プロ・トレイルランナー 鏑木毅 に期待すること。

趣味としてのスポーツを職業として行い、スポーツを通じて生計を立てるのをプロ選手という。

登山の世界にも、プロガイド(難しいルートをガイド料を徴収して案内する職業、山案内人)が存在するが、それはあくまでもガイド
であって、本番の登山は、お金にならないので自費で行っているのが現実である。
ヒマラヤの8000m峰のヴァリエーションルートであっても、企業がお金を出してくれる時代は過ぎ、数百万円の自己資金をため込んで、少人数でアタックする時代である。かの山野井さんが、駒鳥山荘でお手伝いのバイトをして遠征資金を貯めたのは周知の事実である。

日本が誇るアルピニストといっても、年収にすると数百万円・・それこそ、派遣社員のほうが収入がおおいのではないか、と思える。
それが現実である。

でも、トレイルランニングになると、話が違うようだ。
プロ・トレイルランナーとして生活できる選手となると少なくとも、年収500万円は超える収入が得られるのであろう・・。

石川弘樹さんの年収がどのくらいかは分からないが、少なくとも、普通の登山ガイドや、日本が誇るアルピニストよりも多いのではないか?

そんな、プロに今度、あの鏑木毅さんもなるそうだ。

話がすこし飛ぶが、トレイルランニングの世界で有名なランナーは皆レースで勝って、有名になった人ばかりであり、トレイルレースとトレイルランニングとは密接不可分の関係にある。

かげマルッツさんの記事にもあるようにトレイルランニングはレースを通じて、顧客の購買意欲を刺激している嫌いがある。
トレイルランニング関連商品を売っている登山用品店にとっては、まさに「レース様様」なのであろう。

また、要するに、ぶっちゃけた話、スポーツでは、何らかのヒーロー、ヒロインが必要で、それがあったほうが話がしやすいのである。
世界を作り易いというか、他人を誘い込む話をしやすい、作りやすい。
トレイルランニングの世界を上手につくりあげた一部マスコミには、レースで勝つ、強いヒーロー、ヒロインが必要なのである。

こんな風にプロ・トレイルランナーが生まれること自体、需要と供給のメカニズムからでてくることと考えられる。
すなわち、ヒーローを必要とする、メーカー、メディア、大会主催者側の利害と、自分の好きな運動をやり続けたい有力選手の利害関係が一致する時に、プロ・トレイルランナーは生まれる。

そして、往々にして、ヒーローは作られたものとなりやすい、要するに、企業を代弁するような・・言動が多くなる。

そんなことを踏まえると、アマチュアのほうが、言いたいこと、言うべきことが言えていいよ、と思っている。
(あくまでも趣味にとどめて、趣味の切り売りはしない立場。)

最初に書いた、現代のヒマラヤ登山の感覚で言うならば、海外の有名なレースに出るにしても、全部自費で出るのが当たり前で、メーカーなどに遠征資金を出してもらってレースに遠征して、そこでよい成績を残しても、一部マスコミが手がける雑誌の記事ネタにはなるだろうが、その経済的な依存性は、トップトレイルランナーのいろんな意味での「脆弱さ」をもたらすのではないか?

自己資金で、海外の山に行くぶんには、誰にも、文句をいわれる筋合いはなく、誰の風下にたたない。
でも、企業の援助を受け、養ってもらう立場だと、言いたいことも言えなくなり、言うべきこともサポートを受けんがために言わなくなるのが筋だ。

企業の、宣伝広告塔となり、言うべきことを言わなくなってしまったときに、魅力はなくなるだろう。

鏑木さんには、自主独立の、経済的に独立した、プロ・トレイルランナーになってもらいたいものだと考える。
(そんなことが現実的に可能か、大いに疑問であるけれど・・。)

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