いわゆる「トレイルランナー」の心理傾向の分析

※誤解を恐れずにひと言で言ってしまうと「レースで結ばれた仲間意識」というのがトレイルランナーの心理傾向を分析する上でのキーワードとなると考える。そして、個々のトレイルランナーはそのような集団心理・群集心理に支配される傾向にあるといえるだろう。

更には・・
レースタイムへの価値信仰と、速い者が優れるという価値序列を生み。

仲間意識は、価値を共有しない他者への無理解(裏から言うなら価値観の共有の強制)と集団心理に基づく迫害(嫌がらせ)を生みかねない。

以下、詳論する。
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いわゆる「トレイルランナー」の心理傾向の分析

はじめに断っておくが・・もちろんトレイルランニングを愛する人の中には立派な人格者で尊敬に値する人もきちんと存在する。それを認めたうえで、その一方で、およそ尊敬に値しないトレイルランナーも確実に存在するのである。

以下では、そんな後者についてすこし分析してみよう・・。

1 日本山岳耐久レースを見ても分かるようにレース(勝負ごと)を重要視している彼らは基本的に「速い者に価値がある」という価値観に囚われていると言えるだろう。 そして、世の中には、その価値観を共有しない多くの人間がいることにあまり気付いていない。

彼らの本音を分かりやすく言うと、あのレースを8時間台、9時間台で走る人にはそうでない人よりも高い人間的な価値があるとなるだろう。タイムへの追求は、自己の限界への追及なのかもしれないが、裏返せばレース結果からその人となり(時には人格さえも)を判断する傾向を生みがちである。
もちろん、彼らがその価値観を仲間内で共有する分には一向に構わないが、問題は、それを通りすがりの登山家や、ハイカーにまで押し付けることだ。普通のハイカーにとっては、どんなに足が速い人でも、山を速く走れても、そんなことはどうでもいいことなのだと言うことを理解してはいない。

2 トレイルランナーというのは、同じレースを共同体験することを通じて結びついており、非常に仲間意識・連帯意識が高い、いわば一種の戦友のような連帯感情に支配されている。そしてその反映で、トレイルレース仲間以外の者への仕打ちは激しいものとなりがちである。

仲間意識の最たるものは、例えばトレイルランナーが尊敬する有名な選手を叩いて見れば分かる、熱心な信奉者によってまるで蜂の巣をいじったときのようにものすごい非難の集中砲火を浴びることになるだろう。トレイルランナーというのはそのような危険な集団心理(群集心理)さえも持っているのである。

3 このようにトレイルランナーとは、一定の価値観を強く共有する者たちで、他者にも同じ価値観を強いる者たちであると、括ることが出来るだろう。そして彼らは非常に強い仲間意識・連帯意識を持っており、時としてそれは危険な集団心理(群集心理)に変化しやすい。

このようなトレイルランナーは、自由なる個人への脅威となり得る存在であり、各人それぞれが自由な価値観を持つことへの潜在的脅威であると言えるだろう。

結論として、およそ山を愛するもの、登山家、およびハイカーは、トレイルランナーに対して警戒するべきである。彼らは、山に独自の価値観を持ち込み、それを他者に強制し、ひいては価値観を共有しないものを排斥しようとする傾向さえ持っているからである。

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まとめ

このような分析をする過程で、トレイルランナーの「ファッショ的な傾向」を感じたことを最後に書いておこう。
思想的性向として問題を感じるのは、彼らの仲間意識であり、連帯意識である。

これは、仲間でない他者へは抑圧、迫害の行為動機に変化しやすい。

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