余暇としてのスポーツ

余暇としてのスポーツは、タイムの速さではなく、意識の高さで勝負するべきである。
タイムで勝負を争うのは、スポーツを生業(なりわい)とする者である。

いわゆる市民アスリートは、意識の高さへと「価値の重点」をシフトするべきであろう。
プロ・スポーツ選手のまねをする必要はさらさらないのである。

考えようによっては、余暇としてスポーツを楽しむものはプロ・スポーツ選手よりも高い意識を具現することが出来る可能性がある。

余暇としてのスポーツを楽しむものに、速さという価値基準は個人的満足以上の意味がないことを、まずは運動している本人自身が深く認識し、自戒するべきである。

Advertisements

Kommentare sind geschlossen.

%d Bloggern gefällt das: