Archiv für die Kategorie ‘トレイルランニング一般’
当事者意識の低さについて、
このページをご覧の方の多くは、東トルキスタン情勢よりも、ヒルクライムやトレイルラン関連の記事の方に関心をお持ちのようなので、トレイルラン関連の記事も作っておきます。 されど、時坂峠までのヒルクライムの記事などというどうでもよい記事が、東トルキスタンの記事よりも人気があるのはいささか問題であります。
社会人としての重要性ランクとしては、1 衆議院の解散、総選挙 2 東トルキスタン情勢 99番目ぐらいに トレイルラン が来るはずなんですが・・苦笑・・まぁ、趣味のページだからしょうがないですね。
前説はこのくらいにして、以下、本文となります・・。
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お金を払って、主催者の大会に参加する立場のものは、自分が大勢のほかの仲間とともに大会参加を通して自然に多大なインパクトを与えている事に関して低い関心しか持ち合わせない。
大会主催者さえも、自然に対して甘い見通しで大会を実行しようとする。
誰も、自然に対して「最終的な責任」を自覚しなくなる。
このような相互無責任の構造が成立している、それがトレイルレースである。
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・・でも、こんな記事よりも、他に大切なことがたくさんあるということをご理解ください。鏑木毅さんがアメリカのレースで2位になったことは素晴らしいことだと思いますが、東トルキスタンや、モンゴル、チベットの少数民族が迫害されている事象のほうにより関心が向けられるべきでありましょう・・。
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追補
トレイルランナー諸氏が、秋川の自然よりも仲間とのつながりを重要視するのは、彼らが自然に対して当事者意識をもたないからである。彼らにとっては、踏み潰す自然の保護よりも、トレイル仲間との絆のほうがはるかに大切なことで、重要視されるべきとされる。
主催者から目をつけられて、トレイル仲間から仲間外れにされることを彼らは何よりも恐れる。
トレイルレースが開催される野山の自然は、彼らにとっては、年に幾つもあるトレイルレースの会場のひとつに過ぎない。そのような者たちに自然に対する当事者としての自覚を期待することの方が無理なのかもしれない。
トレイルレース不要論
島国の日本では、平坦なところはほぼ開発し尽くされ、自然が多く残るところは山間部に限られています。自然は、山間部に追いやられてしまったともいえるでしょう。
言うまでもなく、自然は、いろんな恵みを与えてくれるものです。
山を愛すると言うことは、自然を愛すること、
山を理解することは、自然を理解すること、
山は、体調を整え、心神のバランスを回復させてくれる大切なところです。
都会で、心に傷を負った者も、山の自然が癒してくれるでしょう。
山の幸の楽しみ方、享受の仕方は、今まで既に出揃ったと考えます。
レースは、山では、受け入れられないと考えます。
およそレースをしようという発想は、心身が健康で、家族や周りのものにも心配事がなく、自分の将来についてもある程度、幸せな見通しを持っている、もちろん、ある程度散財できる資産もある・・ような人でなければ、持たない発想だと考えます。
生きるか死ぬか悩んでいて、山に何らかの「答え」を求めて山に入るような人は、山でレースをしようなどとは考えないものです。
また、日頃の激務で疲れ果てて、心神にストレスがたまりすぎて、山に快癒を求めてやってくる人も、さらにストレスを溜めることになるレースに出ようなどとは考えないでしょう。
健康で、それほど心配事をもたない人間が、何か楽しいことはないかなぁ??と参加するのがトレイルレースでしょう。
トレイルレースがなければ、気がおかしくなって、心神のバランスを保てません!!
・・なんていう人はこの世にいないと思いますよ。
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山には、生きる証を求めて山に入る人がいて、登山の楽しみを生きる糧にして山に入る人がいるわけであり、そういう人たちにとって、山は、まさに生きるために必要不可欠な存在なのですが、トレイルレースに参加する人たちは、それほど追い込まれた状況、背に腹を代えられない状況でレースをしているわけではないようです。
トレイルレースがなくって、人は生きて行けます。
でも登山がなくなると、生きて行けない人がたくさん出ます。
この単純な理屈から、トレイルレースは不要であると考えます。
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山の楽しみ方にあえて順番をつけるならば、山でレースをしようといった楽しみ方は、少なくとも上位に位置付けられるそれではなく、下から数える方が早いといった低位の楽しみ方であると考えます。
世の中には、トレイルレース以前に、いろんなことで悩んでいる人、心神をわずらっている人がたくさんいるのです。 自殺者3万人と聞きます、日々、死を考える人に無償で救いの手を差し伸べるのが、身近な自然であると考えます。
だから、レースに出られるあなた方は恵まれている、と思わなくてはなりませんね。
トレイルランナーにトレイルレースの自浄能力を期待できるか?
いまさらながら文章に起すのも面倒なので、チャートで記事にしておきます。
ここで指している「トレイルランナー」とは、大会に出ることを主な活躍の場に置く方を指します。
言ってみるならば「トレイルレーサー」を指します。
現在のほとんどのトレイルランナーはトレイルレーサーですので、こう表現してもかまわないでしょう。
いずれ、レースを離れた「本物のトレイルランニング」を実践される方が増えると、表現上の使い分けが必要になるかもしれません。
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トレイルランナーに大会をよいものにさせる自浄能力があるか?期待できるか?
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そもそもトレイルランナーは、大会の利用者であり、主催者には頭が上がらない。弱い存在である。
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また、トレイルランナーは、主催者を通じて大会に参加するものであり、自然破壊についても、せいぜい「間接加害者」の低い意識しかもたない。
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自然破壊を目の当たりにしても「大丈夫かなぁ?」と思うくらいで、問題に直面することは無い。
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さらに、みんなでやっているんだからと言った集団意識に逃げて、問題と直面しない。
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大会参加を通じて、他ならぬ自分自身が当事者として自然を破壊している、自然に強いインパクトを与えているといった意識を感じない。
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自然を破壊している当事者は、このような大会を主催し、ルートを設定した「大会主催者」であり、自分は参加者に過ぎないとの自覚からである。
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更に、トレイルランナーは大会主催者には頭が上がらないので、正面から大会批判を行う勇気が無い。
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大会批判を行うと、主催者に目をつけられて、嫌がらせを受けたり、以後その大会には出られなくなるからである。
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このような大会主催者に頭が上がらず、また当事者意識に欠けるトレイルランナーに自浄能力を期待することは出来ない。
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結局、こういった悲観的な結論になってしまいました。
彼らがレースに求めるものは、対価を払って楽しませてくれる一種のアトラクションであり、TDLの遊戯施設のようなものです。
また、年間に何レースも消化する彼らに言わせるとひとつのレースにいちいち文句などつけてはいられない、他のレースの準備で忙しい。
・・といった事情もありそうです。
トレーニング強度についての一考察
先日5ヶ月ぶりに一之瀬に行き、7時間~8時間沢を登り、藪を歩いたりしたけれど、総じて同行者に合わせてのゆっくりペースだったので、疲労は少なかったようだ。
中一日おいて、昨日は最大負荷での筋力トレーニングを行うことが出来た。本格的に10時間以上藪尾根や沢を登ると帰ってきて3日ほどは疲れが残っていることを踏まえれば、中一日で筋力トレーニングが出来るのならば、やはり負荷が低かったのであろう。
私の経験からすると家に帰ってきて3日、4日は休養をして疲労回復にあてなければならないようなレベルの負荷(出来るとしても、ジョグ程度の軽い運動)が、私の場合は、週末の一日に(或いは、2週間~3週間に一度の割合で)かけるべき「適切な負荷」のようである。
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さて、筋力トレーニングの本を読んでみると分かるが、筋は、トレーニングによって破壊され、休養によって再構成される。トレーニング→破壊→再構成→(超回復)の周期を辿り、その周期の長さは、身体の各部位の筋の大きさにもよる。筋力トレーニングのサイクルは、そのサイクル(出来れば超回復期を狙って)にあわせて行うことが望ましい・・。要するに、筋力トレーニングの見地から見ると毎日出来る程度のトレーニングでは、筋への負荷が低く効果が低いと言うことである。
登山は、ロードのランニングよりも体の各部位の筋力を使うので、筋力トレーニングの発想が登山のための体力向上に役に立つと考えている。(重荷を背負うと、肩や身体幹の筋力を使うし、登り、下りで足腰の筋力を使うことは、いまさら言うまでも無い。)
であるから、登山のトレーニング(重荷を背負っての歩荷トレーニング)は、中2日~中3日を空けて行うことが理想だと考えている。(個人的には、中2日ではあわただしく、中3日が適切と感じている。4日を過ぎると、感覚が失われてきて、週に一回では、現状維持がせいぜいとなる。)
では、トレイルランの場合はどうか?
私はランナーではないし平坦なところの話しは専門家ではないので止めておくが、少なくとも、トレイルランの「登り」と「下り」に関しては、登山と同じことが当てはまるものと考える。つまり、筋疲労を目安に運動強度と、運動間隔を調整してゆくのが妥当であろう。(この場合の運動強度としては、駆け登る標高差を上げたり、5キロぐらいの荷物を背負って走ったりすることで調整できる。)
こんな風に考えると翌日に疲れが残らずに毎日運動できる程度の強度と言うものは、筋力トレーニング的にはたいした効果は無いものであり、登山やトレイルランニングのトレーニングとしてもせいぜい現状維持ができるだけで、実力を「向上」させる効果はさほど無いものと考える。(ロードランニングのトレーニングの場合はそれでも効果があるのかもしれないが、少なくとも筋力トレーニングのセオリーからは外れるだろう。)
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オールアウト
さて、筋力トレーニングには、「オールアウト」させると言う発想がある。
これは筋力トレーニングの効果を得るために筋肉を限界まで追い込むことを指すが、トレイルランにおいても「オールアウトさせるトレーニング」を心がけるならば、週末の運動は、土曜か日曜のどっちか一日に行えば十分な筈である。二日がかりで行う必要はさらさら無い。・・これは少なくとも、「登り」、「下り」のトレーニングに関しては妥当するだろう。
では、いわゆる長距離の走り込みによる全身持久力を養うと言った点ではどうか?
例えば、週末は土曜日も日曜日も走るべきか?
これは、・・逆説的に捉えると、土曜日に走って日曜日も疲れが出ないで走れたということは、その負荷は、走った本人にとっては土曜日も日曜日も走れる程度の軽い負荷だったということである。
歩荷トレーニングにたとえると、一度に60キロ背負って大岳に登れる者は、40キロの荷物なら、疲労が少ないので土曜日も日曜日も登れよう。
その発想からすると、土曜日と日曜日に例えば30キロずつ走れた者は、持久力を上げたいのならば二日に分けることなく一度に50キロとか走るべきであり、或いは、すこし負荷を背負って走るべきであったと言うことになろう。
登山や、トレイルランニングの登り、下りの実力を向上させるのならば、週末は一日だけ使って、「オールアウト」を目指した体負荷の激しいトレーニングを行うのが理想である。二日続けて運動する必要はさらさら無いものと考える。
ただ、厳しいトレーニングは肉体的、精神的疲労も激しいので、疲れすぎる危険もあり、その場合は、二日に分けて、中程度のレベルのトレーニングをこなすのがよいのだろう。
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※ 以上はあくまでも、私見であり、私なりの一考察に過ぎませんが、この記事で狙っているのは「トレーニング効果」を考えて無理、無駄、、むらの無いトレーニングを実践しましょうと言うことです。
※ 負荷のレベルは、人それぞれの体力レベルに応じて異なるのは明白です。今の自分の体力と、目標とする山や、レースにはどのくらいの体力が必要か、それを差し引き計算して、自分の体力をそこに無駄なく持ってゆく方策が大切だと考えます。
ツール・ド・TANIGAWA 開催中止 その3
ツール・ド・TANIGAWA 開催中止 に元気付けられて(?)、これからの方針が見えてきました。
今週は生憎のお天気なのですが、かってないほどに心が晴れております。
見えてきたスタンスにしたがって、すこしづつ時間を掛けて記事の訂正や修正をしています。
今日も幾つかの記事に目を通して、現在の立場に立っての修正を施しました。
最近思うことは、
Ⅰ 東京ハセツネクラブは、宮地氏の親衛隊のような組織であり、表現は悪いですが、要するに当てにならない組織であったこと・・残念ですが、そう断定せざるを得ません。もう少し、期待していたのですが・・これからのトレイルレースが置かれる厳しい環境を思うと、レースに反対する自然保護の方々との「対話」が出来るような組織であるのか?疑問が残ります。
Ⅱ 東京都山岳連盟の自然保護委員は観る目を持っていないこと。東京の自然を保護する役目に関して職務怠慢であること。いわゆる労山や、日本山岳協会などのほかの登山団体の自然保護委員のほうが良識を持っていると考えられること。
Ⅲ 2000名もの参加者でレースを行うのは、表丹沢トレイルレースをみても、ツール・ド・TANIGAWAの一件を見ても分かるように、現代において、そのようなレースを行えること自体がおかしいということ。
Ⅳ 自然保護のためのトレイルレース慎重論ないし反対論、およびそのための組織が今回、表舞台に出てきたのは、たいへん心強く、よいことであること。
・・等などです。
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トレイルレース開催をめぐってのセカンドオピニオン
トレイルレースをやろうと計画していたら、自然保護の団体が反対して、その結果、トレイルレースが中止になるのは、市町村が、その反対の意見に理由があると判断したからであって、いくら自然保護団体でも、つじつまの合わないことを言っていたのでは市町村がその意見を汲んで、レース中止にすることはないでしょう。
つまり、自然保護団体の反対意見に合理的な理由があると考えたからこそ中止になったのです。
自然保護団体の反対意見を説得して覆らせる努力なくしては、今後の首都近郊でのトレイルレースは開催が困難になるでしょう。
でも東京ハセツネクラブの人たちを見ていると、自然保護の立場の方々の意見を理性的に論駁する努力を一切せずに、相手を非難中傷する、悪い言葉を並べることにのみ精力を注いでいるようです。
そのような先見性のない、知性の欠ける運営主体による日本山岳耐久レースの将来は、もう見えたも同然です。
赤子の手をひねるがごとく、数年のうちに、各種反対派によってレース開催が出来なくなる筈です。
(私が、ここでキツイ表現を使って批判する必要性も減ってきました。肩の荷がだいぶ降りた感覚です。)
これまでは、さまざまな低レベルの嫌がらせ行為を繰り返すことで、日本山岳耐久レース反対派を潰すことが出来たのかもしれませんが、そういう手段はもう通じない時代になっています。
理性的に物事を処理できない運営主体によるトレイルレースは、今世紀のトレイルレースの名に値しないものであると考えます。そのような運営主体は、トレイルレースの未来を閉ざすものとなることでしょう。
今後のトレイルレースは、鏑木毅さん、石川弘樹さんのように深くこの競技を愛する方たちによって極めて慎重に思慮深く運営されてはじめて、トレイルレースの名に値するものと考えます。
トレイルレースの今後のためにも、思慮深い運営主体が運営するレースのみが、トレイルレースとして、社会にも認められ、生き残り、次の世代に受け継がれてゆくものと考えます。
今回のツール・ド・TANIGAWA中止の一件を真摯に受け止めて、反省し、今後に生かす努力を続けるような運営主体ならば、今後素晴らしいトレイルレースを開催できるようになることでしょう。
そういったことをせずに、これまでの地位に安住して、ろくに反省もせずに、トレイルレースの理論武装を怠り、反対派には嫌がらせを繰り返すような運営主体では、おのずと淘汰されることでしょう。
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「環境」に配慮することがいまだかってないほど、意識されている時代に、2000人もの大人数で野山を走り回るのは、昭和40年代の高度経済成長期ならまだしも、今のご時勢に・・時代錯誤もはなはだしいところがあります。
ひとりひとりのトレイルランナーに出来ること、それは、環境を意識して、それぞれの立場で、環境へ配慮すること、鏑木毅さんはじめ各種トレイルレースの主催者が環境をいかに考えて運営しているか、よくよく吟味して、自分の出るレースを決めること。
ひとりひとりのトレイルランナーの良識に基づく判断と行動が、次の世代に生き残るトレイルレースを決めると考えます。
あのレースは人気があるレースだから・・、といった理由だけでレースを選ぶ時代は終わりつつあると思います。
実力がある方でしたら、ハセツネに出なくっても、ハセツネで優勝しなくっても、一流と、世に認められることでしょう。
実力のある若い人には、自分の価値観を大切にして、自分が出るレースを決めていただきたいと思います。
一番悪いのは、自分の頭で考えないで、有名なレースだから、みんな出ているから、まわりがそうしているから、といった他者追従的な理由で、出るレースを決めることです。
私としても、これからは良識あるトレイルレースのみを考えてゆきたいと思います。いかがわしい運営がなされるトレイルレースは、時代に後れたものとして、相手にしないことに致しましょう。
ツール・ド・TANIGAWA 開催中止 その2
さきほどアドスポの過去ログで、ツール・ド・TANIGAWAの記事を探したら、以前あったはずなのに、見つからなかった。
たしか、地元群馬の横山選手や、田中選手など、これまでのトレイルランニングを引っ張ってきたそうそうたるメンバーによって企画立案された大会であるような宣伝記事があったように思う。
地元在住の有名なトレイルランナーが企画立案した大会であってさえも、実現できなかったのは、意味が大きい。
たとえ、地元群馬県在住の有名なトレイルランナーが揃ったとしても、
①登山道周辺の自然保護の見地、
②登山道でのレースの危険性(選手自身の怪我や、一般観光客が巻き添えの危険)、
③国立公園の特別保護地区、
などなどといった要素が揃えば、レースを開催できないということである。
ちなみに、表丹沢トレイルレースは、林道が半分近くあり、定員も500名ぐらいであったにもかかわらず、今年は開催できなかった。
丹沢の場合、③丹沢大山国定公園に含まれるが、ルートの一部が特別保護地区に近接していたかどうかは不明である・・、たぶん、①、②の要素、そのほかで開催中止となったのであろう。
ハセツネ30Kの場合、①、②は大なり小なり当てはまる。③に関しては、醍醐丸~市道の尾根筋が桧原南部都自然環境保全地域に指定されている。表丹沢トレイルレースの理屈で言えば、ハセツネ30Kが、開催中止に追い込まれても不思議ではない。
結論からすれば、観光客の誘致よりも、自然保護であり、関東最大のトレイルレース開催よりも自然環境保護である。
レース開催に関して、自然保護に理解がある方々や、環境省などの、理解は得られなかったようだ。
日本の有名なトレイルランナーが、どんなことを言おうとも、理解を得られない、説得できない状況をどう理解するべきか?
ルート企画者と自然保護団体の方々、環境省とのあいだには自然保護に関する深い見解の相違、理解の相違があるのだろう。
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アドスポその他のトレイル雑誌
有名なトレイルランナー諸氏
各種トレイルランニング大会開催者
自然保護団体の方々
環境省
両者には、見解の相違があり、社会の多数派の意見は、後者であり、前者は、少数派であるのだ。
・・トレイルレースに出て、トレイル雑誌を読んで、有名なトレイルランナーの講習会を受けていると、前者の考えが、当たり前だ!と考えるようになるんだけれども、それは間違っているということである。
トレイルランを愛好するものとしては、世のなかには、トレイルレースを自然破壊競技であると考える人も居るんだ、それが今の社会の多数派なんだということを深く心に留めて、少しは疑問を持って、アドスポその他のトレイル雑誌に書かれていること、有名なトレイルランナー諸氏が言っていること、各種トレイルランニング大会開催者の言っていることを、全部を信じるのではなく、すこしは冷めた目で見つめなおすべきであろう。
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追補 自然との共存論をめぐって、
有名なトレイルランナー氏が、自然との共存を唱えていた。
お説ごもっともであり、トレイルランニングを登山道で行うことには、誰もケチをつけはしない。
トレイルランニングと自然との共存は 認められる。
でも、トレイルレースと自然との共存には、難がある。
それが、社会一般(多数派)の考え方である。
自然保護関係の方や環境省も、トレイルランを登山道でやるな!とまでは言っていなかろう・・。
100人、200人 あるいはそれ以上の参加者によるレースをやることが問題なのである。
自然との共存の理念のもとに、トレイルレースを開催するのが許されるというのは、多数派を説得できない理屈であろう。
もっと説得できる理由付けが必要だ。
※ ちなみに自然公園法か何かを改正して、集団での利用には、事前の許可を必要とする旨の法改正を行えば、国立公園、国定公園などでのトレイルレースは、原則的に禁止となる。さらに、自然公園の競技利用の禁止条項を設ければ、トレイルレースは一切行えなくなる。
ツール・ド・TANIGAWA 開催中止 その1
知人から教えていただきましたが、ツール・ド・TANIGAWAが開催中止になったそうですね。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20090217-OYT8T01156.htm
上の読売新聞のニュースによると、中止理由は、
この計画について、異論を唱えたのが、山岳団体自然環境連絡会(事務局・東京)。日本山岳協会や日本勤労者山岳連盟、日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラストなど計7団体の自然保護担当者で構成しており、今月16日、町に対し、大会に反対する内容の意見書を提出した。反対の理由として、〈1〉多数のランナーがタイムを競い合って駆け抜ける行為は登山道や高山植物の踏み荒らしを招く〈2〉狭く急峻(きゅうしゅん)なコースでランナー自身のみならず、一般の登山者を巻き込んで事故につながる危険がある――などを挙げた。
またルート一部が上信越高原国立公園の特別保護地区に隣接していることもネックだったようです。
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谷川連峰は、私のテリトリーではないので、とやかくは申しませんが、
私の基本的な立場は、競技性のないトレイルランであり、大規模なトレイルレースは登山道を占有し、ほかの利用者への多大な迷惑となるとともに、走り方によっては登山道間近の山野草を踏み荒らすので自然環境保護の点から問題があると考えます。
よって、この山岳団体自然環境連絡会や、環境省長野自然環境事務所の対応には、賛意を示したいと思います。
ちなみに、上の山岳団体自然環境連絡会には、東京都山岳連盟が入っていないようです(苦笑)。
東京都山岳連盟よりも、自然保護に関して進んだ考えを持っている山岳団体が、この世の中にはきちんと存在しているのですね。大変に心強いことです。
トレイルレースに参加している私の知り合いは、こういったレースをブログ上で悪く言うことがありません。主催者に配慮しているのでしょう、今回のツール・ド・TANIGAWAに関してもそうです。
けれども、それは傍から見ると、こういったトレイルレースに参加している連中って言うのは自分たちが楽しめればそれでよいという自然環境への理解が足りない奴なんだなって受け止められることでしょう、大変残念なことです。
ごく少数のレースの主催者側の方々からは、仲間はずれの視線を受けないと思いますが、ほかのもっと多くの方々、自然保護に心ある大勢の方々からは、浅はかな奴だとの評判が立つことでしょう。
トレイルレースに参加している方や、アドスポその他の、トレイルレース関連の記事を扱っているメディアは、トレイルレースの是非についてもう一度、再考したほうがよいでしょう。時と場合によっては自己批判する必要も生じるかもしれません・・。
表丹沢トレイルが中止になったことも踏まえると、こういったレース締め出しの流れは確実に強くなっているようです。
個人のブログにしても、トレイル雑誌にしても、今のままの論調(手放しのレース賛成論、主催者側への賞賛論)では自然を理解せず自然を破壊するものとして、社会的批判を浴び、断罪されることになるでしょう。
下手をすると、トレイルレースは反社会的行為であるとして、糾弾されることになるかもしれません。 (すでに一部の先鋭的な自然保護派の方にはそのように考えられていると思います。)
僕は今まで、一人で孤軍奮闘してきた感じだったのですが、私の見解はけして独りよがりではなく、孤軍奮闘ではなかったようです。
故郷の自然を守る立場から、あれこれ自分の信念を貫いて書いてきたことが、間違っては居なかったようで、大変に安堵しております。
さて、表丹沢トレイル、ツール・ド・TANIGAWA といい、次第に外堀が埋められてきました。
本丸に火の手が上がるのも、近いかもしれません・・。

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