけの体力を養うのが安全登山の第一歩であると信じています。小西さんの本には、登山の第一歩は30k~40キロぐらいのキスリングを背負って平気で歩けるだけの体力を養うことであると書かれています。

    見聞きした話しでは、ワコールのCW-X、キネシオテープ、ダブルストック、それとアミノバイタル・・・が中高年登山者のいわば三種の神器となっており、それらを使いこなすことで、穂高の難ルート(尾根ルート)も歩いてしまうと聞きます。基本的な体力を補うデバイスが発達しこうした登山者を支えているようです。

    今回も高機能の雨具や、各種栄養補助食品の摂取によって、悪天を生きぬけられるかと思われたのですが、やはり「戦略のミスは、戦術では補えなかった」ようです。

    ________________________________

    ツアーについては、私も一回もこういうのに参加したことがないので、同様の疑問をもっています。

    人から聞いた話しですが、岩崎元郎さんがおやりの無名山塾あたりでは、まず通年の講習を受けさせて、そこで、尾根歩きからひととおり、12本爪アイゼンが必要な冬期登山まで経験させた上で、ようやく無名山塾主催のツアーに参加できる資格を与えているようです。

    そうすれば参加してくるお客さんの実力が事前にある程度分かっているので、引率する側も大分楽となるのでしょう。

    一般的には、年齢制限があるだけのようです。(その年齢制限も常連さんには甘くなるとか・・?)

    __________________________________

    今回は、「途中撤退」・・これがいわば最後の選択でした。

    個人の登山家は、自分の身体の言うことに素直に対処でき、無理ならきっぱり諦めて、次の機会を待つ。といった柔軟な対応が出来るのですが、18名の大所帯では無理なのか?・・やはりそこら辺が、ガイドの手腕にかかって来るんだと思います。

    今回の事例をヒマラヤ登山に例えると、「荒天の中、天候の回復を信じてアタックベースキャンプを出発したのはいいけれど、遅々としてペースが上がらず、一旦撤退して、翌日を待てばよかったのに、頂上を目前にして動けなくなった者が出て、散り散りになって下山、ほとんどの者が遭難、アタックベースキャンプに自力下山出来たものは、3割以下である。」となります。

    小西さんの言葉を借りますと、「山の計算」が出来なかったのでしょう。目標とする山のルートの難易度と、自分の体力、技術、パーティの実力、を照らし合わせて計算して、山の難易度が勝る場合には、その山には登れない。

    昨日コメントをいただいたbushiさんや、バスケットシューズさんはきちんとこの山の計算をなさっていらっしゃる。

    ところが、16日朝、ヒサゴ沼避難小屋で、このパーティのツアーガイドはこの山の計算を間違った。で、無闇な突進をした挙句、ああなってしまった・・。

    60歳の吉川ガイドあたりが、きちんと制止するなりすればよかったのに、弱冠32歳の正ガイドの暴走を止められなかったようです。

    山では体力よりも経験が物を言います、亀の甲より歳の功。

    出るときと引っ込むときをわきまえている者が、山の世界では長生きできるようです。

    トコロテンの問題をヒマラヤ登山に置き換えますと、
    「第二次登頂隊がアタックベースキャンプに入る予定なので、当日、悪天候をついてでも頂上アタックをしなければならなかった。」・・となります。

    そういう馬鹿な登山隊はいまだかってどの国にも存在したことなどないと言い切れます。

    でも、そういった事情が、ツアー登山にはありえるようです。
    高尾、陣場あたりの低山ならトコロテンも分かるのですが・・。

  48. swanslab says:

    皆様

    私の記述に関して、諸賢のご判断にお任せいたします。
    少しさびしい気持ちで私はここをさらせていただきます。

  49. silvaplauna says:

    swanslab様

    お疲れ様でした。
    身近な方が、いちばん責められているのですから判断が曇ってしまうことも仕方がないことです。

    でも、わたしもいろいろと勉強させていただきました。

    最終的には、字面ではなく臭いで判断させていただきました。
    それが私のヤマカンということで、ご諒解ください。

  50. marchhare says:

    引き続き興味深く読ませていただきました。
    戸田さんの返答に対するswanslabさんのコメントは、質問者ご自身ならではのものと、感心して読ませていただきました。
    それだけに、わたしにとって唐突とも思える幕切れが、残念です。
    ともあれ、swanslabさん、silvaplaunaさん、ご苦労様でした。

  51. silvaplauna says:

    marchhare 様

    いつもお世話になります。
    明日、第四回のご回答を公開させていただきます。

    大分、私の見解も動きましたが、ようやく大まかな争点と、それぞれの立場が判明してきましたので、これまでのようにふられることなく客観的に、事案の細部も検討できると思います。

    時間の関係で、週刊誌や、テレビからのこの事件に関する続報を一切収集しておりませんので、争点となる問題に関して、メディアに確実な証拠が出てきたような場合は是非ご教示ください。

    よろしく御願い申し上げます。

  52. 五郎右衛門 says:

    silvaplaunaさん
    このたびは意義深い記事をありがとうございました。

    ツアー登山ではツアー会社が提示した計画の寸分の変更もありえないという認識がどうやら通念になっているようですね。計画スケジュールの絶対性がツアーガイドたちに受け入れられていたようですね。これまで話からそのようにうかがえます。
    ガチガチに決められているツアーの流れの中で、

    行きの飛行機→アプローチ先の宿泊→山小屋の宿泊
    →下山先の宿泊→帰りの飛行機

    たしかに、山小屋で一日遅延したときの影響は大きそうです。
    後続のツアーにも影響ありましょうし、行程の先、更に小屋泊りがあればその場所取りも影響しましょう。下山しても宿泊と帰りの飛行機を一日ずらさなければならない。宿泊先には着替えなどの荷物を送ってあるそうですから、途中のエスケープルートによるルート変更も無闇にはしにくい。そう考えていくと、通常計画(日程とルート)の変更がありえない、と云われている事情はよくわかります。しかし、これまでのお話のニュアンスからは、「通常ありえないない」というより、「どんなばあいも〈絶対〉ありえない」という風に私の耳には聴こえています。
    これはやっぱり可笑しい。この論理を敷衍すると、ツアー客を犠牲にしても計画変更はありえない、ことになりましょうから。しかし、ツアー会社もツアーガイドたちも「変更なし」をアタリマエとして、いまのところ疑念を抱いているようにみえないのがわたしには気がかりです。

    ツアー側(企画会社およびガイド)のこうした堅い思考は、ツアー登山の重大な弱点をし示しているように思えます。

    ガイドの役割は登山者を安全に目的地まで連れて行く、ことにあるのでしょう。ところが、登山者の難渋が極限に達するばあいには、アチラを立てればればコチラが立たない二律背反の局面がありましょう。登山者を目的地まで連れて行こうとすれば、安全がたもてない。このようなときスケジュールを反故にしてでも生命の安全を優先するべきのは世間一般の常識人にはとうぜんです。安全のために山小屋にとどまればよいだけです。
    ここで計画至上主義らしいツアーガイドらの哲学は逆立ちしているようにみえます。ツアー客の安全より日程を優先させて、さらにパーティが遭難してもガイドの狭隘なプライドのせいか救援を呼ばない。ガイドが救助要請するなら何のためのガイドか、という非難を恐れたのでしょうか。これも如何にもヘンです。

    最後に職業としての問題に触れたいと思います。
    どんな職業にも多かれ少なかれ職務をまっとうするうえで人命を奪いかねない危険な要素が潜んでいると思われます。わたしにしても職業で殺人を犯して裁判に訴えられても不思議ではなかった。ただ、そうならなかったのは運が良かっただけと思える危機的体験が少なくとも一度はあります。このときコトの重大性に気づいたのは後日なってからでした。もし事故が起きていれば後の祭となるところでした。
    若いときは為せることの重大性の認識がないため、一見なんでもない小さなミスが時に人命を損ないうることに思いが及ばない。また、重大性を認識できたばあいでも、危機への対応策の(いわばエスケープルート)の知悉に乏しいため、ミスミス人命を損なうこともありえます。しかし、充分経験を積んで、そうした若気の至りを克服したにしても、ヒトをオトシメないとも限らないギリギリ出口無しの場面に出くわすことがあります。
    もしヒトをオトシメない判断を下せば、社是に反することになり、苦しい立場に追い込まれかねない。が、もう、これは職を賭して意を決するほかないと思えます。
    つまり、ガイド諸兄も、ツアー会社の理不尽にあるとこまで付き合うにしても、あるところからは一歩も譲らない、そういう守るべき哲学の線引きを常日ごろ反芻しておくべきではないか。
    そうすることで、ガイドという一個の職業人の誇りを守りきって欲しい、そしてツアー客の安全を守ってもらいたい、そう希望します。

    以上ガイドの責任ばかりに話を集中させましたが、直感的に云えば、今回の遭難の責任は、ツアー会社が8割、あとの2割がガイドだと考えています。ツアーの仕方、チェックの態勢にあまりに問題が多いと思えますので。ただ、どこにでもいる善良な市井のヒトが一夜明ければ殺人者となる、という現実に恐怖を感ぢて、このような内容となりました。

    不一。

  53. silvaplauna says:

    五郎右衛門 様

    世の中は、お盆休みに入ったようですね。

    山登りの上手い下手は、いわゆる「アドリブ」ができるか否かにあると思います。
    自分の体調と、天気、ルートの勘案で、微妙に登り方を変えてゆく、ちょうどbushi様がお書きのようにです。

    体調の変化の幅があり、体力的にも不安要因がある中高年の場合はなおさらでしょう、にもかかわらずツアーの場合は、そういったアドリブが出来ない現状にあるようです。

    そういった現状が続く限りこうした事故は、いずれまた発生することでしょう。

    それと論調の流れとして、五郎右衛門様には失礼なことをしてしまいました。エスケープルートの点でswanslas様が必要以上に言い張るのを自分もおかしいなと感じておりました。

    自己主張していただくのは結構なのですが、特定の価値判断に立った上での自己主張は、なるべく公平、中立にものを見ようとするここの姿勢と反しますので、swanslab様にはお引取りいただくしかございませんでした。

    論調を決める過程で、いろんな利害関係者の顔色をうかがいながら論理を流してゆくアプローチというのは、真実を究明しようとする場合には、採ってはいけないやり方だと思います。

    悪いものは悪いと言い切れない立場は、それ自体信用を失うことでしょう。

    さて、後半にお書きのように、この事故には構造的な側面もあり、ちょうど関西で起きたJR西日本の事故のように、ツアー登山の現状を改善してゆかない限りは、こうした構造的な事故はあとをたたないでしょう。

    今回の3人のガイドはその面では、ある意味被害者なのかもしれません。

    もっとも、今回の場合は、ごくごく初歩のところでミスを犯しているようで、ガイドに同情する気持ちや弁護論はあまり起こらないのではないかなと感じています。

    停滞か、エスケープすればよかったわけですので・・、多田ガイドが社員であり、ある程度営業所にも顔が利くのであったら、そういう融通性のある判断が出来たはずだと思います。

    つまり、多田ガイドの立場を踏まえると、十分、大雪の山のルートに詳しく、また会社の立場上も十分に「アドリブ」をなしえた、にもかかわらず、停滞や、エスケープをせずに、突き進んだ。ここらへんに彼への社会的な非難が向けられることでしょう。

  54. H says:

    本遭難の分析を、興味深く拝見しております。

    本日アミューズトラベルの見解とするファックスと思しき書面が、突然掲載されており、いささか驚きました。この書面は、誰宛に何の目的で書かれたものなのでしょうか。そして本ブログの管理者様は、どの様にしてこの書面を入手され、本ブログへの掲載へと至ったのでしょうか。ブログのどこかにその辺の説明があるのに、私が見つけられないだけなのかもしれません。が、唐突な感じが読んでいて拭えません。

    支障がなければ、この辺の流れをご説明ください。

  55. silvaplauna says:

    H 様

    アミューズの社長さんが、戸田新介様にお渡しになり、戸田様が私にファックスで送ってくださった文書です。

    戸田様以外の生還された方、或いは不幸にもなくなられた方のご遺族の方々にも、おそらくは届けられたのではないでしょうか?

    被害者またはその遺族の方宛てに、アミューズ社の公式見解として、・・何の目的かは分かりません、刑事裁判、民事裁判目的、和解のための第一段階として、あるいは、いわば出方を見てみる陽動作戦なのかもしれません。

    マスコミ関係者にもこういった文書は渡っているのではないでしょうか?

    戸田様はこの文書を広くこの事故に関心を寄せられる皆様にご覧いただいて、戸田様ご自身の主張を聴いていただきたいのだと考え、戸田様のご意見とともに掲示しました。

    以上よろしく御願いいたします。

  56. 某通りすがり says:

    以前もお邪魔した某通りすがりです。
    書き込みはしておりませんでしたが、いつも拝見させております。
    事件の推移を興味深く拝見しております。
    私のブログにも私なりの視点でまとめてみました。貴サイトも文中のリンクで紹介させていただきました。情報ありがとうございます。
    8月中旬には北海道県警の現場検証が行われると地元の新聞サイトに出ておりましたので、今後もひきつづき見守っていきたいと思います。

  57. silvaplauna says:

    某通りすがり様

    こんにちは、幸運にも戸田様のご協力が得られ、少しは人様にもご覧いただける内容になってきました。
    (もちろん、詳細な事実関係の確定は、刑事裁判を待たねばならないでしょうが・・。)

    トレイルランの記事もひと段落がつき、そろそろここもお仕舞いにしてしまおうかなと思っていたときに、この事故が起こりました。

    皆様への最後のご奉公(?)のつもりで、記事を作りました(^^;
    ほんの少しでも、お役に立てたのでしたら幸いであります。

  58. bushi says:

    silvaplauna様

    ・単独行で悪天は避ける考えなので、今回の論議とはかみあいませんが、実際に体験されたコメントが少ないので、参考までに敢えて投稿させて頂きます。
    (末尾に記しましたが、気候は北アルプス3000m級と記したガイドブック有り、北アルプスの秋では論拠がずれる様に思います)

    ・今夏の北海道登山中、ツアー登山は無理しているなと感じていました。観光バス旅行の延長でホテル、バスの予約時間に合わせて、悪天でも行動する。
     日帰り登頂ならば客が納得する限界まで登って撤退する方が、ガイドとしては説得や予約変更手配の労力が無く楽でしょう。まさかその延長で、避難小屋2泊の縦走が商品化されたのだろうか?。
    厳しい登山を経験していないツアー客を暖房無く濡れた物を乾燥させられない避難小屋泊まりで、連日悪天の中行動させる事自体に無理が有る思います。
     企画、商品化は本社営業の責任だろうが、現場で責任を持つガイドが商売ベースに乗せられて、山屋の基本に目をつむり予定通り進める前提で、非常時の心構え、準備を疎かにしていたとしか思えません。

    ・2002年7月の遭難は台風要因ですが、低気圧によるヒヤリハットが発生していたろうと思います。私のクラブ仲間は、2005年7月、別会社のツアーに参加して18日に雷、大雨の中、トムラウシを越え、泥田を歩く忍耐の一日だったと言います。――過去の天気図で見ると、寒冷前線通過です。避けなければならぬ天気なのに行動――
    その記録を見ると、ひさご沼6:00発、9:45トムラウシ頂上:50、12:50コマドリ沢入口、14:45カイム天上・旧新道分岐、15:50短縮登山口。(足が揃っていたのか、所用約10時間、)悪天のためトムラウシ頂上はパスすると言いながら、ガイドでも悪天時にルートを見落とし頂上まで上がったと聞きました。

    ・今夏の私の行動メモに、7月12日に調べた十勝岳の「登山ハイキング天気」情報が有りました。14日;曇り時々雨か雪、15;曇り一時雷雨、16日;曇り一時雨か雪、17日;晴れ一時雨か雪。 入山前に前線の通過が予測され、雪が舞うかもしれない寒さに対する注意はされたのだろうか?。

    ・私は、決してバリバリの登山家ではなく、若い時は職域クラブの中でハイキング・グループに属していた、一介の登山者です。壮年期は仕事々で年一回のスキー旅行が唯一の楽しみでしたが、退職後もクラブに繋がり、活動の幅が広がり、百名山登山を目標にしています。少し一般者と違う所は技術で体力をカバー出来るスキー、スキーツアーを続けており、スキーツアーは吹雪の中では行動出来ないので天気予報を見る習慣が付いています。

    ・私の大雪~トムラウシ縦走は、2007年7月16~20日(行動日は17~19日)で好天でした。

     単独行は何時も家族から非難の的で、家族への安心材料としてツアーへ参加も考えました。 しかし、マイベースで歩きたく、又、山岳部員のプライド?も許さず、高いツアー費用を払うぐらいなら、装備の軽量化に金を掛け、単独行をと考えました。

     行程はアミューズトラベルツアーを敷き写しで、避難小屋に2泊。安い航空券で便を変更出来ず、予備日無し。予備日の代わりに、悪天が予想される場合は縦走に入らず、旭岳から黒岳、十勝岳の日帰り登山を計画に併記。ひさご沼からのエスケープルートは、旭川へ交通の便を考えて天人峡を考えていました。
    悪天時のトムラウシ越えを避けたかったのは、2002年の事故例も知り、クラブの仲間が参加した2005年のツアー(他社)でトムラウシ越えが忍耐の一日だったと聞いたことです。

     荷物を15kgに抑えるため、テントは無しでツェルトは軽量品を購入。他、軽量化したのはシュラフ550g、デジカメ300g(以前のビデオカメラ1200g)、10g単位で量ればザックカバーの古は220gに対し新の90gでアルファ米一袋分が軽くなると言った調子です。既存品では、ダブルストック620gはツェルトのポールを兼ね、安全のために、アマ無線機(AMラジオ受信可)、GPS、携帯電話(FOMA)も持ちました。携帯は、当時、通話のみで、気象情報収集には未使用、下山確認連絡のため通話可能ポイントを大雪荘から教えられていたが、FOMAではトムラウシ山頂でアンテナ立たず。ガイドも大雪荘に下山予定を連絡するに、通話可能ポイントは熟知していた筈。ガスボンベは非常時の暖房用を考えて2本。

    山渓付録の山の便利帳2009を見ると、白雲岳避難小屋とひさご沼避難小屋の特記事項に「シーズン中は満員で利用出来ない場合があり 必ず幕営の用具を持参すること」と”必ず”が追記されていた。今回のツアーはその準備をしたが、後続パーティーが使った後、第4のガイドが担ぎ降ろす予定だったのか?。ここまで出来るのなら、一歩進めて、予備日を持ち下山後も幕営にしておけば、無理な行動をしなくて済むと思う。

     防寒は、ゴアの合羽上下と薄手のフリース、フリースの手袋(極薄と薄手の2枚)、薄手モモヒキ(シュラフを軽くしたので寝る時の保温と非常用・使わず)。上着、ズボン共に薄手の夏山用速乾タイプ。下着は、半袖の網シャツ。着替えは無く、速乾Tシャツ1枚を余分に持ってるだけで着干し。膝を痛めてるので冷やさない様に膝サポーター。(下着の替えを普段は1セット持つが、悪天予想時は縦走せずの前提で軽量化のため省いた。非常時はツェルトを被り、ガスコンロで暖を取って凌ぐ考え。)

    気候に関して、北アルプスの秋山・・が使われていますが、ヤマケイ アルペンガイド 北海道の山に「大雪山の上では中部山岳の標高3000mの山に匹敵する気候」と記されています。私の実感では好天の2007年には北アルプスの3000m級でしたが、悪天の今夏は頂上で吹かれると北アルプスの夏に経験したことが無い寒さでした、北の寒気団に近いせいでしょうか?。

    以上

  59. silvaplauna says:

    bushi様

    コメントをいただき、また貴重な情報をお寄せいただきありがとう御座います。

    最初は、南アルプスの9月中旬の気候というイメージで、本州のアルプスの秋の天候という表現を使ったのですが、いつのまにか北アルプスの秋山になってしまいました。秋山といっても10月11月になると雪も降りますので、それでは広すぎますね。

    さて、今回の事故をめぐっては、「自己責任論」も唱えられているようです。

    たしかに小学生の遠足ならば、引率者の先生の過失責任の比率が圧倒的に大きいのでしょうが、今回のようなツアーでは成人の男性、女性なのですから、ある程度は、自己責任というのも頷けるところです。

    では具体的に、今回のツアーについて、ツアー客の側にどのような過失があったのか?例えば、定められた携行品(セーターなど)を持参しなかったような場合は、過失と認められましょう。

    いまのところ、ツアー客の側に目立った過失事由は出てはいないようです。
    具体的な、帰責事由が出てこないと、自己責任論は成り立たないように考えています。

    ちなみに、「ザマーミロ論」というのもあるようですが、これは論外ですね(笑)。

    そして、「ガイド同情論」・・感情に訴えるやり方ですね。
    ガイド同情論は、①会社が悪い!と矛先を会社に転嫁する立場と、②責任の所在をうやむやに煙に巻く立場に分かれるようです。

    ①の場合は、ある程度は納得できますが、②の場合は、結局は責任逃れの立論となり、妥当ではないと考えます。

    結局、自己責任論にしろ、ザマーミロ論にしろ、ガイド同情論にしろ、責任をどこに持って行くかの「なすり合い」の議論であって、事故原因の究明にはならないようです。

    山では人知を超えた事象が起こり得るものと考えて、慎重にしかし、消極的にはならずに登山をして行くといった姿勢が、大切なのだと考えます。過去のデータに頼りすぎて、備えを甘くするというのが一番よくないのでしょう。

    その点で、ツアー会社、ツアーガイド、ツアー客三者三様に山を嘗めていた、予測不可能な事象が起こり得るということを忘れ、伸びしろというか、そういった事象に対応できる余裕や余力をもたなかった。

    体力的にも、経験的にも、装備的にもギリギリのところでやりくりしていたと言えましょう。ギリギリのところでやりくりしていたしっぺ返しに、天気が多少荒れて気温が僅か数度低かっただけでこれだけ多くの犠牲者が出てしまった。

    初心としての、自然に対する畏敬の念を忘れていたように考えます。

  60. tukakke says:

    silvaplauna様

     この事件が起こり、2,3日後にこのブログに、たどり着きました。
    かってみないほどの詳細、かつ丁寧な検証、考察にじっくり拝見させて頂いております。
    本当に御苦労さまです。

    この姿勢の10分の一でも関係者がとってくれれば今後に生かされるのに、でもここで検証されたことが今後にきっと役立つとと確信いたします。

     とりあえず今日は、お気づきかもしれませんが、『ビバークした5人が、当初、簡易テントのツェルトのみで0度近い寒さをしのいでいたこと』と『ガイド1人がテントを持って下山組を率いたこと』の2点が以下のURL  

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090817-00000087-jij-soci/

    時事通信のニュース

    で明らかにされたようです、ということは多田ガイドはなぜ二手に分けたのか、自分たちはどうするつもりだったのか、ツェルトで防げると思ったのか、また松本ガイドはテントを置いていかなかったのか、どう思っていたのでしょう・・・・私にはどうしてもわかりません。

     私なら、二手に分けるとしても、弱っている人のためテント、ガスコンロなどを残し、元気な人をヒサゴ沼の小屋へ戻し救助を依頼すると共に、残っているもう一人のガイドとともに、持ってきたテントと必要なものを現場へ届けようと考えます。自分のことよりも一人の命が救えるなら、小屋におられる人に頭を下げてお願いする。・・・そこに救える命があるなら、何としても救いたいというのが人というものではないでしょうか、まず自分の体力は確保した上でないと、無理ですが。

     
     まして、ヒサゴ沼の小屋までで弱っておられる人を、ひっぱりまわすようなことはとても信じられません。・・・その人は小屋に残し(本人に納得させるか、無理だと判断したら残るよう説得する。)体力が回復した上で、どう下山させるか考える。小屋に残るガイドに依頼するか、自分が会社に連絡して対処する。・・・体力が回復しているかをしっかり確かめるべきでしょう。
     
     この判断を、3人もガイドがいてしなかったの? 

    ??? 私には不思議なことばかりです、山でたまたま一緒になった人の方がずーと親切です。
       自分の身は自分で守る、は鉄則ですが、何となくガイドは守ってくれそうに、思ってしまったことが、今回の悲劇の原因だったのでしょうか、ガイドという名前の人に…しんどい、苦しい、寒いと思いながらも、頼って、信頼して、おとなしく従った人たちが責められことはない。

    ご冥福を祈るためにも、この事件を検証を続けて頂きたい、
    本当に御苦労さまですが宜しくお願いします。

     
     私事で恐縮ですが、北・南・中央アルプス・八ヶ岳のほとんどを歩きました、冬山にも数回いっておりますので、夏 二つの台風に挟まれあわてて下山したり、雨のなか藪こぎをしてやっとの思いでテントの中に入り、ぬれねずみの体を回復させたり、冬 ―15度のあまりの寒さに、ザックの上に座ってすごしたり、したことのございましたが、ほとんど単独が多く、(ふゆはべつですが)自分に無理をせずに(日程・ペースも)、慎重にやってきたので今までやってこれたのかなとも思っています。・・・60を越えました。

     もちろん皆様のような豊富な経験はありませんが。

     今回のように不安だからガイド付きのツアーに参加した人々に、責任ををしつけるような1部の報道には、服装や装備を指導する責任は、主催者にこそあるのでは。

     以上のように思いますが、いかがでしょうか。

     皆様の楽しいを山行祈念いたします。

    _________________________________

    テントなしで、寒さしのぐ=装備不十分で凍死か-大雪山系遭難事故・北海道警

     北海道大雪山系の遭難事故で、9人が死亡したトムラウシ山(2141メートル)山頂近くで低体温症のためビバークした5人が、当初、簡易テントのツェルトのみで0度近い寒さをしのいでいたことが17日、道警への取材で分かった。道警は一行の人数に応じた十分な装備がなかったとみて調べている。
     一行はガイド3人と客15人。強い風雨にさらされるなどして、客数人が体調を崩したため、7月16日正午すぎ、ガイド2人と客5人は山頂付近でビバークした。残りは下山したが、ガイド1人がテントを持って下山組を率いたことから、ビバーク組はテントなしで救助を待つこととなった。
     道警によると、救助要請のため携帯電話が通じる場所を探していたビバーク組のガイドが、約1キロ先の南沼キャンプ地近くで非常用に置かれたテントやガスコンロなどを偶然発見。湯を沸かすなどして客の保温に努めたが、2人は凍死した。また、近くでビバークしていた別のガイドと客もテントがなく凍死した。(2009/08/17-16:15)

    http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009081700552

    silvaplauna 補注  tukakke様のリンクは切れておりましたので類似の記事を上に掲示します。

  61. silvaplauna says:

    tukakke様

    こんにちは、コメントをいただき恐縮です。

    ここまでやってこられたのは、申すまでもなく戸田様による情報提供や、noho様のご意見、初期の頃のswanslab様等、コメントをいただいた多くの皆様のご協力あってのものです。

    ご承知のとおり、最近は、コメント欄での考察が主体となっております。コメントも沢山あるので読解するのが大変でしょうが、立場的には一番最近のコメントが現在の見解であると言えましょう

    tukakke様がお気づきの点ですが、松本ガイドに一行10人を任せて下山させたのは妥当であったか? これについては・・。

    戸田様の言うとおりに2時間吹きっさらしの中でツアー客を待たせた場合、低体温症が発症するのはもう「時間の問題」ですので、noho様ご指摘のように直ちに全員分のテントを設営して、中で身体を温めるというのが正解なのだと考えます。

    松本ガイドに一行10人を任せて下山させたのは、低体温症であるとの認識が多田ガイドになかったからだと考えられます。(上記の通り、noho様でしたら、直ちにビバーク体制に入った筈であり、それが正解であったと考えます。)

    低体温症の認識がなかった多田ガイドの行動については、①止むを得ない、とする見方と、②ガイドである以上、低体温症に気がつかなかった事自体に問題があり責められるべきだとする立場が考えられますが、経験豊富で腕のよいガイドでしたら②の見解を取ると考えます。

    刑事裁判に置いて裁判所がどちらを採るかは見物であります。

    今回の事件は不十分な防火設備と、避難路も整えないままで客を集めて営業し、あるとき火事になって多くのお客が焼け死んでしまった観光ホテルの事例に似ています。

    私などはテントや、シュラフ、登山靴はじめ、命にかかわる道具は、いわば登山のライフラインで、ケチって凍傷になったり、いい加減なものを買って命を落としたら馬鹿馬鹿しいのでお金を惜しむことなくよいものを買え、といわれました。

    けれど、登山ツアーでお金をもうけて、その収益で会社を経営するとなってくると、所詮は「他人の命」ですので、そういったいわば顧客の生命にかかわる装備も経費節減のために使いまわされたり、小屋に置いて行ったりしてしまうのでしょう。

    個人の登山や、市井の社会人山岳会では、まず考えられない失態だと考えます。

    お金がなくって買えないというのではなく、採算を得るために生命にかかわる装備も削ったのですから・・。(同じように、無線機を備えないというのも同じ理由からであると考えます。)

    ツアー登山は、正統派の登山に比べて、経営という面からの制約(赤字を出してはならない)があリ非常に考え方が独特なのですね。 普通の登山は、もともと金儲けでやっているわけではないので、経営といった面からの歪みを受けにくいのだと考えます。

    すべてのツアー登山がそうだとは思いませんが、出てきたアミューズの事例から見ると、ツアー登山の安全性は、平均的な山岳会の登山よりも劣るのかもしれません。

    限られた日程的制約と、登山用具面の制約のなかで、旅程を完結させなければならないガイドの立場は理解できるものの、今回の場合は人命が失われすぎております。
    能のないガイドに親を、また祖父母を奪われた遺族の方の心中を察するに余りあります。

    刑事裁判に於いては、ガイドに気象判断の能力がどこまで期待されるか、求められるかが一つの焦点となりましょう。

    実際のところは、ツアー参加者の年齢と体力をかんがみて、体感気温マイナス5度で、時として立って歩けないような風が吹き付けたような環境に、6時間も行動させれば、少なからずツアー客に、何らかの身体機能の異常、不具合が発生するであろう事はガイドにとって十分予見可能であった。

    しかもその場合、テント、ガスコンロその他の十分なビバーク装備を持たないので、万一行動不能者が出た場合において、その者に迅速かつ適切な応急処置を施せないであろうこと、その結果生命の危険がある状態に至るかもしれないことについても十分に予見可能であった。

    ・・と、このような理由から、低体温症そのものの認識がなくても、身体機能の不全を生じせしめるに十分な悪天候下に行動させる事の認識と、介抱するための十分な装備を持っていない事の認識があったことの二点から、ガイド2名に業務上過失致死の罪責を問うことは可能であろうと考えます。

    人様を危険な山に案内してお金を稼ぐということは大変なことなんだということの反証として、今回の2人の生き残ったガイドには重い刑事責任が問われなければならないと考えます。

    また、ツアーというのは、安かろう悪かろうではなく、ツアー料金が倍になっても構わないから、学校の遠足のように安全で楽しいものでなければならないと考えます。

    いざ、遭難事故が起こって、お亡くなりになった方に対して、自己責任だというのは、いささか場違いな議論であると考えます。もっとも、いわば通りすがりの第三者であるからこそのような自己責任だと言い切れるのでしょう。

    事件は当事者間で起こっているのであり、そういった無関係な第三者は被害者をからかうことなく経過を見守っていればよいのだと考えます。

  62. F.K says:

    この事故は何か特殊な要因が重なって起こったものと思い、調べておりまして、事故2日後、このブログにたどり着きました。 
    断片的な情報が流れる中、膨大な情報を伝えていただき、有難く拝読させていただいております。
    当初からこの事故には疑問を持っておりましたが、この資料で大分分かってきました。 しかし、まだ疑問が残っておりますが、おいおい分かってくるだろうと思います。

    皆さんの書かれたコメントの中に、多田ガイドは低体温のことを知らなかったのではとの意見が多く寄せられていますが、山を少し知っている人なら、夏の北アルプスでも「凍死」する事は知っております。これほど急激にかかるとは理解していなかったかもしれませんが、知っているだろうと想定します。
    私事で恐縮ですが、私は今から数十年前、23歳の時、北アルプスで低体温症の入口までなった事があります。  それは、8月10日頃、20名程度で穂高、涸沢でベースキャンプを張り、滝谷、屏風の岩登りをしておりましたが、その日は天気が悪く登山は中止しておりました。  途中雨も収まりましたので雪渓訓練をしようと涸沢上部に行き2~3時間行っておりました。 雪渓訓練ですので、上はヤッケ(今のように良い物ではない)を着ておりましたが、しかし、背中から逆に滑ってピッケルで停止する訓練で、上半身ずぶ濡れの状態で震えながらやっておりました。 雨も降ってきましたので中止してテントに戻り、テント周りで道具を整理し、着替えるべくテントに入ったのですが、自分のザックを前に置いて座ったまま、ザックを見ているだけで着替える事が出来ませんでした。 「寒いな」「着替えないといけないな」「着替えると気持ちが良いだろうな」と思いながらザックをみているだけでした。 その時には、身体の震え、苦しさも無く、そのままにしておれば眠りに入って行っただろうと思います。 そこに別のテントに居たリーダーが飛び込んできて「コラ、着替えろ」の一喝で着替える事が出来ました。 同じテントに居た6~7名全員が着替えておりませんでした。 着替えた後、元気な人がコンロでお湯を沸かし、ミルクチョコレートを作り、飲み、全員回復しました。 この人達は皆、冬山の壁、尾根を1~2泊ビバークして登った経験の有る20~26歳の人がこうも簡単に低体温症になるとは考えてもおりませんでした。 動いている時は身体にそれほどのダメージが有ると思っていませんでした。 全身が濡れて冷え、疲労こんぱいの状態で、歩行を中止して座り込んだら5~10分で低体温症になるようです。
    夏山遭難報道のとき、テレビでコメンテータが「乾いた着替えがザックの中に入っているのに着替えもせず、山の常識すら知らない人が山に行っている」と言っているのを聞いた事がありますが、着替えをしなければいけないと分かっていても身体が動かず、着替えが出来ないのです。
    しかし、今回の事故はテントに収容して、コンロ、食料が有り、サポートしてくれるガイドが居て、何故テント内の4名が死亡したのか。の疑問が残ります。
    今回の事故の責任は、ほぼ旅行会社の企画に起因するものと思いますが、ガイドも対応の仕方で被害を少なく出来たのではないかと思い、次の様な疑問が残ります。(今回はガイドは無理して日程を守らなければならないなど、被害者の側と思いますし、後で考えると何故あの時、あの対策を採らなかったのかと思う事はよく有りますので、ガイドを責めるつもりは有りません)
    1.多田ガイドはテントをすぐ張ったのだろうか。 テント内収容後低体温症対策を採ったのだろうか。 また、吉川ガイドのテントでは2名共死亡しているが、このテントにはコンロは無かったのでは?(装備をガイドで分担して持っていたとの話もあり)
    2.15名の山中2泊の縦走で歩けない人が出る事は十分考えられるが、その心構えはあったのだろうか。 多少なりとも心構えがあり、シュミレーションしておれば、1名の歩行不能者が出た時点で、1.5~2H立ち止まらせずに安全な場所まで降ろすことも出来たのでは。
    3.松本ガイドがテントを持って下山組を率いたとtukakke様のコメントに書いてありましたが、それなら少なくとも、テント2組、ツエルト1(個人持ち?)有る。 それなら、これほどまでに慌てて夜中ばらばらな行動せずとも良かったのでは。

    自己責任論も言われておりますが、ツアーに参加した場合、ガイドの指示で行動する必要があり、自分勝手に止めるわけには行かない。 特に雨に降られ、強風の中、ガイドブックにも載っていない川を渡られられ、ずぶ濡れになるなど、想定外である。 このような状況で自己責任とゆうのはおかしい。 私もこの状況で如何しただろうか、生きて帰れたか疑問である。

    私も人を連れて時々山に登りますので、教訓にすべく今後とも拝読させて下さい。 ご苦労でございますが、宜しくお願いいたします。

  63. silvaplauna says:

    F.K 様

    はじめまして。お返事が遅くなり恐縮です。

    低体温症が発症した、と現場で速やかに判断できるには、低体温症の知識は当然ですが、「今日はちょっと危ないかなぁ~?」といった当日の気象状況がそれを発症させるに足りるものだといったあらかじめの天候判断がなければ、現場でとっさに判断できないと思います。

    戸田様のご意見その他を併せて考えるに、どうも、低体温症の知識はともかく、当日の天候判断で、低体温症が出るかもしれないといった予防的な判断がなされていないのは確実でしょう。ガイドの頭に、低体温症への備えはなかったのだと考えています。

    されど、人数が多くなればなるほどに、いろんな体調の人がいるはずであり、15人もツアー客がいて、それらをかなりの風雨のなか歩かせれば数時間後に一人、二人は、何らかの体調不調を訴えるかもしれない(そして、それは低体温症の可能性もある)とは、当然予期するべきであったのだと考えます。

    ご指摘の、1.に関しては、アミューズ社の見解文に吉川ガイドのビバークに関して「ツエルト」の文字がないところをみると、ツエルトもないビバークだった可能性もあります。同様に、「ガスコンロ」の記載もないので、手持ちのテルモスのなかの朝沸かしたお湯ぐらいしかなかったのではないでしょうか?

    上にも書きましたとおり、多田ガイドは、低体温症だと認識していたようには受け取れません、単なる体調不良と考えていたようです。・・とすると、当然、お書きの低体温症のための迅速な加温といった方策は思い浮かばなかったと考えられます。

    テントのやりとりや、ビバークに際してのツエルトの有無などは追って明らかになると思いますが、体調不調を訴えたツアー客に対して、今回ガイドがなしえた介抱は、①肩をさすって、声をかける。②温かい飲み物を飲ませる。③ツエルトないしテントに収容する(これは全員に行きわたったかは不明)。 この3つのようです。

    なされた介抱はこの三つだけですので、低体温症が発症したと認識しそれに即応する形での看護がなされたようには見受けられません。
    (また、装備も、全員には行き渡らない不十分なテントであり、事前に低体温症の発症を予期してそれに備える装備であったとはいえないと考えます。)

    ・・とそうなると、確かに、頭のどこかに「低体温症」の文字はあったのでしょうが、16日当日にルート上でそれを予期して、それに備えていたとは言い得ないでしょう。

    2.については正にお書きの通りだと考えます。事前のシュミレーションがなかったのか、あったにしても詰めが足りなかったのでしょう。

    3.については、松本ガイドがいなくなった時点で、ツアーは分解しバラバラになってしまったようです。
    テントを背負っている松本ガイドが、先を切って下っていったので、戸田様の表現にあるように、すでに、松本ガイドには「引率する」といった思考はなくなっていて、自身の「サバイバル」しか思い浮かばなかったようです。
    ご指摘のように経験豊富なガイドでしたら、慌てずに手元にある道具で何が出来るか考えると思うのですが、松本ガイドはそういうことはしなかったと見受けられます。

    さて、今回の大量遭難は、岩登りに例えるとトップが墜落し、セカンドも引きずり込まれ、ラストも支えきれずに墜落、という状況が当てはまると考えます。もっとも、今回は、そうなさしめたのは、ツアーガイドの判断ミスです。2.にお書きのように一人の不調者が現れたときに他のものが引きずり込まれぬようにしていたら、これほど世の耳目を集める事故にはなっていなかったと考えます。

    ご存知と思いますが、東京都の最高峰雲取山の山頂(2017m)には、避難小屋があリ、冬はもちろん夏でもひとたび荒れると頂上にやってきた登山者はみんな入り込んでしまいます。南北に管理人がいる小屋があるのですが、それらは標高1800mぐらいのところ、頂上に避難小屋がなかった時代には、小屋から山頂に至る僅かな距離のところでかなりの遭難があったようです。
    避難小屋があるからこそ、何とか雲取山に登れたという登山者が結構多いようです。天気が荒れても避難小屋を使わずに雲取山に登れる登山者は、雲取に登る人の半分に満たないでしょう。

    事情はどこも同じようで、北アルプスや八ヶ岳の小屋をうまく使った暖衣飽食の登山に身体が慣らされていると、今回のルートのようないわば「ひと昔前の登山」で、天気が多少荒れると、体調不良となってもう歩けません。といった登山者が続出してしまうのかもしれません。

    登山道の整備、避難小屋の充実は、体力がいまひとつで行けなかった山域にも行けるような恩恵を与えてくれますが、それらにおんぶに抱っこしていたのでは、登山の実力は一向に進歩しないといえましょう。

    低体温症につきましてはお書きの事例のように、結構「思わぬところで、思わぬ人が」といったケースが多いようです。あらかじめそれを意識して、備えを固めておけば防げるのだと思っていますが、同じ風雨にさらされても発症する人とそうでない人もいて、また同じ人でも、その日の体調次第で発症したりそうでなかったりと個人差、体調による違いが多いように考えます。

  64. tukakke says:

    silvaplauna様

    記事が3件出ていますのでお知らせしておきます。

    F.K 様
    1 下の記事をみる限り、映っていたテントは登山道の整備業者がおいていたもののようです。
    それをいつガイドが見つけたのかはわかりませんが?

    3 松本ガイドのも簡易テントと載っています。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    ≪記事≫ 偶然見つけたテント、命つないだ トムラウシ山遭難
    http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY200908140145.html

    道警によると、遭難翌日の捜索の際、5人が野営に使ったテントを回収した。ガイドの携行品とみられていたが、ガイドは道警に「南沼付近でテントを見つけ、北沼に持ち帰った」と説明。携帯コンロで暖をとったという。その後の調べで、北沼から下山方向に約30分歩いた南沼キャンプ指定地に業者が保管していたものと判明した。業者によると、テントはブルーシートに包まれ、毛布、携帯ガスコンロなどと一緒にあった。全部で3張りあったという。

    ≪記事≫トムラウシ遭難を検証 登ってみて募る「なぜ」
    http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY200908150182.html?ref=goo

    携帯電話の電波を確認すると、アンテナは立ったり、立たなかったり。辻野さんが考えた。「低体温症の兆候はここに来るまでにあったはず。だが、ここまで来ては引き返すのは難しかったのでは」

    ≪記事≫大雪山系遭難1か月、ガイドらテント持たず野営
    http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20090816-567-OYT1T00077.html

    一行のうち低体温症で動けなくなったツアー客らの一部が山頂付近でビバーク。しかし、簡易テントを持参していたガイドが下山したため、0度近い風雨の中で救助を待っていたという。その後、登山道整備業者が非常時用に残していた大型テントと毛布、ガスコンロなどの装備品を、付き添っていたガイドが偶然発見。テントに入った5人中3人は湯を沸かして体を温め、無事救助されたが、2人が死亡。テントから数百メートル離れた場所にいたガイドとツアー客の2人も凍死しているのが見つかった。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    これらの記事が正しいとすれば、

    ① 吉川ガイドと女性の方の2名はなぜ離れたところでなくなっていたのか。

    ② 戸田様の言われている2時間の停滞の間3人のガイドは集まって対応を考えていたのでしょうか。

    いずれにしろ残ったガイドが謙虚に真実を、・・・有利なことも不利なことも・・・語って欲しいものです。

    それがこのような遭難を防ぐ手がかりとなるのですから。

  65. JULIA says:

    tukakkeさんに同意するところがあり、思っていたことを書かせていただきます。

    「低体温症」が一番の問題ですが、tukakkeさんの前回のコメント

    まして、ヒサゴ沼の小屋までで弱っておられる人を、ひっぱりまわすようなことはとても信じられません。・・・その人は小屋に残し(本人に納得させるか、無理だと判断したら残るよう説得する。)体力が回復した上で、どう下山させるか考える。小屋に残るガイドに依頼するか、自分が会社に連絡して対処する。・・・体力が回復しているかをしっかり確かめるべきでしょう。
     
     この判断を、3人もガイドがいてしなかったの? 

    ??? 私には不思議なことばかりです、山でたまたま一緒になった人の方がずーと親切です。
       自分の身は自分で守る、は鉄則ですが、何となくガイドは守ってくれそうに、思ってしまったことが、今回の悲劇の原因だったのでしょうか、ガイドという名前の人に…しんどい、苦しい、寒いと思いながらも、頼って、信頼して、おとなしく従った人たちが責められことはない。

    に同感です。「二次的」に起きた低体温症が大きな問題だから、「一次」の問題が矮小化されてる様に思うのですが、「ヒサゴ沼の小屋までで弱っておられる人を、ひっぱりまわす」はとってもわかり易い表現だと思います。結果的にこの方の介抱の時間中に戸田さん他皆さんが命にかかわるような寒い思いをしたのかもしれませんが、そのご本人は初めに「行くのが不安だ」と言ったようなのです(正確にはわかりませんが)。もしご本人が亡くなった後の参加者の方の悲惨な状況を知ったら無念で無念でたまらないことでしょう。

    また、もし、この方だけが低体温症とは無関係に、違う病気(自病)が悪化して命にかかわる状態になったらどうするのでしょうか?

    屁理屈のようですが、要は低体温症の知識の有無も当然大事だけれど、その前に一般人として、旅行中でも街中で遊んでいる時でも、「連れ」の具合が悪くなった時、「とにかく天候の悪い中を目的地に向かってスケジュール通りみんなで行くんだ」という判断が正しいのかどうか?ということと関わってくると思います。ご本人が具合が悪いのに無自覚に「参加したい」と言っているならともかく、誰もが不安を感じる健康状態なのに(だから「登れないならお金返して」とは言わないと思います。勿論その義務もないですが)「訓練」の様に義務感で連れて行く。避難小屋にはもうひとりのガイドもいる。この点に関しては、素人ではありますが、会社・ガイドに有利な屁理屈(金銭目的や、後の対応が面倒臭い以外に)は考えられないと思うのです。

    「知識」に関しては元大蔵官僚の政治家でも「株にうとい」とか言う言葉がまかりとおったので、ガイドと低体温症にもそれが通じるかもしれません。が、もっと素朴な感覚、子供でもわかるような、客観的に明らかに高齢で「弱っておられる人を引っぱりまわす」ことは誰でも何とも理解できないし、言い訳も通じないと思うのです。

  66. tukakke says:

    silvaplauna様

    追記です。

    ①②に絡むのですが、戸田様よりの文中に

    「川角さんが連れてこられたのは、最初は吉川ガイドのところである。吉川さんがテルモス(魔法瓶)の湯をあたえていた。そこに20分ほどいて、松本ガイドのところに移された。松本ガイドがマッサージとテルモスの湯(紅茶だという)を与え、肩を抱いて大きな声を出してゆすっていたのを自分は見ている。自分は彼らの2mほど前にいて、一部始終を見ていたのであります。自分はこの間の時間について川角さんが北沼分岐に来た時から40分と書いています。」

    とあるのでこの時にはガイド3人は同じところにいたのでしょう。

    徒渉後、多田ガイドが引っ張って最後に吉川G、川角、松本Gのはずが雪渓手前で確認すると、後ろの松本Gの間の吉川G、川角のほか2名がいなくなっている。・・・『アミューズ・トラベルの見解』FAX 

    その後二つに分けて、彼らは残るの事を決めたのなら

    『アミューズ・トラベルの見解』FAX によると 

    二人は見つけるが、行けない人はビバークと決め ・・・ツェルトビバーク(5人で)

    しかしこの時点で吉川ガイドと川角さんは、放って置かれたようです。

    1 残ることを決めた時点で、松本ガイドのテントを残さなかったのか 

    2 松本ガイドに救助要請を托したのか

    その後ビバーク後

    2名は外に、5名はテントに・・・

    ということになったようです。

    3 つまりとても弱っている、川角さんがいるのをわかった上で(徒渉後)・・・吉川Gとともに置いていった。(雪渓のところで探していない。) 

    4 まだ行動を続け、雪渓で尚2名の不明者を出して、

    5 それからまだ二つに分け、下山を続行させた結果そちらでも4名がなくなっている。

    ヒサゴ沼の小屋出発後でも 3、4の時点で生きるための機会はあった、3の時点(この時はまだ11時頃)でガイドが3名とも正常な判断ができない状態だったとは思えないのですが。

    でも・・・
      
    ・・・言葉がありませんが。

    戸田様の言われるように、ガイドに危機意識がなかった(スルーした)ことが一番問題であるとしか思えません。

  67. jopi says:

    silvaplauna様

    コメントありがとうございました。
    思うところあってしばらくご意見等拝見させて頂いていました。
    私は当初から「非はどちらにあるか」に関しては全く論争の基にするつもりは全くありませんでした。が、私の意見がそれを誘うことになったのなら、伝え方がまずかったのだと思います。
    ツアー登山について私が関った範囲ですが各社色々あると思いました。
    私はアミューズの関係者ではありません。客観的に述べさせていただきます。
    ツアーでも育てるやり方で行っているところもあります。
    そこでは参加者も固定化していましたから体力度など、さらに困難な過程に関して判断できると思っていました。
    が、それでも当日の体調不良までは管理の限界があると痛感しました。またCVに関して高齢者を断われない実情も痛感しています。
    しかし、そこでは非難小屋泊りに関しても段階的に難易度を上げて行っていました。

    装備品リストについて、アミューズは配布していますが他社であれほどのもの見ておりません
    (首都圏でないので異論があるかもしれません)。
    育成ツアーもやっているようですが、ガイドが変わるので参加者個人の把握がやりにくいのでは、と思いましたが添乗員がチェックしていることもあるようです。CVに関してはよくわかりません。

    一方、夜行バスで遠隔地から早朝室堂着、7時からその足で剣岳登頂という中高年に対しては過酷なツアーを最近目撃しました。
    幸い何もなかったようですが登頂の成功不成功は聞いておりません。

    非難小屋泊りを繰り返すツアーは、過酷な体力を要求することを主催社側は十分な説明をしていたのでしょうか。
    装備は持っていてもどのタイミングでどう使うかは個人の体調と経験が物言うところでしょう。ガイドに責任を全て負わせるのは...と思いますが、現実的には責任はガイドに行くのでしょうかね。
    エスケープルートの検証や天候判断当については皆皆様のご検証を閲覧し判断したいと思います。
    生々しい現実を書くからどちらが悪いのかと誤解されるかもしれませんが、私としては今回の実例を客観的に判断したい一心です。

  68. silvaplauna says:

    jopi 様

    お久しぶりです。コメントをいただきありがとう御座います。

    いただいたコメントから考えたのですが、ツアー参加者にもそれなりの山の経験と体調管理その他の自己判断能力を求めるとして、その線引きをどこら辺に求めるかが問題となりましょう。

    小学生や、幼稚園児の引率なら、引率者にすべての責任を問うてもよい場合が多いと思いますが、今回は、さすがに思慮分別を備えた方々が参加者ですので、体調不良と判断したら、ガイドに申し出て、避難小屋に停滞し、後は自力下山する。(もちろん自力下山できるほどに山に慣れていることが前提ですが・・。)そのレベルまでをツアー客に求めてよいのなら、この事案に対する見方もかなり変わってくると思います。

    もちろんそのレベルのツアー客でしたら、今回の北沼付近での停滞のときも、一緒に現場に停滞せずに、自力で下山してしまったことでしょう。

    あれこれのツアーの宣伝を見ますと、お書きの養成型のツアーもある一方で、荷物を持ってもらったり、お湯を沸かしていただけたりと、至れり尽せりの度合いが高いツアーもあるようです。

    おんぶに抱っこ、至れり尽せりのツアー客へのもてなしは、参加者を募る上でよい宣伝材料となるでしょうが、①ガイドへの負担が嵩むと同時に、②ガイド依存のツアー客を増やしてしまう(何時までたっても山の経験値が上がらない)、欠点がありますね。
    さらに、あげくの果てに、今回のように、③事故が起こるとその責任は、すべてツアー会社とガイドがかぶるべきだと言う論調を生みやすくなります。

    結局、おんぶに抱っこツアーの場合は、参加者が増えて、お金が儲かる代わりに、ツアー会社とガイドの責任負担の割合が増えることになるようです。

    方や、その対極の「道案内ぐらいはするけれど、何が起こっても自己責任ですよ。」といったツアーでしたら、ツアー会社や、引率ガイドの責任もほとんどなくなるのではないでしょうか(そういったツアーがどのくらいあるかは不明ですが)。

    結局、「装備」、「天候判断」、「参加者の体力」などについてどれだけツアー会社に頼っていいのか、自分で判断して、用意し、行動するべきなのか・・そのバランスはツアー各様だと思います。

    至れり尽せりツアー→天候判断はガイドが行い、持ち物リスト配布、防寒着の着脱の指示までしてくれるケアが手厚いツアー→事故のときは、会社、ガイドの責任が重くなる。

    道案内ツアー→ある程度荒れても予定通り進む、参加者の自己判断が求められ、ツアーガイドも引率者と言うよりも、コーディネーターのような存在、体調不調の見極めも各参加者の自己責任で行い、不調なものは、ツアーを離れて単独行動する場合もあるツアー→事故があってもツアー会社や、ガイドの責任は軽い。

    戸田様の情報ですと、どうしても「至れり尽せりツアー」のイメージが標準なもの(この手のツアーのスタンダード)として先行してしまいます。

    が、申すまでもなく、ツアーにはいろいろあるわけで、今回のツアーが、どんなものであったのか、自己責任の負担割合を再考してみる価値があると感じました。

    ______________________________________

    追補

    論者によって標準(スタンダード)とする登山ツアーのイメージが多少異なっており、そこから、ツアー会社、ツアーガイド、ツアー客への評価が異なって出てきているようです。

    引率ツアー、つまりおんぶに抱っこの手厚いケアをスタンダードなものと考える立場では、どうしても、ツアー会社と、ツアーガイドへの厳しい意見が出てきてしまい、参加者は、被害者として扱われる傾向になります。

    道案内ツアー、上にも書いたようにガイドは、ツアーをまとめるコーディネ-ターのようなもの、天候を判断して無理だと思ったら、各人自己責任で停滞してくださいというのをスタンダードなものと考える立場では、いわゆる参加者の自己責任論が表に出て、ツアー会社や、ツアーガイドへの厳しい意見は出てこなくなります。

    論者が一体どんな形態をこの手のツアーの標準と考えているのかを把握してから、その方の個々の問題点における立場を理解するように努めるのが賢明なようです。

    例えば、どこかのブログには、「遭難の連絡を入れて欲しいと戸田さんがガイドに言った。」というのを受けて、「戸田氏自身がやればいいではないか?」といった評価があるようです。

    この評価だけを取り出しますと、暴言とも受け取れますが、背後を読み解くと、「道案内ツアー」とスタンダードなものと考える立場の論者なんだなと分かり、言葉はいささか過ぎるが、そういう立場からはそういった評価も十分成り立つと考えます。

  69. あまのじゃく says:

    はじめまして。
    危惧していたことが現実になり残念な思いです。
    数年前から中高年の山岳遭難に興味を抱き、
    過去今回事故を起こしたアミューズ、コパンブラン、クラブツーリストなどのツアーのサブガイドをしつつ中高年の山歩きをウオッチングしてきました。
    論点を3つに出来ると思います。
    1点は企画催行するツアー会社。
    2点は参加する中高年。
    3点はガイド。

    今回の事故についてアミューズの経験から言いますとガイド一名、添乗員一名、その他メディア上ガイドと称されている荷揚げボッカ兼客対応の編成になると考えられます。
    山行スケジュールを管理する添乗員がどのようにガイドに要求したかが一つの判断材料になるやに思います。
     経験から一つの参考例に、一昨年九州のアミューズが企画した「飛騨川からの槍ヶ岳」のガイドを依頼され受けました。折からの驟雨で沢筋が増水し白出沢、ブドウ谷、チビ谷の徒渉を強いられ、下からの濡れと雨による濡れに槍平小屋まで引っ張るのは無理と判断。添乗員にこのコースでの山行を中止を伝え、客には状況説明をして了解を得ました。添乗員は会社に連絡しコースを上高地経由に変更して続行することを客に説明。我々は移動しました。結果としては雨と強風のため槍頂上には上げませんでした。客より先に現地に入り地元の登山指同センターに増水状況を確認してありましたが。
     つまりガイドと添乗員の役割分担があり、添乗員は会社と連絡を取り判断を仰ぐというながれが在るはずです。
     今回の場合その点が報道では明らかになっていない気がします。
    いかがなもでしょうか。
     他の点についてはあらためてお話したいと思います。
    老婆心ながら所謂事実を積み重ねて見えるものにフィールドワークでの経験をプラスしてみるのも一考かと思います。

  70. silvaplauna says:

    あまのじゃく様 

    こんにちは、コメントをお寄せいただきありがとう御座います。

    早速ですが、あまのじゃく様がお書きの、ガイド、添乗員、荷物持ちのアシスタントと分けて考える立場ですが、ご指摘の通りそういった風に分けて考えている新聞の記事や、論説はいまのところ無いようです。

    以前ここにコメントをいただきました方のブログ記事からいただいた知識ですが、「添乗員」と言う立場は、いわゆる旅行業法で要求されるスタッフの肩書きであるようです。

    あまのじゃく様にいただいたコメントによりますと、そういったシステムがアミューズ社ツアーの意思決定過程の役割分担と理解できるのですが、戸田様からいただいたアミューズ社が配布した資料「トムラウシ山の遭難事故の経過について」に目を通しても上から4行目に「弊社ガイド3名」とあるように、一律「ガイド」と表記されており、「添乗員」という語句はひと言も使われていません。(もちろん、わが社のツアーではガイドと添乗員とのかくかくしかじかの役割分担と意思決定の流れを採っております云々の説明もありません。)

    あの文書は、ツアー客の生存者はもとより、亡くなった方のご家族にも配ったいわば公式見解のようなものでしょう、そのような重要な文書に、ガイド、添乗員の区別もしないで一律「ガイド」と表記するくらいですので、マスコミも業法上の細かい区分について取り上げないし、あまのじゃく様がお書きのような役割分担に則った考えを採らないのだと考えます。

    あまのじゃく様がアミューズ社の担当でしたら、たぶんいただいたコメントにありますように、ガイド、添乗員、荷物持ちのアシスタントと区別して表記したのであろうと思いますが、あの文書を作成したアミューズ社の担当者は、そうした考えを持たないのか?忘れたのか?そのような重要な文書であるにもかかわらず、区別表記を用いていません。この事態を素直に理解するならば、あの会社には、あまのじゃく様のような考えを持った方もいれば、そうではなく、あの文書を作った担当者のような人もいるんだな、となります。

    (もちろんアミューズ社が出してこないのは、自己弁護の論法でそういった考えを出すと、それを逆手に採られて、かえって会社の責任を決定付ける両刃の剣になる恐れがあるから意図的に出してこないのかもしれません。)

    ただ、今回のような、非常時には、ガイド、添乗員の肩書きから要求される本来の役割を超えて、最悪の事態を避けて、顧客の被害を最小限に押さえる努力が必要になるものと考えます。

  71. あまのじゃく says:

    拝見しました。
    非常時における現場での対応は最悪の事態を避けるという意味ではおっしゃるとおりです。
    しかし結果をどう評価するかと言うときそれぞれの役割、責任の所在を明確にしなければ成りません。
    私は嘗てアミューズの研修にも参加し松下氏の話も聞いています。
    渡された資料には添乗員とガイドの区別は明確になっています。
    アミューズの対外的に不明確な言い方は何事かを隠蔽する意図がある、あるいは結果的に隠蔽することを目論んでいるのでしょうか。
    こうした表現が意味するのは、全員に責任があるか、主責任者不明による全員不責任ということでしょうか。
    時系列でその場その場の判断を誰が指示していたかは明らかになるでしょう。しかし、ツアーにあっては現場の総括責任者がいないと言うことはありません。肩書きの問題ではないと思います。ここへ論点を持って行くことは問題のすり替え矮小化になります。
    アミューズが社内で配布した資料の検討が必要かと思います。
    評価は最終的には司直にゆだねられる事になると思いますが、ツアー業界の実態と中高年者の登山ブーム陥穽を訴えていかねばなりません。

  72. あまのじゃく says:

    silvaplauna様
     アミューズの添乗員・ガイド研修時配布された「国内添乗(一部ガイド)マニュアル」(2006年1月25日)なるものがあります。
    1条(添乗スタッフの心構え)に始まり20条(台風に関する取り扱い)まで。その中に18条(事故などの対応)19条(旅程変更に伴う取り扱い)があります。
    停滞すべきであった、エスケープルートを取るべきだった等、多くの証言・分析の中では触れられていない問題があるのではと気になります。
    つまり旅程変更変更に伴う取り扱い・19条2項「当社に過失が無く、天候等の理由によりフライトキャンセルにより、ツアー続行が困難な場合 延泊/送迎などの必要経費やフライト変更など、その後に発生する費用は、すべて顧客負担となる」とうたっています。
     宿泊した批難小屋で出発を決定した際、アミューズ側と客の間でどんな話し合いが行われたのか興味深いものがあります。
     そろそろアミューズの体質、ひいてはツアー会社業界の体質に踏み込んでいく必要があるのでは。
     命か金か。過去のガイド経験からすると反応は微妙なものがありました。

  73. silvaplauna says:

    あまのじゃく様

    これは11時27分(日本時間)にいただいたコメントに対するお返事です。ご返信いただきありがとう御座います。

    アミューズの内部資料にはきちんと使い分けや役割分担が記載されているのでしたら、対外的な文書に、あえて漠然と「ガイド」の統一表記で通しているのは、何か意図があってのもののようです。

    やはり、わが社はかくかくしかじかの役割分担に基づくガイドシステムを採って居りまして、今回の総括責任者はだれだれとつまびらかにしてゆきますと、マスコミや、遺族、はもとより、警察関係にも細かく突っ込まれてしまうのを嫌ってのことなのかもしれません。

    或いは、刑事、民事裁判を見越して、あまり細かい事実関係を自白するようなことは避けておこうといった思惑があるのかも知れません。

    具体的には、対外文書にガイドのだれだれが総括責任者だったんです、と書くと、刑事責任にさらされたその者の、アミューズからの離反を招き、アミューズに不利な証言や過去のよろしくない事実をあからさまにしてしまうことになるかもしれません。

    ガイドを守ることは、会社を守ることに繋がっているのです。

    肩書きの問題にすりかえるべきではないと言うご指摘は諒解いたしました。

    皆様にも御願いしておりますが、あまのじゃく様のご自由にご意見をお書きいただければ幸いであります。

  74. silvaplauna says:

    あまのじゃく様

    いただいた後半のコメントへのお返事です。

    19条2項と言うのは下手糞な文章で・・、

    19条2項「当社に過失が無く、天候等の理由によりフライトキャンセルにより、ツアー続行が困難な場合 延泊/送迎などの必要経費やフライト変更など、その後に発生する費用は、すべて顧客負担となる」

    「当社に過失が無く、」は・・「ツアー続行が困難な場合」にかかり、また、「天候等の理由により」はそのまま「フライトキャンセルにより」にかかると読んでよろしいのでしょうか?

    要するに、会社に過失がない限りは、既定ルートと、既定日程以外はすべて顧客の費用負担となるという原則なのだと理解できます。具体的には、悪天候の場合に、小屋に停滞するにも、また、エスケープルートを採るにしても全部顧客の費用負担となるのが原則であるとされているようです。

    いまさらながらですが、今回の遭難事故の原因には、やはり、ツアー登山であったことが大きな原因事由となっていることを痛感いたします。

    天候の判断から、装備まで、ツアー登山であることが、影響を落としているようです。

    ご指摘の19条2項について、たとえ全部顧客の費用負担であったとしても、命はお金と交換できませんから、天候の判断や、装備の携行の判断について、ツアー登山であるがゆえに、普通の登山ではしないような判断(通常なら動かないような悪天候を押し切って動いたり、テントなどの重要装備を小屋に置いて出発してしまうなど)をするようなことはあってはならないと考えます。

    やはり、ツアー登山というのは、単にお金を払って山を案内してもらうといっただけではなく、他の重要な部分(特に登山の安全にかかわる部分)において、一般の個人や、山岳会が行っている登山活動とは違うのだと言うことなのですね。

  75. S.TODA says:

    こちらに書いた方がよいと思います。名前はこれで行きます。ツアー登山というものについて、通常の登山クラブのパーティの人はイメージできていないとおもいます。自分の独断を言えば、登山クラブのお試し山行の客と考えればよいと思います。正クラブ員は3人のガイドで構成し、お試しの客15人を連れていくのだ考えたらよいと思います。通常のパーティにもオンブ会員はいるわけで、ツアー客はそういうものと思ってください。なお道案内限定ガイドというものは、そこまで言うなら自分で歩けばいいわけで、さらには一緒に歩く必要もないから、結局出発点で自由行動と言う尾瀬でよくある形になります。道案内ツアーは客が入りません。だから自分の言うオンブ型しかありません。お試しの客が110番すると困るでしょう。勝手にするのは躊躇するものです。ガイドの権威を否定しないとできないと思います。携帯は持っていないし、使い方も知りませんでした。借りればよいというけれど使い方も教えてもらわねばならないのです。だからあのブログは見当違いを言っているのです。体調不良を言って停滞するとガイドが一人着かねばならない決まりになっているのでガイドの説得が入るのです。本部と相談するのが一番良い方法で衛星携帯がいるのです。

  76. S.TODA says:

    トムラウシへの格別の思い入れ、こだわりについて。客にはいろいろあるから一般論は言えないけれど、今回に限って出発の時点でそんなことを言う客はなかったと思います。客が文句をいうときは目の前に頂上があって登れそうというときとか、コースを知っていて登れるのにと思った時で、この場合その客自身なら登れると思って文句を言う客がいるから問題になる。これにたいしては、ツアーも団体行動で他の客全体が登れないからと言って説得するほかない。今回はすでに頂上を行かずまき道にすると出発時点で決定していたから、、まき道を通ってこだわりが満たされたなどと誰も思わないと思います。エスケープをとらなっかたのは、ガイドが知らなかったか、迎えのバス、宿への連絡ができない等があったと思います。東大雪荘へ行くことだけを考えていたのだと思います。吉川ガイドの発言があります。「今日の僕たちの仕事は、みなさんを山から下ろすことです。、、まき道を行くことを了承してください。」(山渓10月号p17)ガイドたちは東大雪荘に向かって突き進んだのでしょう。途中で判断しなおすということは改めて相談しなければならないが、それをしたのは自分が叫んだあとだけのようです。

  77. silvaplauna says:

    戸田様 いつもお世話になります。

    その吉川ガイドの発言・・「今日の僕たちの仕事は、※みなさんを山から下ろすことです。、、まき道を行くことを了承してください。」(山渓10月号p17)

    ※の部分に「停滞することではなくスケジュールどおり」と入れると、まさに今回の事故の原因を示す、象徴的な表現となりますね。

    それでは、ご自由にお書きいただければと思います。

  78. S.TODA says:

    アミューズの場所取りについて、まだ話があります。岳人の記事について問い合わせたら、あれは東京発着のパンフにのっていたと言われました。ということは、大阪発着のパンフもありますよね。名古屋発着が広島・仙台発着をくわえ2つのパーティ、東京発着は単独で4つのパーティ、大阪発着が福岡発着を加え3~4つのパーティがあることになります。だれか大阪のパンフを見つけてください。7/16,17が名古屋、7/26,27,28,29が東京、大阪はその間ですか?(7/22,23,24?)完全に私物化していたようです。自分たちもいけないこととは知らなかったのだが、共犯を務めさせられていたことになります。避難小屋はタダだからぼろ儲けなんでしょう。

  79. silvaplauna says:

    戸田様

    こんばんは、それだけの数になりますと下山口の宿泊施設にも相当な利益が入るわけで、アミューズは上得意様であったのでは?

    登、下山口の宿泊施設とアミューズとの関係を調べても面白い裏づけが得られることでしょう。

    そのほか、ツアー客の運輸を受け持つ会社(バス、タクシー)ももちろんその恩恵があるわけで、ツアー会社と、現地宿泊施設、運輸会社との密接な連携プレーによる利益の独占システムが出来上がっていなかったか、現地警察の方には厳しく調べていただきたいところです。

    ツアー会社はいわば、「氷山の一角」に過ぎないかもしれませんね。

    ガイドを供給するガイド協会、参加者を集めるツアー会社、現地の運輸会社、現地の宿泊施設、さらには現地のお土産物屋や、登山用品店まで、一枚絡んでいるシステムがあったと考えるほうが無理がないようですね。

  80. AAA says:

    10月号の山渓や岳人の記事を読み、思うところがありましてコメントさせていただきます。
    このサイトの内容をすべて把握はしていませんので、重複したり、不十分な意見があるかと思いますが、ご容赦願います。

    私の立場は、元業界関係者と言えばいいでしょうか。

    今回の件の第一報を聞いたときの感想は・・・だってそうゆうもんだから、しょうがない・・・。です。
    不謹慎かもしれませんが、これが正直なところ。

    論点となってるというか、報道などから気になっていることを個別に。

    ■予備日がなかった。
    ツアー登山の場合、普通はありません。単純に日数が増えるし、旅行代金が高くなるから。
    予備日の設定があり、予備日を使ったり、使わなかったりしたら、宿、交通機関が大変です。

    今回の場合でいえば、仮に1日予備日の設定があったとします。
    ※予備日を使わなかった場合・・・下山後、トムラウシ温泉で2泊。予備日分は丸1日温泉で時間を潰す。下山の翌日に帰りたくても、バスも飛行機もないので、どうしても帰りたい人は離団するしかありません。
    ※予備日を使った場合・・・トムラウシ温泉の予約はしてあるが、携帯が通じないため、キャンセルの連絡も出来ない。宿の人は食べるあてもない食事を用意し、一晩中待つはめに。

    どちらとも、とても現実的ではありません。

    ■防寒着を持ってない。
    今回のコースを歩くような人は、それなりの経験を持っているので、自分なりの装備感ってのがあるはず。どんな状況でも、これなら耐えられるというような。
    仮に、着替えも防寒着も持ってなかったとしても、それはその人の個性。軽量化のために服を持ってこなかったのなら、その人はそういう選択をしたというだけだということです。どの程度の服装をしていいかわからず参加しいてた人がいるとすれば、それこそ自己責任です。
    この程度の山に参加する客がザックの中に何を持っているのかを、ガイドは基本的に確認しません。そんなことも気を遣ってあげなきゃならない人は参加すべきではありません。

    ちなみに私は、学生の時に、同じコースをTシャツだけでテント泊で歩いたことがあります。歩いたのは8月ですし、天気は悪かったとはいえ、今回の状況と比較出来るはずもありませんが、寒かったらカッパ着ておわり。若気のいたりとはいえ、当時はそれが特別なことではありませんでした。荷物も重かったので、防寒着を持っていく余裕なんてなかったし、発想もなかったということでもあります。

    ■中高年だから
    山では、よぼよぼの30代もいれば、めちゃめちゃ元気な80代もいる。
    「中高年」とういのはあくまで要因の1つでしかありません。この言葉1つにとらわれていると、本質が見えなくなります。

    ■避難小屋について
    個人的には避難小屋に泊まらなければ登れないような山はツアーで組むべきではないと思っています。
    ただ、現実には百名山を含めて、避難小屋に泊まらなければ登れない山というのもたくさんあります。
    では、どうすればいいかというと、ツアーで使う場合は、小屋がいっぱいである可能性も考えてテントも持って行く。これが現状では唯一かつ最善の解決策だと思います。今回もテントは持っていたはずなので、ツアー会社が責められることはありません。これ以上の解決策を求めるとすれば、国がなんとかするしかないでしょう。
    例えば、
    ・営利目的での使用は禁止。
    ・人数制限…避難小屋なのに予約制?
    ・新たな営業小屋を建てる。
    ・・・パッとしませんね。

    ■ガイドについて
    客5人対してガイドが1人いるので、人数的には足りています。大人数のパーティーと言われていますが、登山ツアーとしては普通。むしろ少ないくらいです。

    今回のコースを歩いたことがあるのは、ガイド3人中、1人は複数回、2人は初めてということですが、この業界ではぶっつけ本番というのも当たり前。ぶっつけでガイド出来るというのが、ある意味、美徳とされているようなふざけた状況もあります。
    10回歩こうが、1回しか歩いたことがなかろうが、数の問題ではありません。要ははそのコースを「ガイド」出来るかどうか、ただそれだけです。

    形はどうあれ、日本の山で客を案内している人が会社の正社員である場合は少ないです。契約社員や学生バイトってことも珍しくありません。個人の場合は自営でしょうが。

    ガイド資格の有無の議論は不要です。日本はそういう仕組みになってないので。最近になって改善されてきてますが、まだまだです。今後のことを考えての議論は有益だと思いますが、今回は関係ありません。

    今回の場合で言えば、ガイド役は1人。あとはサブでしょう。実質案内できるのが1人いれば、後は人数合わせってこともありますので、3人とも「ガイド」というのはおかしいかもしれません。ま、日本で「ガイド」の定義なんてありませんけど。

    ■天候、出発前の判断について
    登山最終日の出発前に、ガイドが天気は回復すると言ったらしいですが、本当にそう思っていたかどうかは疑問です。本心でなくても、客に希望を持たせるせるために言ったということも十分あり得ます。というかそもそも、台風が直撃するというようなわかりやすいものを除いて、天気予報(予測)などというものはあまり関係ありません。天気が悪いのは当たり前。個人山行なら、天気予報を見て、好きなように判断すればいいですが、ツアー登山を含め団体の場合はそれ以上のしがらみの方が、天気予報よりも強いことがままあります。
     今回の場合でも、縦走、登山最終日、バス、宿、飛行機などが考えられます。予備日がないというのは元々ないので、要因にすらなりません
    これらを押しのけて、出発出来ないような天気を除き、予測のもとに出発しないという判断をすることはあり得ません。とりあえず行ってみてダメだったら引き返す。これはよくあります。しかし、今回は上記の要因から、出発するしかありません。

    ■出発後の判断について
    山では1人でも動けなくなったら、もう終わりです。ひとがひとひとり助けるってのはものすご~く大変なこと。それこそ自分の命も懸けなきゃ助けられない。よって悪天候の中で、1人でも動けなくなった時点で、出来るだけ早くガイドは判断しなければならなかった。考えられるのは、避難小屋に引き返すこと。なにも判断をせずにズルズル進むうちに、じわじわ低体温症になっていき、今回の結果になってしまった。

    ※何故判断できなかったのか
    ・判断するだけのガイドとしてのセンスを持っていなかった。
    ・ガイド自身、身体的に追い詰められていて、判断できるだけの状況でなかった。
    ・ガイドの間で意思疎通出来ていなかった。だれが(どちらが)最終決断をするのか。
    ・ガイドが自分の独断で判断していいかわからなかった。

    私はすべてだと思います。
    いままでいろいろ書きましたが、この時点でそれは全部ふっとんでます。
    人命が最優先。それ以外はすべて犠牲にしても構わない。
    それに早く気付き、判断する。それが出来なかったことが状況をどんどん悪化させていった。今回の件でガイドが責められるのはここだけかなと思います。
    これ以外はすべておまけみたいなもの。

    事実として、このツアー会社においても、悪天候のために登頂出来なかったり、コースをかえたりなんてことは珍しくありません。
    数年前には幌尻山荘で増水のために数日間、閉じこめられたこともあります。
    何が何でも日程通りにやらなければならないなんてことは全くありません。それによって主催側の誰かが不利益を被ることもありません。あるとすれば、客が予定外の出費で自腹きることぐらいです。

    ちなみに、客側の要望がガイドの判断に影響を与えることはまずありません。よっぽど気弱なガイドなら別ですが。

    中途半端ですが、長文疲れましたので、とりあえずこのあたりで。
    また、思い立ったらコメント致します。
     

  81. AAA says:

    トップに取り上げていただいて恐縮です。

    ただ、今回のコメントを書いたのは、山渓や岳人の記事を読んだことがきっかけではありますが、両誌の内容について批評したというわけではありません。どちらかというと事件当初の報道から感じていたとを書こうと思ったわけであります。事件当初は、テレビや新聞でもさかんに報道がなされていましたが、その内容については「おまえら何もわかっちゃいないな」と思わせるものが多かったように思えました。しかし、一週間もすれば報道は少なくなり、大部分のひとは最初の報道内容を鵜呑みにして終わってしまいます。それに対してコメントを書いたというつもりです。

    私自身が、山渓、岳人、両誌の内容を検証した場合は、前述のものとは内容が大分変わってくるのかなと思います。

    どちらにせよ、議論が活発になることはいいことだと思います。

  82. silvaplauna says:

    AAA様

    はじめまして。

    ご意見をお寄せいただきありがとうございます。

    ご指摘のように、世の人は時が経てば、忘却し、また据わりの良いとりあえずの結論が出ると、皆安心するのか、またまた事故から心離れてしまうものです。

    いまは、連休中でアクセスも少ないですが、しばらくトップに置かせていただき、リアクションを確かめて、また、ご覧の方々のご意見を募ってみようと思います。

    山渓、岳人の検証へのご意見のほうも、また後日、お時間がございますときにお寄せいただければと思います。

    ご投稿がきっかけとなり、事故への議論や、背景事情への理解が深まるのはとてもよいことだと私も思っています。

    もちろん、それは戸田様はじめ事故に遭われた方々、不幸にもお亡くなりになった方々のご遺族の「なぜ?」という気持ちに何らかの答えを与えるものともなりましょう。

    今後ともよろしく御願い申し上げます。

  83. AAA says:

    岳人10月号を読んで気になったところ記載いたします。

    ■ガイドについて(追記)
    ガイド3人の役割はそれぞれ、メインガイド、添乗員兼サブガイド、ポーターであったと思われます。
    避難小屋に残ったネパール人については記述しません。
    メインガイドは添乗員兼サブガイドに対して、立場、年上、経験差などから気を遣っていたのではと想像できます。それが判断を誤らせる原因のひとつになったのかもしれません。
    ポーターとはそのままポーターとしての意味なので、ガイドとしての心構えを持って参加していなかったのでは。この方が、極限状態の中で、歩いたこともないコースをガイドしなければならなかったということに、私は同情します。

    ■押し出し型のツアーの実態、引き返さなかった理由?
    次のツアーが、後ろから来ているからといって、ガイドが引き返すのを躊躇するというのは説得力に欠けるように思います。避難小屋内が狭かったり、食事の準備に時間がかかったりなどというのは、大したことではありません。そんなことが気になるほど、ガイドの人間は小さくないと思います(と信じたい)。

    ■団体装備について
    ツアー登山では全員がビバークできるだけの装備は持っていません。
    テントを次のツアーのために避難小屋に置いてきたということですが、何が問題なのかわかりません。予定外のビバークのためにテントを持ち歩くパーティーなんていないでしょう。テント自体は避難小屋がいっぱいだった場合に備えて用意してあっただけです。ポーター役の方が、テントを持っていた(使わなかったが)そうですが、もし、ビバークを想定して持っていたというなら、私は感心しますね。
    ガイド3人の内、バーナーを1つも持っていなかったのでしょうか? 持っていなかっとすれば問題ですが、どちらにせよ全員の暖をとれるだけの数を持っていないのが普通。
    ガイドはポーターではありません。いくら強がっても、荷物が重ければ「ガイド」としての能力は低下します。

    ■避難小屋について(追記)
    ツアー登山に限らず、営利目的で避難小屋を使うことは北海道に限ったことではなく、営業小屋の少ない東北地方や屋久島などでは顕著です。営利目的での避難小屋利用を否定するとなると、テントなどの重装備、無理な日程などで、遭難を助長することになるかもしれません。ま、それだけの技量がない人は山に登るべきでないと言ってしまえばそれまでですが、それでは登山文化が廃れていくばかりです。登りたい人がいれば、登らせてあげるべきです。

    ツアー登山、個人ガイド等を問わず、山でお金を稼ぐことは何もやましいことはありません。
    欧米などの例を見てみると、登山文化というものはガイドと客の利害関係があって発展してきたものではないでしょうか。
    日本人の感覚では未だにそういう風潮(やましい)があるんではないかと思います。
    それではガイドのステータスはいつまで経っても低いままです。

    正論を言ったり、否定することは簡単ですが、それでは何も解決することはできません。現状を良く理解し、これからどうしていくべきかを論じなければダメだと思います。

  84. silvaplauna says:

    AAA様

    こんばんは、追加分は早速、本文のほうに追記させていただきました。
    拝読するに大変、説得力ある文章で、思わず頷いてしまいます。

    いずれ、詳細にコメントさせていただこうと考えておりますが、極めて合理的かつ無駄がないお考えで、突っ込みどころもなく舌を巻いております(苦笑)。

  85. AAA says:

    silvaplauna様 

    こんにちは。暇にまかせて、また書いてしまいました。
    私からの意見は今回で最後です。

    10月号の山渓も読み直した上で、コメント致します。

    岳人が無知による妄想のためか、悪意なようなものを感じたのに対し、山渓の方は、わかっている事実を、冷静に淡々と書いてあるなという印象を受けました。

    ■ガイドについて(追記)
    ガイド3人の内、一番若いメインガイドを除く2人は、早い段階から身体的にダメージを受けていたように思います。そんな中、メインガイドは前と後ろを往復し、お客さんを背負ったりと献身的な対応をしていたように見受けられます。そのような状況で動ける人まで気が回らなかったのは仕方がないのではと思います。(仕方がないで済まないのが、ガイドという職業ですが)。

    ■押し出し型のツアーの実態、引き返さなかった理由?(追記)
    岳人では、別パーティーが後ろから来ているということを、避難小屋を同一会社で占拠しているということで、かなりマイナスイメージで書いていました。しかし、よく考えてみると、仲間が後ろにいるのなら、こんなに心強いことはないのではないかと思います。非常事態だからこそ、助け合うことが出来るんじゃないかと。それなら逆に、なぜ、さっさと引き返さなかったのかと疑問にさえ思ってしまいます。

    それから、あまり報じられていないように思いますが、事件のあった同じ日に、同じ山域で、同じ?天候下のもと、同じ会社のパーティーが、無傷?でヒサゴ沼避難小屋に辿り着いているはずです。遭難したパーティーと明暗を分けたものはなんだったのか、興味深く思います。

    山渓の記事で1つ注目したいのが、天気予報についてです。
    この中で最終日の天気について、予見不可能であったと結論づけています。
    前日までは、翌日には回復傾向にあったが、当日(最終日)に天気が急変したと。
    先に、天気は判断基準ではないと書きましたが、今回のガイドは天気が回復すると本気で思っていたのでしょうか? そういう願望はあっただろうけども、本当に信じて強行し続けたとは思えません。そこまで愚かではないだろうと。

    以下、基本を無視した私個人の戯言です。
    下界でもしょっちゅう外れる天気予報が、山の上で、個人の力で100パーセント当てることなど出来ません。山の上で確固たる情報もないのに偉そうに天気予報している人間を、私は信用しません。おまえは神様かと。
    山でラジオから天気図を書くというのも、私には気休めにしか思えません。携帯が通じるなら、天気予報サイトを見ればいいでしょうし、ラジオが入るなら天気予報を聞けばいい。いくらうんちくを並べても、それ以上のことがわかるとは思えません。経験や知識から当たることもあるでしょうが、当然外れることもあります。その確率は?

    山に登るからには、どんな山であろうと、どんな状況であろうとも受け入れられるような心構えが必要だと思います。それは、ツアー登山、単独行、ヒマラヤ遠征、どんな形の登山でも変わりません。
    山に対して常に謙虚でなければならないと思います。

  86. silvaplauna says:

    AAA様

    再びご意見をお寄せいただき深く感謝いたします。

    いただいたコメントの後段を読みながら、ついつい私の尊敬する小西さんの以下の記述を連想してしまいました。

    『・・天気図にいたってはまったくのチンプンカンプン。

    知識はないよりあったほうが良いのに決まっているが、知識がなければないなりに工夫すれば知識不足をカバーすることも可能である。天気図がまったく読めなければ、冬山でどんなに天候が荒れても、びくともしない精神力と体力をつけておけばよいし、訓練によって2、3日食べなくても活動できる体力にしておけばカロリー計算もたいして必要ではなくなってくるからである。

    小西政継 ロッククライミングの本 10ページ はじめの独り言 』

    私なりに考えますと、天気予報はつまるところ「予報」であり、端からあまりアテにならないので、現場の天気の状況に応じて臨機応変の行動をとらねばならない。

    ・・というか、天気予報が外れたときにどうするか?ということにこそその岳人の力量が試されるのだと思います。

    今回の場合、山渓は予見不可能であったと結論付けたとしても、そもそも予見(予報)をあまりアテにして行動してはいけないのであり、予見不可能だから、遭難してもガイドに責任はない、ことにはならないと考えます。

    例えば、遭難し救出された登山隊のリーダーが、「天気予報が外れたからわれわれは遭難しました。」とヌケヌケと語るのは、遭難者の弁としては説得力が極めて弱いでしょう。

    具体的には、天候が回復しない予兆、ツアー客のいままでとは違った異変、最初の行動不調者が出たときなどに「ヤマカン」が働けば、比較的早い時期に迅速な対応が出来たのではないかなと考えます。にもかかわらずAAA様ご指摘のように、ズルズルと対応を遅らせ・・。ああなってしまった、そういうことなんでしょう。

    天候が予想に反して、急変したら、あるいは思っても見ない予見不可能な方向に進み始めたら、それに応じて登山者のほうも急変しなければ、山で長生きは出来ないのでしょう。

    予見不可能だったから死んじゃったんですよ、というのは、人命の重さを思えば、あまりに軽軽しい理由付けです。

    たとえ後日、予見不可能であったとされても、なんとしてでも生きて還らねばならず、そのためには、AAA様が最後段にお書きのように・・

    「山に登るからには、どんな山であろうと、どんな状況であろうとも受け入れられるような心構えが必要だと思います。それは、ツアー登山、単独行、ヒマラヤ遠征、どんな形の登山でも変わりません。
    山に対して常に謙虚でなければならないと思います。」

    そういった姿勢が大切なんだと深く共感させていただきます。

  87. macbeauty says:

    はじめまして。私も今年6月に北海道の山を集中的に登って帰宅したあとに、このトムラウシの事件が起きて関心を持っていました。

    直感的に、報道されるようなひどい悪天候の中で、なぜ、行動したのか疑問に思いました。が、これは旅行会社のツアーということで、まあ、納得。日程的な問題ということか。
    次に、後続パーティーが無事に同じルートを通過していることが不思議でした。

    これは、単純に遭難したパーティーの力量不足でしょう。

    このような遭難はこれからも起きます。山はそうゆう場所なのです。企画する会社も、参加する登山者にも、私はほとんど同情はできません。いくら金を払ったって、安全は買えない。ということの警鐘だと思います。以前にも同じ場所で遭難した方がいる、そうゆう危険な場所なのです。そこで倒れたのなら仕方ないです。自然との力関係です。

    誤解を恐れずに言えば、65歳前後の高齢者が山にはいること自体が変です、やめたほうがいいです、体力的に。まして悪天の中の縦走はありえない。むしろ年齢が問題だと思う。携帯電話が通じるとか否かの問題ではなく、自身の体力レベルの問題です、回復力も関係してくると思います。ガイドのセンスで違う動きをしていれば、これはまた違う結果になったと思うけど。いずれ、同様の事件は起きたと思う。

    負けたら命に関わるの自然なのだろうと思います。そうゆうところに入るのなら、やはりそれなりの準備が必要だろう。だから単に登りたいという人を登らせたいという気持ちには賛成しません。山には登りたいという気持ち以前に、登れるという体力が必要なのです。登って帰ってこられなければ、今回の事件になります。

    登ってみたいという気持ちは誰だってあるのだから、それを甘やかすと悪条件の中ではこうゆう結果になるということです。

  88. S.TODA says:

    AAA様の意見拝見しました。考えてみます。ただ「人命が最優先、それ以外はすべて犠牲にしてもかまわない。」という意見に賛成です。独断でもいいからあらゆる規則・しがらみを押しのけてなすことがあると思います。自分が「リダーシップをとる人がいなかった」というのはそういう意味で言ったのです。
    「ガイドとしてのセンスがなっかった」という意見にも賛成します。自分が「まじめすぎる。」「頭だけの知識では、、」「先輩ガイドのもとでの研修を、、」と言ったのはそういう意味です。
    さらに自分は「故障者のケアなるものに取り紛れて、、」「ケアなるものに熱中し、、」と言い、また「頭を使え」ともいいました。これもそういう意味です。感情も制御しなければならないのです。ケアなるものと書きました、効果はあったのか、ほとんど意味がないと思います。そこまで言ったので非難を受けましたが。
    すみません自分の意見に人の意見を利用してしまいごめんなさい。

  89. silvaplauna says:

    macbeauty様

    ご意見をいただきありがとうございます。

    社会人山岳会とかでしたら、山行メンバーを選考する過程があり、実力相応の山にしかいけないいわば「足切り」があると思います。

    でも、ツアーの場合は、制約はゆるい(せいぜい年齢制限ぐらい)ようで、中にはお金さえ払えば申し込めるというケースもあるようです。

    体力がさほどない方が、今回のような難しいツアーに申し込んで、ツアー中に動けなくなり・・他のツアーメンバーにまで迷惑をかけてしまう。

    今回の事例は、そういう事例であったのかな?と思うこともあるのですが、最初に行動不能になった方の詳細な事情が分からないのでなんともいえません。

    これもまた吟味してみる必要がありそうです。

    一人でも実力不足のメンバーがいると、パーティ全体に悪い影響を及ぼすということは、社会人山岳会の山行でも、こうしたツアー登山でも事情は変らないでしょう。

    ただ、社会人山岳会でしたら、一人が動けなくなってもメンバー相互の助け合いが期待できますが、ツアー登山の場合は、行動不能者の介護はガイドがなさねばならず(まさかお客さんであるツアー客に頼むわけにも行かないでしょう)・・一気にガイドの負担が増加してしまいます。

    過重負担に苦しむガイドが判断ミスを重ねると・・今回のような事故になってしまうのでしょう。

    そんな意味で、ツアー登山は、アクシデント(危機)に弱いという脆弱性を持っていると考えられます。

  90. noho says:

    皆様のご意見参考にさせていただいています。

    一点だけAAAさんの書かれたこの点について・・・

    >ツアー登山では全員がビバークできるだけの装備は持っていません。
    >ガイド3人の内、バーナーを1つも持っていなかったのでしょうか? 持っていなかっとすれば問題ですが、どちらにせよ全員の暖をとれるだけの数を持っていないのが普通。
    ガイドはポーターではありません。いくら強がっても、荷物が重ければ「ガイド」としての能力は低下します。

    そういうツアーガイドが多いという事実を知りつつも、そうでないガイドを私は何人でも知っています。5人が入れるツェルトとバーナー1個程度でいかほどの重さの負担もありません。販売している(何人用)という記述よりツェルトは多くの人をくるむ事が出来ます。もしもっていたならば風をよけながら加温も出来たはず。ガイドは全員分のビバーグ装備を持つべきだし持っていて当たり前だと思います。

    「行動中に誰かが体の不調で動けなくなる」

    こんなことはツアー会社もガイドも(お金を貰っているツアーであるからこそ)当然想定していなくてはならない(違いますかね?)
    転倒、滑落、心筋梗塞、脳梗塞、熱中症、低体温症、体力不足、歩行ペースの不適合・・・
    人数が多いために集団行動出来なくなる人が出る可能性が高いことなんて誰でも想像が出来るはず。それに対応する期待をお客さんが持つのは当然です。ツアー会社やガイドがお客さんの歩行レベルや能力不足を言い訳に出来ると考えるほうがおかしいです。
    ツアーに参加される雇われたガイドさんたちが「勝手に」自らの責任を過小評価しているのを何度も見聞しますが、事が起こったときに自分の責任がいかに重かったかに気がついても手遅れです。そして自らが雇ったガイドに能力不足(職業倫理も含め)があったならその責はツアー会社以外に負うところはありません。

    ガイドが下界とすぐに接続できない奥山でグループマネジメントをするときビバーグ装備が無ければ「命の保障されている場所で動かない」という選択しかないはずです。これは山で起こりうるトラブルを考えてみればビギナーでも出せる答えではないでしょうか?
    ビバーグ装備を持たないガイドはいかにセンスがあっても、ビバーグ装備を持っているガイドと同じマネジメントは出来ません。ビバーグ装備を持たずに行動した瞬間に「運」に身を任せているのだからマネジメント以前の問題です。

    私はお客さんはガイドが(ツアー会社が)自分に必要なグループマネジメントしてくれると思っているからお金を払って参加するのだと思います。お金を払った瞬間から信頼が前提です。ガイドの言うことにはそれが命に係わることであればあるほど服従するはずです。ガイドの意見と自分の意見に差異があっても、その差異はグループがより良くなるためのものだと考えるはずです。
    そこに疑問を感じ否定的になるまでにかかった北沼での1.5時間はお客さんの能力関係なく普通だと思います。ガイドを否定することはお金を払った自分を否定することにもなりますから通常より時間がかかるものです(もしかしたら未だにガイドを否定できない方も見えるかもしれません)
    しかしビバーグ装備を持っていなかった、その1点のみでもお客様はグループマネジメントしてもらっていると勘違いさせられていたことがわかります。ビバーグ装備を持たずにガイディングしたということの重さにはもっとフォーカスするべきなのではないかと思っています。

  91. silvaplauna says:

    noho様

    おはようございます。いつもお世話になっております。
    AAA様の見解に対する貴重な対論をご提示いただき感謝いたします。

    私のようなガイドの世界を知らない「部外者」の場合、ガイドの方にわれわれガイドの世界では「ガイドとポーターとは違い、ポーターはガイドよりもツアーにおける責任が軽いものとされています。」と言われてしまえば、その前提(ガイドの世界のお約束)に依拠せざるを得ず、では、今回の場合の38歳ガイドの責任も軽いものなのかなぁ?と考えてしまうものです。

    それを批判できるのは、ガイドの世界の内情に詳しいnoho様のような方にしか出来ないことです。

    同様に、「ツアーに於いては、全員分のツエルト(ビバーク装備)は通常持参しません。それが慣習です。」といわれてしまえば、これまた、「ふーん、そうなんですか・・」と容易に引き下がってしまいます(苦笑)。

    もちろん、上記二点について、「ツアー客にとっては、ガイドもポーターも関係ないのではないか?」とか、「全員分のツエルトを持参しないのは良くない。」と一般登山の観点から批判してしまうのは、容易いことですが、それでは話し合いが成り立たず、実も蓋もなくなってしまいますので、ここでは、AAA様のお話しの前提に素直に従って、話の筋道を追わせていただきました。

    また、とりあえず、AAA様のご見解に従っても、ガイドの過失は、認められるようなので、百歩譲ってもガイドの責任は認められる立場のひとつとして、AAA様のご見解を位置付けようと考えています。

    noho様にいただいたコメントにより、AAA様ご提示の見解とは違った考えでガイディングなさっているガイドの方もいらっしゃることが分かりました。それは、今回のツアー会社や、ガイドの責任を論じるうえで大変心強いことであります。

    振り返って、15人で3名のスタッフで、人数的にスタッフは足りている、とされて・・

    今回のようなケースで、ツアー客の介護に、一人、また一人とスタッフが抜け落ちてゆき・・

    最後に残ったスタッフは、ポーターなんでツアー客を置き去り同然にしても・・彼の役目上は致し方ないこと。・・とされてしまうと、

    この15名で、3人のスタッフ編成というのはツアー客の自力下山をある程度「想定」している(可能性として認めている)編成である、と言えましょう。

    さらに、ご指摘になっておられる全員に行き渡らないビバーク装備の件も、それが「通例」であるならば、次回からツアー客は自衛策として、自分のツエルトは持参すべきだ、となりましょう。

    今回の事故の教訓として、このようなツアーに参加する者の心得としては、以下の三つが必要になってきます。

    ①ツアーといえども、いざというときは、自力下山することになることへの心構えと体力を養っておくこと。

    ②ツエルトも自分の分は自前で用意していったほうが良い。

    ③とにかく、あまりガイドに期待しては自分の生命を危険にさらすことになる。

    ①~③をひと言で言うと「ガイドに対する不信感を持て」ということでしょうか・・ガイドの技量に疑念を感じつつも、ツアーに参加するためにお金を払い、ツアー中も疑心暗鬼で、ガイドの言にとりあえずは従っている・・そんなツアーになってしまいそうです。

    AAA様にいただいたコメントには、ガイドの内情をさらけ出していただいた点に価値があり、それに対するnoho様のコメントには、今後のあるべき方向性を指し示していただいた価値があると考えております。

    お2人には、ガイディングの現実と理想に関する見解の相違もあろうかと思われます。それを思うと、今回の事件の評価も、ガイドの世界のなかででも評価が分かれてくるものであるようです。

    その一方で、利用する側の理屈は単純で、やはりお金を払っただけのサービスを受けたいというのがツアー利用者の素直な心情でしょう。

    クチコミその他で、ツアー会社の良し悪しは利用する側に共有されているようですので、これからは、お金を払った分の信頼感を得られるツアー会社が選ばれ、お金を払ったけれどツアー中もガイドの能力に疑心暗鬼にならざるを得ないようなツアー会社は、廃れてゆく状況になってゆくのだと思います。

    アミューズ社が第三者による調査委員会を設置と言い出したのも、この業界は何よりもお客様との信頼関係の維持が大切と直感的(商売上の直感かもしれませんが・・苦笑)に考えたからだと思います。

  92. S.TODA says:

    ビバーク装備について、AAAさんは必ずしも必要ではないと言い、nohoさんは全員分の装備が必要と言われる。自分はこのコースに限っては、帰りであっても必要だと思います。とにかく距離が長く、天気が良くても無事に帰れると思えないところです。多田ガイドはこのコースを知っていたのだからそのことを気付くべきだったと思います。しかし彼は自分で考えようとしなかったと思います。それは彼の経験不足によると思います。
    そこで吉川ガイドを付けたのでないでしょうか。吉川さんは「吉川さんがいるから安心だ」と目される存在だったようです。社長も「吉川さんが生きていてくれたら、、」と言っていました。そこで吉川ガイドがこのコースが初めてであったこと、下見をしなかったことが大きいと思います。彼が下見をしたならば出発をやめたか、少なくともビバーク装備を別に用意したと思います。彼が生きていれば、ガイドのプロとして安全は自分で確かめなければならないと思い、二度と同じ過ちをしないと誓ったでしょう。吉川さんと会社スタッフとの間に齟齬が生じたのだと思います。

  93. noho says:

    silvaplauna様

    AAA様が言われたことは残念ながら現在のツアー登山の慣習だと思います。私も内情は一部しか知りませんが、おそらくお金のかかった印刷物のパンフレットを準備し、広く公募を行っているこの業界の大手会社(もちろんアミューズも入ります)のほとんどが、AAA様が言われたような内情であると想像しています。

    大手ツアーのガイドは下記のように分類できるかなと思います。
    ①社員ガイド
    ②ほぼツアー専門の雇われガイド
    ③日ごろは個人的に集客し集金し少人数のガイドをしている方がたまに雇われて参加

    これに役割としての添乗員やポーターなど様々なパターンが入り混じり、ツアー会社内部では一概に同一視できないのが実情だろうと思います。

    私の知っている人数分のツェルトを準備するガイドさんたち(これは一例です)は、③に分類されます。①②のガイドさんを非難するわけではありませんが、③のガイドさんより自分の責任を過小評価しているように感じることが多いです。
    ①②のガイドさんでも責任感の強い方はもちろんいます。しかし傾向として③のガイドさんほどには責任を感じ難い体質なのは事実であり、致し方ないこととも思います。
    仕事を請けた段階から「誰を連れて行くのか」が分って受けることが常のガイドと、当日までお客さんがわからないガイドとでは「取る事の出来る責任」は違って当然です。①②のガイドさんと③のガイドさんの責任感の差異はツアー会社が生めるべき問題ですが、ちゃんと埋められているとは思えません。埋められないまま当日を迎えれば①②のガイドさんに一部の責任に関して諦めが生じるのは当然のことと思います。

    ただお客さんは過不足ない責任感で仕事をしてもらえると期待するはずです。そのことを当日のガイドがどう考えるかは人間性の問題だとも思いますが、お金を収受しているツアー会社には人間性で補うのではなくマネジメントでバラツキをなくする義務が存在すると思いますし、まだまだいろんな工夫が出来るはずです。

  94. noho says:

    追記)
    ガイドごとの感じる責任感の違いについての一例ですが、
    ③のガイドさんはクライアントをその山に自ら誘っていることも多いのです。お客さんの力量を見定めて「自らの利益のために」誘ったわけですから、当然いっそうの責任を感じることになるのです。

  95. noho says: