Sub Eight

挑 戦 無 き 者 は 去 れ !

教養

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いわゆる学がない者は、日常会話においても嘘を平気でつく。
この意味において、「教養」は、彼らの手玉に取られる敗因となる。

学がないものは、いろんな心理的障壁を軽々と越えてゆくので、たちが悪い。

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・・・私が普段お世話になっている自動車修理屋さんが、300坪ほどの畑を借りて週末に家庭菜園をやっているのだが、せっかく作ったネギの苗床を毎年毎年ごっそり盗られてしまうのだそうだ。そんな話しを聞いて、世にはモラル無き百姓がいるという話し。

そういえばテレビニュースでは、収穫された新米が盗られたり、イチゴが盗られたり、さくらんぼが盗られたり・・人のものを盗んではいけないと言う社会人としての最低限のマナーすらも守れないひとがこの世にはいまだ多く存在するということ。

真実を話すべきだというマナーも持ち合わせていない。 彼らは基本的にうそつきな人間である。
まぁ、そういった手合いは、手ごわい。

Written by silvaplauna

Juli 9, 2009 um 1:42

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RICHARD’S TRIPS

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Route 66 by Harley-Davidson
ZARDの名曲「永遠」のプロモーションビデオに流れる砂漠の中の一本道は、ルート66だろうと当たりをつけて、探し回ると、面白い紀行を見つけました。
ルート66あたりの風景は、梅雨空でうっとうしい雰囲気を忘れさせてくれます。

このホームページにはさらに、ラダックまでバイクで行った紀行もあり、ちょっとした旅行気分を味わえます。
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A Motorbike Expedition To The Highest Road In The World

Written by silvaplauna

Juli 8, 2009 um 11:20

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ウチョウラン

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ucyourann

ここのところ山に行けない週末が続いている。
草刈り+雑用のパターンで土日は終わってしまう。

知り合いの方が、この花を見つけたと写真を送ってくれた。
奥多摩の山でこの花に出会える確率は絶無である。
奥秩父にもまず期待できない・・大菩薩とか、道志とか、御坂とか、に咲いているかもしれない?

この花を見つけても、ネット上で場所を公開してはいけませんよ(厳重注意!)。
すぐさま、山野草を売買する人たちが嗅ぎ付けて、翌週には盗掘されてしまっていることでしょう。

絶滅危惧種 Ⅱ類 に指定されているそうです。

Written by silvaplauna

Juli 6, 2009 um 5:53

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垂直志向から水平志向へ、

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あの鏑木毅さんが、アメリカのトレイルレースで2位になったそうだ。100マイル(160キロ)も走るレースなのだそうである。
私には見当もつかない距離である。

私に見当がつくのは、無酸素で8000m峰に登ることとか、3000mの岩壁を、60数時間で登ることとか、そういったことなら登山記録を読んだこともあり、(自分に出来る出来ないにかかわらず)ある程度は見当がつく。

無酸素で8000m峰に挑戦することか、160キロのトレイルレースに出ることのどちらかを選べ、となると、これは迷うことなく、前者である。
そういう登山をやりたいと思って今までトレーニングを積んできたわけだし、たとえそこに死の危険が潜んでいようとも、登山を志したものならば、迷うことなく、無酸素での8000m峰登頂を希望するだろう。

ところで、ハセツネの元は、あの長谷川恒男氏が、ヒマラヤの壁を目指して奥多摩の山々でランニングトレーニングを積んだことにある(←この事実の真偽はともかくこれが公式見解である)。
長時間の有酸素運動が、心肺機能を高め、体力の増進にもつながるので、長距離のランニングがヒマラヤを目指すアルピニストのトレーニング方法のひとつというのは納得がゆく。また、アタックベースキャンプから、山頂を往復して戻るまで、酸素を吸っても24時間近くかかる場合があるといった事実を踏まえ、そのシュミレーションとしても意味もあったわけだ。

つまり、ハセツネのおおもとは、トレイルランニングでもなんでもなく、それはヒマラヤを目指したトレーニングであり、登頂シュミレーションである。
とすると、・・・本来、ハセツネの先にあるべきものは、8000mの無酸素登頂である。

ところが、現実はさにあらず、ハセツネの先に参加者が見るものは、ツール・ド・モンブランであり、アメリカ等のいろんな100マイルレースとなってしまっている。
と同時に、競技指向が強まり、今のハセツネはタイムレースとなってしまっている。・・本来は、完走(=ベースキャンプへの生還)に意味があったはずであるのに・・。
気がつくと、ハセツネはいつのまにか、国内最高峰のトレイルレースになってしまった。

アルピニズムが下火になっている時勢を受けて、ハセツネの役割は既に終わったものとして、潔く中止にするべきであったと考えるが、主催者はトレイルレースに活路を見出したかのように、中身を、トレイルレースへ変容させて、トレイルランニングのレースへと変化させてしまった。

これは、ひとりの人間になぞらえると、ヒマラヤの8000m峰の無酸素登頂を狙っていたものが、それは諦めて、アイゼンもピッケルもほっぽり出して、今度はアメリカの100マイルレースに出ることにした・・ようなものである。冬季に雪山に行くのをやめて、マラソン大会に出ることにした・・ようなものである。山岳部に入っていた学生が、陸上競技部に入り箱根駅伝を目指すようなもの、社会人山岳会に入っていたものが、ランニングクラブに入り、サブスリーを目指すようなものである。

衣替えに伴い参加者の価値観も変わってゆき、難しい穂高のルートを登った、深い雪のラッセルをしたなんていうことよりも、フルマラソンのタイムや、ウルトラマラソンのタイムの方が重要視される。キスリングを背負って丹沢の表尾根で歩荷トレーニングをした話よりも、月に何キロ走り込みをしたなんていうランナーに受ける話しの方が顔を利かせる。

参加者にとって「英雄」とされるのも海外のトレイルレースに出てよい成績を残している「トレイルランナー」の鏑木さんであり、石川弘樹さんである。

こんなふうに、今のハセツネはすっかりトレイルランニングの大会になってしまった。

たしかに、登山にとっても有酸素トレーニングは有効ではある。しかし、究極の目的が、ヒマラヤの8000m峰の登頂と、100マイルレースとではだいぶ違う。
無事に登頂して疲労でボロボロになってようやくベースキャンプに帰還するのと、多くの観客の喝采に包まれて華やかなゴールゲートをくぐるのとでは、やっていることがだいぶ異なろう・・。

鏑木さんには申し訳ないが、山が好きな私個人としては、無酸素で8000m峰に登ることのほうを選ぶ。
160キロのレースで2位に入賞することは偉大なことなのであろうが、山が好きな私は6000m、7000mといった高い山に興味はあるが、長く走ることにあまり魅力を感じないのである。

ひと言で言うと、ハセツネは、かって垂直志向であり、8000m峰登山のための大会であったが、いまはすっかり水平志向となり、長距離トレイルレースのための大会となっている。

ハセツネその他の国内トレイルレースで名をあげた鏑木さんや、石川弘樹さんは、ハセツネの倍以上の距離の海外のトレイルレースにでて活躍し、トレイルランナーの進むべき道を身をもって示されている。

けれど、そういったトレイルレースへの流れに違和感を感じ、流行に乗らない人たちも、確かに存在するのである。

Written by silvaplauna

Juli 2, 2009 um 1:55

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日本人の集団性の悪しき象徴?

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いわゆる大衆娯楽としての、浜辺に大人数が入り込みごった返すあの「海水浴、潮干狩り」の里山版がハセツネである。

Written by silvaplauna

Juli 1, 2009 um 2:24

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トレイルレース不要論

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島国の日本では、平坦なところはほぼ開発し尽くされ、自然が多く残るところは山間部に限られています。自然は、山間部に追いやられてしまったともいえるでしょう。

言うまでもなく、自然は、いろんな恵みを与えてくれるものです。

山を愛すると言うことは、自然を愛すること、
山を理解することは、自然を理解すること、

山は、体調を整え、心神のバランスを回復させてくれる大切なところです。

都会で、心に傷を負った者も、山の自然が癒してくれるでしょう。

山の幸の楽しみ方、享受の仕方は、今まで既に出揃ったと考えます。

レースは、山では、受け入れられないと考えます。

およそレースをしようという発想は、心身が健康で、家族や周りのものにも心配事がなく、自分の将来についてもある程度、幸せな見通しを持っている、もちろん、ある程度散財できる資産もある・・ような人でなければ、持たない発想だと考えます。

生きるか死ぬか悩んでいて、山に何らかの「答え」を求めて山に入るような人は、山でレースをしようなどとは考えないものです。
また、日頃の激務で疲れ果てて、心神にストレスがたまりすぎて、山に快癒を求めてやってくる人も、さらにストレスを溜めることになるレースに出ようなどとは考えないでしょう。

健康で、それほど心配事をもたない人間が、何か楽しいことはないかなぁ??と参加するのがトレイルレースでしょう。

トレイルレースがなければ、気がおかしくなって、心神のバランスを保てません!!
・・なんていう人はこの世にいないと思いますよ。

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山には、生きる証を求めて山に入る人がいて、登山の楽しみを生きる糧にして山に入る人がいるわけであり、そういう人たちにとって、山は、まさに生きるために必要不可欠な存在なのですが、トレイルレースに参加する人たちは、それほど追い込まれた状況、背に腹を代えられない状況でレースをしているわけではないようです。

トレイルレースがなくって、人は生きて行けます。

でも登山がなくなると、生きて行けない人がたくさん出ます。

この単純な理屈から、トレイルレースは不要であると考えます。

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山の楽しみ方にあえて順番をつけるならば、山でレースをしようといった楽しみ方は、少なくとも上位に位置付けられるそれではなく、下から数える方が早いといった低位の楽しみ方であると考えます。

世の中には、トレイルレース以前に、いろんなことで悩んでいる人、心神をわずらっている人がたくさんいるのです。 自殺者3万人と聞きます、日々、死を考える人に無償で救いの手を差し伸べるのが、身近な自然であると考えます。

だから、レースに出られるあなた方は恵まれている、と思わなくてはなりませんね。

藪萱草(ヤブカンゾウ)

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横沢入りにニッコウキスゲに似た花が咲いている。20年も昔この地がゴルフ場にするんだぁの、高級住宅街を作るんだぁのと開発の波にさらされていた頃、田んぼの脇に咲いているのを数本引っこ抜いて庭に植えた。
ニッコウキスゲならぬ「横沢キスゲ」だと、冗談で言っていたが、どうやらニッコウキスゲの親戚らしい。

その後、横沢入りは、開発はまぬがれ・・いまの時期は蛍の名所になっている。
ゴムの長靴を履き都会からわざわざやってきたナチュラリストの方々が、蛍の数を数えている。

http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/5106/sub91.htm

Written by silvaplauna

Juni 29, 2009 um 8:49

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余暇としてのスポーツ

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余暇としてのスポーツは、タイムの速さではなく、意識の高さで勝負するべきである。
タイムで勝負を争うのは、スポーツを生業(なりわい)とする者である。

いわゆる市民アスリートは、意識の高さへと「価値の重点」をシフトするべきであろう。
プロ・スポーツ選手のまねをする必要はさらさらないのである。

考えようによっては、余暇としてスポーツを楽しむものはプロ・スポーツ選手よりも高い意識を具現することが出来る可能性がある。

余暇としてのスポーツを楽しむものに、速さという価値基準は個人的満足以上の意味がないことを、まずは運動している本人自身が深く認識し、自戒するべきである。

Written by silvaplauna

Juni 28, 2009 um 10:43

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功利主義的議論を離れて

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さて、Sub Eight も直に、10万アクセスを迎え、来月で丸1年になろうとしております。

そもそもこちらは、「甲武相山の旅」で私が書いたトレイルラン関連記事を、重複するテーマを一つにまとめたりして移植することから始めました。
最近はWORDPRESSのプラットフォームの方が記事を書き易いので元となる記事はこちらで書いております。

こちらのBlogの性格上、トレイルラン関連記事だけにとどめるのもよいのでしょうが、私にはそれではあまりに底が浅く感ぜられます。
鏑木さんのような一流選手でしたらトレイルランに対象を絞っても十分に深い内容の記事を書けるのでしょうが、走ることに関しては平凡な才能しか持ち合わせていない私には、無理な話しです。
それで、私のトレイルラン記事の底の浅さを埋め合わせるものとして、これからはもう少し私なりに「深い視点」からの記事も書いてゆこうと思うようになりました。

そもそも、私の場合、はじめに哲学ありき、で
哲学あっての、登山であり、その一潮流のトレイルランとなるわけですので、私には、トレイルランも、登山も、それらを背後で支える哲学的思索なくしては語りえないものなのです。

そんなふうに、これからは、「いかにすれば速く走れるか?」といった功利主義的な議論、表面的な議論よりも、よりメンタルな、思索的な事柄を多く書いて行こうと思います。
もちろん、そういった記事内容は「誰にでも読めるが、誰にでも読めない記事」、「読み手を選ぶ記事」であり、いわゆる万人向けの、PRAGMATICなトレイルランニングのノウハウ論とは一線を画すものです。

読み手の数ではなく、質の高さを求め、読み手に迎合したり、媚びたりする記事ではなく、読み手をリードできるような記事を書いて行けたらと考えます。

Written by silvaplauna

Juni 28, 2009 um 9:29

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批判的精神

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宗教家と、哲学者の違いは、どこにあるか?
ひと言で答えるならば「批判的精神」の有無であろう。

インスピレーションを冷静に分析し、感覚で捉えたものを論理構成化しようとするのが、「哲学者」であり、一方、インスピレーションをそのまま受け入れ、恍惚の境地に浸るのが宗教家である。

もちろん、臨済禅のような禅宗には、批判的精神、論理的精神が読み取れるものもある。方や、現代には哲学者を名乗りつつも、中身は、宗教家まがいのものも存在する。

さらにあの、イエス=キリストは、ユダヤ教の痛烈な批判を行ったそうだ。
だとすると、このテーゼは間違っているのか?
あるいは、キリストは、そもそも宗教家ではないのかもしれない。

つまり、彼は後から、キリスト教の始祖に祭り上げられた・・と考えることもできるだろう。

それなら、こう言い換えよう・・

インスピレーションだけにとどまるのでは、単なる盲信であり、それは幼稚な宗教にとどまる。
批判的精神を内に秘めてこそ、インスピレーションが分析され、昇華され哲学にまで高められるのである。

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哲学者の批判的精神はとどまるところを知らず、彼は、その信じる神々を批判することさえも厭わないのである。

Written by silvaplauna

Juni 28, 2009 um 7:51

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トレイルでの「速さ」の可視化、透明化の試み

mit 5 Kommentaren

回想録1  — この記事は、内容的に真新しいものではなく過去の記事を振り返って、分かりやすく説明しなおしたものです。—

5~6年前?或いはもっと昔?立川の駅ビルのスポーツ用品店にジョギング・シューズを買いに寄ったときの話し、お店の一角に丈夫そうな靴が置いてあって、脇に、○◇△×選手が「日本山岳耐久レースで使用したモデルです。」等と書かれたPOP板が置いてあった。
山を走る靴かぁ・・と思うとともに、あのレースがこんな形で有名になっていることに驚いた。

ハセツネの記事を書き始めた頃は、石川選手をはじめトップ選手の走りが「謎」であった。いったいどこをどう走ると、浅間峠まで2時間30分で行けるのか?
雑誌や、お店には石川選手が障害物をジャンプしている広告写真があるので、石川選手はじめトップ選手は下りは、天狗のように歩幅5m以上にジャンプして下るのか?・・等と真面目に考えていた。

しかし実際は、天狗のように飛びながら走るのではなく、せいぜい講習会で教えていただくようなごくごく普通の走り方で走っているのであるが、それで浅間峠まで2時間30分で行けるのは、トップの選手はいわゆる最大酸素摂取量が高いからである。
最大酸素摂取量が高ければ、淡々と走って2時間40分ほどで浅間峠まで行けるそうである(陸上自衛隊大宮駐屯地第32普通科連隊の選手の方々に伺った話し)。
(この最大酸素摂取量と言う基準では今ひとつ漠然としているならば、5000m走のタイムを基準に考えればよい。すなわち5000m走が16分前後の選手ならばさほど無理せずに2時間40分で行けるそうである。)

こんな風に、ある程度の技術を持っていればあとは、速さは、その人の「最大酸素摂取量」次第である。どんな技術を持っていても、その選手の「最大酸素摂取量」以上のタイムを出すことは出来ない。
よほどの初心者でない限り数年経てば、見たり聞いたりして皆そこそこの技術を持っている筈である。持っている「技術」を「速さ」に結びつけるのは、「最大酸素摂取量」である。(分かりやすく言うと、5000m走の速さ次第だと言うこと。)

まとめると・・

技術+最大酸素摂取量(5000mの速さ)=トレイルでの基本的な速さ

となる。この他にレースの長さに応じて、速さを維持できる持久能力が必要になるわけである。

あのレースにひきなおすと、以下のような図表が出来上がる。
Hasetsune Formula Ⅱ

5000m走のタイム   第一関門目標  タイム比率 1:0.95:1.3  ゴールタイム

5000m 15,16分  2時間40分   160:152:208   total 08h40min
5000m 17,18分  3時間10分   190:180:247   total 10h17min
5000m 19,20分  3時間40分   220:209:286   total 11h55min
5000m 21,22分  4時間10分   250:237:325   total 13h32min
5000m 23,24分  4時間40分   280:266:364   total 15h10min
5000m 25,26分  5時間10分   310:294:403   total 16h47min

※注 いずれも余力を持たせたタイムです。
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結局、こういう風に図表化することで、トップ選手のいわば「神秘のヴェール」を剥がすことが出来る。もちろん、トップ選手の「速さ」を皆が実現できるわけではないが、少なくとも頭で把握することが出来るようになるわけである。

Written by silvaplauna

Juni 25, 2009 um 1:48

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巻き戻し

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今思うことは、自分は正統派の登山を続けてきてよかったということ。なまじ足が速いと、トレイルブームに乗せられて「トレイルランナー」になっていたかもしれないから・・。幸い、或いは不幸にも(?)、自分は膝を壊したり、また身も重いので速く走れずブームには乗れなかった。(もちろん、このようなレースに参加することには、自然保護の点でも後ろめたさがあった。)

トレイルランニングは、山との親しみ方のひとつの方法論に過ぎない。トレイルブームにより正統派の登山が一時色褪せたかに見えたが、今は(或いは、やがては?)大きな巻き戻しを迎えるように思う。

いろいろ記事を書いてきたが、6月中にどれだけ書けるか、まだ書くべきことがあるか、いろいろと考えている。

Written by silvaplauna

Juni 23, 2009 um 10:11

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トレイルランナーにトレイルレースの自浄能力を期待できるか?

mit 2 Kommentaren

いまさらながら文章に起すのも面倒なので、チャートで記事にしておきます。

ここで指している「トレイルランナー」とは、大会に出ることを主な活躍の場に置く方を指します。
言ってみるならば「トレイルレーサー」を指します。

現在のほとんどのトレイルランナーはトレイルレーサーですので、こう表現してもかまわないでしょう。
いずれ、レースを離れた「本物のトレイルランニング」を実践される方が増えると、表現上の使い分けが必要になるかもしれません。

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トレイルランナーに大会をよいものにさせる自浄能力があるか?期待できるか?

そもそもトレイルランナーは、大会の利用者であり、主催者には頭が上がらない。弱い存在である。

また、トレイルランナーは、主催者を通じて大会に参加するものであり、自然破壊についても、せいぜい「間接加害者」の低い意識しかもたない。

自然破壊を目の当たりにしても「大丈夫かなぁ?」と思うくらいで、問題に直面することは無い。

さらに、みんなでやっているんだからと言った集団意識に逃げて、問題と直面しない。

大会参加を通じて、他ならぬ自分自身が当事者として自然を破壊している、自然に強いインパクトを与えているといった意識を感じない。

自然を破壊している当事者は、このような大会を主催し、ルートを設定した「大会主催者」であり、自分は参加者に過ぎないとの自覚からである。

更に、トレイルランナーは大会主催者には頭が上がらないので、正面から大会批判を行う勇気が無い。

大会批判を行うと、主催者に目をつけられて、嫌がらせを受けたり、以後その大会には出られなくなるからである。

このような大会主催者に頭が上がらず、また当事者意識に欠けるトレイルランナーに自浄能力を期待することは出来ない。

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結局、こういった悲観的な結論になってしまいました。
彼らがレースに求めるものは、対価を払って楽しませてくれる一種のアトラクションであり、TDLの遊戯施設のようなものです。
また、年間に何レースも消化する彼らに言わせるとひとつのレースにいちいち文句などつけてはいられない、他のレースの準備で忙しい。
・・といった事情もありそうです。

Written by silvaplauna

Juni 23, 2009 um 9:01

トレーニング強度についての一考察

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先日5ヶ月ぶりに一之瀬に行き、7時間~8時間沢を登り、藪を歩いたりしたけれど、総じて同行者に合わせてのゆっくりペースだったので、疲労は少なかったようだ。
中一日おいて、昨日は最大負荷での筋力トレーニングを行うことが出来た。本格的に10時間以上藪尾根や沢を登ると帰ってきて3日ほどは疲れが残っていることを踏まえれば、中一日で筋力トレーニングが出来るのならば、やはり負荷が低かったのであろう。

私の経験からすると家に帰ってきて3日、4日は休養をして疲労回復にあてなければならないようなレベルの負荷(出来るとしても、ジョグ程度の軽い運動)が、私の場合は、週末の一日に(或いは、2週間~3週間に一度の割合で)かけるべき「適切な負荷」のようである。

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さて、筋力トレーニングの本を読んでみると分かるが、筋は、トレーニングによって破壊され、休養によって再構成される。トレーニング→破壊→再構成→(超回復)の周期を辿り、その周期の長さは、身体の各部位の筋の大きさにもよる。筋力トレーニングのサイクルは、そのサイクル(出来れば超回復期を狙って)にあわせて行うことが望ましい・・。要するに、筋力トレーニングの見地から見ると毎日出来る程度のトレーニングでは、筋への負荷が低く効果が低いと言うことである。

登山は、ロードのランニングよりも体の各部位の筋力を使うので、筋力トレーニングの発想が登山のための体力向上に役に立つと考えている。(重荷を背負うと、肩や身体幹の筋力を使うし、登り、下りで足腰の筋力を使うことは、いまさら言うまでも無い。)

であるから、登山のトレーニング(重荷を背負っての歩荷トレーニング)は、中2日~中3日を空けて行うことが理想だと考えている。(個人的には、中2日ではあわただしく、中3日が適切と感じている。4日を過ぎると、感覚が失われてきて、週に一回では、現状維持がせいぜいとなる。)

では、トレイルランの場合はどうか?

私はランナーではないし平坦なところの話しは専門家ではないので止めておくが、少なくとも、トレイルランの「登り」と「下り」に関しては、登山と同じことが当てはまるものと考える。つまり、筋疲労を目安に運動強度と、運動間隔を調整してゆくのが妥当であろう。(この場合の運動強度としては、駆け登る標高差を上げたり、5キロぐらいの荷物を背負って走ったりすることで調整できる。)

こんな風に考えると翌日に疲れが残らずに毎日運動できる程度の強度と言うものは、筋力トレーニング的にはたいした効果は無いものであり、登山やトレイルランニングのトレーニングとしてもせいぜい現状維持ができるだけで、実力を「向上」させる効果はさほど無いものと考える。(ロードランニングのトレーニングの場合はそれでも効果があるのかもしれないが、少なくとも筋力トレーニングのセオリーからは外れるだろう。)

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オールアウト

さて、筋力トレーニングには、「オールアウト」させると言う発想がある。
これは筋力トレーニングの効果を得るために筋肉を限界まで追い込むことを指すが、トレイルランにおいても「オールアウトさせるトレーニング」を心がけるならば、週末の運動は、土曜か日曜のどっちか一日に行えば十分な筈である。二日がかりで行う必要はさらさら無い。・・これは少なくとも、「登り」、「下り」のトレーニングに関しては妥当するだろう。

では、いわゆる長距離の走り込みによる全身持久力を養うと言った点ではどうか?
例えば、週末は土曜日も日曜日も走るべきか?
これは、・・逆説的に捉えると、土曜日に走って日曜日も疲れが出ないで走れたということは、その負荷は、走った本人にとっては土曜日も日曜日も走れる程度の軽い負荷だったということである。

歩荷トレーニングにたとえると、一度に60キロ背負って大岳に登れる者は、40キロの荷物なら、疲労が少ないので土曜日も日曜日も登れよう。
その発想からすると、土曜日と日曜日に例えば30キロずつ走れた者は、持久力を上げたいのならば二日に分けることなく一度に50キロとか走るべきであり、或いは、すこし負荷を背負って走るべきであったと言うことになろう。

登山や、トレイルランニングの登り、下りの実力を向上させるのならば、週末は一日だけ使って、「オールアウト」を目指した体負荷の激しいトレーニングを行うのが理想である。二日続けて運動する必要はさらさら無いものと考える。

ただ、厳しいトレーニングは肉体的、精神的疲労も激しいので、疲れすぎる危険もあり、その場合は、二日に分けて、中程度のレベルのトレーニングをこなすのがよいのだろう。

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※ 以上はあくまでも、私見であり、私なりの一考察に過ぎませんが、この記事で狙っているのは「トレーニング効果」を考えて無理、無駄、、むらの無いトレーニングを実践しましょうと言うことです。

※ 負荷のレベルは、人それぞれの体力レベルに応じて異なるのは明白です。今の自分の体力と、目標とする山や、レースにはどのくらいの体力が必要か、それを差し引き計算して、自分の体力をそこに無駄なく持ってゆく方策が大切だと考えます。

サラサドウダン(更紗灯台)

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サラサドウダン
ツツジの仲間で、花の柄が更紗模様に似ているからこの名前が付けられたそうです。
赤とか紫がかった普通のツツジはよく見かけるのですが、このサラサドウダンはなかなか見かけない、見つけても花の盛りを過ぎてしまっていたりするので上手い具合に花のピーク時に出くわせるのは珍しいなと感じています。

標高1800m付近で6月20日前後が盛り?
標高2050m付近では6月下旬~7月上旬かな? もちろん生育場所に応じて幅があります。

トレイルランナーな貴方がもしルートでこの花を見つけたら、前後を登ってくる登山者へ、挨拶がわりに、「あそこにサラサドウダンが咲いていますよ!」 なんて声をかけて見ましょう。

だいぶ印象が違ってきますよ(微笑)。

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参考
更紗模様とは?

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sarasadoudan.html

http://homepage3.nifty.com/wako3/kaboku/sarasadoudan/sarasadoudan.htm

奥多摩植物目録

Written by silvaplauna

Juni 22, 2009 um 2:42